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2025年9月21日 (日)

詩集から

図書館でリサイクル本として、タダでもらってきた「現代詩集」という本、どこかにピカリと光る詩がないかと探しているけど、なんせ収められた詩の数が多すぎて、まだ全部チェックしてない。
昨夜はひさしぶりに湯船につかって、小一時間ほどこれに読みふけっていたら、サウナにいるみたいで、汗がだらだら、あやうくのぼせるところだった。
それとは別に、風呂場で読書すると、老眼もますます悪化しそうで心配である。

この本で取り上げられた詩人のなかに、壷井繁治というひとがいた。
「二十四の瞳」の壷井栄なら知っているけど、調べてみたらその旦那だった。
旦那のほうは初めて読む人である。

彼の「神のしもべいとなみたもうマリア病院」という詩が気になった。
治安維持法違反で刑務所に入って重い病気になった友人を、病院に入院させようと四苦八苦する仲間たちを描いた、詩らしからぬ詩だ。
長い詩だから引用はしないけど、治安維持法違反ということで気がついたのは、繁治さんは戦前に共産党員だった人で、これはそういう人たちに生きづらい時代の作品だった(台湾有事なんてものがホンモノになったら、わたしみたいなノンポリにも住みにくい世の中になるんでないかと、いまから不安だ)。

病院には特高警察が先まわりしていて、そんな前科者はダメだとどこの病院でも入院を断られる。
仲間たちは一計を案じ、カトリック系のマリア病院に、患者は島原の乱のカトリック教徒の子孫だとデタラメをいって、入院させようとする。
病院の返事が、いまは徳川の時世ではではありませんと。
なるほどねえというため息が3つ重なって、計画はおじゃんになった。
こういうのは風刺詩集というそうで、どことなく貧乏ったらしいユーモアがあっておかしい。

戦前の同じような立場の詩人に小熊秀雄がいて、彼の「馬の胴体の中で」という詩を読んだことがある。
そちらが社会の偏見と官憲の弾圧に苦しんだ悲観と絶望の詩であるのに対し、繁治さんのほうはきびしい現実をユーモアで表現している。
同種の作品には、小説ではソルジェニーツィンの「イワン・デニーソヴィチの1日」、映画ではキューブリックの「博士の異常な愛情」などがあり、ヘソ曲がりのわたしは、こういう逆手を使った作品が好きなのである。
ひとつ気になったのは、最近ではパソコンに質問すると、回答は生成AIによるものが多いようだ。
これはユーモアも、ひねりもない真面目くさったもので、わたしは大っキライだよ。

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