中国の旅/ホテル探査
カシュガル賓館で朝起きたのが8時半ごろ。
さっそく観光に出かけたかというと、ヘソまがりのわたしはなかなかそういうことはしないのだ。
まずカメラを持ってホテルの近所をぶらぶら。
ホテルのまえは白楊の並木のある通りになっていて、門のわきに立っていると、頭にスカーフをまき、長いワンピースの、あきらかにイスラム教徒とわかる娘たちや、野菜を積んだロバ馬車などがひっきりなしに通る。
ニンニクが収穫期なのか、ロバ馬車をはさんで値段交渉をしている農民と主婦がいた。
こんな光景をながめているだけで退屈しない。
このあと、まず駅の偵察に行くことにした。
人間が慎重にできているわたしは、いつも帰り便の手配をしてからゆっくり観光をするのだ。
レンタル自転車があればそれでもよかったんだけど、カシュガル賓館にはないというのでまたタクシーをつかまえた。
このときの運転手は無精ヒゲにほほのこけたウイグル人だった。
駅までの道が新しくて広いのはいいけど、駅に着くと、なんと駅前広場に入るのに金をとられた。
駅舎はピカピカなのに、壁に時刻表が貼ってない。
料金表だけは貼ってあり、ウルムチまで硬座が93元、硬臥の上段が185元、中段が192元、下段が199元で、軟臥の上が306元、下が321元だそうだ。
売店で訊いてようやくわかったのは、ウルムチ行きは23時58分の1本だけということだった(ほかにコルラ行きが1本あるらしい)。
距離からするとあいかわらず大安売りだから、値段は納得するけど、切符売り場は閉まっており、これではまたクチャのときと同じ面倒にまきこまれそうな予感がする。
新華書店が開店している時間だろうと、待たせてあった運転手にそのまま市内まで行ってもらうことにした。
書店で市内の地図はありませんかと訊くと、ウイグルの小姐が「没有=ありません」とひとこと。
ホテルの売店には置いてあったんだけど、7元といわれて高すぎるから断ったのである。
地図はなくても、日本にいるとき街を歩いて本屋に出くわすとかならず足を止めるわたしのことだから、新華書店をじっくり観察してみた。
1階がウイグル図書、2階が中国語(漢字)の図書売場になっていた。
ぜんぜん読めるわけじゃないけど、ウイグルの本には金文字装丁の美しいものがあって、1冊くらい買って帰りたいものだと思った。
しかし西安でアラビア文字のきれいなペナントを買おうとして、仏教徒には売らんといわれたことを思い出して、やめておいた。
つぎはカシュガル賓館よりマシなホテルがあるかも知れないと、またほかのホテルの偵察である。
このときのタクシー運転手は女性で、ウイグル人には見えないし、漢族でもないというから、それじゃと考えて、コーリャンかと英語で訊いてみた。
そのとおりというから、わたしの知っている朝鮮語で、アンニョンハシムニカと言ってみた。
ぜんぜんわからないようだった。
いろんな民族がいるものだけど、中国国内に住む朝鮮族が、かならず朝鮮語を話すとはかぎらないのである。
まず「其尼瓦克賓館」へ行ってみた。
このホテルの名前の読み方がわからない。
字引を引くと其はクー、尼はニ、瓦はワ、克はクと読むらしいから、クニワク?
なにかの名前の中国語表記らしいけど、さっぱりわからず、いまでもワカランままだけど、べつに困るわけでもないから放っておく。
其尼瓦克賓館には高層の建物ができていたけど、わたしが行ったときにそんなものはなかった。
もうひとつ奇妙に思ったのは、同じホテルに「皇家大酒店」と、「其尼瓦克賓館」というべつべつの表示がしてあったことである。
これは合弁や合併の結果かも知れない。
周囲の静けさこそ劣るものの、其尼瓦克賓館はエイティガールモスクまで徒歩でも行ける距離にあるし、なにより1時間2元のレンタル自転車があるという。
これで決まり、翌日引っ越してきますといって、この日は退散することにした。
このあと念のためもうひとつ「色満賓館」というホテルへ行ってみた。
豊満なオンナの人を連想する名前だけど、カシュガルでは高級なほうのホテルで、其尼瓦克賓館から2キロぐらいしか離れてない。
こちらのホテルはイスラム風というのか、妾をたくさん抱え込んだ王様のハレムみたいで、なかなかユニーク。
ここに載せた4枚組写真はネットで見つけた色満賓館だけど、貧乏旅行者にも対応しているようだ。
庭の木立のあいだをうろうろしていたら、このホテルでは夜になるとウイグル舞踊のショーをやるらしいことがわかった。
しかし外はまだまっ昼間だから出直すことにした。
門のそばで守衛にレンタル自転車はないかと訊くと、自分の自転車を貸すといいだして、1日50元だ、いや40元だという。
車で観光に行かないかともいい、こちらは1日300元だそうだ。
うんざりしてまた其尼瓦克賓館に引き返し、レンタル自転車を借りた。
今日はいちにち自転車でサイクリングだ。
時間は午後1時ぐらいだったけど、1日借りてしまったほうが気楽でいいと、20元払ってこの日の24時まで借りることにした。
このホテルに泊まっているわけではないので押金(保証金)を百元とられた。
自転車は買い物カゴのついたあまり贅沢いえないシロモノである。
自転車でカシュガル賓館にもどり、ザックにカメラやレンズ、フィルムを詰めて、ふたたび出かける。
わたしはサイクリングが大好きである。
半日あれば三鷹市、武蔵野市、府中市を含めたぐらいの範囲をまわるのは不可能じゃない。
それだけあればカシュガルの市街地と、近郊をほとんど見てまわれるし、いったい何が見られるかと、新大陸に乗り込んだダーウィンの心境だ。
タクシーで町へ出かけるときは門を出て右に行くんだけど、だいたい地理のわかってきたわたしは左へ行ってみた。
まもなく土とレンガの農家ばかりの農村に入り込んだ。
小さな女の子が家のまえに佇んでいたから、いい構図だと思ってカメラを構えたら、気がついて家に引っ込んでしまった。
まだウイグル農民の子女は素朴で恥じらいを知っていた。
ほかにバードウォッチャーとして、カラスやスズメがほとんどおらず、セキレイが目立ったなと、つまらない見聞を。
自転車をこぎ続ける。
これのいい点はぼんやりと思索にふけりながら走れることで、車でそんなことをしたら通行人の2、3人は轢き殺しているかも知れない。
ぐるっと農村をまわって、また市街地の方向へふらふら。
大きな池のわきに出た。
砂漠の町だから人工の池と思えるけど、ボートも浮かんでいるくらいだから、人々のいい行楽地になっているらしい。
この池の北側に隣接して人民路という大きな通りがあり、例の毛沢東の巨大な像もこの通りに面している。
人民路の北側が古くからある集落で、南側は新しい市街地らしい。
見物するには古い集落のほうがおもしろいけど、このときのわたしはそのままエイティガール寺院の方向へ向かうことにした。
やはりこの町でいちばんおもしろい、つまりウイグル色が濃いのはエイティガールモスクの周辺である。
しかしこの寺院の近くには何度も出かけているので、あとでまとめて報告することにする。
ただの農村やただの町なみを自転車で見てまわって、だいぶくたびれた。
20時ごろ、自転車を返却するために其尼瓦克賓館におもむく。
出かけるとき、カシュガル賓館の服務員たちが踊りの練習をしているのを見た。
近いうち偉い人がこのホテルに宿泊するらしく、その歓迎式の練習だそうだ。
踊っている服務員たちはみんなおそろいのきれいなスカート姿で、若い子ばかり。
わたしの泊まっている建物ではおばさんばかりだ。
おそろいというのはカラフルな矢がすりに似たパターンのワンピースということである。
このパターンはウイグルの女性のひとつの個性なので、なんというパターンなのだろうと思い、わたしはあちこちで質問してみた。
このときわたしが教わったのは「愛的来丝」という名で、べつのところでは「芦得来其」だと教えられた。
ようするに表意文字の中国では、発音さえ会っていれば書き方はなんだっていいのである。
発音は“アテレス”でいいようだ。
其尼瓦克賓館で自転車を返したあと、色満賓館で行われるという民族舞踊を見に行ってみた。
歩けない距離ではないから、ぶらぶら歩いて色満賓館へ到着したのが21時ごろ。
館内の土産もの売場で尋ねてみると、民族舞踊はこの横の建物でやってますということだったのに、その建物にはカギがかかったままだった。
ふてくされてタクシーをつかまえ、カシュガル賓館にもどる。
部屋のベッドでごろごろしていると、もうまっ暗なのに窓の外で大勢の人が歌うような声、そしてポプラの並木がざわざわとゆれる音がする。
ためしに外へ出てみたら遠くで稲光がしていた。
24時になってもホテル内のバーやレストランは営業中で、ウイグル人たちで繁盛している。
まじめに部屋にとじこもっているのはわたしくらいのものか。
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