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2026年3月 1日 (日)

自殺願望

自殺をしようと思ってる。
椅子をもって団地の5階の踊り場へ行ってみた 
踊り場から見下ろす高さは20メートルくらいあり、ま下はコンクリート打ちっ放しの地面だからイチコロだろ。
椅子の上に立っていろいろ考える。
とにかく悩みを解消するいちばんいい方法はひと思いに死んでしまうことだ。
死んでしまえば病気のことも、寝たきりになった未来への不安も、対立がどこまでエスカレートするのかというこの世界も(アメリカはまさかやらないだろうと思っていたホメイニさん暗殺に踏み切った)すべて関係無いものになる。
わたしの友人のひとりがいまのわたしとまったく同じ境遇で、軽度の脳梗塞を発症したあと、奥多摩の倉沢橋という東京都でいちばん高い橋からから飛び降りた。
彼も死ぬ前にパソコンでミスタッチばかりしてるんだよとぼやいていた。
わたしと同じだ。
慎重に一つ一つ選んで押しているのにモニターには違う言葉が表示されるのだ。
あかん、彼の場合面倒を見てくれる家族がいたけど、わたしにはそんなものはいないのだ。

これまでわたしは自分が健康なせいもあって他人には信じられないほど残忍だった。
重症の糖尿病になってまだ若いのにインシュリンを打ち続けなければならなくなった知り合いに、面と向かって、わたしならさっさと自殺しますよなんていったこともある。
彼はこれから終生自分で自分の腕に注射をしなければならないのだ。
わたしにはとてもできそうもないという恐れがついそんなことをいわせてしまったのだけど、いま考えると残忍すぎることをいったものである。
その報いが自分に降りかかってきたということか。

椅子の上で下をみているうちに、だらしないことだけど、恐怖の念にとらわれた。
あとひと息ジャンプすればおしまい、痛みも苦しみもないだろうということはわかっているけど、それができない。
人間という生きものの持っている生存本能の強さにあきれる。

まごまごしていると夜が明ける。
壁に押し付けている手が冷たくなってきた。
もっと楽な自殺の方法はないかと考えるうちに、思い当たった。
よく新聞の報道などで、刑務所に拘留されている犯人が看守が目を離したわずかな時間に首を吊ったなんて事件がある。
その気さえあれば人間が死ぬのは簡単なのではないか。
細い紐で首をぐるぐる巻きにし、それはなにかに引っかけて、体重をかければ脳に行く血液がしゃ断されて眠くなり、目がさめるころにはめでたく三途の川を渡ってるんじゃないか。
こんな口実で飛び降りは止め、部屋にもどっ用意してあった宇宙工学から生まれた丈夫な製品であるスマホのストラップで首を吊ってみた。
へランダの一方にある物置のドアノブに紐を引っ掛けてみたけど、ぶら下がってもなかなか眠くならない。
首がしまって苦しいし、寒いので、室にもどってウインドブレーカーをひつかけ、手袋をした。
簡単には死ねないものだ。死にかけた頭でこんなことを考えていると、わたしにもまだブログで世間を笑わすことぐらい出来るんじゃないかと思いついて、また死ぬ気がなくなる。  
いろいろ考えると、浮かぶのはつねに自殺回避のいいわけばかり、これも生存本能がそうさせるのか。
今夜も自殺できそうもないな。

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