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2024年9月 7日 (土)

中国の旅/シーズワン

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わたしはダーウィンの「ビーグル号航海記」のファンで、この旅にも文庫本を持参したくらいだけど、この本のなかに南米の先端にあるデル・フエゴ島の原住民に教育をほどこすとどんな結果になるかという話が出てくる。
ビーグル号の船長であるフィッツロイは、それ以前の航海でフエゴ島を訪れたとき、原住民の男女をロンドンに連れ帰り、イギリス式の教育をほどこして、ダーウィンの航海のとき彼らを故郷に連れもどした。
結果は悲惨なもので、余計なお世話というようなものだったけど、こういうのも知的好奇心というものだろう。
ところでと、わたしも新疆ウイグル自治区で知的好奇心を抑えられなかった。
15歳の少女が3年たつとどう変わるか。
子供のいないわたしは、それを確認してくることにしたのである。
もちろんわたし流のジョークも混じっているけど、トルファンには3年前に知り合ったシーズワンというウイグルの少女がいる。
ここに載せた冒頭の写真が彼女だけど、この子のその後が知りたくて、わたしはつぎに観光葡萄園へ行ってみることにした。

じつは前回の旅のあと、そのとき撮った写真を、帰国してから彼女が書いてくれた住所に送ってやったんだけど、漢字の住所は彼女には手におえなかったようで、はなはだ不明瞭な宛先だったから、はっきり届いたという確証がなかった。
トルファンに行くなら直接手渡してしまったほうが間違いないし、ウイグルの家庭というものを見てみたい。

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ただし彼女の家がわかっているわけではない。
書いてもらった住所はあてにならないし、観光葡萄園はトルファンの北にある葡萄谷風景区にかたまっているものの、葡萄園と名のつく施設はいくつもあるのだという。
行ってみれば思い出すだろうと、とりあえず風景区に向かった。
火焔山からもどってきて、国道をトルファン方向に走り、左にまがればトルファン市内という大きな交差点を右に行く。
すぐに見覚えのある景色になってきた。

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あたりはブドウ畑の多い小さな村落で、左側の小高い丘の上にブドウ乾燥用の四角い倉庫がいくつも並んでいる。
右側は谷になっていて、下のほうに小さな川が流れていた。
村のなかでゆるやかな坂道を下るとその先が葡萄園の駐車場だった。
マコトちゃんがここじゃないですかというんだけど、あたりを見まわすと、見覚えがあるようなないような。
ブドウはまだ収穫期ではなく、未熟の小さな房がついているだけで、売っているのは干し葡萄だけだった。

そのへんで聞いてしまったほうが早いでしょうと、マコトちゃんがまわりの人に写真を見せると、あっけなく彼女のことはわかった。
まわりの人の中からシーズワンのお姉さんまで出てきたのである。
あのときたしかお姉さんは食堂で手作りのウドンを練っていて、わたしは冷麺を美味しくいただいたものだった。
シーズワンと知り合ったのも冷麺を食べた食堂がきっかけだったのである。

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妹は家にいますよというので、わたしたちは家に行ってみることにした。
彼女の家はブドウ園の駐車場から、上の道路までもどったすぐ角の右側にあった。
マコトちゃんとわたしが門の中へ入っていくと、そこに老若男女が5、6人たむろしていて、これこれこういうわけでと事情を説明すると、お兄さんという人が前に出てきた。
サモア人のようないかつい顔に見覚えがあった。
まもなく家の中から、アテレス・パターンのズボンをはいたシーズワンが、突然の遠来客におどろいたのか、目をパチクリしながら出てきた。
3年前に見たときはまだあどけなさが残る、残りすぎるくらいの少女だったのに、いくらかほっそりして、切れ長の目の美少女になっていた。

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わたしは満足したけれど、相手は自分の子供といっていい年頃の娘なので、これ以上ナニカを期待されても困る。
いまならYouTubeのいい材料になったかも知れないけど、あいにく当時はそんなものはなかった。
ウイグルの家というのは日本にもあるような普通の農家で、相手は前ぶれもなしに押しかけた日本人にとまどっている様子だったから、写真を渡しただけで長居はしないつもりだった。
庭に大きなアンズの木が植えられている。
こちらはいまちょうど食べごろだったので、写真のお礼をしたいといって、シーズワンはこの木に登り始めた。
なかなかおてんばな子である。

これがわたしとシーズワンの一期一会だった(再会だから正確にはニ期ニ会だけど)。
わたしはこの2年後にもういちどトルファンを訪問するけど、あまりしつこいのもナンだから、ふたたび彼女を訪ねることはなかった。
ウイグルの女性の結婚適齢期は18から22くらいだというから、もうすこし追跡調査をしてみれば、ウイグル娘の結婚観を知るよすがになったかも知れないのに。
車で帰るわたしたちを見送って、彼女は微笑んでいたけど、わたしにはイスラムの少女のはにかんだような微笑みがいつまでも記憶に残った。
帰りに土産にもらったアンズは、マコトちゃんとヤコブにあらかた食べられてしまった。

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マコトちゃんから、まだどこかへ行きたいですかと訊かれて、わたしは交河故城と答えた。
まだ時間はあるし、いくらか軽バンの料金が変わっても、ま、いいだろう。
マコトちゃんと談合の末、180元に50元プラスということで手を打った。
じつは交河故城はトルファン市内から遠くなく、トルファン賓館から自転車でも1時間半も走れば着いてしまうところだった。

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交河故城についてはウィキにおまかせするけど、川にかこまれた船型の台地の上の遺跡で、あとでトルファンを去るとき、列車の中からも遠望できることがわかった。
わたしは前回の旅で同じような古い遺跡である高昌故城を見学したけど、交河故城のほうが保存状態はよい、というか崩壊の規模は進んでいない。
ここへ行く前にマコトちゃんが、用事があるといって市内で車を下りてしまったので、交河故城へ行くのはわたしと運転手のヤコブだけということになった。
ヤコブは中国語(漢語)もほとんどしゃべれない。

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交河故城へ行くとちゅう、近くの村にダムがあって子供たちが水浴しているのを見た。
地図を見ると、ダムというより川の一部のようだけど、ちょっと遠目にながめて行き過ぎるには惜しい景色である。
このあたりの村はまだ素朴さを失っていないので、再訪できるならそうしたいところだ。

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交河故城に着いたのは午後3時ごろで、いちばん日照の強い時間帯だった。
故城には陽をさえぎるものが何もないので、無帽でここを見て歩くのはかなりしんどい。
規模はかなり大きく、城内を歩いていると迷路のようで、写真のモチーフにふさわしい奇怪な形の建造物跡がたくさんあったけれど、そのほとんどは土をこねただけの廃墟なので、よほど仏教の伝来にでも興味がないと、見物しておもしろいものではない。
ヤケになったわたしは、ここでもそこかしこで土くれをひっくり返してみた。
暑くて虫もいたたまれないのか、1匹のサソリもムカデも見つけることはできなかった。
この日にトルファンで石をひっくり返した日本人は、わたしがいちばんだったんじゃないか。

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あまり暑いのでとても全部見てまわる気にはなれず、故城の中心をなす大仏堂あたりでひき返し、早々にエアコンの効いている土産もの店に逃げこんだ。
涼しい部屋でイップクできたのだから絵ハガキくらいは買ったけど、ここでもわたしは小姐たちの買え買え攻勢に抵抗するのに疲れた。

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