中国の旅/山あり砂漠あり
ウルムチを、列車は15時9分のほぼ定刻に出た。
天気はうす曇り、風はさわやかで、青空もあちこちにのぞいている。
トルファンまでは以前にも乗ったことがあって、風景も見たことのあるものばかりだ。
それでもわたしは大きな喜びをもって、線路の近くに流れる川、遠方に青く見える岩山、そのふもとの大きな湖を見つめる。
いちど見た景色ではつまらないという人がいるけど、四季の変化に感じ入る人にとってはそうではない。
16時ごろ、発電用の巨大な風車群のわきを通った。
この風車はトルファン方向に向かうと、バス路線からもすぐ近くに見えるから、ウルムチに出入りする人のための関所のようなものだ。
まもなく列車は荒々しい岩山に分け入った。
前にここを通ったのは6月の中旬で、今回は5月の末である。
日本ならこれでも季節の変化が見られるかも知れないけど、まわりが樹木の少ない岩ばかりの山なので花もめったに見られない。
それでもわずかな黄色い花や白い花にまじって、アサガオの仲間のようなピンク色の小さな花が咲いていた。
わたしはなにか野生動物はいないかと目をこらしたけど、線路ぎわの岩のすきまにもぐりこむハトくらいの大きさの鳥を見たくらいで、あとは家畜以外の動物をまったく見なかった。
わたしの撮った写真だけでは足りないので、このあたりの山間部の写真をネットで探していたら、「seiのソロ旅」というサイトを見つけた。
この人のころにはすでにデジタル・カメラが普及していたらしく、思いきり写真を撮りまくっていて、貧乏カメラマンのわたしにはうらやましいくらいである。
そんなことはともかく、ウルムチ~コルラまでの山岳鉄道の景観は彼のサイトに詳しいから、1枚だけ写真を借用してそのサイトにリンクを張っておいた(写真の上でクリック)。
どんな景色なのか、興味のある人は彼のサイトを参照のこと。
そのうち食堂車のほうからいい匂いがしてきた。
非常食としてカップラーメンやパンを買ってあったけれど、空腹になっていたわたしは、たまたまやってきた車内弁当を買ってしまった。
肉ジャガライスみたいで見てくれはわるかったけど、なにしろ腹が減っているときだから、10元でもけっこう美味しく食べられた。
山を下ったトルファンの手前あたりは、前面にひろがるトルファン盆地を一望にし、1997年の旅でいちばん雄大な景色だと感心したところである。
でもいちど見たせいか、今回はそこまで感動はなかった。
砂漠におりたったあと、列車は減速して小さな町の駅に着いた。
別方向の線路があることからしてトルファンだけど、なんだか駅前にずいぶん建物が増えたような気がして、見そこなった。
ここで下りる人はあまりいない。
それも当然で、中国人ならウルムチからトルファンていどの距離はバスを使うだろう。
同じ列車に乗っていた欧米人のカップルも下りなかった。
10分ほど停車して発車した。
さてこれからはわたしにとって未知の国である。
トルファンを出てすぐに列車は大きく半円を描いた。
ダイナミックな四方の景色がぐるぐると後方に遠ざかる。
これは高所に上るまえの列車のウォーミングアップのようなものらしく、あとでほかの場所でも似たような動作を体験した。
関口知宏くんの「中国鉄道大紀行」という番組では、このあたりでディーゼル気動車を増設して、2台で列車を引っ張ることになっている。
これから越える天山山脈の険しさが知れようというものだ。
わたしはモバイルギアをかかえて、宮沢賢治流の“小岩井農場スタイル”の紀行記に専念する。
つまり移動しながら、目に見えるものをかたっぱしから記録していこうというのである。
それと同時に、ここから先はわたしの写真をずらずらと並べる。
かならずしも時系列通りに並んでないけど、すべてトルファンからクチャまでの間で撮った写真だから、みなさんも砂漠をいっしょに旅しているつもりで眺めてほしい。
18時15分、まだ太陽は中天にあり、列車は褐色の小山が連なったような砂漠をひたすらゆく。
ときどき緑色の草が生えた小さな空間がある。
なにか小動物がいるとすればああいうところだろう。
ある場所では、それこそ地ネズミのように、地面に斜めに穴を掘っただけの住居らしきものを何度か見た。
18時30分、右手にいくつかの建物と、そこへ立派な舗装道路が通じているのを見た。
右手の通路側の窓しか開かないので、ずっとそっちばかり見ているけど、左手に大きな町でもあるかもしれないと思い、そっちをのぞきに行ってみたら、まるで湖のように水平な砂漠が広がっていた。
さらに行くと湖の水が流れ出す河のような地形と、その岸辺に廃棄された工事現場の飯場みたいな、かろうじて形をとどめる建物の跡。
こんな砂漠の中にも、いく本かのわだちの跡と走っているトラックを見ることもある。
わたしはもっとも早い時期に、南疆線の全線に乗ることになった日本人かと思っていたけど、このあたりで、日本人ですかと話しかけてきた若者がいた。
メガネをかけた人のよさそうな若者で、スズキ君という。
北京に留学中の法律学専攻の大学生だそうで、このままカシュガルまで行くそうだ。
1年間の留学で、来年の春には日本へ帰りますというから、法律の勉強に中国語が役に立ちますかと訊くと、なんでもやっておけば役に立つでしょうという。
わたしは翌朝早く下車してしまうので、この日のうちに彼にお別れをいっておいた。
20時ごろ、ポプラの並木と水の流れる川、そして線路の近くに墓地のある駅で停車。
このあたりでも列車はほぼ半円を描く。
太陽がぐるぐると移動していくから、また登山が始まったらしい。
2両のディーゼル車が力強く列車を引っ張り、わたしは強烈な西日から逃げまわる。
21時すこし前、ふたたびトンネルに入った。
それを抜けると、ウルムチからトルファン盆地に下る山間部のように砂漠を一望する。
山あいで、右手にいくらか水量の多い渓流があらわれて、その岸辺に樹木が多く、自然のグリーンベルトになっていた。
列車は渓流にそって走り、太陽はようやく山にかくれた。
たそがれはどんどん迫るけど、まだ景色は見える。
21時、右下に小さな集落があって、アパートのような建物が並んでおり、大きなCSアンテナのついた建物もあった。
「星源」という駅に停車。
建物の数か多く、ちょっとした集落である。
ただし人が住んでいるのかどうか、廃墟にしか見えない建物群もあるし、学校まであったけど、人影はなく、かって殷賑を極めた町が、何かの理由で衰退してしまったような感じだった。
まわりの山の頂きに夕日が赤い。
21時半、右手の川岸に広々とした平地がひろがった。
ここにはちゃんと炊飯の煙の立ち上る集落があり、10頭ほどの黒いウシの群れを追うカウボーイや家畜を追う子供たちの姿も見える。
ウイグルや回族とウマではピンと来ないけど、馬を自在に操っているのはモンゴル族やカザフ人かも知れない。
中国が平穏に発展していれば、ここはアメリカ並みにカウボーイ映画の本場になっていたかもしれないなと思う。
砂漠のあちらこちらに石を積んだ堰堤がのびている。
たまに洪水があって土石流でも流れるのだろうか。
左側の奥に雪をいただいた山がそびえているので、土石流があるとしたら、その源はアレかと想う。
22時になった。
だいぶたそがれたけど、まだなんとか景色は見える。
また新しい流れにそって走っているけど、ヤナギのグリーンベルトは終わったようだ。
レンガを積んだだけのいくつかの建物が見えたものの、明かりなどひとつも見ることはできない。
雪をいただいた山は左側かなり近くにまで迫ってきて、山頂に雪をいただいた岩山が、そこだけ夕日に照らされて赤く輝いているのを見た。
山中にとんがり帽子のパオがいくつも見える。
移動式住居パオはゲルともいうし、カザフ族の場合はユルトともいうらしい。
ここにそれがあるということは、このあたりの住人はモンゴル族かカザフ族なのだろう。
日没になってあたりがまっ暗になったころ、線路は大きくS字を描き、高い鉄橋で谷を越えていく。
窓から見るとまっ黒な山の斜面の上のほうにぽつんと明かりが見えた。
双眼鏡を持ち出してながめると、裸電球に照らされた古風な腕木式信号機が見えたから、そこに駅があるらしい。
はてね、いま走っている線路は単線のはずで、あんなところを走っている線路はないはずだけど。
この謎はすぐとけた。
まもなくわたしの列車がその裸電球の駅を通過したからである。
つまり登坂を楽なものにするために、列車は山肌を大きく蛇行しながら登っていくので、先にある駅がおかしな場所に見えたのだった。
無人駅らしく列車は停車することなくそこを通過した。
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