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2025年2月11日 (火)

人間とAI

生成AIについて、もう死にそうなわたしはほとんど役に立たない技術だろうけど、じいさんにしては新奇な技術にも関心のあるわたしのこと、過去にこれについてブログに書いたことがある。
2022年9月3日の記事
2023年4月9日の記事
そこではAIが制作した絵画と写真のニュースが取り上げられていて、遺憾ながらわたしにもそれがAI制作とは思えず、してやられたかというところだった。

わたしは、芸術という数値で割り切れない分野では、コンピュータが活躍するのはいちばんあとになるだろうと思っていた。
しかし絵画も写真も現実には小さなドットの集大成だ。
コンピュータにすれば、データを解析して、似たような作品を再構築するのは意外と簡単なのかも知れない。
いやいや、もっと根本的なことを考えると、絵画や写真なんて全部人間の錯覚だという人もいるかも。
しかしわたしには、宮沢賢治の風の又三郎という童話や、谷内六郎さんの絵にあるような、遠い日の記憶を呼び覚ますような感覚を、AIがオリジナルで表現するのは不可能だと思うんだけどねえ。

ところで話題になっている生成AIの「ディープシーク」。
詳しいしくみはわたしにはわからないし、デタラメなものなら自然に消えるだろうと思っていた。
ところがアメリカを始めとして、先進国がいずれも大騒ぎしているのをみると、これは本物かなと思ってしまう。
本物なら警戒するより、人間にとっては、まずエネルギーの心配がなくなるから、ものすごい福音になるはずなんだけど。

世の中には好奇心に満ちた人がいて、ココログにもとっくにディープシークのアプリをダウンした人もいるようだ。
わたしはそういう人がAIに質問をしているブログ記事を読んだことがある。
そのときの質問は、なにか法律や規則に関するもので、こういう分野はむかしから味も素っ気もないのが普通だから、解答を読んでもとくに感心しなかった。
研究熱心なのはけっこうだけど、質問をした人はまだまだ長生きしようという人なのだろう。
どうせやるなら詩を作らせるような実験をしてみてほしい。
わたしはAIが作った、幼いころの胸をしめつけられるような体験を読んでみたい。
生きているうちに。

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