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2026年5月

2026年5月21日 (木)

拝啓アップルさん

iPadがなければ生きていけないというくらい愛用して活用しているんだけど、最近寝ているうちに自動的にOSのバージョンアップがあったようで、朝起きたらパスコードを入力しないと利用できなくなっていた。
それまでは電源を入れるとすぐにトップ画面になって、手間がかからなかったのに、ひとつ敷居が増えた感じである。
まったくアップルという会社は顧客の利便性など考えない。
独占企業がどんなに身勝手かということを、身をもって証明している会社といっていいだろう。
個人が気持ちよく使っているものを、なんでパスコードなんてものが必要に改悪するんだ。
他人に知られて困る暗号資産でも入っているならともかく、わたしのタブレットに侵入しようという“トクリュウ”犯もいそうにない。
こういう会社にはいちど不買運動かなんかで鉄鎚を下したいけど、国民が自主独立のふうを持たず、なにごとも横並びでないと不安というポピュリストばかりの国で、それは不可能か。

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2026年5月20日 (水)

理想

これじゃ今年の夏は乗り切れないなと思わせられた今日の買い物。
足の運動はかねて近くのスーパーまで出かけたんだけど、いい天気だ、といってもまだ盛夏というほどでもない。
帰りにはほとんど半死半生、足が1歩も上がらないという状態で、ようやく部屋に転がり込んだ。

部屋ではちょっと前のめりになったら、そのまま畳の上に倒れ込んで起き上がれない。
まだスーパーでそんな醜態をさらけだしてないけど、それも近いなという感じである。
とにかく手足に力が入らないのだ。
部屋でせっせとリハビリのためにスクワットをしてるけど、どうもスクワットと歩行では使う筋肉がべつらしく、あまり歩行には役に立ってない感じである。

もしも今日が盛夏だったら確実に日射病だよ。
でもそれも悪くないか。
わたしの知り合いはむかし、真夏に開かれた沖縄の祭りエイサーを見に新宿まで出かけ、日射病で死にかけた。
本人にそのときの状況を尋ねると、暑いのでグロッキーになり、ベンチで休んでいるうち頭がポワーンとなって、あとのことは覚えてないそうだ。
あのまま気がつかれなかったらゼッタイに死んでいたねと本人の弁。
ポワーンとなってあの世行き。
まさに理想の死にかた。
今年の夏はその理想を目指すか。

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2026年5月19日 (火)

またコメント禁止

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また新手のコメント禁止機能が発動されたようだ。
コメントをつけようとすると(たぶんわたしの場合のみ)、スパム防止という画面になってしまってコメントが書き込めないのである。
しかもアクセスカウンターが昨日は800台、今日は10時の段階でまた2桁にぎゃくもどりの49だ。
何がなんでもわたしを敵視し、排除しようという姿勢がありあり。
なんたる卑劣なやりかたと思うけど、仕方ないからまたブログ記事として書く。
これは本来、OKCHANさんの5月16日付けの「同じものを見て」という記事のコメント欄に書くべきもの。
以下はそのコメント全文。

黙って聞いていられないので、また横から口をはさみます。
また同じレイシスト同士のやりとりですか。
いったい中国に「神がいない」「論理観ゼロの国」というのは何か根拠があることなのですか。
わたしは去年の10月に上海に行ってきて、静安寺という寺院を見てきましたが、けっこう参拝客でにぎわっていましたよ。
中国政府が宗教を禁じていることは事実でも、それはオウム真理教や統一教会のように国家を危うくする勢力に拡大するまえに抑え込もうという考えからで、けっして庶民に頭から宗教を禁じているわけてはありません。
この迷い多き時代に、神や仏を国民の頭から完全に拭い去るのは不可能でしょう。
「論理観ゼロの国」の国というのも、いかにもレイシストの考えらしい。
何を根拠にゼロというのか、それを示さずにいいたいことをいうのでは、おまえの母ちゃんおお出べそというふうな、子供のケンカの悪口といっしょです。
すべてこちら側が、こちら側に都合の良いことを一方的に並べているだけじゃありませんか。

ディストピアが絵空事でないとすれば、すべて不信感をあおる人間の姿勢にあるでしょう。
ロボット工学三原則はこれまでいちども国際的取り決めになったことがありません。
現代のようにAIを組み込んだ自律型ロボットが戦争で活用されるようになったことからすると、未来永劫にそんなものが取り決めになるとは思えません。
食い止められるのにそうしなかったというのは、核戦争による終末を予想した米国の科学者カール・セーガンの嘆きでしたけど、ディストピアを防ぐのは、ただひとえに、相手の立場を考えるという人類の叡智と、寛容の姿勢にかかっているのでしょう。

ああ、わたしもいちいちこんな下らないことにいちゃもんをつけるのに疲れた。
いつかわたしの正しさがまっとうに評価される時代が来るよう祈ってますよ。
酔いどれ李白という名もないじいさんだけど、ココログの陰湿ないじめにも屈することなく、あいつだけは最後までこの世界の融和と協調を説き続けたってね。
コメント禁止というのは、ひよっとすると、わたしにとって勲章かもしれない。

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2026年5月17日 (日)

思い出

思い出というものがある。
そんなものにこだわるから女々しいといわれるのかも知れない。
女々しくない男というのは、思い出なんかさらりと捨てて、前だけを向いて生きているのかも知れない。
わたしの場合思い出はたくさんある。
いまのように脳梗塞で寝たきりになると、ほぼ朝から晩まで思い出にひたっている。
両手にいっぱいどころじゃない、わたしの場合4トントラックいっぱいはありそうだ。
若いころ奥多摩、奥秩父をひとりで歩きまわったことや、中国、ロシアを旅した記憶、日本各地をドライブしたこと、そういうアクティブな記憶だけではなく、たとえば初めて宮沢賢治の詩を知った瞬間なども、懐かしい思い出だ。
こうやってみると、わたしの過去は、人生のほとんどすべてがなつかしい思い出に満ちている。
もちろん思い出したくない思い出もトラックいっぱいはある。
いま毎日、そういうものに押しつぶされそう。
これでは女々しくなるのも当然かも知れない。
いつ死んでもいいと考えているくせに、自分で死ぬ勇気はないのだ。
最近知り合いの女の人が冷たくなったような気がする。

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2026年5月16日 (土)

不信感

ここんところのOKCHANさんの発言を注意していると、中国への不信感は相変わらず根強いようだ(5月16日の午前の記事=日付をちゃんと書いておかないと、相手はたわいない記事でどんどんブログを更新してしまうので、いつの記事を対象にしているのかわからなくなる)。
こうなると一種のヘイトではないかとさえ思いたくなる。
だから、わたしみたいに正面からの反対意見は、おべんちゃらばかりのコメントより歯応えがあっていいんじゃないか。 
いちゃもんのない意見はヌカに釘を打つようなものだよ。

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表現の自由の保証された日本では誰が何をいおうと自由だ。
いまのわたしは自分の病気のことで手一杯で、他人のブログにまて口を挟んでいる余裕はないんだけど、やはり言っておきたい。
じつは家族のないわたしだけど、姪っ子がいて、最近その子供たちの写真を送ってきたばかりだ。
わたしは子供たちのために平和が未来永劫に続くよう願わずにはいられない。
“いられない”ではなく、それを守るのはわたしの義務だ。
父親の考えが息子に与える影響は大きいという。
わたしは危機感を抱いている.
けってしてOKCHANさんのスマートな息子さんが、父親の影響を受けやしないかという心配だけじゃない。
不信感にあおられて日中間に亀裂が走り、息子さんが二度と上海の食堂で中華料理を味わえなくなったらつまらんでしようが。
わたしだって機会があれば、また上海のレストランでビリ辛サトイモが食べたいし。

それでも、なにがなんでも中国への不信感を言いたいならそれはOKCHANさんの勝手だけど、まだつい100年ばかり前にはそんな勝手なことも言えない時代があった。
太平洋戦争の前は、日本政府に反対の立場なんてていいたくても発することが出来なかった。
私たちは長い平和か続いたおかげで、そういう暗い時代のことを忘れてしまった。
いまではそういうことを想像することもできない。
戦前の詩人小熊秀雄の「馬の胴体の中で」を読んでほしい(メンドくさがりのためにリンクを張っておいた)。
日本にファシズムが復興するのはそれほど難しいことじゃない。
みんながみんな、台頭する中国に対する不信感をいだき、それを誰かが煽ればいいだけだ。
ファシズムは国民の意見をすべて完璧に思う方向に向かわせようとする。
わたしのイヤなことの一番は、全ての人が同じ方向を向かされて、反対の意見を聞かなくなることなんだよ。
日本政府の片棒を担いで、中国への不信感をいうOKCHANさんさえ、いまのように自由にものを言えなくなる恐れがあるということだ。
だからわたしは執拗にOKCHANさんに抗議をして、世の中には異なる意見があることを説明しようとしてるんだ。

それとも二十一世紀というのは新たな帝国主義の時代なのだろうか」と、OKCHANさんは書く。
そのとおり、いまの中国を見ていると、かつての植民地主義とは異なる、やらずぶったくりではない新しいウインウイン時代の始まりとなぜ思えないのか。

わたしはOKCHANさんがわたしのブログを読んでいると確信しているよ。
たとえ無視されても、昨夜のわたしのブログのアクセスは500プラスだ。
それだけの人が読んでくれるなら、わたしのブログもまったく意義がなかったわけじゃない。

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2026年5月14日 (木)

前兆

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不自由な体で、昨日も病院へ行ってきた。
完治するわけがないよ、脳梗塞が治るわけがないと宣告されに行ったようなものだった。
わたしはバカだった。
考えてみれば前兆はあったのだ。
覚えているかな、去年の10月に上海へ行く前、わたしは深夜の散歩に出て、軽いジョギングをするつもりで散歩道で転倒した。
そのまましばらく起き上がれず、顔にすり傷をつくったまま、かろうじて部屋にもどり、上海にはでっかい絆創膏をつけたまま強引に出かけてしまった。
あれほど確かな前兆はなかったのに、わたしには脳梗塞になんかなるはずがないという自信があった。
ふだんのわたしは酒もタバコもほどんと嗜まず、食事は野菜主体の質素なもの、それで夜中にせっせと散歩だ。
わたしが脳梗塞なら日本中の男がみんな脳梗塞さ、という驕りのようなものがあったのだ。
でも今さら後悔しても仕方がない。
脳梗塞でなくてもわたしの晩年はこんなもので、なにかしらの不幸に襲われることは決まっていたのだろう。

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2026年5月13日 (水)

悔悟

わたしは意気地なしである。
それもとびきりの、女の腐ったようなやつと蔑視されるタイプらしい。
沖縄で割腹自殺した軍人のことを書いたばかりだけど、むかしの侍はよく切腹した。
エラいなあと思う。
わたしにはとてもできそうもない。
若いころ民家の解体現場で働いたことがあり、そのさい長靴をはいたまま、五寸釘を足の甲が突き抜けるくらい踏み抜いた。
長靴の中はたちまち血の海だ。
このことを思い出すだけで、いまでも胸がドキドキする。
とても切腹なんかできそうもない。

切腹まで行かなくても、わたしの知っている著名人でも高所から飛び降りたり、首をつったりした人間はいくらでもいる。
女々しいと思われていたフォーククルセダーズの加藤和彦クンも首をつった。
もちろんそこまで追い詰められたということはあったのだろうけど、首をつって足下の椅子をけとばす、そんな簡単なことでも、わたしには出来そうもない。

こんなことを書いたのは、たまたまYouTubeで、郷里の先輩である萩原朔太郎の文章を朗読するチャンネルを観たからだ。
「老年と人生」というその文章は、死ぬに死ねない詩人のなげきを書いている。

気になったので朗読のもととなった原文を読んでみた(青空文庫に出ている)。
どうも人間には侍みたいな度胸のあるタイプと、詩人みたいな軟弱なタイプがいるようだ。
朔太郎の文章も、その前半では、若いころは若さを重要視していて、30になったら死のうなどと乙女チックなあこがれを書いている。
詩人らしいたわごとに近いあこがれで、若いころのわたしも似たような考えを持っていた。
ところがその歳になっても死ぬに死ねず、まごまごしているうちに老年になってしまったと、自分の弱い性格をなげいている。
このあたりにおおいに共感を感じたけど、文章の後半になるとしだいにわたしの人生とは乖離する部分が多くなり、朔太郎自身の人生哲学のようになってきたので読むのをやめてしまった。
朔太郎はいい家のお坊ちゃんで、結婚もしたし、親の遺産を食い潰すほどの道楽もしたけど、わたしはずっと貧乏人の2男のままだったのだ。
付き合っていられないよと、文章の後半は読まなかったけど、さすがは郷里の大先輩、人生の終末になってわたしたちはもういちど似たような嘆きを訴えることになるのだ。

わが草木とならん日に
たれかは知らむ
敗亡の歴史を
墓に刻むべき。
われは飢ゑたり
とこしへに過失を
人も許せかし。
過失を父も許せかし。
わたしの人生も過失だった。
毎晩くやんでも悔やみ切れない悔悟に押し潰されそうだ。
わたしは父だけではなく、母親にも謝らなければならない。
ああ、しかし、わたしをこんな奇形児に産んだのはあなたたちではないか。
ただ願うのは草木に返る日の早からんことをというだけ。
わたしはいったいなんのために生まれたのか。

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2026年5月12日 (火)

Shinzeiさん

あまり触れたくないShinzeiさんがまた新しい本を紹介してるけど、記事がとんちんかん。
「どうして中国はそんなにアヘンなど麻薬類が出回ったのか?という恐らく読者の相当数が抱く疑問には、残念ながら答えられていないどころか、著者自身あえてそれを端折った感があります」
というんだけど、ほかならぬShinzeiさんが二つくらい前のブログ記事で読んだといっていた「阿片王・満州の夜と霧」に答えが出ているではないか。
しかも彼はそのとき
“既に阿片というのはタバコに毛の生えたくらいのものだったそうで、主に金持ち階級が阿片を吸っていました”
“そういう下地があったからこそイギリスは中国に阿片を売れたのだ”と、自分で答えを書いている。
いったい彼は本をちゃんと読んでいるのか。
文字を数えるだけではなく、ちゃんと内容を汲みとっているのかということだけど。
「満州の夜と霧」についてはわたしも読んでいてその感想を書いたことがある。
リンクを張っておいたから、読み比べてほしい。
じつはShinzeiさんにはあまり揶揄するようなことを書きたくなかった。
しかし彼のなにがなんでも日本の左翼をおとしめよう、という姿勢には病的なものを感じるので、たまには他人のブログも、たとえばわたしのブログも読んでみなさいよといっておく。
公平なものの考え方をするには、そうやって自分以外の意見を知ることが必要なんだよ。
ちなみに、やたらむずかしい言葉を使いたがるのも病的の一種かも。
あなたの博識はよくわかるけど、ゴキブリを蜚蠊だなんてどれだけの日本人がわかるんかね。

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2026年5月10日 (日)

廃人の俳人

昨夜のアクセスは最終的に887で終わり。
今日もいまのペースなら800台は確実。
といってもこれまで散々ココログのアクセスを攻撃して来た手前、それが上がったからとすなおに喜べない。
ウクライナ戦争でロシアを擁護するという不思議なブログなんだから、その不思議さだけで、最初からこのくらいはあるはずだった。
女の子がパンツをチラ見させるだけで、いいねが万単位のYouTubeとはSNSのスケールが違うといってもだ。
ローカルSNSのココログで、この数字はいいほうじゃないかしらね(億単位の占い師さんは初めっから無視だ)。

こんな調子でアクセスが推移すれば、そのうちネット社会の有名人になるかも知れないけど、悲しいことに、脳梗塞で半病人になってからじゃ喜べないよな。
 また今朝もいつものごとき憎き朝
川端茅舎や石田波郷と同じ病人俳句のひとつ。

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死なせて

寝ているときだけは健常者と変わらないというんで、寝てばかりいる。
そのせいか昨夜は立ちくらみのようなめまいがひどかった。
もういいかげんに死なせてくれよと大声を出したいくらいだ。
生きながらなぶられている感じ。
しかし無神論者を豪語してきた手前、神様にお願いするわけにもいかない。
年齢からすればもういつお迎えが来てもおかしくないし、わたしと変わらない歳で一巻の終わりになった人も多いんだ。
それなのになんで死なせてくれないんだ(絶叫)。
生きていたってもうわたしに出来ることは何もないよ。
死なせてくれえ。

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戦争映画

岡本喜八監督の「激動の昭和史,沖縄決戦」を観た。
沖縄の戦争についてはわたしも一文を書こうと思い立ち、その古戦場の視察までしたことがあるから(あまり期待しないまま)テレビ鑑賞した。
岡本監督は企業監督(映画会社に所属する監督)としては一時カリスマ的人気を誇った人だけど、やはり会社専属のままでは腕のふるいようがなかったようで、映画はNHKの終戦記念日番組と大差ない出来栄え。
特攻隊の取り上げ方なんか、ヘタすれば戦争賛歌になってしまいそう。  

ただ、この映画を観ていて思ったのは日本軍の認識のあまさ。
アメリカに対抗するための戦術というのが、沖縄に兵力を集中させ、できるだけ相手を困らせ、戦争を長引かせるというもの。
戦艦大和まで沖縄に突撃させ、浜辺に乗り上げさせてそのまま砲台として利用しようというムチャな作戦だ。
こうすれば手を焼いたアメリカは和睦に応じるのではないかと淡い期待。
つぎの戦争でも似たようなことが繰り返されるかも知れないから、若いもんはよくおぼえておけ。
困るだろうというのはこっちの願望であって、いったん優劣がつけば、勝ちに乗じた相手が兵を引くはずがない。
こっちが兵力を増強すれば相手は勝つために、それ以上の兵力を注ぎ込んでくるだろう。
そうして沖縄の悲劇が繰り返される。

想像力旺盛なわたしには、この映画程度じゃまだまだ薄っぺらな戦場の描き方にしか思えなかった。
願望だけで戦争に勝てないことは、ウクライナ戦争でも証明された。
戦場で兵士たちが、腕が一本なくなった、足が吹っ飛んだと、脳梗塞どころじゃない障がい者続出の惨状にあえいでいるとき、指揮官たちは、みんなで死ねばコワくないと空威張りばかりで、県民や、前途ある若い女子学生たちを地獄への道連れにした
丹波哲郎が長勇という参謀総長を演じていたけど、この軍人は中国で南京大虐殺にも加担したといわれた猪突猛進型の典型的な日本軍人で、この映画でも仲代達也の冷静な下士官に比べると、威勢ばかりいい軍人として描かれていた。
彼も沖縄戦後に割腹自殺したけど、中国で市民を虐殺したうえに、さら沖縄県民を道連れにした軍人として、腹を切ったぐらいで戦争責任を免れるのだろうか。
本人はあの世への道で、大勢のひめゆり学徒たちにかこまれて相好を崩していたかも知れない。

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2026年5月 9日 (土)

つねに両側を

思ったよりも注目されているのか。ガンコで血の気の多い団塊の世代同士のケンカ。
今夜の夜の10時の時点でブログのアクセスが、わたしとしては相当な数字 の750だよ(23時45分にはとうとう840まで行った)。
わたしと福岡のHiroshiさんは似た者同士だから外野も興味があるのかも。

わたしと彼のどこが似てるか挙げてみよう。
わたしはやたらに他人のブログにいちゃもんをつけるけど、Hiroshiさんもやたらに地方の行政に噛みついている。
これはまだ精神的に若くて、正義感が強すぎる人間にありがちなことだ。
自分だけが正しいと思っている(Hiroshiさんにいわせるとわたしもそうらしい)ことも共通しているじゃおまへんか。

気の利かない地方行政にいちゃもんをつけるのは、そこに住んでいる人間の義務だというのかも知れないけど、既得権益層にまで文句をいい、改革を迫るとなると、行き過ぎの部分もありそう。
世間について良かれと思ってやったことが、タクシー会社を苦境に追い込むこともあるのだ。
タクシー運転手も社会の底辺で、カツカツで生きていることを忘れちゃいけない。
これもひょっとすると地方の名士であるHiroshiさんの、学問があるという驕慢さのあらわれかも知れない。
わたしはもともと底辺だし、つねに両側を見ているから一方だけを責めない。

売られたケンカだけど、どうだ、これをネタにもう3回もブログを書けたぞ。
あまりHiroshiネタばかりじゃ相手に迷惑。 
このへんで矛を納めるか。
ケンカは引きどきが大切。

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Hiroshiさんへの弁解

コメントはこうやってつけるもんだ、といういう遠慮会釈のないやりとりになるかと思っていたHiroshiさんとのケンカ、どうもわたしのブログの全面無視というかたちで終わりそうだ。
大学教授よりも、そのへんにごろごろしているマンガ家のほうが、智力にすぐれる場合もあるということを悟ってくれたのならいいが。
だいたい地方の名士として尊敬され、反対意見というものをつゆ知らずに生きてきた老人が、わがままになり、なにごとも自分が知ってることは他人も知っているはずだという唯我独尊タイプになるのは仕方がない。
この点はHiroshiさんに、胸に手をあてて考えてほしいことのひとつ。
あなたが時々自慢している、地方の図書館に最新式のITシステムを導入したということも、ほんとうに田舎のIT弱者のことを考えているのかと疑問だ。
まあ、九州の田舎には東京よりはるかに進歩的なじいさんばあさんが溢れているのかも知れないけど。

わたしは分裂と対立をあおる世間の風潮に必死で抵抗してきた。
まだ青年の血が多すぎて、ちょっと正義感が強すぎることは認めるけど、その点はHiroshiさんも似たようなもののはず。
世界がお互いの立場を理解しあって、仲良くすべしというのが間違った考えだろうか。
それなのに、わざわざわたしのブログにリンクを張って、こいつは自分だけが正しいと思っている、自分の考えを他人に押してつけているというのは言い過ぎじゃありませんか。
わたしは他人のブログによくいちゃもんをつけるけど、どんなときでも相手に反論の余地を与えるためにコメント欄は解放してある。
言いたいことがあればコメント欄で反論すればいいのだ。
にもかかわらず、わたしがコメントをつけるとそのまま沈黙をしてしまう人が多い。
これはいったいどういうことだろう。
おべんちゃらもどきのコメントに慣れているブロガーには、歯に衣着せぬコメントがつくと、狼狽して、まっとうな反論もできないんだろうね。
・・・・・・いや、こんなことをいくらいっても意味はないな。

なぜかわたしはHiroshiさんに嫌われてしまって、学歴もない人間がエラそうなことをいうなと、もはや感情論に近いところまで持って行かれてしまっているのだから。
Hiroshiさんを説得するのは、カルト宗教にオルグされた「久美のNEWSな日記」の久美ちゃんを折伏するようなものだ。
Hiroshiさんを怒らせないように気をつかいながらいうんだけど、わたしは決してあなたがいうような自分だけが正しいと思っているわけでも、それを他人に押しつけている人間でもありませんよ。
わたしはすぐに右翼左翼という政治問題に分別しようとする動きもキライだし、できるだけ公平客観的な態度で世界を眺めてきた。
わたしのブログを読み続けていれば、公平な立場から、世界の平和を目ざすわたしの努力もわかってもらえるはず。

このわたしの文章はタメ口に終止しているけど、けっして失礼とは思わない。
わたしだってHiroshiさんとほぼ同世代の段階の世代の生き残りなのだから。
だから本当はHiroshiさんにも、もうすこし強い調子でいまの世界に警告を発する同志になってほしいくらいなんだよ。
そのためにはもっとあなたのブログのテーマを絞って、すっきりさせる必要がありますけどね・・・・・
あ、またいっちゃった。

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2026年5月 7日 (木)

安楽死認定審査会

わたしも作家にでもなるか。
そうすれば市井のいちゃもん居士にすぎないという世間の評価も変わるかも知れない。
なにしろいまは、本の1冊でも出していれば、世間は全幅の信頼を寄せる時代だから。
それで考えたのがいかにもわたしにふさわしいブラックユーモアに満ちた小説で、その出だしは以下の通り。
「わたしはあるジャーナリストだ。
今日は上司の命令で安楽死認定審査会というところに取材に来た。
なんでもあちらから取材に来てほしいと要望があったのだそうだ。
審査会は市役所の一室にあって、尊厳死を扱うには不自然なくらい事務室然とした部屋だった。
やたらにコンピュータの並んだ部屋に通された。
対応した職員がプラスチックのケーに入った小さなICカードの束を見せていう。
これが申請者の情報を記録したカードです。
たとえばこれなんかといって、彼は1枚のカードをコンピュータに差し込んだ。
たちまち目の前のモニタに一人の若い娘の顔と経歴が表示される。
まだ17歳の女子高生じゃありませんか、こんなのでも安楽死を申請するんですかと驚いて尋ねると、相手は平然として、もちろん審査の段階ではねられましたけどねという。
失恋ぐらいで安楽死が認められていたのでは、日本の女子高生は絶滅してしまいますよとのこと。
モニターの娘がなかなか可愛かったので、こんな娘ならまだ楽しい人生を送れそうなものですけどというと、そうなんですよと相手はいう。
実はうちの職員のなかに彼女に目をつけたのがいましてね。
女子高生の審査に酌量の余地ありとかなんとかいって呼び出して、そのままホテルに連れこんでしまいました。
そりゃひどいね。審査員の特権乱用じゃありませんか。
もちろん彼はクビです。
ただし女の子のほうはホテルの味が忘れられなくなったみたいで、いまじゃ学校でも札付きの淫行少女ってことになってるらしいです。
で、今回あなたに来てもらったのは、安易に安楽死を申請することへの警鐘を鳴らしてほしいのですよ。
なるほど、そういうことだったのか。
そういえば最近は市役所に、自殺幇助じゃないかと抗議のデモもしょっちゅうあるそうだ」

と、こんな小説なんだけど、どうだろ、もっと続きを読みたいという人がいるだろうか。    
残念ながらまだ決定稿ではないから、これ以上中身をバラせないけど、こうやって安楽死を申請する人々の申請理由やその後のてんまつがつぎつぎと語られていく。
英国のイヴリン・ウォーあたりに匹敵する怪作になるかも知れないし、読みたい希望者が多く、採算が取れそうなら新潮社か文芸春秋社あたりから声がかかるかも知れない。
そうなれば、わたしもいっぱしの作家のはしくれだ。
お金もどしどし儲かるかも知れないし、世間の見る目も変わるだろう。ダメかねえ。

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Hiroshiさん

わたしのブログの熱心な読者に、福岡に住むHiroshiさんがいる。
彼の最新記事の中に野草の蕗を食べたというものがあったけど、これはわたしが彼のブログを遠回しで揶揄したことへの反応に違いない(わたしの記事はミスして消去してしまったけど)。
わたしも理屈っぽいほうだから、ただちに反応に対する反応を考えてみたものの、お互い理屈っぽい同士がそんなことをすると、反応がエスカレートして、終いには血を見る騒ぎになりかねないので、おとなしく引っ込むことにした。

「だから、わざわざ金を払っているniftyからも『コメント禁止』処分される理由も本人は分からないのだ」
こちらは最新の彼のブログの中身で、あきらかにわたしを狙い撃ちした文章だけど、どうやらHiroshiさんには理由がわかっているらしい。
教えてもらいましょうか、わたしのコメント禁止の理由を。
それともまた八方美人的意見でごまかそうというのですか。
わからないなら“だから理由も本人にはわからないのだ”なんていうべきではないでしょう。
わからなくても推測はできます。
わたしが非難のコメントをつけるとたいていの人が沈黙してしまう。
いちばん目立ったのが大石英司の「代替空港」という人気ブログだったけど、大石さんはHiroshiさんほど自己中心的ではなかったようで、わたしが非難すると早々にブログを閉鎖してしまった。
こんな調子で、ウクライナ戦争で日本中のマスコミSNSが同じ方向を向いているとき、たったひとりの反乱で、Niftyだけが同調しないのはまずい、というのがわたしのコメント禁止の理由だと思うんだけど、Hiroshiさんの考えをぜひ聞かせてほしいですね。
ブログというものは世界中の人が見るものですから、考えて発言しないと、自分の性格も知能程度も見透かされますよ。

それにしてもどうしてわたしは嫌われるのか。
これは学歴偏重主義が根底にあるに違いない。
わたしは大学を出ていないのにHiroshiさんのほうは大学教授だったそうだ。
わたしみたいな無学な者が、学歴のある人に向かってエラそうなことをいう。
これでは学歴のある人はおもしろくない。
そんなことはない、オレだってあちこちで学歴偏重には警鐘を鳴らしているとHiroshiさんはいうだろう。
しかし学力偏重はケシカランというのは、泥棒はケシカランといっしょで、誰でもいう常識論にすぎない。
これを発言したからといって必ずしも当人が偏重主義反対論者とはかぎらないのだ。

わたしは学歴がないことをひがんで、こんなことを書いているわけじゃない。
たとえばマンガ家の楳図かずおさんやつげ義春さんのように、学歴はなくても、そのへんの芥川賞作家が束になっても勝てないようなすぐれた文芸作品を生み出した人もいる。
学歴というのはただ、月謝や入学費を余分に払ったというだけの証明にすぎない。
それにしてもHiroshiさんのような高学歴の人から本気のケンカを売られるとは。
それだけでもわたしには名誉なことだ。

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行き過ぎた常識

わたしのブログの過去ログを読み返すと、いろいろためになる記述にぶつかる。
どこを切っても美味しいバウムクーヘンみたいなブログといったらいいか、わたしのブログがそのまま強烈な文明批評になっているのだ(このへん自画自賛)。
ちなみにこれは2009月10月11日の記事
わたしは読んだことがないけど、森鴎外の 「伊沢蘭軒」 という小説の中に以下のような文章があるそうである。
  わたくしは学殖なきを憂ふる。
  常識なきを憂へない。
  天下は常識に富める人の多きに堪へない。
森鴎外も常識ばかりが幅を利かす社会に危険なものを感じていた。
これは永井荷風の「墨東奇譚」に引用されていた文章だから、荷風も同感だったのだろう。
本を読むなら、ここまで作家の言わんとしたことを汲み取ってほしい。

最近の日本を俯瞰すると、一種のきみわるいおべんちゃら病にかかっているようである。
YouTubeをを観れば、チャンネルの運営者がロシア美人だったりすると、もう手放しで賛辞するものばかり、ブログを読めば、コメントに対して、相手を傷つけないようにとの配慮ばかり。
いえ、そうじゃないでしょう、わたしはこう思います、なんてコメントの返事は読んだことがない。
このあいだまでロシアをけなしていた人が、ロシア美人を賛辞するのはいいことだけど、その変わり身の早さに驚くしかない。
相手を傷つけたくないというのなら、これが日本人のやさしさということになるんだろうけど、こんなおべんちゃらが常識になる社会は、私には背すじが寒くなるばかりだ。
わたしはずっと世間の常識に反抗してきた。
べつに森鴎外の言葉に刺激されたわけじゃない。 
さまざまな本を読みふけって、わたしなりにたどりついた自分の哲学だ。
だから世間(の常識にやマスコミのいうことを鵜呑みにする人)は、いくら読書量を自慢しても、それだけで本を読んだとはみなさないのである。
ああ、天下はどうして、こんなに常識に富める人ばかりなのだろう。
おべんちゃらとそれに嬉しがっている人ばかりじゃ、裸の王様ばかりの国になってしまうよ。

 

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人間栓抜き

脳梗塞になって困るのは腕に力が入らないということだ。
今日はひさしぶりにぬか床をかきまわしたけど、だいぶ水分が抜けて固くなっているので、かきまわしたあとで腕がぐったりと疲れた。
もっと困るのがコンビニで買ってきた野菜ジュースや牛乳で、ヘタするとフタが開かないのではないかと困惑することがある。
以前はこんなものは雑作もなかった。
日本ではこういうものさえ人間工学的に計算されつくしていて、普通の人間なら誰でも開けられるような、ちょうどよい固さになっている。
むかし中国に行ったとき、運悪く、人間工学を無視したペットボトルに当たってしまい、とうとうフタが開けられず、飲むのをあきらめたことがある。
こんな差些なことでも、中国は遅れているなと思ったもんだけど、さすがは対策ありの国、そのころの中国には人間栓抜きというものがあって、ビールの栓でも口にくわえて簡単に開けていた。
文明人のわたしは自分の歯が心配で真似できなかったけどね。

今日もいちにち寝たきりだよ。
ときどき冷蔵庫を開けてジュースや牛乳を飲むんだけど、指先がこきざみに震えるのがわかる。
やれやれ、今夜もひとりで、部屋でスクアットでもするしかないか。

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2026年5月 6日 (水)

純愛

わたしの歳で脳梗塞になったら、あとどれくらい生きていられるだろう。
おそらくそのうちつげ義春さんのように誤嚥でもするか、宮谷一彦さんみたいに部屋で心筋梗塞でもして、一巻の終わりになるに違いない。
いちどは苦しい目に合わなけりゃ死ねないというのもツライねえ。 
防衛装備移転三原則を変更するのはアッという間なのに、安楽死法を作るほど勇気のある政治家がいない日本に生まれたのが不運だけど、それでも死んでしまうほうが、脳梗塞のまままだ30年40年も生きるよりマシだ。

じつはわたしには地域包括支援センターだけではなく、個人的に支援してくれるおばさんがいる。
彼女にいつまで迷惑をかけられない。
昨日もSNSにおばあさんが行方不明というニュースがあった。
どうも女性というのは、長生きするとほぼ確実に認知症、変形性関節症、骨粗しょう症などの、老人病になる割合が高いようだ。
先日リハビリ施設に行ったときは、女性の患者が多いのに愕然とした。
わたしが心配するのは、個人的に支援してくれるおばさんが老人病になったころ、わたしはもう生きてないだろうから、彼女のためになにもしてやれないということだ。

だからこそ、将来激しい痛みをともなう老人病を発症したとき、彼女も自分で好きなときに死を選択できるよう、安楽死法に期待するんだけどね。
もちろんわたしはあちら側で、もろ手をひろげて彼女を出迎えるつもりだ。
ロミオとジュリエットにも負けない美しい光景じゃおまへんか。
このさい女性たちにおしゃもじを持って、安楽死法案成立のためのデモでもやってもらうか。
安楽死法を切実に必要としているのは、彼女たちのほうである可能性が高い。

むずかしい問題もある。
いまのご時世では、遺産を狙って親戚一同がまだ死にたくない年寄りに、死ね死ねと迫るのは確実。
だから最後の一瞬になっても、決断は本人の意向が最優先ということにしてもらって。
すべての準備が整ったあとでも、本人が「生きたい」といったら、そこで安楽死は中止だ。
わたしはおばさんに無理に死ねとはいわない。
生きていたければ、老衰や病気など、もっと天然自然の死があなたを迎えに来るまでじっと同じ場所で待つよ。

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2026年5月 5日 (火)

コメント解禁

おお、いつの間にかわたしはコメント禁治産者扱いからから解放されたようだ。
今日試しに自分のブログにコメントをつけてみたらちゃんと載せられた。ありがたい。
たいていの人にはありがたくないかも知れないけど、SNSというのはこうやって活発な意見が飛び交ってのもの。 
異論のない社会に進歩はないのだよ。
ココログ内部ででっかい意識改革でもあったのかしら。

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イヴァンさん

脳梗塞の人間は文章を書くのにも苦労する。
ミスタッチが常態化しているので、アップし終えたあともしょっちゅうチェックをして、ミスを発見したらそのつど、訂正をしてるんだけど、どうかみなさんもミスを発見したら、脳梗塞じゃ仕方ねえやと思ってほしい。
たいていはひと文字抜けたとか、その程度のものなので、憶測すれば文章の意味はわかるはずだ。

ほかの用事にとりまぎれて読み逃していたイヴァン・ウィルさんのブログを読んでみた。
あいかわらず中国をおとしめようという文章だ。
中国がアフリカ諸国の関税を免除したという。
これはそのまま受け取れば、相手を豊かにしてそれからこちらも豊かになると言う一帯一路政策の一環だろう。
かって欧米列強からむしられるだけむしられてきたアフリカ諸国に同情するばかりではなく、関税を免除することで、少しでも相手を豊かにしようというのだ。
こんなものを認めたら、ますます中国の経済的優位性を認めるようなものだし、これまでさんざん中国の不景気を強調してきた自分の主張とも食い違う。
だからウィルさんは渾身の偏向解釈だ。
誰かが善意でやったことでも、悪意で解釈すればこうなるという見本の文章だ。
だれにでもわかる簡単な事実だから、あなたも読んでやってくれないか。

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塑像力不足の時代

わたしの母親にはガラクタを溜め込むという困ったクセがあって、よく帰省したおりのわたしにからかわれていた。
でも、これはやむを得ない。
母親は戦中戦後の物資不足の時代が、トラウマになるくらい体に染み込んでいたので、モノが捨てられないのである。
自民党のもと幹事長をやった古賀誠議員が平和を訴えているというニュースを、へえ、いまの自民党で早苗ちやんに反旗を翻す議員もめずらしいなと注目していたら、彼も戦中戦後を体験した世代だった。
何がなんでも戦争はダメだというのは、戦争を知っている彼の体験から来ているのだろう。
しかし、いまや国会議員の中にさえ“相手が攻めてくればどうにもならん”という若手がいるくらいだ。

もう何度も書いているけど、わたしは想像が得意である。
想像というのは目の前の神社の鬱蒼とした森がコワイというようなものではなく、たとえば書物をよんで、そこに描かれた光景や時代をありありと目の前に描けるかどうかをいう。
この点ではわたしはもはや特技といっていいくらいで、沖縄戦の本を読めば、文章を追うだけで、つぎつぎとその悲惨な戦場が目の前に浮かぶ。
世間には、本を読んでもその内容を想像できない、想像力の不足している人が多いようだ。
だから野坂昭如さんの「火垂るの墓」は、わざわざアニメにして、具体的に絵で見せなければなければ理解できない。
アニメが人気があるのがせめてもの救いだけど、これほど想像力の欠如をはっきり物語るものはない。
なぜ原作を読まないのか。
原作から戦後の浮浪児があふれていた社会を想像できないのか。

残念なことにそういう時代を知っている人間のほとんどが鬼籍入りで、わたしたちのまわりには“戦争はしたくない、しかし相手が攻めてくればどうにもならん”という意見の持ち主ばかりになりつつある。
軍備増強以外に、ほんとうに戦争を止める方法はないのだろうか。
日本を代表する国会議員たちは頭を使っているのか。
前述した古賀誠さんももう年寄りだし、彼が死ねば、わたしたちはまたひとり貴重な戦争体験派の、わたしたちの代表を失うわけだ。

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2026年5月 4日 (月)

わたしのブログ

わたしはよく特定の人物を対象にしてブログ記事を書く。
たとえばココログのOKCHANさんやShinzeiさん、アメブロのHiroshiさんなどだ。
それかなかなか辛辣で、容赦ないからイヤがられる。
他人がどんな考えを持とうが、そんなものは本人の勝手じゃないか、大きなお世話だというのだろう。
そんなことはわかっている。
ウクライナ戦争が始まって以来、わたしはただひたすら、対立と分断をあおるような世論に抵抗してきた。
じつはわたしのブログは、特定の相手を狙い撃ちにしているわけではない。
ようするに特定の相手をあげつらうようなかたちで、自分の意見をその他大勢の人に読んでもらいたいのだよ。

今夜はそのための絶好の機会があらわれた。
上記のOKCHANさんが気になることを言っている。
“戦争を起こしたくないというのは当然だけど、戦争を仕掛けられる、という事態は考慮されていないようだ”というのである。
これこそ現在の日本が置かれている状況そのものだろう。
もと自民党幹事長の古賀誠さんもぼやいていたけど、自分がいくら平和を訴えても、世間には「相手が攻めてくればどうにもならない」と言い張る人がいる。
こんな言い方をしているかぎり、永遠に平和を望むのは無理ではないか。
こういう言い方をする人の脳裏にはロシアに侵攻されたウクライナの例があるんだろうけど、ウクライナ戦争にはその前段がある。
せっかく同胞として下にも置かない扱いをしていたロシアを裏切って、NATOに加盟しようとしたゼレンスキーさんのことはどうなるのか、しかもクリミア半島を手土産にして。
戦争には原因がある。
ウクライナは自らロシア軍を呼び寄せたのだ。

OKCHANさんは、今回は上海のレストランで食事をしている息子さんの写真まで載せていた。
なかなかハンサムで引き締まった体型の息子さんだから、スポーツマンかも知れない。
父親にすれば目に入れても痛くない秘蔵っ子というところだろう。
戦争が始まればこの息子さんだって、ドローンに追われて恐怖に引きつった1兵士になる可能性があるんだよ。
息子さんに家族がいるなら、その全員が空襲におびえる毎日が来ないともかぎらない。
わたしは誰のために戦争を阻止しようとしているのかねえ。
わたしにはOKCHANさんの息子の未来を案じてやる義務はないんだけど。

相手が攻めてくればどうにもならないというなら、もう少し現実を見極めたらどうだ。 
いまの中国は周辺の国のひとつにだって侵略したことはない。
むしろ世界中の恵まれない国に光を当てて、他国を豊かにしてそれから自分も豊かになろうという、欧米がかって考えたこともない新思考外交に乗り出しているように見える。
強力になった国家はかならず他国を侵略するというのは、過去に欧米列強が日本人の頭にあとから擦り込んだ遺伝子ではないか。
ふとっ腹になって、相手と信頼関係を構築しないかぎり、ぜったいに平和は来ないのだ。
OKCHANさんをあげつらうかたちにはなったけど、わたしは、すべての日本人に考えているほしいのだよ。
わたしのブログはそういうものだ。

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2026年5月 3日 (日)

リハビリ施設

昨日は介護老人のためのリハビリ施設に行ってきた。
ちゃんと車の送迎つきである。
もっとも送迎がなければ、とてもわたしにはたどりつけない遠距離にある施設だった。
わたし以外にも施設に行く老人が9人もいて、このすべてを自宅まで迎えに行くのだから、せまい住宅街をくねくねと回って、わが家から施設に到着するまで1時間ちかくかかってしまった。
オシッコの近いわたしは、施設に到着すると同時にトイレに駆け込んだ。

車に乗って意外に思ったのは、脳梗塞というと男性のほうが多いと思っていたのに、同乗した老人の中に女性が圧倒的に多かったこと。

施設に到着してイヤな気分になったのは、建物が畑の中のマンションのような建物だったこと。
これって、つねに金儲けのネタを探しているどこかの資産家が、急ごしらえで作ったもんじゃないのか。
介護施設の建設を政府が民間にまる投げすると、支援金をねらってわっと群がってくる輩がいる。
ずっとむかしには老人ホームの建設をまる投げしたら、たくさんのホームを作って、自分は軽井沢にプールつきの豪邸を建てた経営者がいた。
問題は、政府の支援金が末端のヘルパーさんや介護士に行き渡らないことだ。
そのたびに政府は支援の是正をしているようだけど、つねに後出しだから、そういう経営者はあとを絶たない。
合法的に政府の金をむさぼれるならと損得勘定をきっちり計算して、マンションを借り切り、一階の部屋をぶち抜いたホールに健康器具などを置き、介護資格を持った若者を募集する。
なんかそんな感じのするところだった。

施設には若い男女のインストラクターがいて、これはよく訓練されている。
哀れな介護老人に親切にするんですよということだけど、モニターにビデオを流しててきぱきと薦める訓練講習は、これもマニュアルに沿ってやっているようで、わたしみたいないへそ曲りにはあまり本気度が感じられない。
インストラクターの中に若いきれいな娘がいた。
彼女がわきを通るとき、いいケツしてんなとお尻を撫でたら、おそらくわたしはほっぺたを張り飛ばされていただろう。
老人には親切をしなくちゃいかんでしょうが。

覚悟はしていたけど、講習の合間に施設の利用を勧める個人的な説明会もある。
施設の利用権を売りつけるほど悪質なものでなかったのはいいけど、わたしは身構えていたのだ。

女性が多いのは意外でしたというと、脳梗塞だけではなく、パーキンソン病とかほかの患者さんもいますんでねという返事。
通りでみんな幼稚園の生徒のように、素直にインストラクターに従うわけだ。
ワラをもつかみたい患者さんたちにとって、こういう施設が必要なこともわかる。

このあと健康器具の体験教室もあった。
いくつかの器具を試してみたけど、毎日汗をかくほど使うならともかく、1週間にいちど程度の利用でどんな効果があるだろう。

帰りはまた車で送ってもらったけど、運転をしていたのはオウム真理教にいた上祐なにがしみたいな顔の若者で、彼も気持ち悪いくらい親切。 
気持ち悪さがそのままこの業界の過当競争を物語っている。 
わたしたちは大事な“お客様”なのだ。

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またいちゃもん

復活ばかりで、古い記事をもういちど載せているとアクセスは下がり傾向だ。
このへんでまたわたしのいちゃもんブログにもどろうか。
わたしのブログは、世間の常識や通説とは異なる意見を聞きたいという人のためにある。
そういう人たちの関心を短時間でもひきつければ、意義があったと思っているよ。

わたしが毎日目を通すブログに、ここでたびたび言及してきたShinzeiさんのものがある。
気のドクな人らしいのであまり揶揄したくないんだけど、先日(2日)の更新の中で彼は、中国のことをフィリピンの情勢をあげつらって、“史上最悪のいじめっ子国家”と呼んでいる。
そんな言い方を中国大好きで、中国擁護派のわたしか見逃すわけにはいかない。 
Sinzeiさんはなにも知らないんだよ、もしくは考えが浅いんだよ。
最新の更新では憲法9条と憲法改正論議についついて、巧妙な言い方で右翼左翼の両方から苦情が来ないように書いているけど、彼のブログをつねに注視しているわたしには、彼の本質は左翼ギライということがよくわかる。
フィリピンのことをあげつらうということは南沙諸島が頭にあるんだろうけど、いったい領土というのは何を根拠に決まったものなのか。
軍事力にすぐれた列強が勝手にいいとこ取りをしただけじゃないか。
それが認められるなら軍事大国化した中国が、新たな線引きを要求したって拒絶はできないはずだ。
現在の中国は“いじめっ子”どころか、一帯一路政策で周辺国から頼りになる“お父さん国家”と呼ばれてもおかしくない。
インドシナ半島では、伝統的に中国ギライのベトナムからさえ頼りにされているぐらいだ。 
もうひとつ、現在のフィリピンはアメリカの完全な傀儡であることも知らんのか。
フィリピンはキューバのようにまともな政権、つまりアメリカにもきちんとものいえる政権ができそうになると、必ずアメリカによってぶっ潰されてきた。
そういうことを理解してから発言しないと、あなたの名誉にかかわる。
これはSinzeiさんへの忠告だ

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復活-8

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【久美ちやん】
もしかすると、ドジをして以前のブログを消してしまったのは予期せぬ僥倖だったのかも知れない。
ヘタすれば、わたしは同じココログの「久美のNEWSな日記」の久美ちゃんから訴えられていた可能性もあるな。

他人のブログを漁っているうち、わたしは偶然彼女のブログを発見して、そのはちゃめちゃな自虐ぶりと、八方破れの文章に感心した。
しかもプロフィールを見ると、若いころの彼女はけっこうスリムで美人ではないか。
しかも本人は作家志望だというから、ちょいとアドバイスしてやれば、たちまちネット文壇の寵児になるかも知れない。
ということで、“童貞消失記”ならぬ“処女消失記”を書くよう勧めてみた。
男のわたしなら童貞消失でもやむを得ないけど、女の彼女はなんといっても処女消失だあね。
どうせフィクションなのだから、いかに刺激的に、自分をあけっぴろげにすることができるかが勝負だ。

見本を見せるためにわたしと彼女の情事をでっち上げてみた。
でっちあげ張本人のわたしでも興奮するんだから、これを消去したままではもったいない。
読者の中にも待望している人は少なくないと思うので、これも復元することにした。
以下が、ヘタすりゃ久美ちゃんから告訴されかねない、その文章だ。
さあ、またわたしの妄想日記だよ、どぎついエロ小説だ。
最初に妄想と断ったうえで、相手を物色する。
うまい具合にわたしがいつも心配している「久美のNEWSな日記」の久美ちゃんがいる。
彼女は若いころはスリムな美人だったので、あれがちょうどいい。今夜は妄想相手に久美ちゃんを指名だ。
いや、わたしは麻原彰晃よりイケメンだし、もっと若くて脳梗塞を患うまえなら、きっと久美ちゃんとお似合いだったに違いないよ。

いまわたしは久美ちゃんと向かい合ってホテルの1室だ。
彼女はグリーンの上っぱりを引っ掛けて、プロフィール写真そのままのスタイルでおずおずと身構えている。
わたしはやさしく彼女を引き寄せる。
彼女の上っぱりをずるずるとたくしあげると、白いパンティと太ももが現れる。
そのままベッドに倒れ込み、彼女の足を広げさせて、わたしの足りて余る部分を、彼女の足らず余ってもない部分に挿入する。
そのうえで激しいピストン運動でもって、満タンだったわたしの精液を彼女の体内に叩っこむ。
ことが終わったあと、まだ肩で息をしている彼女にささやく。
どう、よかったかい?
彼女は・・・・
ああ、うもうやめよう、
これ以上書いたらアタシを勝手にダシに使うなと、訴訟沙汰なってしまうワ。

彼女のようなタイプはよくいる。
その後の彼女が介護老人の母親を抱えて苦労しているのも、若いころ自分の美貌におぼれて、男なんかいつでも見つかると安心していて、気がついたらもうアラフォーだったせいだろう。
スリムな美人だったころ、わたしと出会って上記のような体験をしていれば、もっと幸せになれていたんじゃないか。
オウム真理教にオルグされることもなかったはずだ。

アホらしい妄想でも、頑張って考えているから、今日もわたしの脳に血液がたくさんまわって、血管バイパスの新設もはかどっただろう。
脳梗塞を抑え込むのもあと1歩さ。
久美ちゃんの自虐ぶりは、壊れた風呂場のまわりですっぽんぽんになってオタオタしてるんだなと、妄想をかきたててくれるものがあるから、この程度で裁判所に駆け込むほど度量の小さい娘ではないと思ってんだけどね。

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2026年5月 2日 (土)

復活-7

【アシモフのエッセイ】
いちど書いた記事をもういちど復元してココログに載せているだけなのに、昨日もアクセスが500を突破した。
読者のみなさまには感謝しかない。
というか、わたしのブログがまじめに読まれてない証拠かも知れない。
みんなただ文字を数えているだけで、更新があればいちおう目を通すけど、内容はぜんぜん覚えてないから、同じ内容の記事がもういちど載ると、感心してるのかも知れないな。
いや、これが今ふうの読書術で、読書家を自認する人でもみんなそうなのかも知れない。
だからこそ、わたしのブログはできるだけふざけて、つまりユーモアのある文章にして、読者を退屈させないように、おもしろがらせるようにしてんだよ。
いくらまじめでも、おもしろくなければ、そんなものは読む価値がない、というのがわたしの自論だ。
これは「アシモフの科学エッセイ」の受け売りでもある。
アシモフの文章には始めと終わりにひじょうに愉快なエピソードが挿入してあって、熱烈なアシモフ・ファンの中には、この部分だけをつまみ食いする人もいるという。

ところがこの記事も消去してしまったから、優先的に復活させよう。
さいわい、OKCHANさんがアシモフについて書いていたから、それに対する提言でもある。
オリジナルは以下の通り。
わたしのブログによく取り上げられているOKCHANさんがアイザック・アシモフについて書いていた。
アシモフといえばSF作家として知られているけど、ざっくりいわせてもらえば、彼の本でぜったいに読むべきはSFではなく、彼の「科学エッセイ」である。
わたしは世界中で、昨夜は500人もの人間が読んでいたわたしのブログで、自信を持って公言してしまうけど、もしもOKCHANさんがこれを読んでなければ、重大な損失というべきだから、わたしはお節介を承知の上で、彼に「アシモフの科学エッセイ」を読んでごらんなさいと薦める。

だいたいSFファンでこの本のことを知らないひとがいたら、そっちのほうが驚きだ。
SFを読むうえでも科学の知識は必要だ。

わたしも日本の団塊の世代なので、読書の出発点は「鉄腕アトム」や「鉄人28号」などのSFマンガだった。
それが徐々にSFから足を洗うようになったのは、科学の知識もないくせに、科学を飛び越えて、いきなり異惑星や過去や未来へと飛んでしまうという、テレビゲームみたいな作品ばかりになってしまったのが原因だった。

「科学エッセイ」はアシモフが科学の話をわかりやすく、そしておもしろく解説した本で、SFなんかよりずっと有意義でためになる本だ。
わるいことはいわない。
こればかりはゼッタイに読んでおくべきである。
OKCHANさんもメンツがあるのかも知れないけど、読むべき本を読まないまま、あなたが時間を失っていくのは見ていられない。
こういうのもお節介になるのかね。

アシモフはカルト宗教に惑わされた人々や、無知蒙昧なアメリカ国民を啓蒙しようと戦い続けた。
わたしも彼に影響されて、米国のカルト宗教にケチをつけたことがある。
するとそのときのこのブログには14という、ブログ始まって以来最多のコメントがついた。
そのほとんどが科学を信奉しない人たちからのもので、わたしは日本にもカルト宗教に取り憑かれた人がいかに多いかということを身をもって知ったよ。

ところで「久美のNEWSな日記」の久美ちゃんは、まだオウム真理教にオルグされたままなのかな。
誰か忠告してあげて。

このつぎは、わたしが横恋慕する「久美のNEWSな日記」の久美ちやんの話題だ。
これも消去してしまったもののひとつだけど、あの卑猥(ひわい)な文章をもういちど読みたいという読者もきっと多いに違いない。

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復活-6

【介護認定】
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わたしの介護認定の沙汰が下りた記事も、消去してしまったもののなかに含まれていた。
たぶん4月の18日前後に通知が来たものと思われる。
するとただちにケアマネジャーのMさんが、李白さん、決まりましたよ、決まりましたと報告にやってきた。
大学の合格発表じゃないんだって。
そのときの記事が以下の通り。
今日はひさしぶりにケアマネージャーのMさんがやってきて、李白さん、決まったみたいですよーという。
介護認定というのは、あなたの介護レベルは1ですとか2ですということが決まることで、この数字が大きいほど介護が必要(つまり重症)なんだそうだ。
重症なんだから、たとえば1よりも3の方が税金が安くなるとか、抽選で温泉旅行に招待でもしてくれるといいんだけど、そういうことはないようだ
わたしの場合脳梗塞でも軽いほうらしく、まだ食事の支度やコンビニに買い物くらい行けるし、いまだにブウたれてばかりいるってことは、思考力も以前と変わらないみたい。
市役所のほうじゃできるだけ保険金を出したくないに決まっているから、たぶんいいとこレベル1だろうなと思ってんだけどね。

そんなことは別にして、ケアマネのMさんは健康で美人だから、ついぎらぎらした目で見てしまう。
なにしろじいさんにとっては、親身になって世話をやいてくれるゆいいつの存在はケアマネさんぐらいしかいないから、どうしても彼女が美しくて優しい女神に見えてしまうのだよね。
そのせいか、最初にお目見えしたときの彼女は開口いちばん「わたしは30代の子持ちです」と予防線を張っていた(そんなこと聞いてないって)。
ケアマネさんもヘタに元気なじいさんの担当になると、貞操の危機に遭遇することがあるらしい。

こんなことをブログに書いて、それが市役所の介護認定審査会にもれたら、このバチ当たりめ、ケシカラン!あいつのレベル1は取り消せ、アイツはレベルゼロだなんて残酷な降格処分にされかねない。
それは困ります。

わたしはこれから彼女のつてでリハビリ施設に通うのだ。
運動のキライなわたしだけど、Mさんにならムチでしごかれても文句いいません。
魅力的なケアマネのMさんの写真もボツにするのは惜しいのでここに載せておく。オリジナルには『誰だ?こんな美人にかまってもらえるなら、オレも脳梗塞になりたいなんて言ってるのは』という一言がつけ加えられていた。

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復元-5

【脳梗塞の治療方法】
そんなものがあるのか。
あるかどうかはわからないけど、わたしが思いついた脳梗塞の治療方法も、わたしひとりが独占していてはいけない。
そこで全世界の脳梗塞患者のためにその方法を拡散することもした。
以下の記事はそのときのもの。
希望を失って、日夜マヒした体で頑張っている患者さんたちに少しでも励みになればと、これを書く。
脳梗塞というのはなんらかの原因で脳に血液がまわらなくなる病気だそうだ。
わたしが医師に聞いた話では、それでもリハビリに精を出せば、血管にバイパスができて、いくらか回復する場合もあるらしい。
バイパスを作るにはどうしたらいいだろう。
わたしが人体実験のモデルになる。
たとえば妄想にひたる。
妄想というのは無から有を生じるものだから、つまり現実にはあり得ないことを考えるわけだから、必死で妄想をすればどしどし脳に血液がまわるに違いない。
どしどし回った血液はバイパスを作ろうとするのではないか。

だから、たとえば自分のケアマネジャーさんが美人だった場合、彼女を思い浮かべながらマスをかく。
もちろん空想の産物なのだから、相手の肉体をできるだけリアルに妄想するには努力が必要だ。
必死で考えれば当然頭に回る血液も増えるわけだ。
ケアマネジャーさんはイヤがるかも知れないけど、これのいい点は、なにしろ妄想なのだから、相手に実際に迷惑がかかるわけじゃない。
妄想で孕んだ、妊娠◯カ月だ、なんて苦情が来るわけがないのである。

ただし普段から自分の頭で考えることをしないで、世間に流されるままの人は、そもそも妄想や空想がニガ手の人に違いない。
そういう人には向かない治療方法だ。
わたしの場合、普段から妄想のかたまりみたいな人間だから、この治療方法は向いている。
最近のわたしの脳梗塞がいくらか回復傾向にあるのも、ブログで妄想にふけるという、この治療方法を実践しているせいかも知れない。
明日はケアマネさんが来る日だ。
くれぐもこの話は秘密ネ。

素人療法だから年寄りが実践すると、興奮してくも膜下出血でも起こすかも知れない。
わたしの知り合いにじっさいいたからね、そういう人が。
くれぐれも医師と相談の上おかきください。

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2026年5月 1日 (金)

復元-4

【プーチン詰んだ? 】
妄想老人のわたしだってイヤらしい記事ばかりを復元しているわけじゃない。
なにしろわたしはイヤらしいと同時に、名だたる反骨の士でもあるから、ウクライナ戦争の戦況についても書いていた。
それがプーチン詰んだ?という以下の記事だ。
ハンガリーのオルバンさんが敗北したおかげで、ロシアの戦況は一気に不利になった。
あとはゼレンスキーさんはねばれるだけねばればいいだけだ.
ロシアには打つ手がない。
アメリカではハリスさんがまた立候補だなんて言い出した。
トランプさんがあまり無茶ばかりするから、つぎの選挙で再選は不可能だろう。
すると新大統領のハリスさんは(あてつけのために)トランプさんと正反対の政策をとるに決まっているので、またアメリカ国民の税金を際限なくウクライナにつぎこむだろう。
ロシアかさらなる大攻勢をかけようとしても欧州はいたくも痒くもない。
しろスラブ民族どうしが殺し合って、スラブ民族の力をそぐことになるのだから願ったりかなったりだ。
自分が欧州に操られていることをゼレンスキーさんが自覚すればいいんだけど、降伏すれば彼にも命がかかっているので、ゼッタイにはやめられないのだ。

それにしても不思議な戦争である。
あらゆる箇所でロシアが優勢なのに、ウクライナはただゼレンスキーさんがやめないというだけで、いつのまにか形勢が逆転だ。
かりにロシアがたまりかねてゼレンスキーさん暗殺を試みても(イスラエルがイランの首脳をピンポイントで暗殺したように、ウクライナ軍の動きを注視していればゼレンスキーさんの居場所を特定するのはむずかしくないだろう。)、しかしそれをすればゼレンスキーさんは殉教者になるだけで、欧州は、悪いのはプーチンだという絶好の宣伝材料にするだけだ。

ロシアが戦争の長期化を恐れて和平を先に口にすれば、ゼレンスキーさんと(背後にいる欧州は)ここぞとばかりに、クリミア半島とこれまでに奪われた東部4州をすべて返せと、図に載るだろう。
これではプーチンだって敗北を認めるわけにはいかない。
それじゃ兵隊がひとりもいなくなるまで徹底的に戦争を続けようといっても、前述したように欧州は喜ぶだけだ。
徹底的といっても、プーチンは、ロシア人にとっても故郷と言うべきキエフを灰燼にするわけにはいかない。
ゼレンスキーさんはそれをいいことにキエフに立てこもる。
どうにもならんよ。

ロシアにとって救いは、中国の支援はこれからも続くだろうということ。
もしもロシアが敗北すれば、欧州の牙は今度は中国に向くだろうから、ウクライナでロシアは中国のために代理戦争をしているようなものだ。
中国だって支援を止めるわけにはいかないのである。

心配なのは、スラブ民族同士を戦わせるという企みがあまりうまくいったので、欧州がつぎは台湾で同じことをしないかということだ。
台湾と中国がいくら戦争をしても、同じ中華民族が殺し合うだけで、欧州は痛くも痒くもない。
うまいことに日本が、おだてりゃ山に登りそうだ。
なにしろ日本には、中国なんかに舐められてたまるかという女宰相や、そのとりまきがいる。
ということで、つぎは日本人があおられる番かも知れない。
わたしたちは近未来から目を離すわけにはいかんよ。

台湾人自身がそんなあおりに乗るかどうか、日本の宰相たちが現在の中国と戦争をして勝てると、本気で思っているのかどうか。
それはすべて、わたしではなく、あなたの子供たちの問題なのに、どうしてぜんぜん考えない日本人が多すぎるのだろう。
わたしはいちど日本人は、鉄拳の味を知っておくべきだという考えにとらわれているよ。

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復元-3

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【横須賀の女】
前段だけではなく、後段もあったよ。
これは【妄想老人日記の】の後段で、後ろ向きパンティの記事に続くもの。
人間は、半世紀以上も前に童貞を捧げた娘の顔をおぼえているものだろうか。
もしかするとニキビのある、ちょっと不良っぽい娘というイメージにとらわれて、わたしはぜんぜん違う顔を頭の中に創造していたかも知れない。
じつはわたしは悩んでいたのだ。
前項でわたしの元服式というべき重要な人生の節目を書いたのに、肝心の相手の顔がわからないのでは画竜点睛を欠く。
何とか読者に相手の顔をわからせる方法はないだろうか。
うまい作家なら文章だけで、もののみごとに人間の顔を描写するけど、うまい作家でないわたしはてっとり早く似た役者や有名人を持ち出して、こんな顔だよと説明しようとした.
ところがいい写真がない。 
思い出の娘と似たような日本人の有名人がいない。

ところで話が変わるけど、それも盛大に変わるけど、2002年の10月6日にわたしは、中国の新疆ウイグル自治区でタクシーに乗っていた。
この日に首都ウルムチから、郊外にある天池という景勝地を見物に行くつもりでタクシーを借り切ったのである。
タクシー運転手は女性だった。
男より女の方が楽しいし、ぼられる恐れもないだろうという配慮だったけど、帰国してから彼女の写真をじっと見て、わたしは健康そうでニキビのあるというなつかしい横須賀の娘を思い出した。
読者になんとしてもあの娘の顔を説明しようして、いささか窮していたとき、この新疆のタクシー運転手の写真が目についたわけだ。
つまり、わたしが童貞を捧げた娘は、この運転手に似ているというわけだ。
ただし、横須賀の娘のほうは髪が肩まで届くくらい長かった。

前述した通り、わたしが勝手に頭の中に創造していた(似たような雰囲気の女性の)顔かも知れないから、たしかに似ていたとは保証できないけど、わたしが中国のタクシー運転手から横須賀の娘を連想したのは確かである。
つまりこんな感じの娘だったことだけは間違いがない。

中国を旅しているとき、わたしはあちこちで日本にいる知り合いに似た顔と出会って不思議な感覚に襲われた。
人生というものは、同じ役者が役割を変えて何度も登場する舞台劇のようなものかも知れない。
だとすれば横須賀の娘が遠く中国にまで現れたのかも知れない。
テネシー・ウィリアムズなら、これをネタにさっそく1本の戯曲を書き上げそうだ。

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2枚目の写真は天池へ行くとちゆう、小川で顔を洗う同じ運転手。
きっすいの漢族で男の子ひとりの母親だ。 
いつかブログに載せようと思っていてその機会がなかったから、この機会に2枚とも載せてしまう。? 
わたしは彼女みたいな活発な女性も好きである.
まわりくどいけど、これで納得してくんないしょ。
どう満足した?

妄想老人だから彼女とヤったという文章をでっちあげてもいいんだけど。エロ小説を書くのは疲れた。
たったひとりの女性の顔を説明するのに、こんな疲れる作業はない。

というところまでが、復元された童貞消失3部作の3番目。
いやあ、ややこしい作業で、パンクしかかっている頭がまたパンクしそう。

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復元-2

さて・前項の【童貞消失記】だけど。これにはその前段というべき記事があった。
【妄想老人日記】
妄想のかたまりのわたしが、今でも温かな妄想にひたることはよくある。
脳梗塞のじいさんにとって、妄想にひたっているときは、空間・時間のいずれ方向にも自由に飛び回れる開放された一瞬なのだ。
わたしの部屋のベランダから花壇に面した遊歩道が見下ろせる。
そこを一人の女性が左から右へ歩いてゆく。
とうぜん一瞬ながら彼女を真横から見ることになる。
すると彼女の胸のふくらみが見える。
いいなあ、彼女をぎゅっと抱きしめたいなと思う。
よく見ると40、50 のおばさんなんだけど、そんなことはかまわない。
べつ裸になってどうこうするわけではなく、服を着たまま、ようするにハグするというやつだ。
それでもいいから彼女を抱きしめたいと思う。
これが妄想老人の妄想たる所以だろうけど、妄想もここまで行くと、なにかのトラウマかも知れない。

紅顔の美少年だったころ、わたしは海上自衛隊にいて、呉の江田島にある術科学校に、学生として半年ほど勤務していたことがある。
当時、術科学校のPX(売店)に、先輩たちから“筆おろしの◯子”とあだ名された娘がいた。
童貞の隊員がいたら、彼女に頼めば、懇切丁寧に新品の筆を、使いやすい、こなれた筆に下ろしてもらえるんだそうだ。
どんな顔をしてるのかと、わたしも買い物ついでに見物に行ったことがある。
なるほど、ちっとやそっと使い込んでも目減りしないような健康的な娘だったけど、あいにく面と向かって頼む勇気がなかったから、わたしの場合、術科学校を卒業するまで、新品の筆を下ろしてもらう機会がなかった。

わたしが晴れて筆を下ろしたのは、もっとずっと後になって横須賀市内で知り合った若い娘のおかげである。
船にもどるまでの時間つぶしに横須賀駅近くの喫茶店で時間つぶしが日課になっていたわたしは、そこでひとりの娘と知り合った。
シチェーションは別の箇所で書いた呉のサントスに似ているけど、これには理由がある。
自衛官は夜の10時が11時には艦(ふね)に帰らなければならない。
これはかなりきびしい規則で、わたしは自衛隊を退官したあとも、よく時間を切った夢を見て飛び起きたことがあるくらいだ。
そこで用心深い深いわたしは、いつも内火艇桟橋まで、確実に帰れる店で時間をつぶすことにしていたのである。

あ、内火艇というのは自衛艦が陸上との連絡に使うエンジンつきの小型艇のことで、その桟橋が横須賀駅の近くの自衛隊地方総監部の中にあった。
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桟橋まで確実に帰れる距離の店というのが、横須賀駅前の、山の斜面に張りついたようなこの喫茶店だったのである。
ほとんど上陸のたびに顔を出していたから、店のママさんや従業員の娘たちとも、自然と顔馴染みになってしまった。
ということからこれは最初の【童貞消失記】の前段になるのだ.後ろ向きパンティ記事のまえの話だよ。

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復元-1

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あああー、消してしまったよというブログ記事。
記事を更新しようとして、ドジやって、あっという間に削除してしまった記事だけど、これを削除したまま(ボツのまま)ではモッタイナイ。
たとえばここに載せた女の子のパンティの後ろ姿。
わたしはイロっぽいというんで気に入ってるんだ。
これをボツにしたままでは、読者のみなさんもモッタイナイと思うでしょ。
そこでどこまでやれるかわからないけど、記事の復元を試みることにした。
ココログではいったん削除した記事は復元できないことになっているんだけど、わたしには秘策がある。
せっかく苦労して書いたものをこのままボツにしてたまるかというところ。
最初は「童貞消失記」と題した4月末ごろの記事だ。
黄色い文字で書かれた部分は復元にまつわるあれこれを新たに書き加えたもので、白い文字の文章は削除するまえのオリジナルだよーん。

【童貞消失記】
さて、妄想老人日記の2回目。
いまでもそうだと思うけど、JRの横須賀駅のまわりは山が海に迫った場所にあって、起伏の激しいところである。
わたしの行きつけの喫茶店は、駅の前の山の斜面が平地と交わる線上にあった。
わたしが童貞を捧げることになった娘は、やはりこの喫茶店の常連だった。
半世紀年以上も前のことなので、顔なんかとっくに忘れてしまったけれど、顔にニキビのあるちょっと不良っぽい娘だったということが、消しても消えないイメージとなって残っていた。
引っ込み思案のわたしがそんな娘をくどけたというのは、我ながら不思議なくらいの僥倖だけど、じつは彼女のほうが積極的で、ある晩、わたしはけっして乗り気でないまま、いつのまにかロマンチックな夜の公園にいざなわれていたのである。
それは横須賀駅と横須賀湾とのあいだにある公園で、2026年現在のいまでもある。
わたしもついその気になって、船の明かりがきれいだねなどと柄にもないことをほざいているうち、彼女はウチに寄っていかない?と言い出したのだ。
男が女の部屋に行けばどうなるか、そのくらいわたしは心得ていた。
映画でも小説でも、こういう場合はたいてい生殖行為に励むものである。
まだ経験のないわたしは心配だったけど、好奇心もあったのでついていくことにした。

こんなことを聞かされても、他人からすればあまり楽しくないかも知れない。
これはわたしにとってのヰタ・セクスアリスであり、わたしの個人的にいちばん幸せだった時代をなぞることになる話だから。
わたしの自慢話に過ぎないし、ほとんどクソの役にも立たないと思う。
なんだ。まだつい最近読んだばかりだという人は無視してくれたまえ。

知り合った彼女の部屋というのは横須賀駅から斜面をすこし登ったところにあるアパートで、女ひとりが住める程度の薄っぺらな建物だった。
部屋の真ん中に天井からヒモが下がっていて、部屋に入るなり、彼女はさっと窓のカーテンを閉め、ヒモをひいて電気を消した。
つまり外からのぞかれないようにしたというわけだ。
彼女はいつもこんなことをしているのかと、すこし不安になった。

それからあとは、彼女はわたしにもたれかかり、そのまま2人でベッドに倒れ込んだ。
わたしはそのとき生まれて初めて、女性の髪をまさぐったりかきわけたりした。
また乳房を素手でつかんだこと、やわらかな乳房に赤ん坊のようにかぶりついた。
まさぐった場所はほかにもあって。彼女の秘部にももめったやたらに指を差し入れた。
なにしろすべてが珍しくタノシイという按配だったので、わたしは新大陸に初めて足を踏み入れた博物学者のダーウィンか、べつの言い方をすれば、新しいオモチャをあてがわれた幼児のようでもあった。
彼女はさぞかしくすぐったかっただろう。
精力を放出してしょぼんとなったわたしは、彼女がもうちど下着を身につけ、身づくろいをするのをじっと眺めた。
わたしは若い女がすっぽんぽんの状態から、パンティやブラジャーなどの下着をつけ、外出着に着替えるさまも初めて見た。
わたしたちは部屋から出ると、国道16号線沿いにあった、ワラジみたいな餃子が名物の中華料理店で食事をしてから、部屋をあとにした。
食事のあとは、この晩もわたしは艦にもどらなければいけなかったのである。

その後はどうなったか。
まもなくわたしはふられて、この甘美な恋も終わりを告げた。
原因は、いろいろ考えられるけど、ようするに若いわたしは彼女の自由気ままな生き方が理解できず、彼女のほうから見限られたというのが正しかったようだ。
不良っぼいというのも、わたしがウブで、カタブツ過ぎたことの反作用に過ぎなかったんだけどね。

ところがこの娘は、20年ほどあとに思いもかけない場所に姿をあらわすのだ。
それは次回のお楽しみに。

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