読書とは
自分のブログを読み返していたら、古い記事に作家の佐藤愛子さんに触れたものがあった。
記事の中に“今年94歳で”という文章がある。
それはいいけど、いや、よくないけど、というのはこの記事が書かれたのがいまから7年まえなのだ。
えええ! するてえと、彼女はいまいくつになるのか。
もしやと思って調べたら、まだ存命中で、101歳になるんだそうだ。
げに女は怖しい。
若いころのわたしは乱読で、目につくものは手当たり次第に読みまくった。
それこそ夏目漱石、森鴎外から筒井康隆、椎名誠まで、ほかに平家物語や雨月物語のような古典、そして和歌や詩歌、漢詩、石川啄木、高村光太郎のような詩集の類も。
外国の本でも、これはちょっと偏りがあったけど、モーパッサン、メルヴィル、モームなど、重いものから軽いもの、ほかにミステリーからSFまで。
べつに自慢しようってわけじゃないけど、若いときにというのがミソだ。
本というのは、その人がいちばん感じやすい年頃に読んでこそ、肉にも肥やしにもなると思うからである。
ココログにもやたらにむずかしそうな本を読んでいる人がいるけど、そういう人は若いころ本を読んだのだろうか。
書いてる内容を見ると、自然の美しさに感動するこころや、他人に対する思いやりが欠如してるんじゃないかと心配になる人もいる。
そういう人が若いころ自分の仕事に関わる勉強ばかりしていたとすれば、同じころ趣味道楽で本を読んでいたわたしには彼を責められないけど、歳をとってからいきなり哲学や経済論の本を読み始めるのは危険じゃないかねえ。
つまり、粗末な柱の上にでっかい家を乗せようというようなもんじゃないかと、つくづく思う。
あ、あんたのことを言ってるわけじゃありませんヨ。
| 固定リンク | 0
« 今年は | トップページ | 拝啓、代替空港さん »
コメント