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2025年1月 1日 (水)

元旦の句

うちの近所に初詣に行く寺社はいくつかあるけど、去年は近所でいちばんご利益がありそうな氷川神社に行ってみた。
夜中の0時だというに、境内で火が焚かれ、若い娘たちがきゃあきゃあ。
いっぺんでイヤになって、もっと静かな、本当にこころからお参りしたくなる氏神さまはないかと思案して、思いついたのが全生園の中にある小さな祠(詳しくは去年の正月の記事を参照のこと)。
全生園というのは、もとハンセン病患者の収容施設だったところで、うちの近所にその施設が研究所と記念館になって残っている。
広い園内は、ここで世間から隔離されたまま亡くなったらい病患者たちの絶望が染み込んでいるようで、その一種独特のもの寂しい雰囲気が、わたしのこころを慰めてくれるところでもあるのだ。

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案の定、夜中の0時すぎにはだれもおらず、ただ薄暗い常夜灯がぼんやり境内を照らしているだけだった。
お参りに行ったわけではなく、お賽銭もあげないケチで、写真を撮りに行っただけのバチあたりのわたしだけど、もののけや亡霊が出てもコワくない。
なぜなら孤独や絶望にふるえる、わたしも同じみじめの仲間であるからだ。
連中が出てきたらいっしょにどぶろくでも酌み交わしたい気分なんだよ。

  らい病棟こずえに冬の星座かな
  孤独死をみとるや白き菊の花
  しめ飾り闇夜にむなし癩の杜
  ひともとの楓にこめし願いかな
  その骨はいずこに撒くや柚子のもと
というわけで、今年も年の始めに全生園で俳句をひねってみた。
ネクラなわたしのつくった句だから、徹底的にペシミズム派の作品ばかりだ。
「ひともとの楓」という句は、ここで死んだライ患者の北条民雄の記念碑に書かれていた、彼が最後まで執筆した書斎の窓からカエデの木が見えていたという説明に誘発されて。

ま、初心はネコをかぶって、そろりそろりと参りましょう。

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