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2024年7月25日 (木)

中国の旅/クチャ(庫車)

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昨夜は列車の中でまんじりとももしなかった。
何回か駅に停車したけど、われ関せずで寝込んでいて、目をさましたのは朝の6時半ごろ。
右側はいちめんの砂漠で、左側はずっとオアシス(というよりひとつの村)だった。
おざなりの洗顔をすませたころ、右側にも樹木があらわれ、小さな農家、街道をはしる車やスタンドなどがあり、まなくムギ畑や5階建てぐらいの建物、給水塔など、人間の気配が濃厚になってきた。

さてクチャ(庫車)である。
時刻表では7時48分の到着になっていたのに、7時半ごろ小さな駅で停車して、車掌にクチャかと訊くとそうだという。
荷物はまとめてあったからすぐに下りられたものの、この駅ではホームの長さが足らず、ステップから直接地面に飛び降りた。
駅前にタクシーが20台くらいたむろしていて、町まで40元だという。
距離がたいしたことないことがわかっていたから、わたしは乗り合いバスで行くことにした。
こちらは2元だ。
バスの車掌は、美しいけど、髪をくしゃくしゃにして、恥らいなんてものをどこかに忘れてきたウイグル娘である。
腰の前にむかしなつかしい、口がぱかっと開くバッグを下げて、てきぱきと仕事をこなしていた。
本数の少ない列車が到着したばかりなので、バスはほぼ満員である。

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15分ほど走って、建物が増えて町らしい景色になってきたころ、となりの人に、クチャでいちばんきれいなホテル知ってますかと訊いてみた。
これなんかどうだと、彼はたまたまバスがその前を通り過ぎた汚いホテルを指した。
わたしはウームである。
あれがいちばんきれい?

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バスはなんだかえらく人だかりのしている町中にさしかかった。
道路の両側でウイグル人たちの朝市が始まっていたのだ。
その向こうに庫車賓館というホテルの看板が見えたから、ここでいいやといってわたしはバスから下りてしまった。
「庫車賓館」のとなりが「交通賓館」で、ちょっと迷ったものの、交通のほうがいくらかきれいに見えたから、わたしは荷物をかかえてそっちに向かった。
まだ朝の8時まえである。
たのもうと呼ばわると、出てきたのは不機嫌そうな顔をしたおばさんで、部屋代は60元、押金(前払いの保証金)は50元であるという。
これでもクチャではいいほうではあるまいかと、わたしはこのホテルで手を打つことにした。

このホテルはいまでもあるようだ。
ただし、わたしが行ったときからすでに4半世紀ちかくが経ち、いまではクチャにも高層ビルのホテルまで乱立しているみたいで、これではますますホテルの格が下がっているのではないか。
日本人の足が遠のいても、新疆というところは豊かになった中国人にとっても珍しい景色の見られる観光地になっているので、先ごろ録画したNHKの「最美公路」という番組には、ウルムチからコルラに抜ける新しい景勝地が出てきた。
このあたりの絶景はアメリカのグランドキャニオンにも匹敵するので、現在は北京や上海など、沿海部の中国人に観光ブームが起きているようである。
わたしがもっと若けりゃビデオを持って出かけ、YouTubeで儲けたものをと、あ、またセコイ考えが・・・・
中国政府は新疆の開発に並々ならぬ熱意を示しているようである。
それがこの地方の少数民族にも恩恵をもたらしているなら、日本人が騒ぐようなものではない。

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交通賓館の部屋は汚かった。
小さな部屋にベッドがひとつで、壁のしっくいは剥がれかかっていた。
洗面台に水はちゃんと出たけど、トイレは流れなかった。
そばにバケツが置いてあるのはこれで流せということらしい。
バスタブにお湯もたぶん出ないだろうし、出たとしてももあまり入りたくなるようなバスではなかった。
それでも文句はいうまい。
わたしは砂漠の旅をしているのである。

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荷物も解かずにさっそく朝市を見学に行ってみた。
クチャ周辺の田舎から集まってきたらしいロバ車と、ウマやウシもいくらか混じるたくさんの荷車が、道路の交通妨害になるほど集まって、そこかしこで露店を広げている。
売られてるのは、この季節は圧倒的に黄色いアンズが多い。
この土地の人たちは晩飯代わりにアンズを食べるのかと疑問を感じるくらい。
だいたい日本でも農民というのは保守的なもので、よほどのことがないと新しい作物には手を出さないもので、結果的に同じ作物ばかり市場に並ぶことになる。

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路上の市場をたどっていくと、横にひっこんだところに野菜市場があった。
路上で売っているのはほとんどアンズと果物だったけど、ここでは葉モノや根モノなど、たいていの野菜を売っていた。
わたしはトマト、キュウリ、それにウリと小さな赤い実を買ってもどった。
この赤い実を、子供のころコンメといって、田舎でよく食べたおぼえがある。

朝市を見たあと、いったん部屋へもどって寝てしまう。
考えてみると、前日は列車の中で、景色が見えるあいだはほとんど起きていたので、わたしの耐久時間を超えていた。
目をさましたのが11時ころで、遅い朝食にした。
列車からずっと持ってきたパンやカップラーメン、クチャで買った果物や野菜、飲料があるので、豪勢な食事になりそうである。
屋外を歩いていると暑いけど、ホテルの部屋はひんやり。

食事中にふと心配になってきた。
これまでのところ、クチャはわたしの想像をこえる田舎町である。
このホテルではとても日本円の両替なんかできそうにないし、これで銀行もなかったら金が足りなくなってしまわないか。
クチャの近郊には見るべきものが多いので、それでわたしは宿泊地に選んだんだけど、金がないのではヘタに行動もおこせない。
あわてて「地球の歩き方」を読むと、それでもこの町にも中国銀行があるようなので、まず銀行へ両替に行くことにした。

部屋を出ると、廊下で掃除をしていたウイグルの女性が、部屋の掃除をしましょうかといってきた。
今はけっこうですといっておいたけど、親切そうな女性なので、名前を聞いておいた。
太っているけど、人の好さそうな彼女の名前はルイヤンゲーで、漢字は書けないというからウイグル文字で名前を書いてもらった。
もちろんわたしにはまったく読めない。

銀行でちゃんと両替できたのでひと安心し、そのままタクシーで「亀茲賓館」へ行ってみる。
「地球の歩き方」によると、これがクチャで最高クラスのホテルらしい。
“亀茲(きじ)”というのはかってこの地方で栄えたオアシス国家の名で、例の楼蘭とともに、漢と匈奴が拮抗していた時代の中国の歴史書によく出てくる名前である。
注意していると、町のあちこちにこの表示の看板がある。

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亀茲賓館はさすがにわるくなかった。
ただ、ちょうど庭や建物のあちこちを改修中で、やたらに工事中の箇所が多かった。
しかし庭にはバラ園もあるし、まわりは樹木も多いし、働いている女の子たちに美人が多いので、これなら何日でも宿泊できそうである。

訊いてみたところ、安い部屋で280元くらいだという。
明日引っ越してきますといってこの日は退散することにし、交通賓館へもどる前にもう1軒、新華書店へ寄ってクチャの地図を買っていくことにした。
あちこち尋ねながらようやくたどりついた書店では、日本人デスカと店員に日本語で声をかけられた。
そうですというと、居合わせたみんな嬉しそうである。
このあと立ち寄ったヨーグルト店でも同じことがあったから、こんな辺境でも日本人の足跡は少なくないみたいだった。

ホテルにもどって、地図を見ながら計画を練ってみたものの、外はまだ15時すぎで、太陽はさんさんと輝いている。
今度は駅に行ってみようとまたタクシーをつかまえる。

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ところで駅だけど、ひょっとしたらクチャにも高速鉄道(新幹線)の駅が出来ているかもしれないと思い、ネットで調べてみたら、わたしの見たことのない駅舎が見つかった。
しかしクチャに高速鉄道の線路が出来たということは聞いてないから、古い駅舎を建て直したのかも知れない。
新疆に入れ込んでいる中国政府をみると、その可能性は高いんだけど、その後いちどもクチャに行ってないわたしには確認のしようがない。
ここではネットで見つけた新しい駅と、わたしが2000年に降り立ったクチャ駅の写真を並べておく。

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クチャ駅の表示板には硬座(自由席)の値段しか出ていなかったから、この駅には軟臥どころか硬臥の割り当てもないらしい。
列車の本数は少なく、カシュガル方向へは、わたしが乗ってきた朝7時台のものと、15時半しかなかった。
本数が少ないのに駅を常時オープンしておくのは無駄というわけか、列車の出る時間以外は切符売場も閉まってしまうようだった。
もちろんいつでも買える自動券売機なんてものはない。

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