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2024年9月14日 (土)

中国の旅/武威

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列車のなかで目をさましたのが朝の8時ごろ。
すぐに小さなオアシスで停車した。
駅名を確認できなかったけど、時刻からすると玉門鎮らしい。
個室の窓からベッドにごろりとしたまま見えるのは左側の景色で、そちらはほとんど起伏のない砂漠、右側の通路側の窓からは砂漠の向こうに山が連なっているのが見える。
こんながらがらの軟臥もめずらしく、客のいる部屋は、8つあるうちの2つか3つのようだった。
最近は中国人も金持ちになって、どうせ軟臥に乗るなら豪華車のほうがいいということか。
わたしはトルファン駅でとなりに停まっていた豪華列車を思い出した。

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そのうち右側の車窓に、まだらな残雪の残る突出した山があらわれた。
この山は列車からよく見え、ちょうどこれから祁連山脈が始まるというあたりにあるから、日本でいえば丹沢連峰のいちばんはじにある丹沢大山みたいなものか。
灼熱の砂漠の向こうに雪山なんて、日本じゃお目にかかれない景色だから写真で紹介しようと思ったけど、このあたりはいちど見たところなのでフィルムがもったいない。
そこでインチキをする。
この写真は1997年に初めてシルクロードを訪れたときに撮った祁連山脈の写真で、それを左右反転すれば帰路に見た景色になる。
どうじゃ、このデタラメなこと。

わたしは山が好きなので、ずっと目を離さないでいると、玉門鎮を過ぎたあたりから山脈の向こうにさらに高い雪山が、わずかに頭を見せ始めた。
これが祁連山脈の盟主たる祁連山らしく、そうだとすれば標高は5547メートルもあるから、わたしが走っている場所も2000メートル以上あるのではないか。

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わたしはいま武威というまったく知らない街に向かっている。
なぜこの街に下車することにしたかというと、1997年の旅でこのあたりを通ったとき、列車の車窓からアヤメに似た花がたくさん咲いているのを見て、それが気になっていたからだ。
帰国してから調べてみると、武威と蘭州のあいだには、上海〜ウルムチ間でいちばん標高が高い烏(からすという字)鞘峠という難所がある。
花が多いのはそういう特殊な地形のせいらしいけど、できることならそれをもういぢど、近くからじっくり眺めてみたかった。

さらに調べてみると、烏鞘峠の近くには“天祝”という町があって、そのあたりはチベット族の自治県になっていることもわかった。
へえ、チベット人はこんなところにも住んでいるのかと意外に思い、ついでにその町も見てみたい。
武威で列車を降りて、路線バスで蘭州に向かえば、もっと近くから烏鞘峠や天祝を眺められるに違いないと考えたのである。

嘉峪関で中国人の農民のおじさんおばさんといった感じの2人連れが乗り込んできた。
ニーハオと簡単な挨拶をしておいだけど、彼らは商丘という街へ行くそうだから、西安、洛陽よりまだ先である。
12時すこし前に清水という駅に到着して、ここで紙パックの乳酸飲料を買う。
同室の夫婦とはあまり口をきかない。
このあたりで列車は不可解な動きを始めた。
まず180度以上あるような大旋回をし、そのあとも大きなS字を描いた。
あたりは山あいといえば山あいだから、これから山に入るぞというウォーミングアップの儀式のようなものかも知れない。
コルラで見たような急峻な場所にも見えなかったけど、やっぱりストレートに突入するにはきついところなのだろう。

17時10分に金昌に到着、このつぎがいよいよ武威である。
金昌を出てまもなく、わたしは麦畑のあいだに、白もしくはブルーの小さな花が植えられているのを見た。
同室のおじさんおばさんはなんとなく農民みたいなので、彼らに尋ねると、おじさんがいうのには「油菜花」だという。
油菜といわれるとつい菜の花を連想してしまうけど、黄色い花ではなかったド。

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時間どおりに武威に到着。
同室の2人に別れを告げてわたしは武威の第1歩を踏み出した。
駅前で寄ってきたタクシー運転手の中にきれいな女性がいた。
わたしはさっそく彼女に天馬賓館、10元だぜという。
天馬賓館はガイドブックで調べてあったホテルで、市内だから5元ぐらいだろうけど、相手が損をしないよういくらか高めにいったのである。
この街で下りた外国人はわたしだけのようだから、ほかのタクシーはみんなあぶれたわけで、どこの国でも美人は得である。
ただし彼女はわたしの想像する楊貴妃のようなタイプではなく、先日のパリ五輪で、日本人として初めて金メダルを受賞したレスリングの鏡優翔ちゃんみたい。
わたしなんか簡単に組みしだかれてしまいそうだ。 

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前述したように、この街は路線バスに乗るために立ち寄ったもので、ほかに目的はなかったから、ついつい駅やホテルの写真を撮り忘れた。
これはストリートビューで眺めた現在の武威駅だけど、駅前はこんなに広くなかったねえ。 
なんでもわたしが行ったあとの2009年に、駅とその周辺がアップグレードされたそうだ。

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路線バスに乗るためといっても、のんびりゆったりを基調にしているわたしの旅だから、到着したその日にバスに乗るほどせっかちじゃない。
せっかくだから武威という街も見物していくことにした。
明日タクシー借りきりで観光したいんだけというと、たちまち運転手はこの餌にくらいついた。
わたしとしても観光するなら美人運転手つきのほうがいいのである。
彼女の名前は劉さんで、女の子がひとりの母親だそうだ。

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武威は小さな街だけど、天馬賓館は3つ星の立派なホテルである。
劉さんを待たせたままフロントに行って、部屋代はいくらなのか尋ねてみた。
ロビーにこの町のシンボルである「飛燕を踏む馬」のレプリカが展示してあった。
この像はいまでは甘粛省全体のシンボルになっていて、蘭州の博物館にも置いてあるけど、もともとは武威の雷台というところで発見されたのがオリジナルだそうだ。
当時のわたしはそんなことも知らなかった。

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ところで天馬賓館ていまでもあるのか。
調べてみると、ちゃんとネットで引っかかるから、いまでもあるらしく、この写真もネットで見つけた最近のものである。
わたしの部屋は北楼の515室で、部屋もダブルベッドだし、いくらか湯の出がわるいくらいで文句のつけどころはなかった。 
カードは使えなかったけれど、これで1泊220元(3000円足らず)というから泊まることにした。

このあと新華書店まで劉さんの車で地図を買いにいき、明日は11時に迎えにくるよう約束して別れた。
もっとも前回の敦煌や張液であったように、相手もこちらを恐れて男の用心棒を連れてこないともかぎらない。
さて楽しいドライブになるかどうか。

天馬賓館の北楼にも売店がある。
愛想のいいおばさんがいて、冷えたビールはないかというと、後ろにあった冷蔵庫で冷やしておくからあとで取りにおいでという。
シャワーを浴び、洗濯をしたらもう暗くなってきた。
まだ21時ごろだから、新疆ウイグル自治区に比べると日没は早い。
わたしはすでにカシュガルから上海までの行程の半分近くまでもどってきたのである。

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ほとんど食事らしい食事もしてないので、ふらりとそのへんまで迷い出た。
ホテルの近くに涼洲(武威の古い名称)市場という、小さな食堂がびっしり建て込んだ屋台街のような場所があった。
酸湯水餃子という看板のある店に飛び込み、それを注文してみたら、日本のふつうの焼き餃子と同じくらいの餃子が20コくらい入っていた。
ほうほうの体でやっと半分くらい食べ終えた。

部屋にもどって、冷やしておいてもらったビールを飲みながら考える(このビールは金黄河といって、640ミリリットル入りの丸々と太ったボトルに入ており、なかなかいけた)。
またほんの少し見てまわっただけだけど、武威の街はわたしの想像とすこし違っていた。
城門を出るといちめんの砂漠といった、国境の町のようなところを想像していたのだけど、いまのところ洛陽のような漢族の町という印象しかない。
街の周囲に農地が多いから農民は多いけど、もはやウイグルではなく、そのほとんどが回族のようだった。

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