本
しようがねえなあ。
ウクライナは停滞中で、なにがどうなっているのかさっぱりわからないし、天気が悪いので花壇の手入れする気にもなれやしない。
メールチェックをしていたらJTBからの宣伝があり、充実の船内施設が人気のクルーズがなんとかかんとかと。
もうヤケになってクルーズ船で航海にでも出ちまうかと考える。
沖縄〜台湾5日間なんてものがあって、貯金をはたけばなんとかなりそうである。
貯金をはたいたらあとはどうするんだよという現実論と、このまま朽ち果てたくないという願望論が激しく争っているところだ。
あいかわらず旅への願望がやまないわたしであるけど、先日は図書館で本を5冊借りてきた。
近いうちにクルーズ船とは別に、究極のひきこもり旅行に出かける予定なので、ホテルでじっくり読もうというのである。
あまり簡単に読み終えてしまってはつまらないから、時間がかかりそうな本というわけで、ダーウィンの「ビーグル号航海記」を上、中、下の全3巻、モームの「要約すると」、もう1冊は簡単に読み終えてしまいそうだけど、川端康成の小説「山の音」である(すべて文庫本)。
「山の音」については、つい最近この小説を映画化したものがBSで放映されて、成瀬巳喜男監督の手法と、主演の山村聰の老け役演技に感心したばかりだから、原作のほうも読んでみたくなったのだ。
ただし、旅先で読むつもりなので、いまはまだ読みたい気持ちをぐっとおさえている。
これまでにもカリマンタン島や、タイのチェンマイでモーム流の旅をしてきたわたしは、海辺のホテルでかたわらにワインでも置いて、優雅に読書と思索にふけるのだ。
するといわくありそうな美女が寄ってきて、という妄想はもうやめよう。
わたしの旅は冥土への記念にしかならないものなのだ。
相手が白面の東欧美女であっても、いまのわたしはもう立つものも立たないのである。
川端康成の本が読みたくなる理由も、あるいは察する人がいるかも知れない。
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