フェリーニの映画評
冒頭に載せたのはギャングのボスでもないし、そのへんの中小企業の社長さんでもない。
わたしが尊敬する映画監督のフェデリコ・フェリーニだ。
YouTubeを閲覧していたらこのフェリーニ監督が、他の映画監督の作品を評価している映像があった。
以前この手の映像で、マーティン・スコセッシが映画評をしているものを観て感心したことがあるし、わたしはフェリーニ監督も好きなので、どおれと拝見してみた。
フェリーニ監督というと、とかく難解な、わけのわからない映画を作る人というイメージがあるけど、「道」や「甘い生活」、「サテリコン」、「アマルコルド」のような、わけのわからなくない映画も作っている。
とくにアマルコルドはユーモアもあって、その牧歌的なほのぼの感で、わたしのお気に入りの映画である。
そんな巨匠が選んだ映画とはどんなものだろう。
フェリーニ監督が選んだベスト6映画は以下の通り。
6位 駅馬車
5位 鳥
4位 ブルジョワジーの秘かな愉しみ
3位 羅生門
2位 チャプリンの殺人狂時代
1位 2001年宇宙の旅
このフェリーニ監督が選んだベスト6というのが、いつごろ作られたものか知らないけど、いささか彼らしくない評価もある。
しかし映画評というものは、100人いれば100の評価があるものだし、質問がいつどんな時にされたかにもよって変わってくるだろう。
監督がこれからメシを食おうとしているとき、どんな映画を評価しますかと聞かれたら、まあなと、たまたま頭に浮かんだ適当な映画を選ぶこともあるかも知れない。
だからこれは参考ていどにしておこう。
6位は「駅馬車」だけど、これはジョン・フォード監督のデビュー作といっていい古い作品(1939)で、いま観るとべつに大騒ぎするようなものじゃない。
それでも公開された当時としては斬新な西部劇だったから、フェリーニ監督もそんなところに惹かれたのかも知れない。
この年には、フェリーニはまだ監督デビューもしてなかった。
J・フォードのほうはこの作品以降、だんだんマンネリになってきて、終いにはアメリカ・ファーストの、マイノリティ差別主義者であることがあきらかになったから、わたしはあまり感心してないのである。
5位はヒッチコックの「鳥」である。
最近の傾向としては、熊が人間に反旗をひるがえしたのではないかと思えるフシがあるけど、これは鳥たちが人間に反旗をひるがえすというホラーである。
でもいま観ると、合成画面も安っぽいし、わたしはやっぱりあまり感心しないんだけどね。
4位は「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」である。
名作のほまれの高い映画であるとはいえ、遺憾ながらわたしはいちども観たことがない。
観てないものをけなす(ほめる)のもナンだからパス。
3位は黒澤明の「羅生門」だ。
むずかしいところだな。
黒澤明という人はいくつになっても子供みたいなところがあって、時代が進めば進むほど、そのヒューマニズムも時代遅れになってゆく。
この映画はまだそんなボロが出るまえの作品だし、まだ映画には大きな可能性があったころだから、生まれた作品といえなくもない。
わたしはクロサワを、欧米人ほどには買ってないんだけどね。
2位は「チャプリンの殺人狂時代」。
チャプリンの映画は「黄金狂時代」や「モダンタイムス」、「独裁者」などの、ドタバタとシリアスの混在した作品にこそ真価があると思うんだけど、この作品はかならずしもそうではなく、シリアスな社会派部分にかたよりすぎた映画であることがミソ。
世間の評判はよくても、わたしはあまり好きじゃない。
評価を全体的にながめると、フェリーニらしからぬ映画評であると思う。
やっぱり食事まえに呼び止めて質問をしたので、監督もとっさに出てきた映画を挙げたんじゃないかね。
フェリーニ監督も出発はリアリズムだったから、「市民ケーン」や「灰とダイヤモンド」、ベルイマンの「第七の封印」なんかのほうが彼らしいんだけど、このへんはあまり簡単に意見をいえる映画じゃないしね。
1位は「2001年宇宙の旅」で、こればかりはわたしももろ手をあげて賛同する。
これはわたしにとって生涯最良の映画なのである。
わたしがこの映画を最初に観たのは、銀座にあったテアトル東京というシネラマ映画館で、20代の前半だった。
人間がいちばん感受性の豊かなころに、この映画に出会ったことは奇跡に近かった。
もしもわたしがもっと若ければ、この映画の哲学的な部分で居眠りをしていたかも知れないし、もっと大人になって、人生にくたびれたころ観たのなら、その特撮技術にべつに感心もしなかっただろう。
わたしはまさにぴったりの好時期にこの映画に出会ったのである。
この文章を読んで、あわてて40代、50代になったおっさんが、レンタルビデオかなんかで観ようと思ってもダメだぞう。
人生にチャンスはそうそうあるわけじゃないのだ。
このブログで何度も取り上げているから、これ以上いわないけど、わたしが多感な時期にこの映画に出会ったということは、偶然を通り越して、そうさな、生きているときに木星のアップや、土星の輪をすぐ近くで見られたのと同じくらいの僥倖であると、わたしはいまでも、いや、いまさらながら思っているのだよ。
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