日記・コラム・つぶやき

2020年10月21日 (水)

ウイグル自治区

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知り合いから送られてきた最新の新疆ウイグル自治区の写真。
最新といってもあまり変わり映えがしないね。

右はチーズかと思ったらバターだそうだ。
中国人はむかしからチーズだけは食べないといわれていた。
しかしモンゴルあたりではバターは食べていたようだし、彼らの食生活は日本の影響などで変わりつつある。
そのうち新疆の市場にマグロの刺身がならぶ日がくるかも。

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2020年10月18日 (日)

オレは生きるぞ

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今日はきのうとうってかわって晴天になった。
パン屋まで焼きたてのフランスパンを買いに行くとちゅう、まるで台風が去った直後のような秋晴れに絹雲だ。
たちまち大声で叫びたくなり、それっと、ミューズの神が行ってしまわないうちに詩でもひねろうとしたけれど、午後になったらもう曇ってしまって、また陰険な日曜日を過ごすことになってしまった。
自然に湧いた、こころの底からの叫びを発表するのは、タイミングがむずかしいものだ。

秋晴れのひろいひろい空。
そうありたいと願って、そうなったのに、空にむかって不満があるか。
あるわけがない。
絹雲が、空いっぱいに手をひろげて、わたしを呼んでいる。
見ていろ。
リハビリ中の大先輩も、熊本のKさんも、ネコ大好きおばさんも、親戚のばあちゃんも、沖縄に行ったあいつも、山登り仲間のこいつも、奥さんに先立たれた愛妻家の彼も、じいさんも、ばあさんも。
オレは生きるぞ、あと30年は。
オレは行くんだ、あの雲のところへ。
死にたいやつは勝手に死すべし。

画像、差し替えました。

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2020年10月15日 (木)

デジタルズーム

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昨日、ひさしぶりに近所の水辺公園に行って撮影したカワセミの写真。
わたしのコンパクトデジカメでは、目いっぱい望遠にしても1枚目の写真ていどが限界。
2枚目の写真は、これをトリミングしてデジタル・ズームの効果を出したもの。
もっともっとトリミングすれば、3枚目のようにさらにズーム効果が出るけど、画質が落ちるのでもはや写真とはいえなくなってしまう。

さらに追加してみた。

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2020年10月11日 (日)

あーららら

あーららら!
デスクトップでメールのやりとりがぜんぜんできなくなっちゃったよ。
うーんと考えたけど、わっからない。
ネットを使うには問題がなくて、ブログの更新も、YouTubeの閲覧も、いやらし系の鑑賞も問題なくできるのに、メールだけがウンともスンともいわないのである。

これはわたしの使っているメールソフトの hotmail に問題ありか。
だいぶしばらくほうっておいたアカウントを、たまには変更しないとダメかしらと思ったけど、そうではないようだ。
使えないのはウインドウズのデスクトップだけで、
iPhoneiPadでメールをやりとりする分には、これまで通り hotmail もちゃんと使えるのである。
むむむ・・・・・

ま、ウチにはマックもあるし、タブレットもスマホもあるし、とりあえず困ることはないので、しばらくほうっておくつもり。
先はけっして長くないんだから、修理ばっかりにかまけて、その途中でぽっくりいったらつまらない。

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2020年10月10日 (土)

病院

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今日は病院に来ている。
健康診断である。
去年までは勤労者だったから、健康診断は所属していた団体でやっていた。
今年からお役所の温情にすがって、自己判断でやらなければならない。
わたしみたいな者でも、現在の日本という国家を建設するのに、なにかしらの貢献があったかもしれないから、温情にすがるという言い方はおかしいかしら。
あいかわらず病院のお世話になるようなこころあたりはぜんぜんないんだけど。

おかげで朝からなにも食べてない。
もう待合室で1時間も待たされているけど、タブレットがあるから退屈はしない。
空きっ腹をかかえて待合室で、受付の女の子は美人だななんて、ひとりで感心している。
彼女はマスクをしてるから、ほんとうのところはわからない。
早く家にもどってメシを食いたい。

こんなくだらないことで、あ、待合室にいるあいだにもうブログの更新もできてしまった。

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2020年10月 9日 (金)

世論調査

午前中から世論調査というものがやってきた。
いつも午前中は寝ていることの多いわたしが、不機嫌な顔をして出てみると、調査員は女性だった。
だからなんだというわけでもない。
相手は叩いても蹴飛ばしても起き上がってくるような、タフな感じのおばさんだった。
そのくらいでないと戸別の訪問調査は務まらないにちがいない。

ヘタに応じて、おかしな団体の個人調査に利用されるのもおもしろくない。
しかし調査のための質問書をながめると、調査もとは時事通信で、けっこうメジャーだし、不審な点はないようだった。
むしろ世間に遠慮しながら生きているわたしみたいな人間が、栄えある解答者に選ばれたことを感謝すべきかもしれない。

Q:支持する政党はどこですか。
A:自民党です。
Q:野党に期待しますか。
A:ぜんぜん。
Q:景気はよくなっていると思いますか。
A:仕事をしてないのでわかりません。
Q:地球温暖化によって地球に異変が起きると思いますか。
A:思います。
Q:防災マップは見たことがありますか。
A:そこの壁に貼ってあります。
Q:近所付き合いはありますか。
A:ひきこもりなのでほとんどありません。

このようなどうでもいいことばかりを訊いて、最期に五百円の金券(コンビニの利用カード)を置いていった。
それで今日の昼メシはセブンイレブンの弁当にした。

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2020年10月 6日 (火)

ネコ

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今日は自転車で府中までサイクリングしてきた。
ひさしぶりに旧知のネコおばさんの顔を見に。
この人の家に行く目的はもうひとつあって、彼女の家には大きなネコがいる。
そいつの頭をなでつけて帰ってきたのだ。

中国からもどさどさ写真が送られてきているので、今日のブログ更新はこのくらい。

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2020年10月 5日 (月)

ユーチューバー

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先日、巾着田にヒガンバナを見に行ったことを書いたけど、高麗の駅で下車したとき、わたしのまえを、マイク、録音機やジンバルで本格装備のユーチューバーが歩いていた。
歩きながらひとりでぶつぶつ、撮影から解説までみんなひとりでやってしまうらしい。

興味があったので帰宅してからYouTubeをしょっちゅうのぞいているんだけど、去年以前の映像はたくさんあるのに、この人の映像はまだアップされてないようだ。
今年の映像では、花がぜんぶ刈り取られてしまったので、行っても無駄ですと悲観的なものがあった。
そうかね。
わたしのブログを見ればわかるけど、今年は花のない異常な年ということで、逆におもしろい映像が撮れたかもしれないのに。

YouTubeは曲がり角だ。
お手軽に金が儲かるという考えはそろそろあきらめたほうがいい。
これだけ大勢の人間がネコも杓子もYouTubeじゃ、もう良貨が悪貨を駆逐する状態になってもおかしくない、いや、そうなってほしい。

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2020年10月 4日 (日)

自治会

ひとりぼっちというのはとても快適なものだ。
と、わたしはいつも思っているんだけど、ときどき、これでは社会性がなくなって、ますます人間が偏屈になるのではないかという心配もある。
そんなこころの動揺を見透かしたように、今日は団地の自治会長がやってきた。
自治会に入って下さいって。
年会費は4千円だそうだ。
新聞代さえ、もったいないとやめてんだぞ、こちとら。

それでもゴミ置き場のまわりの清掃の恩恵を、タダで享受してばかりじゃ申し訳ない。
わたしの番のときぐらい、たまには白分でやらなければイケナイだろう。
そんなふうに、わたしとしてはきわめて常識的に考えて、年会費を払った。
くやしいから、また一句。

  美しき寡婦はいるかと自治会入り

んなもん、いるわけねえだろといわれてしまいそう。
うちの団地の入居者の平均年齢からすれば。

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2020年10月 3日 (土)

高麗郷古民家

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昨日、高麗(こま)にある巾着田のヒガンバナを見てきたけど、そのとき巾着の口に当たる部分の高台に、寺院かなと思えるほど豪壮な建物があるのに気がついた。
これは国の登録有形文化財にも指定されている「高麗郷古民家」というものだった。
これを見学しているうちに、わたしの頭のなかには、夏の入道雲のような、壮大なロマンがわき上がってきた。
わたしは高麗という地名が、朝鮮の人たちにゆかりのある地名だと知っていたから、そこから転じて、最初にここへやってきた人たちが、川の流れによって巾着状になったこの土地を見て、なにを思ったかと考えたのである。

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「高麗」というのは遠いむかしに存在した朝鮮王朝の名前であり、日本の各地にあった高麗という地名は、戦火に追われて日本に逃れてきた高麗人たちが住みついた土地であるという。
これについてウラを取ろうと、ウィキペディアを調べてみたら、朝鮮には高麗という王朝は過去にふたつあったことがわかった。
そりゃ想定外だなと、あわててよくよく読んでみると、巾着田のある高麗にかかわるのは高句麗(こうくり)とも呼ばれた、日本でいえば聖徳太子のころの王朝だった。
もうひとつの高麗王朝はずっと下って、日本の「源氏物語」の時代から、最終的には足利尊氏や新田義貞のころまで存続した王朝で、そのころにはもう日本には気前よく土地を他国の人間に与える余裕がなかったのか、とりあえずここでは問題外。

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この古民家について、朝鮮の様式も残っているという記述を見たけど、わたしは建築の専門家ではないから、どこがそうなのかわからない(オンドルでもあればわかりやすいのに)。
それよりも障子のある部屋、畳がびっしり敷かれた床、三和土(たたき)とよばれる土をかためた土間、ささやかながらも石を組んだ石庭などをみると、純粋すぎるくらい日本的な建物に見えてしまう。
かまどのある台所や、古井戸のある裏庭なんか、わたしが子供のころ見た親戚の農家にそっくりだ。
この家の主がどこから来たにせよ、日本人の精神をはっきりと把握した人であることはまちがいがない。

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聖徳太子のころはまだ日本は人口も少なく、土地はあまっていたから、亡命者たちにどしどし土地を分け与えた。
そんな渡来人の一派が埼玉くんだりまでやってきて、ほれ、ここがあんたらの土地だといわれる。
ながめると、川に囲まれた肥沃そうな土地で、開墾すれば立派な田地田畑になりそう。
これはありがたいと、ただちに鎌や鋤を持ち、汗水たらした人々がこの家の当主と眷属だったのだろう。
いま目のまえにある家そのものは、明治時代に建てられたものだそうだけど、はるかなむかしから、同じ場所に家が連綿と建てられ続けていたに違いない。

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古民家には終わったばかりの中秋の名月のために、ススキと団子が供えてあった。
「山川異域 風月同天」という漢詩をもういちど思い出してほしい。
場所が変わっても月は同じ天を照らすという意味である。
縄文や弥生のむかしから、日本人は大陸の人々と、わけへだてなく付き合ってきたのだという思いがわたしのロマンだ。

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