舞台を観る

2020年11月23日 (月)

闘う白鳥

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マイヤ・プリセツカヤの「闘う白鳥」、読み終わったから感想を、いちおう書いておこう。
バレエやプリセツカヤに関心のある人は、けっこう世間に多いらしく、この本の書評や個人に対する感想もたくさんあるから、へそまがりのわたしは別の視点からひっかいてやろうと思う。

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マイヤの人生についてはよく知られている。
彼女はまだ幼いころに、父親を悪名高いロシアの秘密警察に粛清された(皮肉なことにバレリーナとして天分を発揮しはじめたマイヤは、父親を逮捕した秘密警察員のまえでも踊ったことがあるという)。
こうした体験が、権力に対する不信と反逆精神をマイヤの脳裏に刻みこみ、彼女の前半生は非人間的なソ連の官僚主義との闘いに終始した。
とまあ、こういうことは彼女を知る人には常識である。

しかしもちろん、お上に逆らって無事でいられないのが、当時のロシアだ。
ソ連時代にもロシアのバレエ団が西側で公演することはよくあったけど、マイヤは徹底的に参加メンバーからはずされる。
ロシアのダンサーはヌレエフやバリシニコフのように、海外公演をもっけの幸いと亡命することが多かったから、ロシア文化省もそうそうかんたんには許可を出さないのだ。
外国で演じたい。
このへんは、本場の米国で勝負したいとねがったプロ野球の野茂英雄に似ている。
彼女の闘いは続くのである。

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16歳にしてボリショイの舞台に立ったマイヤは、すでに大器の片鱗をあらわしていた。
実力がついてくると、人間ハナっぱしらが強くなるのは洋の東西を問わない。
あるとき彼女は、新聞(もちろん国家の御用新聞だ)のバレエ批評欄に自分の名前がないと、ボリショイの総裁のところに怒鳴り込んだことがある。
これはひじょうに危険な行為のはずだけど、彼女が粛清や流刑をまぬがれたのは、ロシアでは芸術家に対する尊敬の念が、細々ながらあり続けたからかもしれない。

こんな反抗的な性格がたたって、あいかわらず仕事を干されたり、いやがらせが続いた。
彼女の闘いは続く。
しかしロシアの雪解けは着実に進んでおり、時代はしだいに彼女の有利に傾いていった。

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国内に幽囚状態だったマイヤだけど、苦労して状況を変えてゆき、ついに米国公演に参加するところまできた。
当時はケネディ大統領の時代で、つまりまだ冷戦のまっ最中で、アメリカ人は評判ばかりが先行していたこの希代のバレリーナを、ひと目見ようと大騒ぎだ。
これはソ連という国へのあてこすりもあったのだろうけど、大統領まで乗り出して、連日パーティーだ、晩餐会だとマイヤを歓待する。
とくにケネディの弟のロバートは、向こうから紹介してくれと頼み込んでマイヤにせまった。
ケネディ兄弟といえば女ぐせのわるさで有名だから、下ごころがあったことは間違いがない。
下ごころなしに花束を贈ったり、食事に誘う男はめったにいないものだ。

そういうわけですこし心配になるけど、わたしがマイヤの貞操について心配しても仕方がない。
ただ彼女も資本主義に毒されてない純情なロシア娘だったから、米国で歓迎されて、いささか舞い上がっちゃったようだ。
彼女はアメリカで、指揮者のレナード・バーンスタイン、俳優のイングリット・バーグマン、オードリー・ヘプバーン、シャーリー・マクレーンなど、そうそうたる顔ぶれのセレブと知り合ったことをうれしそうに書いている。
しかし芸能週刊誌じゃあるまいし、そんなものはわたしには別世界の話だから、さっさと読み飛ばして先に行こう。
屈折してやがんなといわれそう。

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彼女の米国公演は大成功だった。
しかし・・・・
ここで共産主義国の給料システムについて触れておくと、海外で公演しても劇場から演技者に支払われる出演料は、その大部分を国家がピンハネし、演技者にはスズメの涙ていどしか支払われない。
これは現代でも北朝鮮がいい例だ。
アメリカ公演でマイヤがもらった日当はたったの40ドルで、あとで「子犬を連れた貴婦人」に出演したイヌの出演料は700ドルだったそうだ。

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マイヤの本を読んでいると、ときどき彼女も女性だなと思わせられる箇所に出くわす。
人間に対する好ききらいがはっきりしていて、自分に好意的な人は持ち上げるけど、自分をいじめた人物についてはあとあとまでネにもつ。
これは女性にありがちな性格だ。
振付師のグリゴローウィチと仲がわるかったというのは、両方のファンであるわたしにはコマッタ、コマッタ。

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米国公演以降のマイヤは順風満帆というところだけど、芸術家としての創作本能がうずいたのか、つぎの境地をめざし始める。
それがキューバの振付師アルベルト・アロンソとのコラボである「カルメン組曲」だ。
あんなひわいな踊りは認めませんと、これはわたしではなく、ボリショイ劇場の総裁がいったことなんだけど、保守的な先輩ダンサーにはそうとうイヤらしい踊りに見えたらしい。
これでまたマイヤの反抗心に火がついた。

ひわいといわれるとすぐに気になる人もいるだろうけど、どうしてもその舞台を観たい人は、YouTubeでマイヤのカルメンを探してみればよい。
そんなこといったって、だいたいバレエって、短いスカートの美人が大股をひろげちゃって、みんなひわいじゃないのという人もいるかもしれない。
しかし白鳥の湖の清純なお姫さまが下着をチラ見させるのと、マイヤのカルメンが太ももをドン・ホセにすりつけるのとでは、やっぱりひわいの度合いがちがう。

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伝統と格式に固執する総裁とマイヤは、激しい口調で応酬する。
あんないやらしいバレエばかりになったらボリショイはどうなりますか!
どうにもなりません、いままでどおり腐敗するだけです!
こうなると売り言葉に買い言葉だけど、それでもマイヤが無事でいられたのはなぜか。
じつは彼女はこのすこしまえに、ソ連で最高の栄誉とされるレーニン賞を受賞していた。
名実ともにロシア最高のバレリーナというお墨付きをもらったようなもので、もはやちょっとやそっとわがままをいっても、ホームレスになる心配はないポジションである。

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けっきょくマイヤは勝利をおさめ、この後の彼女はおおっぴらに海外に飛躍していく。
彼女の進出先には日本も含まれ、この本では日本舞踊の井上八千代さんの踊りに感心したことや、熱心な日本人ファンのことも触れられている。
最近の YouTube なんか見ると、日本びいきのロシア娘がやたらに増えているけど、彼女はそういう面でも先駆者といっていい人だったのだ。

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マイヤ・プリセツカヤの偉大さは、最後までロシアに踏みとどまって、横暴な官僚主義に抵抗したことと、革新的なバレエ、カルメンを演じたことだろう。
彼女は鉄のカーテンをこじあけ、あとに続く者たちに自由世界への扉を開いたのである。
このあとロシアのダンサーたちは、ローラン・プティ、バランシン、ベジャール等の前衛バレエさえ踊ることになるのだ。

・・・・ひわいの度合いもいよいよ増したかもしれない。
YouTube にマイヤのカルメンを引き継いだスヴェトラーナ・ザハーロワの映像が上がっているけど、これを観てあなたはどう思う?

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2020年11月 9日 (月)

コジ・ファン・トゥッテ

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昨夜のBSプレミアムシアターは、オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」という作品。
もちろんぜんぜん観たことも聞いたこともない舞台だから、観るまえにいろいろ調べてみた。
タイトルの意味は、女がみんなすること、もしくは女の学校” というらしい。
することというのはなにをどうするのか、ひじょうに気になったけど、内容が不道徳というということで、ワーグナーなどもケシカランと非難したそうである。
ワーグナーといえば堅物のドイツ人というイメージだから、これではよけいに期待がふくらんでしまう。

同時に放映されたドキュメンタリーによると、2020年7月というから、ちょうどコロナのまっ最中に上演されたオペラで、主催者もこの時期に上演するべきかどうかと悩んだ舞台らしい。
しかし伝統あるザルツブルク音楽祭を、ウイルスごときで中断してなるものかと、最後は意地になったか、ヤケになったか。
でもテレビで観るぶんには伝染するおそれはないから、わたしはやっぱり得した気分だ。

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舞台は白を基調とした、病院のように清潔さを感じさせるもので、マスクをかけた看護婦さんも登場する。
そこまではいいんだけど、登場人物のふたりの女性(姉妹ということらしい)が、べたべたと抱き合って濃厚接触はするし、カーテンコールでは主役と指揮者も抱き合うし、オーケストラボックスの楽団員たちも、ソーシャルディスタンスを守っているとはとてもいえない。
これでは舞台終了後にまたパンデミックスが起きたのではないかと心配だ。
ええ、録画しただけで、まだ中身は早送りでしか観てません。

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2020年10月13日 (火)

ホフマンの舟歌

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録画したオペラ「ホフマン物語」を観た。
最初にことわっておくけど、わたしはオペラ初心者だから、このオペラをむかしから知っていたと思われちゃ迷惑だ。
わたしが知っていたのは、このオペラに挿入されている「ホフマンの舟歌」という曲のタイトルくらいだった。
教養のあるなしはこういうときにわかるのかもしれない。

オペラそのものは3時間もあるので、とりあえずその有名な歌の部分だけを聴いてみた。
「ホフマンの舟歌」は4幕目の冒頭でうたわれる。
聴くまえは、素朴な、どっちかというと男性的な歌だろうと思っていた。
「船頭小唄」みたいに、孤独な男の生きざまを切々とうたったものかもしれない。

ぜんぜんちがっていた。
これはレズっぽい女性ふたりが、妖しくからみあいながらうたう、じつに官能的な歌だった。

この舞台のヒロインはパトリシア・プティボンさんといって、けっして若い人じゃないけど、お人形さんのオランピアから、うたわない歌手のアントニア、高級娼婦のジュリエッタまで、ひとりで3役をつとめる。
お人形さんでは好奇心いっぱいのローティーンのようであり、娼婦ではベッドの上でウブな若者をやさしくリードする。
この人はじっさいにアルバイトで娼婦の経験があるんじゃないかと思ったくらいの名演技だ。

「舟歌」がすてきな曲だったので、わたしはリピートを繰り返して5回もぶっ続けに聴いてしまった。
それだけではもの足りず、YouTubeで同じ歌を探してみた。
アンナ・ネトレプコとエリーナ・ガランチャがうたっている映像が見つかったけど、それはオペラの舞台ではなく、演奏会のものだったから、女ふたりが並んでうたうだけで、ぜんぜん官能的ではない。
演技が加味されるだけで、魅力が倍増される歌というものも、この世のなかにはあるらしい。
オペラが品行方正なものだと信じている人が、いまでもいたら、認識を改めるべきだと、そんなことをわたしがいっても仕方ないけど。

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2020年10月12日 (月)

人形のオランピア

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いつだったか、YouTubeを閲覧していたら、可愛い女の子が教会のホールのようなところで、歌をうたっている映像を見つけた。
ただうたうだけではなく、寸劇のようになっていて、彼女はたくましい男性にかつがれて登場する。
どうやらお人形さんを演じているらしい。

女の子が可愛かったので調べてみたら、彼女はパトリツィア・ジャネチコヴァという、まだ22歳のオペラ歌手で、この寸劇はオペラ「ホフマン物語」のなかの、 “人形のオランピア” の場面を抜粋したものだった。
オペラの歌のよさなんかわからないけど、寸劇がおもしろかったし、ジャネチコヴァちゃんが魅力的だったので、この舞台を観たいと思ってしまった。
ところが今夜のBSプレミアムシアターが、その「ホフマン物語」だ。
いまそれを観ているところだけど、ヒロインはジャネチコヴァちゃんじゃないものの、現代劇にアレンジされていて、オランピアはSF映画のアンドロイドみたいで、なかなかおもしろそう。

ま、詳しい感想は、録画しておいて、あとでじっくり観て、気がむいたら書きます。

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2020年8月27日 (木)

ラ・バヤデール

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たまにはバレエでもということで、昨夜は録画してあった「ラ・バヤデール(La Bayadere)」を観てみた。
深刻な全生園の話題から、あっという間にノーテンキな話題になっちゃうから、わたしのブログってアクセスが増えないんだよな。
それはともかく、その結果つまらない大発見をした。

このバレエについて、おおざっぱなあらすじを説明すると、インド(!)の王宮に美しい踊り子がいて、国王のせがれ、つまり王子さまといい仲だったんだけど、身分が違うっていうんで、王子さまには親父の見つけてきたべつの婚約者がいた。
踊り子との仲を絶ち切れない王子さまに業を煮やした婚約者は、結婚式の場で毒蛇を使って踊り子を暗殺しようとする。
踊り子には横恋慕する大司祭というのがいて、これが毒消しの秘薬を勧めるんだけど、踊り子は王子さまへの愛をつらぬいて敢然と死におもむく。
このあと「ジゼル」みたいに、死んだ踊り子が迷って出る場面もあるんだけど、それはあまりおもしろいエピソードではないから、わたしにはどうでもよかった。

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録画したのはミハイロフスキー・バレエのもので、ヒロインを演じるのは、ボリショイ劇場で硫酸事件というものがあったとき、一方の関係者とされたアンジェリーナ・ヴォロンツォーワさん。
せつなげな表情といい、ほどほどに脂肪のついたやわらかそうな肉体といい、飛び抜けていいわけでもないプロポーションといい、日本人好みのいいオンナ、と思うのはわたしだけかしら。

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このバレエはロシアのバレエだけど、有名なのでいろんなバレエ団によって演じられていて、YouTubeではいくつかの異なる舞台を観ることができる。
わたしの大発見というのは、ヒロインが暗殺される結婚式場の場面でのこと。
ここは王宮ということで、豪華絢爛たるセットのまえに、国王夫妻、せがれの王子さまと婚約者、大司祭や女官や衛兵が勢揃いして、はなやかな宴がくりひろげられる。
ボリショイ版なんかだと、舞台の背後に女官たち、さらにその後ろに槍をもった衛兵が控えているのがフツー。
録画したミハイロフスキー版では、女官たちの後ろにインドの民族服を着た男女が数人立ってるんだけと、サリーを着た八等身の女性たちが、彼女らはたんなる添えもの役にすぎないのに、じつに本物感がある(最後の写真)。
ほかの舞台が学芸会にしか見えないくらいだ。

これはわたしだけの感想かも知れないし、正直いってバレエの踊りそのものには関係ないことである。
だからこそわたしの大発見なのだ。
ええ、ホント、つまらないことなんですが。

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2020年8月 4日 (火)

春の祭典

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最近のわたしは、家のでっかいテレビ(といっても32インチの液晶)でYouTube 映像を観るのにはまっている。
YouTube
というと、ひと昔まえは画質がわるくて、でかいテレビで観るにはイマイチな映像が多かった。
しかし最近は、
32インチていどなら画質がまったく劣化しない映像も多い。
ただし、
YouTube に上梓されている映像というのは、ほとんどが字幕なしだから、映画なんかだと意味がわからない。
ではなにを観るか。
当然ながら音楽や、そうバレエだね。
あるていど勉強しておけば、バレエの場合、意味はわかるのである。
コンテンポラリー・バレエだと、勉強しても意味がわからないけど、それは字幕の有無のせいではない。

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今夜はマリインスキー・バレエの「春の祭典(The Rite of Spring」を観ていた。
これはバレエ・リュスのニジンスキーによる作品だけど、わたしはこういう前衛的なバレエや音楽がニガ手である。
しかし大きい画面で、ヘッドフォンをつけて観ると、その迫力はひとケタちがう。
つい興の乗るままにお終いまで観てしまった。
だけではなく、せいぜい
3040分ほどのバレエだから、くり返して観てしまった。

見つけたのはうまいぐあいにかなり画質の良い映像だった。
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年のマリインスキーの舞台で、タイトル・クレジットにNHKの文字が見えるから、映像の制作に日本も関わり、過去に日本でも放映されたことがある作品かもしれない。
しかしわたしがこの映像を観るのは初めてだ。
このバレエは、ベジャールを始めとする先進的な振付師によって、現代化されたものもたくさんあるけれど、さいわいなことにわたしが見つけたのは、美術・衣装もほぼオリジナルといっていい舞台だった。

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ただ意外だったのは、このバレエの、ニジンスキーによるオリジナルの振付けはとっくに失われてしまっていて、いまオリジナルといわれているものは、米国のジェフリー・バレエ団が復元させたものだそうだ。
YouTube
にはこのバレエ団による復元のてんまつも記録映像として上がっており、その映像と、彼らの「春の祭典」も観ることができる。
観てみたけど、そう、字幕がないので詳しいことはわからんかった。
踊りはマリインスキーよりジェフリーのほうがいいんだけど、いかんせん
30年以上まえの映像なので、画質がよくないのが残念だ。

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で、肝心のバレエのことになりますが。
これは意表をつかれるバレエである。
「白鳥の湖」や「ジゼル」や、最近観ていいなあと思った「ラ・
.バヤデール」のようなバレエじゃない。
かといって、とんがったコンテンポラリー・バレエともちがう。
わたしがこのブログで、バレエのことを書き始めてから、初めて観るスタイルのバレエだ。
ロシアの民族色を前面に出したバレエなんだそうだけど、そんなことをいってもぱっと理解するのはむずかしいから、わかりやすく説明すると、アメリカ・インディアンが焚き火のまわりで円陣を組んで踊っている、そういう踊りを想像すればよい。
ダンサーの衣装やメーキャップも、まったく西部劇でおなじみの、アパッチやシャイアンのものである。

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「春の祭典」の音楽はストラヴィンスキーで、わたしはこのオーケストラ演奏をCDで聴いたことがある。
美しい旋律も調子のよいリズムも出てこないし、音楽までがインディアンの太鼓ふうで、ぜんぜんいいとは思わなかった。
初めて聴いてステキだと思う人がいたら、その人は病院で診てもらったほうがいいんじゃないか。

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バレエしろうとのわたしが、なんの予備知識もなくこのバレエの発表会に立ち会ったとしよう。
なんだなんだなんだ、このバレエは。
バレエでお馴染みの、つま先立ちでくるくるまわる場面がひとつもないじゃないか。
女の子はロングスカートでなにも見えないし。
これじゃ登美丘高校ダンス部の、「バブリーダンス」のほうがよっぽどマシだと、逆上してわめいたかもしれない。

わたしが逆上しないでいられるのは、わたしがずっと後世の人間で、「春の祭典」について、いろいろ物議をかもした革新的なバレエだということを知っているからだ。
つまり博物学者が水族館で、めずらしい生きものを見るのと変わらない楽しみがあるからだ。
こういう見方がいいかどうかわからないけど、たぶん世間の大半も同じような見方をしてるんじゃないか。
ニジンスキーがパリではじめてこれを上演したときは、観客席から罵詈雑言やモノが飛ぶ騒ぎになって、その騒ぎそのものまでが映画化され、それも
YouTube に上がっている。
映画のタイトルは「
Riot at the Rite」で、Riotというのは暴動という意味である。
バリジャンにとっても、これは常識はずれの舞台だったのだ。

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でもこのバレエの評価はすでに定まっている。
いまさらわたしがゴチャゴチャいってもと書いて、ついゴンチャロワさんのことを思い出した。
以前このブログで紹介したロシアの画家、ナターリャ・ゴンチャロワさんのことである。
そのおり顔にべたべたペイントで落書きした、この画家の写真を紹介した(もういちど紹介してしまう)。
このバレエが発表されたころ、彼女も美術や衣装デザインでバレエ・リュスに関わっていたらしいから、あれはひょっとすると「春の祭典」のアイディアを、自分の顔を使ってプレゼンテーションしていたものかもしれない。

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2020年7月22日 (水)

チェリスト

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英国ロイヤル・バレエの「ザ・チェリスト」を観た。
で、なにか文章を書こうとしたけど、なかなかうまくまとめられないと書いたばかりだ。
しかしそれを口実にして、ブログの更新をサボってばかりというのもマズイ。
今月は16日、17日、18日の三日間だけでアクセスが1000を突破したのに、これじゃまたもとの木阿弥ではないか。
中途半端でも、やっつけ仕事で更新してしまうことにする。

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「ザ・チェリスト」は夭折した天才チェロ奏者ジャクリーヌ・デュ・プレの生涯をバレエ化したものである。
デュ・プレというと、わたしは映画「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」を思い出す。
なかなかいい映画だったけど、どっちかというと、ジャクリーヌよりも姉のヒラリーに焦点が当てられ、天才の妹をもった凡才の姉のこころの葛藤が描かれていたように思う。
映画のなかでジャクリーヌがかなりぶっ飛んだ女性として描かれていて、いいのかい、これじゃ(まだ生きている)旦那のバレンボイムから訴えられないかと心配になったものだ。

じつはわたしはデュ・プレのことを、音楽を通して知っていただけで、その私生活については、有名な指揮者のバレンボイムと結婚したこと、そして多発性硬化症という難病に冒され、42歳という若さで亡くなったことぐらいしか知らない。
ほんとうにそんなぶっ飛んだ女性だったのか、はたしてバレエではどう描かれているだろう。

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バレエと同時に彼女のドキュメンタリー映像が放映された。
バレエのほうは観念的なところがあって、予備知識がなかったら彼女の生涯がどんなものだったのかわかりにくい。
両方を並行して観れば、彼女の実像がわかるんじゃないかと期待したけど、ドキュメンタリーのほうは彼女の演奏が観られる(聴ける)だけだった。
ここでジャクリーヌはエルガーのチェロ協奏曲を弾いている。

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映画でもバレエでも、この曲が使われていた。
恥ずかしながら、わたしがはじめてエルガーを聴いたのは、デュ・プレの悲劇に誘発されてのことだった。
全編を通して聴きたくなるような曲じゃなかったけど、1カ所、ガーンと盛り上がるところがあって、そこだけはよく覚えている。
映画ではこの部分が、幼いころに海岸で、姉といっしょに遊んだという回想シーンに使われて、効果的だった。
しかしバレエでは海岸を持ち出すわけにはいかず、どうしても舞台の上の踊りだけで情況を説明することになる。
だからむずかしいのか、わたしの感受性がにぶいのか。

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ストーリーもまともすぎて、前半はチェリストとして有名になる彼女、後半で病に苦しむ彼女が描かれる。
チェロという楽器が擬人化されて出てくるのはいいアイディアかもしれない・・・・と書いたところで、なんでいいアイディアなのかと屁理屈をこねているうち、このあとがうまくまとめられなくなってしまった。
わたしにはほかにもやることがあるのだ。
ヤケになって、擬人化したからなんだってのさと、強引にオチをつけてしまう。

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わたしがバレエに期待するのは女性の美なのであって、男がチェロを演じてもおもしろいと思わない。
最後は回想シーンになって、少女時代のジャクリーヌや両親、姉などが出てきて、聴衆が感涙にむせぶ、というのも月並み。
でもヒロインを演じたダンサーはローレン・カスバートソンといって、ロイヤル・バレエらしからぬ美人だったから、彼女の踊りを観ているだけで最後まで退屈しなかった。
どうじゃ。

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2020年6月22日 (月)

Sadeh21

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昨日の夜はコンテンポラリー・ダンスのてんこ盛りだった。
3時間か4時間にわたって、とんがったバレエが三つ続けて放映された。
アクラム・カーン版の「ジゼル」と、「ラストワーク」は以前観たものの再放送だったけど、「Sadeh21」という舞台は初めて観た。

それを観てしみじみ。
どうもわたしには現代芸術というものが理解できないらしい。
彫刻でも現代彫刻となると、これってただ奇をてらっただけの造形じゃないか、そうか、現代彫刻というのはアイディアが勝負なのかと考えてしまうことがある。

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「Sadeh21」を観ても、どうも感動とはほど遠く、ひょっとするとこの先になにかヒワイな表現でもあるかと、それだけを頼りに最後まで観てしまったような感じ。
ダンサーたちがいろいろなポーズをとって、まあ、そのへんはしろうとにはなかなか真似できないことだけど、意味もストーリーも、官能的な部分もさっぱりないから、これじゃNHKのみんなの体操と変わらないじゃんと思う。
ようするに、いかに新しいポーズや動きを考えつくかってのが、現代舞踊の現代的である由縁なのか。

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せめてダンサーたちが、ロシアのバレリーナのように美しければまだ我慢できる。
でもこれは胸が大きすぎるとか、足が太すぎるという理由でダンサーの道を断念した女性たちに、ひょっとしたらと夢を抱かせるバレエなのかもしれない。
数週間まえに放映されたミハイロフスキーの「ラ・バヤデール」のほうは、もうバレリーナからして別種の生きものだったけど。

それでも開演まえの劇場をみると、観衆がいっぱいだった。
みんなわたしと同じように、最後まで観ればなんかおもしろいことがあるんじゃないかと期待した人たちなんじゃないか。

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2020年5月18日 (月)

ロシア・バレエの闇

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昨夜のBSプレミアムシアターは、ミハイロフスキー劇場からの「ラ・バヤデール」。
ミハイロフスキー劇場って、アレじゃん。
わたしが3度目のロシアに行ったとき、バレエを観たくて、その入口をうろうろした劇場。
チケットが売り切れで、やっぱり高くても日本にいるあいだに買っとくべきだったと、後悔のほぞを噛まされた劇場だ。

でも劇場の内部は、最初のロシア訪問のときに見ていたから知っていた。
そのときはロシア人の知り合いに案内されて入ったんだけど、残念ながらやっていたのはバレエではなく、バイオリン演奏会だった。
でもロシアの伝統的な劇場の構造を、しっかり体験することができて感動した。

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さて「ラ・バヤデール」だけど、やはり本場のロシア・バレエだけあって、出演している踊り子はスタイル、容姿とも非の打ち所がない。
恋仇同士のふたりのダンサーはどちらもわたしの好みで、でも王女さま役の女の子は美人だけど、脊が高くて電信柱みたいだから、ヒロインのほうにわずかに分があるなと。

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そんなアホな感想を抱きつつ、ウィキペディアで経歴を調べてみたら、ヒロインのアンジェリーナ・ヴォロンツォーワさんは、かってボリショイ劇場で硫酸事件というものがあったとき、原因をつくった一方の関係者だった子だそうだ。
そういわれてみると、カーテンコールの場までなんとなく悲しそうな顔をしていて、まだあの悲劇をひきずっているのかと気になってしまう。

んなことないよね。
事件はすでに7年まえのことで、ヴォロンツォーワさんはその後もちゃくちゃくと実績を積み上げ、こうやってバレエの主役を勤めているのだから。
わたしも過去のことはさらりと忘れて、これからも彼女を応援したい。

どうも新聞の3面記事みたいなことだけで申し訳ないけど、このバレエの本格的な感想は、またヒマなときに書こう。
昨夜の放映には、マリウス・プティパというバレエ界の偉人のドキュメンタリーがついていて、これと併せて感想文を書いたほうがいいみたいだし、いま日本や韓国国内のゴタゴタから目がはなせないの、わたしって。

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2020年5月10日 (日)

ウラノワさん

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「バフチサライの泉」というバレエを観たことは、つい先日このブログに書いた。
そのとき追記として、ウラノワとプリセツカヤというふたりの有名ダンサーが共演した、このバレエの(YouTube上にある)映画化作品を観たことも書いた。

マイヤ・プリセツカヤについては、彼女が大の日本びいきで、来日して日本舞踊の人間国宝である井上八千代さんと共演したことなどを、リアルタイムで知っていた。
ガリーナ・ウラノワについては、彼女の活躍した時期が、わたしがバレエに関心を持つ以前だったので、まるっきり知らない。
しかしウラノワの名前は聞いたおぼえがある。

この人って、わたしがモスクワに行って、有名なノボデヴィチ墓地を見学したとき、目立つ場所に墓石があった人じゃないか。
その後バレエに興味を持つようになったわたしとしては、奇縁というべきかもしれない。

モスクワにもういちど行く予定はないけど、彼女のこの映画だけはパソコンにダウンロードしたから、いつでもじっくり見ることができる。

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この映画はバレエの舞台を映画に置き換えただけなので、出演者の動きはバレエそのものだ。
ナイフで刺されたウラノワさんが、柱にもたれるように倒れるシーンは、あらかじめ計算されたバレエの型どおりで、ひじょうに優雅。
いったん確立された型は、舞台後方の背景画みたいにそのまま繰り返し使われるようで、まだ最近のバレエであるヴィクトリア・テリショーキナさんの「バフチサライ」でも、基本的な型は変わっていない。
ようするに、バレエって伝統に固執する日本の歌舞伎みたいなもん(演技者の魅力で歯が立たないけど)。

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ウラノワさんは1910年生まれだから、1953年の映画「バフチサライ」でプリセツカヤと共演したとき、おん年43歳ということになる。
しかし、さすがはバレリーナで、スタイルなんかまったく年齢を感じさせない。
むしろ円熟したうば桜という感じで、女性としての魅力ははいよいよ増したように見える。
ロシア女性というのは年をとると太るのが欠点といわれるけど、バレリーナはその例外だし、映画を観て、わたしはすでにこの世にないバレリーナに恋をしてしまったようだ。
もうすこし早く彼女のことを知っていれば、墓にバラの花でも手向けてきたものを。

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