Hiroshiさんへの弁解
コメントはこうやってつけるもんだ、といういう遠慮会釈のないやりとりになるかと思っていたHiroshiさんとのケンカ、どうもわたしのブログの全面無視というかたちで終わりそうだ。
大学教授よりも、そのへんにごろごろしているマンガ家のほうが、智力にすぐれる場合もあるということを悟ってくれたのならいいが。
だいたい地方の名士として尊敬され、反対意見というものをつゆ知らずに生きてきた老人が、わがままになり、なにごとも自分が知ってることは他人も知っているはずだという唯我独尊タイプになるのは仕方がない。
この点はHiroshiさんに、胸に手をあてて考えてほしいことのひとつ。
あなたが時々自慢している、地方の図書館に最新式のITシステムを導入したということも、ほんとうに田舎のIT弱者のことを考えているのかと疑問だ。
まあ、九州の田舎には東京よりはるかに進歩的なじいさんばあさんが溢れているのかも知れないけど。
わたしは分裂と対立をあおる世間の風潮に必死で抵抗してきた。
まだ青年の血が多すぎて、ちょっと正義感が強すぎることは認めるけど、その点はHiroshiさんも似たようなもののはず。
世界がお互いの立場を理解しあって、仲良くすべしというのが間違った考えだろうか。
それなのに、わざわざわたしのブログにリンクを張って、こいつは自分だけが正しいと思っている、自分の考えを他人に押してつけているというのは言い過ぎじゃありませんか。
わたしは他人のブログによくいちゃもんをつけるけど、どんなときでも相手に反論の余地を与えるためにコメント欄は解放してある。
言いたいことがあればコメント欄で反論すればいいのだ。
にもかかわらず、わたしがコメントをつけるとそのまま沈黙をしてしまう人が多い。
これはいったいどういうことだろう。
おべんちゃらもどきのコメントに慣れているブロガーには、歯に衣着せぬコメントがつくと、狼狽して、まっとうな反論もできないんだろうね。
・・・・・・いや、こんなことをいくらいっても意味はないな。
なぜかわたしはHiroshiさんに嫌われてしまって、学歴もない人間がエラそうなことをいうなと、もはや感情論に近いところまで持って行かれてしまっているのだから。
Hiroshiさんを説得するのは、カルト宗教にオルグされた「久美のNEWSな日記」の久美ちゃんを折伏するようなものだ。
Hiroshiさんを怒らせないように気をつかいながらいうんだけど、わたしは決してあなたがいうような自分だけが正しいと思っているわけでも、それを他人に押しつけている人間でもありませんよ。
わたしはすぐに右翼左翼という政治問題に分別しようとする動きもキライだし、できるだけ公平客観的な態度で世界を眺めてきた。
わたしのブログを読み続けていれば、公平な立場から、世界の平和を目ざすわたしの努力もわかってもらえるはず。
このわたしの文章はタメ口に終止しているけど、けっして失礼とは思わない。
わたしだってHiroshiさんとほぼ同世代の段階の世代の生き残りなのだから。
だから本当はHiroshiさんにも、もうすこし強い調子でいまの世界に警告を発する同志になってほしいくらいなんだよ。
そのためにはもっとあなたのブログのテーマを絞って、すっきりさせる必要がありますけどね・・・・・
あ、またいっちゃった。
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