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2024年12月 2日 (月)

とつぜんに平家物語

20241202

図書館に行ったら吉川英治の「新・平家物語」が、タダでもらえるリサイクル本になっていた。
わたしは吉川英治のファンではないけど、古典の「平家物語」は文庫本のページが擦り切れるくらい愛読したことがある。
それで比較してみるつもりで6巻あるうちの5、6巻をもらってきた。
5、6巻は平家物語の最終段で、屋島、壇ノ浦の合戦と、生き残った人々のその後が描かれるはず(とわたしは思った)。
残念ながらこの作家が大衆作家であることを確認しただけだった。

この本には平家物語のうちのもっとも美しい段が抜けている。
壇ノ浦における那須与一の挿話では、古典にはない玉虫という女官まで登場させて、話もずっと長くなっているのに、「大原御幸」のような大衆受けしそうもない話はぜんぜん出てこないのである。
「大原御幸」は壇ノ浦で平氏が滅亡したあと、生き延びて京都の山寺に隠遁した建礼門院(きわめて美人のおんなの人)を、かげの権力者である後白河法皇が訪ねる話で、平家物語の総括であると同時に、山寺である寂光院のありさまが散文詩のような美しい文章でつづられている。
華やかな一門の滅亡の終局を語るにふさわしく、なんともいえない詩的な余韻を残す重要なエピソードなのだ。
わたしはここが吉川文学ではどんなふうに描かれているかと興味を持ったんだけど、残念ながら肩すかし。

もうひとつわたしが興味を持ったのは「海道下り」の段。
一ノ谷で囚われになった平重衡は、平家が滅んだあと生きたまま奈良の興福寺に送られる。
彼はそれ以前にここで神社仏閣から大仏様まで焼き払い、大勢の僧侶や大衆を殺したことがあったから(この「南都炎上」の段では、あふれ出てくる仏教用語や、古風な文語体文に圧倒される)、その罪を奈良の大衆みずからが復讐できるようにとの配慮だった。
中国や韓国なら、それこそ皮をはげ、目ん玉をくり抜け、ノコギリで首を切れと、残酷な処刑をされてもおかしくないところだ。
しかしここで日本人が見せたやさしさは、後世のわたしたちが子々孫々に言い伝えてもおかしくないものだった。
いきりたつ大衆のまえに高僧が出てきて、乱暴なことをいうんじゃない、首をはねるだけで十分じゃないかと言い聞かせたのである。

日本人は残酷な民族だという外国人がいたら、ぜひこの話を聞かせてやってほしい。
冒頭に転写した絵は杉本健吉画伯の新平家の挿絵で、重衡が鎌倉から奈良に送られる途中で入浴をする場面。
この街道下りという段も、古典では七五調の美しい文章なので、吉川文学ではどんなふうに描かれているか興味があったけど、やはりフツーの文章でしかなかった。

それでもわたしも大衆のひとりだから、古典と吉川文学は別物だと割り切れば、おもしろいことはおもしろかった。
本をもらってきたあとで、1巻も読みたくなり、あわてて図書館に行ってみたら、わたし以外にもこれを読みたいという年寄りがいたとみえて、もう1巻から4巻も無くなっていた。
それで読み終わったあと、5、6巻はまたリサイクル本の箱に返した。
図書館にしてみれば不要だからリサイクルに出したのであって、返してもらっても迷惑かも知れないけど、読みたいひとがいるなら、そのままわたしが処分するわけにはいかないのである。

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