中国の旅/また蘭州
蘭州と聞くとなつかしい気持ちがする。
しかしよく考えると、わたしが蘭州に行ったのは今回の旅(2000年)以前には、1997年の初めてのシルクロードのときだけだった。
なんでなつかしいのかとつらつら考えたら、わたしはその後、新疆からチベット方面に興味の対象を移し、中国最大の湖とされる青海湖へ2度も行ってるからのようだ。
青海湖へ行くには蘭州が起点になるのである。
そして青海湖に行ったさい、わたしはひとりの中国人女性と知り合って、彼女を訪ねるために、やはり何度かこの街に行ったことがあるかららしい。
蘭州そのものは甘粛省の省都というだけで、よっぽど中国の歴史にでも興味がないと、街のまん中を黄河が流れており、それを挟んで誰でも登れるていどの山が向かい合っているというだけで、それほど魅力的なところとは思えない。
武威から乗ってきた路線バスを下りたあと、タクシーで前回の旅で泊まったことのある金城賓館へ行ってみた。
今回の部屋は624号室で280元、信用カード(クレジットカード)がOKだった。
部屋は正面の本館で、前回泊まった別棟ではなかったせいか、窓からろくな景色が見えなかった。
時刻はもう21時ごろだったけど、荷物を置いてふらふらと街へさまよい出る。
途中で自転車がこわれて困惑している娘に出会った。
どうしたのと訊くと、どうやらフェンダーをささえるステーがはずれただけのようだから、えいやっと直してやって、再見(さようなら)。
こんなもの、日本なら若い娘が困惑していれば、すぐに誰かが直してくれるだろうに。
酸湯水餃子とぬるいビールで晩飯をとったあと、モモを買ってもどる。
このモモは水蜜桃でおいしかったけど、厳重に紙でくるんであったから輸入品かも知れない。
こんな調子でまた蘭州をさまようことになったものの、2度目だから新鮮味はないし、新鮮味がないと写真を撮ろうという気にもなれない。
蘭州は甘粛省の省都なので、博物館もあるんだけど、前回の旅でほこりだらけの倉庫みたいだったことを思い出し、行く気もおきなかった。
それでとくに記憶に残った体験だけを書いておくことにする。
幸いというか、この旅の途中で中国でもストリートビューが使えることがわかり、蘭州のような大きな街ではそのビューポイントも多いから、ここではストリートビューで見つけた街の写真をずらりと並べた。
8枚目の蘭州飯店と、最後の2枚をのぞいては、すべて最近の蘭州のようすである。
翌日は散歩をかねて、まず両替のために中国銀行に出かける。
両替をすませたあと、帰りに大きな交差点のかどにある「蘭州飯店」というホテルに寄って、宿泊代がいくらするか尋ねてみた。
こちらのホテルのほうが古色蒼然としているからいくらか安いらしく、シングルが200元くらいだという。
大騒ぎするほど安くはないけど、まあ、ドミトリー以外で200元を切るホテルはあまりないし、あってもクチャの庫車賓館のように相当の覚悟がないと泊まれないところが多い。
フロントでまわりを見ると、蘭州は大都会でもあるので、欧米人も泊まっているようだった。
蘭州飯店では列車の切符も扱っていたから、ためしに手数料はイクラと訊くと30元だという。
高いか安いかよくわからないけど、あさっての便なら確実に取れるというし、時間も14時台だというから申し分ない。
駅まで行くよりお手軽でいいので、ここで申し込んでしまった。
となると予定より1日長く蘭州に宿泊することになるけど、骨休めのつもりと割り切って、ついでに明日は引っ越してきますと、宿泊の予約までしてしまった。
帰りがけに見ると、交差点の角、ちょうど蘭州飯店と道路をはさむ位置に飛天大酒店という高層のホテルが建っている。
こちらは近代的なホテルなので、さぞかし高いんだろうなと恐れをなし、このときは泊まってみなかったけど、次回の旅では泊まってみたから、飛天大酒店での体験はそのときに。
街を歩いてみて気がついたけど、この街の交差点では横断歩道よりずっと先に車の停止線がある。
車の対向信号が赤になったからといっていきなり横断すると、車は横断歩道を過ぎたところまで前進してくるから危険である。
もっともあちこち歩いているうち、こんな危険な信号ばかりでないこともわかった。
ちゃんと歩行者用信号のある交差点もあるんだけど、右折車だけは赤でも平気で曲がってくるから注意。
金城賓館へもどるとき、おばさんの靴みがきに遭遇した。
全部で3元だぜと念を押して、長旅でホコリだらけの靴を磨いてもらう。
最初に念を押してしまったので、あとから3元は片方だけだという常套句は使えなかったようだけど、それでも3元なら彼女にとって文句のない料金じゃあるまいか。
この靴磨きのおばさんとは、あとでまた会う機会があり、ただで靴のホコリをしゅっしゅっと払ってくれたから、ポケットにあった日本の十円玉を上げてしまった。
物価の安い国だから、これでも子供のおやつ代ぐらいにはなったのではないか。
部屋にもどってごろごろしていると、わたしが部屋にいることをどこで探知しているのか、マッサージ嬢から電話がかかってきた。
ちょうど疲れが腰に来ているときだから、呼んでみた。
やってきたマッサージ嬢はあっけらかんとした若い娘で、みじめったらしさはこれっぽっちもない。
こういう手合いだとこっちも気が楽である。
いやあ、あっちこっちまわって腰が痛くてねと訴え、うつぶせになって腰をぎゅうぎゅう踏んづけてもらった。
気持ちヨカッタ・・・・
夜になっても、到着した日に出した洗濯物がもどってこない。
服務室に問い合わせると、ワカリマセンという返事。
なんだそれはと追求したら、今夜はもう洗濯屋が帰ってしまいましたのでとのこと。
中国のホテルではこういうことも起きるのである。
個人の責任感が欠如しているから、申しつぎなんかしたら衣服が途中で消えてしまうので、最初に引き受けた人間が最期まで面倒をみることになっているのかも。
翌日は起床したのが朝の8時半ごろで、さっさと蘭州飯店に引っ越せばいいものを、洗濯ものが返ってこないうちはそうもできない。
服務員をつかまえて、アノネ、洗濯ものがこれこれしかじかでネと説明をすると、彼女は親切に探しに行ってくれたけど、そのうちもどってきて、あなたの部屋番号はと訊く。
部屋番号はこれと、ドアの前に立っているわたしはドア番号を指さす。
彼女はそれはそうねとつぶやいてまたどこかへ。
彼女がわかりきっているはずの部屋番号を尋ねたのは、洗濯物を入れた袋にべつの別の部屋の番号が書かれていたためだった。
ホネが折れる。
この日もあいかわらず街をふらつく。
まえに蘭州に来たときは、文字どおり血走った目で、世間にひけめを感じて歩いていたっけねえと思う。
東方紅広場や白塔山、蘭山などの、観光客が行くような場所に行ってみた。
前回の旅からわずか3年だから、変わったものはほとんどない。
知り合いが送ってくれた最近の白塔山にはジップラインという、人間がロープにぶら下がって山を直滑降する遊戯施設ができていたけど、わたしが行ったころにはそんなものはなかった。
だらだらとしたリフトに乗って蘭山にも行ってみた。
山頂では観光客目当てのおばさんたちが、馬に乗れ、ラクダに乗れとしつこくつきまとう。
わたしは以前よく見かけた大きなジネズミについて聞いてみた。
あれはなんという名前なんだいと2人に尋ねてみると、ひとりは「松鼠」、もうひとりは「老鼠」と答えた。
2人とも野生動物なんぞに興味はないらしい。
山頂に観光馬場があり、ジネズミはそのそばのゴミ捨て場にたくさんいた。
顔はリスそのもので、ただ尻尾が短いことがリスやネズミと違っているけど、ゴミ捨て場が好きでは、性質はやはりネズミである。
名所旧跡よりこういうもののほうに興味があるわたしの性癖は治らない。
夜になって街の食堂街をぶらぶらしていたら、あるレストランのウインドウ越しに茶髪の娘が働いているのが見えた。
ほう、中国でも欧米人の娘が働いている店があるのかと感心して、その店に入ってみた。
なにしろ24年もまえの話なので、中国で茶髪なんか見たことがなかったのだ。
正面から見た彼女はふつうの中国人の娘だったけど、中国は他民族国家なので、髪が茶色なのは生まれつきなのかも知れない。
テーブルに座って注文した料理を待っていると、ウエイトレスの娘が日本人ですかと訊く。
ええと答えるとウエイトレスがみんな、動物園のパンダを見るように、わたしのまわりに集まってきた。
店の女主人まで、日本語の会話集を持ち出して話しかけてきた。
映画スターになったような気分だけど、店員がみんな揃うと、その数の多さにおどろく。
上海のレストランでも店の規模からするとやたらに店員が多いのにおどろいたことがあるけど、こういうのもワークシェアリングというのか、まだまだ中国では機械で合理化するより人件費のほうが安かったころである。
ここで店長、女主人、店員らの写真を撮り、あとで送ってやるべく住所を訊いておく。
ビールとおつまみ2つだけの簡単な食事を終えて清算をしてもらうと、料金はいらないという。
そりゃダメだよといってみたものの、受け取りそうもないので、感謝して店を出た。
彼らのおかげでわたしは蘭州に温かな思い出をつくることができた。
「京来順」というこの店は、2年後に再訪したときはもうなくなっていた。
蘭州も激しく変貌していたころである。
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