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2024年8月 2日 (金)

中国の旅/再見クチャ

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いささか遅きに失した感があるけど、ここでひとつ告白しておくと、わたしはカン違いをしていた。
中国ではグーグルが使えない、ストリートビューも使えないと思っていて、これまでそれを頼りにしないで紀行記を書いてきたんだけど、クチャで地図をいじくりまわしているうち、ひょんなことからストリートビューも使えることがわかった。
ただし地中海やアフリカのように、道路をビューポイントが網の目のように網羅しているわけではなく、クチャでいえばせいぜい10カ所ぐらいを全方位カメラでのぞけるくらいだ。
たぶんカメラマンが中国に旅行して、勝手に撮影してきたんじゃないか。
それでもぜんぜんないよりマシなので、ここから先は使えるものがあれば、ストリートビューも活用していくことにする。
この項ではその実例をいくつか載せておく。

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残念なのは前項で紹介したキジル石窟のビューポイントで、ここも全方位カメラの写真が観られたのにそれに気がつかなかったことだ。
ここに載せた5枚組の写真が鳩摩羅什さんのそばにあったビューポイントで、マウスを操作することでぐるっと360度を眺めることができる。
わたしのブログでは全方位をのぞくわけにはいかないから、5つに切り分けたけど、パソコンを持っているならグーグルマップで観てみれば、じっさいに現地に行ったことのない人にも、キジル石窟周辺がどうなっているのか立体的にわかる。

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クチャを去る日は朝の5時まえに起きた。
荷物を整えようとすると、前日に出した洗濯物が届いてない。
服務員に尋ねようにも、まだ誰も起きてない。
フロントに行ってみたら玄関にはカギがかかっていて、もちろん外はまだまっ暗だ。
わたしはいったい、今日クチャを出られるのだろうか。
なんとなく南米の小国で、金も仕事もなく、帰国しようにもできずにもがいている男たちを描いた映画「恐怖の報酬」を思い出した。

洗濯ものは予約しておいたタクシーが迎えに来るぎりぎりに返ってきた。
まだいくらかしめっていて、アイロンはかかってなかった。
こういうことは前にもどこかであったなと腹を立てながら、わたしは迎えにきたマイマイティーのタクシーでクチャを後にした。
こんな世界のはずれのような町の一角に黒竜江省から来た娘が働いている、あるいはホテルに人知れず日本語を勉強している異民族の娘がいる、またあるかどうかと運まかせで客を待つ娼婦もいる、驚くべきことではないかという思いをいだいて。

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ただしその後のクチャはたんなる田舎町ではなくなった。
中国政府がこの地域に埋蔵されている地下資源の活用に乗り出し、クチャも資源開発の重要拠点として大改築に乗り出したせいもある。
わたしが行ったころはまだ目に見えた発展はしてなかったけど、その後のクチャは大都会といっていい街に変貌した。
クチャ駅もネットで探すと、わたしが行ったころとは異なる駅舎が見つかる(ということはすでに書いた)。
新しい駅に建て直したんだろうと思い、いろいろ調べてみたけど、南疆鉄道やクチャへ旅した人のブログはいくつもあるのに、駅舎を撮った写真はほとんどない。
2017年にやはりクチャへ旅をした人のブログを見つけたけど、そこに写っていたのはわたしが利用した駅舎のままだったから、それ以降としたら、新しい駅舎の完成はせいぜいこの5、6年というところか。
だれか新疆まで出かけて報告してくれるといいんだけど、ここ数年は新疆に旅する人が少ないようだ。
それがアメリカに追従して中国にケンカを売る日本政府のせいでなければいいけどね。

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駅に着いてみるとまだ切符売り場が閉まったままだった。
マイマイティーがそのへんの人に尋ねて、キップは車内で買うんだと教えてくれた。
ここでひとつ不思議に思ったことを書いておこう。
マイマイティーはウイグル語しか話せない人間で、わたしはウイグル語にまったく無知なのに、このとき彼がいったことはドンピシャリで意味が通じたのである。
こういうことは海外旅行をしているとたまにある。
つまりそのときのタイミングやそぶりで、相手のいうことがテレパシーのようにこちらに伝わるということだ。
切符は車内で買うということが、まったく相手の言葉がわからないはずのわたしによくわかった。

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キップの件は納得したけど、これでは硬座(一般自由席)は決まったようなものだから、あんまり嬉しい状況じゃないなと思う。
案の定わたしが乗り込むころ、硬座は通路までふさがっている塩梅だった。
立ちっぱなしでカシュガルまで13時間、うーんと悩む。
あまり気がすすまないけど、こうなったら外国人特権を行使するしかない。
聞いた話だけど、中国は外国人の旅行者を大切にしていて、多少の無理なら聞いてもらえるらしい(そのかわり自国民はゴミ扱いだ)。

通りかかった車掌をつかまえて、まだ切符を買ってないんだけど、軟臥か硬臥の空席がないだろうかと聞いてみた。
車掌はすぐ、こっちに来なさいとわたしを手招きした。
荷物を持ってついていくと切符の車内販売所で、大勢の乗客がおしあいへしあいしていた。
車掌は強引にわたしを列の先頭に押し込んでしまった。
まわりの人たちは、外国人じゃ仕様がねえやという雰囲気で不平ひとつ言うわけではない。
おかげで、まだ硬座の切符だけど、並ばずに切符を購入することが出来てしまった。
このときの切符は49元で、クチャからカシュガルまで全程705キロと書いてあった。

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切符を手に入れても、強引に座席に割り込むほどの度胸は、わたしにはない。
あきらめて走り出した列車の連結通路で軍人たちと片言の立ち話をしていると、また車掌が呼びにきた。
車掌に連れられて行った席には、2人分の席を占領して寝ている男がいた。
どうなるかと見ていると、車掌はいきなり男の枕元を蹴っ飛ばし、起きろと叫んだ。
おいおいおいである。
寝ていたのはヒゲもじゃの雲助みたいな大男で、車掌は肝っ玉母さんみたいだけど、いちおう女性なのである。
しかし、つくづく思ったけど、中国の車掌の権限は絶大なものだ。
男は不承不承で、おとなしくわたしに席を開けてくれた。

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居心地はわるいけど、座席を確保したわたしにはまだ申し訳ない気持ちがある。
連結通路には赤ん坊をかかえたウイグルの母親もいたというのに、外国人のわたしは大きな顔をして座っているのだから。
わたしを驕慢な日本人と責めるのは簡単だけど、あなたなら13時間、列車で立ちっぱなしに耐えられるかどうか聞きたいね。

日本人がきたというので、硬座席の人たちは大喜びである。
座ってすぐに話しかけてきた老人に日本人ですというと、おおいに喜んで、自己紹介を始めた。
65歳の漢族であるという。
まわりの人々がどんどんわたしのまわりに集まり始めた。
関口知宏クンの鉄道旅行にやらせじゃねえかという人がいたらしいけど、まったくそんなことはない。
現在はどうか知らないけど、わたしが旅をした2000年に日本人が中国の辺境を旅するのは、イザベラ・バードの日本旅行のようなものだったのだ。

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大勢の中国人にかこまれて、これこれかくかくしかじかと片言の日本語教室を開いていると、まもなくまた車掌がやってきた。
硬臥でよければベッドがひとつ空いたぞ、寝ながら行けるほうがいいだろうという。
それはまあ、そのとおり。
せっかく仲良くなったまわりの人たちと別れて、わたしはまた車内移動である。
硬臥であってもまだ10時間以上ある立ちっぱなしから救われたのだし、安心して写真を撮ったり、ワープロを打つこともできるし、他人に気兼ねなしに横になれるのだ。
どこでも怠惰なわたしにとって、横になれるというのがいちばん大きいかも。
わたしが新しい座席におちついてすぐ、硬座で最初に話かけてきた老人が、わたしの忘れたペットボトルを届けにきた。
一般人民はみんな親切な人たちばかりなのである。

さあ、また砂漠の旅の始まりだ。
クチャからカシュガルまで、わたしはどんな景色を眺めることになるのだろう。

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