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2024年7月18日 (木)

中国の旅/南疆鉄道

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ウルムチからカシュガルまでの南疆(なんきょう)鉄道が開通したのは、1999年の12月のことである。
詳しいことはまたウィキペディアをと書こうとしたけど、今回の旅はこの鉄道に乗るのがそもそもの目的なので、もうちっと詳しく書こう。
1999年12月ということは、わたしの旅の半年くらいまえということになる。
当時のわたしはこの鉄道の開業を聞いて、部屋でくすぶりながら身もだえをしていた。
もう中国の鉄道ならどこへでも行ける自信があったし、新疆にはまだまだ行ってみたいところが山ほどあったから、新しい鉄道に乘ってみたくてたまらなかったのだ。

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南疆鉄道はウルムチから終点のカシュガルまで、1463キロを16時間半かけて走っていた。
この路線の、とくにトルファンからコルラまでは、天山山脈を越える険しい山岳鉄道である。
コルラまで下りると、あとはタクラマカン砂漠のへりを伝うような、平坦な線路がカシュガルまで続く。

わたしが乗った当時は、ウルムチからトルファンまではすでにある線をたどったけど、トルファンから先は完成したばかりの南疆鉄道しかなかった。
始発のウルムチから終点のカシュガルまでは、東京から鹿児島までの距離に、さらに100キロ足したくらいあるので、これだけの距離をノンストップで行ってもつまらない。
そこで途中にあるクチャ(庫車)という街に寄っていくことにした。
料金は軟臥(1等寝台)の上段で、クチャまで756キロが191元(2700円ほど)。
24年まえの中国の鉄道の安さはおどろくべきもので、だからこそ貧乏人のわたしも優雅な旅が可能だったのである。

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NHKが「関口知宏の中国鉄道大紀行」で、この路線をカバーしたのは2007年で、わたしの旅より7年後のことだから、わたしは日本人としては、かなり早い時期に南疆鉄道の全線に乗ったことになる。
いまならYouTubeに映像を上げて儲けることも出来たのに、わたしって本当に金に縁がないね。
セコイことはさておいて、この紀行記のためにあらためて知宏クンのビデオを観返してみた。
彼はわたしとちがって硬臥(2等自由席)車を使うことが多く、それでは尻が痛くなると考えたのか、とちゅうで寄る町も、コルラ、クチャ、アクスと3つもある。
彼の場合は撮影スタッフや通訳の女の子も同行していたから、硬臥でもかまわないけど、わたしの場合はひとり旅なので、荷物が心配でそんなものには乘っていられなかった。

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それでも彼の旅は、まだ中国がいまほど発展するまえだったから、風景も人の服装もそれほど変わってないようだ。
映像がきれいでないのは残念だけど、17年もまえのビデオだからやむを得ない。
クチャの町やカシュガルの駅舎、そしてまだ近代化されてないころのウイグル人がたくさん出てきて、ついなつかしさを感じてしまう。
ここに載せた4枚組の写真は、すべて知宏クンの番組をキャプチャーしたものである。

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その後の南疆鉄道についていうと、2015年6月にトルファンからコルラまで、これまでの線路と異なる新しい路線が開通した。
新しい線路は天山山脈を迂回してタクラマカン砂漠を通るものだから、最初からこっちにしておけばよかったのにと思ってしまう。
そうしなかった理由はわからない。
日本なら地元に駅を作ろうと代議士が暗躍するんだけど、天山山脈にコネのある政治家なんて中国にもいないだろうし。

その後さらに、カシュガルから砂漠のなかの町ホータンまで鉄道が開通したようだけど、わたしはこれについてなにも知らない。
人民解放軍を使い、一帯一路をめざす中国は、仕事が早いなと感心したくらいだ。
おそらく将来はタクラマカン砂漠一周の鉄道ができるものと思われる。
ユーチューバーの諸君、金儲けのネタは中国にごろごろしているぞ。
この写真は新しい鉄道で、まさに砂漠鉄道といいたくなるくらいダイナミックな光景。

中国の高速鉄道の車両は日本の新幹線によく似ている。
そんなもん日本のパクリじゃねえかという人がいるかも知れないけど、パクリでもなんでも、技術力では偏執狂的な日本にはかなわないから、それよりウチは実質的な運送手段として割り切ろうというのなら、ほんとうに賢いのはどっちだろう。
日本がいくら性能で勝負だといっても、相手が土俵に上がってこなければ、いたずらに力を誇示するだけで終わってしまう。
このへんにも中国人の性格が現れているような気がする。

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南疆鉄道に乗る日は、発車まで時間があったので、新疆博物館で楼蘭の美女と会ってきたことは書いたばかりだ。
その後、いったん友好大酒店へ荷物を取りにもどった。
この日は日曜日で、ホテルのまわりがやけににぎやかだった。
なにごとかと思ったら、ホテルのとなりに新しいデパートが開業して、オープンセレモニーをしていた。
きれいなモデルさんや歌手が動員されて、歌ったり踊ったりのショーをしていたから、ちょっとのぞいていくことにした。
ファッション・ショーに可愛いモデルがいたけど、顔つきは漢族の中国人のようである。
というようなつまらないエピソードを最後につけ加えたのは、このモデルの写真をボツにしたくなかったからだ。

デパートまえは混雑していたけど、中国式ファーストフードの店があり、セルフサービスでお盆をかかえた客がうろうろしていた。
麻辣なんとか麺というのか、まっ赤なスープの麺がうまそうなので、ついでに昼食をとっていくことにした。
食券売場に並んでいると、まえの客が、おい、こんなのダメだよといって、半分にちぎれた食券を売り子に返していた。
発行するとき券がちぎれてしまったらしく、その食券を、もっけのさいわいとばかり売り子はわたしに寄こした。
ダイジョウブかなあと心配だったけと、それでもなんとか麺をもらうことができた。
麺ではなく春雨の類で、あまりうまくなかった。

このデパートでは生鮮食品、とくに野菜はほとんど置いてなく、果物がいくらか置いてある程度。
まだ新鮮な食品はあちこちにある市場のほうが便利らしい。
アンパンが売られていたので、列車のなかの間食にするつもりで買っておくことにした。
へりにアンコがのぞいているからアンパンと思ったのだけど、あとで食べたらアンコはほんとうにへりにほんの少し塗られているだけだった。
サギだとしても単純すぎる。
これじゃ遠からずしてあのパン屋はつぶれるだろうけど、稼げるあいだに稼げばいいという考えか。
尻尾の先までアンコという日本のタイ焼きが恋しい。
なんだかわたしの文章まで、無気力で女性的な関口知宏クン式になってしまった。

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発車の1時間前にウルムチ駅に到着。
そのまま待合室に入ってみると、日曜日だったせいか、こちらもえらい混雑である。
20分前になってようやく改札開始。
列車に少なくとも、老若男女のふた組の欧米人が乗っていた。
若いほうのアベックは硬臥に行ったようだけど、年寄りのほうはわたしのふたつ隣りのコンパートメントへ入った。
列車は定刻に5分ほど遅れて発車した。
わたしの部屋にはむくつけき男ばかり3人である。
みんな別々の目的で旅行中らしく、なんとなくよそよそしいけど、景色に専念したいわたしには、そのほうがありがたい。

さて、これまで散々体験してきた列車の旅がふたたび始まる。
南疆鉄道でいったいどんな景色が見られるだろう。

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