マイヤ・プリセツカヤの「闘う白鳥」、読み終わったから感想を、いちおう書いておこう。
バレエやプリセツカヤに関心のある人は、けっこう世間に多いらしく、この本の書評や個人に対する感想もたくさんあるから、へそまがりのわたしは別の視点からひっかいてやろうと思う。
マイヤの人生についてはよく知られている。
彼女はまだ幼いころに、父親を悪名高いロシアの秘密警察に粛清された(皮肉なことにバレリーナとして天分を発揮しはじめたマイヤは、父親を逮捕した秘密警察員のまえでも踊ったことがあるという)。
こうした体験が、権力に対する不信と反逆精神をマイヤの脳裏に刻みこみ、彼女の前半生は非人間的なソ連の官僚主義との闘いに終始した。
とまあ、こういうことは彼女を知る人には常識である。
しかしもちろん、お上に逆らって無事でいられないのが、当時のロシアだ。
ソ連時代にもロシアのバレエ団が西側で公演することはよくあったけど、マイヤは徹底的に参加メンバーからはずされる。
ロシアのダンサーはヌレエフやバリシニコフのように、海外公演をもっけの幸いと亡命することが多かったから、ロシア文化省もそうそうかんたんには許可を出さないのだ。
外国で演じたい。
このへんは、本場の米国で勝負したいとねがったプロ野球の野茂英雄に似ている。
彼女の闘いは続くのである。
16歳にしてボリショイの舞台に立ったマイヤは、すでに大器の片鱗をあらわしていた。
実力がついてくると、人間ハナっぱしらが強くなるのは洋の東西を問わない。
あるとき彼女は、新聞(もちろん国家の御用新聞だ)のバレエ批評欄に自分の名前がないと、ボリショイの総裁のところに怒鳴り込んだことがある。
これはひじょうに危険な行為のはずだけど、彼女が粛清や流刑をまぬがれたのは、ロシアでは芸術家に対する尊敬の念が、細々ながらあり続けたからかもしれない。
こんな反抗的な性格がたたって、あいかわらず仕事を干されたり、いやがらせが続いた。
彼女の闘いは続く。
しかしロシアの雪解けは着実に進んでおり、時代はしだいに彼女の有利に傾いていった。
国内に幽囚状態だったマイヤだけど、苦労して状況を変えてゆき、ついに米国公演に参加するところまできた。
当時はケネディ大統領の時代で、つまりまだ冷戦のまっ最中で、アメリカ人は評判ばかりが先行していたこの希代のバレリーナを、ひと目見ようと大騒ぎだ。
これはソ連という国へのあてこすりもあったのだろうけど、大統領まで乗り出して、連日パーティーだ、晩餐会だとマイヤを歓待する。
とくにケネディの弟のロバートは、向こうから紹介してくれと頼み込んでマイヤにせまった。
ケネディ兄弟といえば女ぐせのわるさで有名だから、下ごころがあったことは間違いがない。
下ごころなしに花束を贈ったり、食事に誘う男はめったにいないものだ。
そういうわけですこし心配になるけど、わたしがマイヤの貞操について心配しても仕方がない。
ただ彼女も資本主義に毒されてない純情なロシア娘だったから、米国で歓迎されて、いささか舞い上がっちゃったようだ。
彼女はアメリカで、指揮者のレナード・バーンスタイン、俳優のイングリット・バーグマン、オードリー・ヘプバーン、シャーリー・マクレーンなど、そうそうたる顔ぶれのセレブと知り合ったことをうれしそうに書いている。
しかし芸能週刊誌じゃあるまいし、そんなものはわたしには別世界の話だから、さっさと読み飛ばして先に行こう。
屈折してやがんなといわれそう。
彼女の米国公演は大成功だった。
しかし・・・・
ここで共産主義国の給料システムについて触れておくと、海外で公演しても劇場から演技者に支払われる出演料は、その大部分を国家がピンハネし、演技者にはスズメの涙ていどしか支払われない。
これは現代でも北朝鮮がいい例だ。
アメリカ公演でマイヤがもらった日当はたったの40ドルで、あとで「子犬を連れた貴婦人」に出演したイヌの出演料は700ドルだったそうだ。
マイヤの本を読んでいると、ときどき彼女も女性だなと思わせられる箇所に出くわす。
人間に対する好ききらいがはっきりしていて、自分に好意的な人は持ち上げるけど、自分をいじめた人物についてはあとあとまでネにもつ。
これは女性にありがちな性格だ。
振付師のグリゴローウィチと仲がわるかったというのは、両方のファンであるわたしにはコマッタ、コマッタ。
米国公演以降のマイヤは順風満帆というところだけど、芸術家としての創作本能がうずいたのか、つぎの境地をめざし始める。
それがキューバの振付師アルベルト・アロンソとのコラボである「カルメン組曲」だ。
あんなひわいな踊りは認めませんと、これはわたしではなく、ボリショイ劇場の総裁がいったことなんだけど、保守的な先輩ダンサーにはそうとうイヤらしい踊りに見えたらしい。
これでまたマイヤの反抗心に火がついた。
ひわいといわれるとすぐに気になる人もいるだろうけど、どうしてもその舞台を観たい人は、YouTubeでマイヤのカルメンを探してみればよい。
そんなこといったって、だいたいバレエって、短いスカートの美人が大股をひろげちゃって、みんなひわいじゃないのという人もいるかもしれない。
しかし白鳥の湖の清純なお姫さまが下着をチラ見させるのと、マイヤのカルメンが太ももをドン・ホセにすりつけるのとでは、やっぱりひわいの度合いがちがう。
伝統と格式に固執する総裁とマイヤは、激しい口調で応酬する。
あんないやらしいバレエばかりになったらボリショイはどうなりますか!
どうにもなりません、いままでどおり腐敗するだけです!
こうなると売り言葉に買い言葉だけど、それでもマイヤが無事でいられたのはなぜか。
じつは彼女はこのすこしまえに、ソ連で最高の栄誉とされるレーニン賞を受賞していた。
名実ともにロシア最高のバレリーナというお墨付きをもらったようなもので、もはやちょっとやそっとわがままをいっても、ホームレスになる心配はないポジションである。
けっきょくマイヤは勝利をおさめ、この後の彼女はおおっぴらに海外に飛躍していく。
彼女の進出先には日本も含まれ、この本では日本舞踊の井上八千代さんの踊りに感心したことや、熱心な日本人ファンのことも触れられている。
最近の YouTube なんか見ると、日本びいきのロシア娘がやたらに増えているけど、彼女はそういう面でも先駆者といっていい人だったのだ。
マイヤ・プリセツカヤの偉大さは、最後までロシアに踏みとどまって、横暴な官僚主義に抵抗したことと、革新的なバレエ、カルメンを演じたことだろう。
彼女は鉄のカーテンをこじあけ、あとに続く者たちに自由世界への扉を開いたのである。
このあとロシアのダンサーたちは、ローラン・プティ、バランシン、ベジャール等の前衛バレエさえ踊ることになるのだ。
・・・・ひわいの度合いもいよいよ増したかもしれない。
YouTube にマイヤのカルメンを引き継いだスヴェトラーナ・ザハーロワの映像が上がっているけど、これを観てあなたはどう思う?
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