中国の旅/田園?
カシュガルに到着して4日目になった。
今日は土曜日だけど、本格的なバザールは日曜日だという。
今日はなにをしようかと考えた。
まえの2日間は徒歩や自転車で市内を勝手気ままにうろついたので、カシュガル市内についてはおおかた把握したし、バザールの会場も下見しておいたので、この日はまたタクシーを借り切って遠っ走りをすることにした。
さて、どこへ行ったらいいだろう。
ガイドブックを読んでみると、郊外に「莫爾仏塔(ばくじぶっとう)」という仏教遺跡があって、なんでも1000年以上前の、中国ではいちばん西にある仏教遺跡だそうだ。
仏教遺跡なんかに興味はないんだけど、郊外といっても片道数十キロはあるらしいから、またのんびり車のシートに座って、途中の景色を眺めながら行けるではないか。
其尼瓦克賓館の敷地内で客待ちしていたサンタナが200元(2600円ぐらい)で行くというから、これでいちにち自由に見てまわれるなら安いものだと、こいつをチャーターすることにした。
わたしは旅先でろくでもない食生活をしてるけど、ほんとうに見たいものには金をケチらないのである。
ちなみに莫爾仏塔の“莫爾”をバクジと読むのは日本語読みで、中国語ではモールと読む。
英語で検索する場合はMauri Pagodaになるらしい。
行ったみてわかったけど、この仏教遺跡はただの土の山で、よっぽど仏教に興味のある人でないと、見てもぜんぜんおもしろくないものだった。
そのせいか、カシュガル市全体がテーマパークのようになった現在では、観光コースからもはずれてしまったようで、ネットで探してもこれを紹介する写真が少ないので苦労した。
このときの運転手はモハメッド・アリという名前だった。
アメリカのボクサーに同じ名前の人がいるねというと、うんと答える。
気のない返事だけど、この名前はイスラム圏ではありふれた名前だから仕方がない。
このアリ君はウイグル語以外に英語と中国語を話す。
29歳で男の子と女の子がいるというから、ウイグルはいくつぐらいで結婚するのと訊くと、男が23、女が18くらいだと応えた。
子供はふつう2人まで、農民の場合は3人までOKだという。
どこをどう走っているのかわからないまま、タクシーは市の北に見える荒涼とした山並みめざして一目散。
草木の1本も見られない山のあいだを抜けて、砂漠の中の舗装道路(カシュガルとウルムチを結ぶ街道だそうだ)をひた走る。
途中で小さな村をいくつか通過した。
仏教遺跡に興味のないわたしは、そういう村にさしかかるたびに、スピードを落としてもらって部落の中を見ていくことにした。
どんな小さな村にもかならずモスクがある。
この点は日本の農村にかならずお寺や神社があるのに似ている。
いくつかのモスクでは車を降りて写真を撮った。
モスクのまえに村人がたむろしている場合もあったけど、覚えたてのウイグル語で“ヤクシムスィーゼ(こんにちわ)”と挨拶すると、みんなニコニコして応じてくれた。
わたしが見たモスクは使い込まれて、あまり上等とはいえなかった。
それでも中国政府はウイグルを迫害しているという人たちへの反証にはなりそう。
村の中では皮をはいだばかりの丸太を運んでいる馬車にたくさん出会った。
このあたりで丸太になるような木といえばポプラしかないから、この木の用途は広いようである。
ある村の高台から見下ろすと、下に田んぼが広がっているではないか。
田んぼは前回の旅でも驚いて、帰りにわざわざ張掖という街で、列車を下りて見物に行ったことがある。
ここは張掖よりさらに奥地の、砂漠の果てといっていいカシュガルだから、意表をつかれることも大きかった。
わたしはしばらく高台から田んぼを眺めていたけど、田んぼということは植えられているのは稲で、穫れるのは米だろうか。
いったいカシュガルの米って、どんな味がするのだろう。
カシュガルのブランド米として日本に輸出したら人気が出ないかしら。
だんだん話が脱線しかかるけど、味はササニシキやコシヒカリほどでなくても、カシュガル米だとかシルクロード米という名前をつければ人気が出るんじゃないか。
いやいや、日本の醸造技術を教えたって、タクラマカンという名の日本酒なんかどうだろう。
やがてちょっとした町にさしかかり、運転手がアトシュだという。
わたしは水を買いたいからといって車を停めてもらった。
道ばたの売店で店番をしていた小学生くらいの女の子に、ペットボトルの水をくれというと、かちんかちんに凍って丸太ん棒のようになったものを出してきた。
とけるまで待てないから別のボトルに変えてもらって、10元を出したら困惑したようす。
こんな小さな店ではたいていつり銭がないのだ。
女の子はいかにもウイグルらしい西欧ふうの顔立ちをした美少女で、店番をしながら算数の勉強をしていたらしく、話しかけると奥へひっこんでしまった。
そこへようやくおばさんが帰ってきたけど、ウイグルの女の子を手なずけるのはなかなかむずかしい。
素朴なウイグルの村を抜け、ふたたび砂漠の中へわけ入る。
最近はカシュガル市に見どころが増えたので、莫爾仏塔のような砂漠の中の遺跡への関心も薄れたとみえて、地図を見つけるのに苦労した。
ここに載せたものは中国語のネットまで捜索してようやく見つけたものだけど、わたしが行ったところだという確証がない。
方角的には合っているから、たぶんこれだろうと、いいかげんなことをいって載せておく。
莫爾仏塔の遺跡はこの砂漠にあった。
高さ5、6メートルほどの円筒形の塔と、いびつな方形の塔で、ウイグル語の莫爾は煙突という意味だそうだ。
どちらも部分的にレンガが露出しているから、人為的に作られたものだということがわかるし、衛星写真でま上からながめた形状は、まさしく煙突だ。
ここに1枚の古い写真がある。
ロシアの探検家ペトロフスキーが1892年に撮影したもので、彼があけたものか、それ以前に盗掘にあったものかしらないけど、仏塔はもののみごとに立ち割られている。
金目のものは、あったとしてもなにも残ってないだろう。
仏塔はクチャで見てきたクズルガハ烽火台同様、やはり周囲には何もなかった。
入場料をとるわけでもなく、売店があるわけでもない。
それでもわたしが行った翌年の2001年に、かたわらに新しい表示板が設置されて、現在は国家の重点保存遺跡に指定されたようだ。
それでも普通の観光客が行くようになったとは思えない。
この遺跡も砂漠の中で自然に崩壊する運命のようだけど、ただこれまで生き延びてきたのだから、完全に崩壊するまでにはさらに長い年月が必要だろう。
ふたたび砂漠の中の舗装道路をカシュガルへ引き返す。
車のカウンターによれば、莫爾仏塔まで片道だけで50キロあったけれど、それは大まわりと、あちこちうろうろしたことの結果。
其尼瓦克賓館にもどってまもなく、旅行社の若者が列車の切符が取れましたといってやってきた。
軟臥の上段で306元、これに5元のなにか料金と、旅行社への70元の手数料がかかったものの、なんでもいい、これでようやくわたしもカシュガルを脱出できるわけである。
安心したあと、今日は土曜日だから色満賓館で民族舞踊でもやっているかもしれないと、ふらふらと出かけてみた。
やってないそうである。
しかしどこかから派手な笛太鼓の音が聞こえていたから、そっちのほうへ行ってみたら、色満賓館の敷地内に新しくオープンした皇宮大酒店の景気づけセレモニーだった。
店の前で舞踊の衣装をつけた男女が客を迎えているから、ここで民族舞踊を見られますかと尋ねると、かたわらから日本語のわかるウイグル男性があらわれて、この晩は新しもの好きのウイグル人で店は満員ですが、明日からはここのレストランで食事をしながらショーを見られますとのこと。
深夜の24時ごろ、寝る気にもなれず、飲み物でも買うかと、部屋のサンダルでぺたぺたと外出する。
まだホテル内の中国レストランは営業中で、昼間はやってなかったホテル内のみやげ物売場まで営業していた。
このホテルにはサウナもあったけど、そこもいままさに営業たけなわというところで、パソコンのある商務中心(ビジネス・センター)まで営業中だった。
明日の24時ちかくの列車に乗るんだけど、そんな時間までどうやって時間をつぶそうかという心配は杞憂だったわけだ。
24時というと、カシュガルの(少なくともホテル内の)夜はまだ宵の口なのである。
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