日記・コラム・つぶやき

2026年1月14日 (水)

無能な政治家たち

もと中国大使の垂(たるみ)さんという人が、リスクの分散を計るべきだと、もっともらしいことをいうと、それに飛びついて、バカのひとつ覚え。
ロシアと親しい中央アジアの首脳をホステス外交で迎えたり、海のものとも山のものともわからない海底のレアアースを拾いにいくしか、日本の政治家にはアイディアが浮かばないらしい。
そんなことより中国と仲良くしたほうがよっぽど安上がりじゃないか。
多くの国が参加した一帯一路の中で、さすがは日本だと頭角をあらわすほうがずっといいのに。

中国が一強になると、かならずいまのアメリカのような横暴を始めるというのは、どこから出てきた発想なのかね。
これまでのところ、中国が紛争や内紛を仕掛けた事例がひとつでもあるか。
世界をながめても、むしろ赤字覚悟で相手の国に輸送インフラを整えるだけじゃないか。
かりに中国が横暴を始めたら、やはり迷惑をこうむる国同士で連帯して、抵抗すればよい。
そのときはロシアも日本の味方をして、造反するかも知れないし、現代は地球規模で団結しなければならない問題も山積みなんだよ。

早苗ちゃんは選挙をするつもりらしいけど、わたしもぜひやってほしいね。
結果うんぬんではなく、冷静に考えれば、ここまで早苗ちゃんの功績はゼロに等しいので、パンダを見たいよーという日本人がどう考えてるのか知りたいのだ。
早苗スマイルばかりじゃ、飽きられるのも早いんじゃないかと思ってんだよ、わたし。

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2026年1月12日 (月)

サイエンティスト

昨日は乙女チックなわたしを見せたけど、今日はハードで冷酷なサイエンティストとしてのわたしを見せよう。

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NHK-BSの新しいBBCのシリーズとして、なんとかいう恐竜を扱ったテレビ番組が始まったみたいである。
みたいであるというのは頼りない話だけど、これは絶滅した恐竜の時代を、CGで再現してみせる科学番組だ。
BBCの科学番組に絶大な信頼と尊敬をいだくわたしが、なぜかこの番組を録画コレクションに加えようと思わない。

先日のトリケラトプス編を観たけど、どうもわたしがあらかじめ抱いていたイメージと違うんだよな。
トリケラトプスというのは恐竜好きな子供ならだれでも知っている、あたまに2本の角をはやした、いわば現代のサイといっていい恐竜だ。
あら探し名人のわたしにいわせると、登場する恐竜の動きがギクシャクして、まだまだストップモーション時代の恐竜映画を思わせるし、やけに家族のきずなみたいなものが強調されて、恐竜というよりサバンナのチーターみたいである。
恐竜の時代というのは、現在の野生の爬虫類世界と同じで、弱肉強食の、もっと情け容赦のないものだったんじゃないか。

現代の爬虫類、たとえばワニの仲間には、親が子をいとおしむこともあるってことは知っている。
恐竜はもっとずっと大きいから、知能ももう少し発達していて、家族のきずながあってもおかしくない。
しかし、どうもおとなが真面目な顔をして観る番組じゃないね。

また、いまでも宇宙人の存在を信じている人がいる。
わたしはこれも一笑に付してしまう。
夢も希望もないやつだなと思われるかも知れないけど、サイエンスというものに精通すればするほど、宇宙人なんてアホらしいとしか思えないのである。

ちなみに、信じる人にその根拠を尋ねてみればよい。
たぶん彼は、宇宙は広大だ、そして星の数も無限なのだから、宇宙人がいないと考えることほうがおかしいというだろう。
たしかに宇宙は広大だけど、彼は広大という意味を平面で捉えていて、宇宙には時間という垂直の広がりもあることを忘れてるのだ。
以前カール・セーガンの本を読んでみたら、そこで彼は宇宙人と出会う確率を計算していた。
宇宙は広大であり、星の数も無限という前提から始めて、消去法でそれをどんどん減らしていくんだけど、最後には時間の広がりから、可能性はほとんど数億分の1になってしまう。

つまり、どこかに宇宙人はいるかも知れないけど、たまたま彼らと同じ時間に生存してなければ、出会えるわけがないのだ。
宇宙の誕生から現在までの時間は、凡人には想像もできないくらい長く、地球に人類が誕生してから現在までは、くしゃみをするほどの短い時間だ。
しかも地球人を見ればわかるように、数千から数万年もすると、進化した生きものは、核戦争でも始めてかならず滅びてしまうものかも知れない。
ぴったり同じ時期に、同じような文明をもった生きものが生存する確率は無限に低いのである。

しかも宇宙は、人類がそれを乗り越えて、ほかの星に到達するのもむずかしいくらい広大だ。
地球人の作った探査機がやっと太陽系を抜けたけど、それにしたって距離は、せいぜい、わたしの親指の爪くらいかも知れない。
かりに宇宙人が地球にやってきたとすれば、彼らの文明はわたしたちよりはるかに進歩していることになり、生きものとしても人間とミミズほどの開きがあるだろう。
あんたはミミズと会話したいと思うかね。

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2026年1月 6日 (火)

目で観る図書館

わたしは書物をたくさん所有していたけど、インターネットの時代が来て、そのほとんどを処分した。
書物も大半はネットで読める時代だし、音楽にしてもしかり。
せまい部屋を、本やレコードで埋もれさせておくことはないのである。
こういう点では、わたしくらいデジタル時代の恩恵を受けている人間はいないかも知れない。

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あるときわたしは考えた。
本ではなく、映像で図書館を作ろうと。
つまり、インターネット上に氾濫している映像や、NHKの番組のなかの有益と思えるものを、かたっぱしから録画して保存するのだ。
最初は映画好きが高じて始めた道楽だったけど、しだいにエスカレートして、いまでは旅、音楽、サイエンス、ドキュメントなどの、多くの分野が含まれることになった。

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じっさいの書物を収集するのに比べたら、保存用ディスク1枚の値段なんて、せいぜい100円だから、ずっと安い。
むしろバカにできないのは、インクジェット・ディスクにプリントするためのインク代のほうだけど、これのデザインをするのも楽しみのうちだからやむを得ない。
DVDはそのうちブルーレイに変わったけど、1枚のディスクの中に3時間、もしくは4時間の映像が収まるから、データ量としてはそうとうの分量になる。
これなら丸くて平べったいディスクが溜まるだけで、スペースはたかが知れている。

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ここに挙げたのはわたしのコレクションのほんの一部だけど、ディスクの表面の図柄は、ネットに氾濫する画像から見つけて、自分でデザインしたものだ。
ロックグループ、クリームのディスクの図柄なんて、レコードジャケットではお馴染みだけど、ディスクとしては世界にたった1枚しかないものである。
著作権はどうなってんだという人がいるかも知れないけど、これはまったくわたし個人の楽しみのために作ったディスクだから、なにも問題はないのである。 
冬の夜中に、こんな個人ディスクのデザインを考えているのも楽しい。

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もちろん録画保存したものをすぺて観ている時間はない。
しかし図書館というものは、そもそもすべてを読むためにあるわけではなく、知りたいときに知りたいことを調べるためという目的も大きいのだ。
部屋にあるおおよそのディスクの内容を把握しておけば、わたしは、たとえばあの映画のあのシーン、あのコンサートのあの場面、外国旅行に行く場合は、あらかじめその国はどんなところなのかとチェックできるわけだ。
中にはトランプさんが復活した2024年の大統領選挙の映像もある。
刻一刻と変わる選挙結果のようす、あわてふためく日本の公共放送という歴史的な騒動を、いつでももういちど観られるのである。

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というわけで、いまわたしの部屋にはさまざまな分野を録画したディスクがブルーレイだけで600枚近くはある(これ以外にDVD時代のものもあるんだけど、それはまとめて箱に詰めて、押入れの中に積んであるので、メンドくさいから数えてない)。
90パーセント以上がNHKが放映したもので、民放番組はよっぽど貴重な映像でないかぎり、録画する必要も余裕もなかった。
録画した番組がこれほど膨大なものになると、過去にいちど録画したものを、もう一度録画するというミスがしょっちゅう起きる。
わたしはそうならないように、エクセルで簡単なデータベースを作って管理している。
おかしいと思ったら、念のためこのデータベースを調べて、過去に録画したことがないか調べるわけだ。

そんなものは個人で保存しなくても、現在ではYouTubeやアーカイブなどで、いつでも過去の映像を観られるじゃないかという人がいるかも知れない。
たとえばここに挙げたクリームの再結成コンサートなど、YouTubeでいつでも視聴が可能なのだ。
しかしあのバンドの演奏を自分のものにして、いつでも好きなときに観られるという、コレクターの気持ちはわかるまい。
これらのディスクが、生きているわたしのこころをどれだけ豊かにしてくれたかということも。

いっておくけど、わたしは決して書物の大切さも忘れてないよ。
いまでもよく図書館に顔を出して、リサイクル本におもしろそうなものがないか漁ってくるくらいだ。
ただ、買ってまで欲しい新刊本は、最近はほとんどないけどね。

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2026年1月 3日 (土)

レッコする

食当たりしたようだ。
昨夜はひと晩中腹痛に苦しみ、夜中にトイレでゲロゲロしたけど、その後ようやく熟睡したら、朝にはいつもの自分にもどっていた。
原因にはこころあたりがある。
ダイコンの煮物がいけなかったのだ。
冷蔵庫の残り物を消化しようと、野菜はまあまあだけど、鶏肉の古いものを使ったのがいけなかったのだろう。
まだあと2回はおじやを作る予定の煮汁はレッコすることにした。

と書いてむかしのことを思い出した。
“レッコする”・・・・
これはたしか自衛隊にいたころ使った用語だけど、いったいどんな漢字を書くのだろう。

自衛艦に乗っていると、よく古い軍隊用語や英語が起源の言葉を使うことがある。
甲板掃除を終えて、不要になった汚水や布切れなんかがあると、そんなものは海にレッコしてしまえなどと使う。
しょっちゅう使っていたので、新兵のわたしは知らないまま覚えてしまったけと、あれはどこから来た言葉で、どんな字を書くのだろう。

もうすぐ死にかけたじいさんになって、気になってグーグルで調べてみたら、AIが教えてくれた。
「れっこする」とは、主に海事関係で使われる言葉で、英語の「let go(レット・ゴー)」が転訛したもので、「放す、解放する、投棄する、捨てる」といった意味があります。
錨(いかり)を海に下ろす時(レッコ・アンカー)や、ロープを離す時などに使われ、転じて一般的に「捨てる」という意味でも使われることがあります。
ナールホドね。
海上自衛官は当時からスマートで知られていたからね。

さあ、元気になってまたブログに専念するぞー。
なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ。
昨日は4桁あるはずのアクセスがまた2桁(91)じゃないか。
それでも偏向してないって言い張るのか、え、ココログさん。

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2026年1月 2日 (金)

正月2日

雪だという予報だけど、午後の1時で、まだいまのところは太陽がのぞく天気。
元日は若干残っていたダイコンの煮物の材料で雑煮をつくった。
それでもまだ材料に残ありなので、今日はスーパーでダイコンの切り落としを買ってきて、またダイコンを煮るつもりだ。
すると残り汁で2回はおじやが作れる。
明日の晩まではそれで過ごせる。
正月にうたったように、せいぜいガザの子供たちのことを思って贅沢はつつしもう。

新年早々、学者のエマニュエル・トッド君がわたしと同じ意見。
戦争を引き延ばせば犠牲が増えるだけだ、そうしようとしてウクライナを支援する欧州に気をつけろとのこと。
そんなことはわたしがずっといい続けてきたことだ。
彼の意見を英語で読むなら、わたしのブログを日本語で読むほうがエエぞ。

  同情も災害ごとのリアクション
         きのう東北きょう能登の国
拝啓、NHKさん。

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2026年1月 1日 (木)

正月のルーチン

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にぎやかな場所が気にくわないと、盛大な焚き火がたかれる近所の神社を敬遠して、今年も全生園(かってのらい病患者の収容施設)の中の、だれもお参りしない神社に初詣。
人間ギライもここまでくると立派だけど、ここで死んでいった幾多のらい患者たちや、色の黒い、ミノをまとった日本の神さんに招かれているような気がする。
ただ、いつも手ぶらなのが申し訳ないので、手土産は、今年も俳句と短歌だ。
新年のルーチン今年も詠始め、ってやつ。

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考えてみると、わたしが全生園という、悲しみに満ちた場所のすぐそばに引っ越ししてきたのも、何かの縁かも知れない。

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あけまして

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おめでとうございます

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2025年12月31日 (水)

おおつごもり

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この暮れに図書館に行って、リサイクル本の中から「数字書体集」というものを拾ってきた。
わたしのパソコンに入ってない書体がたくさんあって、あ、もちろんデジタル媒体ではなく、紙の本だから、いったんスキャナで取り込んで、じっさいに使うときもいくらか加工する必要があるけど、これを使えば今年の年賀状に新風を吹き込めるかも知れない。
年賀状なんぞとっくに縁を切ったわたしだけど、それをデザインする楽しみだけは捨てがたいのである。

というわけで、拾ってきた書体集の中から、わたしのパソコンに入ってないフォントを利用した年賀状を作った。
しかし、せっかく作っても差し出す相手がいるわけじゃない。
新年の恒例になっているネット上での、世界に向けた年賀状だ。
年賀状作成にかかった時間はせいぜい2、3時間で、使ったのはビーンズという数字書体である。

2年ほど前から年賀状には前年の話題写真を使用することになって、今年はもちろんあのオンナ、もちろんわたしのことだから褒めようというわけじゃない。
来年の今頃まで同じ地位にいるだろうかって、いじわるじいさん的楽しみがあるのだ。
それでもフェミニストのわたしは、彼女のできるだけ美人に写っている写真を使うことにした。
明日の朝をお楽しみに。

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2025年12月29日 (月)

わびしき師走

3日連続のダイコンと煮物を、いまこれから食べるところ。
おかげで材料のほうはだいぶ片付いたけど、前項の俳句の続きを今度は短歌でまいろう。
  厨房に煮汁いよいよ鼻をつく
       年金暮らしのわびしき師走

うーむ、年老いたひきこもり老人の悲哀をしみじみうたった名歌である。
だれもほめてくれないから、自歌自賛だ。スイマセン。

ダイコンの本体と葉がほんの少しと、白菜が1/4ほど残っているけど、これは新年の雑煮にするつもり。

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2025年12月28日 (日)

ダイコンを煮る

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ダイコンを煮ている。
2日続けて煮ている。
おまえもダイコンが好きだなあといわれそう。
理由がある。
わたしは確かにダイコンが好きで、冬になるとこれの煮物でイッパイやるのも好きだ。
で、先日近所の農家がやっている無人販売所に出かけた。
ここではその朝収穫したばかりの新鮮なカブ、茎や葉の部分もやわらかくて美味しいので、本体部分はぬか漬けに、茎の部分は甘酢漬けに、葉の部分はおしたしにとよく利用しているんだけど、それがスーパーの2/3ぐらいの値段で買える。

そこでダイコンも売られていることを知っていたから、ひさしぶりに煮物を作るつもりで出かけたのである。
無人販売所なんだけど、以前はお婆さんが店番をしていて、野菜をみつくろっているとすぐに飛び出してきたから、たまたまそこにいた農婦に、あのお婆さんは最近見ないけどどうしたのと聞くと、ボケちゃってねえという返事である。
今年はもうカブもダイコンも終わりで、来月は白菜ぐらいしか売るものがないとかなんとか。

話をしているうち、ついとなりに並んでいた白菜も買ってしまった。
まるごとの1個である。
ひとり者のわたしに食べきれるかどうか心配だけど、なにしろ値段が安いので半分だけ売ってくれってわけにもいかない。

ダイコン1本と白菜を自転車に積んで帰宅した。
わたしの家の冷蔵庫は独身者用のハーフサイズのものなので、ダイコンは葉を切り落とし、まっぷたつにしたからいいようなものの、まるごとの白菜は入らない。
さっさと食べてしまえばいいんだと、昨日はせまい台所で奮闘して、第1回目の煮物は無事につくり終えた。
わたしの煮物は、出来合いのダシの素を下地に、鶏肉やコンニャク、ニンジン、ニンニク、シイタケ、エノキダケ、水菜などの具を加えた絶品だ。
イッパイやったあとの残り汁でおじやを作るのが楽しみなのだ。

ということで、昨日はダイコンの煮物、しかしダイコンも白菜もまだ半分以上残っている。
ほうっておくと野菜は台所でどんどんしなびてゆく。
だから今夜もまたダイコンなのだ。
まだ材料は1回分残っているから、たぶん明日もダイコンだ。
ああ、幸せな日々よと、自己満足にひたって、師走の夜はしんしんと更けてゆく。
   厨房に煮汁こもるや年の暮れ

いつもいちゃもんばかりでは人格を疑われそうだから、今回はどこかまぬけな俳諧趣味で迫ってみました。

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