いいません
いいませんよ、ええ、いいませんとも。
SNSには本人の願望に過ぎない意見があふれているけど、わたしは石破クンがどんな首相になるか見極めているところだから、それまで彼の評価はいたしません。
ヘタすると高市早苗サンより強力な右翼政治家になって、反中、反露を推し進める首相になるかも知れない。
国民の民意には逆らえないのが民主主義国のトップの宿命だし、そうして台湾有事に持っていき、ボコボコにされてようやく気がつくのかもね。
いいませんよ、ええ、いいませんとも。
SNSには本人の願望に過ぎない意見があふれているけど、わたしは石破クンがどんな首相になるか見極めているところだから、それまで彼の評価はいたしません。
ヘタすると高市早苗サンより強力な右翼政治家になって、反中、反露を推し進める首相になるかも知れない。
国民の民意には逆らえないのが民主主義国のトップの宿命だし、そうして台湾有事に持っていき、ボコボコにされてようやく気がつくのかもね。
欧米人のむちゃくちゃな論理。
昨日のNHK国際報道に、カリフォルニア州でタコの養殖禁止が法制化されたというニュースがあった。
この運動を推し進めたのが、例によって環境保護団体。
自分とこではウシやブタを殺して食べているアメリカ人が、どの面下げてタコを食うなというのかと思ったら、タコは人間を認識するほど賢いからだそうだ。
ウシやブタも人間を認識しますけどというと、ウシ、ブタは産業として確立されているから、いまから禁止はできないと。
なんじゃ、これは。
一事が万事この調子。
環境保護団体ってのはタコ焼きのカリフォルニア進出に恨みでもあるのか。
これでもまだ欧米の欺瞞に気がつかない日本人に、なにをいっても無駄だ。
やっぱりわたしって、自分が書いたブログを読み返すことをヒマつぶしの最右翼に置こう。
映画も音楽もオペラもバレエも、野球も興味が持てなくなり、目下の関心事は国際情勢だけというサビシイ老人のわたしのヒマつぶしに最適なのが、自分のブログを読み返すこと。
たとえば2012年2月17日の原発の放射性廃棄物の処理方法なんて、冷え切った火星の温暖化に有効利用すればいいと書いてあるけど、SF小説のいいアイディアじゃないか。
未来の宇宙飛行士が、火星の地表深く埋められた強力な放射性物体を発見する。
すわ謎のモノリスかと色めき立ったけど、調べてみたら、じつは冷たい火星を温めるために、日本人が埋めた福島のデブリだったなんて。
2014年10月6日の夏目漱石論も、ネタに窮したネットフリックスが「新三四郎」というタイトルで映画化するかも知れない。
2016年3月17日には、今回自民党の総裁になった石破クンの愉快なエピソードも書いてあるよ。
どこでもいいからランダムに過去の記事を開いてみると、わたしのブログって、かっての筒井康隆みたいで抱腹絶倒。
プーチンは核兵器を使うと恫喝している。
しかし彼に人類を絶滅に追いやる勇気はないだろうから、おそらくその一歩手前で思いとどまるだろう。
だからどんどん追い込めば、結局はロシアがどこかでギブアップするだろう。
と、西側はプーチンの善意と理性をアテにして、なし崩し的に兵器をエスカレートさせ、戦争をどこまでも引き延ばしているわけだ。
わたしにもプーチンに全人類を破滅させる勇気があるかどうかわからない。
しかし肝心なことは、ウクライナにそんな人類の運命を賭けるような価値があるかどうかだ。
弱小国のウクライナを、大国のロシアが侵略しているとしか考えない人は、おそらくそこまで考えが至らない。
ロシアが核兵器を使わざるを得ないよう追い込んでいるのは西側である。
と、ここまで書いて、今日は知り合いと蕎麦を食べに行く。
蕎麦屋のテンプラというのはたいてい美味い。
だからついでにテンプラも食べてくるつもりだ。
あとで写真を追加しました。
あらためて今回の総裁選挙にひとこと。
選挙運動中の石破さんを見ると、親の葬儀に参加している大仏さまみたいで、こんな執念深そうな顔に日本の総理をまかせたら、みっともなくて仕方がないと思っていた。
ところが総裁に決まったとたんに、娘の結婚式に参加している大仏さまみたいな柔和な顔になり、これなら日本の総理をまかせてもいいかと思えるようになった。
ゆとりが人間の表情まで変えるというのはホントだね。
進次郎くんが落選というのは問題なし。
わたしはつぎの内閣で、もっと重要な大臣経験をしてからのほうがいいと考えていた。
今回の選挙では進次郎くんの支持票が大幅に石破くんに流れたみたいだから、石破内閣でも進次郎くんが大臣か閣僚に起用されることは確実。
そうやって経験を積んでから総理・総裁の椅子を目指すべきで、わたし個人的には選挙結果に異議はなし。
あああ、右翼の星、高市早苗サンが勝っちゃったよ。
右翼の星っていうことは、ひっくり返せば日本が軍備増強に、軍拡競争につき進むってことじゃないか。
軍拡ってのは金がかかるんだよ。
福祉や厚生や、貧乏人に対する支援が減るのは目に見えている。
わたしみたいな貧乏人はどうすればいいんだ、え、え、え。
そうか、わたしはもう先が短いんだから、心配しても仕方がないか。
悪いことはみんなつぎの世代が引き受けることになるわけだ。
勝手にさらせというのが、わたしの感想。
という原稿を考えていたんだけど、土壇場で逆転だ。
日本人の良識もかろうじて守られたってことか。
図書館で期限切れのリサイクル本をもらってきた。
今回もらったのは「フェイスブック/若き天才の野望」というもので、ご存知FBの創始者マーク・ザッカーバーグの伝記である(となりにあるのはやはりタダでもらってきた「マクナマラ回顧録」)。
リサイクルされるくらいだから古い本で、FBがまだ5大新興企業のひとつとされて、得意の絶頂にあったころの本だ。
ちょっとまえにわたしのところにFBから、イエメンの平和維持軍で働いてるオンナの人からチャットがあったことを書いたけど、わたしみたいな偏屈老人まで勧誘しようというんじゃ、FBの未来もけっして明るくないね。
わたしはGAFAM(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン、マイクロソフト)の中では、FBがいちばん早く落ちぶれるだろうと書いたことがある。
そんなことはともかく、クリックひとつで、はい、友達が一丁上がりって、そんなふざけたツールが必要だろうか。
友達もいろいろあって、盗撮写真の愛好家グループや、幼い子女をだまくらかして裸の写真を送らせるケシカラン友達もいるのだ。
でもそれはザッカーバーグ君の罪ではない。
彼はただ便利なツールを公開しただけで、それを悪用する人間が悪いのだ。
とはいうものの、最近は最初から悪用するのに都合のいいツールを公開する輩が増えて、世間を困惑させていることも事実。
忙しいわたしはそんな問題には踏み込まない。
もらってきたリサイクル本は、かって天才と呼ばれた男が落ちぶれるまでを、静かにたどってみるつもりでもらってきたのだ。
わたしがFBの転落を予言した期日は2018年の5年後だから、あ、もう過ぎてしまったではないか。
早く落ちぶれろ。
武威から蘭州まで、おおよそ300キロある。
中国は鉄道王国であると同時に、あるいはそれ以上に路線バス王国でもある。
バス路線は国内をくまなく網羅していて、武威〜蘭州のような都市のあいだでは列車よりだんぜん便がよい。
ただし乗り心地はというと、横になったまま行ける軟臥列車のほうがだんぜんよい。
天馬賓館を9時ごろチェックアウト。
そのままタクシーで公共汽車(これはバスのこと)駅へ。
あまり待たずにすむバスがいいと思っていたら、タクシーがすぐ前につけてくれたバスが、もう何人かの乗客を乗せていたのでこれにした。
マイクロバスていどの大きさで、蘭州までの運賃は25元。
わたしは荷物と、水、菓子パンなどをかかえていちばん後ろに陣取った。
しかしやはりなかなか発車せず、あとから乗ってきた乗客の中にかわいい娘がいたけど、彼女はいちばん前だった。
車掌はやせたおばさんで、19人乗りバスに、補助椅子を倒せばさらに5人プラス。
バスが発車したのは10時だった。
中国のバスは飛ばすことで有名らしいけど、このバスは特別だった。
ちょうど前後してやはり蘭州行きのバスが走っていたせいもあって、競争心をあおられたのか、もう飛ばすこと飛ばすこと。
立ち上がってひと言いいたい衝動にかられたけれど、文句をいうのはスジ違いかもしれない。
この街道には蘭州行きはいくらでも走っているのだから、文句をいうくらいなら乗り換えてしまえばいいのだ。
25元はたかが325円ではないか。
11時に黄羊村というところで停車。
ムギ畑の向こうにクジラのようなかたちをした褐色のハゲ山が見える。
トルファンで見た火焔山に似ていて、ちょっと特異な形状の山なので、また登ってみたいなと思ってしまう。
こちらは灼熱という土地ではないし、じっと眺めるとつづれおりの踏み跡道があって、中腹に祠か石窟のようなものも見えるから、たまには登山者がいるようである。
まあたりはムギ畑の広がる農村で、山頂からどんな景色が見えるだろう。
11時すぎ、両側が山にかこまれた町に着き、バスはなぜかここで停車して動かなくなってしまった。
あたりの景色に注意をはらっていると、あとからやってきた大型バスの車掌が、わたしを含めた6、7人に、バスを乗り換えるよう指示する。
こっちのほうが早く到着するからとでもいったのかもしれないけど、いい機会だから乗り換えることにした。
荷物を持ち、指名された客たちにくっついて移動してみると、こちらは最初の車よりひとまわり大きいものの、ポンコツであることと、混雑していることだけは変わらなかった。
満員にならなければ発車しないバスなのだから、混雑は当然といえば当然で、すいているバスを待っていたら、蘭州に着くのがいつになるかわからない。
まさか終点まで立ちっぱなしってことはないだろう、どこかで空席ができるだろうと、あきらめて乗り込み、あらたに18元を払った。
車内をずっと見まわすと、ひとりで座わっているらしい女性がいた。
彼女の席に行ってみると、小さすぎて見えない男の子がいっしょだった。
強引につめてもらい、つめてもらってばかりではわるいのでアイスクリームを買ってやったり、非常食として買っておいた菓子を上げてしまう。
ゴマをすったおかげで仲良くなった子供に名前を尋ねると、紙に“汪”と書いた。
じつは近くに父親も座っていて、わたしを白い目でにらんでいたんだけど。
武威の郊外から山道にさしかかると、このあたりは高速道路ができるらしく、しばらく工事現場が続く。
とちゅうの山道でドカンという大きな音がしたので、窓から外をうかがうと、バスの近くになにやら白い煙。
どうやら発破の現場らしい。
しかしバスから50~60メートルしか離れてない。
アブないじゃないか。
バスはしだいにすいてきたので、いちばん後ろの席に移動した。
途中、前回の旅で列車の車窓から見た見おぼえのある踏切を通った。
列車が遅延したため、踏切の両側に車が延々と渋滞していたところである。
ちょっぴりなつかしい気がしたけど、この踏切を渡れたのは幸運だったかも知れない。
わたしはこの2年後と5年後にまた天祝を訪れ、5年後のときは張掖から蘭州までバスに乘ったけど、すでに高速道路が完成していて、このローカル色いっぱいの踏切を見ることは2度となかったのである。
となりにすわっていたむさくるしい人たちに、蘭州へ仕事に行くのですかとヘタな中国語で訊いてみたら、わたしらは“打工”だと答えた。
打工は、ようするに、建設作業員のことだろう。
何人かで仕事を求めて省都の蘭州まで上京するところかも知れない。
中のひとりが手のひらのマメを見せてくれたので、中国の繁栄を支えているのはあなたたちですねと、紙にお世辞を書く。
生まれた場所が異なれば、わたしも彼らとともに打工でもしていたかもしれないと、無能のヒトのわたしはしみじみと考えてしまった。
12時半ごろ初めてアヤメの花に気がついた。
この花が見たくて、この旅では武威で下車したのである。
バスはどんどん高度を上げているらしく、アヤメもどんどん数を増す。
このあたりから周囲の山容が変わってきた。
山のかたちはなだらかで、山頂まで芝のような短い草におおわれているものが多い。
山頂まで草におおわれているということは、高度が高くて空気がひんやりしているから、砂漠とちがって大気中に水分が途切れることがないのだろう。
景色はひじょうに美しい。
ウシ、ヒツジ、ヤギなどが放牧されていて、民家の近くに石でかこんだ牛囲いがあり、西部劇に出てくる荒野の開拓民の住居のようだ。
このあたりで乗客のひとりが立ち上がり、いきなりぺらぺらとなにか口上を述べ始めた。
なにが始まるかと思ったら、手にエンピツ2本を持ってぐるぐるとこねまわし、それに目にもとまらぬ早さでゴム輪を引っかけ、どちらのエンピツに輪が引っかかったかという賭けのようなことを始めたのである。
バスの中は臨時の賭博場になったわけだ。
それでも好き者はどこにでもいるらしく、手をあげて応じる客もいた。
13時半、バスは急な坂道をあえぎながら登ったあと、まもなく峠を越えて下り坂になった。
左手の山の中腹に延々と連なる土塁のようなものが見える。
このあたりにあっても不思議じゃないから、万里の長城かもしれないけど、バスははすっかいにそれを横切り、土塁はやがて右側の山に駆けのぼって視界から消えた。
まわりは山岳地帯だけど、蘭州から武威にかけては、河西回廊の一部だから遺跡は多いはずである。
14時ちょうどごろ打柴杓の村に到着。
このへんでチベット族自治県の看板を見たけど、ヒツジの毛皮を肩にかけている女性を見たくらいで、家の造りや人の服装に特に民族色はない。
わたしはチベットに行ったことがないから知らないけど、短い草の生えたなだらかな山容の土地は、それだけでチベット族やモンゴル族にとって、遊牧に適した、自分たちの土地に見えるのだろうか。
14時20分に天祝の町に到着。
ちなみに天祝はチベット族自治県ということになっている。
新疆やチベットにある自治体は自治区という呼称で、ほかに回族、モンゴル族、チョワン族など、中国全土に5つの自治区がある。
自治区と自治県の違いはその大きさによるようで、日本の行政体とは逆に、大きいほうが“区”、“県”はもっと小さい単位をいうらしい。
天祝はまあまあ大きな町で、ホテルもあるし、アパート群らしき建物などもあった。
しかしほかにとくにチベットらしい個性があるわけではない。
歩いている人々の服装もふつうの漢族と変わらないし、チベット寺院や坊さんもなく、オボーという、ボロ布を満艦飾のように飾り立てた旗も、ひとつも見られなかった。
このあたりでバスの屋根から積荷のニワトリが落ちたけど、だれもそれに気がつかず、バスはそのまま進行。
中国の道路にはたまにニワトリが落ちていることもあるらしい。
14時45分に武勝というドライブインで30分の休憩。
もうあと40~50分で蘭州かと思ったら、ここに蘭州まで183キロという標識示があった。やれやれ。
売店でソーセージ2本を買って、それで空腹をごまかす。
便所へ行ってみたら、椎名誠さんが筆舌に尽くしがたいと書いていたロシアのトイレみたいだった。
しだいに平地に下りて、バスは果樹園の多いゆるやかな農村をいく。
わたしは蘭州はよく知っているので、黄河をはさんで両側に白塔山、蘭山がそびえる地形を覚えていた。
しかしその見慣れた山はいつになっても見えない。
わたしのとなりに座ってる若者はヒマワリの種を食べ続けていて、カラをぺっぺっと車内にまき散らすので不快。
まわりにはタバコをすう者も多く、この日1日だけでわたしは砂と排気ガスとタバコのヤニでまっ黒になってしまった。
発狂寸前になったころ、やっと右側に黄河が見えた。
そしてようやく市街地に入ったなと思ったらまた郊外へ、ふたたび市街地へ。
蘭州は遠い。
19時ごろようやく蘭州駅近くにあるバスの発着場に到着。
時間は武威から約9時間かかったことになる。
中国のバスの時間など最初からアテにしていないし、蘭州に近づいてからかなり退屈したものの、冒険心をすこしは満足させて、わたしにはおおむね満足できるドライブだったといえる。
ネットを閲覧していたらこんな見出しが目についた。
「ロシア越境攻撃、真の理由/ゼレンスキーがトランプ・ハリスに提示した“戦争終結案”」
ソースはよくわからないMINKABUというところになっていて、発言しているのはアノ(軍事評論家とされる)小泉悠サンだ。
読んでみると、ウクライナが和平に応じる最善の方法は
「国土の2割程度の土地を占領されたいまの状態で戦闘を完全にとめて、主権に関してはプーチンに指1本を触れさせない」
「政権と軍隊については守りきる代わりに、NATO加盟は諦めるだと思います」とある。
これはわたしが以前から言ってきたことで、ようやく小泉サンもわたしの意見に足並みをそろえてきたのかと思う。
わたしはクリミア半島と東部4州を割譲すれば、プーチンは停戦に応じるだろうとずっと言い続けてきた。
なにもウクライナの主権まで奪わなくても、戦争が終わればウクライナ国民がゼレンスキーさんを自主的に始末するだろうし、ウクライナ国民は二度とNATOに加盟しようとはいわなくなるだろう。
同じスラブ民族同士で争うこともなくなるし、うまく行けばウクライナ国内のオリガルヒを放逐し、ウクライナの農民も豊かな農産物を海外に売ることができるようになり、国民はロシアと同等の豊かさを享受できるようになるわけだ。
いったいなんで蜜月関係にあった盟友をうらぎる必要があったのか、小泉サンにも日本人にもじっくり考えてもらいたい。
1分、30秒、1分。
コレなーに?
昨日のロシア機の領空侵犯の時間。
過去に何度もあったことなのに、昨日は自衛隊のほうもフレアを発射して対応だって。
つね日ごろ「自由で開かれたインド太平洋」を標榜している日本が、そんなちっぽけなことに騒いでどうするんだよといいたくなるけど、ま、ネタニヤフさんならとっくにロシア機の2、3機は撃墜しているな。
日本もいよいよチキンレースに参加だ。
うーむ。
アメリカが元気なうちに露中と一戦をと考える日本だけど、ロシアにしてみれば、中国と仲がいいあいだに日本と一戦と考えているかも知れない。
なんで日本はアメリカなんぞを頼るんだろうね。
いや、だからこそ日本も独自の軍事力を、というのは、日本の右翼の見果てぬ夢だけど、いくら軍拡をしたって露中連合軍に勝てるわけがない。
災害列島の日本はほかに使わなければならない金がいくらでもある。
昨日のニュースじゃ富山の被災者が、地震で仮設住宅に入ったら、今度はそこへ洪水だよとやけっぱちぎみに話してた。
そんな折もおり、日本の首相はアメリカへ行って、レームダック同士でハグって嬉しそう。
つぎの総理には自分が敷いた(ばら撒き)路線を引き継いでほしいって、ナニ考えてんだろうね。
それでも相手の侵略がコワイとおびえる日本人に、安上がりの防衛方法を教えてやろう。
1発で地球を吹っ飛ばしてしまう爆弾を、霞が関あたりに1コ備えておけばいい。
それ以上侵攻してくれば、てめえも巻き添えだって嚇かせるから、飛行機や軍艦を増やすより安上がりなこと請け合いだ。
貧者の糧ならぬ貧者の爆弾てわけで、北朝鮮の正恩クンのねらいも、究極的にはこれなんだろうね。
日本人は枕を高くして寝られる・・・・んなわけないか。
ココログにイヴァン・ウィルさんという人のブログがある。
国際的な時事問題(とくに中国相手に特化したような記事)を専門にしているようで、ほかの単細胞的な反中ブログに比べればマシなほうだけど、いちばん新しい記事がわたしと見解の異なるものだったので、コメントをつけようとしたら、やはりわたしのコメントは書き込み禁止になっていた。
仕方がないからわたしのブログに、わたしの言いたいことを書いておく。
こんなことを書いているやつがいますよと、誰かイヴァンさんに教えてくれたら幸せだ。
イヴァンさんは仕事で中国に赴任していたことがあるそうで、その体験から記事を書いているらしいけど、わたしも中国には何度も行っている猛者だ(わたしの中国紀行を参照のこと)。
彼は今回、日本人学校に通う日本人の男児が刺殺された事件について書いているんだけど、その中で中国の林剣報道官が発した言葉を問題にしている。
“これは個別案件で、類似の案件はどこの国においても発生する可能性がある”
イヴァンさんにいわせると、これは言ってはならない発言だそうだ。
それではほかにどういえばいいのだろう、いや、どういえばイヴァンさんは満足するのだろう。
発言が人を食ったようだというけど、報道官は冒頭に「このような不幸な事件が発生した事に対し、遺憾と痛心の意を表し、亡くなった男児に対して哀悼の意を表すとともに、男児の家族に対しておくやみの意を表する」と言ってるではないか。
こんな言い方は反日の韓国でもしないだろうといってるけど、たしかに現在の尹大統領の時代ならしないかも知れない。
しかししょっちゅう政権の替わる韓国で、前大統領の文在寅さんのような反日主義が蔓延したころなら、震災が起きた日本に対して、ザマみろとか、いい気味だと発言する韓国人がいたことも事実である。
そういうバカはどこにもいるし、わたしには中国の報道官の発言が、そんなに大騒ぎするようなものには思えない。
アメリカではもっと大勢の子供たちが、いきなり教室に乱入してきた犯人に無差別に殺戮されているではないか。
「事前に用意された想定問答を読んだだけのような『人間の顔』を失った外交部報道官の発言よりも」という表現もあるけど、そうともいえない。
以前、華春瑩報道官がパンダの名前と日本の外交官の名前をカン違いして、トンチンカンな返事をし、わたしに、へえ、中国の報道官て、自分の裁量で回答することが許されているのかと感心されたことがある。
事件がたまたま柳条湖事件の記念日と重なったから、「事前に計画されたテロである可能性は排除できない」などとも難癖をつけているけど、事前に計画されたものなら、中国人の母親を持つ子供ではなく、両親がともに日本人の子供を狙うだろう。
ヘタに騒ぐと類似事件を誘発しかねないから、報道官もことさら冷静さを保ったと、なぜ思えないのか。
イヴァンさんは1986年から2009年にかけで、都合4年間も中国に赴任していたそうだ。
そして過去の事件も持ち出している。
1988年に修学旅行中の日本の高校生が巻き込まれた中国の鉄道事故と、錦江飯店における日本人旅行者の殺害事件である。
どちらでも中国は相応の対応をしていて、鉄道事故では日中の経済格差があったために、補償が至らなかったことは事実だけど、これはやむを得ない(とイヴァンさん自身も認めている)。
日本人の老夫婦がホテルで殺害された事件では、中国政府は外国人に対する重要犯罪に指定して、犯人はあっという間に逮捕され、死刑になったはずである。
いずれも中国政府としては精一杯誠意を示しているではないか。
今回の殺傷事件を非難するのに、イヴァンさんは毛沢東時代の中国まで持ち出して、中国は鄧小平の時代にいったんは“人間の顔を持った”と変わったものの、最近ではふたたび強圧的なもとの中国にもどったという。
いったい4年間も中国に赴任していてなにを見ていたのか。
中国が開かれた社会であることを象徴するのが、インターネットの普及だ。
ネットも共産党政府が統制しているという人がいるけど、内陸の蘭州に住むわたしの知り合いでさえ、日本のわたしのブログを読んでいるくらいである。
もちろん制約はあるだろうけど、現在のようにあらゆる違法、無法行為がはびこるネット社会を見ると、むしろあるていどの制約はあるほうがいいし、それを直ちに実行できる中国政府がうらやましいくらいだ。
彼の言い分がおかしい点をもうひとつ挙げよう。
現在の中国は反日教育などしていない。
その証拠に、中国人が大挙して日本に押し寄せ、爆買いがブームになったのは、まだそれほどむかしのことではないし、いまでも自由訪問が許されるならまっ先に日本に行って、寿司が食べたい、スキヤキが食べたいと考える中国人は多いのだ。
日本の景色にあこがれ、死ぬなら美しい北海道の自然のなかで死にたいと、わざわざ釧路の海で身投げをした中国娘さえいたではないか。
これが反日教育の成果だというのだろうか。
こんな個別案件を反日教育に結びつけるには無理があるばかりか、ささいな事件で難クセをつけようとばかりしていると、かえって忘れていた反日思想を思い出させてしまうだけではないか。
今回の児童殺傷事件でも、一般中国人は大勢が現場に弔問に訪れ、中国政府はそれをべつに妨害していない。
中国人の考えも中国政府の考えも、国際常識にのっとったものと信ずる。
大半の中国人は事件を悲惨なものと考えており、いちいち騒ぐのは、日本にもいるネトウヨのような人間だけだろう。
イヴァンさんがひとつの言葉だけをあげつらって、“中国政府には全く責任がないと言っているように聞こえる”というのは、本人の主観にすぎない。
もっと大事なのは中国の大変化を率直に認めることだ。
習近平さんは国内の貧困撲滅運動に取り組んでおり、NHKが放映した最近のドキュメント番組などを観ても、それは効果を上げつつあるようである。
わたしはイヴァンさんがいうほど、現在の中国がひどい国だとは思わない。
彼がいたころに比べれば、中国の一般民衆の生活は格段によくなった。
いまやアメリカに肩を並べる大国になり、G7や日本を戦慄させる強国になっている。
このままでは西側先進国の企業はみんな中国から撤退することになるというけど、それで困るのはどっちなのだ。
ヨーロッパや日本の企業では、せっかく販売網を開拓した世界最大の購買人口を持つ中国から、お上の指示で撤退せざるを得ないことに不満が高まっているとは思わないのか。
報道官の発言にケチをつけるくせに、そういうもっと重要なことを無視するのは、わたしはおかしいと言わざるを得ない。
「習近平政権になって、再び毛沢東時代のような『中国共産党の統治が全てであって、それに反対するものは“普通の感覚”であっても排除する』という傾向が復活しつつあるように思います」
わたしはぜんぜんそうは思わない。
さまざまな主張が入り乱れる多民族国家では、あるていどの強引な統治は必要だと思うし、じっさいには現共産党政府は少数民族に非常に気を使った政治をしている。
少数民族でも優秀なら、公立、私立を問わず企業のなかで出世できるし、つい最近観たNHKの番組では、標高5070メートルの高地にあるチベットの過疎の村にまで、電気を通し、スマホ環境を整えたりしていた。
努力して日本まで留学に来たウイグル娘もいることはこのブログに書いた。
もしも共産党の方針から逸脱すれば、習近平さんといえどたちまち失脚することは間違いないだろう。
イヴァンさんはいったいどんな根拠で、近平さんが毛沢東のようなカリスマ性を備えた独裁者だといってるのか、ひとつでいいから教えてもらえないか。
わたしが残念に思うのは、中国の歴史や文物にあこがれて中国を旅する人は多いのに、いまのような捏造、デタラメ、偏見が多発の時代に、中国擁護の論陣を張る人が少ないということだ。
イヴァンさんも中国に詳しいと自負するなら、言葉尻を捉えるだけではなく、相手のもっと大きな変化について説明するべきではないか。
フクシマの海産物輸入禁止も、たんなる政治的な問題で、いちおうのメンツが立ちさえすれば、中国政府は解除の方針のようである。
わたしはココログにもいまだにいる、中国をシナと呼んで嬉しがっているブログや、刺殺事件を右翼傾向のある高市早苗さんの応援に利用しようとするブログを、いちいち相手にしない。
しかしイヴァンさんの文章は、(一見すると)そのへんの薄っぺらなネトウヨよりマシなほうに見えて、それだけに他人を納得させる力を持つ可能性がある。
だからこそわたしはきちんと反論したいのだ。
「ロシアがウクライナの原発攻撃を計画か『世界的影響を及ぼす恐れ』」だって。
プーチンも信用がないな。
そんな気があるならとっくにザポーリジャ原発あたりでやっているだろうに。
ソースはどこだと眺めると、ウクライナ政府だよ。
おまけにこれを引用しているのがデジタル朝日だよ。
ハナっから無視していい報道だな、中味はいっさい読まなくても。
昨夜は神棚に上げっぱなしのフェイスブックに、イエメンで平和維持のために働いているという欧米人のオンナの人から、日本語でチャットがあって、わたしのLINEのIDを教えて下さいと。
話がうますぎるから、アンタが本当に女なのか証拠を見せろといってやったら、すかさず可愛らしい娘といっしょの写真を送ってきた。
あまり手まわしがよすぎるし、そもそもわたしはLINEのIDなんか持ってない。
適当にあしらったけど、LINEのIDってなんか価値があるのかね。
ロシアの擁護をしたり、ネット詐欺師を相手にするのも、ホント疲れるワ。
たまにはこころやすらかに寝さしてくれ。
たまには映画のことでも書こう。
先日、成瀬巳喜男監督の「浮雲」がテレビで放映されたので、ひさしぶりに日本映画をじっくり観たけど、ヒロインを演じる高峰秀子のステキなこと。
この映画は林芙美子の原作の映画化で、ついでに部屋にあった同じコンビの「放浪記」を引っ張り出してみた。
じつはわたしが観たのは「放浪記」が先で、高峰秀子を名優と思ったのもその映画のせいだ。
「放浪記」のなかに貧乏娘の芙美子が、職を求めてあちこち当たってみる場面がある。
たまたまある会社で簿記の仕事を得るんだけど、じつは芙美子にまるで経験のない仕事で、当然ながら1日やっただけで出社に及ばずという電報をもらってしまう。
情けないというか、ふてくされるというか、この場面はわたしが本を読んで想像していた林芙美子に、まさにぴったりだった。
うまい役者だねえと思ったのはこの映画のせいだ。
うまい役者はさておいて、「浮雲」「放浪記」とも、最近のせせこましい映画がニガ手の、わたしみたいな年寄りの感性にぴったりの進行スピード。
このふたつの映画を観ながら、わたしは映画の背景に見惚れた。
「浮雲」が製作されたのは1955(昭和30)年、「放浪記」は1962(昭和37)年のことで、これは両方ともわたしがまだ高校生にもなってなかったころだ。
林芙美子は昭和の初めごろに活躍した人だけど、映画は背景までぜんぶセットを組んだわけではなく、街並みや建物などは製作当時の実景をそのままを使ったらしい。
映画のなかの景色はわたしの少年期により近く、これを見ていると懐かしい景色がまざまざとよみがえる。
女の人がまだひとりで和服を着られた時代、わたしも母親が自分で帯をぐるぐると巻いて、和服を着るすがたを覚えている。
そんな光景がなつかしいねえと思うのも、棺桶に片足突っ込んだトシのせいか。
こういう映画のなかには、CGや作り物でない本物のむかしが封じ込められているのだ。
わたしが以前ほめたこともあるJBpressという日本のメディアが、今度はロシアのことをボロくそに言っている。
それでわかった。
これも両者の報道を公平に扱っているようにみせかけながら、じつはその都度適当なことをいってるにすぎない、しっかりしたスタンスのないメディアであることが。
ボロくそにいわれるとおもしろくないわたしが、今回のJBpressがいうところの4つの「なぜ」について反論してみよう。
1・なぜ、やすやすとウクライナ軍に(クルスクへの)逆侵攻を許したのか?
これはわたしもすでに書いているけど、まさかこんなところをという手薄な場所を狙ったこと。
ロシア軍は訓練の行き届かない新兵ばかりで防備を固めていたくらいだから、油断もあったことは事実だろうし、そういうことを知ることができたのは、なんとしてもウクライナを負けさせるわけにはいかない西側の情報が大きいはず。
2・なぜ、軍事大国ロシアが即応できずもたもたしているのか?
もたもたしているわけじゃない。
プーチンはただちに一般市民を占領された土地から避難させ、捕虜になった新兵を捕虜交換で取り戻し、塹壕にこもった敵兵を掃討する手はずを整えた。
あとはいつでも敵を殲滅できるんだけど、そうしないのは3に続きが書いてある。
だいたいもたもたしているのはウクライナのほうではないか。
彼らはなんのために逆侵攻をしたのだろう。
東部戦線は異常なしだし、クルスクにある原発を狙ったなどという人もいたけど、ひとつも目的を達してないではないか。
3・なぜ、国家総動員を発令して一気にウクライナ軍をつぶさないのか?
この戦争の推移を眺めてみると、プーチンは最初のころから一気に敵を殲滅することは狙ってなかったようである。
相手は同じスラブ民族で、兵士に罪はなく、ゼレンスキーさんがアメリカに扇動されて始めた戦争であることを知っているから、戦後のことを考えたら一気に殲滅などできないし、ヘタすると西側の同情を買って、かえってまずいことになりかねない。
戦略家のプーチンはつねにそのへんの間合いを測っていて、今回の大攻勢も開戦から2年半も経っていた。
4・なぜ、集団的自衛権を行使しないのか?
なんのことをいってるのだろう。
プーチンは最初から周辺国を巻き込まず、ロシアだけで戦う決意をしているではないか。
自分の願望だけで記事を書くとマズイという見本だよ、このJBpressは。
ヤフーというのは日本でいちばん人気のあるニュースサイトだという。
たしかにお手軽に各社の情報を読めるのは便利で、わたしもポータルサイトとしてトップページに登録してあって、いつでも読めるようにしてある。
ところでヤフーというのは、自分でニュースを探したり調査したりする専門の報道機関ではなく、ただいろんな報道会社のニュースの中から、お金を払って記事を引用するだけの、いわばカタログ会社のようなものだ。
かりにここが偏向していたらどうなるだろう。
こんなことを考えたのは、先日気になることがあって、朝日新聞と産経新聞の公式サイトを比較してみたからだ。
いずれも記事の内容が極端なことでは世評の高いサイトだから、さぞかしロクでもない記事が多いのではないかと思っていた。
しかし公式サイトを見るかぎり、どちらもまともなもの、常識的な記事が多い。
そこでふたたびヤフーにもどると、ここでは朝日新聞の記事なんか、わたしから読むまえにデタラメだろうと思われてしまうくらい、ロクでもない記事ばかりだ。
そうなのか。
つまりヤフーも商売だから、できるだけ閲覧者を増やすために、各社のニュースの中から、おもしろそうなもの、センセーショナルなもの、そしていまの世間で読者が関心を持ちそうなもの(具体的にはロシア、中国をけなすもの)を選ぶに決まっている。
やれやれ。
こういうサイトが人気になるようでは、日本の若者の未来は暗い。
そう思って念のため、わたしがポータルサイトとしてよく使う、もうひとつのMSNを覗いてみたら、こちらもヤフーと似たり寄ったりだった。
@Niftyは泡沫サイトだから覗いてないけど、考えてみれば、他社の報道を選んで載せるポータルサイトでは、どこだって上記のようなニュースを選ぶに決まっている。
こんな状況で公共放送のNHKまでが偏向しているとなったら、ああ、やっぱり日本の若者の未来は暗いよ。
ヤフーを読むときは注意いたしませう。
武威という街は平野のなかにあるけど、遠方には褐色の山並みが遠望できて、雪山ものぞいている。
ただし天馬賓館の北楼は、まわりをビルにかこまれていて展望はよくない。
昨日はいちにち曇りという印象だったけど、今日はまたいい天気になった。
美人運転手が迎えにくる前にふらりと散歩に出て、まずホテルの近くの人民公園に行ってみた。
この街の人民公園はあまり大きくなく、入って正面に例の飛燕を踏む馬の像がどーんと立っている。
朝から太極拳をする人、小鳥の鳴かせ競争をしている人、そして物売りなどで、人出は多い。
バスの発着場のようすも見ておこうと大通りをぶらぶら歩いていたら、ガイドブックに旧古城壁が残る、と記されている個所に大きな城門が建設中だった。
ここに西安の城門に匹敵する観光の目玉を造ろうって魂胆らしいけど、現在のそれは足もとこそレンガであるものの、あとはコンクリートである。
ぜんぜん知識のなかった武威という街だけど、現在はご多分にもれず発展していて、わたしが行った2000年ごろに比べると一転しているようだ。
中国政府は貧困撲滅を計り、繁栄の分け前を地方にも与えるべく、世界の観光地を熱心に研究したらしい。
貧しい辺境に金を落とさせる、それもただバラまくのではなく、持続的に落とさせるためには、辺境であることを逆手にとって、独自の文化や景観を見せる観光地にしてしまえばよいというのは、きわめてまっとうな考え方である。
わたしが中国を旅する以前から、桂林や石林、九寨溝・黄龍、そして敦煌などの景勝地・歴史的遺産は紹介されていたけど、国の繁栄にともなって、こうした動きはますます盛んになってきたようだ。
いまは中国との関係がギクシャクしているけど、将来平和がもどれば、日本人はグランドキャニオンやイエローストーンを見るために、なにもアメリカまで出かけることはないのである。
すこしまえにNHKが放映した「最美公路」というテレビ番組や、わたしの中国人の知り合いが送ってきた新疆の写真などを見ると、中国にはまだあまり世界に知られていない目もくらむような絶景も多いのだ。
ユーチューバーの諸君に言っておくけど、金儲けのネタ、世界に知られていないめずらしい景色は、おとなりの中国にごろごろしているのだぞ。
こういうのは早くやった者の勝ちである。
バスの発着場でようすをうかがう。
いろんなとこへ行くバスがあるけど、蘭州行きもすぐ見つかった。
運転手に訊くと約5時間、25元だとか。
別のもっと大きな車体の蘭州行きにも訊いてみると、時間はほぼ同じで、こちらは料金が20元だというから、やっぱり客をたくさん詰め込むほうが安いらしい。
車なんかなんだっていいけど、ひょっとすると武威から蘭州のあいだは高速道路で結ばれているのかもしれない。
わたしは烏鞘峠や、チベット族自治県が間近に見られるのではないかと期待しているので、あんまり簡単にすっ飛ばされてはおもしろくないんだけど。
11時に女性運転手の劉さんが迎えに来た。
感心にひとりである。
もっともわたしが強盗かレイプ魔だとしても、彼女相手では簡単に組みしだかれてしまうであろうことは、すでに書いた。
とりあえず100元という約束で市内観光に出る。
最初に行ったのが文廟というところで、甘粛省最大の孔子廟だという。
庭にアカシア(えんじゅ)の古木があるのが気になっただけで、おもしろくもおかしくもない。
敷地内に博物館があって、西夏文字という歴史的に貴重な文字を刻んだ石碑があるということだけど、どれがそれだかぜんぜんわからなかった。
ここではストリートビューで見つけたそのあたりの写真も載せておく。
タクシーは万国共通のはずの進入禁止の道路標識を無視して、つぎに鐘楼に向かった。
運転手にもうしわけないから、いちおう見学してみたものの、おもしろいのは鐘楼のまわりの、びっしりは建て込んだ古い住宅くらい。
鐘楼というと西安でも張掖でもメインストリートの交差点のまん中にあったのに、この街の鐘楼は貧民窟の中のような、妙にハンパなところにあるのである。
どこか農村が見たいんだけどねとわたし。
タクシーはゴミ捨場のわきの汚い土壁の民家のわきに出た。
農村だよと劉さんがいうんだけど、彼女は農村と農家を混同しているらしい。
つぎに向かったのはいくらか郊外にある雷台というところ。
雷台もぜんぜん見たいと思わないのだけど、やはり案内してくれる運転手にわるいので入ってみた。
有名な飛燕を踏む馬はここで発見されたのだという。
わたしが見たときはそれほどでもなかったけど、ここは武威の名を世界に広めた場所なので、最近では大きな公園、地下墓地を含めた壮大な観光名所になったようだ。
建物の中に飛燕を踏む馬のレプリカが飾ってあった。
オリジナルは、甘粛省の省都である蘭州の博物館に収納されているもので、ここにあるのはすでに緑青をふいた本物そっくりの銅製品であるから、なかなかレプリカとわからない。
売店でその像のミニチュアを売りつけられたけど、小さな記念バッチひとつですませた。
車にもどって劉さんに、どこか水の流れているきれいなところはないかと訊くと、うなづいた彼女が連れていったのが、海蔵寺という寺のそばにある公園。
やけに緑の多いところで、なるほど、ここには水のある大きな池があった。
案内された岩のあいだから冷たい湧水が流れ落ちていたけど、乾期で水が少ないらしく、観光用の手漕ぎボートの底がつきそう。
富士山や軽井沢で白糸の滝を見たことのある日本人には、ぜんぜん感動的なところではない。
公園内の売店に2匹のチンがいた。
えらく人なつっこいのでしばらくたわむれたが、劉さんはつまらなそうな顔をしてながめていた。
こういうところじゃなく、もっと広大な農村風景が見たいんだよというと、運転手は、それじゃあ◯◯公園に行こう、ただしここから30キロあるけどという。
いいとも、そのぶんタクシー代を上乗せしようじゃないかということで、車を走らせる。
こんどはちょっと遠かった。
美しい農村風景の中を車は対向車、トラクター、自転車、歩行者をひらりひらりとかわしながらつっ走る。
なるほど、今度こそはうるわしい農村風景の中を、川がゆるやかなカーブを描いて流れている風光明媚な景色が見えてきた。
写真を撮るのにもってこいのロケーションだ。
空き地に車を停めて、ヤナギの生える川岸に向かって歩き出したら、たちまち何人かのおばさんたちに囲まれた。
水辺にテーブルとベンチが並べられ、飲み物でも取りながら休憩できるようになっていて、ぜひウチのベンチへとおばさんたちの客引きである。
おばさんたちをひとり残らず無視して、水のそばへ寄ってみて、おどろいた。
まっ黒な、とても川とはいえない汚染されたドブ川だったのだ。
劉さんもびっくりしたらしく、わたしが川を背景に写真を撮ろうというと、あわてて首をふっていた。
チンのいた公園の水は湧水だったからきれいだったけど、このドライブで見かけた川で、きれいなものはひとつもなかった。
そろそろ帰ろうということになり、市内方向に向かっているとき、劉さんがもう1カ所公園があるというので、あまり期待しないままに寄ってもらうことにした。
市民の憩いの場になっているらしく、林の中にバンガローふうの建物や売店(プールまであった)などが点在していて、行楽している人も多かった。
こんな公園を男がひとりで見たって仕方がない。
しかし公園のすぐわきまで農地がせまっていて、ムギ畑のまん中になにやら古い烽火台のようなものがあるのが目についた。
近づいてみるとレンガと土の建物で、最近の農家にしてはおそろしく頑丈に造られているから、これはやはり、なにか古い建造物ではないか。
ただし頑丈なのは土台だけで、この土台の上に、あとから乗せたような感じの四角い建物が乗っかっている。
わたしの想像では古い時代の烽火台の上に、誰かが勝手に家を造ってしまったというところだ。
そちらは窓もあり、ボロ布で目かくしがされていて、入口近くにはまだ数分まえに撒かれた水の跡まであって、いまでも誰か住んでいるようでもある。
ただしわたしがすぐ近くでじろじろ眺めていも、だれも出て来なかったし声もしなかった。
住人は世捨て人のように声をひそませていたのだろうか。
武威の街までもどって劉さんとともに食事をする。
わたしがビールを注文すると、彼女はフルーツ・ビールというものを注文した。
これは瓶の形こそビールと同じだけど、中身はラムネだった。
彼女はウドンに、わたしが注文したマーボトーフをぶっかけて食べていた。
わたしが長距離トラックの運転手だったころ、よくドライブインでライスにモツ煮込みをぶっかけて食べたことを思い出した。
どうもあんまりロマンチックな光景とはいえないようだ。
きれいな運転手とのデイト料金は200元で、食事はもちろんこっち持ち。
ホテルへもどって、寝るまえにもういちど街へぶらぶら。
ふだん怠惰なわたしが、それでもあちこち歩きまわっているので、わたしのお腹はだいぶ減っこんだ。
バンドがゆるくてたまらないので、たまたまあったバンド屋の兄ちゃんに頼んで穴をひとつ増やしてもらった。
これで快調、気分よくホテルにもどったものの、武威はつまらない街である。
荒々しい砂漠の景色をずっと眺めてきたあとで評価したのでは気のドクだけど、この街でわたしの記憶に残るようなものはほとんどなかった。
トルファンとコルラのあいだの山間部で見た、険しい山あいで、馬に乗ってヒツジを追う男たちの生活、わたしが見たいのはそういう景色なんだけど。
『ロシア軍、ウクライナ東部ウクラインスク制圧』
今日、ヤフーをのぞいたら、ニュースのページのトップにこんな表示。
さらにその横に『ウクライナ緊急支援のお願い』だって。
がーんと頭にきた。
なんでいまごろになって緊急支援をお願いするんだよ。
しません、ええ、支援なんてしませんとも。
わたしが残酷なわけじゃないぞ。
わたしはウクライナ戦争が始まったころから、いや最近の3週間ぐらい前からでもいいけど、これ以上犠牲者を増やさないように、戦争をやめろやめろといい続けてきた。
そういう声に聞く耳を持たず、支援の継続だけに熱心で、戦争を引き延ばしてきたのは誰なんだ。
歴史をふりかえっても、戦争を引き延ばせば犠牲者は増える。
戦争が終われば両国の国民が幸福になる場合のほうがずっと多い。
わたしはプーチンがヒトラーではないと信じているから、こういうことをいうんだ。
戦争が終わって幸福になったのは、日本が好例じゃないか。
今朝のNHK国際報道を観たら、キャスターの望月麻美ちやんがアメリカに取材に行ったときのことを話していた。
アメリカには強力なユダヤ・ロビーであるAIPACという組織があって、米国議会にユダヤの息のかかった議員を送り込んでいるそうだ。
この組織の影響で、アメリカではイスラエル批判はしにくくなっているとか、AIPACと考えの異なるユダヤ・ロビーもあって、米国内で両者がゴタゴタしているとか。
とりあえずここではユダヤ・ロビーに対して麻美ちやんも批判的だけど、そこまでわかっているなら、なんでNHKはアンチ・イスラエルになって、パレスチナの応援をしないんだよ。
これほど白黒のはっきりした問題に、NHKはいつも曖昧な態度。
もっと歯切れ良くパレスチナ人の応援をしたらどうなんだ。
ウクライナに対しては、避難民を日本に引き受けたり、車椅子を送ったり(あまり戦局に影響は与えないことばかりだけど)総力をあげて支援しているくせに。
これもぜったいに米国には逆らわないようにという、公平を装うためのカモフラージュじゃないのか。
トランプさんがまたテロリストに狙われた。
しかし今回は単独犯であることが確実。
なんでかって?
犯人はシークレットサービスにも警官にも射殺されず、のうのうととっ捕まっているじゃないか。
わたしが楽しいブログと認めている「波平余生録」の波平さんが、いちじブログを止めると宣言していたものを、ふたたび再開した。
そうだ、そうだ、ブログぐらいボケ防止に効果のあるものはないと、わたしも再開に全面賛成なので、再開祝いのコメントをつけようとしたら、あにはからんや、わたしのコメントは書き込み禁止になっていた。
わたしのほかにも再開を祝福するコメントがいくつかついていて、それはちやんと載っているから、こうなるとコメントを禁止扱いにしているのは波平さんではない。
やっとわかってきたけど、おそらくココログのほうで、わたしのコメントが気にくわないと、一括して禁止扱いにしているのだろう。
ま、それだけわたしのコメントの影響力が大きいのだと思えば、腹も立たないし、こうやってそのことさえブログのネタになる。
カウンターの数字はあいかわらず頭を押さえられっぱなしだし、ただただココログの姑息な態度がケシカランので、対抗策として日本のファッショ化はいよいよ進行中だと、うんと広報しちゃうかんな。
わたしはNHKしか観ない人間である。
偏向していると思われるかもしれないけど、民放のあのギャアギャアしたお祭り騒ぎみたいな番組がキライで、テレビはほとんどNHKしか観ない。
いまでもNHKしか観ないのは一緒だけど、見方が大幅に変わったのはウクライナ戦争のおかげである。
わたしはNHKのファンであると同じくらいロシアのファンでもあったから、この戦争の推移ばかりではなく、それまでのいきさつや、ソ連崩壊後のロシアの歴史もじっと注目してきた。
そういう人間から見ると、ウクライナ戦争の報道が偏向していることも手にとるようにわかった。
公平客観的であってほしいと願うわたしにとって、NHKに裏切られたことのショックは大きい(民放も似たようなものだろうけど、観ないからわからない)。
いったんNHKの欺瞞が鼻につくと、ウクライナだけではなく、対中国の報道や、アメリカの大統領選挙や、アジア・アフリカの国際情勢の分析など、欺瞞があとからあとから出てきた。
いくら世界を2極化して、日本はそのうちの一方のメンバーなのだといっても、プーチンを極悪人、犯罪者扱いするのは、これはちょっとひどすぎる。
公共放送がデタラメを流すようになったら、日本にもふたたび学徒動員や、特攻隊の時代が来るのではないかと、未来をしょってたつ若者たちの運命も危うい。
こう考えると、ウクライナ戦争の意義はまことに大きい。
おそらくこの戦争がなければ、わたしはいまでもNHKだけを判断基準にしていて、その報道が真実であるとばかり思っていただろう。
残念なのは、それがわかったあとも、視聴料をオレだけは払わんといえないことだ。
ウクライナの支援金をわたしたちの税金から出すのをヤメロと、日本政府にもいいたいんだけどね。
戦争は悲惨なものである。
けれど人間というのはなぜか、一定期間以上まえのことはけろりと忘れてしまうものらしい。
もちろん忘れない者もいるけど、そういう人間は変人ということで世間からつまはじきにされるのである(わたしみたい)。
こんなことを書いたのは今夜、録画してあったNHKの「日米プロパガンダ戦争」という番組を観たからだ。
この番組を観て、戦争は悲惨なものであると同時に、当時の国民がいかに簡単に国家のプロパガンダに乗せられたかということをしみじみ考えさせられた。
これがわりかし一方に味方するような描き方をされてなかったのは、ウクライナ戦争よりずっとむかしの太平洋戦争を扱っていたからのようだ。
太平洋戦争をふりかえって、ウクライナ戦争はプロパガンダの戦争でもあるから注意しましょうってことらしいけど、いまのNHKを見ていると皮肉としか思えないな。
プロパガンダの危険性を声高にいうくせに、いまのNHKは徹底的にプロパガンダばかりじゃないか。
なにがなんでもウクライナを負けさせるわけにはいかないと、ウクライナの大本営発表と、西側の偏向報道、さらにプーチンを極悪人にするデタラメまで、執拗に流し続ける。
“一定期間以上のことはけろりと忘れてしまう”というのはこの番組を観ての感想なのだよ。
そうやって台湾有事まで持っていこうとするなら、わたしとしてはもういちど、戦争は悲惨なものだよというしかない。
わたしの花壇にはこの季節になると、彼岸花が盛大に咲く。
ところがそろそろかと思って見回りに行ってみたら、今年はまだせいぜい10本ぐらいが首を伸ばした程度。
草むしりをするくらいで、ほとんどエサもやらず、新しい球根も補充しないから、ふつうに考えればどんどん花の数は減っていって、あとは野となれ山となれってことになるんだろうか。
心配だから近所の、やはり彼岸花の名所を視察に行ってみた。
うちの近所にはハンセン病の療養所だった全生園があり、その敷地内にもみごとに彼岸花の咲く一画がある。
ところがそこにも今年はひとつも、いやひとつだけという体たらく。
ネットで巾着田の彼岸花で有名な埼玉県高麗の開花状態を調べてみたら、今年は暑さのせいか開花が遅れてますだって。
安心したけど、罪作りな花だね。
それにしてもわたしがここに引っ越してきたときの花壇の素晴らしかったこと。
あれはボランティアのおじさんが、手間ヒマと、花の苗や肥料にそうとうの費用を注ぎ込んでいたんだろうなあ。
というわけでそのころの花壇の写真をもういちど。
列車のなかで目をさましたのが朝の8時ごろ。
すぐに小さなオアシスで停車した。
駅名を確認できなかったけど、時刻からすると玉門鎮らしい。
個室の窓からベッドにごろりとしたまま見えるのは左側の景色で、そちらはほとんど起伏のない砂漠、右側の通路側の窓からは砂漠の向こうに山が連なっているのが見える。
こんながらがらの軟臥もめずらしく、客のいる部屋は、8つあるうちの2つか3つのようだった。
最近は中国人も金持ちになって、どうせ軟臥に乗るなら豪華車のほうがいいということか。
わたしはトルファン駅でとなりに停まっていた豪華列車を思い出した。
そのうち右側の車窓に、まだらな残雪の残る突出した山があらわれた。
この山は列車からよく見え、ちょうどこれから祁連山脈が始まるというあたりにあるから、日本でいえば丹沢連峰のいちばんはじにある丹沢大山みたいなものか。
灼熱の砂漠の向こうに雪山なんて、日本じゃお目にかかれない景色だから写真で紹介しようと思ったけど、このあたりはいちど見たところなのでフィルムがもったいない。
そこでインチキをする。
この写真は1997年に初めてシルクロードを訪れたときに撮った祁連山脈の写真で、それを左右反転すれば帰路に見た景色になる。
どうじゃ、このデタラメなこと。
わたしは山が好きなので、ずっと目を離さないでいると、玉門鎮を過ぎたあたりから山脈の向こうにさらに高い雪山が、わずかに頭を見せ始めた。
これが祁連山脈の盟主たる祁連山らしく、そうだとすれば標高は5547メートルもあるから、わたしが走っている場所も2000メートル以上あるのではないか。
わたしはいま武威というまったく知らない街に向かっている。
なぜこの街に下車することにしたかというと、1997年の旅でこのあたりを通ったとき、列車の車窓からアヤメに似た花がたくさん咲いているのを見て、それが気になっていたからだ。
帰国してから調べてみると、武威と蘭州のあいだには、上海〜ウルムチ間でいちばん標高が高い烏(からすという字)鞘峠という難所がある。
花が多いのはそういう特殊な地形のせいらしいけど、できることならそれをもういぢど、近くからじっくり眺めてみたかった。
さらに調べてみると、烏鞘峠の近くには“天祝”という町があって、そのあたりはチベット族の自治県になっていることもわかった。
へえ、チベット人はこんなところにも住んでいるのかと意外に思い、ついでにその町も見てみたい。
武威で列車を降りて、路線バスで蘭州に向かえば、もっと近くから烏鞘峠や天祝を眺められるに違いないと考えたのである。
嘉峪関で中国人の農民のおじさんおばさんといった感じの2人連れが乗り込んできた。
ニーハオと簡単な挨拶をしておいだけど、彼らは商丘という街へ行くそうだから、西安、洛陽よりまだ先である。
12時すこし前に清水という駅に到着して、ここで紙パックの乳酸飲料を買う。
同室の夫婦とはあまり口をきかない。
このあたりで列車は不可解な動きを始めた。
まず180度以上あるような大旋回をし、そのあとも大きなS字を描いた。
あたりは山あいといえば山あいだから、これから山に入るぞというウォーミングアップの儀式のようなものかも知れない。
コルラで見たような急峻な場所にも見えなかったけど、やっぱりストレートに突入するにはきついところなのだろう。
17時10分に金昌に到着、このつぎがいよいよ武威である。
金昌を出てまもなく、わたしは麦畑のあいだに、白もしくはブルーの小さな花が植えられているのを見た。
同室のおじさんおばさんはなんとなく農民みたいなので、彼らに尋ねると、おじさんがいうのには「油菜花」だという。
油菜といわれるとつい菜の花を連想してしまうけど、黄色い花ではなかったド。
時間どおりに武威に到着。
同室の2人に別れを告げてわたしは武威の第1歩を踏み出した。
駅前で寄ってきたタクシー運転手の中にきれいな女性がいた。
わたしはさっそく彼女に天馬賓館、10元だぜという。
天馬賓館はガイドブックで調べてあったホテルで、市内だから5元ぐらいだろうけど、相手が損をしないよういくらか高めにいったのである。
この街で下りた外国人はわたしだけのようだから、ほかのタクシーはみんなあぶれたわけで、どこの国でも美人は得である。
ただし彼女はわたしの想像する楊貴妃のようなタイプではなく、先日のパリ五輪で、日本人として初めて金メダルを受賞したレスリングの鏡優翔ちゃんみたい。
わたしなんか簡単に組みしだかれてしまいそうだ。
前述したように、この街は路線バスに乗るために立ち寄ったもので、ほかに目的はなかったから、ついつい駅やホテルの写真を撮り忘れた。
これはストリートビューで眺めた現在の武威駅だけど、駅前はこんなに広くなかったねえ。
なんでもわたしが行ったあとの2009年に、駅とその周辺がアップグレードされたそうだ。
路線バスに乗るためといっても、のんびりゆったりを基調にしているわたしの旅だから、到着したその日にバスに乗るほどせっかちじゃない。
せっかくだから武威という街も見物していくことにした。
明日タクシー借りきりで観光したいんだけというと、たちまち運転手はこの餌にくらいついた。
わたしとしても観光するなら美人運転手つきのほうがいいのである。
彼女の名前は劉さんで、女の子がひとりの母親だそうだ。
武威は小さな街だけど、天馬賓館は3つ星の立派なホテルである。
劉さんを待たせたままフロントに行って、部屋代はいくらなのか尋ねてみた。
ロビーにこの町のシンボルである「飛燕を踏む馬」のレプリカが展示してあった。
この像はいまでは甘粛省全体のシンボルになっていて、蘭州の博物館にも置いてあるけど、もともとは武威の雷台というところで発見されたのがオリジナルだそうだ。
当時のわたしはそんなことも知らなかった。
ところで天馬賓館ていまでもあるのか。
調べてみると、ちゃんとネットで引っかかるから、いまでもあるらしく、この写真もネットで見つけた最近のものである。
わたしの部屋は北楼の515室で、部屋もダブルベッドだし、いくらか湯の出がわるいくらいで文句のつけどころはなかった。
カードは使えなかったけれど、これで1泊220元(3000円足らず)というから泊まることにした。
このあと新華書店まで劉さんの車で地図を買いにいき、明日は11時に迎えにくるよう約束して別れた。
もっとも前回の敦煌や張液であったように、相手もこちらを恐れて男の用心棒を連れてこないともかぎらない。
さて楽しいドライブになるかどうか。
天馬賓館の北楼にも売店がある。
愛想のいいおばさんがいて、冷えたビールはないかというと、後ろにあった冷蔵庫で冷やしておくからあとで取りにおいでという。
シャワーを浴び、洗濯をしたらもう暗くなってきた。
まだ21時ごろだから、新疆ウイグル自治区に比べると日没は早い。
わたしはすでにカシュガルから上海までの行程の半分近くまでもどってきたのである。
ほとんど食事らしい食事もしてないので、ふらりとそのへんまで迷い出た。
ホテルの近くに涼洲(武威の古い名称)市場という、小さな食堂がびっしり建て込んだ屋台街のような場所があった。
酸湯水餃子という看板のある店に飛び込み、それを注文してみたら、日本のふつうの焼き餃子と同じくらいの餃子が20コくらい入っていた。
ほうほうの体でやっと半分くらい食べ終えた。
部屋にもどって、冷やしておいてもらったビールを飲みながら考える(このビールは金黄河といって、640ミリリットル入りの丸々と太ったボトルに入ており、なかなかいけた)。
またほんの少し見てまわっただけだけど、武威の街はわたしの想像とすこし違っていた。
城門を出るといちめんの砂漠といった、国境の町のようなところを想像していたのだけど、いまのところ洛陽のような漢族の町という印象しかない。
街の周囲に農地が多いから農民は多いけど、もはやウイグルではなく、そのほとんどが回族のようだった。
イチョウの木が折れて下を歩いていた人が亡くなったそうだ。
わたしの散歩道にも傾いて生えているカシがあって、その下を通るときはいつもコワイ。
そうかといって、たまたまわたしがその下を歩いているとき、その木が倒れる確率は交通事故に遭うよりずっと少ないだろう。
そんな幸運、いや不運に当たったとしたら、神さまの思し召しと考えてさっさと成仏するワ。
それとはべつに、ニュースを観ていたら、現地派遣のアナウンサーがスタジオから呼びかけられると、ちょっと間をおいてから返事をしていた。
あれって海外の場合、通信事情から間があくのかと思っていたけど、イチョウのニュースは日本の日野からだぞ。
ロシアやウクライナにも特派員が派遣されて、もっともらしいことをいってるけど、インチキじゃないか。
現地にいればさまざまな情報が入ってくるはずなのに、つねにNHKの方針にそった報告しかしない。
やっぱり海外の報告といえども信用しないことにする。
このブログでも何度か紹介したことのある大地舜さんのブログから、またひとつ冷静な目で国際情勢を見つめるブログを知った。
「耕助のブログ」というのがそれで、賀茂川耕助という人が米国の報道を翻訳しているものらしいけど、くだくだしいことはいわない。
わたしがなにをいってもどうせ変人だからと無視されてしまうに決まっているんだから、真実かどうかはあなたが自分で読んで判断すべきだよ。
民主主義の盟主を自認するアメリカにいいところがあるとすれば、ときどき耕助さんの記事のもとネタとなったような、アメリカ政府の方針に反する意見がどうどうと出てくることだな。
ロシアと本格的な戦争になるのはマズイというんで、最初は兵器の供与もひかえていたアメリカやEUは、ウクライナが追い込まれるたびに、少しづつ兵器の支援をエスカレートさせてきた。
ブリンケンさんと英国の外相がウクライナを訪問したのは、長距離ミサイルの使用許可を出すためという噂があるけど、最初はそれもあり得るという威嚇のつもりだろう。
つまり許可を出すぞ、出すぞと脅かして、ポーカーではったりをかますのと同じこと。
そうしたうえで、ブリンケンさんはバイデンさんに報告するという名目で、いったんアメリカにもどってプーチンの反応待ち。
ぎりぎりで塀の上を歩くようなチキンレースが続く。
問題はそのつぎだ。
はったりが効かなければ、つぎは本当に使用許可を出すしかない。
じっさいに長距離ミサイルをウクライナに運び込む。
かってのキューバ危機の再来だ(攻守が正反対だけど)。
さてどうなるか。
いまの時点ではここまでにしておこう。
じたばたしても仕方がない。
アメリカ大統領を、日本人がいくら騒いでもどうにかできるわけじゃない。
デタラメばかりのマスコミやSNSを信用するわけにもいかない。
結果は2カ月後に出る。
討論会はハリスさんやや有利(NHKの見立て)だそうだけど、またわたしの個人的感想を述べておこう。
トランプさんにはもちろんアドバイザーがついていて、討論まえにあれやこれやとアドバイスしたに違いない。
いつも通りのトランプ流で行きましょう、あまりわざとらしく微笑んだり、余裕があるようなそぶりをしてはいけません。
傲慢不遜で、不機嫌な顔をして、ぶっきらぼうで、たまにはムチャなことをいったりするべきです。
アメリカ国民はそんなトランプを愛しているのですからと。
これと逆を行ったのがハリスさんだ。
にこやかに微笑んで、相手が極端なことをいうとたしなめるような仕草を見せ、終始自分が有利という態度。
はたしてアメリカ人がどちらに好感を持つかで、2カ月後の結果が出るわけだけど、アメリカにも最近は単細胞が多いから、安直にダマされる人が多いかも知れない。
しかし、少なくてもNHKにころりとダマされる日本人ほどアホでもないから、結果はわからんと、これはあくまでわたしの個人的感想。
ブリンケンさんと英国の外相がそろってウクライナ訪問だそうだ。
これってウクライナに長距離ミサイルの使用許可を出すための謀略。
やっぱりわたしが書いた通りでしょ。
NHKの由井秀樹サンも公平をよそおって、イランがロシアにミサイルを送るからいけないんだと、こちら側の言い分を正当化する。
みなさんもころりといかないようにご注意。
それより、がっくり報道が減ったけど、越境攻撃のウクライナ兵はどうなった。
彼らもメシは食わなきゃならない。
補給路を絶たれてさぞかし空腹なんじゃないかね。
いよいよ我慢できなくなったら、降伏すれば温かいロシア軍の野営食がふるまわれるはずだから、わたしはあまり心配してイマセン。
ココログの「農と島のありんくりん」サンがまたおかしなことを言ってる。
彼の論調はもうわかっているから、いちいち書かないつもりだったけど、今回は総裁候補の進次郎くんをけなすついでに、その親父の小泉もと首相までやりだまにあげているから、変人同盟の会員であるわたしとしては、反論しないわけにはいかない。
いったい文章を読むとき、その文言が使われているかどうかはたいした問題じゃない。
わたしは以前おかしなことばかり言ってるブロガーに、コメント欄で注意をしたことがあるけど、彼は、オレはそんなことは言ってないと開き直った。
言葉が使われたかどうかは問題ではなく、わたしはつねに文章全体から、相手がなにを言いたいのか判断するようにしているので、これはたんなる言い逃れか、あるいは支離滅裂である
ありんくりんサンの文章に、進次郎くんが2019年に環境大臣だったころ、国連気候変動行動サミットへした発言をあげつらうものがある。
「今のままではいけないと思います。だからこそ『日本は今のままではいけないと思っている』と世界に向けて発信しなければならない」
これをありんくりんサンは
「結局ナニを言いたいのかまったく不明で、これでは内容が抜けた見事なトートロジー(同義語反復)となっています」というんだけど、わからないなら教えてやろう。
文章の脈絡からして、進次郎くんは
「気候変動の取り組みについて、日本はあまり熱心に取り組んでないと思われてしまう。これではいけないので、熱心に取り組んでいることを世界に発信しなければいけない」と、こういっているのだということは、そうとう鈍い人でなければ、誰にでもわかる。
まともすぎて大臣の答弁としてはおもしろくないけど、いまはありんくりんサンのように、一言一句までケチをつけようと狙っている野次馬の多いときだから、経験不足の彼がプロンプターを見て慎重に発言するのはまずいことではない。
つぎに変人同盟の名誉総裁であるもと首相について書こう。
「純一郎氏は2001年総裁選で田中真紀子氏とともに全国を遊説し、『自民党をぶっ壊す』と聴衆の度肝を抜く言葉で、小泉旋風を起こしていった。国民はその言葉に熱狂し、森内閣の失政の数々を忘れて政治の刷新を期待した」
ありんくりんサンはここでも特定の言葉だけを捉えて相手をけなしている。
もと首相は言葉だけではなく、じっさいに郵政改革という、それまでの自民党の政治家がだれもできなかったことをやり遂げた。
郵政改革については結果を見てから失敗だったと結論づける人が多いけど、大事なのは誰も出来なかったことをやったというその姿勢だ。
国が赤字で困っている、そういうときに無駄を垂れ流すような組織は改革する必要がある。
もちろんこれには反対する者も多い。
長年の積弊で、いろんな組織のなかに顔役という人間がはびこっていて、利権をむさぼっていた。
顔役というのは自民党にも上前をはねられていたから、自民党そのものが汚職の温床だったようなものだ。
これをいったんひっくり返して、ガラガラポンで、新しくやり直すというのが小泉改革の本命だったはず。
改革の個々の事例にケチをつけても仕方がない。
どんなものにも、こちらを立てればあちらが倒れるということはあり得る。
「結局パパ小泉が首相となってやったのは田中派の解体だけでした」
そうかい?
上記のように、変人同盟のもと首相でなければ、いったい誰が郵政改革をやれただろう。
わたしは小泉ジュニアが父親ゆずりの変人であることを期待している。
そうでなければ現在の、時代の変化に取り残された馴れ合い政治と決別することは不可能だからだ。
そのためにはジュニアにはもうすこし経験を積み、自民党からでさえイヤがられる存在になってほしいんだけどね。
総裁選挙の候補者が出揃った。
え、揃ってない?
ああ、上川のおばさんね。
彼女が最初の予想よりモタモタしてるのは、日本国民もけっこうまともな考えを持っているということじゃん。
なかには泡沫候補みたいなのもいて、世間はいろいろ騒がしいけど、そういう候補者ってのは最初から総理になれるなんて思ってないよ。
つまり、なれなくても自分の存在感を示し、つぎの内閣であわよくば、どこかの大臣の椅子でももらおうってんだろ。
わたしは日本の選挙にあまり関心がない。
というのは、わたしは変人なので、どうせわたしが意見を言ったって聞く人はいないに決まっているから。
でもすべてが決まってから、後だしでエラそうなことをいうのもナンだから、個人的願望ぐらいは披露しておこう。
ひょつとすると進次郎くんが勢いで総理になってしまうかも知れない。
しかし彼はまだ若すぎるし、経験も不足だ。
いちばんいいのはつぎの内閣で外務大臣でも経験しておくことだけど、ただここで立候補しないと、大勢の候補者のあいだに埋没してしまう可能性がある。
だから立候補ぐらいはしておけと、無責任なまわりに煽られたんじゃないか。
注意しなければいけないのは、そういう、いまは味方みたいな顔をしている連中が、かならずしも進次郎くんを盛り立てて、政権のおこぼれをもらおうという輩ばかりじゃないとということだ。
なかには人気のある進次郎くんをやっかんで、このさい彼をおおいに持ち上げ、どすんと落とすことを狙っている人間もいるかも知れない。
いまの日本はジョーシキしか信じない人が多すぎる。
民主主義が音をたてて崩壊しようというこの時代、魑魅魍魎の徘徊する国際情勢を乗り切るためには、進次郎くんの親父のような思い切った改革のできる政治家が必要だ。
わたしとしては似たような傾向のある河野くんにでも総理をしてもらって、進次郎くんはその中でもうすこし経験を積んでほしいってことだね。
国際ニュースを観ていると、よくアメリカの景気がよくなったとか悪くなったとか、雇用率が上がったの下がったのといっている。
G7のほかの国の動向がそれほど詳しく報じられることはめったにない。
西側諸国にとってはそれだけアメリカの景気に引っ張られているってことだろうけど、まるでG7がアメリカに奉仕する奴隷みたいだ。
いまのところ日本も景気はそれほど悪くはないから、文句はいわないけど、アメリカよければすべてよしってことなのか。
そんなアメリカが始めたウクライナ戦争以降、ヨーロッパ、とくにEUの盟主をもって任じていたドイツは、破滅的な事態におちいっているようだ。
フォルクスワーゲン社がドイツから逃げ出すなんて噂もあるし(社員数千人が職を失うのだそうだ)、せっかくシュレーダーさんやメルケルさんが、エネルギーの安定供給を目指して敷設したノルドストリームが爆破されて、おかげで国内の石炭依存から抜けられず、脱炭素化や持続可能な社会への取り組みも無期限延期になりそう。
それでも今日は雇用状況が改善したと、あ、これはアメリカの話ね。
日本(とNHK)の期待も虚しく、ロシア国民の結束はいよいよ堅く、ロシアの景気はますますよい。
景気が悪い悪いといわれている中国も、なぜかアフリカに大盤振る舞いなんてニュースもあったな。
NHKの報道を無条件に信じてしまう凡人は、これからはちょっとひねって、西側のニュースはすべて180度反対だと解釈すれば間違いがないかもね。
外国をひとり旅していると疲れることがある。
肉体的な疲れではなく、たとえば土産もの屋での値段交渉、なんとかしてこちらをごまかそうとするタクシー運転手や、ピンハネしようとするホテルの両替などとの闘いだ。
こういうことをするのは圧倒的に漢族が多い。
ウイグルはまだ素朴で、あまり外国人とちょくせつ対峙する業種についてないせいもあるけど、こんなことばかり続くと、わたしも暴動を起こしたくなってしまう。
交河故城を見学したあと、わたしはトルファン賓館にもどった。
このあとロバ馬車で緑洲賓館というホテルに行ってみることにした。
ここにはCITS(旅行会社=列車の乗車券販売もしている)があると聞いたので、ヒマつぶしに自分で列車の料金を調べておこうと思ったのである。
たいした距離でもないから往復5元にせいよと、人の好さそうなロバ馬車のおじいさんに掛け合う。
小学生くらいの少年があとから走ってきて同乗した。
じっさいには緑洲賓館で時間をくったのと、道路が工事中で帰りは別の道を使うことになったので、わたしはこりゃ10元は仕方ないなと思った。
ところが御者と少年は口をそろえて20元だという。
じつに人の好そうな顔をしている御者のおじいさんだけど、こうなると真剣である。
トルファン賓館の門前で、ふざけるな、10元だとすったもんだしていると、Jhon's CAFEからマコトちゃんが飛び出してきて間に入ってくれたので、けっきょく10元ですんだ。
このおじいさんはウイグルだったけど、いったい誰だ、日本人はいいカモだと教えたのは。
いや、疲れる。
とうとう用意してあったフィルムが底をついた。
ホテルの売店で尋ねると1本50元以上のことをいう。
日本ではフィルムなんてタダの景品だというと、いくらなら買いますかと計算機を持ち出す。
わたしは疲れた。
20時ごろ、マコトちゃんとバザールへナイフを見に行く。
カシュガルで買ったものは駅で没収されてしまったんだよというと、没収されないためには駅で身につけていればいいというので、もういちど安いものがあったら考えてみようかということにしたのである。
マコトちゃんの友人だという店に行ってみた。
素性のいいナイフが120元だという。
そんな高いものは買えないとゴタゴタいいあって、ああ、またしてもわたしは疲れた。
翌朝は6時半ごろいったん目覚め、1時間ほどワープロを打ってまた寝てしまい、2度目に目覚めたのは9時すこし前だった。
シャワーを浴びたあと買い置きで食事をすます。
この日はトルファン出立である。
一部の人間のがめつさには閉口しているけど、それでも旅する楽しさはそれを帳消しにしてあまりある。
わたしは気持ちよくこの町を離れることにした。
さて列車だけど、わたしがホテルに依頼したのは17時台に出る344次か190次というやつ。
とりあえず高いほうというわけで、手続き料を含めて650元の予約金をとられた。
CITSに問い合わせたときに、料金が異なるのは一方の列車が空調完備の豪華車であるからということがわかった。
ただどっちが豪華車であるのかは、ホテルで見た時刻表とCITSの説明が逆だったようで、よくわからない。
高いほうがだいたい500元前後、安いほうが400元くらいだろうとのこと。
フロントにいた美貌の小姐が正直に釣り銭を返してくれればいいが。
この小姐にかぎらず、中国のホテルでは対応した当事者が勝手に料金や手数料を決めているんじゃないかと思うことがよくある。
たとえばホテルによっては日本円の両替を依頼すると、フロントにいた娘がこれこれしかじかの手数料でよければやってあげますという。
交渉次第で額が変わるところをみると、ホテルは関係なしにフロント係が自分の判断でやっているようだから、手数料はフロント係のものになるのだろう。
つまりホテルの従業員がホテル内で勝手に商売をしていることになるけど、ホテルや上司はこれを把握しているのだろうか。
たいていの場合、領収書をくれるわけでもないので不信感がつのる一方である。
11時近くになりホテルをチェックアウト。
列車の切符はOKですかと尋ねると、前日の美女とは異なる娘が、手配はしてありますから駅で受け取って下さいという。
予約金からオーバーした分を返してくれたけど、正確なオーバー金がいくらかわからないし、また100元でタクシーを斡旋しますなどと始まって、うんざり。
なんとか切符の件がかたづいて、ふらりと町へ出ようとしたら、網をはっていたマコトちゃんに引っかかってしまった。
40元で駅まで送りますといわれ、ま、いいだろうとわたし。
列車は18時ごろだから、15時半に待ち合わせ。
時間がありすぎても行くところがないので、ひとつ交河故城近くの素朴な村へでも行ってみるかと、バイクタクシーをチャーターした。
とことこ走ってダム湖の見えるあたりで停車し、写真を撮るために湖のほとりまで歩いてみた。
想像したとおり素朴で、日本の田舎を感じさせる村で、村人がにこやかに挨拶する。
湖の水ぎわまで歩いてみると、この日も子供たちが水浴しているのが見えた。
ふたたびとことこ走って帰路につく。
途中でウイグルの運転手がなにかいいだして、さっぱりわからないけど、市内まで行きたくないというのようなので、市内に入る手前で下りてしまった。
ここにも日本語堪能のウイグル人タクシーが網を張っていて、市内まで1元でいいですという。
1元は安いと思ったら、車のなかでまた観光の勧誘が始まった。
トルファンには地球の中心がありますとかいっていたけど、時間もないので断固拒否。
顔なじみのヤコブが運転する軽バンで駅へ。
駅までは一般道路を走り、料金所を過ぎたところで有料道路にのる。
車はウルムチ方向へ、往路とは異なる道をひた走る。
わたしの知っている道、今回トルファンに到着したとき走った道は、洪水で崩壊したままなので、遠まわりでもこちらを使うのだという。
そういえばトルファンに到着したとき、駅にはわたしたちのバス以外にも、市内に行くはずの車がたくさん停まっていたのに、わたしたちの車が出発しても、前後を走る車がまったくいなかった。
理由は、ほかの車はみんな迂回路を走り、崩壊した道をムリやり走ったのはわたしたちのポンコツだけだったということらしい。
トルファン駅前ビルの2階にあるCITSで無事に切符を受け取った。
今回は甘粛省の武威で途中下車する予定である。
ここは前回の旅で、どうしてここだけこんなに花が咲いているのだろうと不思議に思った烏(カラスという字)鞘峠から近いので、それを自分の目でじっくり確認してみるつもりだった。
列車は190次で軟臥の下段だというから、ほかの客が共用のソファ代わりにしている場合が多く、あまりのんびりできないかも。
暑いので、さっさとマコトちゃんらと別れて駅の待合室に入ってしまった。
待合室で切符を点検した駅員が、まだ発車まで30分以上あるはずなのに、さっさと乗車しなさい、あなたの列車はあれですという。
彼女はトランシーバーでホームの駅員に連絡をとり始めた。
ひとり乗り遅れそうな客を発見した、出発をちょっと待てという感じである。
わたしはあわててホームへ向かったけど、出発はやはり30分もあとだった。
またナイフを没収されないよう、わたしはそれをポケットにしのばせていたのに、トルファン駅のX線検査機は壊れていた。
中国人たちは荷物を開けさせられてチェックされていたけど、わたしと、たまたまあとからやってきた白人バックパッカーは、ようやくきちんと整理してパンパンにつめこんだ荷物を、うっかり開けるとまたあとが大変だと思ったらしく、ノーチェックでOKだった。
ひょっとすると空調完備の豪華列車かと思ったのもつかの間、190次はおそろしく汚い、囚人護送車のような暗くて汚い列車であった。
どこから侵入してくるのか、窒息しそうにケムい個室に座って発車を待っているあいだ、その豪華列車というのがとなりに停車した。
こうなるとピンハネする金額が大きいというので、わざと安いほうの列車の切符を手配されたのかも知れない。
なんだっていいやとわたしもヤケになる。
嬉しいのは、どうやら個室がわたしひとりの貸し切りらしいことである。
このまま武威までひとりでいくか、美人姉妹でも同室になるといいけど。
18時すぎの発車と同時に、大きな疲労感を感じてぐたーっと横になる。
景色の写真を撮ろうと思っても、この列車ではムリかもしれない。
なにしろどの窓も古びてサビついたようになっており、金輪際開こうとしない。
まあ、砂漠の写真はもうどうでもいいか。
21時半ごろ太陽は地平線にかかった。
まだまだ明るいけど、列車はどこか海と群島を思わせる赤い砂漠をゆく。
暗くなってから停車した駅で、ホームに下りて空を見上げてみると、まあまあきれいな星空だった。
列車は今夜中に新疆ウイグル自治区の国境を越えて、ハミを過ぎて柳園に至れば、そこはシルクロードであっても、そろそろ漢族の勢力圏である。
さらば、ウイグルよ、ハイルホシー(ウイグル語で「さようなら」)。
「プーチンはロシアを救ってなどいない」”圧倒的支持”は真実か? ロシア人の本音から見える『すべてが恐怖を基盤に成り立つ』生活」
これは今日のネットにあらわれたWedgeオンラインの記事の見出し。
アンチ・ロシアにとってはよくぞいってくれたという記事だけど、わたしが読んでみるといくつか欠陥がある。
そのまえにどんな傾向の雑誌なのか調べてみたら、新幹線のなかにも置かれているビジネスマン向けの総合誌、という説明を見て思い出した。
わたしは過去に3回も、このサイトに問題アリという記事を書いている。
だめだこりゃあという感じだね。
〇2024年3月の記事
〇2022年3月の記事(ここでは引用記事の中にWedgeが出てくる)
〇2021年4月の記事(これも引用記事の中に)
国内にいるロシア人に質問したのでは当人に危険がおよぶという理由で、記事は国外にいるロシア人だけに質問した内容をもとに書かれている。
そして発言者はすぺて仮名で、本人が実在しているかもわからない
これでは書き手が、じっさいに取材せず、机のまえででっち上げることも可能だ(わたしにだって出来る)。
机のまえででっち上げたというには根拠がある。
この執筆者はプーチンの功績を無視している。
エリツィン時代の混乱や、その後のプーチンによる改革にも触れていて、もっともらしく聞こえるけど、プーチンが国内のオリガルヒを刑務所にぶちこまなければ、ロシアもウクライナと同じオリガルヒに食い物にされる国になりかねなかったことや、プーチンがほんとうに強欲で強圧的な大統領なら、自分がオリガルヒに代わってロシアをワイロ漬け国家にしていただろう。
プーチンの支持は87パーセントもある、これは本物かというんだけど、わたしは本物だと思うね。
なにも知らないのは日本人だけで、ロシア国民はウクライナ戦争が、西側による因縁づけだということぐらい、ちゃんと知っとるワ。
とにかくWedgeのサイトについては、わたしのブログの過去の3件の記事に尽きる。
わたしは忙しいんだ、つまんないことで時間をとらせるな。
今日の最新ニュースでは、米国と英国の諜報機関のトップが発言。
劣勢に追い込まれたほうがどんな“負け惜しみ”をいうか、んなもの、聞かなくてもわかるわい。
北朝鮮と中国の親密ぶりを物語る映像には、習近平さんのうしろに、だいぶ以前にクビになった秦剛外相が並んでいるのが見えた。
映像では2019年の映像とことわっていたけど、なにがどうなって、そんなに古い映像を引っ張り出すんだよ。
『ロシア兵、降伏したウクライナ兵また銃殺』
状況がわからないし、ウクライナの報道ということはまるっきりの捏造ということも考えられる。
戦場ではいろんな場合があるものだ。
たとえば塹壕戦で、ロシア軍がウクライナ兵に降伏を勧告したとする。
それなのに返ってきたのは銃弾で、その銃弾で味方の兵士数人が死傷した。
こうした場合、直後に降伏したってジュネーヴ条約の適用になるかどうかはロシア軍の考えひとつだ。
塹壕戦といったらアメリカン・フットボールのような近距離の肉弾戦なのだ。
あくまで抵抗というなら、ウクライナ兵にも覚悟はあっただろう。
以前にも降伏したウクライナ兵が銃殺される映像が出まわったことがある。
たぶん今回と似たような状況だったと思えるけど、そのときウクライナ兵は、タバコを一服したあとで銃殺された。
これは戦場では軍人対軍人の、ルールにのっとった、相手の勇敢さを称えつつの処刑だった。
同じことはロシア兵にもあっただろう。
けっして一方の側の無慈悲な殺戮行為とみなすべきではない。
これまでもウクライナ兵が、虐殺されたといわれながら、捕虜交換で出てきたことはたくさんあるではないか。
いちばんいいのはなにがなんでも戦争をやめることしかない。
『イランがロシアにミサイル提供か 米報道』
やれやれ、また自分のとこはありったけの支援をしている米国のでっちあげか。
おそらく今度は自分たちも、さらに長距離のミサイルの提供と使用許可を出すための布石なんだろう。
ミサイルといったら大きいぜ。
船で運んだのか、飛行機か、あるいは陸路で貨物列車か。
いずれにしても確かな証拠はあるのか。
キューバ危機のときは船で運んだのが偵察機にしっかり写真を撮られたもんだけどね。
どこまで行ってもきりがないな。
ウクライナ戦争の終わりを見届けたいわたしは、いつになっても死ねやしないよ。
うん、これもわたしの中国紀行を最後まで続けなさいという天のおぼしめしかも。
まだ続きを読みたい人にとってもありがたいことデス。
わたしはダーウィンの「ビーグル号航海記」のファンで、この旅にも文庫本を持参したくらいだけど、この本のなかに南米の先端にあるデル・フエゴ島の原住民に教育をほどこすとどんな結果になるかという話が出てくる。
ビーグル号の船長であるフィッツロイは、それ以前の航海でフエゴ島を訪れたとき、原住民の男女をロンドンに連れ帰り、イギリス式の教育をほどこして、ダーウィンの航海のとき彼らを故郷に連れもどした。
結果は悲惨なもので、余計なお世話というようなものだったけど、こういうのも知的好奇心というものだろう。
ところでと、わたしも新疆ウイグル自治区で知的好奇心を抑えられなかった。
15歳の少女が3年たつとどう変わるか。
子供のいないわたしは、それを確認してくることにしたのである。
もちろんわたし流のジョークも混じっているけど、トルファンには3年前に知り合ったシーズワンというウイグルの少女がいる。
ここに載せた冒頭の写真が彼女だけど、この子のその後が知りたくて、わたしはつぎに観光葡萄園へ行ってみることにした。
じつは前回の旅のあと、そのとき撮った写真を、帰国してから彼女が書いてくれた住所に送ってやったんだけど、漢字の住所は彼女には手におえなかったようで、はなはだ不明瞭な宛先だったから、はっきり届いたという確証がなかった。
トルファンに行くなら直接手渡してしまったほうが間違いないし、ウイグルの家庭というものを見てみたい。
ただし彼女の家がわかっているわけではない。
書いてもらった住所はあてにならないし、観光葡萄園はトルファンの北にある葡萄谷風景区にかたまっているものの、葡萄園と名のつく施設はいくつもあるのだという。
行ってみれば思い出すだろうと、とりあえず風景区に向かった。
火焔山からもどってきて、国道をトルファン方向に走り、左にまがればトルファン市内という大きな交差点を右に行く。
すぐに見覚えのある景色になってきた。
あたりはブドウ畑の多い小さな村落で、左側の小高い丘の上にブドウ乾燥用の四角い倉庫がいくつも並んでいる。
右側は谷になっていて、下のほうに小さな川が流れていた。
村のなかでゆるやかな坂道を下るとその先が葡萄園の駐車場だった。
マコトちゃんがここじゃないですかというんだけど、あたりを見まわすと、見覚えがあるようなないような。
ブドウはまだ収穫期ではなく、未熟の小さな房がついているだけで、売っているのは干し葡萄だけだった。
そのへんで聞いてしまったほうが早いでしょうと、マコトちゃんがまわりの人に写真を見せると、あっけなく彼女のことはわかった。
まわりの人の中からシーズワンのお姉さんまで出てきたのである。
あのときたしかお姉さんは食堂で手作りのウドンを練っていて、わたしは冷麺を美味しくいただいたものだった。
シーズワンと知り合ったのも冷麺を食べた食堂がきっかけだったのである。
妹は家にいますよというので、わたしたちは家に行ってみることにした。
彼女の家はブドウ園の駐車場から、上の道路までもどったすぐ角の右側にあった。
マコトちゃんとわたしが門の中へ入っていくと、そこに老若男女が5、6人たむろしていて、これこれこういうわけでと事情を説明すると、お兄さんという人が前に出てきた。
サモア人のようないかつい顔に見覚えがあった。
まもなく家の中から、アテレス・パターンのズボンをはいたシーズワンが、突然の遠来客におどろいたのか、目をパチクリしながら出てきた。
3年前に見たときはまだあどけなさが残る、残りすぎるくらいの少女だったのに、いくらかほっそりして、切れ長の目の美少女になっていた。
わたしは満足したけれど、相手は自分の子供といっていい年頃の娘なので、これ以上ナニカを期待されても困る。
いまならYouTubeのいい材料になったかも知れないけど、あいにく当時はそんなものはなかった。
ウイグルの家というのは日本にもあるような普通の農家で、相手は前ぶれもなしに押しかけた日本人にとまどっている様子だったから、写真を渡しただけで長居はしないつもりだった。
庭に大きなアンズの木が植えられている。
こちらはいまちょうど食べごろだったので、写真のお礼をしたいといって、シーズワンはこの木に登り始めた。
なかなかおてんばな子である。
これがわたしとシーズワンの一期一会だった(再会だから正確にはニ期ニ会だけど)。
わたしはこの2年後にもういちどトルファンを訪問するけど、あまりしつこいのもナンだから、ふたたび彼女を訪ねることはなかった。
ウイグルの女性の結婚適齢期は18から22くらいだというから、もうすこし追跡調査をしてみれば、ウイグル娘の結婚観を知るよすがになったかも知れないのに。
車で帰るわたしたちを見送って、彼女は微笑んでいたけど、わたしにはイスラムの少女のはにかんだような微笑みがいつまでも記憶に残った。
帰りに土産にもらったアンズは、マコトちゃんとヤコブにあらかた食べられてしまった。
マコトちゃんから、まだどこかへ行きたいですかと訊かれて、わたしは交河故城と答えた。
まだ時間はあるし、いくらか軽バンの料金が変わっても、ま、いいだろう。
マコトちゃんと談合の末、180元に50元プラスということで手を打った。
じつは交河故城はトルファン市内から遠くなく、トルファン賓館から自転車でも1時間半も走れば着いてしまうところだった。
交河故城についてはウィキにおまかせするけど、川にかこまれた船型の台地の上の遺跡で、あとでトルファンを去るとき、列車の中からも遠望できることがわかった。
わたしは前回の旅で同じような古い遺跡である高昌故城を見学したけど、交河故城のほうが保存状態はよい、というか崩壊の規模は進んでいない。
ここへ行く前にマコトちゃんが、用事があるといって市内で車を下りてしまったので、交河故城へ行くのはわたしと運転手のヤコブだけということになった。
ヤコブは中国語(漢語)もほとんどしゃべれない。
交河故城へ行くとちゅう、近くの村にダムがあって子供たちが水浴しているのを見た。
地図を見ると、ダムというより川の一部のようだけど、ちょっと遠目にながめて行き過ぎるには惜しい景色である。
このあたりの村はまだ素朴さを失っていないので、再訪できるならそうしたいところだ。
交河故城に着いたのは午後3時ごろで、いちばん日照の強い時間帯だった。
故城には陽をさえぎるものが何もないので、無帽でここを見て歩くのはかなりしんどい。
規模はかなり大きく、城内を歩いていると迷路のようで、写真のモチーフにふさわしい奇怪な形の建造物跡がたくさんあったけれど、そのほとんどは土をこねただけの廃墟なので、よほど仏教の伝来にでも興味がないと、見物しておもしろいものではない。
ヤケになったわたしは、ここでもそこかしこで土くれをひっくり返してみた。
暑くて虫もいたたまれないのか、1匹のサソリもムカデも見つけることはできなかった。
この日にトルファンで石をひっくり返した日本人は、わたしがいちばんだったんじゃないか。
あまり暑いのでとても全部見てまわる気にはなれず、故城の中心をなす大仏堂あたりでひき返し、早々にエアコンの効いている土産もの店に逃げこんだ。
涼しい部屋でイップクできたのだから絵ハガキくらいは買ったけど、ここでもわたしは小姐たちの買え買え攻勢に抵抗するのに疲れた。
ベラルーシで日本人がスパイ容疑で逮捕だって。
ああ、またユーチューバっぽいね。
わたしもそうだけど、外国に行くと、まともな場所ばかり見てもつまらない(そんなもので登録者を増やせない)。
それで駅や市場だとか路地裏のような、あまり普通の観光客の行かないところばかり、ならまだいいけど、当人が軍事オタクなら、ついつい軍隊の基地のまわりだとか、戦車や飛行機などを撮影してしまった・・・・
それが目につきすぎて、あいつはナンダということになり、逮捕。
だいたい極東の島国がベラルーシをスパイしてなんの戦略的価値があるんだ。
将来ベラルーシと戦争でもしようってのかい。
不自由な時代になったものだ。
外国に行くときは、その国と日本がどんな関係になっているかを把握して、因縁をつけられないよう注意しなけりゃいかんじゃないか。
わたしもかっては中国やロシアに何度も行ったけど、通常の観光客が行かないようなところばかり見て歩いたから、いまのご時世ならスパイとして逮捕されてもおかしくない。
じっさいに中国のデリンハという街に行ったときは、解放都市ではなかったものだから、ホテルまで警官が来たことがある。
それでもわたしの時代は幸運なもんだったよ。
日本人というだけで、尊敬とあこがれの目で見られたからね。
スパイとして捕まった日本人も心配はいらない。
そのうち捕虜交換で、おっとっと、日本にベラルーシ人の捕虜なんていないか。
まあ国外追放処分で帰ってくるだろう。
そしたら“ベラルーシでスパイの◯◯です”を売り物にすれば、登録者は労せずして数十万だ。
ベラルーシの官憲に、スパイだったことを認めないと帰さないぞと脅かされたんだろうけど、認めてよかったじゃん。
ベラルーシのことを悪く言ってくれと、NHKからも出演依頼が来るだろうから、出演料はたんまりもらいなさい。
おお、ロシアが太っ腹だよ。
日本近海の汚染水には問題がない、フクシマの海産物は食べても大丈夫だって、ロシアの国立研究所が太鼓判だ。
いきり立っていた日本側としちゃあ肩すかしってトコだね。
だからいったでしょ。
ロシアも中国も日本の食べ物が危険だなんてハナっから考えていないんだよ。
ただ日本が西側グループに所属して、あることないことデタラメをいってケンカを吹っかけるから、いちゃもんにはいちゃもんで対抗という具合に政治問題化しているだけなんだ。
日本でYouTubeをしているマリアランドのマリアちゃんも、昨日あたり問題なしに日本にもどってきて、もう沖縄の自宅に落ち着いたらしいや。
ロシアはけっして国民に日本へ行くなと強制してないし、やはりプーチンは本心では日本が好きなんだよ。
でも注意したほうがエエ。
日本はいまフィリピンやバングラディシュのように、見込みのありそうな国を西側に引っ張りこもうと必死だ。
しかしロシアや中国から見れば、日本は西側からひっぱがせそうな国として見込みがありそうと思われているかも知れない。
ロシアはなかなか話がわかるじゃんと喜んでいると、知らないうちにBRICSに加盟させられているかも。
ああ、NHKよ、どこへ行く。
一方にデタラメをふりまく公共放送があり、一方にそれをすなおに信じる聴衆がいる。
いまやNHKは報道機関としても認められない、たんなるプロパガンダ機関に成り下がった。
近いうちに司馬遼太郎の作品をテレビ映画化した「坂の上の雲」が、再放送されるそうだけど、この映画のバカバカしさはわたしのブログに書いたことがある。
そんなものを再放送するのも、なんとかしてロシアを貶めたいという必死さの現れなんだろうねえ。
昨日はウクライナの傭兵がベネズエラで拘束され、これはロシア寄りのマドゥロ大統領がプーチンにごまをすったのだろうと、些細な事件では鋭い洞察。
そのくせいまの時期にどうして内閣改造なのかと、ウクライナの政変については低脳児的推察だ。
なんではっきりいわないんだ。
これは沈没しかけた船からネズミが逃げ出すってことじゃないのかねと。
ロシアの猛攻に、逃げ遅れて戦争責任をとらされてはたまらないと、外相のクレバさんを含めて閣僚たちが逃げ出したってことじゃないか。
もちろん証拠はない。
しかし証拠がないのは前記のウクライナ傭兵の場合も同じ。
もう勝手な、いや、こちら側に都合のいいデタラメばかりだ。
中国が不景気だというのもどこかおかしい。
国際報道のなかに不景気で都会に仕事がないから、いま中国では若者の田舎への移住がブームだという。
その報道のなかに、都会で仕事にあぶれた若者を積極的に雇用する田舎の高級民宿が出てきた。
この民宿を経営するのも都会脱出組の起業家だそうだ。
民宿は日本を見習ったのかも知れないけど(かっての中国に民宿なんて言葉はなかった)、トイレはウォシュレットだし、建物はきれいで、しばらく先まで予約はいっぱいだそうだ。
やはり仕事にあぶれて、田舎で農業を始めた若者も出てきた。
当初は家畜を病気で失ったりして大変だったらしいけど、こういうことはなにも中国でなくても、日本でもいっしょだ。
彼は田舎に通信機能が備わったのを機に、スマホで農産物のネット通販事業に乗り出し、ぼちぼち利益をあげてきたところだそうだ。
これのどこが不景気なんだよ。
習近平さんは貧困撲滅運動を始めて、どんな過疎の田舎でもスマホが使えるようにしている。
先日観た「チベット・天空の村」という番組には、チベットのラサよりはるかに奥地の、標高5070メートル、人口が150人しかいない寒村にまで電気を通じさせていた。
この村は過疎を逆手にとって観光客誘致に乗り出し、じっさいに番組でも大勢の中国人が、冬にヒツジたちが氷の上を渡って、湖のなかの島へ大移動するというイベントの見物に訪れていた。
なにがなんでもと逆上ぎみのNHKは、相手をけなそうとすればするほど、逆効果というスパイラルにはまり込んでいるのだ。
そうか、責任は局の上司が首を切られて(退職金だけはちゃんともらって)、それで万事めでたしだもんな。
あまり頻繁にブログの更新をしていると、あいつはよっぽどヒマなんだな、他にやることも趣味もないんだろうと思われてしまいそう。
仕方がないじゃん。
わたしはじっさいにヒマで、ほかにやることもない年金老人なのだ。
そのくせ世間にはひとこと言いたいことが山積みで、ヘタか上手いかは別にして、わたしは文章を書くのが速いし、たとえばアクセス数などでいわれなき迫害を受けたりすると、ますますその勢いに拍車がかかるのだ。
昨夜のNHKはひどかった。
いくら被害者意識を強調したってなんの解決策にもならない。
簡単なのはウクライナが降伏すればいいだけのことだ。
戦争をやめればいいだけだ。
それでスラブ民族同士の殺し合いは止んで、ウクライナ国民も救われるのだ。
絶対にウクライナの負けは認めるわけにいかないと、NHKはなんの権限があってそんなことをいってるのだろう。
徹底抗戦を叫んでいたのでは、なにも解決しないし、犠牲者が増えるだけだ。
プーチンだって無理に戦争を続けたいわけじゃあるまい。
普通ならとっくに降伏してもおかしくないウクライナが、西側の無理な支援のおかげでどこまでも降伏しないから、攻撃も次第にエスカレートしてきただけじゃないか。
太平洋戦争でどうしても降伏しない日本に手を焼いて、米国が原爆を叩っこんだのとどこが違うんだ。
ICCに加盟しているモンゴルがプーチンを逮捕しなかった?
戦場で家族と離れ離れになった子供たちを安全な場所に引き取り、親が現れたらすんなり返す、これがなんで誘拐になるんだよ。
プーチンを指名手配したということで、ICCは西側寄りの、いや、寄りという生やさしいものではなく、西側の出先機関であることを自ら証明してしまった。
こんな不公平な組織に戦争犯罪者を指名手配する資格はない。
おそらくウクライナ戦争でウクライナの味方をする人たちでも、モンゴルがプーチンを逮捕するのは、ちょっと無理スジだということを理解しているだろう。
将来ICCが解体されるとしたら、すべて身から出たサビだ。
あらゆるでっち上げを並べるNHKを見ると、もはや狂気の沙汰としか思えない。
日本は西側先進国の1員なんだから西側の肩を持つのは当然だというなら、それはまあいいけど、なんでデタラメで相手を中傷しなけりゃいけないのだ。
そのくせ汚職大国のウクライナを責める声はひとつもない。
あいにくわたしはむかしからロシアのファンで、愛国者のプーチンのこともよく知っているのだ。
公平に評価されない彼が気のドクだし、見ていて怒りが込み上げてくる。
だからますます世間から隔絶したガンコじいさんになるんだけど、後悔はしないぞ。
まわりを見ても年寄りでガンコでない人間はあまりいない。
となりの部屋のじいさんなんか、引越ししてきてからほとんど顔を見せないや。
トルファン賓館の起床は7時半ごろ。
今日も暑い日になりそうである。
シャワーを浴びてまず買い物に行くことにした。
門の前に出るとすでにマコトちゃんが待ち構えていて、時間を早めて出発しませんかという。
わたしはあまり早いのはまずいと思って11時すぎに約束していたのである。
まだメシも食ってないよとって、それでも出発は9時にすることにした。
その前に銀行で両替と、明日の列車の切符を手配しておかなければ。
トルファン賓館はトルファンでは一流ホテルだけど、じつはあまり信用がおけない。
両替を依頼すれば、(いちおう)一流ホテルのくせにかならず手数料をピンハネしようとする。
切符を注文すれば正規の手数料以外の金をふんだくろうとする。
この日にわたしはホテルで武威までの切符を依頼した。
フロントにいた美しい娘は無表情のまま、100元も意味不明の金を請求書につけ加えていた。
それに対していちいち文句をいうだけでぐったりと疲れてしまう。
この国ではダマすよりダマされるほうが悪いのである。
そして、日本人は金持ちなんだからダマさなけりゃという絶好の標的なのである。
すったもんだで出発が遅れたけど、マコトちゃんと、ヤコブという名の運転手をたずさえて、軽バンで出発。
最初の目的地は「ベゼクリク千仏洞」である。
ここはクチャやカシュガルの博物館を見てまわったとき、展示物の説明の中によく柏孜克里克千佛洞という言葉が書いてあり、千佛洞の意味はわかるけど、“柏孜克里克”については読み方もわからなかった。
あとでこれはベゼクリクと読むことがわかり、トルファンに着いたら行ってみようと思っていたのである。
バンはかって知ったる国道を、火焔山を左手に見ながらつっ走る。
軽バンといえどもつっ走らなければいつになっても目的地に着かない国である、ここは。
交通事故はあまりないというけど、彼らの飛ばしっぷりをつぶさに見てきたわたしは疑問に思う。
ライトは暗いし、ブレーキは効くのかというような車で、事故が少ないとしたら、それは車の絶対量が少ないだけじゃないのか。
おまけに飛ばすだけではなく、彼らは馬車や人間に遠慮するような運転をまったくしないから、
ベゼクリク千仏洞はちょうど火焔山の裏側にある。
バンは途中国道をはずれ、火焔山を左に見ながらその腰をまわりこむ。
この先で道路は改良工事中で通行止めだった。
迂回路を使うと40キロ遠回りだそうだけど、工事をしていたのが同じウイグル人だということで、強引に工事現場を通してもらってしまった。
改良工事中の道は右下に深い渓谷をのぞんでおり、対岸には壮絶としかいいようのない褐色の裸山がせまっている。
よく見ると、そんな荒涼きわまりない不毛の山肌に、なにかが歩いた跡が無数についていた。
大型の野生動物でもいるのかとマコトちゃんに訊いてみると、いないという。
足跡だけではなく、斜面にわだちの跡までついていた。
人間でさえ通りたくない斜面で、ちょっと想像を絶するような場所だけど、ウイグルたちはこの斜面を馬車で往復してしまうらしい。
もっとも3年前の大洪水を別にして、めったに雨の降らないところだというから、足跡もかなりの長期間にわたってつけられたものかもしれない。
車が入れるのはベゼクリク千仏洞のすこし手前までで、そこから先は通行止めになっていた。
千仏洞の見学者は待ち構えているロバ馬車に乗り換えることになっていて、千仏洞まで1キロもない距離なのに、往復20元。
ロバ馬車は何台もいて、たまたま客はわたしひとりだから争奪戦になってしまった。
こういうときわたしはいちばんおとなしそうな御者の車に乗ることにしてるんだけど、問答無用でいちばん強引そうな御者に拉致された。
千仏洞はいちおう観光スポットとして整備され、売店等もある。
西遊記の牛天魔王と鉄扇公主の話をもとにしたテーマパークまであって、泥で作った三蔵法師一行の人形や、怪しげな洞窟なんぞが作られていた。
ディズニーランドを知っている日本人にはちょっと無邪気かつお粗末な施設で、客なんか1人もいなかった。
はたから見ると千仏洞に関係ありそうだけど、10世紀から13世紀の遺跡とはまったく関係ないもので、調べてみたらいまでも写真が見つかるから、2024年の現在でもまだあるらしい。
マコトちゃんは土産もの売り場で待ってるというから、そこから先はわたしひとりで見てまわることになった。
撮影は禁止なので洞窟内の写真はない。
敦煌に比べるとずっとスケールは小さいので、ぶらぶら歩いて30分もあれば見終えてしまう。
洞窟の大半はカギがかけられていて、内部まで見られるのは4つか5つ。
見られる洞窟は内部の壁がガラス張りになっていたりして管理はよくされていたけど、肝心の壁画はここも破壊の跡が甚大である。
大きな壁画になると、ちょうど人体を描いた部分だけがそっくりはがされてしまっている。
そんな被害をかろうじてまぬがれた中に、日本の聖徳太子を思わせる、ふっくらした人物像があるのが印象に残った。
カメラを返してもらって、そのへんをうろうろしていると、洞窟の下に農家らしい民家があり、千仏洞から階段をつたってそこまで下りられることがわかった。
わたしは開いていた門をくぐり、石段をつたって、川べりまで行ってみることにした。
この写真の手前に見える階段がわたしが降りたもので、あとで係員に怒られたけど、最近の写真では降りた先の川べりに遊歩道ができている。
やつぱり下りてみたい、川べりを歩いてみたいという客が多いのだろう。
階段を下りたところに1軒のウイグル農家があって、家のまわりに樹木が植えられ、カッコウの鳴き声が聴こえていた。
わたしはそのへんの石を足でひっくり返してみた。
最初の石の下に小さなサソリがうろたえていた。
しかしこの後20回も石をひっくり返したのに1匹のサソリも見つからなかったから、それがどこにでもいるという確証はない。
またこのあたりにはアリジゴクの穴がたくさんあった。
試みにたまたま捕まえた甲虫を落としてみると、すぐに宿主が砂を飛ばし始めたから、すかさず棒でほじくりだしてみた。
巣の大きさからは期待はずれの小さなアリジゴクだった。
このあたりでは細かい点のあるトカゲも見た。
川べりには木や草も茂っているし、生命は豊富で、水ぎわの草むらのにはトノサマガエルの半分くらいしかないカエルがたくさんいた。
小さな流れのなかにはメダカ・サイズの魚もいた。
農家のわきにはヒツジが放牧され、鳴き声だけではなく、背後の大きな木のこずえにカッコウの本体も見た。
家の主婦とおぼしき女性が、ちょっと警戒するような目つきでわたしを見ているのに気がついたから、コンニチワと挨拶をしておいたけど、千仏洞よりこっちのほうがよっぽどおもしろい。
川べりの散策を終えて千仏洞にもどると、ガイドの小姐が待ち構えていて、ここから先は下りてはいけないと書いてあるでしょとわたしをなじる。
中国語が読めないもんでと弁解してなんとか逃れた。
売店をのぞくと、見るだけでいいといっていた小姐の攻勢だ。
なかでも梅さんという小姐がいちばんしつこく、わたしがボールペンで彼女の似顔絵をさらさらと描くと、そのボールペンをワタシのものと交換してくれと強引に迫られて、応じざるを得なかった。
この後、100元を20元プラスに値切って(たまたまポケットにこまかい金はそれしかなかった)ラクダに乗る。
千仏洞入口のすぐ横に、浅間山を連想させるようななだらかな傾斜の山がそびえており、ラクダはそのあたりを周回コースにしている。
このラクダはあくまで観光用で、このあたりに野生のラクダはいないそうだ。
山はかなり個性的な独立峰なので、なんという名前かと訊いてみたけど、火焔山の一部であるという返事しかなかった。
もちろん1本の草木もないから、巨大な砂丘のようでもある。
これの山頂付近まで登る客もいるのか、ラクダの足跡がずっとのびていたから、100元払えばそこまで登れるのかも知れなかった。
しかし暑いし、徒歩でついてくる馬方(ロバ方?)にも気のドクな気がして、わたしは20元分で満足することにした。
わたしがもどるころ、千仏洞入口に米人観光客の一団が到着した。
アラビアのロレンスですよといってみたけど、彼らはラクダに乗る気はなさそうだった。
ふたたびロバ馬車で車のところへもどる。
わたしが千仏洞を見学し、川べりを散策し、ラクダに乗っているあいだ、ロバは炎天下でずっとおとなしく待っていたのである。
その頑強さには驚いてしまう。
通行止めの個所までいくと、ヤコブは車の中で寝っころがっていた。
こんな暑いところでと、ロバも強いが人間もタフ。
NHKの「世界ふれあい街歩き」はわたしの大好きなテレビ番組である。
名所旧跡よりもどちらかというと、そのへんの街のなかをうろつきまわるというポリシーが、わたしの旅によく似ているのだ。
録画しておいた「街歩き」を観ていたら、ベトナムのニャチャンという街が出てきた。
ベトナム南部にあるリゾート地で、7キロもあるという美しいビーチが広がっているところだ。
ビーチを見ているかぎり、わたしの知っているハワイみたいだけど、浜辺にいるのはみんなアジア人で、一歩そのうしろの街の中へ踏み込むと、タイのような東南アジア的喧騒になる。
それでも登場するベトナムの一般市民たちが、いずれもハワイ人のように、陽気で明るいことに感心した。
わたしの世代だと、ベトナムといえば、まず浮かぶのがベトナム戦争の記憶だ。
血みどろの戦争の果てに現在のベトナムはあるはずなのに、国民はとっくにそんなことを忘れて、ノーテンキに暮らしているように見える。
たとえ貧しくても、共産主義の下でも、人々が楽しく暮らすことは可能であるという見本のようだった。
唐突に話がアフリカに飛ぶけど、アフリカには政治が混乱して、しょっちゅう殺し合いばかりしている国が多い。
しかし誰だって殺し合いばかりしたいわけじゃあるまい。
まじめな政治家が出てきて、まじめな政治をすれば、誰もが殺し合いなんかやめて平和に暮らしたいと考えるんじゃないか。
なぜこれまでそうしなかったかと考えると、植民地時代の宗主国がかげで糸をひいて、まじめな国にならせないようにいろいろ謀略を仕掛けていたせいかも。
こういうことを書くと、もう放り投げる人が出てくるだろうけど、べつに陰謀論を語ろうというわけじゃない。
アフリカはもうすぐアジアに匹敵する人口大陸になる。
アフリカ人というと、教育も受けてない無知な国民ばかりだと思う人がいるかも知れない。
しかしわたしは以前、作家のポール・セローといっしょにアフリカを(バーチャルだけど)旅をして、この大陸の事情も勉強したことがある。
現在ではアフリカのほとんどの国で、首都は高層ビルが立ち並ぶ近代都市になっているし、アフリカにだって教育熱心で、まじめな政治をしようという政治家も多いのだ。
まずはそういう国が率先して、徐々にほかの国も引っぱれば、アフリカ全体が殺し合いの混乱から脱却できそうな気がする。
同時に、混乱はみんな先進国が仕組んだ謀略だったということが明るみに出るかも知れない。
なぜ急にアフリカに飛んだかというと、いま日本を始めとして、あちこちでアフリカ・サミットが開かれており、アフリカは東西両陣営からひく手あまたなのだ。
日本ではTICAD(アフリカ開発会議)が開催され、インドネシアでもアフリカ会議が、中国では中国主導のアフリカ会議がもうすぐ始まる。
NHKの「キャッチ世界のトップニュース」では確信犯の別府正一郎アナが、開発会議で訪日したナイジェリア、チャドの政治家にインタビューしていた。
どちらの国の政治家も、日本の偏見に満ちた公共放送のアナウンサーなど、歯牙にもかけないくらい堂々と受け答えをしていて、話にソツがなかった。
わたしひとりの人生のうちに、ベトナムが不幸な国から幸福な国に変わったように、未来のことは誰にもまったく予測できないのだ。
つぎの人間の一生のうちに、アジアやアフリカの時代が来ることは確実なように思える。
ちょっと前にこのブログで、もしもわたしに子供がいたら、第三言語として彼にどんな言葉を勉強させるべきかということを書いたけど、アフリカなんぞに興味のないという世間のみなさんは、せいぜいちゃらちゃらしたフランス語か、ナチスに回帰しようというドイツ語でも習わせるんだね。
朝日新聞といったら、かっては日本を代表するオピニオンリーダーといっていい名門新聞だった。
それがプーチンがモンゴルを訪問し、ICC(国際刑事裁判所)に加盟しているモンゴルが彼を逮捕しなかったと驚いている。
窮すれば鈍するのか。
いったいICCが国家に命令できるということを、ウクライナ戦争が始まるまえならともかく、今でも信じている人がいるだろうか。
それでもまっとうな報道機関か、まっとうな記者なのか。
ヤフーもヤフーだよな。
朝日新聞の公式サイトでは、まあ大半の記事が無難なものなのに、それじゃおもしろくないというんで、数少ないセンセーショナルなものだけを、自分のところに引用しているに違いない。
世間のみなさん、ヤフーのニュースだけを見るのは危険ですよ。
外国からのニュースが少ない土日が入ったせいで、NHKにけなすネタがない。
しかしSNSにはデタラメが休む間もなく氾濫しているから、こっちはネタに不自由しない。
ネットニュースの見出しに、捕虜になったロシア兵が不意をつかれたと告白しているものがあった。
これはどういうつもりの記事なのかとじっと考えてみた。
ようするにロシア軍はたるんでるといって、ロシア軍の欠点をあげつらう、そうやって“うさばらし”をするための記事なのか。
不意をつかれたというのは間違いではないだろう。
プーチンは訓練の行き届かない新兵を、できるだけ戦場から離れた、こんなところを攻撃してもしようがないという国境に配備していた。
だから彼らが不意をつかれ、簡単に捕虜になったのは不思議でもなんでもない。
しかしこのことはプーチンが兵士を大切にしていることの証明にもなる。
これまで西側のプロパガンダでは、ロシア軍は徹底した人海戦術で、兵士の命を軽んじているというのがもっぱらの主張だった。
そんなことはないではないか。
沖縄戦に戦艦大和を送り込もうとした日本の軍部のように、ヘタすれば玉砕の可能性がある作戦に兵士を送り込んだゼレンスキーさんと、どちらが兵士にやさしい指導者なのか。
プーチンはすぐさま捕虜交換でできるだけたくさんの兵士を取り戻し、ウクライナ軍が占領した(とされる)土地の住人を退避させ、いつでも絨毯爆撃のできる態勢をととのえた。
ただ自国領を爆撃して廃墟にするのもつまらないから、敵の動きを監視し、そのうち自主的に撤退するのを待っているのだろう。
ということで、クルスクの戦線は停滞中。
西側はここぞとばかりにロシアの領土を占領してやったなどと勝手なことを並べるけど、ロシア側がなにも言わないのはいまに始まったことではない。
いまのウクライナ軍はお釈迦様の手のひらで踊った孫悟空みたいなものだ。
アンタは西側の言い分が正しいと信じて待ちなさい。
わたしはこういう自分の考えが正しいと信じて待つ。
朝っぱらからネットニュース(ヤフー)に、今度は中国船による領海侵犯だって。
そんなの今回が初めてなのかとよく読んでみたら、案の定過去にも何度もあったそうだ。
それなのに今回だけ大騒ぎしようというのは、もめごとが多いほうが売り上げに有利だという無責任なマスコミと、なにがなんでも中国にケンカを売りたいという、いまの日本政府の事情なのかい。
日本は海にかこまれた国で、輸入や輸出でも船は欠かせない。
あまり領海にこだわると自分で自分の首を絞めるだけだし、つね日ごろ、開かれたインド太平洋をお題目にしている手前、ブーメランになりやしないかねえ。
そういえば先日NHKで暴言を吐いたとされる中国人アナウンサー、あれも最近になってNHKの欺瞞に気づかされたってことじゃないかね。
彼はそれまで20年ちかくまじめにNHKに勤務していたらしい。
そこへウクライナ戦争が始まった。
わたしみたいな部外者だって、世界を2極化させようと、なんとか中国にケンカを吹っかけようとする日本(とNHK)の姿勢に疑問を感じるくらいだ。
たとえばアナタが米国の放送局に勤めていたとする。
それなのにある日突然アメリカが、日本にケンカを吹っかけようと、デタラメ・ニュースばかり流し始めたら、日本人として安閑としていられるだろうか。
NHKの日本人アナは南アフリカに飛ばされるのがコワくて何もいえないけど、中国人アナなら、帰国すれば英雄扱いで仕事に不自由しない。
だから、というわたしの意見が気にくわない人は、はい、コメント欄からドーゾ。
ところでひさしぶりに朝日新聞と産経新聞のサイトをのぞいてみたよ。
朝日新聞
産経新聞
両方とも過激なことではいい勝負と思っていたけど、自身の公式サイトでは比較的真面目なことを書いていた。
ということは、そこからニュースを引用しているヤフーのほうに問題があるのか。
朝日、産経の記事の中から、読者の気をひきそうな、極端な記事ばかりを選んで引用してるんじゃないか。
ヤフーサイトは日本では人気のあるサイトらしいけど、こんな記事ばかり読まされたら、日本の若者が道を誤るのも当然という気がする。
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