舞台を観る

2020年1月23日 (木)

SADKO

Sad

「バレエ・リュス/その魅力のすべて」という本を読んでいて、ナタリア・ゴンチャロワという画家の隠された真実を発見したというと、ちょっと表現がオーバーだけど、そういうことがあったばかり。
同じ本で今度はロシアの画家イリヤ・レーピンの、「SADKOと海底王国」という絵について発見があった。
これは初めてロシアに行った2013年に、サンクトペテルブルクのロシア美術館で観た絵のことなんだけど、ひとりの男が海の底できれいな人魚たちに囲まれているという風変わりな作品である。
へえ、レーピンにしては変わった絵だなと思った記憶がある。

帰国してからブログに書くために少し調べてみたけど、当時はまだ翻訳ソフトがあまり頼りにならなかったのか、英語版のウィキペディアまで手をのばす気になれず、けっきょく絵の由来についてうやむやになってしまった。
それが「バレエ・リュス」を読んでいたら、この物語を題材にしたバレエについて書かれた箇所があり、それで思い立って、あらためてウィキペディアのSADKOの項を読んでみた。

SADKOというのはロシアの海運商人で、彼が海底王国のお姫様に魅入られ、ある日海に引っぱりこまれるというお話だそうだ。
日本の浦島太郎伝説のように、ロシアではよく知られた物語のようだけど、わたしはまったく知らなかった。
これがリムスキー・コルサコフによってオペラ化され、バレエ・リュスのバレエのレパートリーにもなったという。
ウィキペディアによると、なかなかおもしろそうなオペラなので、もうすこし詳しく知りたくなって、
YouTube にも当たってみた。

お、あるある。
Ballet
SADKO で検索すると、映画化された作品や、オペラとバレエが渾然一体となった、3時間ちかくもあるこの舞台映像がヒットする。
でもそんな長い映像を最後まで観ているヒマはないので、今日のところは当該ページにリンクを張るだけにしとこ。
わたしとしては、なんとなくこころが豊かになったような気がする、だけで満足。

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2020年1月12日 (日)

天国と地獄

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録画してあったオッフェンバックのオペラ「天国と地獄」をじっくり観た。
じっくりというのは、わたしの場合グーグルやウィキペディアと首っぴきでということである。
ドロ縄だけど、観るまえはこのオペラについてほとんど知識がなかったので、ストーリーや出演者について調べながら観ていると、長い夜もあっという間に更けて、年寄りのヒマつぶしにはもってこいなのだ。

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今回録画したものははルクセンブルク音楽祭で上演されたオペラで、テレビ放映されたときにちらりと観たかぎりでは、毛むくじゃらの男と太った女優さんのセックスシーンや、女装の男性も混じったダンサーたちのカンカン踊りがあって、おえっと思ったのは事実。
しかしあらすじを調べると、神話のオルフェの物語を下地にしていながら、天上の神さまたちを徹底的にコケにしたオペラだというから、これはむしろ皮肉屋で、世間の常識をおちょくることに生きがいに感じるわたしにぴったりのオペラではないか。

神話のオルフェというのは、最愛の女房ウリディスを死神にとられたオルフェが、あの世まで女房を取りもどしに行く話で、わたしの部屋には同じ題材を使った「オルフェウスとエウリディーチェ」というもうひとつのオペラがある。
ただそっちはまじめ一方のオペラらしいから、どうせつまらないだろうと、まだじっくり観たことがない。

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ルクセンブルク版の「天国と地獄」では、愛し合っているはずの夫婦が、奥さんは最初から芸術家の旦那とソリが合わず、夜這いにきた冥土の神さまと派手な浮気をしている。
女房が冥土へかけおちすると、旦那はこれでべつの女と再婚できると大喜びだ。
ところが人間のかたちをした世論の圧力に負けて、イヤイヤながら冥土に女房を取り返しに行くはめになる。
もうこのあたりからめちゃくちゃおもしろい。

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かけおち女房ウリディスを演じているのは、キャスリーン・リーウェックさん。
お世辞にもスマートとはいえないけど、下着姿で大また開きで、露骨なセックスシーンはあるし、最後には股間に作りものの男根をぶら下げて、こんなお下劣なオペラ初めて観たといいたくなる熱演だ。

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コケにされる神さまというのは、オリンポス山に巣食うギリシヤ神話の神々である。
ここでひとつ断っておくと、ギリシア神話の神さまというのは、文学や科学、精神医学の分野で、ヨーロッパでは共通認識になっているけど、ギリシア以外の国に行くと、同じ神さまの名前がべつの名前になるのがフツー。
たとえばいちばんえらい神さまはゼウスだけど、これは英語名でジュピターになり、このオペラではジュピテルというフランス名になっていた。

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ジュピテルと恋のさやあてをするのは、プリュトンという冥土を担当する神さまで、ギリシア神話のハーデースである。
以前に観たバレエの「シルヴィア」には、風呂屋の三助みたいなエロスが現れたけど、こちらのそれは太った女性で、名前もキュピドン、若くてイケメンのはずのヘルメースはメルキュールで、執事のような小太りの中年男にされていた。
ジュピテルのやきもち焼き屋の奥さんはジュノン、愛と美の女神はヴェニュス、狩猟の女神ディアヌなど、名前は違えど、いずれもギリシア神話でおなじみの神さまたちだ。
一神教の神さまをヘタにからかうとあとがコワイけど、多神教の神さまはそんなことがないってんで、オッフェンバックもやりたい放題。

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ジュピテルというのは好色な神さまで、牛に化けて、あら、かわいいベコちゃんと寄ってきた女の子を、背中に乗せたままさらっていったりする。
この舞台でも奥さんのジュノンに、あんたのそういう性格が許せないのよと文句をいわれたりしている。
ギリシア神話は戒律だの禁忌などとうるさいことをいわない、きわめて人間的な神話であるから、このオペラを観るさいは、こういうエピソードに通じていたほうがおもしろさが倍増する。

自分が目をつけたウリディスを、横から最高尊厳のジュピテルにさらわれたプリュトンは、腹いせに神さま全員をそそのかして天界の反乱をこころみる。
扇動されたジュノンやヴェニュスなどが、プラカードを持ち、「暴君を倒せ、武器を取れ」と、フランス革命のスローガンみたいな大合唱をしながら決起するところは、北朝鮮のおとなしい民衆に見せてあげたいくらい。

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好色なジュピテルは、なんと蝿に化けてヒロインの部屋に忍び込む。
そんなエピソードあったかいと、たまたま手もとにあった呉茂一さんのギリシア神話を読み返してみた。
同性愛や近親相姦や、獣姦さえありのギリシア神話だけど、うちにあった文庫本にはこのエピソードはないようだ。
でもオペラの方では有名らしく、この部分は蝿の二重唱といって、「天国と地獄」の挿入歌としてよく知られているらしい。

ウリディスをくどこうと、蝿のジュピテルが目をぎらぎらさせて迫るところなんか、オペラ役者も大変だなあと思う。
大変といえばこの舞台には、バレエ顔まけの、大勢による一糸乱れぬ?ダンスシーンもあって、オペラ歌手ってのは歌だけ歌えればいいってもんじゃないことがわかる。

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「本当の人生は地獄でなければわからない」
これは劇中に飛び出す警句。
「どこか隠れるところはないか、そうだ、オーケストラ・ボックスが、いや、そこはウィーン・フィルに占領されている」
これは楽屋落ちのセリフ。
こんな現代にも通用する喜劇を書いたオッフェンバックって、いつの時代の人なのよとググッてみたら、印象派の開祖であるマネと同時代の人だった。
今回の舞台は現代化された(ような)「天国と地獄」だけど、歌やストーリーは当時と変わってないらしいから、当時のパリは楽しいところだったようだ。

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最後はオルフェをまじえて、冥土に押しかけた神さま全員がカオス状態になり、女装の男性が混じったたダンサーたちが、そろって足を上げるカンカン踊りになって、気色わるいというか、いくらわたしがオペラ初心者だとしてもグロすぎる。
しかも亭主が後ろを振り向いたおかげで、冥土からの脱出に失敗したウリデュスは、冥土に残るのもイヤ、あたしはバッカスの巫女になると言い出し、神話にそんな話はないといわれると、神話のほうを書き換えてしまえと自己チュウ的物言い。

これはいくらなんでも脚本家がハメをはずしすぎだろうと、念のため YouTube に上がっているほかの「天国と地獄」を見てみたら、ルクセンブルク版ほどひどくはないけど、やはり最後は乱痴気騒ぎになるのが定番のようだった。
なかには、オペラにしちゃスマートな美女たちが、スカートをたくし上げて踊り狂うお色気いっぱいのものもある。
オペラが苦手のはずのわたしも、いまそれにはまりかけているところ。

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2019年12月 9日 (月)

なにコレ

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昨夜BSのプレミアム・シアターで放映されたのはオッフェンバッハの「天国と地獄」。
タイトルと、小学校の運動会でよく聴いた派手なテーマしか知らないけど、喜歌劇とあるから、「アルジェのイタリア女」や、ちょいとまえに放映されたグラインドボーン音楽祭の「魔笛」みたいに、楽しいオペラじゃないかと期待して録画した。

なにコレ・・・・・

あぶなくおばさんのパンツを踏んづけてしまうところだった、という危機感を抱かせるような、おぞましいオペラだった。
なんでこんなものを録画しなくちゃならんのと涙が出たけど、そのものすごさが傑作みたいな気もするので、これからブルーレイに焼くところ。
そのうちヒマが出来たらじっくり観るつもり。
わたしもほんとモノ好き。

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2019年11月26日 (火)

魔笛

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ひさしぶりにテレビで観た舞台のお話だ。
オペラはあまり好きじゃないんだけど、すこしまえに放映されたグラインドボーン音楽祭における「魔笛」というオペラがおもしろかった。

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「魔笛」というのはモーツァルトの有名な古典オペラであることぐらいは知っている。
本来ならロビン・フッドの時代の劇なんだろうけど、この音楽祭のそれは思い切りアレンジがされて、登場人物の服装からするとビクトリア朝、つまりシャーロック・ホームズの時代を思わせる劇になっていた。

最近になってオペラやバレエの収集を始めたわたしには、時代を改変した古典オペラはけっしてめずらしくない。
わたしが録画したものだけでも、「スペードの女王」、「マクベス」、「アッティラ」、「タンホイザー」など、古典のままのオペラを探すほうがむずかしいくらいだ。

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オペラの場合、登場する役者には声量が必要だから、ヒロインは太った女性であることが多く、これがわたしにオペラがピンとこない理由だった。
しかし「魔笛」はもともと喜劇だから、ヒロインを演じたソフィア・フォミナさんが太った女性であっても、滑稽味を増すためのデフォルメとみなすこともできる。
彼女はなかなかの美人だし、こうなると太った女性は、もうそこにいるだけで温かな微笑みを感じさせるものなのだ。

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ヒロインはさておいて、この「魔笛」でいちばん感心したのが、音楽よりも舞台美術である。
セットは書き割りみたいな感じだけど、どこかで見たようなイラスト風の絵で、誇張された登場人物に、ユーモラスな造形のヘビや、大きなロボットまで出てくるのだ。
夜の女王のしもべである三人のウエイトレスが、「女性に参政権を」というプラカードを持っていたり、魔法使いのようなカギ鼻のおばあさんが、歳を訊かれて18歳と2分だと答えたり、皮肉やナンセンスの要素もありあり。

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わたしはこの「魔笛」を観て、ふいに宮沢賢治の童話を連想した。
突拍子もないことかもしれないけど、同じような舞台美術で、賢治の「注文の多い料理店」や「銀河鉄道の夜」をやったらおもしろいと思ったのである。
賢治には「飢餓陣営」や「植物医師」のような戯曲作品もあり、教師をつとめた学校では劇の指導にも熱心だった人だったから、彼がこのオペラを観たら、なんらかのインスピレーションを受けていたかもしれない。
歌唱方法のレベルが高すぎるのが欠点だけど、これをもうすこしとっつきやすいものにしてくれれば、この「魔笛」はそのまま子供向けの楽しいミュージカルになりそうだ。

もちろん音楽もすばらしいと書こうと思ったけど、よく考えたら舞台美術や出演者のコミカルな演技にばかり目がいって、音楽のほうはぜんぜん記憶に残ってなかった。

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2019年7月31日 (水)

ロミオとジュリエット

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先日録画したロイヤル・バレエの「ロミオとジュリエット」を観てみた。
日本向けサービスなのか、たまたまの偶然なのか知らないけど、主役の2人がふたりとも日本人なので、ちょっとこちらのイメージとちがうのが残念というか。
英国まで行って東京バレエ団の舞台を観せられているよう。

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ロミオを演じているのは、そのまえに放映された「フランケンシュタイン」で、主役の怪物を演じていた平野亮一クン。
彼はロイヤル・バレエのプリンシパルであり、背の高さであちらのダンサーにひけをとらない偉丈夫ぶりだ。
ただし顔つきは池田理代子さん描くところあまい王子さまとは異なり、わたしの見立てでは、ボリショイ・バレエのスパルタクス役なんかが似合いそう。
ロシアからオファーが来ないかしら。

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ヒロインのジュリエットを演じているのは高田茜ちゃんで、アップで見るとお人形さんみたいだけど、いかんせんタッパが足りない。
彼女にふさわしいのは、たとえば「くるみ割り人形」のクララや、「不思議の国のアリス」あたりだ。
子役のつとまるバレリーナは貴重だと思うんだけど、あっちこっちからオファーが来ないもんかね。

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だれがどんなバレエを踊ろうと、踊りさえ素晴らしければ文句がないはずだけど、あいにくわたしのロミオとジュリエットには、最初からある程度のイメージが確立している。
わたしは自分のそういうイメージを大切にする人間である。
だからロミオはレナード・ホワイティングのようであってほしいし、ジュリエットはオリヴィア・ハッセーのようで・・・・

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「ロミオと」は映画「ウエストサイド物語」の原作でもある。
しかし「ウエストサイド」のほうは、ニューヨークが舞台の現代ドラマに作り変えられているから、登場人物がリーゼントであったり、不良のロカビリー少女であっても文句はいわない。
平野クンと茜ちゃんの舞台も、設定を現代に変え、バルコニーではなく、納屋で愛をささやいたほうがよかったと思う。

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ものの本によると、「ロミオとジュリエット」は、ロシアが生んだバレエとしては「スパルタクス」と双璧とある。
ただしここでいう「ロミオと」は、ユーリ・グリゴローヴィチの振り付けによるボリショイ・バレエのもので、それと今回の英国版を比較してみると(ボリショイ版はYouTube で観られる)、差はかなり歴然。
ちなみにボリショイ版でジュリエットを演じているのは、わたしのイメージにまったく不足のないアンナ・ニクーリナさん。

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どちらもまず街の中で、ふたつに分かれた若者たちのいがみあいから始まるけど、ボリショイ版では男組みたいなバレエが勇壮で、最初から様式美がきわだつ、いかにもバレエらしい華麗なる振り付けだ。
英国版では出だしから大勢の男女がうろちょろして、これはまあ、当時の市井を忠実に再現しようとしたのかもしれないけど、バレエを観ているというより西洋のチャンバラ映画を観ているよう。
バレエらしからぬ雑多な印象は、英国版の最後までつきまとう。

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有名なバルコニーの場面も、ボリショイ版のほうがロマンチックだし、ジュリエットが薬を飲んで仮死状態になったあと、さまざまな思いが走馬灯のようにめぐるというのもボリショイ版で、このあたり幻想的でひじょうに美しい。
ただしこの映像では、オーバーラップという手法がかいま見られるから、舞台をそのまま捉えたものではない。
美しいと思う理由はカメラワークや編集に負うところもあるかも。

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ついでにもうひとつのロシア版「ロミオと」を観てみた(YouTubeで)。
こちらはマリインスキー劇場のもので、ヒロインはわたしにロボットみたいといわれたディアナ・ヴィシニョーワさんだけど、今回は
YouTube 経由だから、表情はあまり気にならない。
同じロシア版でも、こちらの振り付けはグリゴローヴィチではない。

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出だしだけを観ると英国版と同じような雰囲気だけど、バルコニーの場面や、主人公ふたりが相次いで死ぬ場面は、ボリショイ版にひけをとらない美しさ。
ロシアのダンサーは、わたしのイメージから大きく逸脱することがないのが大きいようで、わたしみたいな素人のおじさんでさえ美しいと思うのだから、これでは英国版は太刀打ちできないだろう。
「スパルタクス」と「ロミオとジュリエット」が、ロシア・バレエの至宝といわれる理由もよくわかった。
やっぱりバレエはロシアである。

ここに載せた写真は、最初の5枚以外はすべてロシアのもの。

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2019年7月 9日 (火)

夏の夜の夢

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すこしまえに録画した「夏の夜の夢」というバレエは、以前このブログに書いた「ル・ソンジュ」と同じシェイクスピアの原作をもとにしている。
ただ前者がパリ・オペラ座の作品で、きわめてオーソドックス、内容は「コッペリア」のようにご家族向けの楽しいバレエであるのに対し、後者はモンテカルロ・バレエによる現代解釈版で、18歳未満はお断りなくらい過激な作品であることがちがう。

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うまい具合に対照的なふたつの「夏の夢」が揃ったから、ここで両者のスタイルを比較してみよう。

モンテカルロ版を観たとき、このバレエってどんな物語なのかとウィキペディアを調べてみて、なんだかややこしくてよくわからないと書いた。
今回はもうすこし気合を入れてその解説を読んでみた。

森のなかに妖精の王さまと女王さまが住んでいて、この夫婦はけん怠期でケンカばかりしている。
将来を案じた王さまは、仲直りをするために、パックという男の妖精に命じて、ひとめ惚れの花を取ってこさせる。
この花の匂いをかぐと、だれでも目のまえにいた人間を好きにならずにいられなくなるのだそうだ。
この花を使ってよりをもどそうというのが王様の魂胆だ。

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ところがパックは手違いをして、森のなかに迷い込んできた人間にそれを使い、2組の恋人同士のそれぞれの相手を取り替えてしまう。
おまけに女王さまは、たまたま目のまえにいたロバを好きになってしまう。
パリ版ではほぼ原作通りのドタバタ喜劇だけど、モンテカルロ版では、なにがどうしてこうなるのという、イヤラシイ物語になっていた。

わたしが「パリ・オペラ座350年ガラ」というバレエ団のお祭りを観て、出演していたエレオノア・アバニャートというバレリーナの演技に感心したことはすでに書いた。
パリ・オペラ版の「夏の夜の夢」は、そのアバニャートさんが主演だから、おおいに期待したんだけど、うーん、もうひとつだったねえ。

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エトワールに任ぜられるようなバレリーナは、それなり年功をつんだ人が多い。
長年の研磨の果てにようやくその地位を得るのだから、はつらつとした若い乙女を演じるには、いささかトウの立ちすぎた人が多いのもやむを得ない。
アバニャートさんが「
350年ガラ」で演じたのはカルメンで、男を手玉にとるすれっからしのあばずれ女(すぐ上の写真)。
こういう役だと若いとか清純であるとかいう必要はないし、本領発揮なのか?じつに魅力的だった。
「ジゼル」でわたしにロボットみたいと書かれた、マリインスキーのディアナ・ヴィシニョーワさんもカルメンを演じているけど、まるで別人のようだったから、しおらしい娘役よりあばずれ女のほうが魅力的というバレリーナはいるのである。
 

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欠点がもうひとつ。
アバニャートさんの役は、妖精たちの女王だ。
若くなくてもいい役だとしても、せめてその他大勢の妖精たちとは異なる衣装にしてほしかった。
このバレエにはアマゾンの女王という、狆がくしゃみしたようなバレリーナ(すぐ上の写真)が出てくるけど、衣装はこっちのほうがカッコよかったから、最初はこれが女王かと思ったくらい。
アバニャートさんの衣装は、他の妖精たちと同じ、ピンク色のすねまである衣装で、ややもすると妖精たちに埋没してしまう。
なにもモンテカルロのベルニス・コピエテルスさんみたいに、骨盤まで見える衣装にしろとはいわないけど、女王は女王らしく他に差をつけなければいけない。

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ちなみにこのバレエの王さま役はユーゴ・マルシャンといって、頭が小さく、ハンサムで、プロポーション抜群のダンサーだ。
こういうのを専門用語で、王子さま役を張れるという意味のダンスール・ノーブルというらしい。
男のわたしが見てもほれぼれするし、それだけ見せ場が引き立つというもんだ。
こんなふうにダンサーの容姿や衣装にこだわるわたしって、観客としては邪道だろうか。

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2019年6月20日 (木)

名演技

わたしは映画ファンなので、素晴らしい演技というのをいくつも知っている。
たとえば「ゾラの生涯」のポール・ムニ、「欲望という名の電車」のM・ブランド、「傷だらけの栄光」のポール・ニューマン、「アパートの鍵貸します」のジャック・レモン、「ニュールンベルグ裁判」のマクシミリアン・シェル、「博士の異常な愛情」のスターリング・ヘイドン、「黒部の太陽」の滝沢修と辰巳柳太郎などなど。
女優の場合は美人でありさえすれば点があまくなるので除外したけど、ここではわたしの記憶に残るもので、とくに演技についてインパクトのあった作品を挙げた(ついでにDVDを持っているものを)。
ま、歴史に残るような名画に出演している役者の演技は、たいていが素晴らしいものだ。

ところで、バレエダンサーと映画俳優の演技を比べれば、こりゃ映画のほうが素晴らしいのは当然だろう。
ダンサーは踊りが売り物であるのに対し、俳優は演技が売り物なのだから。

そういうわけでバレエの分野で、だれそれの演技が素晴らしいなんて文章を見つけると、ホントかよという気持ちがあったことも事実。

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そんなわたしが、以前録画した「パリ・オペラ座350年ガラ」というバレエを観てみた。
ガラというのは全幕バレエのさわりの部分だけを集めて観せる、バレエ団のお祭りみたいなものだ。
なんだ、ダイジェスト版かと馬鹿にしていたけど、スター・ダンサーの踊りを要領よくながめるには、なかなか便利なものである。

この「350年ガラ」の中に、エレオノア・アバニャートというバレリーナさんが出てきて、「カルメン」と「椿姫」のさわりの部分を、ほとんど連続して踊っていた。
それを観てびっくりした。
「カルメン」では下着姿で、アタシと遊びたいの?
ほれ、ほれ、鬼さんこちらって具合のあばずれ女、「椿姫」では、ああ、アルマンさま、どうしてわたしをお捨てになるのという淑女を演じ分けていて、これって別人じゃないかと勘違いしたくらい。
バレエ・ダンサーの演技もあなどれないなと感心した。

てなことを書いたのは、じつは次回のBSプレミアム・シアターで放映されるバレエ「夏の夜の夢」に主演しているのが、そのアバニャートさんだから。
これはシェイクスピア原作のバレエらしいから、以前このブログに書いた、モンテカルロ・バレエ団の同作品と比較できるかもしれない。

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2019年6月18日 (火)

ウェルテル

べつにムリして強くなる必要もないんだけど、なんとかオペラに強くなろうと、ちょいとまえにBSで放映されたウィーン国立歌劇場の「ランメルモールのルチア」と、チューリヒ歌劇場の「ウェルテル」を録画しておいた。

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オペラ歌手は太っている人が多く、それが悲恋の主人公などを演じるのはどうもねえと、このブログにも書いたことがあるくらいだから、わたしはオペラが好きではない。
しかし文化人を自称する当方としては、バレエだけではなく、オペラについてもさりげなく知識をひけらかしたい。
欧州では、伝統的にオペラのほうがバレエより人気があるという。
理由はわからないけど、たくさんのオペラの舞台を観ておれば、その謎も解明できるかもしれない。
ちなみに、わたしは音痴なのでカラオケもきらいなんだけど、ジャズやロックなら筋金入のファンだ。

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録画した「ウェルテル」を観てみた。
これはゲーテの小説「若きウェルテルの悩み」をもとにしたオペラだそうで、原作の舞台は18世紀のヨーロッパである。
しかし録画したものは現在という設定になっていて、これはバレエでもそうだけど、流行りのアバンギャルド化。
伝統的なオペラというのは、まず歌があって、それにあとから劇をくっつけたものだから、マクベスやアッティラがナチスの将校という解釈もある。
演じる女性がミニスカートでもノーブラでもいいわけだ。

話はそれるけど、わたしはゲーテの原作を読んだことがない。
なくて正解だった。
高校生の時分にこんなものを読んでいたら、わたしもとっくに自殺していたにちがいない。
若いころのわたしは、自分が詩人か映画スターであるという、手のつけられない自己肥大症だったもんで。

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初めてのオペラを観る場合、あらかじめの予習が欠かせない。
オペラの「ウェルテル」の見どころはどのへんにあるのか、ウィキペディアやネット情報に目を配ってみた。
劇中歌では「手紙の歌」や「オシアンの歌」というのが有名らしい。
それでこの歌から聴いてみた。
「オシアンの歌」はたしかにいい歌だったけど、歌っているのはラグビー部の猛者みたいな男性だったし、このためにムリして舞台を観たくなるようなものじゃない。

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最近、わたしは自分のフェイスブックに、なつかしのロックグループ、ドアーズの「ロードハウス・ブルース」を張りつけた。
これは大音響で聴くにふさわしいハードロックで、わたしのことを老いぼれたじいさんと侮る若いモンに、ひと泡吹かせようという魂胆だ。
ロックやジャズならいまでもしょっちゅう聴くのである。

そもそも喉をびりびりさせた、オペラ特有の歌い方からしてわたしは好きではない。
へんにむずかしい歌い方をされるより、わたしはやっぱりジム・モリソンやミック・ジャガーの、しろうとでも歌える歌い方のほうが好きだ。
ま、生きているうちにオペラの真髄に到達できるかどうか、またそのうちに他の舞台を観てみよう。
現時点で、録画したオペラは11個もあるのだ。

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2019年5月25日 (土)

官能の女王

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録画した「ライモンダ」というバレエ、まだ全篇を通して観たわけじゃないけど、主役のヴィクトリア・テリショーキナというバレリーナさん、これミスキャストだよなあ。
彼女は「石の花」の銅山の女王役は素晴らしかったのに、この舞台ではどうもイマイチ。
わたしの独断と偏見でいわせてもらえば、チュチュ(白鳥の湖で知られるミニスカートの典型的なバレエ衣装)を着た、お姫さまのような役は彼女には不向きだ。
プリンシパルに任ぜられるようなバレリーナであれば、どんな役でもこなせなければいけないというのはわかるけど、究極の美を追求するわたしは、ほんのわずかの欠点にもうるさいのだ。

彼女はワガノワ・バレエ・アカデミーの出身で、この役を演じるまえに、そこの先生から、あなたは「石の花」の銅山の女王にふさわしいのに、なぜレパートリーにないのと訊かれたそうである。
この先生もよくわかっている。
「石の花」で彼女が演じたのは、人間に恋をする魔女のような存在で、体にぴったりフィットした全身タイツを着て、ちょうど平昌オリンピックのときのアリーナ・ザギトワのように、発散する異様なフェロモンで観ている男たちを悩殺せしめた。

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つまりテリショーキナさんはその容姿から、男たちの上に君臨する強い女子というのが適役なのだ。
黒皮のボディスーツにムチを持って、男をいたぶるSMクラブの女王なんてのはどうだろう。
このバレエと抱き合わせで放映された「マタハリ」というバレエを観れば、およそどんなドラマでもバレエにならないものはなさそうだから、あとはいい原作さえあればと思う。

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2019年5月19日 (日)

バレエ雑談

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今夜は「ライモンダ」だそうだ。
あ、BSで放映予定のバレエのはなし。
またマリインスキーだそうだから、古典スタイルに決まっている。
ヒロインを演じるのはヴィクトリア・テリショーキナってバレリーナだけど、この子はまえに「石の花」という作品について触れたとき、ちょっときつめの美人と書いた子じゃないか。
その作品の彼女の演技が記憶に焼きついて、もういちど観たいと熱望していた子でもある。
すでに録画予約ずみ。

ところでこのテリショーキナさん、ほかの映像で見ると、霊長類最強女子といわれた吉田沙保里選手に似ているところもある。
バレエがどうしてオリンピックの種目に加えられないのかと、いつも疑問に思ってんだけど、その理由は彼女の存在かもしれない。

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話が変わって、五輪の体操選手に村上茉愛という女の子がいる。
体操選手としてはふっくらした体型に加えて、愛くるしい顔立ちからわたしもファンのひとりなんだけど、今朝の新聞を見たら、ふっくらがいささか度を越して、お相撲さんみたいな体型になっていた。
そのせいかどうか、腰に負担がかかりすぎて、試合に欠場だそうだ。

という記事をブログに載せようと思ったら、ただいま大変混雑しておりますという表示が出た。
なんかあったのか。
混雑するくらいなら、わたしのブログのアクセスも急上昇しそうなものなのに。

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