美術館をめぐる

2017年11月13日 (月)

ゴッホ展

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ゲージツの秋だ。
昨日はまた上野に行ってみた。
いま上野では、国立西洋美術館で「北斎とジャポニスム展」、東京都美術館で「ゴッホ展・巡りゆく日本の夢」というふたつの展覧会が開かれている。
このふたつは関連があるので両方観ればいいのだが、どうせ混雑しているだろうから、とりあえずどっちかすいているほうを観るつもり。

まず駅から近い西洋美術館のほうをのぞいてみたら、混雑はそれほどでもなかった(入口に渋滞ができてなかった)。
ゴッホのほうはどうだと行ってみたら、こちらも外から見るかぎりそれほどではない(入口に渋滞ができてないというだけで、館内にはただいま混雑中の張り紙あり)。
それでそのまま東京都美術館に入ることにした。

ゴッホは日本の浮世絵に大きな影響を受けた画家なので、その影響を探ろうと、今回の展覧会では彼の絵と、北斎や広重、国貞の浮世絵も同時に展示してある。
ゴッホも浮世絵も世界的に有名だから、どこかで見たことのある絵が多い。

いっしょに行った知り合いは、アール・ヌーボーの画家アルフォンス・ミュシャを女だと思っていた人である。
こういう相手だと知識をひけらかす絶好の機会だ。
ほれ、この構図、この大胆な省略、デフォルメ、こういうのが印象派の画家たちにとっては衝撃だったんだよと説明する。
ただまわりに大勢の見学者がいるからヘタなことはいえない。
デタラメいうと、注意はされなくても、腹の中でバカにされてしまう。

それにしても展覧会というと、どうしてああ静かなのだろう。
写真を撮ってはいけませんという注意書きはあっても、会話してはいけませんとは書いてないのに、みんな無言の行をしているみたいに押し黙っている。
おそらく無知なやつほど、こういうところでエラそうなことをいいたがると、みんなそう思っているからだろう。
わたしもそう思っているから、あまり専門的なことはいわないようにした。

このあいだカーク・ダグラスの、「炎の人ゴッホ」って映画がテレビで放映されてねと、こういう話題がいい。
アルルの跳ね橋がちゃんと復元されてて、郵便配達夫や医師のそっくりさんが出てきてと、これなら腹の中でバカにされることもないだろう。

最後は芳名録ということで、わざわざフランスまでゴッホの墓参りに行き、画家とゆかりのある医師ガシェの家を訪ねた日本人の記録まで展示されていた。
古い8ミリ映画で撮影された墓参団の映像があって、メンバーの中に和服に日本髪の女性も混じっていたのが興味深かった。
ゴッホが発狂も自殺もしなかったら、日本で墓参りツアーが企画されるほど名声を勝ち得ただろうか。

帰りに上野の森美術館のまえを通ったら、「怖い絵展」をまだやっていて、午後4時だというのに、入口に100メートルもの行列が出来ていた。
これは1カ月前に観に来て、あまりの混雑ぶりに入場を断念したときと変わっていない。
美術史的には斬首されるジェーン・グレイより、浮世絵の影響を受けたゴッホのほうが重要と思えるのに、この混雑はナンダ。
ホラーっていうのはそれだけ人気があるのか。
それともゴッホの絵は有名だからいつでも見られるけど、ジェーンの絵のほうはこの機会にしか観られないということか。
それなら納得できなくもない。
またそのうち来よう。

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2017年10月15日 (日)

怖い絵展

雨の日曜日だ。
こんな日に山や海に行くほど若くはない。
たまには精神修養を積もうと、今日は上野の森美術館へ絵を観に行ってきた。
絵というのは「怖い絵」展というやつだ。
といってもゲゲゲの鬼太郎みたいなのではなく、斬首される英国女王ジェーン・グレイを描いたような、れっきとした名画である。
わたしはピカソよりもこういう想像をふくらませられる絵の方が好きなのだ。

入口まで行って引き返した。
雨の日だからすいているかと思ったら、観衆が長蛇の列だ。
ただいま並ぶと入場まで100分だって。
自慢じゃないけど、わたしは行列に並ぶのが大キライだ。
いっしょに行った相棒もそんなわたしの性格をよく知っているから、ふたりでさっさとあきらめて、帰りはまた回転寿司を食って帰ってきた。
くそ、世間にはなんてヒマなやつらが多いのだ。

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2017年4月 3日 (月)

スラブ叙事詩

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昨日は六本木の国立新美術館まで、アルフォンス・ミュシャの「スラブ叙事詩」を観にいってきた。
ミュシャというのは、以前このブログにも書いたことがあるけど、欧州でアール・ヌーボーという芸術運動が盛んだったころ、その中心で活躍した画家(版画作家)である。
「スラブ叙事詩」は彼の晩年の大作で、どのくらい大作かということは、添付した写真を見れば一目瞭然。
いっしょに行った知り合いは、美術館に行くときだけはわりあい絵の勉強をしてくる人だけど、彼女でさえ、えっ、こんなでっかい絵だったのと驚いていた。
そういえばこの人は、以前三鷹の美術館に行ったとき、えっ、ミュシャって男だったのと驚いていた人でもある。

この絵はチェコで冷遇されていた期間が長く、いまでもミュシャの子孫と国のあいだでゴタゴタが続いているらしい。
そんな絵が全部そろって国外で展示されるのは、今回が初めてだそうだ。
金持ち日本の住人で、しかもその中心都市に住んでいると、こういうめずらしい絵をひょいと観られるという僥倖にしばしばめぐり会う。

わたしはミュシャが好きだけど、理由は彼の描く女性が、完璧なプロポーションで、とっても美しいからである。
こんなことを書くと、不真面目な鑑賞方法だということで、これだけでブログを見放されてしまいそう。
でもミュシャのファンで、描かれた女性の美しさ以外の理由で、彼が好きだという人がいるかどうか、はなはだ疑問である。
アール・ヌーボーの有名なポスターだって、花や生きものをちりばめた華麗な装飾のまん中に、ガマガエルみたいな女性がふんぞりかえっていたら、誰がそんなものを観たがるだろう。

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とまあ前置きが長いのは、今回のミュシャ展が絵の大きさ以外に、それほどの感動をもたらしてくれなかったからだ。
わたしは旅行に行くまえに現地について徹底的に調べるけど、「スラブ叙事詩」についても美術館に行くまえによく勉強してみた。
この絵の解説の中には、場所や人の名前に固有名詞がたくさん出てくるけど、知っている名前はほとんどない。

考えてみたら、わたしはスラブ民族についても、ロシアやウクライナあたりに住んでいる人たち、というていどの認識しかなく、チェコ人のミュシャがスラブの末裔であることすら知らなかった。
ウィキペディアを読んでみると、画家本人はスラブ民族の誇りを描こうという大望を持っていたみたいだけど、結果的にはそれはかなわなかったみたいである。
こんなよけいな知識を持ってしまったおかげで、巨大な絵に対する尊敬の念がいくらか消失。

じっさいにながめたミュシャの絵は、絵の具が盛り上がるようなはげしい筆使いではなく、ポスターカラーであっさり描いたようなタッチだった。
人物や背景は写実的にに描かれているけど、神話、伝説がテーマであるだけに、どこか様式的というか装飾的というか、型にはまったところがある。
似たような絵はロシアやイスタンブールでも見たことがあるし、はったり満点のハリウッド映画のポスターでもよく見かける。

それでも巨大な画面に、遠近感のある180度の壮大な世界を描ききってしまうのだから、画家の技術はたいしたものだ、ということぐらいは誉めておこう。
「スラブ叙事詩」が、画家の運命を悲劇的に転換させたこと、そうしたドラマチックな背景は見逃されるべきではないことも、強調しておこう。

でもミュシャらしい、きれいな女の子にスポットの当たった絵はぜんぜんなかった。
いくらか失望してして帰ってきたけど、大枚3200円(知り合いの分も)払ったのが惜しいとは思わない。
ひさしぶりに都心に出て、原宿の駅から美術館まで往復し、いい足の運動になっただけではなく、サクラの季節を目当てに訪日した白人の女の子をたくさん見たもんね。

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2015年5月18日 (月)

太田記念美術館

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知り合いが六本木の国立新美術館まで、「ルーブル美術館展」 を観に行きたいといいだした。
ロシアでエルミタージュを見てきたばかりのわたしは、なんか来日した作品がもの足りなくて、見学を保留していた展覧会である。
知り合いはルーブルと聞くと嬉しがる人。
それでもブログネタぐらいにはなるかなというさもしさでお付き合いするわたし。

原宿の駅から美術館まで歩いてしまえということで、表参道の雑踏の中を歩き出したら、すぐに路地の奥に 「太田記念美術館」 の看板を見つけた。
浮世絵専門の美術館として名前ぐらいは知っていたけど、こんなところにあったのかとウカツ。
この日の催し物は 「歌川広重と小林清親」 というものだったから、これもおもしろそうだというので、寄り道をしていくことにした。

広重はよく知っているけど、清親という画家についてはよく知らない。
広重は北斎とならぶ江戸浮世絵の大家で、清親はその画風を引き継いだ明治維新前後の画家ということだった。
残念だったのは、思っていたより小ぶりな作品が多く、うす暗い館内では老眼鏡をかけても細部がよく見えないこと。
もっと高いメガネにしないとだめだな。

日本の浮世絵版画は、その大胆な作風が印象派の画家たちに衝撃を与え、西洋絵画の発展に大きな影響をもたらしたことはよく知られている。
この展示でもそういう点が比較論証されていた。
これは日本人が自慢してもいいことだと思うけど、これほど美術史にとって重要なことがらを、おとなりの韓国では教科書に載せないそうである。
やれやれ、偏狭のきわみとつぶやいてしまう。

政治的問題はさておいて、広重らの風景画の中には思わず郷愁を誘われてしまうものがいくつもある。
おまえは江戸時代の人間かっていわれてしまいそう。
いやいや、わたしは昭和生まれの若僧だ (そのつもりだ)。
郷愁を感じるというのはこういうことである。

広重の作品などを見ると、デフォルメされた部分があるけれど、わたしはその部分を想像力で矯正してしまうのが得意な男だから、もとの景色を想像するのはむずかしくない。
カヤ葺きの屋根、田植えをする人々、大河の上をこぎゆく小舟、竹やぶのシルエット、畑のあいだの小道には、駕籠さえ通らないものの和服の女性はめずらしくなかったし、牛がいる馬がいる、放し飼いのイヌがいる、みんなわたしの子供時代にはまだかろうじて残っていたものばかりなのだ。
浮世絵に描かれた世界をながめるたびに、わたしは江戸時代の日本が、どれほど人間的で活性に満ちた社会であったかと思う。

感動に打ち震えながら太田美術館をあとにし、国立新美術館のほうに行ってみたら、もの好きが長い行列をつくっていたので、さっさとあきらめて、回転寿司を食って帰ってきた。

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2014年9月23日 (火)

翠子さん

昨日は仲間うちの寄りあいがあって府中まで出かけた。
どこで寄りあいをするかって、つまり飲み屋を探して、市内をうろうろ。
お目当ての店が見つからず、いいかげんくたびれたころ、府中街道と旧甲州街道がまじわるかどに、まっ黒にぬられた造り酒屋があったので、そこでひと休みしていくことにした。
この酒屋は万延2年に創設の古い店だそうで、建物の外観は土蔵を模したまっ黒なものだけど、内部は古風と近代の折衷したモダーンなものである。
酒店以外に喫茶室やギャラリーが併設されている。
なかなかいい雰囲気の店だけど、口コミ情報があふれているので、わたしはあえてそんなものに関わらない。

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喫茶室で軽くワインを飲んだあと、2階のギャラリーに顔を出してみた。
すぐに翠子 (すいこ) さんという、笑顔のすてきな女性が寄ってきた。
どういうふうにすてきかというと、甲斐性のある旦那と複数の子供にめぐまれて、家庭的に満ちたりた主婦の笑顔というか、思わずこっちも幸せな気分にされてしまうような笑顔である。

壁にかかげられた絵はこの翠子さんの作品だそうだ。
北斎ばりにデフォルメされた富士山や、ダルマさんの置かれた寺院の庭、花の咲きみだれる草原風景などがある。
最初ちょっとめんくらったけど、これはすべて刺繍で、今ふうにはファブリック・ピクチャーというのだそうだ。
絵画作品と比較してみると、マチスの室内画を思わせるものもあるし、全体としてグランマ・モーゼスのような、素朴派というべき系統の作品が多い。
たぶん翠子さんも純真な少女の気持ちを失っていない貴重な大人なのにちがいない。

ここに添付した花の絵は、富良野のラベンダーかと思って尋ねると、ヒソップですという。
そんな花の名前は知らなかったから、帰宅してネットで調べてみた。
ハーブや薬草として使われる花だそうで、柳薄荷 (ヤナギハッカ) という和名もあるらしい。
わたしがよく出かける野川公園の自然観察園でも、見たことがあるようなないような。

これって完成までにどのくらいかかりましたかと訊くと、半年という返事だった。
たいへんな労作である。
しかし油絵でも傑作とされるものの中には、そのくらい手間ひまをかけた絵はぎょうさんある。
刺繍でもなんでも、時間をかければかけるほど立派な作品に仕上がるものだし、この絵をみるかぎり、翠子さんの労苦はむくわれているように思える。

わたしの足は直前に飲んだワインでふらついていたけど、なんとか無事に階段を下りて、ギャラリーをあとにすることができた。
仲間たちは店のまえで待っていた。
彼らもギャラリーをのぞくような、いい意味での好奇心を持っていれば、2階ですてきな女性とお近づきになれたものを。

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2014年5月29日 (木)

叫び

ムンクの絵に 「叫び」 という傑作がある。
あちらは有名だけど、それじゃこっちの絵はどうだ。
この絵を描いたのは小山田二郎。
ごらんのとおりの前衛的画風だけど、これにタイトルをつけるなら、「叫び」 というのがぴったりじゃないか。

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あいかわらず本棚の整理をすこしづつ続けておりますが、本棚のすみっこから、ずっとむかし、三鷹市美術ギャラリーで開かれた 「日本の自画像展」 という絵画展のカタログが出てきた。
ホコリをはらって、ひさしぶりにページをめくってみたら、古今の著名な53名の画家の中で、いちばんインパクトのあったのがこの自画像だ。

小山田二郎は難病をかかえた不遇な人生と、あげた名声をみずから地に捨てるような奇矯な生き方をした画家である。
というものの、わたしはこのカタログを見るまで、この画家のことをぜんぜん知らなかった。
この絵に興味をもって画家のことを調べてみたら、ちょっと直視するのもムズカシイ、そんな悲惨な境遇の画家であることがわかった。
さればこそ、この作品にタイトルをつけるなら 「叫び」 で決まりだと思う。

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2014年1月13日 (月)

横須賀美術館

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うしろ向きに生きているわたしが、ときどきさらにうしろをふり返ることがある。
そんなときには宮沢賢治の童話や谷内六郎さんの絵が恋しくなる。
つまり郷愁ってものに魅かれるわけだ。

そういうわけで昨日は横須賀まで出かけた。
この街の美術館には谷内六郎さんの絵が常設で展示されているのである。
しかも、かって海上自衛隊にいたことのあるわたしにとって、横須賀のあたりはなつかしい思い出がごろごろしているところなのだ。
美術館のある観音崎にも思い出があるけど、その当時の景色がその当時のままであるはずは、もちろんナカッタ。

肝心の谷内六郎さんの絵を美術館で観るのに、いくらか不安があった。
谷内さんの絵でいちばんよく知られているのは週刊新潮の表紙に使われた連作で、こういうものは印刷されるとお役御免だから、そもそもほかの絵画のように芸術作品として描かれたわけではない。
マンガの原画などもそうだけど、印刷されたあとが作品なのであって、印刷されるまえはスクリーントーンや印刷指示の書き込みなど、作品以前のアラが目についてしまう場合がある。
しかも谷内さんの絵は、なにも知らない人が見たら、小学生が描いたのかいと誤解しかねない単純な水彩画がほとんどだ。
ひょっとすると原画を観てもがっかりしてしまうだけかもしれない。

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がっかりなんかしなかった。
ほとんどがどこかで観た絵だけど、過去に観たものはすべて印刷後のものばかりだから、うす暗い館内で、きちんと額に入れられた原画はやはり芸術作品だった。
このあたり、わたしの谷内さんへの思い入れはただならぬものがあるから、つい入れ込みすぎかもしれない。
なんだってかまわない。
マンガだろうが落書きだろうが、こころをしめつけるようなものがあれば、それはわたしにとってかけがえのない芸術なのである。

わたしは谷内さんと思い出を共有しているのだ。
空を写す水田、火の粉をまきちらす機関車、医院の赤い電灯、氷と染め抜いた茶屋の旗、火の見やぐらと夕焼け、さかさにのぞいた望遠鏡、西洋の教会やレンガ工場に感じた不安、畑のまん中に屹立して孤独や永遠を感じさせるポプラの木、たそがれどきに黒いシルエットになった竹やぶが人のかたちに見えるとか、その他その他、この人が描いた心象にまでつきぬける風景は、みんなわたしの思い出の中にもある。
自慢にはならないけど、子供時代にいじけっ子だったわたしは、そうした風物を見るこころまで谷内さんと共有していたかもしれない。

谷内六郎館の窓から、半透明のスクリーンごしに東京湾がのぞめる。
その向こうを汽船がひっきりなしに通過していく。
誰が考えたのか知らないけど、あるいはたまたまの偶然かもしれないけど、このスクリーンごしの風景がそのまま谷内六郎的世界でおもしろいと思った。

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2013年10月14日 (月)

京橋フィルム・センター

ターナーに失望したあと、もう一軒の美術館に寄ってみた。
美術館というより映画好きの聖地というべきところ、京橋にある国立近代美術館フィルム・センターである。
映画好きのわたしのくせに、これまでいちども入ってみたことがなかった。

行ったことがなかったのは、なんだかやけに中途半端なところにあるからである。
こういうものは上野の山のほとりか、北の丸公園か、六本木ヒルズの中にでもあればいいものを、これは丸の内・京橋のオフィス街の、それもはずれみたいなところにある。
なんか映画に関するいわれのある場所かと思って調べてみたけど、ぜんぜんそんなものはなさそうだった。
今回は、たまたまここでチェコの映画ポスター展というものをやっていて、おもしろそうだったので出かけてみたのである。

フィルム・センターはビルの七階にあった。
入ってみると巨大な映画カメラや、めずらしいモノクロ映像が見られるモニターや、古い日本映画のポスターがべたべた。
ざっと一巡するだけで、フィルム時代の日本映画史をなぞることができる。
カメラの技術的なことにはあまり興味がないけど、アニメの原点のような戦前の動画映像が観られたのはおもしろかった。

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チェコという国は、その映画の製作国の意向おかまいなしに、独自のポスターを作ってしまう国らしく、どれもこれも映画のポスターというよりアートの一種みたいである。
展示されていたポスターは80あまりだけど、映画好きのわたしにも、書かれている文字を読まないで、なんという映画なのか当てられたのはせいぜい10枚ぐらい。
ここに添付したのは、右側がジェーン・フォンドヴァ、いや、ジェーン・フォンダの 「バーバレラ」 であることは絵を見ただけでわかるけど、左側はサッパリ。
説明を読んでみて、ようやく 「甘い生活」 であることがわかった。
ふつうなら出演のアニタ・エクバーグをまん中にあしらうべきところ、これはまた大胆な。

一事が万事この調子だから、遠くのほうからながめて、あれはなんのポスターかと当てる楽しみがある。
どのポスターもチェコのデザイナーが独自の解釈で映画の内容を表現したってことで、街角の壁や電信柱に貼るには惜しい芸術的なポスターもあったけど、中には 「理由なき反抗」 みたいに、当てられる人がぜったいにいそうもないムチャな解釈もあった。

ここの見学者はいかにもデザイナー志望らしい若い女の子が多く、いや、ターナーに比べれば見学者はまったく多くなく、館内は不気味なくらいがらがらだったから、ひとり静かに思索するのにふさわしいところである。
ここでホラー映画の特集をやられたら、これはコワイ。

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ターナー展

さわやかな秋晴れにひきこもりでは仕方がないというので、昨日は都心まで出かけてきた。
観たい映画も催し物もとくにあるわけじゃなかったから、さしあたって目標がない。
総武線に乗って途方に暮れているうち、上野の美術館がターナー展をやっていることを思い出し、あまり熱意がわかないけど、とりあえずそれを観に行くことにした。

ターナーというと漱石の 「坊ちゃん」 の中に名前が出てくるというのが有名だ。
しかし有名な作家をけなすのが得意なわたしのことである。
今回の展覧会はぜんぜんつまらなかったとしかいいようがない。
それでも会場の東京都美術館は、もう一寸刻みでしか歩けないくらい物好きでいっぱいだった。

どうしてつまらなかったかというと、わたしは絵を観ると、つい想像をふくらませて、その描かれた風景の中をさまよってしまうタチである。
そういう目的では、たとえばロシアの画家たちの、具象的な絵はひじょうに具合がよかった。
ところがターナーの絵は、どこか曖昧模糊とした部分があって、描かれた風景を想像しにくいところがある。
たまに想像できても、ただの風光明媚な観光地みたいなところじゃ、歩いてみようって気にならない。

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似たような傾向の絵として、ターナーの 『死人を海に投げ込む奴隷船』(上) と、わたしがロシアで観てきたアイバゾフスキーの 『第九の波』(下) をくらべてみよう。
ターナーのほうが進歩的な絵に見えるけど、アイバゾフスキーのほうが場所や状況を想像しやすく、波のようすもはるかに本物らしく、迫力や感動も 『第九の波』 のほうがずっと大きい。

でも 『奴隷船』 なんかまだマシなほうで、ターナーの絵を間ぢかにながめると、その大部分は平坦で、刺激にとぼしく、わたしには古い教本どおりの絵にしか見えなかった。
ある場所にモネの 「印象・日の出」 みたいな絵があったけど、説明を読んでみたら未完成の作品と書いてあった。
これじゃあ前衛というわけにもいかない。

夏目漱石が英国に留学したのは明治26年(1893) のことである。
これはフランスで印象派の活躍がピークに到達した直後ぐらいだから、留学先が仏であれば、漱石は絵画の革命をその目で観ることができたはずだ。
そしたら彼はのちのち、モームの 「月と6ペンス」 みたいな小説が書けていたかも。
残念なことに英国ではまだまだ旧弊なアカデミズムが幅をきかせていたから、漱石はターナーの絵あたりを感心してながめているしかなかった。

そもそも漱石の青年時代は、油絵なんてまだめずらしいものだったはずである。
日本画や浮世絵しか知らない人間が、タイムマシンに乗っていきなり西洋の油絵世界にワープしたら、興奮して、やたらに感動してしまうこと請け合いだから、漱石が「坊ちゃん」の中で、どうです、教頭 (赤シャツ)、あの松の枝ぶり、まるでターナーじゃありませんかと野だいこにいわせても不思議じゃないのである。
しかしわたしは漱石よりずっとあとの人間で、ターナー以降の印象派も、前衛や抽象絵画も、現代の落書きみたいな絵も知っている。
こういう人間がターナーを古いとしか思えなくても、また不思議じゃないのである。

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2012年9月18日 (火)

レーピン展の2

「皇女ソフィア」 はレーピンが想像で描いた絵である。
想像で描いた絵はほかにもあって、たとえば自らが手を下した息子を抱きしめるイワン雷帝、死の直前のゴーゴリーを描いたものなどがある。
これらの人物も生まれた時代が違うから、レーピンがその現場にいあわせたわけじゃないけど、いずれも人間の狂気を描いてコワイくらい。
レーピンという画家は想像でもって人間の本質を再構成する名人だったようだ。

今回の展覧会では画家と同時代の人物の肖像画もたくさんあったけど、それはあまりおもしろくない。
ただアル中のムソルグスキーの絵のように、肖像画の範疇をはみだした肖像画だとか、ミスター・トレチャコフやレーピン本人の自画像など、絵以外の部分で興味のある肖像画がいくつかあった。
これってルノアールの真似じゃないのかといいたくなるような、屋外の陽光の下で描かれた印象派ふうの絵もあり、そうか、彼はフランスの印象派にも影響を与えていたのかと、あまり本気にされちゃ困るけど、そんなことを思いたくなる絵もあった。

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今回の展覧会でうれしい誤算は、「トルコのスルタンに反抗的な手紙を書くコサックたち」 という、レーピンの絵の中では、わたしが以前から観たいと思っていた絵があったこと。
トルコのスルタンが子分になれといってきたのを、ふざけんな、子分にしたけりゃ手をついてお願いに来いと、コサックたちが書記に返事の手紙をけしかけている図である。
頭はあんまり利口そうじゃないけど、肝っ玉だけは誰にもまけない、ロシアでも名うての反抗分子であるコサックたちが、そのひとりひとりまでじつに生き生きと描かれている。

ほかにわたしがぜひ観たいと思っているレーピンの絵には、「ヴォルガの船曳き」 や 「復活大祭の十字架行」 があるけど、「ヴォルガ」 についてはミニサイズの習作が、「復活大祭」 については絵の中の主要人物だけをクローズアップした絵があって、まわり道だけど最終作品への期待をふくらませるのに十分だった。
これらの絵については、そのうちロシアに行ったときの楽しみにとっておこう。
Bunkamuraには失望させられることもあるけど、今回のレーピン展は満足できるものだった。

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