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2025年5月 5日 (月)

西表/山の音

1360

西表島には文庫本を数冊持ってきた。
なかでも読みたかったのが、川端康成の「山の音」という小説。
ほかの本はまえに読んだことのある本ばかりで、これだけがわたしにとって初見の本である。
どうして選んだかというと、ちょっと前にこの本を映画化した成瀬巳喜男監督の同名映画を観て、内容と主演の山村聰の老け役演技に感心したからだ。
映画は1954年の古い作品で、このとき山村聰は44歳、共演の上原謙より若いにもかかわらず、その父親を演じていた。
この映画がなかなかよかったので、西表島で原作をじっくり読んでみようという気になったのである。

小説のストーリーを要約すると、鎌倉に家をかまえて東京に通勤する初老の主人公と、くたびれた女房、息子夫婦、子供をかかえた出戻り娘、彼らがひとつ屋根の下で暮らしていて、ぶつくさ不平をいいあうだけのようなものである。
ほかはとくにスリルもドラマもあるわけじゃないんだけど、それだけでもなつかしい思いがするし、それを視覚化した映画では、背景になっている家のたたずまいや、女性たちがふだんにも和服を着ている場面などが、涙がこぼれるくらいなつかしかった。
わたしはこういう2世代もしくは3世代が、同じ家に暮らしていたころの日本を知っている団塊の世代の生き残りなのだ。
半分くらい読んだところで、この本はわたしにまことにふさわしい小説だと思ってしまった。

ささいな描写だけど、ボケの始まった年寄りにありがちな、小さな失敗があちこちに出てくる。
自分でお茶をいれるつもりで、ぼんやりして灰皿に湯をそそぎ、注意される場面がある。
笑いごとじゃない。
わたしにだって似たようなことはしょっちゅうあるのだ。
この本はわたしが幼いころの日本にいた普通のサラリーマンが、しみじみと老いと向かい合う物語でもある。

登場人物の会話からは、なつかしい昭和の響きが聞こえてくる。
そのあたりが傑作の所以なんだろうけど、この小説にはじつに多くの作家、評論家が、最大限の賛辞を寄せていて、文庫本の解説を担当した山本健吉さんなどは、「戦後最大の文学」とまで書いている。
しかしわたしはもはや昭和を生きているわけではなく、デジタル時代を知っていて、キチガイじみた未来にまで鼻を突っ込んでしまった年寄りだから、こうした意見にかならずしも賛同しない。

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昭和までの日本の、上流の下くらいの家庭をよく描いているなと感心したのは前半だけ。
後半になると家庭内のゴタゴタが出てくるんだけど、これがちょっと現実ばなれしていて、ウソっぽくなる。
息子の嫁が妊娠した子供を堕したとか、出戻り娘の亭主が麻薬の密売で逮捕されたとか、なんだか無理にとってつけたようなエピソードに思えてしまう。
もちろんそういうことがあっても不思議じゃないけど、わたしは昭和の平凡な家庭のありさまに陶酔していたので、ちょっと違和感を感じてしまうのだ。

初老の主人公は都内の会社に重役として勤めている。
同じ会社に息子も勤めているから、縁故採用というやつで、こういうことも昔はよくあった。
会社が同じだから、息子の勤務ぶりも筒抜けで、彼が女遊びに狂っていることまで、秘書として勤めている若い娘の口から入ってくる。
この秘書の娘が小説のなかにひんぱんに出てくるけど、彼女のこともけっこう細やかに描かれていて、女性を描くのが得意だった作家の力量をうかがわせる。
映画でこの秘書の娘を演じているのが、当時としてはモダーンな顔立ちの杉葉子で、わたしには息子の従順な嫁を演じた原節子よりずっと魅力的に思えてしまった。
ほかに女遊びに狂っている息子の浮気相手として、ゾッとするほど美しかった木暮三千代が出てくるけど、映画の監督の成瀬巳喜男は、けっして彼女らをおろそかにしなかった。
映画は初老の男性と、若い娘を対象的にならべた作品でもあるのだ。

小説は川端康成の晩年に書かれたものだけど、こんなふうにあちこちに若い娘への思慕の気持ちが描かれているから、作家はまだ気持ちまで枯れてないことがわかる。
しかしそういう煩悩をどうすることもできない。
頭は20代のままなのつもりなのに、肉体はどんどん衰えていく。
友人を見て、シミの浮き出た見苦しいじいさんになったなと思うくせに、鏡を見ると似たようなじいさんの自分がいる。
これでは読んでいてわたしも身につまされる。

川端康成という作家は83歳にもなってから、自殺した。
その歳で自殺とはめずらしいといわれたけど、原因はこういう、こころと肉体の乖離にあったんじゃないか。
まだ若い娘をベッドに転がしたいという気持ちはある、しかし自分はもうそういうことに縁のないじいさんなのだという、どうにもならない矛盾。
ここに川端康成という人の悲しみがあるような気がするし、同時にわたしにとっての悲しみもある。
偉大な作家がそんな色ボケ老人みたいな悩みで死ぬはずかないといわれるかも知れないけど、同じ作家が晩年に書いた「眠れる美女」は、老人が若い娘をもてあそぶ物語である。
真理は意外と単純なものである場合が多いのだ。

1360c

西表島の密林のはざまでこの本を読みながら、ふと時刻を見ると、深夜の1時だった。
つくねんと自分のこれまでの人生を考える。
女性関係についていうと、わたしの人生はまことに甲斐のないものだった。
しかし、そのせいで最晩年になって、ようやく帳尻が合ったような気がする。
このときのわたしは、人生に完全に満たされて、世間の一般男性がなかなか体験できない贅沢をしていたのだ。
耳をすませば “森(ジャングル)の音”が聞こえる。
英国の女性探検家クリスティナ・ドッドウェルが、同じような幸福について書いていたことを思い出す。
どうしてこんなに豊かな気持ちになれるのだろう。

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