舞台を観る

2020年8月27日 (木)

ラ・バヤデール

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たまにはバレエでもということで、昨夜は録画してあった「ラ・バヤデール(La Bayadere)」を観てみた。
深刻な全生園の話題から、あっという間にノーテンキな話題になっちゃうから、わたしのブログってアクセスが増えないんだよな。
それはともかく、その結果つまらない大発見をした。

このバレエについて、おおざっぱなあらすじを説明すると、インド(!)の王宮に美しい踊り子がいて、国王のせがれ、つまり王子さまといい仲だったんだけど、身分が違うっていうんで、王子さまには親父の見つけてきたべつの婚約者がいた。
踊り子との仲を絶ち切れない王子さまに業を煮やした婚約者は、結婚式の場で毒蛇を使って踊り子を暗殺しようとする。
踊り子には横恋慕する大司祭というのがいて、これが毒消しの秘薬を勧めるんだけど、踊り子は王子さまへの愛をつらぬいて敢然と死におもむく。
このあと「ジゼル」みたいに、死んだ踊り子が迷って出る場面もあるんだけど、それはあまりおもしろいエピソードではないから、わたしにはどうでもよかった。

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録画したのはミハイロフスキー・バレエのもので、ヒロインを演じるのは、ボリショイ劇場で硫酸事件というものがあったとき、一方の関係者とされたアンジェリーナ・ヴォロンツォーワさん。
せつなげな表情といい、ほどほどに脂肪のついたやわらかそうな肉体といい、飛び抜けていいわけでもないプロポーションといい、日本人好みのいいオンナ、と思うのはわたしだけかしら。

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このバレエはロシアのバレエだけど、有名なのでいろんなバレエ団によって演じられていて、YouTubeではいくつかの異なる舞台を観ることができる。
わたしの大発見というのは、ヒロインが暗殺される結婚式場の場面でのこと。
ここは王宮ということで、豪華絢爛たるセットのまえに、国王夫妻、せがれの王子さまと婚約者、大司祭や女官や衛兵が勢揃いして、はなやかな宴がくりひろげられる。
ボリショイ版なんかだと、舞台の背後に女官たち、さらにその後ろに槍をもった衛兵が控えているのがフツー。
録画したミハイロフスキー版では、女官たちの後ろにインドの民族服を着た男女が数人立ってるんだけと、サリーを着た八等身の女性たちが、彼女らはたんなる添えもの役にすぎないのに、じつに本物感がある(最後の写真)。
ほかの舞台が学芸会にしか見えないくらいだ。

これはわたしだけの感想かも知れないし、正直いってバレエの踊りそのものには関係ないことである。
だからこそわたしの大発見なのだ。
ええ、ホント、つまらないことなんですが。

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2020年8月 4日 (火)

春の祭典

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最近のわたしは、家のでっかいテレビ(といっても32インチの液晶)でYouTube 映像を観るのにはまっている。
YouTube
というと、ひと昔まえは画質がわるくて、でかいテレビで観るにはイマイチな映像が多かった。
しかし最近は、
32インチていどなら画質がまったく劣化しない映像も多い。
ただし、
YouTube に上梓されている映像というのは、ほとんどが字幕なしだから、映画なんかだと意味がわからない。
ではなにを観るか。
当然ながら音楽や、そうバレエだね。
あるていど勉強しておけば、バレエの場合、意味はわかるのである。
コンテンポラリー・バレエだと、勉強しても意味がわからないけど、それは字幕の有無のせいではない。

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今夜はマリインスキー・バレエの「春の祭典(The Rite of Spring」を観ていた。
これはバレエ・リュスのニジンスキーによる作品だけど、わたしはこういう前衛的なバレエや音楽がニガ手である。
しかし大きい画面で、ヘッドフォンをつけて観ると、その迫力はひとケタちがう。
つい興の乗るままにお終いまで観てしまった。
だけではなく、せいぜい
3040分ほどのバレエだから、くり返して観てしまった。

見つけたのはうまいぐあいにかなり画質の良い映像だった。
2008
年のマリインスキーの舞台で、タイトル・クレジットにNHKの文字が見えるから、映像の制作に日本も関わり、過去に日本でも放映されたことがある作品かもしれない。
しかしわたしがこの映像を観るのは初めてだ。
このバレエは、ベジャールを始めとする先進的な振付師によって、現代化されたものもたくさんあるけれど、さいわいなことにわたしが見つけたのは、美術・衣装もほぼオリジナルといっていい舞台だった。

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ただ意外だったのは、このバレエの、ニジンスキーによるオリジナルの振付けはとっくに失われてしまっていて、いまオリジナルといわれているものは、米国のジェフリー・バレエ団が復元させたものだそうだ。
YouTube
にはこのバレエ団による復元のてんまつも記録映像として上がっており、その映像と、彼らの「春の祭典」も観ることができる。
観てみたけど、そう、字幕がないので詳しいことはわからんかった。
踊りはマリインスキーよりジェフリーのほうがいいんだけど、いかんせん
30年以上まえの映像なので、画質がよくないのが残念だ。

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で、肝心のバレエのことになりますが。
これは意表をつかれるバレエである。
「白鳥の湖」や「ジゼル」や、最近観ていいなあと思った「ラ・
.バヤデール」のようなバレエじゃない。
かといって、とんがったコンテンポラリー・バレエともちがう。
わたしがこのブログで、バレエのことを書き始めてから、初めて観るスタイルのバレエだ。
ロシアの民族色を前面に出したバレエなんだそうだけど、そんなことをいってもぱっと理解するのはむずかしいから、わかりやすく説明すると、アメリカ・インディアンが焚き火のまわりで円陣を組んで踊っている、そういう踊りを想像すればよい。
ダンサーの衣装やメーキャップも、まったく西部劇でおなじみの、アパッチやシャイアンのものである。

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「春の祭典」の音楽はストラヴィンスキーで、わたしはこのオーケストラ演奏をCDで聴いたことがある。
美しい旋律も調子のよいリズムも出てこないし、音楽までがインディアンの太鼓ふうで、ぜんぜんいいとは思わなかった。
初めて聴いてステキだと思う人がいたら、その人は病院で診てもらったほうがいいんじゃないか。

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バレエしろうとのわたしが、なんの予備知識もなくこのバレエの発表会に立ち会ったとしよう。
なんだなんだなんだ、このバレエは。
バレエでお馴染みの、つま先立ちでくるくるまわる場面がひとつもないじゃないか。
女の子はロングスカートでなにも見えないし。
これじゃ登美丘高校ダンス部の、「バブリーダンス」のほうがよっぽどマシだと、逆上してわめいたかもしれない。

わたしが逆上しないでいられるのは、わたしがずっと後世の人間で、「春の祭典」について、いろいろ物議をかもした革新的なバレエだということを知っているからだ。
つまり博物学者が水族館で、めずらしい生きものを見るのと変わらない楽しみがあるからだ。
こういう見方がいいかどうかわからないけど、たぶん世間の大半も同じような見方をしてるんじゃないか。
ニジンスキーがパリではじめてこれを上演したときは、観客席から罵詈雑言やモノが飛ぶ騒ぎになって、その騒ぎそのものまでが映画化され、それも
YouTube に上がっている。
映画のタイトルは「
Riot at the Rite」で、Riotというのは暴動という意味である。
バリジャンにとっても、これは常識はずれの舞台だったのだ。

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でもこのバレエの評価はすでに定まっている。
いまさらわたしがゴチャゴチャいってもと書いて、ついゴンチャロワさんのことを思い出した。
以前このブログで紹介したロシアの画家、ナターリャ・ゴンチャロワさんのことである。
そのおり顔にべたべたペイントで落書きした、この画家の写真を紹介した(もういちど紹介してしまう)。
このバレエが発表されたころ、彼女も美術や衣装デザインでバレエ・リュスに関わっていたらしいから、あれはひょっとすると「春の祭典」のアイディアを、自分の顔を使ってプレゼンテーションしていたものかもしれない。

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2020年7月22日 (水)

チェリスト

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英国ロイヤル・バレエの「ザ・チェリスト」を観た。
で、なにか文章を書こうとしたけど、なかなかうまくまとめられないと書いたばかりだ。
しかしそれを口実にして、ブログの更新をサボってばかりというのもマズイ。
今月は16日、17日、18日の三日間だけでアクセスが1000を突破したのに、これじゃまたもとの木阿弥ではないか。
中途半端でも、やっつけ仕事で更新してしまうことにする。

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「ザ・チェリスト」は夭折した天才チェロ奏者ジャクリーヌ・デュ・プレの生涯をバレエ化したものである。
デュ・プレというと、わたしは映画「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」を思い出す。
なかなかいい映画だったけど、どっちかというと、ジャクリーヌよりも姉のヒラリーに焦点が当てられ、天才の妹をもった凡才の姉のこころの葛藤が描かれていたように思う。
映画のなかでジャクリーヌがかなりぶっ飛んだ女性として描かれていて、いいのかい、これじゃ(まだ生きている)旦那のバレンボイムから訴えられないかと心配になったものだ。

じつはわたしはデュ・プレのことを、音楽を通して知っていただけで、その私生活については、有名な指揮者のバレンボイムと結婚したこと、そして多発性硬化症という難病に冒され、42歳という若さで亡くなったことぐらいしか知らない。
ほんとうにそんなぶっ飛んだ女性だったのか、はたしてバレエではどう描かれているだろう。

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バレエと同時に彼女のドキュメンタリー映像が放映された。
バレエのほうは観念的なところがあって、予備知識がなかったら彼女の生涯がどんなものだったのかわかりにくい。
両方を並行して観れば、彼女の実像がわかるんじゃないかと期待したけど、ドキュメンタリーのほうは彼女の演奏が観られる(聴ける)だけだった。
ここでジャクリーヌはエルガーのチェロ協奏曲を弾いている。

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映画でもバレエでも、この曲が使われていた。
恥ずかしながら、わたしがはじめてエルガーを聴いたのは、デュ・プレの悲劇に誘発されてのことだった。
全編を通して聴きたくなるような曲じゃなかったけど、1カ所、ガーンと盛り上がるところがあって、そこだけはよく覚えている。
映画ではこの部分が、幼いころに海岸で、姉といっしょに遊んだという回想シーンに使われて、効果的だった。
しかしバレエでは海岸を持ち出すわけにはいかず、どうしても舞台の上の踊りだけで情況を説明することになる。
だからむずかしいのか、わたしの感受性がにぶいのか。

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ストーリーもまともすぎて、前半はチェリストとして有名になる彼女、後半で病に苦しむ彼女が描かれる。
チェロという楽器が擬人化されて出てくるのはいいアイディアかもしれない・・・・と書いたところで、なんでいいアイディアなのかと屁理屈をこねているうち、このあとがうまくまとめられなくなってしまった。
わたしにはほかにもやることがあるのだ。
ヤケになって、擬人化したからなんだってのさと、強引にオチをつけてしまう。

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わたしがバレエに期待するのは女性の美なのであって、男がチェロを演じてもおもしろいと思わない。
最後は回想シーンになって、少女時代のジャクリーヌや両親、姉などが出てきて、聴衆が感涙にむせぶ、というのも月並み。
でもヒロインを演じたダンサーはローレン・カスバートソンといって、ロイヤル・バレエらしからぬ美人だったから、彼女の踊りを観ているだけで最後まで退屈しなかった。
どうじゃ。

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2020年6月22日 (月)

Sadeh21

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昨日の夜はコンテンポラリー・ダンスのてんこ盛りだった。
3時間か4時間にわたって、とんがったバレエが三つ続けて放映された。
アクラム・カーン版の「ジゼル」と、「ラストワーク」は以前観たものの再放送だったけど、「Sadeh21」という舞台は初めて観た。

それを観てしみじみ。
どうもわたしには現代芸術というものが理解できないらしい。
彫刻でも現代彫刻となると、これってただ奇をてらっただけの造形じゃないか、そうか、現代彫刻というのはアイディアが勝負なのかと考えてしまうことがある。

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「Sadeh21」を観ても、どうも感動とはほど遠く、ひょっとするとこの先になにかヒワイな表現でもあるかと、それだけを頼りに最後まで観てしまったような感じ。
ダンサーたちがいろいろなポーズをとって、まあ、そのへんはしろうとにはなかなか真似できないことだけど、意味もストーリーも、官能的な部分もさっぱりないから、これじゃNHKのみんなの体操と変わらないじゃんと思う。
ようするに、いかに新しいポーズや動きを考えつくかってのが、現代舞踊の現代的である由縁なのか。

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せめてダンサーたちが、ロシアのバレリーナのように美しければまだ我慢できる。
でもこれは胸が大きすぎるとか、足が太すぎるという理由でダンサーの道を断念した女性たちに、ひょっとしたらと夢を抱かせるバレエなのかもしれない。
数週間まえに放映されたミハイロフスキーの「ラ・バヤデール」のほうは、もうバレリーナからして別種の生きものだったけど。

それでも開演まえの劇場をみると、観衆がいっぱいだった。
みんなわたしと同じように、最後まで観ればなんかおもしろいことがあるんじゃないかと期待した人たちなんじゃないか。

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2020年5月18日 (月)

ロシア・バレエの闇

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昨夜のBSプレミアムシアターは、ミハイロフスキー劇場からの「ラ・バヤデール」。
ミハイロフスキー劇場って、アレじゃん。
わたしが3度目のロシアに行ったとき、バレエを観たくて、その入口をうろうろした劇場。
チケットが売り切れで、やっぱり高くても日本にいるあいだに買っとくべきだったと、後悔のほぞを噛まされた劇場だ。

でも劇場の内部は、最初のロシア訪問のときに見ていたから知っていた。
そのときはロシア人の知り合いに案内されて入ったんだけど、残念ながらやっていたのはバレエではなく、バイオリン演奏会だった。
でもロシアの伝統的な劇場の構造を、しっかり体験することができて感動した。

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さて「ラ・バヤデール」だけど、やはり本場のロシア・バレエだけあって、出演している踊り子はスタイル、容姿とも非の打ち所がない。
恋仇同士のふたりのダンサーはどちらもわたしの好みで、でも王女さま役の女の子は美人だけど、脊が高くて電信柱みたいだから、ヒロインのほうにわずかに分があるなと。

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そんなアホな感想を抱きつつ、ウィキペディアで経歴を調べてみたら、ヒロインのアンジェリーナ・ヴォロンツォーワさんは、かってボリショイ劇場で硫酸事件というものがあったとき、原因をつくった一方の関係者だった子だそうだ。
そういわれてみると、カーテンコールの場までなんとなく悲しそうな顔をしていて、まだあの悲劇をひきずっているのかと気になってしまう。

んなことないよね。
事件はすでに7年まえのことで、ヴォロンツォーワさんはその後もちゃくちゃくと実績を積み上げ、こうやってバレエの主役を勤めているのだから。
わたしも過去のことはさらりと忘れて、これからも彼女を応援したい。

どうも新聞の3面記事みたいなことだけで申し訳ないけど、このバレエの本格的な感想は、またヒマなときに書こう。
昨夜の放映には、マリウス・プティパというバレエ界の偉人のドキュメンタリーがついていて、これと併せて感想文を書いたほうがいいみたいだし、いま日本や韓国国内のゴタゴタから目がはなせないの、わたしって。

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2020年5月10日 (日)

ウラノワさん

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「バフチサライの泉」というバレエを観たことは、つい先日このブログに書いた。
そのとき追記として、ウラノワとプリセツカヤというふたりの有名ダンサーが共演した、このバレエの(YouTube上にある)映画化作品を観たことも書いた。

マイヤ・プリセツカヤについては、彼女が大の日本びいきで、来日して日本舞踊の人間国宝である井上八千代さんと共演したことなどを、リアルタイムで知っていた。
ガリーナ・ウラノワについては、彼女の活躍した時期が、わたしがバレエに関心を持つ以前だったので、まるっきり知らない。
しかしウラノワの名前は聞いたおぼえがある。

この人って、わたしがモスクワに行って、有名なノボデヴィチ墓地を見学したとき、目立つ場所に墓石があった人じゃないか。
その後バレエに興味を持つようになったわたしとしては、奇縁というべきかもしれない。

モスクワにもういちど行く予定はないけど、彼女のこの映画だけはパソコンにダウンロードしたから、いつでもじっくり見ることができる。

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この映画はバレエの舞台を映画に置き換えただけなので、出演者の動きはバレエそのものだ。
ナイフで刺されたウラノワさんが、柱にもたれるように倒れるシーンは、あらかじめ計算されたバレエの型どおりで、ひじょうに優雅。
いったん確立された型は、舞台後方の背景画みたいにそのまま繰り返し使われるようで、まだ最近のバレエであるヴィクトリア・テリショーキナさんの「バフチサライ」でも、基本的な型は変わっていない。
ようするに、バレエって伝統に固執する日本の歌舞伎みたいなもん(演技者の魅力で歯が立たないけど)。

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ウラノワさんは1910年生まれだから、1953年の映画「バフチサライ」でプリセツカヤと共演したとき、おん年43歳ということになる。
しかし、さすがはバレリーナで、スタイルなんかまったく年齢を感じさせない。
むしろ円熟したうば桜という感じで、女性としての魅力ははいよいよ増したように見える。
ロシア女性というのは年をとると太るのが欠点といわれるけど、バレリーナはその例外だし、映画を観て、わたしはすでにこの世にないバレリーナに恋をしてしまったようだ。
もうすこし早く彼女のことを知っていれば、墓にバラの花でも手向けてきたものを。

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2020年5月 4日 (月)

バフチサライの泉

自転車でミゾに落ちて、ただいま軽度のギックリ腰。
べつにそれで困ることはなにもないじいさんだから、よろこんでひきこもりしてますけどね。

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知り合いのO君(彼はこのブログでは有名な財閥の御曹司だ)に録画を依頼していた「バフチサライの泉」が届いた。
これはNHKのBSで放映されたロシアのバレエだけど、ちょうどわたしの引っ越しとかち合って録画できなかったのだ。
それで彼に、録画しといてよ、ついでにブルーレイに焼いといてと頼んでおいたものである。
O君はバレエに興味はないはずだから、なんでわざわざわたしが依頼してきたのか不思議に思ったんじゃないか。
いまからその理由を述べるから、耳の穴かっぽじってよく聞けえ。

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わたしがバレエの権威になろうと無謀な大望を抱いたとき、参考のために「これがロシア・バレエだ!」という本を読んだことは、このブログに書いたことがある。
その本のなかで、ロシア・バレエの重要なレパートリーとして名前の上がっていたのが、この「バフチサライ」なのだ。
本の内容はほとんど忘れていたけど、このタイトルだけはずっとおぼえていたので、わたしはそれをぜひ観たかった。

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最近のBSプレミアムシアターで放映されたバレエは、「メリー・ウイドー」、「ヴィクトリア」など、わたしの好みじゃない作品が多かった。
「バフチサライ」はひさしぶりの本格的なロシア(マリインスキー)バレエなのだ。
予想にたがわず、恋のさやあてで殺し合いまでするふたりの美女が、容貌といい、スタイルといい、ふるいつきたくなるようなイイ女。
背景を彩るコール・ド・バレエ(その他大勢組)にしても、絶世の美女ばかりなので、わたしはロシアのバレエ団では、容姿も入団の絶対条件になっていると確信してしまったくらい。

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ここに載せたのはネットで集めた「バフチサライ」の写真だけど、かならずしもマリインスキーの舞台ではありません。

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ところでこの舞台で一方のヒロインを演じたのは、霊長類最強女子といわれた吉田沙保里選手似のヴィクトリア・テリショーキナさんだ。
以前のこのブログで、彼女はお姫さま役よりも、男をたぶらかす魔女のような役柄が似合うと書いたけど、「バフチサライ」はおへそ丸出しのハーレム・ファッションで、王様の寵愛をめぐり、嫉妬にかられて、新参の愛妾を刺し殺してしまう勝気な第一夫人の役。
どっちかというと「石の花」の銅山の女王と同じ系統のヒロインなので、彼女も水を得た魚のようである。

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恋仇を刺殺したあと、彼女も塔の上から突き落とされて処刑されてしまう。
あとに残った王様は、自分が愛したふたりの女を想って、はらはらと落涙するという話なんだけど、ヒロインふたりが舞台から消滅してしまっては、なんか最後がちともの足りない。
しかしストーリーなんかあまり重要視されず、ひたすら美女たちの踊りに陶酔していればいいのがバレエなんだから、つべこべいうのはよそう。

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というわけで、O君に録画してもらったブルーレイ・ディスクは、めでたくわたしのコレクションに収まったのでありました。

追記
このバレエはウラノワとプリセツカヤという、ふたりの有名ダンサーが共演した珍しい映像があるというので、それっとYouTubeに当たってみた。
バレエの舞台をとらえたものではなかったけど、物語を
25分ほどに要領よくまとめた1953年の映画が見つかった。
ここでは新しい女に気をひかれる王様から、あの手この手で愛を取り戻そうとするのに、ぜんぜん相手にしてもらえない第一夫人のプリセツカヤが哀れである。

このバレエはロシアではよく知られた古典作品らしく、部分的なものを含めれば、YouTubeにはほかにもいくつかの「バフチサライ」が見つかる。
ただしこうやってべつの映像を見ていくと、相対的にテリショーキナさんの評価が下降してしまうのは困ったもの。
ロシアに美人の種は尽きないし、わたしもまだまだ気の多い男だもんで。

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2020年1月23日 (木)

SADKO

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「バレエ・リュス/その魅力のすべて」という本を読んでいて、ナタリア・ゴンチャロワという画家の隠された真実を発見したというと、ちょっと表現がオーバーだけど、そういうことがあったばかり。
同じ本で今度はロシアの画家イリヤ・レーピンの、「SADKOと海底王国」という絵について発見があった。
これは初めてロシアに行った2013年に、サンクトペテルブルクのロシア美術館で観た絵のことなんだけど、ひとりの男が海の底できれいな人魚たちに囲まれているという風変わりな作品である。
へえ、レーピンにしては変わった絵だなと思った記憶がある。

帰国してからブログに書くために少し調べてみたけど、当時はまだ翻訳ソフトがあまり頼りにならなかったのか、英語版のウィキペディアまで手をのばす気になれず、けっきょく絵の由来についてうやむやになってしまった。
それが「バレエ・リュス」を読んでいたら、この物語を題材にしたバレエについて書かれた箇所があり、それで思い立って、あらためてウィキペディアのSADKOの項を読んでみた。

SADKOというのはロシアの海運商人で、彼が海底王国のお姫様に魅入られ、ある日海に引っぱりこまれるというお話だそうだ。
日本の浦島太郎伝説のように、ロシアではよく知られた物語のようだけど、わたしはまったく知らなかった。
これがリムスキー・コルサコフによってオペラ化され、バレエ・リュスのバレエのレパートリーにもなったという。
ウィキペディアによると、なかなかおもしろそうなオペラなので、もうすこし詳しく知りたくなって、
YouTube にも当たってみた。

お、あるある。
Ballet
SADKO で検索すると、映画化された作品や、オペラとバレエが渾然一体となった、3時間ちかくもあるこの舞台映像がヒットする。
でもそんな長い映像を最後まで観ているヒマはないので、今日のところは当該ページにリンクを張るだけにしとこ。
わたしとしては、なんとなくこころが豊かになったような気がする、だけで満足。

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2020年1月12日 (日)

天国と地獄

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録画してあったオッフェンバックのオペラ「天国と地獄」をじっくり観た。
じっくりというのは、わたしの場合グーグルやウィキペディアと首っぴきでということである。
ドロ縄だけど、観るまえはこのオペラについてほとんど知識がなかったので、ストーリーや出演者について調べながら観ていると、長い夜もあっという間に更けて、年寄りのヒマつぶしにはもってこいなのだ。

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今回録画したものははルクセンブルク音楽祭で上演されたオペラで、テレビ放映されたときにちらりと観たかぎりでは、毛むくじゃらの男と太った女優さんのセックスシーンや、女装の男性も混じったダンサーたちのカンカン踊りがあって、おえっと思ったのは事実。
しかしあらすじを調べると、神話のオルフェの物語を下地にしていながら、天上の神さまたちを徹底的にコケにしたオペラだというから、これはむしろ皮肉屋で、世間の常識をおちょくることに生きがいに感じるわたしにぴったりのオペラではないか。

神話のオルフェというのは、最愛の女房ウリディスを死神にとられたオルフェが、あの世まで女房を取りもどしに行く話で、わたしの部屋には同じ題材を使った「オルフェウスとエウリディーチェ」というもうひとつのオペラがある。
ただそっちはまじめ一方のオペラらしいから、どうせつまらないだろうと、まだじっくり観たことがない。

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ルクセンブルク版の「天国と地獄」では、愛し合っているはずの夫婦が、奥さんは最初から芸術家の旦那とソリが合わず、夜這いにきた冥土の神さまと派手な浮気をしている。
女房が冥土へかけおちすると、旦那はこれでべつの女と再婚できると大喜びだ。
ところが人間のかたちをした世論の圧力に負けて、イヤイヤながら冥土に女房を取り返しに行くはめになる。
もうこのあたりからめちゃくちゃおもしろい。

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かけおち女房ウリディスを演じているのは、キャスリーン・リーウェックさん。
お世辞にもスマートとはいえないけど、下着姿で大また開きで、露骨なセックスシーンはあるし、最後には股間に作りものの男根をぶら下げて、こんなお下劣なオペラ初めて観たといいたくなる熱演だ。

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コケにされる神さまというのは、オリンポス山に巣食うギリシヤ神話の神々である。
ここでひとつ断っておくと、ギリシア神話の神さまというのは、文学や科学、精神医学の分野で、ヨーロッパでは共通認識になっているけど、ギリシア以外の国に行くと、同じ神さまの名前がべつの名前になるのがフツー。
たとえばいちばんえらい神さまはゼウスだけど、これは英語名でジュピターになり、このオペラではジュピテルというフランス名になっていた。

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ジュピテルと恋のさやあてをするのは、プリュトンという冥土を担当する神さまで、ギリシア神話のハーデースである。
以前に観たバレエの「シルヴィア」には、風呂屋の三助みたいなエロスが現れたけど、こちらのそれは太った女性で、名前もキュピドン、若くてイケメンのはずのヘルメースはメルキュールで、執事のような小太りの中年男にされていた。
ジュピテルのやきもち焼き屋の奥さんはジュノン、愛と美の女神はヴェニュス、狩猟の女神ディアヌなど、名前は違えど、いずれもギリシア神話でおなじみの神さまたちだ。
一神教の神さまをヘタにからかうとあとがコワイけど、多神教の神さまはそんなことがないってんで、オッフェンバックもやりたい放題。

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ジュピテルというのは好色な神さまで、牛に化けて、あら、かわいいベコちゃんと寄ってきた女の子を、背中に乗せたままさらっていったりする。
この舞台でも奥さんのジュノンに、あんたのそういう性格が許せないのよと文句をいわれたりしている。
ギリシア神話は戒律だの禁忌などとうるさいことをいわない、きわめて人間的な神話であるから、このオペラを観るさいは、こういうエピソードに通じていたほうがおもしろさが倍増する。

自分が目をつけたウリディスを、横から最高尊厳のジュピテルにさらわれたプリュトンは、腹いせに神さま全員をそそのかして天界の反乱をこころみる。
扇動されたジュノンやヴェニュスなどが、プラカードを持ち、「暴君を倒せ、武器を取れ」と、フランス革命のスローガンみたいな大合唱をしながら決起するところは、北朝鮮のおとなしい民衆に見せてあげたいくらい。

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好色なジュピテルは、なんと蝿に化けてヒロインの部屋に忍び込む。
そんなエピソードあったかいと、たまたま手もとにあった呉茂一さんのギリシア神話を読み返してみた。
同性愛や近親相姦や、獣姦さえありのギリシア神話だけど、うちにあった文庫本にはこのエピソードはないようだ。
でもオペラの方では有名らしく、この部分は蝿の二重唱といって、「天国と地獄」の挿入歌としてよく知られているらしい。

ウリディスをくどこうと、蝿のジュピテルが目をぎらぎらさせて迫るところなんか、オペラ役者も大変だなあと思う。
大変といえばこの舞台には、バレエ顔まけの、大勢による一糸乱れぬ?ダンスシーンもあって、オペラ歌手ってのは歌だけ歌えればいいってもんじゃないことがわかる。

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「本当の人生は地獄でなければわからない」
これは劇中に飛び出す警句。
「どこか隠れるところはないか、そうだ、オーケストラ・ボックスが、いや、そこはウィーン・フィルに占領されている」
これは楽屋落ちのセリフ。
こんな現代にも通用する喜劇を書いたオッフェンバックって、いつの時代の人なのよとググッてみたら、印象派の開祖であるマネと同時代の人だった。
今回の舞台は現代化された(ような)「天国と地獄」だけど、歌やストーリーは当時と変わってないらしいから、当時のパリは楽しいところだったようだ。

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最後はオルフェをまじえて、冥土に押しかけた神さま全員がカオス状態になり、女装の男性が混じったたダンサーたちが、そろって足を上げるカンカン踊りになって、気色わるいというか、いくらわたしがオペラ初心者だとしてもグロすぎる。
しかも亭主が後ろを振り向いたおかげで、冥土からの脱出に失敗したウリデュスは、冥土に残るのもイヤ、あたしはバッカスの巫女になると言い出し、神話にそんな話はないといわれると、神話のほうを書き換えてしまえと自己チュウ的物言い。

これはいくらなんでも脚本家がハメをはずしすぎだろうと、念のため YouTube に上がっているほかの「天国と地獄」を見てみたら、ルクセンブルク版ほどひどくはないけど、やはり最後は乱痴気騒ぎになるのが定番のようだった。
なかには、オペラにしちゃスマートな美女たちが、スカートをたくし上げて踊り狂うお色気いっぱいのものもある。
オペラが苦手のはずのわたしも、いまそれにはまりかけているところ。

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2019年12月 9日 (月)

なにコレ

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昨夜BSのプレミアム・シアターで放映されたのはオッフェンバッハの「天国と地獄」。
タイトルと、小学校の運動会でよく聴いた派手なテーマしか知らないけど、喜歌劇とあるから、「アルジェのイタリア女」や、ちょいとまえに放映されたグラインドボーン音楽祭の「魔笛」みたいに、楽しいオペラじゃないかと期待して録画した。

なにコレ・・・・・

あぶなくおばさんのパンツを踏んづけてしまうところだった、という危機感を抱かせるような、おぞましいオペラだった。
なんでこんなものを録画しなくちゃならんのと涙が出たけど、そのものすごさが傑作みたいな気もするので、これからブルーレイに焼くところ。
そのうちヒマが出来たらじっくり観るつもり。
わたしもほんとモノ好き。

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