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2026年3月 7日 (土)

荒野のおおかみ

今日は部屋にあるはずのペットボトルが見つからない。
ペットボトルといっても4リットル入りの大きなものだからおいそれとそのへんにまぎれこむようなものじゃない。
いよいよ脳梗塞が脳天までまわったかと不安になったので、頭の訓練のためにややこしいことを考えてみようと思う。
ココログの同業者にOKCHANさんという人がいて、最新の更新でヘルマン・ヘッセやその著書「荒野のおおかみ」について書いていた。
それを読んで思うことがあったので、そのことを書いてみようと思うのだ。

ある程度歳をとった人がヘッセや彼の小説を読むのは薦められない
そういう人は世間の常識にのっとり、マスコミのいうことを素直に信じて生きてきたのだろうからから、彼がいきなりヘッセにかぶれて、自暴自棄の生活に耽溺したら家庭崩壊につながりかねないからだ。
「荒野のおおかみ」は、ひところヒッピーのバイブルと呼ばれ、若者たちに熱狂的に支持された。
アメリカにはこの本のタイトルをそのままバンド名にしたロックグループもあったので。わたしも興味を持って目を通したことがあるけど、それほど感動しなかった。
なぜならわたしにはどこか醒めたところがあって、ヒッピーなんてこの社会に通用しないハンパ者のことじゃないかと思っていたからである。
そういうわたしだけど、振り返ってみると自分の生き方そのものが荒野のおおかみじゃないかと思うことがある。

わたしは30代のころまで漫画家になるんだという大望を持っていたものの、そのころそろそろ才能の限界を感じ取り、それがたんなる現実逃避であることも悟って、自分の性格に絶望し、自分みたいな人間はこの社会で通用しないと思い込んで、そこから先は可能なかぎり外国を見てまわろうと決心した。
ヒッピーを軽蔑していたくせに、自分の生き方としてはアウトサイダー(荒野のおおかみ)を選んだわけだ。
OKCHANさんんが引用しているヘッセの文章に以下の部分がある。
「あの恐ろしい空虚と静けさ、死にそうな締めつけ、孤立無援、無情と絶望のうつろな荒涼たる地獄であった」
これこそ当時のわたしが四畳半の安アパートでしょっちゅう感じていた絶望と恐怖だった。
ヒッピー的生き方がアメリカでブームになったのも、それだけわたしと似たような心境の若者が多かったということだろう。
こればかりは社会に順応して、世間に流布されている風評(NHKKの報道)をすなおに信じるような人にはわからない。
わたしが自分のブログのなかで
本を読んでいるかどうかは、はたからでもわかるもんだよ
と書いたのこういうことだ。
わたしのブログを読めばわかるとおり、わたしは徹底的なヘソ曲がりで、世間の常識に従えない人間だ。
いまでもNHKの報道を信じようとは思わない。
同時にわたしには、いまでも世間の欺瞞を許せないという、若者だけの特権というべき正義感も残っている。
つまりわたしは「荒野のおおかみ」をいまでも実践しているわけだ。
歳をとってからヘッセのよさに気がついたという人は、たぶんいちどはヘッセ的生き方にあこがれたものの、どうしても道を踏み外すことができなかった自分に対する過去の怨嗟を確認しただけのことじゃないか。
わるいことはいわない。
怨嗟を確認しただけで満足しておかないと。ほんとに家庭崩壊につながりますよ。

つまらないことを書いたけど、このわたしの文章は乱れてないだろうか。支離滅裂になってないだろうか。
脳梗塞でパソコンでもミスタッチばかりしているわたしの目下の心配はそういうことだ。

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