ココログのイヴァン・ウィルさん、土曜日は彼のブログが更新される日で、いちばん新しい記事が気になる。
ちょっと内容が偏向しすぎているので、またわたしのこころの中に義憤の炎がめらめら、なにかひとこと言いたくなってしまった。
おそらく彼の文章をまじめに読む人は多くないと思えるから、ほうっておいてもいいんだけど、ボケ防止のつもりで反論してみよう。
ウィルさんは1984年ごろ、通産省通商政策局北アジア課という役職で中国にも赴任していたというから、いちおうお役人さんで、いまでも日本政府に義理だてしてるのかも知れない。
彼にいわせると中国は、彼が赴任していたころと比べて、「変わるどころか1980年代よりむしろ昔の時代に先祖返りしているじゃないか」のだそうだ。
そう見る人もめずらしい。
わたしが足しげく中国に通っていたのは90年代の初めごろからだけど、当時と現在を比べると、中国の変化はまさに劇的といえる。
そのころは上海のような都会でさえ、街を歩けばまだ人民服の年寄りに出くわすこともめずらしくなかったし、スラムのような集合住宅もあちこちに残っていて、たまにオマルに入れた前夜の排泄物を公衆トイレに捨てにいく人にも出会った。
女性の服装は全く垢抜けてなく、ちょっとモダーンな格好をした女性はむしろ浮き上がってしまう存在で、デパートの入口は自動ドアの代わりに透明のビニールが下がっているところさえあったのだ。
わたしは中世の国に迷い込んだような気がした(詳しいことはわたしの中国紀行を参照のこと)。
わたしが最後に上海に行ったのは2005年だけど、そのときでさえ街の変化は劇的だった。
最近ではSNSなどであちらの映像もたくさん伝わってくるから、いちども中国に行ったことのない人にさえ、若者たちの服装や考え方が、日本や西側先進国と変わってないことがわかるのではないか。
中国が変わってないという人がいたら、あんたの顔のまん中に並んでいるのは飾りものかといいたくなる。
いや、それは建物や道路などのインフラと、人々のライフスタイルなどの目に見える部分だけで、変化がないのは政治体制だというのだろうか(たぶんそうだろう)。
政治体制だとしても、いったいどういうふうに変わればウィルさんは変わったと認めるのか。
ようするに彼は民主主義だけが至上のものと考えていて、それ以外の体制はいっさい認めず、つまり日本のような民主主義国にならなければ変わったとは認めないつもりなのか。
この場合、いまのアメリカのていたらくを見れば、理想的な国としてアメリカを推す人はいないだろうから、日本、あるいはヨーロッパのいくつかの国が、ウィルさんの認める理想の民主主義国ということになるだろう。
日本を例にとって考えてみよう。
世界のすべての国が日本のような単純な民族構成じゃない。
中国は世界でも有数の多民族国家である。
こういう国が日本のような民主主義を取り入れたら、けんけんがくがく、いつになっても何も決まらないばかりか、政治が混乱して、金儲けには人一倍熱心な中国人のことだから、貧富の格差は増大し、かえって国民が苦しむことになりやしないか。
つまりいまのアメリカのようになるということだ(日本のようでもあるけどね)。
共産党(名称はなんでもいい)がきっちり統制しなければ、中国は西側に足をひっぱられて、ソ連と同じ崩壊の道をたどるだけだ。
「40年経過すれば、どの国も大きく変わるものです」
ウィルさんはこういって韓国やフィリピン、台湾をひきあいに出す。
「今の韓国は1980年代の韓国とは全く違うなあ」
といって、尹大統領の弾劾事件を持ち出したのにはたまげた。
韓国ではあいかわらず、大統領は変わるたびに刑務所に放り込まれるし、右か左にゆれるだけで、その政治体制も国民生活もぜんぜん変わってないじゃないか。
変わってるとしたら、少子高齢化という、先進国ならどこでも体験する病気を、ひとあし先に体験していることぐらいだ。
フィリピンにしてもしかり、アメリカの束縛から脱却するかと思ったら、最近ではまたアメリカにも接近していて、国をひっかきまわされている。
これこそ先祖返りというものだろう。
台湾はどうか。
国民による直接選挙で総統が選ばれるようになったことは大きな変化だけど、それ以降は大陸寄りかそうでないかの違いぐらいで、国民の生活も台北101が出来た以外にほとんど変わりはない。
わたしは韓国、フィリピン、台湾のどれよりも、中国が大きく変わったと信じているんだよ。
「中国は北朝鮮と同じです」
とはひどすぎる。
毛沢東の時代にはたしかに飢え死する国民もいたけど、いまの中国に政府の無策で飢え死する人がいるだろうか。
「人々の認識もあまり変化しない状況ならばそうした(一党独裁の)状態は継続可能なのですが」
というけど、中国ぐらい人々の認識が、この20年か30年のあいだに変化した国はないだろうというのがわたしの考え。
わたしはNHKの番組で、ネット環境が整ったのを機に、作物の通販事業に乗り出した農民の映像を観たことがある。
目先のきく若者なら、農民の子でも前澤友作クンのような起業家にさえなれるのだ。
ウィルさんはどうして人々の認識が変化してないというのだろう。
「今年は香港が1997年に中国に返還されることを決めた、中英共同声明が合意された1984年から40年目の年に当たります」
ウィルさんのいう40年前といったら天安門事件よりまえで、鄧小平の改革開放政策がなんとか軌道に乗ったころである。
1997年の香港返還もちょうど西側の衰退と、中国の繁栄が始まるころに重なっていて、これは香港市民にとっては幸運だったんじゃないかね。
もしも中国が毛沢東時代のままなら、香港のデモ隊は戦車に轢き潰され、機関銃でなぎ倒され、自由の女神の周庭ちゃんなんぞ、たちまちリンチだレイプだ強制収容所だと、カナダに亡命する以前にぼろぼろにされていただろう。
イヴァンさんはどうしてもこちら側からしか世界を見ないようだけど、香港・マカオは植民地時代に西欧によって強引に借り上げられた土地だぞ。
それを約束の期限がきて返してもらったもので、武力を用いたわけでもなく、国際法違反をしたわけでもない。
あくまで公平な見方をすれば、もともと合法的な中国の土地で、英国やポルトガルが返還に条件をつけるほうがおかしいのだ。
返してもらったあとは、中国政府がどう扱おうと他国が文句をいうわけにはいかないのだよ。
「習近平氏は、鄧小平が作った『中国共産党トップのスムーズな世代交代のシステム』を自ら破壊してしまいました」という文言もある。
もしもいま西側との緊張関係がなかったらどうだろう。
近平さんが国家主席にいすわっているのは、西側がケンカを吹っかけてくるこの時期に、トップの顔をころころ変えるのはまずいと考えた結果じゃないのかね。
近平さんは背が高く、整列したとき、たいていの西側首脳に見劣りがしない。
あんがいこれが彼がトップに据えられている原因かも知れないよ。
先輩の胡錦濤さんにも先輩としての礼儀を尽くしていたし、少なくてもわたしには、近平さんが血まみれの権力闘争の果てに、いまの権力に到達したとは思えないんだよね。
これも中国が文明化した(あるいは民主的になった)ことの証明じゃないか。
「習近平氏が唱える『中華民族の偉大な復興という中国の夢』は、『一帯一路』プロジェクトに見られるように、漢の武帝、明の永楽帝、清の乾隆帝の頃のような『中華帝国の復活』であることは明らかであり」ともある。
まあ、なんて大時代的な。
中華帝国、中華思想だなんて、まるで日本の右翼の言い分のようだ。
念のためいっておくけど、復活というのは変化でもあるのだから、ウィルさんが前述した「中国には変化がない」という文言と矛盾している。
あとで別の機会に書くつもりだけど、ほんとうに地球規模で未来のことを考えるなら、一帯一路に参加してしまったほうがいいとさえ、わたしは思っているのだ。
ロシアと同じように、中国はかっての帝国を夢見ているなんて言い出すようじゃ、イヴァンさんも対立をあおり、世界を分断させようという、そのへんのチンピラ右翼と変わらない。
そう思われたくなかったら、もっと公平で客観的な見方をしてほしいものだ。
わたしはナチュラリストもどきだから、そっち方面の要望を言わせてもらうと、むかしわたしは中国の動物園で、クマが残酷な見世物にされているのを見たけど、最近の中国は地球温暖化や野生動物の保護のような、国際協力が必要な分野でも、ぶれることなくまじめに取り組んでいるではないか。
最近のコメント