美術館をめぐる

2017年4月 3日 (月)

スラブ叙事詩

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昨日は六本木の国立新美術館まで、アルフォンス・ミュシャの「スラブ叙事詩」を観にいってきた。
ミュシャというのは、以前このブログにも書いたことがあるけど、欧州でアール・ヌーボーという芸術運動が盛んだったころ、その中心で活躍した画家(版画作家)である。
「スラブ叙事詩」は彼の晩年の大作で、どのくらい大作かということは、添付した写真を見れば一目瞭然。
いっしょに行った知り合いは、美術館に行くときだけはわりあい絵の勉強をしてくる人だけど、彼女でさえ、えっ、こんなでっかい絵だったのと驚いていた。
そういえばこの人は、以前三鷹の美術館に行ったとき、えっ、ミュシャって男だったのと驚いていた人でもある。

この絵はチェコで冷遇されていた期間が長く、いまでもミュシャの子孫と国のあいだでゴタゴタが続いているらしい。
そんな絵が全部そろって国外で展示されるのは、今回が初めてだそうだ。
金持ち日本の住人で、しかもその中心都市に住んでいると、こういうめずらしい絵をひょいと観られるという僥倖にしばしばめぐり会う。

わたしはミュシャが好きだけど、理由は彼の描く女性が、完璧なプロポーションで、とっても美しいからである。
こんなことを書くと、不真面目な鑑賞方法だということで、これだけでブログを見放されてしまいそう。
でもミュシャのファンで、描かれた女性の美しさ以外の理由で、彼が好きだという人がいるかどうか、はなはだ疑問である。
アール・ヌーボーの有名なポスターだって、花や生きものをちりばめた華麗な装飾のまん中に、ガマガエルみたいな女性がふんぞりかえっていたら、誰がそんなものを観たがるだろう。

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とまあ前置きが長いのは、今回のミュシャ展が絵の大きさ以外に、それほどの感動をもたらしてくれなかったからだ。
わたしは旅行に行くまえに現地について徹底的に調べるけど、「スラブ叙事詩」についても美術館に行くまえによく勉強してみた。
この絵の解説の中には、場所や人の名前に固有名詞がたくさん出てくるけど、知っている名前はほとんどない。

考えてみたら、わたしはスラブ民族についても、ロシアやウクライナあたりに住んでいる人たち、というていどの認識しかなく、チェコ人のミュシャがスラブの末裔であることすら知らなかった。
ウィキペディアを読んでみると、画家本人はスラブ民族の誇りを描こうという大望を持っていたみたいだけど、結果的にはそれはかなわなかったみたいである。
こんなよけいな知識を持ってしまったおかげで、巨大な絵に対する尊敬の念がいくらか消失。

じっさいにながめたミュシャの絵は、絵の具が盛り上がるようなはげしい筆使いではなく、ポスターカラーであっさり描いたようなタッチだった。
人物や背景は写実的にに描かれているけど、神話、伝説がテーマであるだけに、どこか様式的というか装飾的というか、型にはまったところがある。
似たような絵はロシアやイスタンブールでも見たことがあるし、はったり満点のハリウッド映画のポスターでもよく見かける。

それでも巨大な画面に、遠近感のある180度の壮大な世界を描ききってしまうのだから、画家の技術はたいしたものだ、ということぐらいは誉めておこう。
「スラブ叙事詩」が、画家の運命を悲劇的に転換させたこと、そうしたドラマチックな背景は見逃されるべきではないことも、強調しておこう。

でもミュシャらしい、きれいな女の子にスポットの当たった絵はぜんぜんなかった。
いくらか失望してして帰ってきたけど、大枚3200円(知り合いの分も)払ったのが惜しいとは思わない。
ひさしぶりに都心に出て、原宿の駅から美術館まで往復し、いい足の運動になっただけではなく、サクラの季節を目当てに訪日した白人の女の子をたくさん見たもんね。

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2015年5月18日 (月)

太田記念美術館

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知り合いが六本木の国立新美術館まで、「ルーブル美術館展」 を観に行きたいといいだした。
ロシアでエルミタージュを見てきたばかりのわたしは、なんか来日した作品がもの足りなくて、見学を保留していた展覧会である。
知り合いはルーブルと聞くと嬉しがる人。
それでもブログネタぐらいにはなるかなというさもしさでお付き合いするわたし。

原宿の駅から美術館まで歩いてしまえということで、表参道の雑踏の中を歩き出したら、すぐに路地の奥に 「太田記念美術館」 の看板を見つけた。
浮世絵専門の美術館として名前ぐらいは知っていたけど、こんなところにあったのかとウカツ。
この日の催し物は 「歌川広重と小林清親」 というものだったから、これもおもしろそうだというので、寄り道をしていくことにした。

広重はよく知っているけど、清親という画家についてはよく知らない。
広重は北斎とならぶ江戸浮世絵の大家で、清親はその画風を引き継いだ明治維新前後の画家ということだった。
残念だったのは、思っていたより小ぶりな作品が多く、うす暗い館内では老眼鏡をかけても細部がよく見えないこと。
もっと高いメガネにしないとだめだな。

日本の浮世絵版画は、その大胆な作風が印象派の画家たちに衝撃を与え、西洋絵画の発展に大きな影響をもたらしたことはよく知られている。
この展示でもそういう点が比較論証されていた。
これは日本人が自慢してもいいことだと思うけど、これほど美術史にとって重要なことがらを、おとなりの韓国では教科書に載せないそうである。
やれやれ、偏狭のきわみとつぶやいてしまう。

政治的問題はさておいて、広重らの風景画の中には思わず郷愁を誘われてしまうものがいくつもある。
おまえは江戸時代の人間かっていわれてしまいそう。
いやいや、わたしは昭和生まれの若僧だ (そのつもりだ)。
郷愁を感じるというのはこういうことである。

広重の作品などを見ると、デフォルメされた部分があるけれど、わたしはその部分を想像力で矯正してしまうのが得意な男だから、もとの景色を想像するのはむずかしくない。
カヤ葺きの屋根、田植えをする人々、大河の上をこぎゆく小舟、竹やぶのシルエット、畑のあいだの小道には、駕籠さえ通らないものの和服の女性はめずらしくなかったし、牛がいる馬がいる、放し飼いのイヌがいる、みんなわたしの子供時代にはまだかろうじて残っていたものばかりなのだ。
浮世絵に描かれた世界をながめるたびに、わたしは江戸時代の日本が、どれほど人間的で活性に満ちた社会であったかと思う。

感動に打ち震えながら太田美術館をあとにし、国立新美術館のほうに行ってみたら、もの好きが長い行列をつくっていたので、さっさとあきらめて、回転寿司を食って帰ってきた。

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2014年9月23日 (火)

翠子さん

昨日は仲間うちの寄りあいがあって府中まで出かけた。
どこで寄りあいをするかって、つまり飲み屋を探して、市内をうろうろ。
お目当ての店が見つからず、いいかげんくたびれたころ、府中街道と旧甲州街道がまじわるかどに、まっ黒にぬられた造り酒屋があったので、そこでひと休みしていくことにした。
この酒屋は万延2年に創設の古い店だそうで、建物の外観は土蔵を模したまっ黒なものだけど、内部は古風と近代の折衷したモダーンなものである。
酒店以外に喫茶室やギャラリーが併設されている。
なかなかいい雰囲気の店だけど、口コミ情報があふれているので、わたしはあえてそんなものに関わらない。

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喫茶室で軽くワインを飲んだあと、2階のギャラリーに顔を出してみた。
すぐに翠子 (すいこ) さんという、笑顔のすてきな女性が寄ってきた。
どういうふうにすてきかというと、甲斐性のある旦那と複数の子供にめぐまれて、家庭的に満ちたりた主婦の笑顔というか、思わずこっちも幸せな気分にされてしまうような笑顔である。

壁にかかげられた絵はこの翠子さんの作品だそうだ。
北斎ばりにデフォルメされた富士山や、ダルマさんの置かれた寺院の庭、花の咲きみだれる草原風景などがある。
最初ちょっとめんくらったけど、これはすべて刺繍で、今ふうにはファブリック・ピクチャーというのだそうだ。
絵画作品と比較してみると、マチスの室内画を思わせるものもあるし、全体としてグランマ・モーゼスのような、素朴派というべき系統の作品が多い。
たぶん翠子さんも純真な少女の気持ちを失っていない貴重な大人なのにちがいない。

ここに添付した花の絵は、富良野のラベンダーかと思って尋ねると、ヒソップですという。
そんな花の名前は知らなかったから、帰宅してネットで調べてみた。
ハーブや薬草として使われる花だそうで、柳薄荷 (ヤナギハッカ) という和名もあるらしい。
わたしがよく出かける野川公園の自然観察園でも、見たことがあるようなないような。

これって完成までにどのくらいかかりましたかと訊くと、半年という返事だった。
たいへんな労作である。
しかし油絵でも傑作とされるものの中には、そのくらい手間ひまをかけた絵はぎょうさんある。
刺繍でもなんでも、時間をかければかけるほど立派な作品に仕上がるものだし、この絵をみるかぎり、翠子さんの労苦はむくわれているように思える。

わたしの足は直前に飲んだワインでふらついていたけど、なんとか無事に階段を下りて、ギャラリーをあとにすることができた。
仲間たちは店のまえで待っていた。
彼らもギャラリーをのぞくような、いい意味での好奇心を持っていれば、2階ですてきな女性とお近づきになれたものを。

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2014年5月29日 (木)

叫び

ムンクの絵に 「叫び」 という傑作がある。
あちらは有名だけど、それじゃこっちの絵はどうだ。
この絵を描いたのは小山田二郎。
ごらんのとおりの前衛的画風だけど、これにタイトルをつけるなら、「叫び」 というのがぴったりじゃないか。

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あいかわらず本棚の整理をすこしづつ続けておりますが、本棚のすみっこから、ずっとむかし、三鷹市美術ギャラリーで開かれた 「日本の自画像展」 という絵画展のカタログが出てきた。
ホコリをはらって、ひさしぶりにページをめくってみたら、古今の著名な53名の画家の中で、いちばんインパクトのあったのがこの自画像だ。

小山田二郎は難病をかかえた不遇な人生と、あげた名声をみずから地に捨てるような奇矯な生き方をした画家である。
というものの、わたしはこのカタログを見るまで、この画家のことをぜんぜん知らなかった。
この絵に興味をもって画家のことを調べてみたら、ちょっと直視するのもムズカシイ、そんな悲惨な境遇の画家であることがわかった。
さればこそ、この作品にタイトルをつけるなら 「叫び」 で決まりだと思う。

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2014年1月13日 (月)

横須賀美術館

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うしろ向きに生きているわたしが、ときどきさらにうしろをふり返ることがある。
そんなときには宮沢賢治の童話や谷内六郎さんの絵が恋しくなる。
つまり郷愁ってものに魅かれるわけだ。

そういうわけで昨日は横須賀まで出かけた。
この街の美術館には谷内六郎さんの絵が常設で展示されているのである。
しかも、かって海上自衛隊にいたことのあるわたしにとって、横須賀のあたりはなつかしい思い出がごろごろしているところなのだ。
美術館のある観音崎にも思い出があるけど、その当時の景色がその当時のままであるはずは、もちろんナカッタ。

肝心の谷内六郎さんの絵を美術館で観るのに、いくらか不安があった。
谷内さんの絵でいちばんよく知られているのは週刊新潮の表紙に使われた連作で、こういうものは印刷されるとお役御免だから、そもそもほかの絵画のように芸術作品として描かれたわけではない。
マンガの原画などもそうだけど、印刷されたあとが作品なのであって、印刷されるまえはスクリーントーンや印刷指示の書き込みなど、作品以前のアラが目についてしまう場合がある。
しかも谷内さんの絵は、なにも知らない人が見たら、小学生が描いたのかいと誤解しかねない単純な水彩画がほとんどだ。
ひょっとすると原画を観てもがっかりしてしまうだけかもしれない。

じっさいにはどうだったのかつうと
がっかりなんかしなかった。
ほとんどがどこかで観た絵だけど、過去に観たものはすべて印刷後のものばかりだから、うす暗い館内で、きちんと額に入れられた原画はやはり芸術作品だった。
このあたり、わたしの谷内さんへの思い入れはただならぬものがあるから、つい入れ込みすぎかもしれない。
なんだってかまわない。
マンガだろうが落書きだろうが、こころをしめつけるようなものがあれば、それはわたしにとってかけがえのない芸術なのである。

わたしは谷内さんと思い出を共有しているのだ。
空を写す水田、火の粉をまきちらす機関車、医院の赤い電灯、氷と染め抜いた茶屋の旗、火の見やぐらと夕焼け、さかさにのぞいた望遠鏡、西洋の教会やレンガ工場に感じた不安、畑のまん中に屹立して孤独や永遠を感じさせるポプラの木、たそがれどきに黒いシルエットになった竹やぶが人のかたちに見えるとか、その他その他、この人が描いた心象にまでつきぬける風景は、みんなわたしの思い出の中にもある。
自慢にはならないけど、子供時代にいじけっ子だったわたしは、そうした風物を見るこころまで谷内さんと共有していたかもしれない。

谷内六郎館の窓から、半透明のスクリーンごしに東京湾がのぞめる。
その向こうを汽船がひっきりなしに通過していく。
誰が考えたのか知らないけど、あるいはたまたまの偶然かもしれないけど、このスクリーンごしの風景がそのまま谷内六郎的世界でおもしろいと思った。

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2013年10月14日 (月)

京橋フィルム・センター

ターナーに失望したあと、もう一軒の美術館に寄ってみた。
美術館というより映画好きの聖地というべきところ、京橋にある国立近代美術館フィルム・センターである。
映画好きのわたしのくせに、これまでいちども入ってみたことがなかった。

行ったことがなかったのは、なんだかやけに中途半端なところにあるからである。
こういうものは上野の山のほとりか、北の丸公園か、六本木ヒルズの中にでもあればいいものを、これは丸の内・京橋のオフィス街の、それもはずれみたいなところにある。
なんか映画に関するいわれのある場所かと思って調べてみたけど、ぜんぜんそんなものはなさそうだった。
今回は、たまたまここでチェコの映画ポスター展というものをやっていて、おもしろそうだったので出かけてみたのである。

フィルム・センターはビルの七階にあった。
入ってみると巨大な映画カメラや、めずらしいモノクロ映像が見られるモニターや、古い日本映画のポスターがべたべた。
ざっと一巡するだけで、フィルム時代の日本映画史をなぞることができる。
カメラの技術的なことにはあまり興味がないけど、アニメの原点のような戦前の動画映像が観られたのはおもしろかった。

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チェコという国は、その映画の製作国の意向おかまいなしに、独自のポスターを作ってしまう国らしく、どれもこれも映画のポスターというよりアートの一種みたいである。
展示されていたポスターは80あまりだけど、映画好きのわたしにも、書かれている文字を読まないで、なんという映画なのか当てられたのはせいぜい10枚ぐらい。
ここに添付したのは、右側がジェーン・フォンドヴァ、いや、ジェーン・フォンダの 「バーバレラ」 であることは絵を見ただけでわかるけど、左側はサッパリ。
説明を読んでみて、ようやく 「甘い生活」 であることがわかった。
ふつうなら出演のアニタ・エクバーグをまん中にあしらうべきところ、これはまた大胆な。

一事が万事この調子だから、遠くのほうからながめて、あれはなんのポスターかと当てる楽しみがある。
どのポスターもチェコのデザイナーが独自の解釈で映画の内容を表現したってことで、街角の壁や電信柱に貼るには惜しい芸術的なポスターもあったけど、中には 「理由なき反抗」 みたいに、当てられる人がぜったいにいそうもないムチャな解釈もあった。

ここの見学者はいかにもデザイナー志望らしい若い女の子が多く、いや、ターナーに比べれば見学者はまったく多くなく、館内は不気味なくらいがらがらだったから、ひとり静かに思索するのにふさわしいところである。
ここでホラー映画の特集をやられたら、これはコワイ。

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ターナー展

さわやかな秋晴れにひきこもりでは仕方がないというので、昨日は都心まで出かけてきた。
観たい映画も催し物もとくにあるわけじゃなかったから、さしあたって目標がない。
総武線に乗って途方に暮れているうち、上野の美術館がターナー展をやっていることを思い出し、あまり熱意がわかないけど、とりあえずそれを観に行くことにした。

ターナーというと漱石の 「坊ちゃん」 の中に名前が出てくるというのが有名だ。
しかし有名な作家をけなすのが得意なわたしのことである。
今回の展覧会はぜんぜんつまらなかったとしかいいようがない。
それでも会場の東京都美術館は、もう一寸刻みでしか歩けないくらい物好きでいっぱいだった。

どうしてつまらなかったかというと、わたしは絵を観ると、つい想像をふくらませて、その描かれた風景の中をさまよってしまうタチである。
そういう目的では、たとえばロシアの画家たちの、具象的な絵はひじょうに具合がよかった。
ところがターナーの絵は、どこか曖昧模糊とした部分があって、描かれた風景を想像しにくいところがある。
たまに想像できても、ただの風光明媚な観光地みたいなところじゃ、歩いてみようって気にならない。

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似たような傾向の絵として、ターナーの 『死人を海に投げ込む奴隷船』(上) と、わたしがロシアで観てきたアイバゾフスキーの 『第九の波』(下) をくらべてみよう。
ターナーのほうが進歩的な絵に見えるけど、アイバゾフスキーのほうが場所や状況を想像しやすく、波のようすもはるかに本物らしく、迫力や感動も 『第九の波』 のほうがずっと大きい。

でも 『奴隷船』 なんかまだマシなほうで、ターナーの絵を間ぢかにながめると、その大部分は平坦で、刺激にとぼしく、わたしには古い教本どおりの絵にしか見えなかった。
ある場所にモネの 「印象・日の出」 みたいな絵があったけど、説明を読んでみたら未完成の作品と書いてあった。
これじゃあ前衛というわけにもいかない。

夏目漱石が英国に留学したのは明治26年(1893) のことである。
これはフランスで印象派の活躍がピークに到達した直後ぐらいだから、留学先が仏であれば、漱石は絵画の革命をその目で観ることができたはずだ。
そしたら彼はのちのち、モームの 「月と6ペンス」 みたいな小説が書けていたかも。
残念なことに英国ではまだまだ旧弊なアカデミズムが幅をきかせていたから、漱石はターナーの絵あたりを感心してながめているしかなかった。

そもそも漱石の青年時代は、油絵なんてまだめずらしいものだったはずである。
日本画や浮世絵しか知らない人間が、タイムマシンに乗っていきなり西洋の油絵世界にワープしたら、興奮して、やたらに感動してしまうこと請け合いだから、漱石が「坊ちゃん」の中で、どうです、教頭 (赤シャツ)、あの松の枝ぶり、まるでターナーじゃありませんかと野だいこにいわせても不思議じゃないのである。
しかしわたしは漱石よりずっとあとの人間で、ターナー以降の印象派も、前衛や抽象絵画も、現代の落書きみたいな絵も知っている。
こういう人間がターナーを古いとしか思えなくても、また不思議じゃないのである。

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2012年9月18日 (火)

レーピン展の2

「皇女ソフィア」 はレーピンが想像で描いた絵である。
想像で描いた絵はほかにもあって、たとえば自らが手を下した息子を抱きしめるイワン雷帝、死の直前のゴーゴリーを描いたものなどがある。
これらの人物も生まれた時代が違うから、レーピンがその現場にいあわせたわけじゃないけど、いずれも人間の狂気を描いてコワイくらい。
レーピンという画家は想像でもって人間の本質を再構成する名人だったようだ。

今回の展覧会では画家と同時代の人物の肖像画もたくさんあったけど、それはあまりおもしろくない。
ただアル中のムソルグスキーの絵のように、肖像画の範疇をはみだした肖像画だとか、ミスター・トレチャコフやレーピン本人の自画像など、絵以外の部分で興味のある肖像画がいくつかあった。
これってルノアールの真似じゃないのかといいたくなるような、屋外の陽光の下で描かれた印象派ふうの絵もあり、そうか、彼はフランスの印象派にも影響を与えていたのかと、あまり本気にされちゃ困るけど、そんなことを思いたくなる絵もあった。

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今回の展覧会でうれしい誤算は、「トルコのスルタンに反抗的な手紙を書くコサックたち」 という、レーピンの絵の中では、わたしが以前から観たいと思っていた絵があったこと。
トルコのスルタンが子分になれといってきたのを、ふざけんな、子分にしたけりゃ手をついてお願いに来いと、コサックたちが書記に返事の手紙をけしかけている図である。
頭はあんまり利口そうじゃないけど、肝っ玉だけは誰にもまけない、ロシアでも名うての反抗分子であるコサックたちが、そのひとりひとりまでじつに生き生きと描かれている。

ほかにわたしがぜひ観たいと思っているレーピンの絵には、「ヴォルガの船曳き」 や 「復活大祭の十字架行」 があるけど、「ヴォルガ」 についてはミニサイズの習作が、「復活大祭」 については絵の中の主要人物だけをクローズアップした絵があって、まわり道だけど最終作品への期待をふくらませるのに十分だった。
これらの絵については、そのうちロシアに行ったときの楽しみにとっておこう。
Bunkamuraには失望させられることもあるけど、今回のレーピン展は満足できるものだった。

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レーピン展の1

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渋谷まで出かけて、レーピンの絵を観てきた。
イリヤ・レーピンはロシアでもっとも有名な画家である。
今回の展覧会では、彼の奥さんが椅子の上でうとうとしている絵が売りモノだったようだけど、わたしにはそれより「皇女ソフィア」という絵に興味をもった。

皇女ソフィアというのは、ウィキペディアの受け売りでいうと、ロシアの女君主として有名なソフィア・アレクセーエヴナのことだそうだ。
彼女はまだ幼い2人の弟の摂政になり、女帝として権勢を一身に集めるのだが、たまたま弟のひとりがロシア歴代の皇帝のなかでもとくに大物のピョートル一世だったために、彼が成長するとたちまち権力をはく奪されてしまう。

修道院に幽閉されたソフィアが、ある朝、今日も元気だ、コーヒーがうまいなんて調子で窓から外をながめたら、そこに自分の愛する部下たちが縛り首になってぶら下がっていた。
ぬぬぬっと怒り心頭に発しちゃった場面がこの絵である。
彼女のうしろでは、召使の小娘が、こっちにまでとばっちりが来そう、コワイわぁとおびえている。
本物の絵をまえにすると、召使の印象はわたしが想像していたものとは違っていたけど、まあ、そんな歴史のひとコマを切り取ったような、ひじょうに物語性のある絵である。

レーピンは皇女ソフィアとは別時代の人だから、この絵はすべて想像で描かれたものだ。
だからじっさいの皇女がこんなに太っていたかどうかはわからない。
レーピンは一般論を用いたのかもしれない。
ロシアの女性なら、ある程度のトシになると、とうぜん太っているはずだと。
例外もあるけど、それはあくまで例外なのである。

この画像で見てもわかるけど、皇女の衣装の質感、光沢など、まるで写真のように細密な描写がされていて、いったいどんなテクニックを使ったのかと、絵に興味のある当方にとっては素朴な疑問。
そこで本物の絵の衣装の部分を凝視してみた。
凝視も凝視、30センチまで顔を近づけて凝視した。
ところがその距離で観察すると、絵の具を筆でごたごたと塗りたくったようにしか見えない (あたりまえか)。
それがじりじりと後ずさりして3メートル以上はなれると、たちまち写真のような細密画になってしまうのである。
ううむと嘆息。
これじゃ魔法だ。
まさに名人芸だ。

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2012年8月 6日 (月)

真珠の耳飾りの少女

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上野にある東京都美術館で「真珠の耳飾りの少女」を観てきた。
暑いなか、わざわざ出かけたのは、ブログのネタになるかもというのがひとつ、ハイブロウな人間であると錯覚したいという願望がひとつ、カワイ子ちゃんの絵であるからというのがひとつで、知的な好奇心ではないみたい。
午後の遅い時間に行ったせいか、館内は想像していたよりもすいていて、楽な気分で観られたのはこちらの作戦勝ち。
1~2時間ならんでも観ようという熱狂的な野次馬のピークは過ぎたのかもしれない。

「真珠の」についていうと、行くまえからNHKの特集番組を観たり、わたしが購読している朝日新聞の記事を読んだりして(朝日新聞はこの絵画展の共同主催者なのだ)、それなりの知識を得ていたから、なにをいまさらという感じがしないでもなかった。
ゴーギャンやゴヤのときもそうで、話題になっている絵画展の場合、いつもだいたいそう思う。
今回の絵画展ではレンブラントの自画像なんてものもあって、それだけでも観る価値があったから、がっかりはしなかったけど。

カワイ子ちゃんの細部をながめると、なんとなくあいまいなタッチで、写真でいうところのソフトフォーカスみたいな効果を出しており、半開きにした口もとがじつになまめかしい。
このへんの作画のテクニックについては、ほんの小さな光のポイントが絶大な効果を発揮しているんですよなどと、NHKの番組に詳しかった。
青いターバンにはひじょうに高価な染料が使われているそうだけど、そんなことは絵を観たってわからない。
薄暗い部屋の中で、そこだけ照明をあてられ、みんなの視線を一手に引き受けて、彼女はなんとなく恥ずかしそうだった。
わたしは描かれた人物に感情移入できてしまう人なのだ。

こういう絵は、自分の部屋の壁に展示し、ひとりで後生大事に鑑賞するのがふさわしい。
美少女をアパートに監禁し、独占したいという変態男の願望みたいだけど、そのつもりで帰りに彼女の絵をあしらったマグネットを買ってきた。
これを部屋のどこかにペタンとはりつけて、朝な夕なに鑑賞するつもり。
ところが帰宅していささか困惑。
わたしの部屋はIT機器ばかりで、そんなものに磁石をはりつけるわけにはいかない。
仕方がないから冷蔵庫の扉にはりつけた。
これでも暑い日中、ビールを飲むたびに彼女をながめられるわけだ。

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