黒猫、白猫
フェデリコ・フェリーニの後継(とわたしが勝手に目する)エミール・クストリッツァ監督のセルビア映画「黒猫、白猫」を観た。
まえに告知だけしておいたけど、あらためてじっくり観ると、もう、掃き溜めから拾ってきたゴミみたいな映画だった。
いや、たとえが悪いけど、映画そのものがゴミというわけじゃなく、全体の雰囲気がゴミみたい。
出てくる役者がいけない。
ヒゲもじゃでむさ苦しくて、アメリカ映画みたいに均整のとれた肉体美は皆無、不揃いの金歯をぎらぎらさせるじいさんは出てくるし、セルビアの男ってみんなあんなかいと思ってしまうではないか。
おまけに死人をこけにするようなえげつないシーンはあるわ、文字通り臭いシーンはあるわで、最後まで観通すには苦労する映画だった。
もうひとつは女優さんに、「アンダーグラウンド」や「ライフ・イズ・ミラクル」ほど魅力的なのがいないせいらしい。
この映画のヒロインは、男の子みたいにひょろりとしたタイプで、鉄砲で他人を撃って喜ぶようながさつな娘である。
若い男をくどいてヒマワリ畑に消えちまう場面もあるけど、どうも色っぽさより自民党の小野田紀美さんなんかをイメージしちゃうんだよな。
物語はあるチンピラ詐欺師が列車の貨物をかっぱらう仕事に失敗して、知り合いのヤクザからでっかい借金をこしらえ、その返済のために自分の息子を、ヤクザの妹の旦那として差し出す。
この妹というのが“てんとうむし”とあだ名された、チビで不器量で、男に相手にされないタイプで、それでもあたしは理想の男と結婚するんだといって、兄貴を困らせているのである。
どうもあのへんの国の田舎には、いまでも一家の長である兄貴が、家族全員の結婚の面倒をみる義務があるらしい。
チンピラの息子もそんな押しつけられた相手との結婚はイヤだし、てんとうむしもあいかわらず理想の相手にこだわる。
かくして花嫁花婿の双方が望まないまま、やたらにぎやかな結婚式になだれ込み、しかもその最中に一族の後見人というべき金歯のじいさんが亡くなってしまう。
結婚式を葬式で中断されたくないヤクザの兄貴は、なんとかじいさんの死を隠そうとするんだけど、じいさんは何度かよみがえってひとこと口を出すから、話は余計混沌としてなにがなんだかわからない。
わからない映画はフェリーニにもあったよなと、強引に納得しておく。
というドタバタ映画である。
おもしろいことはおもしろいし、わたしと同じ皮肉屋の面目はあるものの、以前に「アンダーグラウンド」を観て、「81/2」のような大団円と書いたようなハッピーな結末ではない。
将来クストリッツァ監督論でも書くかも知れないから、いちおうブルーレイに焼いたけど、それ以外の理由でわたしはたぶんこの映画をもういちど観ないと思う。
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