行き過ぎた常識
わたしのブログの過去ログを読み返すと、いろいろためになる記述にぶつかる。
どこを切っても美味しいバウムクーヘンみたいなブログといったらいいか、わたしのブログがそのまま強烈な文明批評になっているのだ(このへん自画自賛)。
ちなみにこれは2009月10月11日の記事
わたしは読んだことがないけど、森鴎外の 「伊沢蘭軒」 という小説の中に以下のような文章があるそうである。
わたくしは学殖なきを憂ふる。
常識なきを憂へない。
天下は常識に富める人の多きに堪へない。
森鴎外も常識ばかりが幅を利かす社会に危険なものを感じていた。
これは永井荷風の「墨東奇譚」に引用されていた文章だから、荷風も同感だったのだろう。
本を読むなら、ここまで作家の言わんとしたことを汲み取ってほしい。
最近の日本を俯瞰すると、一種のきみわるいおべんちゃら病にかかっているようである。
YouTubeをを観れば、チャンネルの運営者がロシア美人だったりすると、もう手放しで賛辞するものばかり、ブログを読めば、コメントに対して、相手を傷つけないようにとの配慮ばかり。
いえ、そうじゃないでしょう、わたしはこう思います、なんてコメントの返事は読んだことがない。
このあいだまでロシアをけなしていた人が、ロシア美人を賛辞するのはいいことだけど、その変わり身の早さに驚くしかない。
相手を傷つけたくないというのなら、これが日本人のやさしさということになるんだろうけど、こんなおべんちゃらが常識になる社会は、私には背すじが寒くなるばかりだ。
わたしはずっと世間の常識に反抗してきた。
べつに森鴎外の言葉に刺激されたわけじゃない。
さまざまな本を読みふけって、わたしなりにたどりついた自分の哲学だ。
だから世間(の常識にやマスコミのいうことを鵜呑みにする人)は、いくら読書量を自慢しても、それだけで本を読んだとはみなさないのである。
ああ、天下はどうして、こんなに常識に富める人ばかりなのだろう。
おべんちゃらとそれに嬉しがっている人ばかりじゃ、裸の王様ばかりの国になってしまうよ。
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