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2024年8月

2024年8月31日 (土)

中国の旅/トルファン

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トルファンで下車したのは、軟臥(1等寝台)の客ではわたしひとりだった。
まさか夜中のトルファンにひとりで放っぽり出されるんじゃないだろうなという心配が少しあったけど、それは杞憂だった。
硬臥(2等寝台)や硬座(自由席)からはたくさんの中国人と、バックパックを背負った外国人旅行者のグループが数組下車して、駅の外ではバスやタクシーも待ち受けていた。
このときの旅は2000年6月の旅だったので、まだ高速鉄道の駅は出来ておらず、わたしは前回と同じ、市内から60キロも離れたトルファン旧駅に降り立った。
高速鉄道の駅が2014年に完成した現在は、観光客もそちらをメインに使うようになったようである。
わたしはさっさと手近のバスに乗り込んだ。

見ると日本人らしい若者のグループがタクシーにつかまってもたもたしていたので、わたしは彼らをバスに呼びこんでしまった。
どこかの大学の冒険サークルの学生たちらしく、その中にはきれいな若い娘もいた(うらやましい)。
そのうちに別の列車も到着し、欧米人のグループ、中国人たちでようやくバスはいっぱいになり、5時ちょうどくらいにバスは発車した。
さっさと乗り込んだおかげで、わたしはいちばん前の助手席を確保した。
駅からトルファン市内までは5元である。

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トルファン駅を出発して、しばらくは荒れたジャリ道をゆく。
洪水の爪跡は前回の旅から3年を経てもまだ消えてないようだった。
まだ暗い畑のまん中のある場所で、運転手がいきなり車を停めて車外へ飛び出したには驚いた。
なにごとかと思ったら、かたわらの細流の水で顔を洗っていた。
日本とちがって中国の運転手は、まだ前世紀の遺物のように、寝る間も惜しんでこき使われているらしい。

東の空がようやく白んでくるころバスはトルファンに着いた。
わずか3年でもその変貌ぶりは大きい。
市内に入る手前で、有料道路の料金所を見たけど、あんなものは前回はなかったと思う。
市の北側は新興の開発区として、新しい建物がどんどん出来ている。
トルファンはいわゆるトルファンらしさを失っていた。

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市内のバス駅に到着してわたしはさっさとタクシーでトルファン賓館へ。
この時間にホテルが開いているかどうか心配だったけど、いちおう玄関は開いていた。
ずかずか入っていって、たのもうというと、眠っているところを起こされたのだろう、えらく不機嫌な顔の漢族の娘が出てきた。
安い部屋といったのに、日本人に提供する部屋の中では、という但し書きつきの部屋の中で安い部屋ということになった。
250元あまりの部屋である。
高いとは思わないけど、部屋はダブルベッドで、わたしにはデラックスすぎる。

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眠くもなかったから、ヨーグルトでも飲むかと門の前まで行ってみたら、もう観光案内というか、客引きのウイグルの若者が待ち受けていた。
彼の名は(自己紹介によると)マコトちゃんだという。
ただしこれはオカッパ頭の彼を見て、楳図かずおの漫画に誘発された日本人がつけたあだ名らしく、顔だけ見るとキース・リチャードみたいな悪党づらである。
あとで旧知のアイピ君に尋ねると、彼の本名はアジェ君ということだった。

明日はワタシの車で観光に行きませんかと、あいかわらずの勧誘だったけど、じつはわたしはもうあまりのんびりしていられないのである。
日本への帰国便は決まっているので、これからは厳密なスケジュールにそって行動しなければならないのだ。
わたしは前回の旅(1997)で、帰りの列車から見て、なんでここだけこんなに花が咲いているのだろうと疑問に思った「烏鞘峠」のあたりに寄っていくことにしてあったのである。
けっきょくマコトちゃんと交渉して、翌日は彼の軽バンを180元で契約した。
トルファン賓館まで乗ったタクシーは1日貸切で200元といっていたから、通訳つきで180元は妥当なところか。

彼とその友人たちが朝市に案内するという。
どんなところかと行ってみたら、バザール会場のうしろのほうで、3年前に行ったことのある場所だった。
それでもここでウリとトマトを買ってもどる。

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ホテルでシャワーを浴びて寝てしまい、目をさましたのが午後1時ころ。
わたしの顔はこれまでの砂漠の旅でまっ黒になっていて、顔の皮膚がぼろぼろになっていた。
そこでクリームでも買おうとホテル内の売店に行ってみた。
売店には3種類くらいのクリームが置いてあり、売り子は40代くらいのおばさんで、これがいいと50元もするいちばん高いものを勧める。
安いものは品質がよくないからやめたほうがいいとも。
それはわかっているけど、しかし高いよ、20元にしなさいとねぎり、あなたは美人ですねとお世辞をいって、ようやく45元にまけさせた。

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このあと自転車でも借りてふらつこうかと思ったものの、トルファン賓館にはレンタルがないとのこと。
ホテルの前まで出ると、すぐ前のJhon's CAFEにマコトちゃんらがたむろしており、かって知ったるアイピ君が出てきて、あいかわらず達者な日本語でコンニチワという。
彼から自転車を1時間5元の約束で借りることができた。
自転車でまわれる範囲内の観光スポットというと、トルファンには蘇公塔くらいしかない(あとで交河故城も範囲内にあることを知った)。

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地図も持たずにふらふらと出かけ、蘇公塔に着いておどろいた。
塔の周辺は美しく整備された公園になっていた。
それはそれで結構なことかもしれないけど、これでは素朴なオアシスというトルファンの魅力は失われるばかりである。
トルファンをめざす日本人は、パリやハワイをめざす日本人とべつの人種だったのに。

蘇公塔は遠方から見るとじつに優雅な建物であるけれど、細部をアップで見るとしろうとの粘土細工のような造りが目立つ。
こういうのがイスラム芸術の特徴らしい。
いまでも金曜日にはイスラムの礼拝が行われているというけど、ひとりで迷い込んできた観光客が、優美な塔に登ることはできないので、建物の隙間から内部をのぞいただけで引き返す。

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蘇公塔のそばには博物館もあった。
展示品は多くないけど、このあたりの売り物であるミイラが一体。
ミイラもはるか後世になって呼び起こされ、客寄せの目玉にされるとは思わなかっただろうな。
塔と博物館あわせて見学料金25元。 
トルファンにはその後、新しい博物館ができて、ミイラも新しく?なったようである。

ここでわたしはニコンのF3を地面に落としてしまった。
頑丈なF3だからよかったものの、F4以降のデジタル・カメラだったらそうとう大きなダメージがあってもおかしくない。
この旅ではいつのまにか35Tiのほうもフィルムカウンターの窓ガラスが割れていたし、いよいよデジカメにあとを譲る時代になったかと思う。

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暑いので自転車も楽じゃない。
このあとバザールの行われる場所あたりまで行って引き返した。
バザールも土着的な伝統を失いいつつあるようで、“夢のトルファン”はカシュガルなど、さらに奥地の街にその地位を奪われることになるようである。

都合2時間ばかり借りていた自転車を返却し、しばらくアイピ君らと話す。
以前には気がつかなかったけど、彼は胸に中国旅行社のバッジをつけていて、マコトちゃんたちを統率する管理職に出世していた。
町を徘徊して個人旅行の客をキャッチする旅行会社の遊撃隊長といったところか。

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トルファン賓館にもどると、ここにはプールがある。
前回は屋外プールだったのに、今回は屋根がついて屋内プールになっていた。
雨の少ない場所にあって、太陽の下こそがふさわしいプールになんで屋根なんかつける必要があるのかと思ったけど、これはどうもイスラムの戒律と関係があるらしい。
イスラムの女性たちはみだりに人前で肌をさらさない。
それなのに異教徒のアメリカ娘たちが、水着ひとつできゃあきゃあと男とたわむれていたんでは、風紀上問題があると、そういうことだろう。
以前にそういう無作法者たちを見かけて、わたしでさえ苦々しく思ったくらいである。
ただしこの日にのぞいて見たかぎりでは、プールの水はかなり汚れていて、しばらく使われていない感じだった。

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わたしが前回に泊まった部屋は、ホテルの中庭にある隊商宿みたいな長屋ふうの建物だった。
そっちは使用されてないのかと思ったら、ちゃんと泊まっている団体がいた。
見なりはわるくない中国人で、しかし日本人ほど豊かではないらしい。
日本人は断固として、高い本館に入れてしまうのがこのホテルの新しい経営方針らしかった。
ま、安い部屋でも、暑いだのお湯が出ないだのと文句をいう日本人も悪かろう。
わたしの部屋はさすがによくエアコンが効く。
効きすぎて寒くて仕方がなかった。

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将来性

わたしに子供がいたとする。
そのガキが、父ちゃん、これから外国語を学ぶとしたら、どこの国の言葉がいいだろうと訊いてきたとする。
わたしの返事はただひとつ。
中国語だね。
だって中国は経済が不調で落ち目だっていうよ、なんで中国がいいのと、ひねくれたわたしの子供ならとうぜんそう訊くだろう。

中国が不調というのは、アメリカや欧州や日本が経済制裁をかけているからなんだよ。
それがなければ、中国の未来は洋々たるものだ。
ユーラシア大陸、および陸続きの欧州やアフリカの物流は一帯一路がなければ成り立たないし、オンナの子の海外の出稼ぎ場所としても、いちばん金を持っていて、しかもすぐとなりの中国がふさわしい。

仮に日本が台湾有事まで持っていって戦争になったとする。
その場合でも中国語に堪能であれば、貴重な中国通として、防衛省が間諜としてリクルートしてくれるだろうし、プロパガンダ要員として雇ってくれる可能性もある。
ここは中国語しかないねと、わたしの返事だ。
わたしのいうことが理解できない人は、せいぜいチャラチャラしたフランス語か、ナチスに回帰しようというドイツ語でも習わしておくんだね。

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2024年8月30日 (金)

どちらが大国か

どちらが大国だろう。
靖国神社に落書きをした中国人が、中国で当局に拘束された。
犯人は最近世界のどこでも増えているインフルエンサー、つまり世間の目を引くことで登録者を増やそうというユーチューバーだったそうだ。
日本でもこのあいだの都知事選挙にいたよなあ、こういう馬鹿が。
それはともかく、中国は大国にふさわしいおとなの対応をとった。
日本を嫌うのは勝手だけど、政府はそんなことをしてくれと頼んでない。
よその国に行って、その国に迷惑をかけるやつがいるかと、見せしめのために逮捕だ。

福島の海産物の輸入禁止にしても、これは日本のほうに落ち度がある。
このあいだまで汚染水だということで陸上に保管していたものを、特別な汚染除去方法が確立されたわけでも、そういう処置がされたわけでもないのに、置く場所が満杯になったから海に戻しますでは、納得する国があるわけがない。
IAEAの保証つきだといっても、そのIAEAが西側寄りの機関であることをウクライナ戦争で露呈ずみだ。

それなのに中国が日本産海産物の輸入禁止をするのはケシカランという。
しかしこれは安全がどうのこうのというより、もはや政治問題だ。
日本の食べものの安全基準が厳しいことは中国にもわかっているはずだから、日本が対立を煽るようことをしなければ、とっくに輸入制限も解除されているのではないか。
福島の漁師さんたちの期待を裏切ってばかりいないで、日本ももう少し融和的な政策を取れないもんかね。

領空侵犯でも、中国はことを荒立てるつもりはないみたいだし、たんなるミスではないかというのは、日本のもと自衛隊の幹部もいっている。
もはや日本の国会議員のひとりにしか過ぎない二階さんが中国を訪問すれば、なんで習近平さんが会談しないのだと文句をいうのは日本の野次馬だ。
このあいだのパリオリンピックでは、中国語に堪能で、中国でもひじょうに人気のある石川佳純選手が、中国選手に中国語でインタビューしていた。
こうしたことを鑑みると、中国のほうが国をあげて反日キャンペーンをしてないことはあきらかなのに、なんで日本政府は日本の企業や一次生産者など、日本国民を困らせることばかりするのか。
やっぱし台湾有事かね。
日本の再軍備かね。
それほど戦争に持っていきたいのか。

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2024年8月29日 (木)

中国の旅/再見、カシュガル

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せっかく買った半月刀を没収されて怒り狂ったまま列車に乗り込んだわたし。
個室に入ってみるとそこに2人の先客がいた。
ひとりは西洋人のような顔立ちの中年男性で、ウイグルだという。
もうひとりは背の高い漢族の娘である。
彼らは親子や夫婦ではなく、べつべつの乗客で、ウルムチまで行くそうだけど、わたしは手前のトルファンで下車することになっていた。
列車はすでに暗くなっているカシュガル駅を定刻に発車した。
往路と同じ南疆鉄道の旅の始まりだ。

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せまい個室でいっしょに過ごすのだから、同室のわたしたち3人はすぐに仲良くなってしまった。
彼女は2人の子持ちだそうで、道理で態度に母親らしいどうどうとしたところがある。
背がわたしよりだいぶ大きく、亭主はさらに10センチ大きいという。
夜遅くまで手ぶり身ぶりに、筆記まで加えて遠慮なく話し合っていると、話を聞きつけたとなりの部屋から、朝鮮族だという若者がやってきて話の輪に加わった。
わたしも含めるとずいぶん国際色豊かな顔ぶれになったわけである。
このメンバーで夜中の1時ごろまでくっちゃべっていたので、景色を見る余裕もなかった。

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目を覚ましたのが朝の7時ごろで、まもなく太陽が上った。
左側に天山山脈の山並み、右はまっ平らなタクラマカン砂漠という、往路とは左右が逆転した景色。
金銀川という駅のあたりは大きなオアシスと水田のようなものがあった。
と、また宮沢賢治スタイルの、見るもの聞くものすべてを記録する紀行記が始まるかというと、そうでもない。
往路でいちど見た景色なので、よっぽどめずらしい景色でないと写真を撮る気が起きないのだ。

買っておいたカップラーメンを食おうとすると、わたしを制止して、漢族の娘がお湯をもらいに行ってくれた。
出かけるまえにいちおう鏡を見てから行くところがカワユイ。
どうせ1日個室のベッドで寝たり起きたりだから、無駄のような気がするんだけど、あとで見たらちゃんと口紅を塗っていた。
彼女はすぐに手ぶらで帰ってきた。
まだ給湯器が使えなかったという。

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8時半、まだオアシスが続いており、右側前方に低く、もやのようなものがたなびいていた。
雲かと思ったら、じつは煙突の煙で、のんびり走っているものだからいつになっても煙の発生源に到達しない。
9時ごろになってようやく発生源の大きな工場のわきを通過。
まもなく停車したのはアトスだった。
南疆鉄道の途中駅としては、コルラ、クチャに匹敵する大きな町で、「中国鉄道大紀行」の関口知宏くんもここに寄っている。
この町からあいだをさえぎる山はないので、雪をいだいた天山山脈がよく見える。

車掌がお湯OKだよといってきたので、娘がさっそく出かけてきた。
ウイグルのおじさんはお茶を飲もうとして、娘がポットに入れてきた湯をガラス瓶にそそいだところ、瓶がパカッと割れてあたりは熱湯の洪水になった。
大事には至らなかったからよかったものの、まだガラスにいきなり熱湯は危険という常識がウイグルには通じてなかったのかも知れない。

10時をまわったころからオアシスは消えて、両側は荒涼とした風景になった。
右側に平行して国道があり、砂漠のなかにはいくつもの竜巻が見える。
15時ごろまたオアシスを通過した。
このあと何機もの噴水が地表に水を散布している、かなり広い灌漑施設があり、すべて井戸水だというから、天山山脈に近いこのあたりの砂漠では掘れば水は出るらしい。

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16時すこし前、食堂車へ行ってみた。
山師みたいな連中がタバコをふかしていて、ろくでもない連中のたまり場だったけど、ビールとおつまみふたつを注文して30元。

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部屋にもどってうとうとして、目をさましたのが18時ごろで、列車は山が近くにせまる街に停車していた。
コルラだった。
ここでキュウリを買う。
キュウリを食べるのに日本から持参した小瓶のアジシオをふってると、娘が日本の塩かと訊く。
そうだというと、さっそくなめてみてうなづいたけど、あまり感心したようでもなかった。
味にうるさい中国人はいつも天然塩を使っていて、化学的精製物で、スマートすぎるアジシオに拒絶感があったのかも知れない。
彼女はわたしのテッシュペーパーも日本のものかと訊いて、そうだというと、つまんでうなづいていた。
アジシオよりこっちのほうが感心した可能性が高い。

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わたしたちの部屋のまえを、はだかで黄色い腰布をまいた、新興宗教かぶれのヒッピーみたいな若者が通った。
こういうイカレポンチみたいな格好をしているのは日本人かも知れないと思い、おい、待てよと声をかけると、案の定で、彼は九州長崎出身で静岡の大学に籍を置くという日本人だった。
オーストラリアから東南アジアを総なめにして、インド、中国、これからはカザフなど中央アジア、最終的にはアフリカの希望峰まで行くのだそうだ。
つい100元カンパするよと余計な親切をしてしまった。
あとで部屋の娘がなぜそういうことをするのと訊く。
これはまずかった。
100元は日本円にすれば1400円程度で、この典型的な貧乏旅をしているらしい若者に、ビールでも飲めよという気になったんだけど、中国人にすれば大金である。
家庭をあずかる主婦にしてみれば、こんな不労所得をやすやすと恵むわたしを理解できなかったのだろう。
ヘタな中国語で、日本にはむかしから貧乏学生をみんなで支援する伝統があるのだなどと、いいかげんな理由で弁解してみたけど、彼女はなかなか納得しなかった。

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なんだったらビール代を出します。
ひとつみんなでどんとやりませんかといったら、気をきかした娘のほうが先に買ってきてしまった。
はなはだ恐縮したけど、ウイグルおじさんも、きみは客人だからな、遠慮することはないよという。
部屋で3人でおおいに盛り上がってしまった。
ウイグル語で乾杯は“カラ”というそうだ。

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19時20分ごろ“幸福灘”という駅があった。
日本の北海道にあった幸福駅の中国版である。
八裸村という駅では、まわりを見渡すと緑が多く、ポプラの並木も多く、遠方に雪山をのぞむせいで、まるで信州の安曇野のようだ。
わたしがこれまで見てきたうちでもっとも豊かそうなところだった。

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20時30分、そろそろたそがれてきたころ、列車はいきなりたけだけしい峡谷にわけ入った。
どうやら南疆線でいちばん険しい山岳鉄道にさしかかったようで、わたしがいちばん見たかったのはこのあたりの沿線風景なんだけど、残念ながらこの先は往路でもちょうど夜だったから、どんな景色なのか紹介できない。
こんな高所にも馬に乗ってヒツジを追う人がいて、あたりはモンゴル、もしくはカザフ族の世界である。
そして往路で見たのと同じように雪山が赤く夕日に照らされていた。

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景色は見られなかったけど、わたしの部屋にあった1980年にNHKが放映した「シルクロード/南疆線」から、いくつかの場面をキャプチャーして並べてみよう。
まだこのころ南疆鉄道はウルムチからコルラまでしか通じていなかった。
この番組によると、南疆線は1976年工事開始で、人民解放軍の7万人の鉄道兵団を使い、この1年まえに線路を敷き終えたばかりだったそうである。
山岳鉄道といっていいこの区間には、1キロごとに18メートル登るという険しい鉄道の描写もある。
生きたラクダまで積み込んだ鉄道旅で、当時はディーゼルではなく、石炭を炊く本物の汽車だったから、途中のトンネルではラクダたちがよく窒息しなかったものだ。

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番組では、列車はループ式の夏爾溝(かじこう)トンネルを通過していく。
このトンネルはできるだけ傾斜を緩和するために、トンネル内部で線路が一回転し、とんでもないところから列車が出てくる。
わたしが往路で見て、おかしなところに駅があるなと思ったのも、こういう場所だったのだろう。
そして日本の余部鉄橋のような高所の鉄橋や、この線でいちばん標高の高い場所にある奎先トンネルなど、みんなわたしが見ることのできなかった景色だ。

夜になってまっ暗になった。
わたしは寝るまえに、明日の朝はまだ暗いうちにトルファンで下車するのでと、同室の2人にお別れをいっておいた。
ついでに映画スターになったようなつもりで、御ふたりに会えて幸せでしたともつけ加えた。
幸せだったというのはウソじゃない。
ここまででいったいわたしはどれだけの人々に出会っただろう。
しかもわたしみたいな無能でグータラな男に好意をよせてくれる人に。
日本ではとても考えられないことである。

はっきり到着時刻を確認しておかなかったので早めに起きた。
まだ外はまっ暗で、4時半到着ですと眠そうな車掌がいう。
さてトルファンまでバスはあるのか、だいたいホテルは開いているのか。
初めてならそのあたりが気になるところだけど、わたしはもう夜中でも列車が着けば、乗り合いバスが出ていること、ホテルもチェックイン時間にこだわらないことを知っていた。
この晩は細い眉月で、これでは砂漠の明かりにはならないけど、夜の砂漠を見る絶好の機会だから、満月ならよかったのにと思う。

大きな黒い砂丘をかわしたと思ったら、そのむこうに点々と明かりが見えてきて、列車がトルファンに到着したのは明け方の4時30分だった。
同室の娘は寝たまま目をあけてわたしとお別れの挨拶をし、ウイグルおじさんはわざわざ起きて通路まで見送ってくれた。

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2024年8月28日 (水)

またありんくりんサン

「農と島のありんくりん」サンは、わたしと同じ団塊の世代らしいけど、とうとうボケてしまったようだ。
このあいだまで夏期休暇をとっていたから、彼はひとりではなく組織の1員に過ぎないようだけど、そんなことはどうでもいい。
2日続けてデタラメのオンパレードだ。
とても全部を指摘していられないから、今日はそのうちの最大のものを指摘しておこう。
いちばん新しい彼のブログのタイトルが「露クルスク原発に王手をかけたからウクライナは和平提案ができた」というもの。
これの意味するところがわかっている人はいるかね。

ウクライナはクルスクに侵攻して、米国が供与したハイマースミサイルで、ロシアの原発を攻撃できるところまで来た。
だからビビったロシアは停戦に応じるだろうということらしいけど、ありんくりんサンは核不拡散条約や、IAEAがなんでしょっちゅう査察だと叫んでいるのかぜんぜんわかってないようだ。
彼は1994年の「ブダペスト覚書」まで持ち出して、ソ連から独立したとき、ウクライナには最低でも2900発の核兵器があった、それを手放さなければいまのようにロシアに侵攻されることはなかったという。
これは例によって、自分に都合のいい他人の文章の引用だけど、引用した時点でありんくりんサンの意見になったといっていい。

1994年といえばまだロシアとウクライナは蜜月関係だった。
ウクライナに核兵器を持たせるのは、北朝鮮の正恩クンに核兵器を与えるようなものだから、アメリカが核不拡散条約にしたがって、ウクライナから核兵器を撤去させたのは当然なのだ。
にもかかわらずありんくりんサンは、アメリカがウクライナの核兵器を撤去させたのは失敗だったという。
こういうふうに時系列を無視して、当時からロシアとウクライナは敵対関係だった、アメリカとウクライナは友好国だったとみなすのがありんくりんサンの論法なのだ。

IAEAがしきりに核査察をするのはなぜだろう。
原発に異常がないか、兵器に転用される恐れはないかと、IAEAは世界中の原発を、北朝鮮や日本のフクシマまで査察している。
それだけ原発の事故には敏感なのだ。
いったいゼレンスキーさんは原発を脅しに使えるだろうか、ましてじっさいに原発を攻撃できるだろうか。
それはロシアだけではなく、欧州を危険にさらし、全世界を危険にさらすということなんだよ。
さすがに米国だってそんなことは容認すまい。

クルスクの原発を攻撃できるといいだしたら、それだけで世界はウクライナを決定的に見放す。
ゼレンスキーさんが理性的な指導者なら、原発を停戦の交渉材料に使えるわけがないし、むしろプーチンに正当な反撃理由を与えたようなもので、そのうち越境した部隊も掃討されるに決まっている。
一線を超えたのはゼレンスキーさんだけではなく、ありんくりんサン、そしてそのブログを人気ブログにランクインさせているココログもいっしょだ。
お願いだから頭を冷やしてくれ。

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2024年8月27日 (火)

手前みそ

そろそろロシア軍の大攻勢が始まるんじゃないかと、わたしがこのブログに書いたのは今月の10日。
そんな馬鹿な、ウクライナ軍はロシアの領土に侵入したばかりじゃないかという声に対して、それがかえってロシア軍に火をつける可能性もあると書いた。
いくらか遅きに失した感があるけど、それがどうやら事実になってきたようだ。
ウクライナ軍はクルスクで身動きが出来ず、東部の戦線でも崩壊寸前だ。

べつにわたしに特別な情報ルートがあるわけじゃない。
国際状況を公平客観的に眺め、正確に判断し、なおかつ人間の心理を読み解くことができれば、誰にだってプーチンの考えていることがわかるということだ。
昨日はまたNHKに御用解説者の小泉悠サンが出ていたけど、彼よりもわたしの予想のほうが正しかったようである。
さっさと戦争を終えて、スラブ人同士が殺し合うことの愚を、ウクライナ国民が理解してほしい。

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最近のNHK

今度は中国の偵察機が領空侵犯だそうだ。
へえ、ヤバいねと、NHKが報じたその飛行機の航跡を眺めてみた。
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これがその航跡だけど、微妙に日本の領空をはずしていて、ただ1度だけ長崎県の男女群島の領空に入り込んでいる。
海の上に領空ラインが引いてあるわけでもないし、男女群島は無人島なので、中国機もカン違いしたんじゃないか。
侵犯は今回が初めてらしいし、侵犯した時間は2分間だそうだ。
そんな無人島の情報に価値があるとも思えないし、わたしには飛行士たちのちょっとしたミスにしか思えないけどね。

だいたい中国は、日本やアメリカがケンカを吹っかけようと躍起になっていることを知っているので、そんなときにわざわざ相手を挑発するようなことをするだろうか。
しかもあの執拗なアメリカの挑発にも乗らなかった中国が。
自衛隊機が呼びかけると、なにか応答があったらしいけど、それはヒミツですといって自衛隊は公表していない。
韓国がレーダー照射をしたときは、あれほど詳細に会話内容を公表したのに、えらい違い。
ケンカを売るのにもってこいだというんで、なんとか陰険なニュースにでっち上げようと頭を絞っているフシがあるな。
おそらくここしばらくNHKは、領空侵犯をされたされたと、このニュースばかり繰り返すよ。

NHKの欺瞞はとどまるところを知らない。
中東では、その大半が撃ち落とされたにもかかわらず、ヒズボラは300発のミサイルで攻撃したと、数ばかりを誇張した表現で、イスラエルのほうは報復のためだと過小表現だ。
被害の実態をよく聞いてみれば、イスラエルが効果的な先制攻撃や、10倍〜20倍返しをしていることがよくわかるはず。
なぐったほうには何もいわず、なぐられたほうに注文をつける。
完全にアメリカの飼い犬だ。
このあいだトンデモ放送があって、局員に中国のスパイが紛れ込んでいるなどと非難する人がたくさんいたけど、NHK内部にはアメリカの息のかかった局員もたくさん紛れ込んでいるみたいですよ。

フィリピンのほうでもしょっちゅうトラブルが起きている。
その割にはフィリピン政府と中国政府は話し合いで解決しましょうと冷静だ。
たぶんフィリピンの漁船や海保の船に、アメリカの息のかかった船員が乗り込んでいて、わざとトラブルを頻発させているのだろう。
ひっかきまわすほうが、落ちつかせるより簡単なのだ。
ここんところのアメリカや日本の必死ぶりを見ていると、そうとしか思えません。

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2024年8月26日 (月)

中国の旅/バザールB

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バザールのほとんどの取引は路上でオープンに行われるけど、恒常的なバザール会場である「喀什中西亜国際貿易市場」ももちろん盛況である。
さすがにパソコンや先進機器はないけど、ひとつさかのぼった時代の日常品はなんでもありといったところ。
建物のなかには漢方薬店もあって、ワシントン条約が腰を抜かしそうな、いろいろな動物の体の一部、干物などが売られていた。
衣料品に興味のないわたしだけど、こういうものは興味が尽きない。

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貿易市場の庭でも、色とりどりの派手な反物に女性たちが群がっていた。
バザールはウイグル女性たちにとって、日曜日の銀ブラみたいなものと書いたけど、彼女たちの華やかさはいうまでもなく、金糸銀糸の刺しゅう、スパンコールじゃらじゃら、大晦日の紅白歌合戦そのままの衣装も珍しくない。
ただ彼女らが道ばたで平気でウンコ座り、またはぺたんと尻をつけて座っているのには目のやり場に困ってしまう。
彼女らが大胆な理由は、西欧ふうのパンティではなく、カラフルなズロース状のものを穿いているかららしい。
そんなものばかり観察していたわけじゃないけど、これも好奇心というものだ。
明治時代に日本に来たモース先生も、日本の混浴に興味を持ってしげしげと観察していたではないか。
知的好奇心はワイセツ論争より上を行くのだ。

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路上では生きた家畜も連れてこられて、年配の農民や業者がその品定めをしており、おかみさんや小さな女の子が、ウシやヒツジをひっぱって歩いていたりする。
路傍てはめずらしいかたちの農具や、手作りのナベやカマ、箒などが売られている。
現在では中国人も観光に熱心だから、バザールもいろんな民族が入り乱れていると思うけど、わたしが行ったころはほとんどウイグル人だけで、漢族の中国人はほとんどいなかった。
そしてけっしてお祭り騒ぎだけではなく、ペシミストであるわたしのこと、ここでも道ばたで赤い玉子を売っている老婆を見てエリナー・リグビーを連想したり、橋のらんかんにもたれている幼い兄弟を見て戦後の焼け跡の浮浪児を連想したりした。

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この人混みのなかで、黒い上下の、いわゆるギョーカイの人らしい2人連れに出会った。
日本人かと思って声をかけると香港から来たテレビ関係のスタッフだという。
彼らとはホテルにもどってからまた出会い、どうです、いっしょに食事でもと誘われた。
こちらも時間つぶしに苦労しているときだったから、いろいろ話をしてみた。
彼らはマスコミの事情に詳しく、日本の雑誌「太陽」の編集者をしているフミコ・ヒラノというエディターの友人がいるなどと話す。
これから仕事でホータンへ行くのだそうで、最後は愉快に別れた。
奇妙な友情のようなものを感じたけど、これがカシュガルにおける最後の実のあるエピソードになった。
「さまよえる湖」のヘディンになぞらえば、わたしにとってカシュガルの最期の日々は過ぎ去ったのである。
このあとわたしはホテルをチェックアウトした。
わたしがもういちどこの町を訪れることがあるだろうかという感傷を抱いて。

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つまらない私的な紀行記かも知れないけど、わたしにとっては若いころの、いちばん人生が輝いていたころの思い出をなぞるということで、これは楽しい仕事だった。
しかもお金がかかるわけでも、体力が必要なわけでもない。
部屋でパソコンさえあれば、いまわのきわまで続けられる、こんな恵まれた趣味を持っている年寄りって、ほかにもイマスカ?

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ホテルのカフェでさらに時間をつぶしたあと、列車の時間が近くなって、わたしは駅に向かった。
軟臥の上段という切符はとっくに手に入れてある。
つぎの目的地はトルファンだ。
3年まえには“夢のトルファン”だったあの町はどんなふうに変わっているだろう。
駅の改札にはX線の手荷物検査場がある。
駅員がわたしの荷物を透視してみて、大騒ぎを始めた。
忘れていたけど、わたしのバッグの中にはエイティガールモスクの近くで買った、刃渡り30センチの半月刀が入っていた。
これは列車に持ち込みが禁制の携帯品だそうで、その場で没収されて返してもらえなかった。
やれやれ、最後にとんだオチつき。

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またありんくりんサン

前項の毎日新聞のアンケートをみると、日本国内ではハリスさん支持が75%だそうで、ぜんぜん米国の支持率と合致しない。
それだけ日本には、マスコミのデタラメ報道に踊らされている人が多いということだろう。
もちろんなかには冷静で、デタラメを信じない人もいるだろうけど、信じる人は、たとえば昨日の「農と島のありんくりん」サンのブログのようなものにコロリと騙される。
それではいけないので、わたしはあえて書く。

昨日の記事でありんくりんサンが引用しているのは、BBC、CNNなど、すべて西側か、西側を支援する個人名のチャンネルである。
ロシアが発信しないからやむを得ないところもあるけど、これでいったいどんな記事が書けるのか。
ウクライナ軍のクルスク侵攻について、彼のデタラメを列挙してみよう。
わたしのいうことが間違っていると思う人は、記事のとちゅうでいちゃもんをつけてももらってもかまいません。

いちばん大きなデタラメが、ウクライナ軍の攻撃は機甲化旅団、砲兵部隊、防空部隊を使った大規模なものだといってること。
映画「バルジ大作戦」でも、ドイツ軍は曇天にまぎれて、かろうじて戦車の移動に成功しているのだ。
偵察衛星の発達した現代に、隠密理に機甲化旅団をクルスクまで移動できるはずがないから、これはプーチンがいうように歩兵大隊ていどのゲリラ攻撃と見るほうが妥当だ。

そんな小部隊でよく国境を突破できたなと思う人がいるかも知れない。
報道を注意すればわかるけど、プーチンは戦争経験のない新兵を、戦場から遠く離れた、こんなところを占領しても価値がないような国境に配置していた。
だからウクライナ歩兵はやすやすとクルスクに侵攻できたのだと思うほうがムリがないではないか。

プーチンは慌てず騒がず、まず捕虜になった新兵をとりもどすために、捕虜交換を優先させた。
露ウ双方が同時に捕虜交換に応じたように書いてあるけど、おそらくロシア側がUAEに依頼して最初に仕組んだ可能性のほうが高い。
ゼレンスキーさんが捕虜を人間の盾にでも使えば面倒なことになるところだったのに、無能な彼はその機会をむざむざ逃した。
これはロシア軍が、人海戦術のような無慈悲な作戦をとってないことの証明にもなる。

クルスクに侵攻したウクライナ軍は、塹壕を掘って反撃を待ち構えているという。
ここでありんくりんサンは“攻撃3倍の法則”なんてものを持ち出した。
これは防衛ラインを突破するには、攻撃側は相手の3倍の勢力がなければむずかしいという法則で、ウクライナ軍が竜の歯といわれるロシアの防衛戦を突破しようとしたとき、この法則があてはまり、じっさいにウクライナ軍はただのいちども防衛戦を突破できなかった。

しかし今回は当時とは状況が違うのだ。
塹壕なんて絨毯爆撃をすればアッという間に壊滅する。 
ありんくりんサンは、ロシア軍が絶対的な制空権を確保してないから爆撃はムリだ、ロシア軍が制空権をにぎったことはない・・・・って?
制空権は戦争の当初からずっとロシア軍がにぎったままで、だからこそゼレンスキーさんはF-16の支援を心待ちにしていたんじゃないか。

歩兵大隊ていどの軍隊が、塹壕戦にいつまで持ちこたえることができるだろう。
プーチンは捕虜交換と同時に一般市民の避難も行なっている。
これはいつでも反撃できるようにするための準備だ。
ただし自国の領内を絨毯爆撃なんかして廃墟にしたくないだろうから、ウクライナ兵が自主的に撤退するのを待っているのかも知れない。

ありんくりんサンの記事にはまだ続きがあるらしい。
クルスクにはロシアの原発がある。
ウクライナ軍はそれを狙っているのだというのかも知れないけど、なんでわざわざ軍隊を派遣しなくちゃいけないのだ。
原発を無力化したいなら、ドローンでも繰り出せばいいではないか(当たるも八卦で)。
自国領からもっと近いザポリージャ原発でさえ、ウクライナ軍は手も足も出せないのだ。
はたして彼がこのあと、どんなことを書くのか期待して待とうじゃないか。

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デタラメふたつ

ハリスさんに大統領になってほしいという回答が75%だそうだ。
いっしゅん目を疑ったけど、よく見たら毎日新聞がアンケートした“日本の結果”だった。
日本人が日本でいくら騒いでもアメリカの選挙に影響を与えるわけにはいかんのにね。
だいたいこの記事にもデタラメがある。
先日の民主党大会のとき、副大統領候補のウォルズさんが、いまはトランプさんに僅差で負けているけど、めげずにがんばりましょうといっていた。
負けている本人がそういってるのに、毎日新聞の記事では、やはりハリスさんがトランプさんをわずかにリードしていると書いてある。
ケネディさんがトランプ陣営に走ったのも、トランプさん有利を見越したものだろう。
毎日新聞は朝日新聞とともに、日本政府に寝返って、徹底的にデタラメを書くことにしたマスコミだから、こうなるとこの社のすべての記事が信用するにあたらない。

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「プーチンの変な姿」というニュースの見出しもあった。
変な姿というのはどういうふうに変なのかと検索してみたら、この写真のことをいってるらしい。
チェチェンを訪問したプーチンが、射撃場で防音のためのイヤーマフ(ヘッドホンのようなもの)を、上下さかさまにつけてたってことらしいけど、常識をわきまえないのはどっちだ。
わたしみたいな素人だって、形状を見ればどっちが上かぐらいわかるぞ。
じっさいに過去のべつの場面では正常に装着している写真もあるし、このニュースの発信元であるニューズウィークそのものが、プーチンは髪の毛が乱れるのがイヤだったんだろう、カディロフ(チェチェンの酋長)みたいなヒゲが欲しかったんじゃないかとジョーク扱いだ。
こんなものを見つけてウレしがったって、戦況になにか影響が出るわけもないし、騒いでいるのはどんなセコイ人間なのだ。

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2024年8月25日 (日)

また真実

ゼレンスキーさんの魂胆が見えてきた。
越境攻撃はロシア兵を捕虜にして、自分たちの捕虜と交換するためだったのか。
それにしては200人程度の兵士を取り戻すためにその数倍の兵士を、全滅の可能性さえある危険な任務につぎこんだとしたら、あまり賢い作戦じゃないね。
どうせ戦争が終われば捕虜は解放されるんだし。
ゼレンスキーさんはほんとうに捕虜を取り返すために越境攻撃をしたのかね。
安っぽい米国の活劇映画じゃないんだぞ。
自分の評判を落としたくないから、捕虜を救出するために越境攻撃をしたと、これって後づけの言い訳じゃないか。

日本のマスコミはあいかわらず偏向しているな。
プーチンのほうはひたすら悪くいうくせに、ゼレンスキーさんのほうは頼まれもしないのに好意的な解釈だ。
プーチンはわたしが書いたように、訓練の行き届かない若い兵士を、戦場から遠く離れた国境警備に配備するという、温情あふふる指導者だ。
それなのに、プーチンは自分の評判を落としたくないから捕虜の交換に応じたと、かならず悪意の解釈しかしない。
いったい日本のマスコミってのは、ほんとうに事実を伝える報道機関なのかい。

おかげで戦争の真実が見えてきた。
いまプーチンは沈黙しているけど、新兵たちを無事に取り返し、住人を非難させたら、あらためて越境攻撃をしてきた兵士をボコボコにするつもりだろう。
これまでロシアは兵士の命を軽んじて、犠牲を厭わない人海戦術で戦ってきたと報道してきたけど、それは全部デッチ上げで、ゼレンスキーさんのほうがよっぽど無能で、兵士の命を軽んじる指導者ではないか。

ウクライナ側では兵士が足りないんだから、帰ってきた兵士たちはすぐそのまま戦場にUターンの可能性もある。
なんのための捕虜交換なんだよ。
ロシアにはもっとたくさんのウクライナ兵の捕虜がいると思われるけど、大部分は交換要員になるのを拒否したんじゃないか。
うっかり国にもどったら、またすぐ戦場に送り出されるかも知れないって。

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2024年8月24日 (土)

中国の旅/バザールA

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わたしのこの紀行記は、不定期の連載を開始したのが2023年の8月14日だから、ほぼ1年経ったことになる。 
始まったのは1992年の江南の旅というパック旅行の記述からで、そのときはまさかカシュガルまで書き続けられるとは思わなかった。
わたしはそれ以前にもヤフーのブログで、同じ中国の紀行記を連載していたことあがあるんだけど、途中まで書いたところで、孫正義サンがいきなりブログ事業から撤退してしまい、遺憾ながらそれは中断するしかなかった。
そっちのほうはどこまで書いたのか、いまでははっきりおぼえてないけど、たしか洛陽から開封にかけてまでのあたりだと思う。
だからこのシルクロードの旅は、その記述も写真も、日本、いや世界で初めて公開された紀行記になるわけだ。

今度は寿命のほうがいつ中断してもおかしくないわたしは、なんとかカシュガルのバザールまでは紹介したいと考えていて、とうとうそこまで来た。
それにしてもなんて幸運な人生だろうかと思う。
もしもわたしにこんな体験がなく、ブログを書くという道楽がなかったら、ひとり者のわたしは、どんな孤独でつまらない人生の終わりを迎えていただろう。
ヘタすりゃとっくに首でも吊っていたんじゃないか。
この紀行記を書き続けるという熱意が、わたしの寿命をじりじりと引き延ばしてくれたのだ。
そう考えると不思議な幸運に感謝するしかないけど、しかしわたしの旅はこれで終わるわけじゃない。
記録しておいた旅のメモのストックはまだまだあるので、おいそれとくたばるわけにはいかないのである。

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さてカシュガルを去る日がやってきた。
日曜日だからバザールが開催される日なので、最後にたっぷりと、いまから24年まえのカシュガルのバザールを紹介しよう。

バザールを朝市みたいなものかと思ったわたしは、この日は早起きをしてすぐに町に飛び出した。
其尼瓦克賓館から会場まで2、3キロなので、また自転車を借りようかと思ったけど、ホテルの前にロバ馬車が待機していて、ウイグルの若者が10元で行くよという。
高いよ、キミ、えっと交渉して8元にねぎった。
これにはウイグル人とやりとりしてみたいという願望も入っているので、見たいものにはケチらない主義のわたしにしてはセコイけど。
若者の名前はイリジャンで、英語をいくらか話す。
ロバ(ドンキー)はイシェリ、馬はアールゥですという。
イリジャンが鞭をふりあげるだけでロバは足を早めるから、従順さの裏にはそうとう過酷なしつけがあるのだろう。
気のドクなイシェリのためにやっぱり10元を払ってしまった。

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この時間はまだ清涼な風が吹いていて気持ちがよい。
バザールの会場に着いたのは9時半にもなってない時間で、まだこれから店をオープンしようというところが多かったから、早起きする必要はなかった。
この地図は最近のバザール会場のものだけど、大きな川のほとりにあったこと、市場のなかに「喀什中西亜国際貿易市場」という建物があったことなどから、新しくなったとしても以前とほとんど同じ場所にあると思われる。

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わたしが見たころのバザールは、まだまだ素朴で、周囲の建物もボロっちいものが多かった。
当然というか、その後のバザールは中国政府の指導で、築地が豊洲に変わったような大改革をなしとげていた。
最近のバザールについて調べると、ほとんどの店が大きな建物の中に収容され、天候に左右されない常設の市場であると同時に、トルコのイスタンブールのように観光名所にもなっているようである。
日本政府の走狗になった感のある朝日新聞が、しばらくまえに、中国政府はウイグル人の市場を強制的に取り壊しているなんて報道をしていたけど、ウイグル人にとっては、より効率的で衛生的に商売ができるようになっただけの話である。
わたしが見たころは同じ場所で家畜も扱っていたけど、これでは非衛生だというので、家畜専門の市場はべつの場所にできたようだ。

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いったんホテルにもどり、11時ごろになってふたたび、今度は自転車を借りて出かける。
途中の大きな交差点で、2人の男に無理やり引っぱられていく子ウシを見た。
子ウシはいやがって道路のまん中で足をふんばって抵抗するんだけど、後ろの男が笑いながら子ウシのお尻をぐいっと持ち上げ、前足だけで歩かせるようなかたちで前進させる。
子ウシは道路を渡ったとこでも足をふんばったけど、ムダな抵抗だった。
さて、この子ウシはどうなるのだろう。
あんなにイヤイヤをするということは、たったいま母ウシと引き離されてきたところかもしれない。
母ウシから離されても、これから別の場所で飼育されるならまだいい。
ひょっとすると、子ウシの肉はやわらかくて美味いというので、このまますぐに屠殺されるのかもしれない。
遊牧民族の生活は日本人には正視に耐えられないところがある。

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さすがにこの時間になると、バザールも本格的だった。
バザールはウイグル人にとって、昔ながらの交易の場であると同時に、女性たちには日曜日の銀ブラみたいなものらしく、四方八方から馬車に乗ったり、よそ行きに着飾った大勢のウイグル女性が押し寄せてくる。
ここに載せたのは、地図を除けばすべてわたしが撮った写真で、枚数が多いから2回に分けて載せることにした。
あなたもタイムマシンに乗って、24年まえのバザールの人込みに紛れ込んだつもりでドーゾ。

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このあとさらにバザールBもあります。
写真がやたら多いのは、まだ中国以外の外国に行ったことがなかったわたしが、いかにイスラムの文化に興味を持っていたかの証明です。

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昨日の世界

政治家というのは機を見て敏なるものである。
アメリカで第三極と思われていたケネディ議員が、大統領選挙に出馬を取りやめて、トランプさん支持にまわったそうだ。
NHKはさんざんトランプさんと民主党が拮抗していると訴えてきたけど、どっちが勝ち馬かをケネディさんは冷静に見極めたのだろう。
だからいったでしょ。
ウクライナ戦争の始まったころから、NHKは総力をあげてデタラメを流し続けてきた。
そうした局の方針が瓦解するのももうすぐだ。

モディさんと会談したゼレンスキーさんは、終始ニガ虫をかみつぶしたような顔。
会談の内容は想像がつく。
戦争は無益だからやめなさい。
これだけでインドは中立公正であることを証明し、すり寄ってくる日本や西側先進国から、頂けるものは頂くという従来の姿勢を貫けるのである。

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中国の不景気

やれやれ、日本だけは大丈夫だと思っていたら、首相選挙に過去最大の候補者が乱立だなんて、やっぱり日本も西側先進国の混乱ぶりの例外じゃないな。
しかもこれほとんどが、ウクライナ戦争を契機にしてるんだから、アメリカもたいそうなことを始めたもんだねえ。

SNS上には中国が不景気だという報道があふれているけど、人のふり見てわがふり直せ、それじゃ日本は景気がいいのか悪いのか。
昨日のNHK国際報道を観たら、ワーキングホリデーというものの特集をしていた。
これは働きながら学びたいという若者を、おたがいに一定数は引き受けることにしましょうと、国家間で取り決めた制度だそうだ。
日本人の場合、この制度で若者が目的地として、いちばん希望が多いのがオーストラリアだという。
すでに定年退職したじいさんはぼんやり考える。

彼らが外国に向かうのは、日本が円安で、オーストラリアのほうがいい給料をもらえることもあるらしいけど、現実は競争激化でかなり厳しいと、昨夜のNHKはなかなか公平な報道をしていた。
どんな理由だとしても青年が海外に出ようというのはいい心がけだ。
しかしこれは日本が不景気で、いい仕事はなかなか見つからないからじゃないのか。
こういう見方をすると日本も景気がいいとはいえなくなる。

YouTubeには上海の駅まえの人混みがげっそり減っている映像があって、これこそ中国が不景気な証拠だという。
わたしは上海の駅前の混雑ぶりを知っているので、にわかには信じられなかった。
たとえば新宿駅前の混雑を知ってる人に、いきなりがらがらの新宿駅を見せたら、だれでもおかしいと思う。
これって早朝の人のいない時間帯に撮ったんじゃないか。
というのはきわめて健全な疑いだけど、ほかにも、別の入口が出来たんじゃないか、地下通路が出来たんじゃないか、混雑を緩和させるための中国政府の努力が功を奏したんじゃないかと、いくつもの原因が思い当たる。
調べてみたら、じっさいに以前にはなかった北側にも駅の入口ができていた。

シャッター通りになった商店街の映像もあったけど、変化の激しい街ではそういうこともあり得るし、日本だってつい先ごろにはシャッター通りが溢れていたことがある。
それでも郊外の大規模店舗に客が移っただけで、景気が悪いからというのは気が早すぎる。
映像を詳細になかめると、人通りの少ない歩道の向こうに車道が映っており、車の往来は以前と変わってるようではない。
英語でShanghaiを検索すると、外国人の映像も見つかって、時期はあまり変わらないのに、あいかわらず混雑した上海の駅や市内が映っているものもある。

つまりこういう不景気を強調する映像も、中国をけなして喜ぶ人たちのためのものなんじゃないかね。
いちばんいいのはわたしが自分で確認してくればいいんだけど、あいにくもうそんな元気はないよ。

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2024年8月23日 (金)

民主党大会

今日のNHKは正直だったな。
アメリカの民主党大会で、カマラ・ハリスさんが大統領候補を受諾したそうだ。
なりゆきをずっと眺めている小生には、アホらしい猿芝居としか思えないんだけど、NHKも冷静に、民主党の大会ですからね、盛り上がるのは当たり前、大事なのはこれからでしょうといっていた。
映像のなかで副大統領候補のウォルズさんが、いまはトランプさんに僅差で負けているけどともいっていた。
負けている側がいってることだからウソじゃあるまい。
NHKのデタラメに踊らされている日本人は、こういう言葉のはしくれでも見逃すべきではないね。

それはまあいい。
ハリスさんがかかげた公約をそのまま実行してくれるなら、わたしもいまでも民主党の支持者だっただろう。
問題は詐欺師大統領のバイデンさんのごとく、なったとたんに豹変して、アメリカのリベラルな若者の期待を裏切ることなんだよ。
 おぼえたり公約なるはフルーツの
      実のなるまでの空手形とは

トランプさんもバイデンさんも科学知識に乏しいことでは似たり寄ったりだけど、トランプさんのほうが単純なだけに罪がない。
北朝鮮がすり寄ってくると、じゃ会談をしましょうとその場で決めてしまう。
得たりと正恩クンが調子に乗ると、あっという間のどんでん返し。
あれで何人の北の役人が粛清されたか知らないけど、気まぐれなようで、トランプさんは馬鹿じゃない。
NHKの願望は遠のくばかりだ。

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読売オンライン

20240823

「ぬれた体に電気ショック、『地獄の日々だった』元ウクライナ兵捕虜」
「露軍のウクライナ兵捕虜に対する拷問や非人道的な扱いが問題視されてきた」
これはネット読売のニュースの見出しと記事。
悪質きわまりないデタラメ報道。
どうせバレないだろうというんだろうけど、いくらなんでもひどすぎる。
過去にも虐殺だのなんだとデタラメを繰り返してきて、その証拠はひとつもあげてないくせに。

この兵士は捕虜交換で釈放されたらしいけど、写真を見るとまわりにも数人の釈放された兵士が写っている。
まわりの兵士のなかには微笑みを浮かべたり、談笑している者もいるし、いずれも健康そうで、拷問なんか受けた様子はない。
ただでさえ虐待だ、拷問だと、デタラメ捏造に追われているロシア軍が、そのうち捕虜交換になるはずの兵士にそんなことをするだろうか。
アブグレイブの刑務所で、米軍兵士の慰みものになっていたイラク捕虜とは違うんだ。

この報道は「ウクライナ戦争捕虜処遇調整本部提供」というところが発表したもので、つまり負けが込んで、やれることはなんでもやるというウクライナの大本営発表というわけだ。
こんなニュースをなんの疑問も持たずに報道するマスコミって、いったい何なのだ。
目的は戦争をあおることか、え、読売さん。
台湾有事まで持っていこうというなら、その報いはかならず自分たちにもどって来るんだよ。
わたしはそのころには寿命が尽きているだろうからかまわんけどね。
ひとつ救いがあるとすれば、いくらなんでも日本のメディアはおかしいと思う日本人が増えてくることだろう。

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2024年8月22日 (木)

グスッ

アメリカでトランプさんとハリスさんが拮抗しているそうだ。
しかし最近の日本のメディアはバイデンさんの戦争路線を引き継いでもらいたくて、デタラメと捏造と偏見のオンパレードだから、どうも信じにくいところがあるんだよね。
しかしここではいちゃもんに封をして、ふたりが拮抗していると素直に信じておこう。

民主党大会にはまえの大統領候補のヒラリーさんまで出てきて、女性の権利を擁護してくれるのはハリスさんだと絶叫していた。
ハリスさんは女性の妊娠中絶容認派で、トランプさんはその反対だそうだ。
NHKの報道だけ聞いていると、トランプさんは中絶の権利を認めない頑固なアナクロ(時代錯誤)政治家のように思えてしまう。
しかしカン違いしちゃいけないよ。
アメリカには中絶を容認しない国民が、全体の半分くらいはいるんだぜ(だから拮抗してるんだ)。
なぜかって、そりゃあんたに高校生くらいの娘がいればわかるだろう。
いまでさえふしだらな女の子ばかりのアメリカが、中絶OKになったら、できたら堕ろせばいいのよって、いま以上にやりたい放題になることは目に見えている。
娘のいる親父さんに我慢できる話じゃないワさ。

だいたいアメリカって国は日本人には理解に苦しむ国で、いまでも国民の半数近くが、人間はアダムとイヴから生まれたと本気で信じているらしい。
だからわたし個人的には、さわらぬ神にたたりなしって、あまり関わらないことにしてんだけどね。
選びようが無い候補者のいずれかを選ばなければいけないなんて、ホント、アメリカ国民を思うたびに涙がこぼれてしまいます、グスッ。

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昨日のNHK

なんでウクライナ軍は戦場から離れた見当ちがいの場所に越境攻撃をしたのか、その理由がわかってきた。
NHKは苦し紛れにデタラメを並べているけど、そのひとつひとつに反論できるぞ。
ウクライナ戦争は新たな局面に入りました、だそうだ。
なんのことをいってるのかと思ったら、ウクライナ軍がロシアへの越境攻撃に踏み切ったからだという。
ウクライナは過去にも、数人の兵士が川を渡って対岸のクレーンに旗をかかげただけで、侵攻したとイバっていたことがあるし、無人の集落を占領して勝った勝ったと喜んでいたこともある。
今回だって精鋭部隊が投入された(らしい)という報道があったけど、正規軍の大規模な衝突があったとも思えないのに、局面が変わったといえるのか。

ここ数日のニュースを総合してみると、ロシア軍は訓練の行き届かない新兵を、前線から離れた国境警備に当てていた。
ウクライナ軍が快調に占領地を拡大しているというのは、こういう戦争に不慣れな新兵を相手にした不意打ち攻撃だったからじゃないのか。
反撃されれば玉砕しかない無益な攻撃に思えるのに、捕虜をたくさん確保したのは、彼らを盾に使えばロシア軍の反撃を防げるし、戦いを長引かせて健闘しているように見せかけられるというおもわくがあったのだろう。
これは戦争なのだから、なんて卑劣なとはいわないけど、負けが込んできたウクライナ軍のやり方らしい。

プーチンは兵士を大切にしている。
ロシア軍は兵士を大量に消耗しているというのは、すべて西側の報道で、じっさいにはまだ予備役にも余裕があるし、進軍が遅いのはウクライナが強いからだ、頑張っているからだという人には、結果を見てもそういえるのかと聞きたいね。
肝心の東部の戦場で押しまくっているのは、つねにロシアじゃないか。
ウクライナに撃ち込むミサイルも、イスラエルなどに比べると、現代のミサイルの威力はあんなものかといいたくなるくらい被害は少ない。
プーチンはウクライナ市民をできるだけ傷つけずに戦争を終わらせたいんだよ

NHKのニュースを観ていると、ウクライナの個人にインタビューした映像が目立つけど、こんなものは取捨選択することで、いくらでも自分たちに都合のいい報道に変えられる。
ノーベル平和賞を受賞した人権団体のマトイチュクさんという人が、戦うのをやめたらロシアはウクライナを占領し、国民を根絶やしにするだろうといっていたけど、彼女は戦争まえにロシアがウクライナを親戚同様に大切にしていたことなど、触れようともしない。
だいたい戦争が始まってから、かってロシアの大統領は、夫婦そろって、両親が露ウの出身だったことも報じられなくなってしまった。

昨日はウクライナに派遣されている特派員の女の子が報告していた。
いかにも現地報道みたいだけど、“ノーベル平和賞を受賞した◯◯サンがこう言ってる”、“越境攻撃がどこまで有効かを見極めるにはもっと時間が必要です”、“近いうちにインドのモディさんと会談して、軍事・政治の両面でロシアに圧力をかけるつもり”などと、戦況の全般をながめたような発言をしていて、年端もいかない日本の女の子にしてはずいぶん詳しいなと感心した。
あれって日本から原稿を送ってそのとおりに読ませているんじゃないか。
本当にウクライナからの報告なら、“いや、越境攻撃には西側の軍人が深く関わってますから”とか、“占領してもそのうち反撃されて全滅するでしょう”と、たまには内地との意見の相違があっても不思議じゃない。

NHKは世界のあっちこっちに特派員を派遣しているのに、報告はすべてNHKの主張に沿ったものばかりで、あれでは現地報告の意味がない。
たぶん発言はきびしく検閲されているのだろう。
アメリカの大統領選挙にしても、勢力が拮抗しているのだから、たまには共和党寄りの報告があっても当然なのに、つねにバイデンさんとハリスさん寄りで、イメージ操作ばかりに熱心なのだ。
それがあまりに露骨だから、NHKってのは捏造放送協会の略だと思われてしまうんだよ。

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2024年8月21日 (水)

中国の旅/田園?

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カシュガルに到着して4日目になった。
今日は土曜日だけど、本格的なバザールは日曜日だという。
今日はなにをしようかと考えた。
まえの2日間は徒歩や自転車で市内を勝手気ままにうろついたので、カシュガル市内についてはおおかた把握したし、バザールの会場も下見しておいたので、この日はまたタクシーを借り切って遠っ走りをすることにした。
さて、どこへ行ったらいいだろう。

ガイドブックを読んでみると、郊外に「莫爾仏塔(ばくじぶっとう)」という仏教遺跡があって、なんでも1000年以上前の、中国ではいちばん西にある仏教遺跡だそうだ。
仏教遺跡なんかに興味はないんだけど、郊外といっても片道数十キロはあるらしいから、またのんびり車のシートに座って、途中の景色を眺めながら行けるではないか。
其尼瓦克賓館の敷地内で客待ちしていたサンタナが200元(2600円ぐらい)で行くというから、これでいちにち自由に見てまわれるなら安いものだと、こいつをチャーターすることにした。
わたしは旅先でろくでもない食生活をしてるけど、ほんとうに見たいものには金をケチらないのである。

ちなみに莫爾仏塔の“莫爾”をバクジと読むのは日本語読みで、中国語ではモールと読む。
英語で検索する場合はMauri Pagodaになるらしい。
行ったみてわかったけど、この仏教遺跡はただの土の山で、よっぽど仏教に興味のある人でないと、見てもぜんぜんおもしろくないものだった。
そのせいか、カシュガル市全体がテーマパークのようになった現在では、観光コースからもはずれてしまったようで、ネットで探してもこれを紹介する写真が少ないので苦労した。

このときの運転手はモハメッド・アリという名前だった。
アメリカのボクサーに同じ名前の人がいるねというと、うんと答える。
気のない返事だけど、この名前はイスラム圏ではありふれた名前だから仕方がない。
このアリ君はウイグル語以外に英語と中国語を話す。
29歳で男の子と女の子がいるというから、ウイグルはいくつぐらいで結婚するのと訊くと、男が23、女が18くらいだと応えた。
子供はふつう2人まで、農民の場合は3人までOKだという。

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どこをどう走っているのかわからないまま、タクシーは市の北に見える荒涼とした山並みめざして一目散。
草木の1本も見られない山のあいだを抜けて、砂漠の中の舗装道路(カシュガルとウルムチを結ぶ街道だそうだ)をひた走る。
途中で小さな村をいくつか通過した。
仏教遺跡に興味のないわたしは、そういう村にさしかかるたびに、スピードを落としてもらって部落の中を見ていくことにした。
どんな小さな村にもかならずモスクがある。
この点は日本の農村にかならずお寺や神社があるのに似ている。

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いくつかのモスクでは車を降りて写真を撮った。
モスクのまえに村人がたむろしている場合もあったけど、覚えたてのウイグル語で“ヤクシムスィーゼ(こんにちわ)”と挨拶すると、みんなニコニコして応じてくれた。
わたしが見たモスクは使い込まれて、あまり上等とはいえなかった。
それでも中国政府はウイグルを迫害しているという人たちへの反証にはなりそう。
村の中では皮をはいだばかりの丸太を運んでいる馬車にたくさん出会った。
このあたりで丸太になるような木といえばポプラしかないから、この木の用途は広いようである。

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ある村の高台から見下ろすと、下に田んぼが広がっているではないか。
田んぼは前回の旅でも驚いて、帰りにわざわざ張掖という街で、列車を下りて見物に行ったことがある。
ここは張掖よりさらに奥地の、砂漠の果てといっていいカシュガルだから、意表をつかれることも大きかった。

わたしはしばらく高台から田んぼを眺めていたけど、田んぼということは植えられているのは稲で、穫れるのは米だろうか。
いったいカシュガルの米って、どんな味がするのだろう。
カシュガルのブランド米として日本に輸出したら人気が出ないかしら。
だんだん話が脱線しかかるけど、味はササニシキやコシヒカリほどでなくても、カシュガル米だとかシルクロード米という名前をつければ人気が出るんじゃないか。
いやいや、日本の醸造技術を教えたって、タクラマカンという名の日本酒なんかどうだろう。

やがてちょっとした町にさしかかり、運転手がアトシュだという。
わたしは水を買いたいからといって車を停めてもらった。
道ばたの売店で店番をしていた小学生くらいの女の子に、ペットボトルの水をくれというと、かちんかちんに凍って丸太ん棒のようになったものを出してきた。
とけるまで待てないから別のボトルに変えてもらって、10元を出したら困惑したようす。
こんな小さな店ではたいていつり銭がないのだ。
女の子はいかにもウイグルらしい西欧ふうの顔立ちをした美少女で、店番をしながら算数の勉強をしていたらしく、話しかけると奥へひっこんでしまった。
そこへようやくおばさんが帰ってきたけど、ウイグルの女の子を手なずけるのはなかなかむずかしい。

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素朴なウイグルの村を抜け、ふたたび砂漠の中へわけ入る。
最近はカシュガル市に見どころが増えたので、莫爾仏塔のような砂漠の中の遺跡への関心も薄れたとみえて、地図を見つけるのに苦労した。
ここに載せたものは中国語のネットまで捜索してようやく見つけたものだけど、わたしが行ったところだという確証がない。
方角的には合っているから、たぶんこれだろうと、いいかげんなことをいって載せておく。

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莫爾仏塔の遺跡はこの砂漠にあった。
高さ5、6メートルほどの円筒形の塔と、いびつな方形の塔で、ウイグル語の莫爾は煙突という意味だそうだ。
どちらも部分的にレンガが露出しているから、人為的に作られたものだということがわかるし、衛星写真でま上からながめた形状は、まさしく煙突だ。
ここに1枚の古い写真がある。
ロシアの探検家ペトロフスキーが1892年に撮影したもので、彼があけたものか、それ以前に盗掘にあったものかしらないけど、仏塔はもののみごとに立ち割られている。
金目のものは、あったとしてもなにも残ってないだろう。

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仏塔はクチャで見てきたクズルガハ烽火台同様、やはり周囲には何もなかった。
入場料をとるわけでもなく、売店があるわけでもない。
それでもわたしが行った翌年の2001年に、かたわらに新しい表示板が設置されて、現在は国家の重点保存遺跡に指定されたようだ。
それでも普通の観光客が行くようになったとは思えない。
この遺跡も砂漠の中で自然に崩壊する運命のようだけど、ただこれまで生き延びてきたのだから、完全に崩壊するまでにはさらに長い年月が必要だろう。

ふたたび砂漠の中の舗装道路をカシュガルへ引き返す。
車のカウンターによれば、莫爾仏塔まで片道だけで50キロあったけれど、それは大まわりと、あちこちうろうろしたことの結果。

其尼瓦克賓館にもどってまもなく、旅行社の若者が列車の切符が取れましたといってやってきた。
軟臥の上段で306元、これに5元のなにか料金と、旅行社への70元の手数料がかかったものの、なんでもいい、これでようやくわたしもカシュガルを脱出できるわけである。

安心したあと、今日は土曜日だから色満賓館で民族舞踊でもやっているかもしれないと、ふらふらと出かけてみた。
やってないそうである。
しかしどこかから派手な笛太鼓の音が聞こえていたから、そっちのほうへ行ってみたら、色満賓館の敷地内に新しくオープンした皇宮大酒店の景気づけセレモニーだった。
店の前で舞踊の衣装をつけた男女が客を迎えているから、ここで民族舞踊を見られますかと尋ねると、かたわらから日本語のわかるウイグル男性があらわれて、この晩は新しもの好きのウイグル人で店は満員ですが、明日からはここのレストランで食事をしながらショーを見られますとのこと。

深夜の24時ごろ、寝る気にもなれず、飲み物でも買うかと、部屋のサンダルでぺたぺたと外出する。
まだホテル内の中国レストランは営業中で、昼間はやってなかったホテル内のみやげ物売場まで営業していた。
このホテルにはサウナもあったけど、そこもいままさに営業たけなわというところで、パソコンのある商務中心(ビジネス・センター)まで営業中だった。
明日の24時ちかくの列車に乗るんだけど、そんな時間までどうやって時間をつぶそうかという心配は杞憂だったわけだ。
24時というと、カシュガルの(少なくともホテル内の)夜はまだ宵の口なのである。

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真実は

『ロシア、和平交渉を当面見送り』
おとといあたりのネットニュースの見出し。
最近ロシアが和平交渉なんかしてたっけ?
パレスチナの間違いじゃないかと確認しているうち、この件がひとり歩きしてしまっていた。
どうやら交渉が進展しないのはロシアのせいだといいたいらしい。

プーチンの主張は一貫している。
クリミア半島と、そこに通じる陸上の回廊である東部4州を割譲せよ。
和平の条件はそれだけだ。
ゼレンスキーさんの主張も一貫している。
ひとかけらの土地も渡さない、ロシアは軍をまとめて出ていけ。
これでは交渉になるはずがない。
なぜか戦争の当事者でもないNHKまでが、それはウクライナの敗北に等しいなどと騒いで、ゼッタイに認められないと言い出す。
どちらかが折れないかぎり和平の交渉はあり得ないから、ここしばらく交渉はなかったはずで、また日本のメディアの未確認情報だったのだろう。

2、3日まえにどこかで、プーチンは訓練の行き届かない若い徴集兵を前線には出さず、危険ではない国境警備などに起用しているというニュース記事を見た。
今朝のニュースでは、ウクライナ軍のゲリラ侵攻で、クルスクにいた10代後半の兵士が戦争にまきこまれたというものがあった。
これでわかった。
ウクライナ軍がやすやすと国境を越えられたのは、米軍などの手引きで、そういう新兵ばかりの、守りの手薄なところを狙ったのだろう。
そうじゃないという人がいるかな。
それならなんで緩衝地帯を、そんな見当はずれのところに設置しようというのか、説明してみてくれ。

今回の越境攻撃は、ゼレンスキーさんのいう通り、捕虜をできるだけたくさん確保して、和平交渉を有利に進めようというのだろう。
国境に配備されていた新兵こそいい迷惑だけど、交換要員として捕まったのなら、それほど心配はいらない。
ついにゼレンスキーさんまで和平のことを考えるようになったのなら、いい傾向だ。
彼らはもうすぐ解放されるに決まっている。
なんでもいいから、さっさとヤメロ、この戦争。

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2024年8月20日 (火)

悩む

小泉さんちの進次郎クンが総裁選に出馬だそうだ。
ホントかよとソースを眺めたら、毎日新聞だった。
朝日新聞ほどひどくはないけど、ここも日本政府の走狗に成り下がったマスコミだから、わたしは信用してないんだけどね。
進次郎クンはまだ若い。
わたしは変人同盟の親父さんが好きだったけど、息子の彼はまだ若すぎて経験も不足だ。
といおうとして、考え直した。

都知事選挙で、ユーチューブの収入で都知事の収入なんか上まわれるといった大馬鹿者がいたけど、いまの日本の政治はわたしみたいな年寄りの常識を超えているのかも知れない。
なるようになれ、いちど落選しても、何度でもやり直しのきくテレビゲームみたいなもんじゃないかね、いまの日本の政治って。
アメリカが混迷なら、西側G7も残らず混迷で、選ぶに悩むのも先進国共通の悩みらしい。
この先がどうなるのか、まだまだ死なずに見てみたいねえ。

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2024年8月19日 (月)

どっちの士気が

ある国が侵略されると、された側の国民は一致団結して侵略者に抵抗する。
ふだんそれほど結束してなかった国でもこういうときは別だ。
スターリンの圧政に苦しんでいたロシアでも、ドイツに侵略されれば国民は団結して侵略者と戦った。
ましてナチスドイツはロシア人をユダヤ人と同等に扱ったから、捕虜になればその場で殺されるということで、ロシア人の抵抗意欲は強かった。

侵略されれば抵抗する。
こういう意識はスラブ人の場合、とくに強かったようだ。
それではロシアとウクライナ(両方ともスラブ人)の場合はどうだろう。
侵略したのは(いちおう)ロシアということになっており、侵略されたのはウクライナというのが西側の統一見解だ。
たしかに戦争の初期には、バイデンさんや、ネオコン女のV・ヌーランドおばさんにそそのかされて、ウクライナの士気は高かったようである。

いまはどうか。
日本人はあまり知らないようだけど、ロシア人だって戦争の推移はちゃんと知っている。
ワグネルのプリゴジンさんが反乱を起こしたとき、事情を知っていたロシア人は国が分裂するのではないかと心配した。
だからこそ彼が兵をまとめて無血撤退すると言いだしたとき、感激のあまり彼のまわりにむらがったのである。
ウクライナ戦争は西側によるロシア包囲戦争で、これに敗北したらロシアもまたウクライナのように、オリガルヒに食いものにされる破綻国家になるしかないことを、多くのロシア人はちゃんと知っている。
同時にプーチン以外に、ロシアをグローバル国家に導ける大統領がいないことも知ってるだろう。

だからロシア軍には愛国心を持った若者たちが、いまでも自主的に志願してくるのに比べ、ウクライナのほうはどうだ。
ウクライナでは国内で無理やり徴兵されて、イヤイヤながら戦場に引っ張り出されてきた兵士ばかりになってしまった。
いったいどっちが士気が高いといえるだろう。
ウクライナでは戦死者の数を公表してないというけど、そんなものはまわりを見れば、となりのおじさんが、あるいは近所の若者が、戦争からもどって来ないということで、いつか自然にわかるものだ。
戦争が長引いて戦死者の数ばかりが積み上がると、領土を割譲しても和平に応じたほうがいいという国民も増えてくる。
西側に伝わってくるその数が30パーセントなら、じっさいにはもう半数を超えているといっていい。
太平洋戦争末期の日本だって、内心では戦争が終わってほしいと考えていた人のほうが、徹底抗戦を叫ぶ軍人なんかよりずっと多かったんだよ。

日曜日があいだに入ってウクライナの戦況が入ってこないけど、ゼレンスキーさんは今回の侵入の目的を、国境に緩衝地帯をつくるためなんていってるそうだ。
緩衝地帯ならなんで見当はずれの場所ではなく、戦場になってる東部4州あたりに作らんのかね。
相手が油断していそうなところを狙ったということが見え見えじゃないか。

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2024年8月18日 (日)

1億総特攻

まるでいまのウクライナを観ているようだった。
昨夜のNHK「1億総特攻への道/特攻隊員4000人、生と死の記録」という番組。
この中に日本軍の司令官が
「いっぺんでも勝とうじゃないか。勝ったところで手を打てば講和の条件も有利になる」といってる。
まるでロシア領内に侵入したウクライナ軍のことをいってるみたい。
時間がたてば掃討されるのはわかっているのに、いちどでいいから攻勢を示して、有利な条件で講和を結ぼうという作戦だ。
しかし負けがこんでいた日本が、けっきょく無条件降伏を呑むしかなかったように、ウクライナもまた若い兵士の死体を積み上げただけで、けっきょく得るものもなしに講和に追い込まれるだろう。

ほかにもこの番組から示唆されたことは多い。
特攻隊のパイロットたちに逃げ道はなかった。
日本中がカルト宗教に冒されていたようなもので、志願しますかと聞かれて、イヤですといえる雰囲気はハナっからなかったのだ。
戦争というのはこういうものだよ。
旗をふってバンザイを叫びながら特攻機を見送る日本人をみると、まるで洗脳された北朝鮮の人々を見るようだ。
いまのウクライナを見るようじゃないか。
いまの日本を見るようでもあるよ。
鈴木宗男さんの発言をとがめる人もいるけど、彼は特攻隊の悲劇を知っていたからこそ、ウクライナ戦争を止めようとしたのだろう。

戦争なんだから一方が勝つのはどうしようもない。
ここでわたしはもういちどいう。
何度でも繰り返す。
ウクライナはオリガルヒ(新興成金)に食い物にされた賄賂漬け国家で、ロシアはプーチンのおかげで民主的なグローバル国家に変貌しつつあった国だ。
いったいどちらが勝ったほうが国民が幸せになるだろう。
この場合の国民というのは、双方ひっくるめての国民ということなんだけどね。

昨夜の特攻隊番組を観ていたら、とうとうNHKが方針を変えて、ウクライナの悲劇を日本の特攻隊になぞらえて、暗に告発する気になったのかと思ってしまったワ。
そうであって欲しいし、そうあるべきだよな。
こういう番組を作っておきながら、どうしてNHKはウクライナを支援して戦争を長引かせようとするのだろう。
まだウクライナに万にひとつでも勝ち目があると思わせるのは、ウクライナの兵士たちにとってひじょうに残酷なことなのに。

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2024年8月17日 (土)

中国の旅/モスクと廟

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翌日は朝食後に其尼瓦克賓館に引っ越した。
わたしは自分の都合のいい時間に飛び込みで宿泊申し込みをすることが多かったけど、チェックイン時間にうるさくないのが、このころの中国のホテルのいいところだった。
最近ヨーロッパのどこかのホテルで、時間まえに押しかけて駄々をこねた中国人が話題になったことがあるけど、自分の国のこういういいかげんなシステムに慣れていたんじゃないかね。

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最近の其尼瓦克賓館がわたしの泊まったころと様子が変わっているということは前項で書いた。
最近の写真には高層の建物ができているけど、わたしが行ったころはなかったと思う。
そこでちょっと雑な仕事だけど、デジタル写真を加工して、強引に高層ビルを消してみた。
そうそうこんな感じで、わたしが泊まったのは右側に見える白い建物だったようだ。
門の両脇の獅子の像もなかったよ。

其尼瓦克賓館では、例によって安い部屋を頼む。
25元の部屋があるといわれたけど、いくらなんでも安すぎると思ったら、これはドミトリー(相部屋)だった。
シングルルームはと尋ねて、120元の部屋に決めた。
サウナまであったけど、もちろんそこでウイグル娘の濃厚なサービスを期待してはならない。
そういうアダルト系はすべて漢族の娘たちが一手に引き受けているのである。

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部屋は3階だった。
エレベーターなんてものはないので、建物の外についていたらせん階段をふうふういって登る。
欧米人の姿がちらほらしていたから、けっこうバックパッカーなどに人気のあるホテルらしい。
ほかにもぞろりとしたパキスタン風衣装の男性が多くて、脊の高い彼らがホテルの玄関あたりにたむろしていると、なんか映画のワンシーンを見ているような迫力がある。
カシュガルまで来れば、もう天山山脈のすぐ向こうは、キルギス、タジキスタン、パキスタン等の中央アジアの国々なのだ。

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其尼瓦克賓館からエイティガールモスクまで、せいぜい5、6百メートルなので、ふらふらと徒歩で出かける(このモスクには何度も出かけたので、わずらわしいからひとつの話にまとめてある)。
モスクの近くに間口2メートルくらいの、ウサギ小屋みたいな店が軒を接している通りがあって、そこでナイフや小粒の金などを売っていた。
金なんか見たって本物かどうかもわからないし、興味もないから、わたしの目的はナイフである。
ナイフは前回の旅でも買ったけど、評判がよかったので、帰国してから他人に上げてしまったのだ。
品物はいちばん奥地のカシュガルがいちばん安いのではないかということで、ここで短刀を2ふり買うことにした。
最初に入った店には白いヒゲのおじいさんがいて、あれ買え、これ買えとうるさい。
となりの店のほうが大振りな品がそろえてあったので、そっちの店で買うことにし、おじいさんにはゴメンナサイと謝ったのに、彼はプンとむくれていた。
なんとなくポーズみたいな気がしたけど。

となりの店でインテリアにふさわしい意匠の、30センチもあるアラビアふうの半月刀を80元で買った。
インテリアにふさわしいといっても、ヒツジののどをかっ切って、その皮をはぐぐらいはお茶のこさいさいって感じだから、実用にもじゅうぶん耐えそうである。
そのあと申し訳ないからヒゲのおじいさんの店にもどり、こちらでは小ぶりの短刀を1本買った。
このあとも何度かエイティガールモスクに通ったので、そのたびにおじいさんはわたしにウインクするようになった。

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べつの日にはエイティガールモスクで、大勢のイスラム教徒が地に頭をつけて祈りのまっ最中だった。
正面の奥に柩のようなものもあったから、誰かの葬式だったらしく、祈っているのはすべて男で、女性や子供ははなれて見ているだけである。
トルコの有名なブルーモスクは観光客にも開放されているけど、カシュガルのこのモスクはいまでもウイグルの冠婚葬祭に利用されていて、一般観光客が中まで立ち入ることは許されてない。

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モスクまえの広場はウルムチで見たような、あいかわらず、すさまじい肉食の宴だ。
ヒツジやヤギの頭蓋骨にむしゃぶりついている人たちを見て、肉のニガ手なわたしは戦慄せざるを得ない。
日本人には縁日のような世界なんだけど、文書よりも写真で紹介しよう。
最近の写真で見ると、このモスクの周辺もわたしが見たときよりは美しくなったようだから、中国政府はウイグルの伝統文化を破壊しているなどと安易にいうべきではない。
モスクの門の下には乞食がたくさんいたけど、美しくなったいまではどうだろう。

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わたしはモスクの人込みの中で、ウイグルの私服警官らしい巨漢が、尻ポケットに拳銃ならぬナイフをしのばせているのを見た。
犯人もナイフを持っていた場合、こりゃそうとうに血なまぐさい格闘になるなと思ったけど、このときの警官はなかなか頼もしそうな人であった。
彼はここではちょいとした著名人らしく、まわりの人々と会釈を交わしながら広場を巡回していた。

いったんホテルにもどると、門を入ったところの建物に旅行社の看板が上がっているのに気がついた。
まだ帰りの列車のチケットを手配してなかったし、ヘタするとまた列車のなか、とうぜん硬座になる可能性ありだから、ここで買えないものか聞いていくことにした。
建物の2階が旅行社の事務所で、ありがたいことにここには日本語のわかる漢族の若者がいて、日曜日の列車のチケットを依頼すると、案ずるより産むがやすしみたいに簡単に用件はすんだ。
つぎにホテルのフロントへ行き、列車が日曜日の夜の23時58分なので、その日の午後10時まで部屋を使えないかと訊いてみると、ダメです、ハーフデイで午後6時までが限度です、そのさい60元かかりますという。
荷物の保管だけはOKだというけど、これじゃ時間つぶしが大変である。

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カシュガルの名所にアパク・ホージャの廟というものがある。
いわれはよく知らないけど、むかしのこのあたりの王様のお妃で、香妃という女性の菩提寺らしい。
自転車でまわるのにふさわしいくらいの距離なので、また自転車を借りてそこへ行ってみた。
わたし以外にも自転車で来ている欧米人が何人かいた。
この墓はタマネギ型の屋根を持ったイスラム様式の建物で、びっしりと貼られた緑色のタイルが、創建当時はさぞ美しかっただろうと思わせる。
ただしわたしが行ったころは、タイルもだいぶ剥げ落ちたり傷ついたりして、土で作られた砂漠の建物の運命をまぬがれてない。
内部には柩がたくさん並べられていたから、いまでもここに安置される遺体があるとみえる。
あとで聞いた話では、ウイグルはすべて土葬だそうである。
しかし人口が増えて、近代的な人間の処理方法が広まってくると、新疆でも土葬は衰退することになるのかも。

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廟のまわりはバラ園になっていた。
わたしの中国人の知り合いが送ってきた写真によると、この廟も、その後まわりが西洋の庭園のような美しい公園になって、面目を一新していた。
あまりむやみに、中国はウイグルの文化を破壊しているなどといわないほうがよい。

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アパク・ホージャからの帰りがけにふと見ると、境内に小さな博物館のようなものがあった。
ウドンを食っていた大柄なウイグルの女性がカギを開けてくれた。
彼女はここの管理人兼説明係で、わたしが日本人であるとわかるとすぐ愛想がよくなった。
少なくとも後からやってきたやかましい中国人たちに対するよりは。
ただし撮影は許してもらえなかった。

館内にはホータンあたりの古墳から発掘されたという、土器や衣服の断片、弓矢などの文物が展示されていた。
鎌倉時代、日本に侵攻してきた蒙古軍は、動物の骨を薄く切って張り合わせた強力な弓を用いていたといい、この博物館に展示されていた弓が、蒙古軍の弓と同種のものである可能性が高かった。
そして1体のミイラ。
ウルムチ博物館のときもそうだったけど、新疆ウイグル自治区ではミイラがスターなのである。
このミイラは非常に身長が大きい。
2000年も前のものだというけど、現代のウイグル人より大きい。
いったいなんという民族だったのですかと質問すると、説明係の女性はなんとかウイグルと答えた(よく聞き取れなかった)。
火葬が普通になれば、現代の人間が2000年後にスターになることもなくなるだろう。

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わたしが行ったころ、カシュガルにはこの博物館しかなかったようだけど、その後の2021年に新しい近代的な博物館がオープンした。
残念ながらわたしがその後にカシュガルを訪問することはなかったから、これを見たことは一度もない。

このあと、バザールの会場というのを下見して、わたしはまた其尼瓦克賓館にもどった。
部屋で買い置きの食事をして、そのあとトイレに行ったら、つまってしまって流れない。
中国のホテルでは、こういうことはよくあるので、服務員のおばさんに窮状を訴えると、吸盤のついた棒を持ち出して、直したげますという。
それはいいけど、自分のウンコを他人に観られるのは恥ずかしいものだ。
自分でやりますといってみたけど、おばさんは強引だった。
ものの4、5分で直りましたといわれたので、そんな必要はないのにチップを上げてしまった。
中国はチップ不要の国である。

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グランパより

咲夜は録画した「グランパの戦争/従軍写真家が残した1千枚」というNHKのドキュメンタリー番組を観ていた。
太平洋戦争に従軍した米国のカメラマンが残した悲惨な戦争写真を、カメラマンの孫娘が日本を訪ねて、写真に撮られた日本のその後のありさまを見てまわるというものなんだけど、なんといったらいいのかねえ。
バカバカしいといったら怒られるか。
似たような内容の映画に「永遠のゼロ」というのがあったね、あまり感心しない映画だったけど。

わたしは団塊の世代なので、戦争こそ知らないものの、若いモンより見たり読んだり体験してきたことは多く、ほかに取り柄のないわたしにとって、それだけが若いモンに自慢できることなんだよ。
この番組の中に出てきたような悲惨な光景はまだまだ生ぬるいのだ。
わたしがじっさいにリアルタイムで見聞きしたベトナム戦争、ボスニア紛争、イラク戦争などをとっても、この番組よりはるかに悲惨な写真や映像がたくさんある(カラーフィルムの時代だから当然だ)。
それだけではなく、戦争の影の部分、戦後に身寄りもないまま放り出された女性や子供たちが、生きるためにどれだけ苦労したかなんてことも知っている。
知らなければ本を読め。
野坂昭如さんの本でも読め。

この番組で描かれていたことなど、いつの時代にもどこの国にでもあった。
女性がレイプされる、戦後は売春婦に身を落として、かっての敵、自分の父や兄を殺した相手に身をささぐなんてこともいくらでもあった。
だからこの番組を観ても感心はしなかった。
バカバカしいと思った最大の理由は、ほかならぬNHKが、言ってることと正反対のことをしているからだ。
もっともらしいことを言いながらNHKは、ウクライナ戦争では戦争を長引かせてスラブ人同士の殺し合いを煽るだけ、イスラエルでもパレスチナに同情するような顔をして、本気でイスラエルに抗議するようなことはいっさいしていない。
とくにパレスチナの虐殺なんか、これほど白黒のはっきりした戦争はないんだから、もっと死にもの狂いで制止したらどうなんだ。

わたしの発言など台風のまえのローソクの火のようなものだろうけど、それでも精いっぱい戦争が繰り返されないよう、ブログで声を張り上げてきた。
さいわいわたしはつぎの戦争を知らずに死ぬだろう。
本来ならこれはキミたちが叫ぶことなんだよ。

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2024年8月16日 (金)

変節

昨日はスーパーの棚にお米がひとつもなく、つくづく日本の流通システムの脆弱さを知らされたというのに、今日はものの試しとまたスーパーに行ってみたら、ちゃんと並んでいた。
やっぱり日本の流通システムは強靭だったと、1日でころりと変節するわたしの節制のなさ。
ところでロシアに侵入したウクライナ軍は、まだボコボコにされてないのか。
目下の関心事はそっちのほう。

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悪魔と救世主

昨日のNHK国際報道にまたアメリカの問題が指摘されていた。
もちろんNHKはアメリカの味方だから、最初から指摘するつもりはないんだけど、結果的にそうなっていたということである。
ひとつ断っておくけど、わたしの意見が正しいというわけじゃない。
しかしNHKの報道はどんな問題でもかならず西側に都合のいい解釈をするから、それではいけない、こういう解釈だって出来るはずだと、わたしはその実例を述べているにすぎない。
両方の言い分をきちんと聞いて、あなたなりの判断をすべきなのだ。

いまアフガニスタンのタリバン政権は苦境にある。
これはタリバンが女性の権利などを認めない非文明的な政策をとって、西側から制裁を受けているからだ。
西側の価値観にそった政策をとれば制裁も解除されるし、先進国と対等に付き合えて、これからは経済もうまくまわり、発展もうまくいくだろう。
というのがアメリカを始めとする西側先進国の主張。

しかしそれをすると、アフガンにできた政権の大半が、アメリカとつるんで汚職や腐敗の温床になる。
もちろんアメリカは、自分のところに都合さえよければ、そういう政権になにもいわない。
そんな西側に支持された腐敗政治を打倒するために現れたのが、そもそもタリバンだったのである。

そうしてタリバンは長い闘争のすえに米国を追い出した。
するとたちまち制裁だ。
アメリカに従わないものはかならず制裁なのだ。
そのうえでざまあみろ、オレたちに逆らえば経済的にうまく行くわけがないのだというのが、アメリカの言い分だ。
アフガンの経済がまわらないのは自分たちが制裁を加えているからで、つまり原因を作って相手を困らせ、相手がギブアップするのを待つ、米国の常套手段である。
アメリカが他国のことを真剣に心配したことは、過去にひとつもないといっていい。

米国を追い出すのにさまざまな勢力が共闘したから、現在のアフガンはまだ寄り合い世帯だ。
中には原理主義者のような頑固なグループもいて、これをうまくなだめながら国の舵取りをするのは簡単ではない。
それでもタリバン政権は少しづつ国を変える努力をしているように見える。
西側の制裁がなければグローバル化ももうすこし早く進んでいたのではないか。
女性の権利だって徐々に開放されていくだろう。
オリンピックなどを見ても、女性のパワーは無視できないというのが、まともな国家の考え方で、頑固な保守政治のイランやサウジアラビアなども、徐々に女性の権利を認めるようになっている。

ここで昨夜のNHKにもどろう。
こういう驕慢な米国にまずい事態が起こり始めた。
中国やロシアの台頭で、アフガニスタンに強力な救世主が現れたのである。
これはなにも直接的な支援を意味しない。
アフガンは、インドのモディさんが始めた両天秤をかけるという手法が使えるようになったということである。
こうなると困るのは米国のほうだ。
制裁をかけると、相手はますます中露に接近する。
日本がアメリカに追従してロシアに制裁をかけたら、おかげで中国に美味しいところをみんな持っていかれたと同じ図式。
アフガンが敵対国にならないようにするためには、米国も本気でアフガンを支援しないわけにはいかなくなってしまったのだ。

ということで、昨夜のNHK国際報道は、ひさしぶりに気持ちのいい内容でありました。

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2024年8月15日 (木)

米騒動

お米がなくなったので、行きつけの、つまりポイントのつくスーパーに買いに行った。
たまげたね。
お米の棚に米の袋がひとつもない。
注意書きがかかっていて、なにか流通に問題アリで米が品切れなんだそうだ。
あわててポイントはつかない、つまりサービスカードの作ってない別のスーパーに行ってみたけど、こちらも品切れになっていた。

台風のせいか、地震のせいか、それともウクライナ戦争の影響なのか、流通に問題アリってのは。
いずれにしても日本の流通システムの脆弱さにあらためて気がつかされた。
これからはかってのトイレットペーパー騒動のように、家庭の主婦たちがお米を買い占めるなんて時代が来るかも。
そうかといって、独身のじいさんが5キロ入りの袋を、予備にふたつもみっつも買っておくほど余裕はない。
ま、じいさんひとりがパンやインスタント麺でしのぐことは不可能じゃないし、昨夜は久しぶりにコンビニに行ってみたら、弁当はちゃんと売っていた。
べつに心配する必要はないみたいだけど、日本の若者たちに敗戦直後のもののない時代を体験させてくれようという、日本政府のあたたかい心づかいなのかねえ。

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2024年8月14日 (水)

中国の旅/ホテル探査

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カシュガル賓館で朝起きたのが8時半ごろ。
さっそく観光に出かけたかというと、ヘソまがりのわたしはなかなかそういうことはしないのだ。
まずカメラを持ってホテルの近所をぶらぶら。

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ホテルのまえは白楊の並木のある通りになっていて、門のわきに立っていると、頭にスカーフをまき、長いワンピースの、あきらかにイスラム教徒とわかる娘たちや、野菜を積んだロバ馬車などがひっきりなしに通る。
ニンニクが収穫期なのか、ロバ馬車をはさんで値段交渉をしている農民と主婦がいた。
こんな光景をながめているだけで退屈しない。

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このあと、まず駅の偵察に行くことにした。
人間が慎重にできているわたしは、いつも帰り便の手配をしてからゆっくり観光をするのだ。
レンタル自転車があればそれでもよかったんだけど、カシュガル賓館にはないというのでまたタクシーをつかまえた。
このときの運転手は無精ヒゲにほほのこけたウイグル人だった。
駅までの道が新しくて広いのはいいけど、駅に着くと、なんと駅前広場に入るのに金をとられた。
駅舎はピカピカなのに、壁に時刻表が貼ってない。
料金表だけは貼ってあり、ウルムチまで硬座が93元、硬臥の上段が185元、中段が192元、下段が199元で、軟臥の上が306元、下が321元だそうだ。
売店で訊いてようやくわかったのは、ウルムチ行きは23時58分の1本だけということだった(ほかにコルラ行きが1本あるらしい)。
距離からするとあいかわらず大安売りだから、値段は納得するけど、切符売り場は閉まっており、これではまたクチャのときと同じ面倒にまきこまれそうな予感がする。

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新華書店が開店している時間だろうと、待たせてあった運転手にそのまま市内まで行ってもらうことにした。
書店で市内の地図はありませんかと訊くと、ウイグルの小姐が「没有=ありません」とひとこと。
ホテルの売店には置いてあったんだけど、7元といわれて高すぎるから断ったのである。
地図はなくても、日本にいるとき街を歩いて本屋に出くわすとかならず足を止めるわたしのことだから、新華書店をじっくり観察してみた。
1階がウイグル図書、2階が中国語(漢字)の図書売場になっていた。
ぜんぜん読めるわけじゃないけど、ウイグルの本には金文字装丁の美しいものがあって、1冊くらい買って帰りたいものだと思った。
しかし西安でアラビア文字のきれいなペナントを買おうとして、仏教徒には売らんといわれたことを思い出して、やめておいた。 

つぎはカシュガル賓館よりマシなホテルがあるかも知れないと、またほかのホテルの偵察である。
このときのタクシー運転手は女性で、ウイグル人には見えないし、漢族でもないというから、それじゃと考えて、コーリャンかと英語で訊いてみた。
そのとおりというから、わたしの知っている朝鮮語で、アンニョンハシムニカと言ってみた。
ぜんぜんわからないようだった。
いろんな民族がいるものだけど、中国国内に住む朝鮮族が、かならず朝鮮語を話すとはかぎらないのである。

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まず「其尼瓦克賓館」へ行ってみた。
このホテルの名前の読み方がわからない。
字引を引くと其はクー、尼はニ、瓦はワ、克はクと読むらしいから、クニワク?
なにかの名前の中国語表記らしいけど、さっぱりわからず、いまでもワカランままだけど、べつに困るわけでもないから放っておく。

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其尼瓦克賓館には高層の建物ができていたけど、わたしが行ったときにそんなものはなかった。
もうひとつ奇妙に思ったのは、同じホテルに「皇家大酒店」と、「其尼瓦克賓館」というべつべつの表示がしてあったことである。
これは合弁や合併の結果かも知れない。
周囲の静けさこそ劣るものの、其尼瓦克賓館はエイティガールモスクまで徒歩でも行ける距離にあるし、なにより1時間2元のレンタル自転車があるという。
これで決まり、翌日引っ越してきますといって、この日は退散することにした。

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このあと念のためもうひとつ「色満賓館」というホテルへ行ってみた。
豊満なオンナの人を連想する名前だけど、カシュガルでは高級なほうのホテルで、其尼瓦克賓館から2キロぐらいしか離れてない。
こちらのホテルはイスラム風というのか、妾をたくさん抱え込んだ王様のハレムみたいで、なかなかユニーク。
ここに載せた4枚組写真はネットで見つけた色満賓館だけど、貧乏旅行者にも対応しているようだ。

庭の木立のあいだをうろうろしていたら、このホテルでは夜になるとウイグル舞踊のショーをやるらしいことがわかった。
しかし外はまだまっ昼間だから出直すことにした。
門のそばで守衛にレンタル自転車はないかと訊くと、自分の自転車を貸すといいだして、1日50元だ、いや40元だという。
車で観光に行かないかともいい、こちらは1日300元だそうだ。

うんざりしてまた其尼瓦克賓館に引き返し、レンタル自転車を借りた。
今日はいちにち自転車でサイクリングだ。
時間は午後1時ぐらいだったけど、1日借りてしまったほうが気楽でいいと、20元払ってこの日の24時まで借りることにした。
このホテルに泊まっているわけではないので押金(保証金)を百元とられた。
自転車は買い物カゴのついたあまり贅沢いえないシロモノである。

自転車でカシュガル賓館にもどり、ザックにカメラやレンズ、フィルムを詰めて、ふたたび出かける。
わたしはサイクリングが大好きである。
半日あれば三鷹市、武蔵野市、府中市を含めたぐらいの範囲をまわるのは不可能じゃない。
それだけあればカシュガルの市街地と、近郊をほとんど見てまわれるし、いったい何が見られるかと、新大陸に乗り込んだダーウィンの心境だ。

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タクシーで町へ出かけるときは門を出て右に行くんだけど、だいたい地理のわかってきたわたしは左へ行ってみた。
まもなく土とレンガの農家ばかりの農村に入り込んだ。
小さな女の子が家のまえに佇んでいたから、いい構図だと思ってカメラを構えたら、気がついて家に引っ込んでしまった。
まだウイグル農民の子女は素朴で恥じらいを知っていた。
ほかにバードウォッチャーとして、カラスやスズメがほとんどおらず、セキレイが目立ったなと、つまらない見聞を。

自転車をこぎ続ける。
これのいい点はぼんやりと思索にふけりながら走れることで、車でそんなことをしたら通行人の2、3人は轢き殺しているかも知れない。
ぐるっと農村をまわって、また市街地の方向へふらふら。

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大きな池のわきに出た。
砂漠の町だから人工の池と思えるけど、ボートも浮かんでいるくらいだから、人々のいい行楽地になっているらしい。
この池の北側に隣接して人民路という大きな通りがあり、例の毛沢東の巨大な像もこの通りに面している。
人民路の北側が古くからある集落で、南側は新しい市街地らしい。
見物するには古い集落のほうがおもしろいけど、このときのわたしはそのままエイティガール寺院の方向へ向かうことにした。
やはりこの町でいちばんおもしろい、つまりウイグル色が濃いのはエイティガールモスクの周辺である。
しかしこの寺院の近くには何度も出かけているので、あとでまとめて報告することにする。

ただの農村やただの町なみを自転車で見てまわって、だいぶくたびれた。
20時ごろ、自転車を返却するために其尼瓦克賓館におもむく。
出かけるとき、カシュガル賓館の服務員たちが踊りの練習をしているのを見た。
近いうち偉い人がこのホテルに宿泊するらしく、その歓迎式の練習だそうだ。
踊っている服務員たちはみんなおそろいのきれいなスカート姿で、若い子ばかり。
わたしの泊まっている建物ではおばさんばかりだ。

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おそろいというのはカラフルな矢がすりに似たパターンのワンピースということである。
このパターンはウイグルの女性のひとつの個性なので、なんというパターンなのだろうと思い、わたしはあちこちで質問してみた。
このときわたしが教わったのは「愛的来丝」という名で、べつのところでは「芦得来其」だと教えられた。
ようするに表意文字の中国では、発音さえ会っていれば書き方はなんだっていいのである。
発音は“アテレス”でいいようだ。

其尼瓦克賓館で自転車を返したあと、色満賓館で行われるという民族舞踊を見に行ってみた。
歩けない距離ではないから、ぶらぶら歩いて色満賓館へ到着したのが21時ごろ。
館内の土産もの売場で尋ねてみると、民族舞踊はこの横の建物でやってますということだったのに、その建物にはカギがかかったままだった。
ふてくされてタクシーをつかまえ、カシュガル賓館にもどる。
部屋のベッドでごろごろしていると、もうまっ暗なのに窓の外で大勢の人が歌うような声、そしてポプラの並木がざわざわとゆれる音がする。
ためしに外へ出てみたら遠くで稲光がしていた。
24時になってもホテル内のバーやレストランは営業中で、ウイグル人たちで繁盛している。
まじめに部屋にとじこもっているのはわたしくらいのものか。

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やっぱりいいたい

ということで、NHKをけなすのは一休みのつもりでいたけど、寝ぼけまなこで録画しておいた国際報道を観てみたら、またひとこと言いたくなった。
ウクライナの軍事専門家が出てきて、今回のクルスク州の侵攻について
『この突然の事態は100%の効果があり、クレムリンは動揺している』
『ロシアの現代史上、ロシアの領土の一部を掌握した外国軍などひとつもなかった』とデタラメ。
彼のいう現代史にはナチスドイツとの戦争は含まれないらしい。
今回のウクライナのとってつけたような侵攻が、ナチスのバルバロッサ作戦より長く領土の一部を掌握できるかどうか、けだし見もの。

そもそもウクライナの軍事専門家になにか喋らせること自体がおかしいんだけど、今回の侵攻の目的が、100%効果があったとか、クレムリンは動揺していると思わせることにあったんじゃないかね。
残念ながらクレムリンもプーチンも動揺なんかしていないぞ。
どこまで無駄なことをすれば気がすむんだと、プーチンはあきれかえっていることだろう。
NHKもあきれたらしく、今回の報道はあっさりしていて、すぐにイランやロヒンギャ難民、政変のあったバングラデシュ、発展いちじるしいカザフスタンの話題に切り替わっちゃった。
全体としてNHKは無理な捏造は承知の上で、西側に協力して、世界を相手にケンカを売る覚悟を固めたように見える。

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ジン

今日はちょっと涼しい昼間の間隙をぬって草むしり。
20メートルほどの、ホウキグサとオシロイバナを植えてある細長い花壇をやっつけて、部屋にもどってジンを飲んで寝てしまった(いま起きたとこ)。
ジンという酒はご存知のとおり、独特の植物の香りがする酒だ。
カクテルに使うのが一般的らしいけど、なぜかあの香りに魅せられて、ストレートで飲むのにハマっている。
もっとも安い酒といっても、ふだん飲んでいた焼酎より度は強いし、ストレートではボトルがからになるペースも激しい。
それで最初の2口、3口はストレートで香りを楽しみ、あとは水で割る。
夏の暑い日に氷を浮かべた水割りの旨いこと。
ああ、呑ん兵衛だった親父も、その血を引いた兄貴もすでになく、弟は寝たきりだし、我が家の伝統をつぐお鉢がわたしにまわってきたのかしらん。

今日はNHKの欺瞞をあばくのも一休みだ。
たまには休んでこころの安寧を求めないと体にわるいや。

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2024年8月13日 (火)

最近の戦況

ウクライナ軍がロシア領内に進出したという報道。
わたしもこの報道に興味を持って、情報を各方面から集めているんだけど、いまいちわからないのが、どの程度の反攻だったのかということ。
戦車や航空機を使った大規模なものだったのか、歩兵の集団によるゲリラ攻撃だったのか。
このブログにも書いたけど、大規模な攻撃を相手に知られずにやれるご時世じゃないから、どんな攻撃だったのかということは、いちばんの関心事なのだ。
その結果、大規模な攻撃だったと書いているのは、ココログのありんくりんサンぐらいで、ほかにそう書いている報道が見当たらない。
あるというひとがいたら、どこのどんな報道なのか、ちょっとコメント欄で教えてほしい。

『ウクライナ、ロシア28集落制圧 侵攻後、最大級の打撃』
これはネットニュースの見出しで、侵攻後、最大級の打撃というのに驚くけど、これはまた言葉のトリックだ。
攻撃されたのはロシアのクルスク州で、このとなりのベルゴロド州は以前にもウクライナ軍の奇襲を受けたことがある。
そのときはウクライナ軍の越境攻撃はマズイというので、自由ロシア軍がやったことにしていたから、ウクライナ正規軍によるロシア領内への侵攻は、じつは今回が初めてじゃないか。
初めてなら占領地域が1000平方キロでも10平方キロでも過去最大になるわけだ。

西側の報道をいくらながめても、どこにも戦車や航空機を使ったとは書いてないから、軍隊同士の戦争ではなく、ゲリラ兵が一般市民の集落を攻撃したということらしい。
ロシア軍が反撃した場合、どれだけ持ちこたえられるかが勝負なんだけど、ウクライナ軍は占領地に塹壕を掘っているという報道もあった。
ないよりマシだけど、塹壕ていどでどのくらいの期間頑張れるだろう。
映像を見るとウクライナ兵が民家の壁に国旗をかかげていた。
またプロパガンダ映像をつくるためにわざわざ出かけたんじゃないかねえ。

そんな無益な作戦をウクライナが実施するだろうか。
しかしこの攻撃の指揮をしているのは、いまや追いつめられてあとがないNATOの軍人だという説もある。
ウクライナだけなら、犬死にだからやめましょうという声が出ても不思議じゃないから、なんとかスラブ人同士の殺し合いを続行させようという、NATOの軍人である可能性は高い。
NATOの軍人なら煽れるだけ煽っておいて、敗色濃厚になったら、さっさと自国に引き上げるという手も使えるのだ。
結果は1週間か2週間もあればわかるはずだから、それを見てから判断すればよい。
注意しなければいけないのは、いま西側のメディアのほとんどが、なんとかウクライナの優勢を印象づけたくて、すこしでもそう解釈できそうな戦況は、針小棒大に報告するということだ。

中東ではあいかわらず殴られたほうに自制を求め、殴ったほうにはおとがめなし。
米国は韓国と共同訓練という報道もあった。
北朝鮮に侵攻のきざしも、その能力もないのに、騒ぐのはいつも米国とG7(とNHK)だけ。
成功していることがあるとすれば、なにがなんでも世界を分断させようというこちら側の試みだけだな。

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2024年8月12日 (月)

オリンピック2024

冥土への一里塚を数えるようになると、若いころ熱中したことにも興味を持てなくなる。
絵を描いてみたり、映像を作ってみたり、そのほか旅行、山登り、映画、音楽、はては体力作りだなんて水泳やランニングにも凝ったことがあるけど、最近はなにもかも虚しくなって、オリンピックを観ようという気もなくなった。
昨夜はニュース9の始まる時間だからとテレビを点けたら、日曜日で休みじゃないか。
そのかわりやっていたのが、鏡優翔ちゃんの女子レスリング。
なんでも女子の最重量級だそうだ。
ついそのまま観ていたら、彼女がポイントを先取して、残り1分になって、こうなると、がんばれ、逃げろ、逃げろと、ひさしぶりに手に汗をにぎってしまったよ。
わたしにもまだマッチを擦れば燃えるモノがあったんだね。

そんなことはまあ、おまけみたいなもので、ニュース9をやっていればレスリングもほとんど関心がなかったに違いない。
だいたい今回のオリンピック、ありゃなんだ。
おとといのNHKサタデー9で、オリンピックを中傷する捏造情報が出回っているから注意しましょうっていってたけど、アナウンサーが最後にいったセリフ。
『今回浮き彫りになった情報工作は、多様性の尊重や平和の祭典といった、オリンピックの理念そのものをゆるがしかねません』
ウームである。
情報工作は、すべてオリンピックから締め出されたロシアがやったものだろうって。
わたしだってもっと若くて、いい画像や映像の加工ソフトが出れば、これは捏造ではなく、ロシアを擁護しようという義憤から、そういうものを作って流すということをやりかねない。
おそらく世間に出まわっている捏造情報というものは、はっきりデタラメとわかる単純なものを除けば、そういう個人が制作したものではないか。
それよりなにより、SNSに出まわっているデタラメ情報の大部分は、西側発信のものであるということだ。
NHKがしれっとしてそんなことをいうのを観ると腹が立つ。

今回のオリンピックぐらい、その理念がゆらいだことはなかった。
原因は自分たちの主義主張に合わないからといって、五輪大国ロシアを排除するという西側の身勝手な理屈、オリンピックを私物化しようというその姿勢にある。
でもまあ、いいか。
かってオリンピックのボイコット問題というのがあったけど、あれはやられたからやり返したというだけで、どっちもどっち。
今回は相手には相手の立場があるということを理解しないで、こちら側の一方的な言い分を押しつけた事件だ。
ウクライナ戦争が終わって10年も経てば、ロシア排除って、あれはいったいなんだったのだということになる。
ボイコットが記録に残っているように、ロシアを参加させなかったというIOCの不名誉は、(オリンピックがあるかぎり)永遠に記録に残るだろう。

SNSの誹謗中傷、性別問題?
そんなもんは知らん。
五輪の規則と改革については若いもんにおまかせして、つぎの五輪まで生きてるのかどうかもわからないじいさんが口を出すことじゃない。

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2024年8月11日 (日)

中国の旅/カシュガル

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カシュガルは中国語(漢字)で書くと“喀什”で、それを中国読みするとカーシーということになる。
でもここではウィキペディアにも載っているカシュガルで行こう。
なんでカシュガルなのかといわれれば、南疆鉄道の終点だったからだ。
新疆にはほかにも行ってみたいところはたくさんあったけど、鉄道旅のわたしにはカシュガルより先には行きようがない。
ホータンまで鉄道が延長されるのは、このときより11年後のことである。

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ウィキでカシュガルについて調べると、『古くからシルクロードの要衝として、またイスラムの拠点都市としても発展』とある。
しかし名所旧跡に興味のないわたしのこと、要衝も拠点都市もどうでもよくて、しいて見たいものを挙げればバザールがある。
わたしはこの旅より12年後にトルコのイスタンブールを旅して、本場のバザールというものを堪能してきたけど、このときはまだ前回のトルファンでそれらしきものを見たっきり。
カシュガルのバザールはもっとずっと規模が大きいと聞いていたから、それを見たいという好奇心がわたしの衝動になっていたのだ。
のんびりゆったりを愛するわたしは、カシュガルに4泊を予定していた。

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カシュガルも当然ながら、ここ20年ほどのあいだに大変貌を遂げていた。
この2枚はネットで見つけた、最近のカシュガル市内の「高台民居」という名所。
わたしが行ったころは高台にある古い町並みだったから、坂道を登るのがおっくうで見逃してしまったけど、その後その古さを逆手にとって、西安の回族居住区のような観光名所にしてしまったようで、中国政府もなかなか頭がいい。
最近のカシュガルについては、2021年にわたしの中国人の知り合いが送ってきた写真もあるので紹介する。

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この4枚組の写真は知り合いのもので、上は上段左から時計まわりに、カシュガル市の遠景、テレビ塔、夜になるとテレビ塔は色が変わるらしい、そして「高台民居」の下の公園。
下も上段左から時計まわりに、「高台民居」の下のウイグルの少女ふたり、関口知宏クンが喜びそうな楽器屋さん、新しいタイプの宿屋、コカコーラやペプシの自販機のまえの漢族観光客。
カシュガルもいまや大都会で、わたしが見たころとは大幅にようすが変わっている。

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カシュガル駅前ではタクシーが行列をしていたた。
ここでもいちばん多いのは日本のシャレードである。
何人かの男に呼びとめられて、そのうちの1人に返事をすると、カシュガル賓館まで10元で行くという。
メーターもついてないし、タクシー表示のない車だったから白タクだけど、安いのだから文句はいえない。
運転手は漢族で、たちまち車内で観光に行かないかと勧誘が始まった。
しかしまだなんの予定もしてないし、まず町をじっくり見るつもりで断った。
彼は、カシュガル賓館か、あれは町から遠いからよくないよという。 
自転車を借りるつもりだからいいのさと、わたしは答える。   
クチャでは行き当たりばったりでロクでもないホテルに飛び込んでしまったから、今度は最初から「地球の歩き方」に出ていた上等そうなホテルにしたのである。

このホテルはいまでもあるのかと調べてみたら、ホテル案内には引っかからなかったから、とっくに近代的なホテルに吸収合併でもされて、建て替えられてしまったのかも知れない。
現在のカシュガルには外資系を含めて、近代的な高層ホテルが乱立しているので、もはや場所もわからなくなってしまった。

カシュガル賓館のフロントでいちばんエラそうなのは清楚な感じの若い娘で、あとで聞いたところでは彼女は漢族、ほかの従業員はほとんどウイグルらしい。
こういう仕組みに対して、外野の日本人の中には反感を持つものもいるかも知れないけど、まだウイグルには近代的ホテルの経営方法はわかってなかっただろう。
服務員の娘たちはおそろいのアテレス(ウイグルを象徴する矢がすりの模様)の制服を着ていた。

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ホテルは2階と3階の4つほどの建物に分かれており、どことなくイスラム様式を感じさせる建物で、敷地内にはバーやレストラン、土産もの店などもあり、庭は広く、町から遠いだけあって静かである。
いちばん高い部屋は1200元なんてものもあるらしいけど、わたしは220元の安い部屋にしてもらった。
わたしの部屋は、悪くはないけど、けっして良くもなかった。
お湯は24時間使えるということなのに、赤茶けた汚水の洗礼を受けてから初めてまともに出た。
しかもシャワーのホースは切れかかっていた。
ベッドもわるくないけど、砂でざらざらする。
しかし部屋の灯かりが明るいのは、夜中にワープロを打つわたしにはありがたい。

時刻はもう21時ごろだったけど、まだ明るかったので、部屋に荷物を置くやいなや町へ飛び出した。
このときのタクシーの運転手はポール・マッカートニーに似たチョビ髭のおとなしそうな若者で、ギルギス人だという。
タクシーのなかで沈黙を保つのに耐えられないわたしは、いつも話のきっかけに運転手の出自を尋ねることにしてるんだけど、新疆ではいろいろな民族が運転手をしているのに気がつかされる。
このときはそれ以上話しのきっかけをつかめず、ビートルズを知ってますかなどとアホな会話をした。

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カシュガルの町のまん中に大きな広場(こういう広場はたいてい人民広場という名称である)があり、そこに巨大な毛沢東の像が立っていた。
いったいウイグル人たちは毛沢東という人間を知っているのだろうか。
この像はいまでもあるのかと調べてみた。
あまり旅行ガイドなどでは紹介されてないけど、中国のウィキペディア「百度」によるといまでもあるようだ。
真上から見るのでわかりにくいけど、3枚並べたうちのいちばん上は衛星写真によるその画像。
地図で見ると毛沢東の像に重なって道路ができているのに、衛星写真ではその道路が見えないから、地下に自動車道路ができているのかも知れない。

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毛沢東の像から500メートルほどはなれた場所に、カシュガルでいちばん大きなエイティガールモスクがある。
1980年のNHK「シルクロード」にも出てきたし、関口知宏クンの「鉄道大紀行」ではこのモスクのまえから実況中継をしていた。
エイティガールモスクについてまたあとで書く。

晩メシがまだだったから、モスクの近くの食堂に入って、烤羊肉(串焼き肉)を食べていくことにした。
そのときついビールを頼んでしまった。
主人が無愛想な顔をして、ないという。
そういうときには近くの酒屋で買ってくるか借りてくるのが普通だけど、まわりを見たらビールを飲んでいる者がひとりもおらず、みんな土瓶に入れたお茶を飲んでいるではないか。
それで気がついたけど、イスラムは酒を飲まないのだ(少なくても昼間っから、モスクのすぐわきでは)。
客はウイグル人ばかりだったけど、みんな唖然としている日本人を見て、なんだか冷たい雰囲気である。
おそらくわたしのことを退廃国家から来た人間以下のクズと思っていたのだろう。
こちらが日本人とわかれば、まずイヤな思いをすることはなかったけど、このときほど呑ん兵衛にとって、悲惨な国に来たと思ったことはなかった。

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この日は人民広場とエイティガールモスクを確認しただけで引き上げた。
帰りのタクシーは漢族の若者で、わたしが4元とハンパしかないよというと、それでいいやという。
タクシーに乗ってばかりいるみたいだけど、4元は日本円で50円ぐらいである。
市内を走行中にウイグルの女性がタクシー運転手をしているのも見た。
民族衣装のままスクーターに乗る女性もいる。
功罪あわせて、カシュガルに中国人の手になる近代化の波が押し寄せているようだった。

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部屋で寝ながら考えた。
といってもこれは旅をしているときではなく、現在の、ウクライナ戦争が始まり、世界が2極化されている2024年に考えたことなんだけど、わたしは不思議に思う。
歴史や事物に興味を持ってシルクロードを旅した日本人は多いはずである。
そうした人たちは中国がどんな国なのか、自分の目で確かめてきたはずではないか。
じっさいウイグルが抑圧されているかどうかも自分の目で見てきたんじゃないか。
台湾有事かなんだか知らないけど、日本がしきりに中国との紛争を煽り立てている現在、どうして中国にもいいところがあると発言する人がいないのだろう。
わたしの旅は名所旧跡には関心を持たず、そのへんの路地や農村ばかり見て歩いている。
のんべんだらりんとした下らない旅行だと思われるかも知れないけど、それでもわたしは中国という国について、ひとつの信念を持つに至った。
わたしの旅が無意味なものだったとは思わない。

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悪あがき

『ウクライナがロシア西部に最大規模の越境攻撃、外交交渉を有利に進める狙い』
今日のネットニュースの見出し。
ウクライナにとっての“バルジ大作戦”だ。

バルジ大作戦というのは、第2次世界大戦でナチスドイツが起死回生の大ばくちを打って、残存兵力をかき集め、最後の反転攻勢に打って出たもので、米国の戦争大作映画になっていて、ドイツ軍の指揮官はあの007の殺し屋グラントを演じたロバート・ショーで・・・・と、そんなことはどうでもいいけど、こんな攻勢に出るということは、負けているほうにもはや勝ち目がなくなった証拠である。
西側(とNHK)の報道によると、ウクライナ軍も成果を上げたとのことだけど、これまでさんざん捏造報道をしてきたメディアのいうことだから、どこまで信用していいのかわからない。
映画では天気のわるい日に戦車を移動して、奇襲に成功するんだけど、現在は監視衛星の時代で、雨が降ろうが霧が立ちこめようが、大軍を隠密利に移動できるもんじゃない。
おそらく衛星で見つけにくい個人の兵士によるゲリラ攻撃で、ロシア軍の掃討作戦が本格的になれば、かんたんに殲滅させられ、侵入した土地も奪い返されるだろう。
映画でもけっきょくドイツ軍は作戦に失敗し、外交交渉を有利に進めるどころではなく、ベルリンまで追いまくられ、最終的に無条件降伏を迫られる。
つまり悪あがきということだね。
これは同時に戦争を煽りまくってきた西側メディアの悪あがきでもある。

ところでオリンピックがやっと終わるな。
こちらでも西側の身勝手な主張ばかり見せられて、わたしはいいかげん疲れた。
オリンピックについて書くのは明日にしよう。

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2024年8月10日 (土)

またありんくりんサン

ココログのありんくりんサンが支離滅裂だ。
今回は長崎市が原爆の記念式典に、イスラエルを呼ばなかったことにケチをつけている。
この問題についてはわたしも注目していたけど、米国や欧州がケシカランというほうがケシカランという日本人のほうが多いようだ。
それなのに、いいのか、そんなに世論に逆らっちゃって。
彼の支離滅裂ぶりを紹介しよう。

彼の文章のなかにこんな文言がある。
「政治的というならば、もはや自治体の手の届かない国際問題にまで発展しているからです」
手が届くかどうか知らないけど、式典を実行したのは日本の自治体で、しかも終わってしまえばそれっきり。
あとは来年までみんな忘れてしまう一過性の問題だ。
あとにしこりが残るというならやってみればいい。
いまの日本と手を切れるG7の国があるか。

米国の大使はユダヤ人であり、長崎市の対応に反発するのは当然だという。
ここでは大使の経歴について1ブロガーと思えないほど詳しいから、ありんくりんサンがどこかの右翼雑誌の端末だろうというわたしの見立ての根拠になる。
米国大使をあげつらうところを見ると、彼も今回の西側の抗議をケシカランと思っているのか。
と思ったら、そのあとに長崎市長をけなす文言が続く。
支離滅裂というのはこのへんをいうんだけどね。

日本政府は、「式典は長崎市主催行事だ。各国外交団の出欠についてコメントする立場にない」といっているそうである。
じっさいには影でいろいろ説得したようだけど、長崎市長は耳を貸さなかった。
「原爆投下国の米国が来ない慰霊式典はありえない以上、米大使が来ないということがわかった時点で『あらゆる国』の参加に切り換えるべきでした」
アメリカが原爆の式典に参加するようになったのは、2010年ごろからで、それ以前は参加してなかったし、そもそも原爆投下の張本人が、式典にいちゃもんをつけるほうがおかしいのだ。

「G7大使が連名で書簡を出し懸念を表明するということ自体、きわめて危険なシグナルです」
おかげで日本は核軍縮のイニシアチブを取れなくなったというんだけど、あんなものはとっくにかたちだけの年中行事になっている。
核軍縮どころかいまの日本は、核武装したくてうずうずしているところじゃないか。
危険なシグナルというのは、核武装に協力してもらえなくなることをいってるのか。

ありんくりんサンのデタラメはとどまるところを知らない。
「パレスチナ自治政府はそもそも国際的に承認された『国』ではありません」
承認されてはいないけど、承認すべきだという国が過半数になっているのだから、ここで“国際的”という言葉を使うのはおかしい。
承認されてない原因は米国が認めないからだということは無視するのか。
「ハマスが去年10月7日に、イスラエル人を大量に虐殺し、人質に取った、これがガザ戦争の発端でした」
そのハマスの戦闘員のなかには、それ以前にイスラエルに両親や子供などを殺された者もたくさんいただろう。
どうしてハマスの攻撃を戦争の発端といいきれるのかね。
「『即時停戦』を求めるならば、当事者双方に書簡を送るべきでしょう」だって。
ハマスのほうはとっくに停戦を求めているのだから、求めるのはイスラエルだけでよくないかい。

もうこのへんでやめておこう。
ありんくりんサンの正体に大勢の人が気づいているはずだから、わたしがこれ以上いっても仕方がない。
NHKの国際ネタがないとき、ありんくりんサンのブログはその代用品になるワ。

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そろそろ

近いうちロシアの猛攻撃が始まるかも。
いままで手加減してきたけど、11月の米国大統領選のまえにカタをつけてしまえと、たしかな根拠があるわけじゃないけど、諸般の事情を鑑みるとそんな気がする。
トランプさんが大統領になればウクライナ戦争を終わらせるという説がある。
しかし気まぐれトランプさんは、なってみなけりゃどっちに転ぶかわからない相手だ。
そんなものをアテにするより、もうロシアだけで決着をつけるべきだと、プーチンが考えてもおかしくない。
なにいってんだ、つい最近もウクライナ軍はロシア領内に攻撃を仕掛けたばかりだという人がいるかな。
それがかえってロシア軍の反攻に火をつけたとしたら。
だいたい戦車、飛行機を繰り出した攻撃ならともかく、歩兵ばかり1000人ほどが領内に侵入しただけでは、ハマスのゲリラ攻撃と大差がない。

これまでロシア軍は、大統領の命令さえあればいつでも大攻勢をかける準備ができていた。
そうしなかったのは、ウクライナ軍にじりじり損害を与えれば、ゼレンスキーさんが和平に応じるかも知れないという期待があったからだ。
しかしゼレンスキーさんはあいかわらず一片の領土も渡さないと言い張るだけ。
そしてロシア領内に攻撃を仕掛けて、勝った勝ったと自慢するだけ。
プーチンも堪忍袋の緒が切れるころだ。
オリンピックの期間中にロシア軍は遊んでいたわけではなく、反攻の準備を整えた。
もう根まわしも済んだ。
アメリカはハリスさんの登場でごたごたしているし、ナガサキに大使を派遣しないなどといって、西側は結束を自ら乱し、いまなら迅速に一致団結しにくい。
よし、やろうとプーチンが決意してもおかしくない。
あ、ぜんぜん根拠のないわたしの見立てだから、ウクライナ応援団はわたしの考えを無視してかまわんですよ。

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2024年8月 9日 (金)

地震

地震ですよー。
いまからテレビを観るところ。
南海トラフが起きてなけりゃいいが。

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あと2日

あと2日。
オリンピックが終わって、いちゃもんの宝庫、ブログネタ満載のNHK国際報道が始まるまで。
おーい、ココログさん、いま親戚から電話があって、みんながわたしのブログを読んでるそうだ。
それなのになんでアクセスが43なんだ?

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2024年8月 8日 (木)

あと3日

あと3日か。
あ、これオリンピックね。
わたしみたいな運動神経ゼロ人間には、やっと終わってくれるかってなもん。
早くまたNHKの、あの欺瞞に満ちた国際報道が再開してくれんかね。
ブログのネタがなくて困ってんだよ、わたしって。

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2024年8月 7日 (水)

仲間割れ

ロシアと同列がケシカランと、英国や米国がナガサキの記念式典に不参加だそうだ。
そりゃそうだ。
ロシアとイスラエルを同列に置くのは間違っている。
ロシアはミサイル1発を撃つにも、相手をよく見て、できるだけ被害が少ないよう配慮する。
イスラエルは相手の被害が多ければ多いほどいいと、兵士も市民も見境なしに殺して殺して殺しまくる。
ミサイル1発について死者の割合を見てみろ。
なんでこの両者を同列に置けるんだ。

今回ばかりは日本政府(長崎県)もいい仕事をした。
参加しないんならウチもBRICSに加盟してしまいますわと、上川のおばさんもそのくらいのことを言ってやるべきだな。
英米が慌てふためくのを見てみたいワ。

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プロパガンダ

昨日のネットニュースにウクライナがプーチンの暗殺を図り、ロシア側が事前に米国に連絡して、これをやめさせたというものがあった。
NHKはほんのちょっぴり触れただけだったけど、この報道は事実だろうか。

およそプーチンはこれまで、自分からプロパガンダを発信することがなかった。
プロパガンダはその90%が西側のもので、ロシアはそもそも宣伝工作なんぞに興味がないようにみえる。
だからロシアがわざわざ発言したということは、これは事実なんだろうと、すこし強引だけど、わたしは考える。
アノNHKがちょっぴりしか報じないのも、ウクライナの卑劣さを報道することになってしまうからであろうと(すこし強引だけど)わたしは思う。
トップをいっきに暗殺していいなら、その居場所をつねにロシアに把握されているゼレンスキーさんなんか、とっくに暗殺されているよ。

今日のネットニュースには
『メキシコ、次期大統領就任式にプーチン氏招待=ロシア紙』というものがあった。
プーチンは行かないだろう。
メキシコは米国のすぐとなりなので、飛行機がミサイルの標的にされる恐れがある。
おまけにメキシコは、アノ西側寄りのICCに加盟しているから、行ったら逮捕しろ、いや国賓だとメキシコ国内が混乱する。
他国に迷惑をかけてまで行くはずがないではないか。
ま、メキシコもBRICSに入りたいみたいだから、撃墜されてもあとがいくらでもいる政務次官ていどを派遣して終わりじゃないかねえ。

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2024年8月 6日 (火)

真綿で首

殴った方にはなにもいわず、殴られたほうに冷静さを求める。
これがいまのイランやヒズボラに対する西側の反応。
中国が挑発に乗るなと制止しているおかげで、もちろんヒズボラにはやり返すつもりはない。
先日ヒズボラが、イスラエルに向けてミサイルを発射したけど、イスラエルによるとすべて撃墜したそうだ。
これはヒズボラ内部やイラン国内の反イスラエル勢力をなだめるもので、どっちにしてもそれ以上、イランにもヒズボラにもイスラエルを攻撃するつもりはなかった。
にもかかわらず、イランの攻撃が迫っているとがなりたてているのはイスラエルとアメリカのほうで、なんとしても危機を煽り立てて、なにがなんでもイランにケンカを吹っかけようというのだ。

我慢にも限界がある。
ヒズボラがどうしても土俵に上がらないとなると、なんとか引っ張り上げたいイスラエルのいやがらせはますます激しくなる。
しかしこれにまともに対応すると、相手は戦術核さえ持っているイスラエルだ。
ここで戦争をするのは得策ではないと、中国がイランを制止するのは、ほうっておいてもアメリカと、それに支援されるイスラエルの凋落はあきらかだからだ。
それまで我慢して、いまはとにかくアンチアメリカと、反イスラエル勢力の力をたくわえましょう。
じわじわと真綿で首を絞めるように、西側を包囲するほうが得ですと、習近平さんはイランをなだめるのに必死。

つい先日は北京にアラブのほとんどの国が集まって、イスラエルを糾弾する北京宣言を採択した。
いまやタイやマレーシアを含む、東南アジアのほとんどの国がBRICS加盟希望で、なにも知らないのはNHKを見せられている日本国民だけ。
これを知ってる日本人がどれだけいるだろう。
気がついたら日本はアジアで孤立していたということもあり得る。
日本はどうする気か。
上川のおばさんはまた役人の書いた原稿を読むしかないのか。
ああ、この国はいったいどこへ漂っていくのかというのが、わたしの目下の関心事。

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2024年8月 5日 (月)

中国の旅/また砂漠

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朝の8時半、右側にはトルファンの火焔山のような山が連なり、左側はまっ平らな一面の砂漠である。
線路と並行に道路が走っていて、車が走っているのも見える。
わたしはいまクチャからカシュガルに向かう南疆鉄道の列車内で、硬臥(2等寝台車)に転がっている。
わたしのベッドは中段で、まわりにウイグルや漢族の顔をした人々がいる。
この人たちもわたしが日本人だと知るとそれぞれ興味を示して、いろいろ話しかけてくるので、おかげで景色を見るヒマがなくて困った。

この車中で見たかぎり、ウイグルも漢族も和気あいあいに見えた。
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わたしは話しかけてきたウイグル男に、となりにいるのは奥さんかと訊いてみた。
いや、ちがう、彼女は漢族だと、ヒゲをはやした彼は答えた。
そういわれてみると、となりの女性がはいているのはイスラムらしからぬミニスカートだった。

9時半ごろ、右側の山並みの向こうに白い山脈があらわれた。
天山山脈だそうで、まわりの人のなかに、ひときわ高い峰を差して、なんとか山だと教えてくれる人もいた。
左側はあいかわらず茫漠とした砂漠が続いていて、記述すべき突起もない。
南疆鉄道はタクラマカン砂漠のへりを、天山山脈に沿って走っているのである。

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列車の窓から国道を車が走っているのをよく見る。
トラックは別として、バスや乗用車は列車より速いものが多い。
砂漠の中の1本道で、対向車もめったにあるわけじゃないから、彼らがやたらにとばすのもわかる。
なにしろだだっ広い空間なので、のんびり走っていたのでは移動しているという実感がないこともあるだろう。
こちらの移動はむしろバスのほうが速いんじゃないか。
ただしわたしは、3、4時間くらいが限度で、それ以上の時間なら、車内を自由に歩きまわったりできる列車のほうがいい。
わたしが行ったころは、車の旅はホコリまみれになるのが相場だったけど、最近では道路もだいぶよくなったみたいで、ストリートビューで高速道路の料金所を見つけた。
東名高速のように通行量が多いわけではないから、採算がとれるのかどうか心配だけど、道路で儲からなくても、新疆の石油や天然ガスを搬送するのに、そんなこといっちゃいられないってことか。

気がつくと、車内にあってもワープロはいつのまにか、細かいホコリのような砂にまみれている。
このころからワープロの調子が悪くなってきた。
叩いたキーのいくつかがすぐ元にもどらないので、簡単な文章を書くのにえらく手間がかかるようになってしまった。
わたしはいったんワープロの使用を中止して、ノートにメモをとることにした。
しかしワープロに慣れたわたしには、これはひじょうに辛い作業で、しかも旅の終わりまでノートがきちんと整理されていた例しがない。

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野焼きの煙がたなびいているオアシスを通過すると、赤い川床の川があり、水が細々と流れ、線路のわきの草むらに少年が、白と黒のヤギを追いかけている。
つまらないことに感心しているようだけど、わたしにとっては至福のときである。
あちこちでタクシーを借り切って遠出をするのも、行った先の名所旧跡に必ずしも興味があるわけではなく、座ってぼんやり景色を眺めているのが楽しいからなのだ。

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9時45分ごろ「客拉玉子液」という、ウイグル語に漢字をあてはめた名前の駅に停車。
交換駅らしく、対向車がくるまでしばらく待たされた。
10時5分にこの駅を発車して、40分ごろアクス(阿克蘇)に着いた。
アクスの手前で、親しくなったウイグル人が、畑の作物をさして、あれは綿花ですと教えてくれた。
そういわれると、わたしは布団ワタになったものは知ってるけど、実をつけた綿花というものをしげしげと見たおぼえがない。
このあたりでは綿花が特産品で、収穫の季節になると、全国から出稼ぎ労働者がやってくるという。
アメリカはいちじ新疆のウイグル人が、強制労働で働かされているなんて難癖をつけていたけど、この地方に米国南部のような奴隷を使う伝統はない。

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アクスでわたしのまわりから上記のウイグル人を含めて、大勢の人が下車していき、列車内は何となくがらんとしてしまった。
そんな車内でしわしわのイヌを連れている男を見た。
「沙皮狗」という種類だそうで、皮膚がたるんで、ほとんど毛のないイヌである。
どこか体の具合が悪そうで、鼻のあたまが乾いていたから、ツバをつけて濡らしてやった。
この男はほかにもカゴに入れた白いネコを2匹連れていたけど、このネコはおどろくほど人間になつきやすかったから、ペットとしての長い歴史を持っているらしい。

どうしてイヌやネコを列車に乗せているのか。
ここが問題だけど、南疆鉄道はまだ半年まえに開通したばかりだ。
この線路の開通で、ウイグル自治区に乗り込んで、素朴な農耕民族のウイグル人に、珍しい品物を売りつけてひと稼ぎしようという漢族の商人も多かったことだろう。
貴重な物品ならまだしも、なかにはウイグルの無知につけこんで、インチキ商品で一攫千金をねらう山師のような商人もいたかも知れない。
わたしの旅から7年後に、新疆でウイグル族の暴動が起こったけど、押しかけた山師たちが、ウイグルの神経をさかなでするような商売をしたんじゃないか。

中国政府は仰天した。
この暴動のあと、中国政府は不正取引を厳重に取り締まり、すべての民族を公平に扱うことを徹底して、少数民族に対してハレモノに触るような扱いをしてきた。
そのせいかどうか、その後に大きな暴動は起こっておらず、なんとか少数民族をなだめることに成功したようである(わたしの2020年のブログ記事を参照のこと)。
いまではウイグルの可愛い子ちゃんまで、日本にやってくる時代なのだ。

車内ががらんとしたのもつかの間、わたしと同じように硬座から移動してきたのか、またたく間に乗客で硬臥もいっぱいになった。
とはいえ、指定席だから通路にあふれるということはない。
わたしの下のベッドに大きなダンボール箱をかつぎこみ、タバコはふかすわ、大声で会話するわという下品な2人連れがやってきたので、閉口したわたしは、アクスを出発すると同時にベットに横になってしまった。
こいつらも前述した山師の仲間だろう。

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目を覚ましたのは14時15分ころで、白っぽい褐色の山が両側に連なっていた。
水を通す遊水トンネルが線路の下のあちこちにあり、舗装道路はあいかわらず右側に並行して走っている。
このあたりで初めて、まだ幼獣を連れた家族らしい7、8頭のラクダの群れを見た。
首輪も鞍もつけてないから野生らしいけど、こんなところで何を食べているのだろう。
そこいらにいくらでも生えているタマリスクを食べられるなら、砂漠も彼らにとって豊穣の土地といえるけど。

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17:15  グランドキャニオンのようなテーブル状の絶壁を見たけれど、この沿線には西部劇でおなじみのメサという地形はあまりないようだ。
17:30  牧草を積んで走るトラクター。
左側の遠方にだいぶ以前からオアシスのようなものが見えるけど、どこまでも続いているところをみると、防砂のためのグリーンベルトかもしれない。
17:40  左側に大きな湖があらわれて、それが線路のすぐわきまで迫っていたから、わたしは水面をじっと覗きこんだ。
湖底が透けて見えるから、水は透明でずっと浅いようであり、藻や水草は見えず、湖畔にアシ、ヨシの類も見られないから、雨が降って一時的に水がたまっただけらしく、これもそのうち干上がる運命かも知れない。
干上がった湖は地表が塩分で白くなっているからすぐわかるのである。

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18:45  細々と流れる川のあるオアシスを通過。
このころから右前方にたくさんの山脈が重なりあって見えてきた。
双眼鏡でのぞくとどうやら峠を越える道があるらしく、扇状地にいくすじもの砂塵が立ち上って、何台もの車が斜面を登っていくのが見えた。
きちんとした道路があるようには見えないけど、山の向こうはキルギスだ。
天山山脈を車で越えるのは、道なき道を行くような、そうとうにハードなドライブになりそうである。

19:00  通過するのに20分もかかるような大きなオアシス。
列車のすぐ横の、とても道路とはいえない河川敷のような道を、タンクローリーが乾いた砂ぼこりを立てながら走っていた。
マッドマックス2に出てくるようなおそろしいポンコツ車で、本来のタンクの上に小さなタンクがチェンでしばりつけてある。
なにをどこへ運ぶのか知らないけど、こればっかりはダイナミックな男の世界だった。

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カシュガルの手前から山は遠ざかり、褐色の小高い丘が連なる地形になって、まるであたりがすべて古代の都市国家の廃墟のようだ。
わたしたちの車両の担当車掌は30代くらいか、髪をおかっぱにしたちょっときれいな人で、仕事ぶりがてきぱきし、態度が堂々としていてカッコよかった。
カシュガルが近づくと彼女は靴のまま中段ベットに足をかけ、上段ベッドのシーツや毛布をばたばたと畳んでいく。
わたしは下からほれぼれしてこれをながめていた。
このあと、これまで見てきたものよりずっと大きく豊かなオアシスが始まって、カシュガルに到着した。
まだ列車がめずらしいのか、農民が仕事の手を休めて列車を見送っていた。

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戦禍の五輪

オリンピックのおかげで国際報道が入って来ないので、録画してあった古いNHKの報道番組を観てみた。
7月7日に録画した「戦禍のオリンピック」という番組で、日本の国際体操連盟の会長である渡辺守成さんに密着した番組だった。
会長さんはウクライナの肩だけを持つわけにはいかないと良識的な立場で、ウクライナの体操選手たちに、来年からロシアの選手も国際大会に出場させるという。
ウクライナ選手の発言がふるっている。
“ダメです”のひとこと。

ロシア人選手との握手を拒否したウクライナの美人フェンシング選手が、ロシアはわたしたちの国の国民を殺しまくっているのです、他国を侵略するような国を認めるわけにはいきませんという。
フェンシングという競技がそもそも貴族のスポーツという感じだから、この選手もウクライナの恵まれた境遇の人なのだろう。
ロシア人選手は国家代表としての出場でないにもかかわらず、こういう物言いだ。
渡辺会長は良識をそなえた人だから、それ以上言って相手を怒らせるようなことはしないけど、ここではわたしが代わりに言おう。

わたし/それではお聞きしますが、クリミア半島を手土産に、NATOに加盟しようとしてロシアを怒らせたのは誰ですか。
美女/そんなことはウクライナの勝手でしよ、他国のやることに干渉しようってほうがいけないのよ。
わたし/戦争のきっかけを作ったのはあなたの国の大統領なんですよ。
むかしソ連がキューバにミサイルを配備しようとしたとき、ケネディ大統領は核戦争も辞さない勢いでこれを阻止しました。
国家にはどうしても譲れない一線というものがあります。
だいたい、なんでそれまで仲良くしていたロシアを怒らせる必要があったんですか。

この選手はキューバ危機のときまだ生まれてなかっただろうから、このへんで目をパチクリすると思われるけど、わたしも美女をいじめるのは好きじゃないのでこのくらいにしておこう。
番組では冒頭から、戦争を続けている国にオリンピック参加の資格はないなどといっていた。
そんならパレスチナで虐殺を続けているイスラエルは、なんで参加できるんだよと、これはみごとなダブルスタンダード。
この件では番組に登場していたパレスチナ人選手のほうがまだ理性的だった。
ウクライナの選手たちにも、一方的な侵略でないことを理解してもらって、また美しい美女たちが互いに相手を讃えあう、そんなオリンピックが見たい。

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2024年8月 4日 (日)

宗男さんの見てきたこと

鈴木宗男さんがまっとうなことをいっていた。
ロシアは停戦に応じる気があるのに、それを拒否しているのはウクライナのゼレンスキーさん(とNHK)だ。
一片の土地も渡さないとごねるゼレンスキーさんと、クリミア半島と東部4州だけ渡せば和平に応じるというプーチンのガチンコ勝負。
さてこのケンカの結末は、ということだけど、まさかいまでもクリミア半島を手に入れれば、ロシアは調子にのって、つぎはヨーロッパ侵攻を企てるという人はいないよね。
いたとしたらそういう大バカ野郎を、このブログは相手にしていないので、文句のある人はコメント欄にその旨を書き込んでくれ。
バカでもわかるように、いつでも説明してあげるから。

クリミア半島と東部4州が和平の条件ということは、わたしもずっといい続けてきた。
戦争のそもそもの原因は、ウクライナがクリミア半島を手土産に、NATOに加わろうとしたこと。
プーチンはこのとき最大限の譲歩をした。
ウクライナ国民の選んだ大統領がそうしたいというなら、NATO加盟は認めよう。
ただしクリミア半島はロシアにとっての生命線だから、あれだけは返してもらうと。

ロシアの大統領としては当然のことなのに、アメリカが口を出して、戦争はいまに至っている。
トランプさんが大統領になれば、彼もわたしと同じ考えみたいだから、やはりクリミア半島を割譲しろというだろう。
それだけでゼレンスキーさんはそのまま大統領を続けられるし、なによりウクライナ兵士の犠牲をこれ以上増やさなくて済むのだ。

なぜいますぐそうしない?
ゼレンスキーさんにとってはつぎの選挙で落選確実、そのまま刑務所行きになりかねないからさ。
イスラエルでやけのヤンパチのネタニヤフさんと似た状況だな。
鈴木宗男さんと同じことを、いったいわたしは何度繰り返しただろう、いや、これからもわたしは何度でもいおう。
それが日本の若者をウクライナ同様の悲劇から救う、ゆいいつの方法と信じてるのだよ。

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2024年8月 3日 (土)

くやしがれ

オリンピックの最中だけど、どうもあまり観る気がしないのよね。
原因は、と考えてみた。
べつに入場行進がロクなもんではなかったとか、開幕セレモニーが異常だったとかということではなく、つまりここ2年ほど、あまりにもNHKの欺瞞に気がつかされたってことだな。
いまではNHKのいうことは、パレスチナ問題や、カマラ・ハリス姉さんのことを含めて、全部信じられなくなってしまった。

だいたいオリンピック大国ロシアを締め出して、そんな五輪になんの価値があるんだ。
ロシアが憎ければ、正々堂々とリングやマットの上で勝負をつければいいではないか。
むかしソ連軍がチェコに侵入したとき、その少しまえに行われた冬季オリンピックのアイスホッケーの試合では、ソ連のおもわくを感じ取っていたチェコの選手たちは、おおやけの場でソ連選手を叩きのめす絶好の機会ということで、試合にかける意気込みが違っていた。
おかげでソ連対チェコのアイスホッケーは、まれにみる熱戦となった。
この試合のようすは映画「白い恋人たち」に記録されて、その主題歌とともに永遠に歴史に刻まれている。

それがなんだ。
始めから相手に対するいやがらせに終始して、これでは観る気もなくなるし、勝ったの負けたのと選手たちが大喜びをしているのがいよいよ虚しい。
高校野球はずっと以前から観る気がしないし、大谷のMLBもすこしマンネリだしな。
でもわたしにはまだ生きがいがある。
こういうNHKの姿勢をブログで追求すること、ウクライナ戦争でプーチンを擁護すること、こんなに血湧き肉躍る趣味って、持ってるじいさんはあまりいないと思う。
えっ、くやしいか。
たんとくやしがれ。

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2024年8月 2日 (金)

中国の旅/再見クチャ

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いささか遅きに失した感があるけど、ここでひとつ告白しておくと、わたしはカン違いをしていた。
中国ではグーグルが使えない、ストリートビューも使えないと思っていて、これまでそれを頼りにしないで紀行記を書いてきたんだけど、クチャで地図をいじくりまわしているうち、ひょんなことからストリートビューも使えることがわかった。
ただし地中海やアフリカのように、道路をビューポイントが網の目のように網羅しているわけではなく、クチャでいえばせいぜい10カ所ぐらいを全方位カメラでのぞけるくらいだ。
たぶんカメラマンが中国に旅行して、勝手に撮影してきたんじゃないか。
それでもぜんぜんないよりマシなので、ここから先は使えるものがあれば、ストリートビューも活用していくことにする。
この項ではその実例をいくつか載せておく。

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残念なのは前項で紹介したキジル石窟のビューポイントで、ここも全方位カメラの写真が観られたのにそれに気がつかなかったことだ。
ここに載せた5枚組の写真が鳩摩羅什さんのそばにあったビューポイントで、マウスを操作することでぐるっと360度を眺めることができる。
わたしのブログでは全方位をのぞくわけにはいかないから、5つに切り分けたけど、パソコンを持っているならグーグルマップで観てみれば、じっさいに現地に行ったことのない人にも、キジル石窟周辺がどうなっているのか立体的にわかる。

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クチャを去る日は朝の5時まえに起きた。
荷物を整えようとすると、前日に出した洗濯物が届いてない。
服務員に尋ねようにも、まだ誰も起きてない。
フロントに行ってみたら玄関にはカギがかかっていて、もちろん外はまだまっ暗だ。
わたしはいったい、今日クチャを出られるのだろうか。
なんとなく南米の小国で、金も仕事もなく、帰国しようにもできずにもがいている男たちを描いた映画「恐怖の報酬」を思い出した。

洗濯ものは予約しておいたタクシーが迎えに来るぎりぎりに返ってきた。
まだいくらかしめっていて、アイロンはかかってなかった。
こういうことは前にもどこかであったなと腹を立てながら、わたしは迎えにきたマイマイティーのタクシーでクチャを後にした。
こんな世界のはずれのような町の一角に黒竜江省から来た娘が働いている、あるいはホテルに人知れず日本語を勉強している異民族の娘がいる、またあるかどうかと運まかせで客を待つ娼婦もいる、驚くべきことではないかという思いをいだいて。

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ただしその後のクチャはたんなる田舎町ではなくなった。
中国政府がこの地域に埋蔵されている地下資源の活用に乗り出し、クチャも資源開発の重要拠点として大改築に乗り出したせいもある。
わたしが行ったころはまだ目に見えた発展はしてなかったけど、その後のクチャは大都会といっていい街に変貌した。
クチャ駅もネットで探すと、わたしが行ったころとは異なる駅舎が見つかる(ということはすでに書いた)。
新しい駅に建て直したんだろうと思い、いろいろ調べてみたけど、南疆鉄道やクチャへ旅した人のブログはいくつもあるのに、駅舎を撮った写真はほとんどない。
2017年にやはりクチャへ旅をした人のブログを見つけたけど、そこに写っていたのはわたしが利用した駅舎のままだったから、それ以降としたら、新しい駅舎の完成はせいぜいこの5、6年というところか。
だれか新疆まで出かけて報告してくれるといいんだけど、ここ数年は新疆に旅する人が少ないようだ。
それがアメリカに追従して中国にケンカを売る日本政府のせいでなければいいけどね。

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駅に着いてみるとまだ切符売り場が閉まったままだった。
マイマイティーがそのへんの人に尋ねて、キップは車内で買うんだと教えてくれた。
ここでひとつ不思議に思ったことを書いておこう。
マイマイティーはウイグル語しか話せない人間で、わたしはウイグル語にまったく無知なのに、このとき彼がいったことはドンピシャリで意味が通じたのである。
こういうことは海外旅行をしているとたまにある。
つまりそのときのタイミングやそぶりで、相手のいうことがテレパシーのようにこちらに伝わるということだ。
切符は車内で買うということが、まったく相手の言葉がわからないはずのわたしによくわかった。

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キップの件は納得したけど、これでは硬座(一般自由席)は決まったようなものだから、あんまり嬉しい状況じゃないなと思う。
案の定わたしが乗り込むころ、硬座は通路までふさがっている塩梅だった。
立ちっぱなしでカシュガルまで13時間、うーんと悩む。
あまり気がすすまないけど、こうなったら外国人特権を行使するしかない。
聞いた話だけど、中国は外国人の旅行者を大切にしていて、多少の無理なら聞いてもらえるらしい(そのかわり自国民はゴミ扱いだ)。

通りかかった車掌をつかまえて、まだ切符を買ってないんだけど、軟臥か硬臥の空席がないだろうかと聞いてみた。
車掌はすぐ、こっちに来なさいとわたしを手招きした。
荷物を持ってついていくと切符の車内販売所で、大勢の乗客がおしあいへしあいしていた。
車掌は強引にわたしを列の先頭に押し込んでしまった。
まわりの人たちは、外国人じゃ仕様がねえやという雰囲気で不平ひとつ言うわけではない。
おかげで、まだ硬座の切符だけど、並ばずに切符を購入することが出来てしまった。
このときの切符は49元で、クチャからカシュガルまで全程705キロと書いてあった。

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切符を手に入れても、強引に座席に割り込むほどの度胸は、わたしにはない。
あきらめて走り出した列車の連結通路で軍人たちと片言の立ち話をしていると、また車掌が呼びにきた。
車掌に連れられて行った席には、2人分の席を占領して寝ている男がいた。
どうなるかと見ていると、車掌はいきなり男の枕元を蹴っ飛ばし、起きろと叫んだ。
おいおいおいである。
寝ていたのはヒゲもじゃの雲助みたいな大男で、車掌は肝っ玉母さんみたいだけど、いちおう女性なのである。
しかし、つくづく思ったけど、中国の車掌の権限は絶大なものだ。
男は不承不承で、おとなしくわたしに席を開けてくれた。

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居心地はわるいけど、座席を確保したわたしにはまだ申し訳ない気持ちがある。
連結通路には赤ん坊をかかえたウイグルの母親もいたというのに、外国人のわたしは大きな顔をして座っているのだから。
わたしを驕慢な日本人と責めるのは簡単だけど、あなたなら13時間、列車で立ちっぱなしに耐えられるかどうか聞きたいね。

日本人がきたというので、硬座席の人たちは大喜びである。
座ってすぐに話しかけてきた老人に日本人ですというと、おおいに喜んで、自己紹介を始めた。
65歳の漢族であるという。
まわりの人々がどんどんわたしのまわりに集まり始めた。
関口知宏クンの鉄道旅行にやらせじゃねえかという人がいたらしいけど、まったくそんなことはない。
現在はどうか知らないけど、わたしが旅をした2000年に日本人が中国の辺境を旅するのは、イザベラ・バードの日本旅行のようなものだったのだ。

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大勢の中国人にかこまれて、これこれかくかくしかじかと片言の日本語教室を開いていると、まもなくまた車掌がやってきた。
硬臥でよければベッドがひとつ空いたぞ、寝ながら行けるほうがいいだろうという。
それはまあ、そのとおり。
せっかく仲良くなったまわりの人たちと別れて、わたしはまた車内移動である。
硬臥であってもまだ10時間以上ある立ちっぱなしから救われたのだし、安心して写真を撮ったり、ワープロを打つこともできるし、他人に気兼ねなしに横になれるのだ。
どこでも怠惰なわたしにとって、横になれるというのがいちばん大きいかも。
わたしが新しい座席におちついてすぐ、硬座で最初に話かけてきた老人が、わたしの忘れたペットボトルを届けにきた。
一般人民はみんな親切な人たちばかりなのである。

さあ、また砂漠の旅の始まりだ。
クチャからカシュガルまで、わたしはどんな景色を眺めることになるのだろう。

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逆効果

今日は逆効果ということについて書こう。
SNSをながめると、現在のロシアや中国には、国民が指導者を見限っているという報道がいくつも見つかる。
なんとか国内の造反をねらって、アンチ露、アンチ中が勝手なことをいってるんだろうけど、こんなことをすれば逆効果だ。
たとえばプーチンはロシア国民から7〜8割の支持を受けていて、国民もいま自分の国が西側先進国からさまざまな圧力を受けていることを知っている。
圧力に屈したらどうなるかも知っているだろう。
スターリンは残忍な指導者だったけど、それでもドイツから攻められると、国民は一致団結して抵抗した。
外国から圧力が加えられれば、その国の国民がますます団結することは目にみえているではないか。

こういうのを逆効果というのだ。
おかげでプーチンも習近平さんも、労せずして国民の統一を計れるわけだ。
だから止めたほうがいいよとはいわない。
止めたら西側には、相手にケチをつける材料がなくなってしまう。
負け惜しみやいやがらせしかうっぷんを晴らす方法がないのだから、頑張って好き勝手な情報を流しなさい。

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2024年8月 1日 (木)

またありんくりんサン

オリンピックでNHKがそっちに熱中してネタ不足のとき、その代わりとなるのが「ありんくりん」サン。
あまり聞きなれない“エネルギー・ドミナンス”なんて言葉を持ち出して、読者を煙にまこうとしているけど、またしてもカルト宗教の本領発揮だ。
今回の記事では、いったいトランプさんの味方なのか、バイデン=ハリス陣営に勝ってもらいたいのか、結論がさっぱりわからない。

わたしが見たところ、トランプさんもバイデンさんも、エネルギーや環境問題について無知なことはいっしょだ。
バイデンさんの後釜のハリスさんはまだわからないけど、こちらもあまり期待はできない。
もと大統領候補だったゴアさんを除けば、いったいアメリカに本気で環境問題を勉強した政治家がいるんだろうか。
トランプさんは単純無知だけど、バイデンさんは選挙に勝つまで温暖化阻止をうたっていて、勝ったとたんに兆がつく金額、温暖化対策につかえばもっと使い道のあったはずの金を、汚職大国ウクライナに注ぎ込んだ(注ぎ込んだ金の一部は献金という名目でバイデンさんにもどってくる)。
アメリカのリベラルな学生たちが失望したのは、まだつい最近のことじゃないか。

ありんくりんサンは中国が世界最大のCO2排出国だといっている。
同様のことを以前にも書いていたけど、これはおかしい。
中国とアメリカでは人口が違うので、人口比で考えれば、世界一はアメリカである。
つまり中国の人口の1/3しかないアメリカが、中国の半分のCO2を排出しているということだ。
こういう言葉のごまかしはカルト宗教の常套手段だから注意をしたほうがいい。
ちなみに日本は中国の1/10の人口で、CO2の排出もほぼ1/10だから、同レベルにある。

まだある。
アメリカが映画「ジャイアンツ」で描かれたように、テキサスの油田ブームに沸いたのは1900年代の初頭だ。
それから100年ほどで、アメリカは通常の石油を採算がとれないくらい掘り尽くして、石油輸入国に転落した。
いまシュールガスという新しい石油(天然ガス)掘削技術が開発されて、アメリカはまた石油大国に返り咲いたけど、しかし考えてほしい。
シュールガスはないものを無理やり絞るようなもので、これを掘り尽くしたら、もうあとはないのだ。
米国が掘り尽くすまで、また100年も余裕があるだろうか。
さらにシュールガス掘削は、環境や水質、地球温暖化などにひどい悪影響をもたらすといわれ、けっして自慢できるものではない。

中国はシュールガスの埋蔵量でも世界一だけど、まだそのほとんどに手をつけておらず、CO2削減のためにEV(電気自動車)に力をそそいでいる。
現時点では電気は石油に変わるエネルギーにはなり得ないけど、たとえば将来、核融合発電や太陽光から直接エネルギーを取り出すような技術が発明されても、EVの技術は役に立つ。
少しでもCO2を減らそうという中国の努力を、無知な右翼サイトが馬鹿にするもんじゃない。

わたしだっていちいちありんくりんサンに難癖をつけたいわけじゃないけど、彼のブログは、データやグラフを多用し、聞きなれない言葉を駆使して、一読すると事実ではないかと思えてしまう。
これがカルトというものなんだけど、若者たちに与える影響も大きいだろうから、わたしとしてはいちゃもんをつけないわけにはいかないのだよ。

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