中国の旅/モスクと廟
翌日は朝食後に其尼瓦克賓館に引っ越した。
わたしは自分の都合のいい時間に飛び込みで宿泊申し込みをすることが多かったけど、チェックイン時間にうるさくないのが、このころの中国のホテルのいいところだった。
最近ヨーロッパのどこかのホテルで、時間まえに押しかけて駄々をこねた中国人が話題になったことがあるけど、自分の国のこういういいかげんなシステムに慣れていたんじゃないかね。
最近の其尼瓦克賓館がわたしの泊まったころと様子が変わっているということは前項で書いた。
最近の写真には高層の建物ができているけど、わたしが行ったころはなかったと思う。
そこでちょっと雑な仕事だけど、デジタル写真を加工して、強引に高層ビルを消してみた。
そうそうこんな感じで、わたしが泊まったのは右側に見える白い建物だったようだ。
門の両脇の獅子の像もなかったよ。
其尼瓦克賓館では、例によって安い部屋を頼む。
25元の部屋があるといわれたけど、いくらなんでも安すぎると思ったら、これはドミトリー(相部屋)だった。
シングルルームはと尋ねて、120元の部屋に決めた。
サウナまであったけど、もちろんそこでウイグル娘の濃厚なサービスを期待してはならない。
そういうアダルト系はすべて漢族の娘たちが一手に引き受けているのである。
部屋は3階だった。
エレベーターなんてものはないので、建物の外についていたらせん階段をふうふういって登る。
欧米人の姿がちらほらしていたから、けっこうバックパッカーなどに人気のあるホテルらしい。
ほかにもぞろりとしたパキスタン風衣装の男性が多くて、脊の高い彼らがホテルの玄関あたりにたむろしていると、なんか映画のワンシーンを見ているような迫力がある。
カシュガルまで来れば、もう天山山脈のすぐ向こうは、キルギス、タジキスタン、パキスタン等の中央アジアの国々なのだ。
其尼瓦克賓館からエイティガールモスクまで、せいぜい5、6百メートルなので、ふらふらと徒歩で出かける(このモスクには何度も出かけたので、わずらわしいからひとつの話にまとめてある)。
モスクの近くに間口2メートルくらいの、ウサギ小屋みたいな店が軒を接している通りがあって、そこでナイフや小粒の金などを売っていた。
金なんか見たって本物かどうかもわからないし、興味もないから、わたしの目的はナイフである。
ナイフは前回の旅でも買ったけど、評判がよかったので、帰国してから他人に上げてしまったのだ。
品物はいちばん奥地のカシュガルがいちばん安いのではないかということで、ここで短刀を2ふり買うことにした。
最初に入った店には白いヒゲのおじいさんがいて、あれ買え、これ買えとうるさい。
となりの店のほうが大振りな品がそろえてあったので、そっちの店で買うことにし、おじいさんにはゴメンナサイと謝ったのに、彼はプンとむくれていた。
なんとなくポーズみたいな気がしたけど。
となりの店でインテリアにふさわしい意匠の、30センチもあるアラビアふうの半月刀を80元で買った。
インテリアにふさわしいといっても、ヒツジののどをかっ切って、その皮をはぐぐらいはお茶のこさいさいって感じだから、実用にもじゅうぶん耐えそうである。
そのあと申し訳ないからヒゲのおじいさんの店にもどり、こちらでは小ぶりの短刀を1本買った。
このあとも何度かエイティガールモスクに通ったので、そのたびにおじいさんはわたしにウインクするようになった。
べつの日にはエイティガールモスクで、大勢のイスラム教徒が地に頭をつけて祈りのまっ最中だった。
正面の奥に柩のようなものもあったから、誰かの葬式だったらしく、祈っているのはすべて男で、女性や子供ははなれて見ているだけである。
トルコの有名なブルーモスクは観光客にも開放されているけど、カシュガルのこのモスクはいまでもウイグルの冠婚葬祭に利用されていて、一般観光客が中まで立ち入ることは許されてない。
モスクまえの広場はウルムチで見たような、あいかわらず、すさまじい肉食の宴だ。
ヒツジやヤギの頭蓋骨にむしゃぶりついている人たちを見て、肉のニガ手なわたしは戦慄せざるを得ない。
日本人には縁日のような世界なんだけど、文書よりも写真で紹介しよう。
最近の写真で見ると、このモスクの周辺もわたしが見たときよりは美しくなったようだから、中国政府はウイグルの伝統文化を破壊しているなどと安易にいうべきではない。
モスクの門の下には乞食がたくさんいたけど、美しくなったいまではどうだろう。
わたしはモスクの人込みの中で、ウイグルの私服警官らしい巨漢が、尻ポケットに拳銃ならぬナイフをしのばせているのを見た。
犯人もナイフを持っていた場合、こりゃそうとうに血なまぐさい格闘になるなと思ったけど、このときの警官はなかなか頼もしそうな人であった。
彼はここではちょいとした著名人らしく、まわりの人々と会釈を交わしながら広場を巡回していた。
いったんホテルにもどると、門を入ったところの建物に旅行社の看板が上がっているのに気がついた。
まだ帰りの列車のチケットを手配してなかったし、ヘタするとまた列車のなか、とうぜん硬座になる可能性ありだから、ここで買えないものか聞いていくことにした。
建物の2階が旅行社の事務所で、ありがたいことにここには日本語のわかる漢族の若者がいて、日曜日の列車のチケットを依頼すると、案ずるより産むがやすしみたいに簡単に用件はすんだ。
つぎにホテルのフロントへ行き、列車が日曜日の夜の23時58分なので、その日の午後10時まで部屋を使えないかと訊いてみると、ダメです、ハーフデイで午後6時までが限度です、そのさい60元かかりますという。
荷物の保管だけはOKだというけど、これじゃ時間つぶしが大変である。
カシュガルの名所にアパク・ホージャの廟というものがある。
いわれはよく知らないけど、むかしのこのあたりの王様のお妃で、香妃という女性の菩提寺らしい。
自転車でまわるのにふさわしいくらいの距離なので、また自転車を借りてそこへ行ってみた。
わたし以外にも自転車で来ている欧米人が何人かいた。
この墓はタマネギ型の屋根を持ったイスラム様式の建物で、びっしりと貼られた緑色のタイルが、創建当時はさぞ美しかっただろうと思わせる。
ただしわたしが行ったころは、タイルもだいぶ剥げ落ちたり傷ついたりして、土で作られた砂漠の建物の運命をまぬがれてない。
内部には柩がたくさん並べられていたから、いまでもここに安置される遺体があるとみえる。
あとで聞いた話では、ウイグルはすべて土葬だそうである。
しかし人口が増えて、近代的な人間の処理方法が広まってくると、新疆でも土葬は衰退することになるのかも。
廟のまわりはバラ園になっていた。
わたしの中国人の知り合いが送ってきた写真によると、この廟も、その後まわりが西洋の庭園のような美しい公園になって、面目を一新していた。
あまりむやみに、中国はウイグルの文化を破壊しているなどといわないほうがよい。
アパク・ホージャからの帰りがけにふと見ると、境内に小さな博物館のようなものがあった。
ウドンを食っていた大柄なウイグルの女性がカギを開けてくれた。
彼女はここの管理人兼説明係で、わたしが日本人であるとわかるとすぐ愛想がよくなった。
少なくとも後からやってきたやかましい中国人たちに対するよりは。
ただし撮影は許してもらえなかった。
館内にはホータンあたりの古墳から発掘されたという、土器や衣服の断片、弓矢などの文物が展示されていた。
鎌倉時代、日本に侵攻してきた蒙古軍は、動物の骨を薄く切って張り合わせた強力な弓を用いていたといい、この博物館に展示されていた弓が、蒙古軍の弓と同種のものである可能性が高かった。
そして1体のミイラ。
ウルムチ博物館のときもそうだったけど、新疆ウイグル自治区ではミイラがスターなのである。
このミイラは非常に身長が大きい。
2000年も前のものだというけど、現代のウイグル人より大きい。
いったいなんという民族だったのですかと質問すると、説明係の女性はなんとかウイグルと答えた(よく聞き取れなかった)。
火葬が普通になれば、現代の人間が2000年後にスターになることもなくなるだろう。
わたしが行ったころ、カシュガルにはこの博物館しかなかったようだけど、その後の2021年に新しい近代的な博物館がオープンした。
残念ながらわたしがその後にカシュガルを訪問することはなかったから、これを見たことは一度もない。
このあと、バザールの会場というのを下見して、わたしはまた其尼瓦克賓館にもどった。
部屋で買い置きの食事をして、そのあとトイレに行ったら、つまってしまって流れない。
中国のホテルでは、こういうことはよくあるので、服務員のおばさんに窮状を訴えると、吸盤のついた棒を持ち出して、直したげますという。
それはいいけど、自分のウンコを他人に観られるのは恥ずかしいものだ。
自分でやりますといってみたけど、おばさんは強引だった。
ものの4、5分で直りましたといわれたので、そんな必要はないのにチップを上げてしまった。
中国はチップ不要の国である。
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