中国の旅/また砂漠
朝の8時半、右側にはトルファンの火焔山のような山が連なり、左側はまっ平らな一面の砂漠である。
線路と並行に道路が走っていて、車が走っているのも見える。
わたしはいまクチャからカシュガルに向かう南疆鉄道の列車内で、硬臥(2等寝台車)に転がっている。
わたしのベッドは中段で、まわりにウイグルや漢族の顔をした人々がいる。
この人たちもわたしが日本人だと知るとそれぞれ興味を示して、いろいろ話しかけてくるので、おかげで景色を見るヒマがなくて困った。
この車中で見たかぎり、ウイグルも漢族も和気あいあいに見えた。
わたしは話しかけてきたウイグル男に、となりにいるのは奥さんかと訊いてみた。
いや、ちがう、彼女は漢族だと、ヒゲをはやした彼は答えた。
そういわれてみると、となりの女性がはいているのはイスラムらしからぬミニスカートだった。
9時半ごろ、右側の山並みの向こうに白い山脈があらわれた。
天山山脈だそうで、まわりの人のなかに、ひときわ高い峰を差して、なんとか山だと教えてくれる人もいた。
左側はあいかわらず茫漠とした砂漠が続いていて、記述すべき突起もない。
南疆鉄道はタクラマカン砂漠のへりを、天山山脈に沿って走っているのである。
列車の窓から国道を車が走っているのをよく見る。
トラックは別として、バスや乗用車は列車より速いものが多い。
砂漠の中の1本道で、対向車もめったにあるわけじゃないから、彼らがやたらにとばすのもわかる。
なにしろだだっ広い空間なので、のんびり走っていたのでは移動しているという実感がないこともあるだろう。
こちらの移動はむしろバスのほうが速いんじゃないか。
ただしわたしは、3、4時間くらいが限度で、それ以上の時間なら、車内を自由に歩きまわったりできる列車のほうがいい。
わたしが行ったころは、車の旅はホコリまみれになるのが相場だったけど、最近では道路もだいぶよくなったみたいで、ストリートビューで高速道路の料金所を見つけた。
東名高速のように通行量が多いわけではないから、採算がとれるのかどうか心配だけど、道路で儲からなくても、新疆の石油や天然ガスを搬送するのに、そんなこといっちゃいられないってことか。
気がつくと、車内にあってもワープロはいつのまにか、細かいホコリのような砂にまみれている。
このころからワープロの調子が悪くなってきた。
叩いたキーのいくつかがすぐ元にもどらないので、簡単な文章を書くのにえらく手間がかかるようになってしまった。
わたしはいったんワープロの使用を中止して、ノートにメモをとることにした。
しかしワープロに慣れたわたしには、これはひじょうに辛い作業で、しかも旅の終わりまでノートがきちんと整理されていた例しがない。
野焼きの煙がたなびいているオアシスを通過すると、赤い川床の川があり、水が細々と流れ、線路のわきの草むらに少年が、白と黒のヤギを追いかけている。
つまらないことに感心しているようだけど、わたしにとっては至福のときである。
あちこちでタクシーを借り切って遠出をするのも、行った先の名所旧跡に必ずしも興味があるわけではなく、座ってぼんやり景色を眺めているのが楽しいからなのだ。
9時45分ごろ「客拉玉子液」という、ウイグル語に漢字をあてはめた名前の駅に停車。
交換駅らしく、対向車がくるまでしばらく待たされた。
10時5分にこの駅を発車して、40分ごろアクス(阿克蘇)に着いた。
アクスの手前で、親しくなったウイグル人が、畑の作物をさして、あれは綿花ですと教えてくれた。
そういわれると、わたしは布団ワタになったものは知ってるけど、実をつけた綿花というものをしげしげと見たおぼえがない。
このあたりでは綿花が特産品で、収穫の季節になると、全国から出稼ぎ労働者がやってくるという。
アメリカはいちじ新疆のウイグル人が、強制労働で働かされているなんて難癖をつけていたけど、この地方に米国南部のような奴隷を使う伝統はない。
アクスでわたしのまわりから上記のウイグル人を含めて、大勢の人が下車していき、列車内は何となくがらんとしてしまった。
そんな車内でしわしわのイヌを連れている男を見た。
「沙皮狗」という種類だそうで、皮膚がたるんで、ほとんど毛のないイヌである。
どこか体の具合が悪そうで、鼻のあたまが乾いていたから、ツバをつけて濡らしてやった。
この男はほかにもカゴに入れた白いネコを2匹連れていたけど、このネコはおどろくほど人間になつきやすかったから、ペットとしての長い歴史を持っているらしい。
どうしてイヌやネコを列車に乗せているのか。
ここが問題だけど、南疆鉄道はまだ半年まえに開通したばかりだ。
この線路の開通で、ウイグル自治区に乗り込んで、素朴な農耕民族のウイグル人に、珍しい品物を売りつけてひと稼ぎしようという漢族の商人も多かったことだろう。
貴重な物品ならまだしも、なかにはウイグルの無知につけこんで、インチキ商品で一攫千金をねらう山師のような商人もいたかも知れない。
わたしの旅から7年後に、新疆でウイグル族の暴動が起こったけど、押しかけた山師たちが、ウイグルの神経をさかなでするような商売をしたんじゃないか。
中国政府は仰天した。
この暴動のあと、中国政府は不正取引を厳重に取り締まり、すべての民族を公平に扱うことを徹底して、少数民族に対してハレモノに触るような扱いをしてきた。
そのせいかどうか、その後に大きな暴動は起こっておらず、なんとか少数民族をなだめることに成功したようである(わたしの2020年のブログ記事を参照のこと)。
いまではウイグルの可愛い子ちゃんまで、日本にやってくる時代なのだ。
車内ががらんとしたのもつかの間、わたしと同じように硬座から移動してきたのか、またたく間に乗客で硬臥もいっぱいになった。
とはいえ、指定席だから通路にあふれるということはない。
わたしの下のベッドに大きなダンボール箱をかつぎこみ、タバコはふかすわ、大声で会話するわという下品な2人連れがやってきたので、閉口したわたしは、アクスを出発すると同時にベットに横になってしまった。
こいつらも前述した山師の仲間だろう。
目を覚ましたのは14時15分ころで、白っぽい褐色の山が両側に連なっていた。
水を通す遊水トンネルが線路の下のあちこちにあり、舗装道路はあいかわらず右側に並行して走っている。
このあたりで初めて、まだ幼獣を連れた家族らしい7、8頭のラクダの群れを見た。
首輪も鞍もつけてないから野生らしいけど、こんなところで何を食べているのだろう。
そこいらにいくらでも生えているタマリスクを食べられるなら、砂漠も彼らにとって豊穣の土地といえるけど。
17:15 グランドキャニオンのようなテーブル状の絶壁を見たけれど、この沿線には西部劇でおなじみのメサという地形はあまりないようだ。
17:30 牧草を積んで走るトラクター。
左側の遠方にだいぶ以前からオアシスのようなものが見えるけど、どこまでも続いているところをみると、防砂のためのグリーンベルトかもしれない。
17:40 左側に大きな湖があらわれて、それが線路のすぐわきまで迫っていたから、わたしは水面をじっと覗きこんだ。
湖底が透けて見えるから、水は透明でずっと浅いようであり、藻や水草は見えず、湖畔にアシ、ヨシの類も見られないから、雨が降って一時的に水がたまっただけらしく、これもそのうち干上がる運命かも知れない。
干上がった湖は地表が塩分で白くなっているからすぐわかるのである。
18:45 細々と流れる川のあるオアシスを通過。
このころから右前方にたくさんの山脈が重なりあって見えてきた。
双眼鏡でのぞくとどうやら峠を越える道があるらしく、扇状地にいくすじもの砂塵が立ち上って、何台もの車が斜面を登っていくのが見えた。
きちんとした道路があるようには見えないけど、山の向こうはキルギスだ。
天山山脈を車で越えるのは、道なき道を行くような、そうとうにハードなドライブになりそうである。
19:00 通過するのに20分もかかるような大きなオアシス。
列車のすぐ横の、とても道路とはいえない河川敷のような道を、タンクローリーが乾いた砂ぼこりを立てながら走っていた。
マッドマックス2に出てくるようなおそろしいポンコツ車で、本来のタンクの上に小さなタンクがチェンでしばりつけてある。
なにをどこへ運ぶのか知らないけど、こればっかりはダイナミックな男の世界だった。
カシュガルの手前から山は遠ざかり、褐色の小高い丘が連なる地形になって、まるであたりがすべて古代の都市国家の廃墟のようだ。
わたしたちの車両の担当車掌は30代くらいか、髪をおかっぱにしたちょっときれいな人で、仕事ぶりがてきぱきし、態度が堂々としていてカッコよかった。
カシュガルが近づくと彼女は靴のまま中段ベットに足をかけ、上段ベッドのシーツや毛布をばたばたと畳んでいく。
わたしは下からほれぼれしてこれをながめていた。
このあと、これまで見てきたものよりずっと大きく豊かなオアシスが始まって、カシュガルに到着した。
まだ列車がめずらしいのか、農民が仕事の手を休めて列車を見送っていた。
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