中国の旅/ベゼクリク
トルファン賓館の起床は7時半ごろ。
今日も暑い日になりそうである。
シャワーを浴びてまず買い物に行くことにした。
門の前に出るとすでにマコトちゃんが待ち構えていて、時間を早めて出発しませんかという。
わたしはあまり早いのはまずいと思って11時すぎに約束していたのである。
まだメシも食ってないよとって、それでも出発は9時にすることにした。
その前に銀行で両替と、明日の列車の切符を手配しておかなければ。
トルファン賓館はトルファンでは一流ホテルだけど、じつはあまり信用がおけない。
両替を依頼すれば、(いちおう)一流ホテルのくせにかならず手数料をピンハネしようとする。
切符を注文すれば正規の手数料以外の金をふんだくろうとする。
この日にわたしはホテルで武威までの切符を依頼した。
フロントにいた美しい娘は無表情のまま、100元も意味不明の金を請求書につけ加えていた。
それに対していちいち文句をいうだけでぐったりと疲れてしまう。
この国ではダマすよりダマされるほうが悪いのである。
そして、日本人は金持ちなんだからダマさなけりゃという絶好の標的なのである。
すったもんだで出発が遅れたけど、マコトちゃんと、ヤコブという名の運転手をたずさえて、軽バンで出発。
最初の目的地は「ベゼクリク千仏洞」である。
ここはクチャやカシュガルの博物館を見てまわったとき、展示物の説明の中によく柏孜克里克千佛洞という言葉が書いてあり、千佛洞の意味はわかるけど、“柏孜克里克”については読み方もわからなかった。
あとでこれはベゼクリクと読むことがわかり、トルファンに着いたら行ってみようと思っていたのである。
バンはかって知ったる国道を、火焔山を左手に見ながらつっ走る。
軽バンといえどもつっ走らなければいつになっても目的地に着かない国である、ここは。
交通事故はあまりないというけど、彼らの飛ばしっぷりをつぶさに見てきたわたしは疑問に思う。
ライトは暗いし、ブレーキは効くのかというような車で、事故が少ないとしたら、それは車の絶対量が少ないだけじゃないのか。
おまけに飛ばすだけではなく、彼らは馬車や人間に遠慮するような運転をまったくしないから、
ベゼクリク千仏洞はちょうど火焔山の裏側にある。
バンは途中国道をはずれ、火焔山を左に見ながらその腰をまわりこむ。
この先で道路は改良工事中で通行止めだった。
迂回路を使うと40キロ遠回りだそうだけど、工事をしていたのが同じウイグル人だということで、強引に工事現場を通してもらってしまった。
改良工事中の道は右下に深い渓谷をのぞんでおり、対岸には壮絶としかいいようのない褐色の裸山がせまっている。
よく見ると、そんな荒涼きわまりない不毛の山肌に、なにかが歩いた跡が無数についていた。
大型の野生動物でもいるのかとマコトちゃんに訊いてみると、いないという。
足跡だけではなく、斜面にわだちの跡までついていた。
人間でさえ通りたくない斜面で、ちょっと想像を絶するような場所だけど、ウイグルたちはこの斜面を馬車で往復してしまうらしい。
もっとも3年前の大洪水を別にして、めったに雨の降らないところだというから、足跡もかなりの長期間にわたってつけられたものかもしれない。
車が入れるのはベゼクリク千仏洞のすこし手前までで、そこから先は通行止めになっていた。
千仏洞の見学者は待ち構えているロバ馬車に乗り換えることになっていて、千仏洞まで1キロもない距離なのに、往復20元。
ロバ馬車は何台もいて、たまたま客はわたしひとりだから争奪戦になってしまった。
こういうときわたしはいちばんおとなしそうな御者の車に乗ることにしてるんだけど、問答無用でいちばん強引そうな御者に拉致された。
千仏洞はいちおう観光スポットとして整備され、売店等もある。
西遊記の牛天魔王と鉄扇公主の話をもとにしたテーマパークまであって、泥で作った三蔵法師一行の人形や、怪しげな洞窟なんぞが作られていた。
ディズニーランドを知っている日本人にはちょっと無邪気かつお粗末な施設で、客なんか1人もいなかった。
はたから見ると千仏洞に関係ありそうだけど、10世紀から13世紀の遺跡とはまったく関係ないもので、調べてみたらいまでも写真が見つかるから、2024年の現在でもまだあるらしい。
マコトちゃんは土産もの売り場で待ってるというから、そこから先はわたしひとりで見てまわることになった。
撮影は禁止なので洞窟内の写真はない。
敦煌に比べるとずっとスケールは小さいので、ぶらぶら歩いて30分もあれば見終えてしまう。
洞窟の大半はカギがかけられていて、内部まで見られるのは4つか5つ。
見られる洞窟は内部の壁がガラス張りになっていたりして管理はよくされていたけど、肝心の壁画はここも破壊の跡が甚大である。
大きな壁画になると、ちょうど人体を描いた部分だけがそっくりはがされてしまっている。
そんな被害をかろうじてまぬがれた中に、日本の聖徳太子を思わせる、ふっくらした人物像があるのが印象に残った。
カメラを返してもらって、そのへんをうろうろしていると、洞窟の下に農家らしい民家があり、千仏洞から階段をつたってそこまで下りられることがわかった。
わたしは開いていた門をくぐり、石段をつたって、川べりまで行ってみることにした。
この写真の手前に見える階段がわたしが降りたもので、あとで係員に怒られたけど、最近の写真では降りた先の川べりに遊歩道ができている。
やつぱり下りてみたい、川べりを歩いてみたいという客が多いのだろう。
階段を下りたところに1軒のウイグル農家があって、家のまわりに樹木が植えられ、カッコウの鳴き声が聴こえていた。
わたしはそのへんの石を足でひっくり返してみた。
最初の石の下に小さなサソリがうろたえていた。
しかしこの後20回も石をひっくり返したのに1匹のサソリも見つからなかったから、それがどこにでもいるという確証はない。
またこのあたりにはアリジゴクの穴がたくさんあった。
試みにたまたま捕まえた甲虫を落としてみると、すぐに宿主が砂を飛ばし始めたから、すかさず棒でほじくりだしてみた。
巣の大きさからは期待はずれの小さなアリジゴクだった。
このあたりでは細かい点のあるトカゲも見た。
川べりには木や草も茂っているし、生命は豊富で、水ぎわの草むらのにはトノサマガエルの半分くらいしかないカエルがたくさんいた。
小さな流れのなかにはメダカ・サイズの魚もいた。
農家のわきにはヒツジが放牧され、鳴き声だけではなく、背後の大きな木のこずえにカッコウの本体も見た。
家の主婦とおぼしき女性が、ちょっと警戒するような目つきでわたしを見ているのに気がついたから、コンニチワと挨拶をしておいたけど、千仏洞よりこっちのほうがよっぽどおもしろい。
川べりの散策を終えて千仏洞にもどると、ガイドの小姐が待ち構えていて、ここから先は下りてはいけないと書いてあるでしょとわたしをなじる。
中国語が読めないもんでと弁解してなんとか逃れた。
売店をのぞくと、見るだけでいいといっていた小姐の攻勢だ。
なかでも梅さんという小姐がいちばんしつこく、わたしがボールペンで彼女の似顔絵をさらさらと描くと、そのボールペンをワタシのものと交換してくれと強引に迫られて、応じざるを得なかった。
この後、100元を20元プラスに値切って(たまたまポケットにこまかい金はそれしかなかった)ラクダに乗る。
千仏洞入口のすぐ横に、浅間山を連想させるようななだらかな傾斜の山がそびえており、ラクダはそのあたりを周回コースにしている。
このラクダはあくまで観光用で、このあたりに野生のラクダはいないそうだ。
山はかなり個性的な独立峰なので、なんという名前かと訊いてみたけど、火焔山の一部であるという返事しかなかった。
もちろん1本の草木もないから、巨大な砂丘のようでもある。
これの山頂付近まで登る客もいるのか、ラクダの足跡がずっとのびていたから、100元払えばそこまで登れるのかも知れなかった。
しかし暑いし、徒歩でついてくる馬方(ロバ方?)にも気のドクな気がして、わたしは20元分で満足することにした。
わたしがもどるころ、千仏洞入口に米人観光客の一団が到着した。
アラビアのロレンスですよといってみたけど、彼らはラクダに乗る気はなさそうだった。
ふたたびロバ馬車で車のところへもどる。
わたしが千仏洞を見学し、川べりを散策し、ラクダに乗っているあいだ、ロバは炎天下でずっとおとなしく待っていたのである。
その頑強さには驚いてしまう。
通行止めの個所までいくと、ヤコブは車の中で寝っころがっていた。
こんな暑いところでと、ロバも強いが人間もタフ。
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