浮雲と放浪記
たまには映画のことでも書こう。
先日、成瀬巳喜男監督の「浮雲」がテレビで放映されたので、ひさしぶりに日本映画をじっくり観たけど、ヒロインを演じる高峰秀子のステキなこと。
この映画は林芙美子の原作の映画化で、ついでに部屋にあった同じコンビの「放浪記」を引っ張り出してみた。
じつはわたしが観たのは「放浪記」が先で、高峰秀子を名優と思ったのもその映画のせいだ。
「放浪記」のなかに貧乏娘の芙美子が、職を求めてあちこち当たってみる場面がある。
たまたまある会社で簿記の仕事を得るんだけど、じつは芙美子にまるで経験のない仕事で、当然ながら1日やっただけで出社に及ばずという電報をもらってしまう。
情けないというか、ふてくされるというか、この場面はわたしが本を読んで想像していた林芙美子に、まさにぴったりだった。
うまい役者だねえと思ったのはこの映画のせいだ。
うまい役者はさておいて、「浮雲」「放浪記」とも、最近のせせこましい映画がニガ手の、わたしみたいな年寄りの感性にぴったりの進行スピード。
このふたつの映画を観ながら、わたしは映画の背景に見惚れた。
「浮雲」が製作されたのは1955(昭和30)年、「放浪記」は1962(昭和37)年のことで、これは両方ともわたしがまだ高校生にもなってなかったころだ。
林芙美子は昭和の初めごろに活躍した人だけど、映画は背景までぜんぶセットを組んだわけではなく、街並みや建物などは製作当時の実景をそのままを使ったらしい。
映画のなかの景色はわたしの少年期により近く、これを見ていると懐かしい景色がまざまざとよみがえる。
女の人がまだひとりで和服を着られた時代、わたしも母親が自分で帯をぐるぐると巻いて、和服を着るすがたを覚えている。
そんな光景がなつかしいねえと思うのも、棺桶に片足突っ込んだトシのせいか。
こういう映画のなかには、CGや作り物でない本物のむかしが封じ込められているのだ。
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