思い出のページ

2017年5月27日 (土)

安芸の宮島

どうも作りが雑になったなと思っていたYouTube の「Only in Japan」というチャンネル。
主役のジョン・ドーブ君とスタッフが喧嘩でもしたのかと案じていたら、最新映像からまたもとのようにしっかりした作りになった。
最新映像はこの5月24日に公開された、広島は安芸の宮島のストリートフーズを案内するというもので、あいかわらず YouTube の模範といっていい映像だ。

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安芸の宮島というと、またわたしの思い出がひとつ。
わたしは海上自衛隊にいたことがあり、江田島の術科学校に10ヶ月ほど学生として生活したことがある。
江田島から宮島までは、海をへだてて15キロくらいだ。

宮島は別名を厳島(いつくしま)ともいって、絵ハガキなんかでだれでも知っていると思うけど、海の中に赤い鳥居が浮かぶ有名な厳島神社がある。
でもわたしの場合、赤い鳥居よりはっきりと記憶に残っているのは、術科学校の生徒たちによる年にいちどの弥山登山。
弥山というのは宮島の中にあって、東京の高尾山のように、古くから信仰の対象として知られた山である。

ここを訓練をかねて生徒たちがマラソンで攻めるのだ。
江田島から運貨船を連ねて、数百人の生徒がいちどに押しかけるから、ノルマンディー上陸作戦みたいな感じ。
といっても標高がせいぜい500メートルほどの山で、登山道も整備されているから、青森の歩兵第5連隊が遭難した八甲田山に比べればハイキングみたいなもの。
たぶん息を切らせたはずだけど、なにぶんにも半世紀も前のことで、わたしも若かったから、いまでは楽しかった思い出しかない。

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2017年5月19日 (金)

白楊

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散歩に出かけたら、飛行場のわきのとある木の根もとに、白い綿毛のようなものが降り積もっていた。
木というのはセイヨウハコヤナギ(ポプラ)だから、これはポプラの種子らしい。

ポプラの綿毛というと、わたしは初めてシルクロードを旅したときのことを思い出す。
中国ではポプラを白楊といって、シルクロード(敦煌から新疆ウイグル自治区方面)にはこの木が非常に多い。
薄汚れた蘭州の街から夜行列車に乗りこみ、朝目をさましたら、信じられないくらい空気が清明な土地にいた。
美しいオアシスの村にポプラが高々とそびえ立ち、駅のホームに降り立つと、白いいふわふわとしたものが風にのって宙を舞っていく。
そのころのわたしは、タンポポの綿毛は知っていたけど、ポプラからも綿毛が生じるということをぜんぜん知らなかった。

その後、わたしが敦煌の莫高窟のほとりで、迎えに来るはずのタクシーを待っていたときのこと。
あたりに綿毛が飛びかっていたので、いったいどこから飛んでくるのかと不審に思ったわたしは、そばの白楊のこずえを見上げてみた。
近くにあって綿毛を生じさせる可能性のあるのは、その木ぐらいしかなかったのだ。
ても葉のあいだをすかしても綿毛なんか見当たらない。
降り積もった綿毛の量からすると意外なくらい、木の枝についているときのポプラの綿毛は目立たないのである。

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つい綿毛に誘発されちゃったけど、両側に白楊のそびえるシルクロードの街道を、自転車でさまよっていたころの自分がなつかしい。
最後の写真は、20年前に新疆ウイグル自治区で撮ったもの。

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2017年4月11日 (火)

ユナイテッド機

日本の飛行機会社では考えられないこと。
ユナイテッド機で降りろといわれた客が、それを拒否したら、治安当局の係員にぶんなぐられてひきずり降ろされたってニュース。
わたしは昨夜の時点でもうこの映像を観たけど、いきなりケシカランとは思わなかった。
これは客のほうにも問題があったのではないか。
航空会社がそこまで手荒なことをしたくなるような原因を、客のほうがつくったのではないか。

こんなことを考えたのは、わたしが、飛行機会社がゼッタイにそんなことをするはずのない日本という国の住人であったこと。
おかげで最近はモンスターと呼ばれる手のつけられない迷惑客が、デパートや鉄道駅に出没して、困ったもんだと憂いている最中であったこと。
さらに、これはちょいとまえだけど、韓国のどこかの社長のドラ息子が、酔っ払って飛行機の中で暴れて、客室乗務員たちからロープで縛られるという事件があったばかりだということもある(ナッツ姫とはべつの事件だ)。

だから客のほうにも落ち度があったのではないかと思ったのだけど、今回はどうもそうではないらしい。
そのへんは世間の常識や司法の裁きにおまかせすることにして、また例によってわたしのくだらない思い出を。

じつはわたしもユナイテッド機を何度か利用したことがある。
西暦2000年6月の上海から帰国するさいのことだ。
どうせ飛行機は予約してあるんだしというわけで、ゆるゆると飛行場に行ってみたら、わたしのチケットを見たユナイテッドの係員がいっしゅんうろたえた(ように見えた)。
でも彼はすぐに落ちついて、もらった搭乗券でわたしが座席に行ってみたら、エコノミーではなく、ビジネスクラスの席だった。
こういうとき不安になるのが小心者のわたしである。
スッチーをつかまえて、いいんですかと聞いてみた。
スッチーはにやりと笑って、ウインクしながら何かいった。
もちろん英語に不如意なわたしのこと、なんていったのかわからなかったけど、あとで考えたら、いいんですよ、得しましたねといったらしい。

チケットさえあれば飛行機に無条件で乗れると思っているあなた。
飛行機はキャンセル客を見越して、座席を余分に発売することがあり、アメリカの飛行機会社ではこれは当たり前になっているという。
オーバーブッキングといって、このせいでたまに座席にあぶれる客もいるらしい。
今回のぶんなぐられた客もこのあたりが原因だったらしいけど、わたしの場合は至福感を味わった。
ビジネスクラスに座ったのは初めてだったので、まわりをよく眺めたら、スッチーも若くて金髪の美人ばかりではないか。
資産家と間違えられてくどかれたら困るなと、わたしは日本に着くまでずっと死んだふりをしていたくらいだ。

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2017年4月 7日 (金)

銃剣道

最近、中学の学習指導要綱に「銃剣道」が入ったってことが話題になっている。
なんでも反対する人たちからいわせると、これも教育勅語といっしょで、軍国主義に回帰するからケシカランということになるらしい。
いまさら軍国主義にもどったって、わたしみたいな年寄りが軍隊から頼りにされることはないだろうから、どうでもいいや。

自衛隊にいたことのあるわたしは、じっさいに銃剣道をやったことがあるので、今回はその思い出を。

自衛隊に入ったばかりのころ、長井の教育隊で銃剣道の訓練があった。
その第1回目で、教官が銃剣道の手本を見せるという。
おい、おまえ前に出てこいといって、ひとりの新兵(わたしもそのひとりだったけど)が前に呼び出された。
わたしたちは模範演技でも始まるかと思って神妙に聞いていた。

銃剣道は、面や胴、甲手をつけるところは剣道に似ているけど、防具の心臓にあたる部分のプロテクターが剣道より厚くて頑丈になっている。
つまり心臓をねらってポイントを稼ぐわけだ。
最初に銃剣(訓練用の木剣)を交差させて、合図とともに試合が始まるあたりは剣道に順ずる。
しきたりや礼儀についてはなかなかうるさいから、この点だけは学習指導要綱に取り入れられてもおかしくない。

「きええーっ!」
教官の手本は容赦がなかった。
気合いとともに木剣でひと突きされた新兵は、5メートルもうしろにふっ飛んでしまった。
たんなる模範演技と思っていたわたしたちは、教官の本気度に仰天し、これは鬼の教官だということで、だらけていた空気も一変した。

でも人は見かけによらないことがあるものだ。
やってみろといわれて前に出た新兵が、手順をまちがえた。
どやしつけられるとビビった彼が、も、もういちどやりますと口ごもると、教官がぼそっといったひとことが
あったりマ◯コの毛・・・・

緊張していたわたしたちは、吹き出すのをこらえるのにひじょうに苦労した。

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2016年11月18日 (金)

ローラ・ニーロ

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フェイスブックでローラ・ニーロのファン登録をしておいたら、めずらしく彼女からお知らせがきた。
といっても彼女は1997年に亡くなっているから、意思を引き継いだファンによるサイトからのもの。
おかげでまたなつかしい思い出にひたることとなった。

海上自衛隊をやめたあと、2年ほどデザインの勉強をするために学校へ通ったことがある。
しょうもない学校にしょうもない生徒(わたしも含めて)ばかりだったけど、いま考えると人間観察には適したところだったかもしれない。
サムセット・モームの小説「人間の絆」にも、主人公が画学校に通う話が出てくる。
ここでモームは、さまざまな個性をもった青春群像を描いていて、この小説のハイライトといってもいいくらい。
わたしにも似たような経歴があったわけだ。

当時の友人にWという男がいた。
ひよろりとした、たとえば美容師などによくいるタイプで、どこか都会的な雰囲気をたたえた若者だった。
彼は水戸あたりの出身で、わたしと同じ、高円寺にあった学校の寮に入っていた。
寮は仮住まいで、余裕のある人間や団体生活がイヤという人間は、2年目になると自前のアパートを借りてぽつりぽつりといなくなる。

ある日、Wがわたしに向かって、いっしょにアパートを借りて住まないかと提案してきた。
当時からわたしは唯我独尊みたいなところがあって、いっしょに暮らそうなどという人間がいるとは夢にも思わなかったから、おおいに感激したけれど、先立つものがなかったせいか、この話は成就しなかった。
しかしわたしたちの友情はその後もしばらく続いた。

そのうちWは帰郷して結婚することになった。
水戸まで行って結婚式に立ち会うつもりはなかったけど、彼には恩義を感じていたし、せめてもの記念になにか記念品を上げようという気持ちになった。
そこで選んだのがローラ・ニーロのLPアルバムだ。
当時は70年代の前半で、好きなロックアーチストは腐るほどいたけど、ハードロックを彼が好むかどうか、むしろもうすこしおちついた歌手のほうがふさわしいのではないか。
というわけで、ジョニ・ミッチェルやキャロル・キングのレコードも候補に上がったけど、どっちかというと地味目で、なおかついちばん都会的に思えたこのレコードを選んだ。
わたしの趣味をひけらかす目的もすこしあったわけだ。

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ローラ・ニーロはそんな歌手である。
聖処女のような美人であるにもかかわらず、そのへんの大工さんと結婚したり、谷内六郎さんの絵をレコードのジャケットに使ったり、そんな風変わりな個性をもった歌手だった。
彼女は作曲家としてのほうがよく知られているけど、自作の「ストニー・エンド」や「ブラックパッチ」「ウェディング・ブルース」「イーライがやって来る」などの名曲を自分でも歌っている。
レコードはすべて処理してしまったけど、この YouTube の時代、わたしはいつでも彼女の声を聴き、その映像を見ることができるのだ。

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2016年11月 9日 (水)

思い出(の中華料理店)

すこしまえ、うちの近所に新しいラーメン屋がオープンした。
開店まえの準備期間中からいやな気分。
店の名前も暴走族ふうだし、なにしろ建物が極彩色の真っ赤っか。
ラーメンがおいしくなくても、店のつらがまえだけで食わせてしまおうって魂胆が見え見え。
繁華街ならわからんでもないけど、うちの近所は田んぼも畑もある、風光明媚な文教地区なんだけどねえ。

でも昨今はこんなことに口を出すと、やれ◯◯の権利だ、◯◯の蹂躙だなんてゴタクを引っ張り出されて、あとが厄介というんで、誰も文句をいわない。
いちど食べに行ってみたことがあるけど、店に嫌悪感を感じているせいもあって、わたしには特別においしいとは思えなかった。
といって格別にまずいわけでもない。
つまり、最近流行っているこの手の店と変わらないということだ。

わたしの舌がおかしいのか。
どういうわけかわたしの好みは、むかしから場末の、あまり目立たない料理店にあることが多かった。

若いころ大久保と東中野の中間にある住宅街、こういっただけでおよその雰囲気がわかる、ごみごみした住宅街に部屋を借りていたことがある。
すぐ近所に一軒の中華料理店があった。
店の親父は世間からつまはじきにされて、それでも奥さんと子供をかかえて、ひっそりと生きている感じのさえない男性だったけど、料理のうでは確かだった。
ほかに近所にふさわしい店がなかったから、わたしは毎晩のようにここに通い続けた。
わたしの青春の一時期をいろどったこの店もいまはない。
親父が儲けて大きな店を持ったのならいいけど、そんなに儲かりそうな店じゃなかったしな。

その後、西武多摩川線の多摩墓地駅(いまでは多磨駅に改名)の近くに引越ししたけど、ここでは駅まえにある中華料理店に入りびたり。
毎晩のように通いつめ、しかもわたしが注文するのはモヤシソバかマーボ豆腐定食に決まっていたから、店でわたしは有名人だったようだ。
こちらの親父さんは小太りの短躯という、コックの見本みたいな人で、無口無愛想なわたしをよく理解してくれた。
彼は新天地を開発するといって、どこか東北のほうへ行ってしまったけど、店は奥さんが引き継いで、いまでも多磨駅の近くにあるはずだ。

わたしの思い出の中にあるのは、いつも店構えではなく、味で勝負する店ばかりである。

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2016年9月30日 (金)

はじめてのレコード

今日の新聞のコラムで、マンガ家の増田ミリさんが、はじめて買ったレコードについて書いていた。
それは「銀河鉄道999」の主題歌だったそうだ。
誰でもそうだろうけど、子供のころはじめて買ったということになると、いきなりジャズやロックではなく、そのころよく耳にした音楽になるのがふつうで、そうなればテレビ番組の主題歌というのは納得できる。

じゃあわたしの場合はどうなのか。
まずプレーヤーがなければ話が始まらないので、わたしの場合は電気蓄音機なるものを買ってもらったのがきっかけ。
さっそくレコード屋に行って、トシがばれてしまうけど、買ったのが「サーフサイド6」という、当時流行っていたテレビ番組の主題歌。
トロイ・ドナヒューやリー・パターソンといった、ワーナーの若手俳優が出演していた、青春ミステリーみたいな番組だったっけねえ。
ほんと、わたしはませガキだったよな。

でも失敗だった、というのは、わたしは歌が聴きたくて買ったのに、このレコードはオリジナルではなく、日本の楽団が演奏したインストルメンタル曲だったこと。
そういうものもあるのかと、ひとつ知識を得て、それから人生の後半まで、延々と続くわたしのレコード行脚が始まるのだ。

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2016年9月26日 (月)

ユースホステルの思い出

今朝の新聞にユースホステル(YH)に関する記事があった。
最近はYHもずいぶん様変わりしたってことだけど、それを読んでむかしの、なつかしくもいまわしい記憶がよみがえってきた。

わたしの旅好きは若いころからのものだから、YHに泊まったことももちろんある。
あれは北海道のどこかのYHでのこと。
大部屋に2段ベッドなのも、トイレが共同なのも文句はいわないけど、イヤなのは夜になると宿泊者全員がひと部屋に集められて、親睦会という口実の集まりに参加させられたこと。

最初はなんだかわからないから、呼ばれるままにその部屋に入ってみたんだけど、健全すぎる男女がいっぱいで、いささか愕然とした。
抽選で当たった人は、舞台でものまねをしてくれといわれ、たまたまいっしょに行った友人が、海藻のものまねをやらされていた。
アザラシやペンギンならまだしも、海藻だぞ。
そんなもんどうやりゃいいんだ。

中にはそういうことが好きという人もいるだろうけど、なにしろわたしは当時から社交的じゃない。
二度とYHなんかに泊まるものかと思った。
もっともその後、集まりに呼ばれても、寝たふりをして行かないという手があることをおぼえたけど。

そんな強制収容所みたいなYHが、最近は個室や名物料理を売り物にするなど、いろいろとホテルなみに変わってきたそうだ。
さすらいの前期高齢者としては、値段がむかしとあまり変わらないなら泊まってみたい気持ちもある。

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2016年9月20日 (火)

むかしのはなし

「寒い国から帰ってきたスパイ」という古い映画を観たとき、英国の女性はさえない中年男をすぐに好きになっちゃうのかなんて突っ込みを入れた。
じっさいには、さえないといっても、男は優秀な諜報員の世をしのぶ姿。
図書館で働く女との会話の中に、この狼男の本を毎月のように借りる人がいるのよといわれて、満月の晩かいと当意即妙のユーモアをはさむだけの才覚があった。
これで女はしだいに男にひかれていき、うちに夕飯を食べに来ないなんて関係になっていく。
と、そこまで。
これ以上書くとネタバレだから、話をぜんぜん別の方向に持っていく。

女性から家にゴハン食べに来ないと誘われるなんて、うらやましいことである。
わたしの場合、すぐに目をぎらぎらさせて男の本性をあらわすせいか、なかなかそんなことをいわれた経験がない。
そう思ったけど、いや、よく考えたら、あるね。
晩飯を女性の家でご馳走になったって経験が。

ただ男の場合はそういうことをすぐに忘れてしまうものらしい。
男というのはつねに未来の希望、つまり新しい女を求めているものなので、過去の栄光のほうに目が向かないのだ。
自分の青春は悲惨なものだったなんてぼやいているくせに、わたしにだって多少はイロっぽい過去があったのである。

・・・・話はこれでおしまい。
なんだなんだというなかれ。
今日はおろしソーメンを食べた。
ダイコンおろしでソーメンを食べるアイディアは、たしか女の家で初めて教授されたもので、ふられてまたひとりにもどってからも、あまり食欲がないときのわたしの手軽な食事になってるのだ。
うん、イロ気よりも食い気の思い出かなあ。

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2016年9月 8日 (木)

自衛隊のメシ

嫌韓サイトとしては、わりあいもの言いがおだやかで、ユーモアや皮肉がいっぱいの「カイカイ反応通信」に、日本と韓国の軍隊の食事を比較した記事が出ていた。
軍隊の食事といえばマズイのが相場と思っている人がいるかもしれないけど、これを読んでむかしの思い出がよみがえってきた。
韓国の軍隊はともかくとして、日本の自衛隊、それも海上自衛隊については、わたしはじっさいにそれを食べたことがあるのだ。

自衛隊に入ると、最初はだれでも教育隊というところに配属させられる。
ここのメシはまずかった。
それが当局の方針なのかどうか、メシのまずいのが気にくわないやつはさっさと辞めろと、まだ海のものとも山のものともわからない新兵をふるいにかけていたのかもしれない。

まずいメシに数ヶ月耐えると、はじめて艦(ふね)に配属されることになる。
艦に乗り込んでびっくりしたのが食事のうまさだった。
けっして豪華だとかめずらしいというわけではなく、ありふれた材料で素人の隊員が作ったメシなんだけど、教育隊に比べると雲泥の差だった。
いったん海に出てしまうと食べ物しか楽しみがないということで、むかしから海軍の食事はうまいということで定評があったらしい。

考えてみると、同じ米でもアパートで独り者が炊く1合2合のご飯と、大きな釜でいっぺんに大量に炊くご飯では味がちがう。
海上自衛隊では週にいちどはカレーが出るけど、これもでっかい鍋でいちどにたくさん作る。
うまさの原因はこういうところにあったのかもしれない。

わたしは炊事班ではなかったけど、新兵として、ときどき食料の積み込みに駆り出されることがあった。
艦が航海に出るときは、出航まえに当座の食事の材料を積み込まなくてはならない。
見ると搭載される食材の中に果物のウリやブドウがあったりする。
あ、これは数日中にそれが出るなと期待していると、ぜんぜん出なかったりする。
ああいうのは炊事班の連中が自分たちだけで消費してしまうに違いない。

そういえば夜中に炊事班の居住区に行くと、連中はよく非常食の乾パンをテーブルに積み上げて、ポーカーをしていた。
なにしろ食事に関するものはすべて彼らの専売だから、賭け札がなくなったら、おい、倉庫に行って乾パンを持ってこい、缶詰を持ってこいなんてことは彼らの十八番。
自衛隊に入って食べ物に不自由したくなければ、炊事班がいちばんだ。

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