日記・コラム・つぶやき

2019年8月19日 (月)

また病院

今日は月に一度(ていど)の病院行き。
健康診断で高血圧だっていちゃもんをつけられて、止むを得ず薬をもらいに行くのだ。
本人は高血圧より薬漬けのほうがコワイのに、医師はいう。
これから冬場になると、血圧はもっと上がるからな。
そしたら薬の量を倍にしようだって。

オイオイってとこだけど、血圧手帳に不まじめな記載があることまでは気がつかなかったようだ。
冬場になったら、もっと細工しなくちゃいけんな。

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2019年8月17日 (土)

プール

暑い。
今日はプールで泳いできた。
というより歩いてきた。
2時間のうち、まじめに泳いだのは15分くらい。
あとはひたすら水中ウォーキングだ。
気休めでもやらないよりはマシ。
わたしってまだまだ元気、なんだけど、そろそろリタイヤを考えている。

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2019年8月12日 (月)

蜂蜜とロシア人

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昨日は更新を休んだ。
理由はイヌの飼い主が遊びに、いや、呑みにきたせい。
病院から退院したばかりのくせに、ウイスキーを下げて、呑みましょーだって、さすがロシア人。

彼からはでーんと蜂蜜をもらってしまった。
リンデン(シナノキ)の蜜だそうだ。

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2019年8月10日 (土)

暑い!

暑い! 暑くてやる気がおきない。
今朝の新聞にもいいブログネタがあったんだけど、ぐたっとしているうち、時間切れかも。

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2019年8月 7日 (水)

イヌの世話

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わたしのワンちゃん、まだ冬毛のままである。
散歩はできるだけ涼しい時間帯に行くようにしてんだけど、それでも途中まで行くと、舌をだらりとたらして暑苦しそう。
さいわい飼い主からイヌの世話代としていくばくかの金を頂いた。
わたしの癒しにもなることだから、いらないと固辞したんだけど、無理に押し付けられたものである。

その金でトリミングしてやろうと思い立った。
イヌのトリミングなんてやったことがない。
近所のペットショップで訊いてみたら、ミニチュアシュナウザーは8500円ですという。
おまけに、トシが
13歳ですといったら、そんな年寄りじゃ犬猫病院で、トリミングしていいものか診察も必要ですという。
これでは足が出てしまう。

いくらなんでもそこまで面倒みられないというので、トリミングは中止し、そのかわり昨日は風呂場で全身シャンプーをした。
ペット・ビジネスなんて、値段があってなきがごとしの商売なんだろうと不条理感もしみじみ。
暑いから部屋のエアコンは終日かけっぱなしで、これでは貧乏人がイヌを飼ったら破産してしまう。
だから見栄っ張りほど、イヌを飼いたがるのか。

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2019年8月 2日 (金)

ひょっとすると

「牧野の戦い」というのは中国の古い、古い古い、なにしろ紀元前11世紀ごろのオハナシである。
そのころ殷(いん)という国があり、紂王(ちゅうおう)という残虐な王さまがいた。
暴虐をいましめる家来がいれば、親族だろうとなんだと、生意気だと処刑し、自分はもっぱら喜び組のきれいどころと淫美な快楽にふけった。
こういう王さまはやがて謀反を起こされて滅びることになっている。

謀反が勃発した。
殷の紂王も大軍を率いて、牧野というところで反乱軍を迎え撃った。
ところが戦争が始まると、殷軍の兵士は隊列をふたつに分けて、あいだに反乱軍を迎え入れた。
つまり長年の暴虐ぶりから、とっくに人心は紂王から離れていたというわけだ。

これじゃ北朝鮮の正恩クンといっしょだ。
わたしは北と韓国が戦争になれば、北の軍隊が反乱を起こして、牧野の戦いの再来になるのではないかと思っていた。
しかし最近はその考えが変わってきた。
反乱を起こして親分の首をすげかえるのは、むしろ韓国のほうではないか。
いまの韓国を見ていると、大統領の政策が、ただ反米、反日思想だけを頼りに、国民を無謀な結果に導いているように思える。
戦争は武器の優劣よりも、兵士のやる気がモノをいう。
親分がバカなまねをして、四方八方から叩かれている状態じゃ、わたしが兵士だったらまともに戦おうなんて気にならんよ。

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2019年8月 1日 (木)

かわいそうな女の子

韓国との関係がこじれにこじれている。
わたしは数ヶ月前にネットで、もうすぐ日本に行くので、いま一生懸命日本語の勉強をしてます、とっても楽しみという韓国の女の子の記事を読んだことがある。
かわいそうに、あの子はどうなっただろう。
べつに日本人は来るなとはいってないけど、いまの状況では彼女が日本に来るのはむずかしかろう。

若い娘のあこがれを残酷に粉砕したのも、すべて韓国の現政権の頑迷さから。
もしも文在寅大統領がもっと柔軟で、わたしも言いすぎた、手をついて謝るといったらどうだろう。
日本も振り上げたこぶしを下さざるを得ず、輸出制限もホワイト国からの除外も撤回し、韓国にとっては貴重な時間稼ぎが出来、このあいだにもしかしたら、半導体製造に必要なフッ化水素などの自家製造もできるようになるかもしれない。

しかし韓国人にとって謝罪はすなわち敗北なのだ。
なにがなんでも声の大きさで相手を圧倒しなければいけないのだ。
水に落ちたイヌは死ぬまで叩かれる。
ましてこれだけ日韓関係をこじらせた大統領だ。
文サンはぜったいに謝るわけにはいかない。
だからして、日本も安心して相手をとことんまで追いつめることができる。
まあ、これから先は日本政府におまかせだけど、訪日を目前にして断念せざるを得なかった女の子の無念さを思うと、ホント、気のドクで、気のドクで。

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2019年7月23日 (火)

考えて

以前にも書いたけど、人口が減ればそれだけ食料や住宅事情にゆとりが出て、人々の暮らしはよくなるはずだというのが、30~40年まえごろのSF作家アイザック・アシモフの考え。
現実はともかく、理論的にはこの考えはいまでも通用すると思えるのに、今日のウチの新聞を読むと、ぜんぜん生活がよくならないと不満をこぼす人が多いようだ。
それはいったいどうしてなのか、ということを、ウチの新聞は政治が悪いで一刀両断だけど、諸外国と比べても日本は経済は好調だし、格差も少ないほうだ。
それなのになんで暮らしがよくならないのか、庶民のみなさんに尋ねてもわかるわけがない。
こういうことは新聞社のような高度な知性の集合体に考えてもらわなくちゃねえ。

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2019年7月20日 (土)

宝くじ

街へぶらぶらと出る。
デパートのわきに宝くじ売り場があって、並んでいる人が数人。
それを見てぼんやりとむかしのことを思い出す。

まえの職場にいたころ、よく宝くじのグループ買いということをしていた。
20人ぐらいのメンバーが集まって、連番で宝くじを買ったほうが当たる確率が高くなるというので、わたしにもメンバーに加わらないかという。
わたし「そんなもの当たるわけがない」
メンバー「買わなきゃ当たらない」
わたし「買ったって当たるわけがない」

どうしてそんなにはっきりいいきれるかというと、メンバーの顔をながめればわかる。
みんな持って生まれた貧乏づらばかりで、とつぜん棚からぼた餅で金持ちになれそうな人間がひとりもいない。
こういう連中とグループを組んでもムダである。
グループ買いで大金をせしめようと思うなら、金持ちになれそうな人と組まないとダメなのだ。

あれから20年以上経ったけど、金持ちになったというメンバーはひとりもいないようだ。
もちろん宝くじを最初から買わないわたしもそのひとりだけど。

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2019年7月17日 (水)

登山日誌

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もっか終活まっ最中ということで、整理中の部屋の中からとっくに忘れていたものが出てくる、ということはこのブログに書いたけど、今度は古い日記が出てきた。
高校生活から自衛隊時代までのもので、わたしが有名人にでもなれば、若いころのわたしの思想を知るための、貴重な資料になるところだ。
ところが読み返してみたら、だれそれを好きになったとか、ふられたとかいう恋の悩みばかりで、まあ、目的そのものがそういうフラストレーション発散のためだったんだろうけど、当時のわたしがいかに世間知らずの妄想家であったかを証明するような記述ばかりだ。

で、あわててページを細かく引きちぎり、徹底的に引きちぎり、可燃ゴミとして出した。
わたしの過去の思い出は、ひとすじの煙とともに、いまごろ風にのって時空のかなただ。
ひと安心。

ほかにも、わたしの所属する団体の登山クラブから預かった、かなりの分量の登山日誌が出てきた。
まだパソコンのない時代に、ガリ版で摺られたものだけど、目的地や行程、参加者の名前などを丹念に記した労作だ。
どうしてこんなものがわたしの部屋にあるかというと、いまの団体に所属したばかりのころ、登山クラブの先輩たちと懇談し、たまたまわたしが以前に所属していた登山クラブの日誌をパソコンで整理しているという話をしたら、それじゃうちのもやってくれないかと、ひょんないきさつで押し付けられてしまったものである。

山登りに凝ると、日誌のようなものをつけて、記録を保存しようというのは、たいていの登山クラブがやっている。
クラブの会員にとってはなつかしい思い出だけど、時間が経過して、会員がどんどん物故するようになると、せっかくの労作をどうしょうかという問題に行き当たる。
現在なら日誌から写真まで、すべてを1枚のディスクに保存できるから、そんなに邪魔者にはならないけど、パソコンがない時代のそれは、古びた書籍と同じ扱いにされるしかない。

じつはわたしはそういう仕事が好きなほうで、これ以前に所属していた登山クラブの日誌も、デジタル・データに変換して、ディスクに焼くという仕事をやってのけた。
ここに載せた画像はその一部。

だからヒマなときにやっておこうと、気安く引き受けたんだけど、ほかの仕事にまぎれているうち、いつのまにかわたしも終活を考える歳になった。
いまのわたしにはかなりの分量の日誌を、すべてデジタルに変換して(つまりワープロで打ち直して)いられるほど時間も根性もない。
ましてわたしが参加したわけでもない登山の記録だ。
それなら日誌は持ち主に返してしまえばいいかというと、残念ながらもうそのクラブや持ち主とは縁がなく、メンバーの大半はすでにお亡くなりになっちゃってる可能性もある。
生きていたとしても、そんなものを返してもらっても迷惑するだけだろう。

というわけで、貴重な(当人たちにとっては)日誌も、ひとすじの煙とともにお陀仏だ。
なんか重荷を下ろした気分。

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