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2025年1月 4日 (土)

日の名残り

20250104b

正月に観た英国映画の第2弾。
だいぶまえに録画してあった「日の名残り」という映画である。
正直にいうと、ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの原作(新聞にそう書いてあった)ということ以外に、この映画についてなにも知らなかった。
アカデミー賞にノミネートされてるんだぞという人がいるかもしれないけど、わたしって「ディア・ハンター」や「地獄の黙示録」あたりから、アカデミー賞をぜんぜん信用してないからね。

だいたい文学作品の映画化というと、(とくに日本の場合)ろくなものでないことが多いから、それだけで観たいという気が起きない。 
それで録画直後に早送りでざっと観てみたんだけど、すぐに気になる部分を発見した。
スーパーマン役者のクリストファー・リーブが出ていたことで、彼は不運な事故で首から下がマヒ状態になり、しばらくリハビリに励んでいたけれど、何年かまえに心臓発作で亡くなったはず。
そのリーブが元気なころのままだった。
これっていったいいつごろ製作された映画なのよ。
カズオ・イシグロがノーベル文学賞をもらい、日系人の作家だと騒がれたのは2017年のことで、わたしは「日の名残り」もその人気にあやかってつくられた映画だとばかり思っていた。
しかしリーブが事故に遭ったのは1995年のことだから、それ以前の映画ということになる。
どうも原作者のノーベル賞にこだわっていてはいけないらしい。

調べてみたら1993年の映画だった。
主演のアンソニー・ホプキンスにとって、これは「羊たちの沈黙」のわずか2年後の映画ではないか。
カズオ・イシグロって、けっこうむかしから有名な作家だったんだねと、余計な前置きはさておいて、じっくり観ると、いまどき珍しい外国映画でもある。

物語はある英国貴族の屋敷で働いていた執事と、同じ屋敷で働いていたメイド頭の女性のほのかな恋の物語。
第2次世界大戦まえから戦後にかけての2人の交友が、回想のかたちで交互にあらわれる。
こういう現在と過去が交差するスタイルの小説はけっしてめずらしくないし、傑作である場合が多い。
英国の作家サムセット・モームの代表作「お菓子と麦酒」もそうだし、森鴎外の「雁」もそうである。
ここで鴎外が出てくるのはあとあとの伏線なんだけどね。

日本人のわたしからすると、まず執事の仕事というものに興味がある。
リバプールから髪をふりみだした4人の青年が出現して、階級制度をひっかきまわしてしまったから、いまでもそうかは知らないけど、わたしたちは英国というと、すこしまえまで厳格な階級社会であったことを知っている。
この厳格さは貴族社会にかぎらない。
アーサー・C・クラークのセイロン島でのエッセイを読むと、英国の階級制度の恩恵は、作家や弁護士ごとき階級にも及んでいたことがわかるのである。
英国では、執事の機関紙まであるらしい。

日本にはそもそも貴族制度というものがなかったから、執事という仕事もなじみがない。
映画では執事の仕事がどんなものかを詳細に見られるのがよかった。
わたしは動物園でパンダを見るようにそれに注目した。
そうして思ったのは、英国の貴族ってホント、怠け者だなということ。
メンドくさいことは横のものを縦にもしないくらいで、そのくせ屋敷の中ではつねにネクタイとスーツ姿だ。
日本人は豪華な晩餐会や、美しい庭園、大勢で馬に乗ったキツネ狩りのシーンなどにあこがれるけど、その裏には見栄と虚飾に覆われた、我慢できない固っ苦しい生活があるのだ。
カズオ・イシグロさんはこういう点を逆手にとったのかも知れない。

執事は屋敷で絶大な権力を持っていて、使用人を雇ったりクビにするのも彼の仕事だ。
ある日、メイド頭として雇われたのがこの映画のヒロインてことになるけど、残念ながら彼女の仕事のほうは詳細に描かれているとはいいがたい。
彼女は屋敷のなかをうろうろするだけで、メイド頭という重責をしっかりこなしているようでもない。
メイドの仕事について知りたければ、サムセット・モームに「掘り出し物」という好短編もある。

いろいろと貴族の邸宅をのぞく楽しみのある映画だけど、第2次世界大戦が終わり、戦争中はナチスの肩をもった屋敷の持ち主も零落して、屋敷は成金のアメリカ人の手に渡る。
使用人たちもほとんどが解雇されて散り散りになる。
執事の首は新しいアメリカ人の主人のもとでなんとかつながったけど、ほのかにこころを寄せていたヒロインとは別れざるを得なかった。
そして戦後のある日、結婚して地方に移住していたヒロインが、亭主と別れたと聞いて、彼はもういちど彼女に会いに行く決心をする。
だんだん渡辺淳一か高橋治の空想恋愛小説みたくなってきたけど、この映画の欠点も目立ってきた。

ストーリーの大半は、戦前のヨーロッパの事情も、戦後のアメリカ人に買い取られた屋敷の話も、恋愛ドラマの構築のためにとってつけたようなもので、あまり意味のあるものとは思えない。
主役を演じたアンソニー・ホプキンスは、どうもレクター博士の印象が強すぎて、こういうタイプに女性が惚れるだろうかという疑問がある。
主人公とヒロインが、読んでいる本をめぐって、暗い一室でふざけ合うところなんか、一歩間違えばホラーになってしまいそう。
自然に相手に惹かれていく心理描写もうまく描かれているとはいえない。
感心したのは、最後に2人が再会して、そのままなにごともなしに雨の中で別れるシーンのみだ。
この場面だけは“日本人なら”ジーンと来るだろう。

ふと思ったのだけど、カズオ・イシグロが日系の作家であるとするなら、「日の名残り」というタイトルはなかなか意味深長じゃなかろうか。
大胆な仮説だけど、このタイトルを“日本の影響”という意味にとれば、作品が日本文学のよい伝統から完全に脱却していないことを、タイトルが暗示しているともいえるからである。
つまりこの小説では、伝統的な日本文学にみられる、遠慮や気遣い、しっとりとした情感のようなものが描かれているからである(わたしにはそう思える)。
映画が終わったあと、わたしは森鴎外の「雁」を読んだとき感じたような、せつない感傷におそわれた。

なにかを期待していたのに、けっきょくなにも(濃厚なベッドシーンも)なく終わるという小説は、欧米の文学にはかってなかったものじゃないかね。
ハルキ君に教えてやらなくちゃ。
ノーベル文学賞をもらいたかったら、ぜんぜん日本とは歴史も文化もちがう国に行って、その国の特異な風習を紹介しつつ、なおかつ日本文学のよさを失わない小説を書くんだね。
中国かロシアなんてどうだろう。
中国には「金瓶梅」があり、ロシアには浮気女の系統小説があるけど、両方とも遠慮しないで行き着くとこまで行ってしまう小説で、日本のおくゆかしさとは無縁だ。

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