思い出のページ

2019年6月14日 (金)

思い出

ほんとうは昨日ブログに載せようと思っていた記事なんだけど。

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最近NHKのBSで、ドローンを使った空撮番組が多い。
12日のそれは「玄奘の冒険」ということで、冒頭ににごった大河の流れる大都市が出てきた。
高層ビルがやたらに増えた印象だったけど、ひと目見ただけで、わたしにはそこが中国の蘭州であることがわかった。
ときどきメールをよこす知り合いが住んでいる街で、わたしはこの街にことさらの思い出があるのだ。

最初の写真は20年ちかくまえのの蘭州で、このころから高層ビルが乱立ぎみ。

玄奘というのは西遊記でおなじみの、孫悟空をお供にして、唐の都長安から天竺(インド)まで、仏教の経典を求めに行った三蔵法師のことである。
孫悟空についてはワカランけど、三蔵法師は実在の人物だ。
そして、ひとくちに天竺というけど、飛行機はもちろん、汽車もバスもないころだから大変だ。
長安(現在の西安市)からインドに行くなら、蘭州から青海湖を経て、チベット経由のほうが近そうだけど、当時はチベットが国内問題でゴタついていたので、三蔵はやむなくタクラマカン砂漠を大迂回するコースをとっている。

蘭州では黄河を渡らなければならない。
番組ではここで羊皮筏子(ヤンピーファーズ)というものが出てきた。
ヒツジの皮に空気を入れてふくらませたものをいくつも並べて、その上に筏を組んだもので、大昔からこのあたりで使われている軽便な渡し舟だ。
いまでも観光用に運行されているので、わたしも乗ってみたことがある。
とくにおもしろいものでもなく、これで人馬もろとも黄河を横断したとしたら、三蔵法師もかなり大胆だったはず。

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蘭州から黄土高原のみごとな棚田絶景を経て、ドローンは烏鞘峠を越える。
このあたりもわたしには忘れられない場所だ。
第1回目のシルクロード訪問のとき、列車の中からながめて、シルクロードにあるモンゴルふうの高原と記憶し、つぎの訪問のさいには列車をおりて、わざわざ路線バスで訪ねたところなのである。
ここには天祝という小さな街があって、わたしは蘭州に住む知り合いといっしょに訪ねたこともある。

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万里の長城はこのあたりまでも続いていて、列車の車窓から崩れかかった土壁や烽火台を目にすることも多い。
かっては匈奴の騎馬軍団を効果的にさえぎった長城だけど、現在では歯の欠けた櫛みたいにあちこち崩壊して、あるいは風雨に浸食されてたんなる土手にすぎなくなっており、ドローンで上空から見ると、ヒツジの群れがこっちからあっちへ自由に移動していた。
まだこのあたりにはヒツジ飼いという職業が残っているんだなと、すこし安心。

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列車で烏鞘峠を越えると、やがて砂漠のかなたに万年雪をいただいた祁連山脈が見えてくる。
前夜に蘭州を発って、翌朝初めてこの山脈を見たとき、わたしはむやみに感動した。
むかし、やはり初めてこの山脈をながめた旅人は、いったいどんな感慨を持っただろうと思ったのだけど、そのときわたしの頭の中には三蔵法師のことがあったのだ。

あとの3枚の写真は車中から撮影したもので、いくらかピンボケ。

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2019年4月14日 (日)

羊飼いの文明化

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BSでまたシルクロードを扱った番組が放映され、わたしにはなつかしい敦煌や張掖といった街が出てきた。
4Kカメラによる撮影だというから、シルクロードの最新報告といっていい。
このあたりは20年以上まえにわたしがうろついた場所でもあるので、興味をもって観たけど、莫高窟のあたりの風景はそれほど変わっていないようだ。
これはまあ、世界遺産をかってにいじくり、改変するわけにはいかないということだろう。
それよりも崩壊しやすい砂漠の奇景、景勝地には、尾瀬みたいにちゃんと遊歩道が作ってあって、共産党は軍備以外にもお金を使っているんだねえと思ってしまった。

おもしろかったのは砂漠で放牧をするモンゴル族の生活で、孤独なパオ(天幕)暮らしは変わらないものの、パオのまえに太陽光パネルが設置してあったこと。
砂漠では太陽は最良かつ無限のエネルギー源だから、おおいに利用すべきだけど、時代も変わったものである。
何年かまえにテレビを観ていたら、アフリカでやはり放牧生活をしているマサイ族が、携帯電話でモシモシとやっている場面が出てきた。
孤独な職業の典型だった羊飼いも、最近では放牧中にYouTubeでロシアのバレエでも鑑賞しているのかもしれない。
わたしも負けちゃおられん。

添付したのは、張掖郊外の砂漠で、正真正銘わたしが撮ったもの。
おもしろくもおかしくもない写真でありますが。

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2019年3月15日 (金)

西安という街

テレビで中国の西安をとりあげた番組をやっていた。
なんとかいう、ぜんぜん中国に興味のなさそうなカワイ子ちゃんタレントが、原稿棒読みで案内係をやらされているのが可哀想だった。
でもこれはやむを得まい。
いまどき中国や、その歴史に関心のある若い娘なんていそうもないし。

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この番組を観て、わたしの人生がいちばん輝いていたころを思い出した。
わたしが足しげく中国をうろついていたころ、もっとも興味のあった街は上海で、これは街そのものが持つ淫靡な歴史によるところが大きいけど、そのつぎに関心があったのが西安だ。
シルクロードへの中継点ということもあって、わたしがこの街を訪れたのは、調べてみたら6回にものぼっていた。
中国全土で街の変化はただならぬものがあるけど、テレビを観たかぎり、西安も例外ではないようだ。
しかしここにはゼッタイに変わらないものもある。

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西安が唐の都長安であったことはだれでも知っている。
むかしの都市というものは洋の東西を問わず、ほとんどが城壁に囲まれていた(こういう点では日本が例外なのだ)。
西安も街全体が周囲14キロもある長大な城壁に囲まれている。
こればっかりは現在もそのままで、変わったところといえば、夜間ライトアップされるための電飾灯がついたことぐらい。
どうも歴史的都市ということで、観光客を誘致するために、最近では必要以上にデコレーションがほどこされているらしい。
わたしはまだ素朴で、ありのままを見せていた西安を懐かしく思い出す。

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ここに載せたのは1995年の西安。
1枚目、2枚目は鐘楼から見た南側と北側の景色。
3枚目は鐘楼で古代楽器を演奏していたオンナの子だけど、天女みたいな衣装の下に丸首のセーターとジーンズ、スニーカーだった。
4枚目以降は城壁のあたり。
7枚目は城壁の上で、騎馬軍団が5列で行進できるくらい広い。
最後は城壁に上るための料金表で、中国人は1元、小学生は0.5元、自転車も同じ、外国人は3元と書いてある(らしい)。

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2019年2月23日 (土)

無責任

最近はグローバル化が進んで、中国人にも責任について先進国の理念が浸透してきたようだけど、わたしが中国大陸をうろうろしていたころは、まだ共産党時代の無責任体質が横行していた。

ホテルで翌日の列車のチケットを予約する。
翌朝になってそれを受け取りにいってみたら、お金はまだそっくりフロントの机の中に残っていた。
ぜんぜん予約してなかったのだ。
文句をいうと、いまから駅に行けばまだ間に合いますだって。
それ以上文句をいってる時間がなかったので、あわてて荷物をまとめてタクシーを飛ばし、けっきょく自分で駅に並んだ。

べつのホテルではシャツをクリーニングに出した。
まかせておいて下さいと、服務員(女の子)の返事はよかったけど、出発の前夜になってもそれがもどって来ない。
明日の早朝には出発するんだけどと文句をいうと、大丈夫間に合いますと調子だけはいい返事。
朝になって、タクシーが迎えに来るぎりぎりになって、ようやく届いたシャツはいくらか湿っぽかった。
クリーニングに出すのを忘れて、服務員が夜中に自分で洗濯してアイロンをかけたらしい。

万事がこんな調子だけど、そのうちわたしも慣れて、早め早めに確認や念押しをするようになった。
日本よりのんびりしていていいかもしれないと思うようにもなった。
こんなことを書いたのは、新しいパソコンか届かないせいだ。
組み立ては中国でやっているという説明だったけと、書類がどこかへ迷い込んで、わたしの注文なんかころりと忘れているのかもしれない。

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2019年1月22日 (火)

ムスリムの思い出

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図書館でニューズウィークの日本版をのぞいたら、「ウイグル弾圧は序章なのか」という記事が目についた。
べつのページには「日本で暮らす普段着のムスリム」という記事もあった。
日本人と結婚したり、また日本人でイスラムに改宗したりして、永住権を得たムスリムが、日本でもじわりと増えているという。
未来が暗澹たるものか、輝かしいものか、ぜんぜんわからないけど、日本だけが世界の潮流に乗り遅れるはずがないので、もはやイスラムの問題は、この国でもフツーに無視できないところまで来ているということらしい。
しかしわたしはここで政治について話そうというわけじゃない。
記事に誘発されたなつかしい思い出を話そう。

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わたしが初めてまとまったムスリムを見たのは、中国においてだった。
上海ではまだムスリムはあまり目立たない。
蘇州や無錫でも同じことだ。
西安まで行って街をぶらついているとき、わたしは清真寺という大きな寺のすぐかたわらにあった、やたらにごみごみした非衛生な一画に迷い込んだ。
これが西安の回族(イスラム教徒)居住区で、わたしがそこに迷い込んだのは1995年の冬のことである。
あとで知ったけど、清真寺というのは中国語のモスクのことだった。

だいたい中国の街というのは日本に比べると、どこも非衛生なのがあたりまえなんだけど、そこのごみごみの度合いはわたしの想像を絶する異様さで、西安の観光名所になる資格十分と見た(ひどい?)。
中国がことさらムスリムを差別しているとは思わなかったけど、回族の居住区というのは、狭くるしいところに民家や商店が密集して、とにかくごみごみしているのである。

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その後、何度か西安に行ったけど、中国政府はほんとうにこの回族居住区を観光名所にしてしまったようだ。
2011年にここへ行ってみたら、非衛生はだいぶ緩和され、そのごみごみさがかえってユニークな街の売りものになっていた。

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話が前後するけど、1997年、わたしはシルクロードを訪ねる途中、西安よりもさらに西の蘭州という街に立ち寄った。
列車を降りて駅頭に立ったとき、駅前広場にたむろする、大勢の白い帽子をかぶった人たちに気がついた。
この帽子が、回族がみずからのアイデンティティを示す表徴なんだけど、顔つきだけ見れば彼らは漢族とほとんど変わらない。

中国の西域は新疆ウイグル自治区で、ここはもともとイスラムの国だから、西に行けば行くほどムスリムが増えるのは当然だ。
それでも西安あたりではまだ街の一角にまとまっているだけだったのが、蘭州ではもう街のいたるところに白い帽子がいた。
蘭州くんだりまで出かけたころのわたしにとって、これが普段着のムスリムとの最初の出会いだった。

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田舎に帰省すると、遊んでばかりいてと小言をいわれ、だいぶ肩身のせまい思いをするわたしだけど、こういう景色を見ることのできた人生って、決して無意味なものとは思わない。
世界にはいろんな人々のいろんな生活があるという当たり前のことを、自分の目で確認することができたし、わたしにはそれが結婚や家庭よりも大切なことだったのだから。

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2019年1月11日 (金)

流氷

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流氷ツアーで有名なガリンコ号が運行開始だそうだ。
この冬はひとつ出かけてみるかと思う。
行くならいつがいいだろう。
あまり早く行って流氷がなかったら困る。
やっぱりいちばん寒い2月がいいのではないか。

ところが運行開始のニュースが1月10日で、その日に調べてみたら、もう2月のガリンコ号は予約がほとんど埋まっていた。
かろうじて予約表の上のほうにいくつか空席が。
でもこれは土日の早朝のサンライズクルーズというやつで、出航が朝の6時だそうだ。
そんなに早く起きられるものか。
と思ったけど、これはかえって具合がいいかも。

最近のわたしは昼と夜が逆転して、昼間は寝ぼけているのに、夜はいたって元気。
朝の6時というと、さあ寝るかという時間だから、そこをちょっと我慢して起きていればいいだけの話だ。
起きているのは、目覚ましで無理やり起こされるよりはラクチンである。

最近出不精になっているわたしが、じっさいに出かけるかどうかは別にして、ここで流氷の思い出をひとつ。

若いころ流氷を見るためにオホーツクの沿岸を旅したことがある。
ガリンコ号なんてものはまだなかったけど、列車を乗り継いで紋別に着いたのがその年の2月9日のことだった。
さっそく港へいってみたけど、沖のほうに白いものがちらほら見えるだけで、流氷らしきものは影もかたちもなかった。
地元の人に流氷ありませんねというと、ああ、今日は陸からの風だからなという。
いったん寄せたら春まで寄せっぱなしだと思っていたけど、流氷というのは気むずかしいものらしい。
最近のわたしは、富山のホタルイカも空振りだったし、どうも自然現象から見放されているようだから、あまり期待しないほうがいいかも。

その翌日、路線バスを乗り継ぎながらオホーツク沿岸を北上し、沙留(さるる)というところでようやく海を埋め尽くす流氷を見た。
降りしきる粉雪のなか、わたしはバスを降りて港まで行ってみた。
港も雪におおわれていたけど、人っ子ひとりおらず、それはそれは美しい光景だった。
また、腰まであるのにまったく抵抗を感じない雪を体験して、これがパウダースノウというやつかと、感動したのもこのときが初めてだった。
明日死んでも惜しくないくらい、わたしにはこんな思い出がたくさんある。

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2018年11月13日 (火)

栄枯盛衰

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栄枯盛衰は世の習いというけど、今日の「海外の万国反応記」にちょっと気になる記事が。
八丈島にある日本最大というホテルの廃墟に潜入してきた人がいて、その写真を公開してるんだけど、このホテル、わたしには記憶がある。

それはいまからもう40年ちかく前のことだ。
わたしは仲間8人と連れ立って八丈島までダイビングに出かけた。
旅行中にきれいな娘ふたりと知り合って、みんなで泳いだり、酒を飲んだりしたもんだ。
まだまだわたしたちも若くて魅力いっぱいのころだったんだよ、え、お若いの。

ある日彼女らもいっしょに、底土海岸というポイントに潜りに行ったんだけどね。
この海岸の目の前に、ロイヤルホテルという4階建てのホテルがそびえていた。
もちろん貧乏なわたしたちに縁のないホテルだったけど、このホテルにはいくつかの石像を配したフランスの王宮のような豪華な庭園があり、きれいなプールもあった。
そこで急遽その日の午後のダイブは取りやめて、みんなでプールで遊ぶことにした。
客がほかにいなかったから、わたしたちの貸し切り状態だ。

話はこれだけなんだけど、青春の日の(数少ない)輝かしい思い出のひとつだ。

そのときのホテルが、その後零落して、いまでは廃墟になっている。
栄枯盛衰という言葉がしみじみ胸にせまるね。
ま、当時からあまりはやってなさそうなホテルだったからなあ。
当時の写真があったはずだけど、探して出てきたのが、ほかの目的のためにイラスト化したこれだけ。
いまではおばあさんになっているはずの彼女が見てもわかんないだろうなあ。

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2018年7月31日 (火)

酸辣湯麺

今日の新聞に蘭州ラーメンの記事が出ていた。
習近平さんの一帯一路政策のせいか、はたまた日本のラーメン・ブームに習ったものか、中国の蘭州に古くから伝わるラーメンを、国際的な名物にしようという動きがあるらしい。

蘭州ラーメンというのは牛肉を乗せたラーメンであるという。
そんなものがめずらしいかどうか知らないけど、わたしは蘭州という街には行ったことがある。
中国の中央部にあり、このあたりで黄河とその両岸がぐんとせばまっていて、河西回廊とよばれるほそ長い交通の要衝である。
ときどき中国からメールをくれる知り合いも蘭州の出身だ。
いちいち日本語に翻訳するのがメンドくさいので、目下のわたしは死んだことにしてあるけど、またそのうちメールのやりとりを再開するかもしれない。

そんなことはどうでもよくて、今回はラーメンの話題だ。
蘭州ラーメンが牛肉というのは、これを考案した調理師がもともと回族だったからだという。
回族というのはイスラム教徒だから、いくら豚肉の好きな中国人でも、それを使うことはありえない。

わたしが蘭州に行ったころ、味をしめたのは蘭州ラーメンではなく、酸辣湯麺というものだった。
これは酢とラー油を効かせ、カタクリ粉でとろみをつけた麺料理で、その野菜主体のラーメンが、肉のニガ手なわたしの嗜好に合致したのである。
どんなラーメンか味わってみたければ、日本の「紅虎餃子房」や「揚州商人」で注文できる。

しかし中国人は日本人ほど職人気質というものを理解しないから、困ったことも起こる。
中国にいたとき、ある店で酸辣湯麺を注文した。
出てきたラーメンに、肝心の酢が入ってなかった。
文句をいうと、ウエイトレスが応えるのに、テーブルの上に置いてある酢のボトルをさして、これを入れれば酸辣湯麺になりますと。
なんだ、そうか、あははと、それでひっこむわたしもだらしないけど、あちらのラーメンはそういうものであるから、蘭州ラーメンがグローバルなものになるかどうか、予断はゆるさない。

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2018年7月28日 (土)

やわらかい軍隊

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これは「海外の万国反応記」というネット掲示板に載っていた写真だけど、どこかの観艦式や記念行事で撮られた写真らしい。
自衛隊というとおカタい仕事で、うっかり冗談もいえない職場と思われていそう。
しかしアンパンマンの魚雷だなんて、最近の自衛隊はなかなかユーモアがある。
2番目のタイヤが3個ならんだ写真は、見えない戦闘機ステルスだそうだ。
笑っちゃう。

笑いながら思い出したことがある。
わたしが海上自衛隊にいたころ、対潜水艦訓練に、ヘッジホッグ機雷発射というものがあった。
ヘッジホッグというのはハリネズミのことだそうで、なんでこういうかというと、ま、現物の写真をご覧じろ(3番目の写真)。

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これの発射訓練でよく房総半島の沖に出かけた。
ビール瓶をさかさにしたような機雷を24発、発射機に装填して、あとはソナーが潜水艦を発見するのを待つ(いちおうそういう設定)。
大砲の発射に比べるとのんきな訓練だった。

じっさいに発射の号令がかかるまで、わたしたち新兵は戦闘準備をしたまま、発射台のまわりでたむろしていた。
そのうち退屈したわたしは、装填されていた機雷にマジックで落書きすることを思いついた。
どうもいたずら好きは当時からのものだったようだ。
模擬弾だから、発射はされても、本物とちがって水中で爆発はしない。
どっちにしたって海底に沈んでそれっきりになるものだからかまわんだろうと、いい気になってハートのマークや、当時文通していた郷里の知り合いの女の子の名前を書き込んだ。
それを見てまわりの兵隊までがみんな、オレにも書かせろと言い出した。
もう半世紀もまえに体験した、軍隊時代の愉快な思い出だ。

落書きだらけではなはだみっともなくなった模擬弾は、いまでも海底に鎮座しているのか、それともとっくに朽ち果てただろうかと、アンパンマンの魚雷を見て思い出した。

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2017年11月28日 (火)

しらびそ小屋

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2、3日まえのBSのトレッキング100という番組に、八ヶ岳にある 「しらびそ小屋」 という山小屋が出てきた。
この小屋にはわたしも30年ちかくまえに泊まったことがあるので、ついなつかしい気分で観た。

しらびそ小屋は北八ヶ岳にあって、稲子湯から天狗岳に登る途中の、ミドリ池という池のほとりにある。
このコースには、もう少し山頂寄りに 「黒百合ヒュッテ」 という山小屋があって、そちらは別のコースからも登れるので、人気のあるのは黒百合のほうである。
しかしそのぶんしらびそ小屋は、目立たない、古い素朴な山小屋の雰囲気をよく残していて、わたしがこの山小屋に泊まったのも、30年まえにやはりNHKが特集をしたせいだった。
この小屋では、餌付けされた野生のリスやホシガラスが見られるという。

当時からそういうものの好きだったわたしは、さっそく自撮り用の三脚をかついで、平日にたったひとりで出かけた。
最初の写真はスタート地点から近いカラマツ林の中で。
このときわたしは30代の後半 (若く見えるのは、写真の選択権が本人にあるため)。

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最新の映像によると、このとき小屋の主人だった今井行雄さんは、小屋の仕切りこそ息子さんに譲ったものの、80を超えてまだ元気らしい。
わたしが会ったときは、世捨て人みたいに、ひじょうに無口な人という印象で、奥さんらしいきれいな女性がいっしょに働いていた。

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この晩は、たまたま同宿した男性と2人で、屋根裏部屋みたいなところに寝かされた。
なんだか童心にかえったみたいで楽しかった。
夜になるとたったひとつの窓から、すぐ外側に大きく枝をひろげたダケカンバ、そして丸いお月さんがよく見えた。
先日の放送でもその木はまだ健在だった。

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人間であるわたしにとって、30年は長い。
しかし窓から見えたダケカンバにとっては、そうではない。
しらびそ小屋から天狗岳を目指した登山者を、いったいどれだけこの木は見つめ続けてきただろうか。
わたしももういちどこの山小屋に泊まってみたい。
小屋の古いサイン帳に、ひょっとすると自分の名前が見つかるかもしれない。

最後の写真は、この翌日に登った天狗岳(東天狗) から見た西天狗。

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