(朝日)新聞より

2019年11月21日 (木)

マンネリ

今日のウチの新聞には、香港の混乱やGSOMIAが待ったなしの韓国、日本で初めての武器見本市など、おいしそうなニュースがいっぱいだ。
ところが1面の見出しは「安倍首相、関与を認める」というものだった。
まるで安倍首相がなんかの犯罪に加担したかのような書き方だけど、これって例の花見の会について。

権力を監視するのがリベラルの役割であるとしても、こんな書き方ばかりしていたらさすがに飽きられないか。
なにも安倍クンが始めたわけでもあるまいし、恒例となっているお祭りに、日ごろ世話になっている人を呼ぶくらい誰でもするだろう。
税金を使うからケシカランのなら、これからは止めますというんだからもういいじゃないか。
相手を貶めるために1面でしつこく追求するほどの問題だろうか。

でも、まあいいか。
ウチの新聞の書きようだと、また始まったと誰でも思う。
旭日旗に世界でただ一カ国いちゃもんをつける韓国も、また始まったということでIOCも相手にしなくなったし、血眼になればなるほどその異常さがきわだってくるというヤツだ。
これでは誰も相手にしなくなって逆効果だと思うんだけどね。

こんなことを言っても通じる相手じゃないだろうな、韓国もウチの新聞も。
ここはおとなしくわきから眺めて、苦笑していようというのがわたしのスタンス。

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2019年11月20日 (水)

今朝の新聞に

日本ではあいかわらず重箱のすみをつっつくような問題を、大新聞までが率先して騒いでいるけど、フランスはちがうぞ。
今日の新聞にマクロン大統領の、日本なら弾劾や辞職勧告にふさわしい暴言の数々。

『駅というのは成功した人や取るに足りない人が出会う場所だ』
『先頭にいるのは才能があるからで、それに石をなげたらみんな落っこちる』
『イカれた額を社会弱者の保障に使っているのに、この連中はいつになっても貧しいままだ』 
『仕事なんていくらでもあるから、なんならわたしがそのへんの通りで見つけてやろうか』

フランス人てのはもともとこういう国民性なのか、トランプさん顔負けの言いたい放題。
是非はともかく、これだけハッキリものをいえる社会がうらやましい。

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2019年11月11日 (月)

昨日の新聞

今日の新聞にと書きかけて、よく考えたら今日は新聞が休みだった。
夕刊は購読をやめたから、こうなると明日の朝まで、市井の動向、世界の動きを知るためにはネットしかない。
それでもいいんだけど、なんかもの足りないね。
仕方がないから昨日の新聞を読み返す。

昨日から朝刊に「老後レス時代」というシリーズが始まった。
現代は定年のない時代で、多くの人々が70を過ぎても働かざるを得ないという。
うーんと自らをふりかえって考える。
仕事をやめて極楽とんぼのわたしも、ちっとは働かなければいけないのではないか。
耳が遠くなったほかは、べつにどこも悪くないんだし。
でもわたしの周辺をながめても、わたしより若くてリタイヤした人もたくさんいるし、さいわいひとり者で、いますぐお金に困るほどではないから、切り詰めて生活すればなんとかなりそうだし、仕事をやめた年齢を考えると、ま、わたしは世間の人の平均ぐらいじゃないか。

新聞には悲惨な例がいくつか取り上げられている。
乏しいパート仕事で食いつなぐAさんは、
71歳で奥さんと二人暮らし、月7万円の年金と奥さんのパートでの稼ぎが頼り。
68
歳で警備員として働くBさんの年金は、夫婦で月6万円ほどで、これでは雨の日に下着まで濡れながら交通整理をする(しかない)。
ささやかながらも将来の目標を立てていた
71歳のCさんは、くも膜下出血で倒れてすべてがパー、生活保護を申請するしかなかった。

それでもCさんの場合は、倒れたときに会社が健康保険に入っていたので助かったという。
だから社会保険は大切だよなんていうつもりで、こんなことを書いているわけじゃない。
どっちかというとロクなもんではないことが多かったけど、わたしは人生の喜怒哀楽はもうほとんど体験して、あとはお迎えが来るのを開き直って待つだけだ。
頭上にさしかかった不幸な時代は、わたしに関わることなしに頭の上を通り過ぎていくのだ。
わたしってどうしてこんなに幸運なのだろう。

わたしは不運な人たちを背後に置いて散歩に出る。
途中で屹立するセイヨウハコヤナギの木を見上げる。
この木はシルクロードに多く見られる白楊のことである。
わたしはサクラはもう見飽きた。
来年の春に、白楊のこずえからまい落ちる綿毛だけはもういちど見たい。

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2019年11月10日 (日)

うた二つ

今日の新聞に自殺した歌人のうたが二首ばかり取り上げられていた。  
  血と雨にワイシャツ濡れている無縁
          ひとりへの愛うつくしくする
もう一首は
  夜明けとはぼくにとっては残酷だ
         朝になったら下っ端だから
前者は学生運動の闘士だった若者のうたで、後者は正規雇用からはずれた一般労働者のもの。

ふたりの絶望はよくわかるものの、学生時代ノンポリだったばかりか、学生運動に冷ややかだったわたしには、最初のうたは同調しにくい。
たとえば、エート、あの東京新聞の望月イソコさんが自民党政治に絶望したとしても、それは本人の勝手な思い込みが原因で、もうちっと他人の気持ちを理解しさえすれば、なにも自殺するほどではないでしょうと忠告でき、本人も、そういう考えもあるのかと、また明日から元気に仕事に励むのではないか。
政治活動というものは誤解、もしくは自己チュウに満ちているものだ。

もう一首は、これは悲惨である。
わたしが現代に生まれていたら、はたして冷酷な社会に耐えて生き永らえていけたかどうか。
なに、結婚しないでいれば、とくに男の場合、世間はそんなに厳しいものでもないよと、忠告はできない。
いまでこそのんきなことをいっているけど、異性を恋するというのは人間の本質であり、あの子と結婚したい、そのためには社会的に認められなくちゃと、わたしも底辺で蠢いたことがあるのだから。

それでもまだ生きていて、同じような傾向をもつ若者にいっておく。
絶望しやすい青春の一時期を脱しさえすれば、たとえ孤独であっても、あとは平穏無事な人生が待っていると思う。
すくなくとも、うたを詠むほどの文学青年であれば。
  生きながらえてわが人生をふりかえり
           自死したひとのうたをよむ朝

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2019年11月 6日 (水)

今日の新聞

昨夜は古い仲間たちとの飲み会。
もっけのさいわいと、ブログ更新を休んでしまうわたしって、やっぱり認知症かしら。
どうも最近頭を使うのがおっくうになっているようだ。
でもそういう弛緩した態度こそ、認知症一直線なのだ。
勇気をふりしぼってまた新聞に目をやると、韓国問題をさておいても、ネタがふたつばかり。

ひとつは投書欄の「ひとりの最後」というもので、いま流行りの孤独死についての意見の特集。
流行りといっちゃなんだけど、現代では多くの人に、これは避けて通れない問題だ。
ただ、やむを得ないという事情があるにせよ、どちらかというと、来るならこいって人のほうが多いみたい。
わたしのようにこころないお世辞の大嫌いな人間には、やれやれ、うちのじいさんもようやく死んでくれたかなんてかげ口叩かれるくらいなら、ひとりで誰にも気づかれずに死ぬほうがよっぽどいい。
時代がまたわたしのほうに歩み寄ったみたいである。

もうひとつのネタは、今年のノーベル文学賞を受賞したペーター・ハントケについて、池澤夏樹さん(サンがさんに変わったのは、彼がわたしによく似たじいさんであることがわかってから)の、これに意を唱える意見に対するさらなる異論だ。
わたしはハントケという作家についてよく知らないし、ノーベル文学賞もロクなもんではないと心得ているので、あまり深く立ち入りたくないんだけどね。

ただ異論の内容を知ることには価値がある。
ハントケという作家は、ユーゴ紛争のおりに多国籍軍によるセルビア叩きに反対した人たそうで、それがケシカランというのが、彼の受賞に不満をもつ人々の主張だそうだ。
このへんのくわしい事情は知らないけど、わたしはNATO軍の空爆がこの紛争を終わらせるに効果があったと信じているので、うむむと考えてしまう。

爆弾の下にはふつうの人々がいる。
犠牲者が出るのは当然のことで、軍人と一般市民をピンポイントで区別する兵器などありようがない。
セルビアが悪いとか、クロアチアがけしからんとか、戦争にどっちが悪いということもない。
これもわかる。
しかしだらだらじりじりと長引かせるくらいなら、どっちかを悪人に仕立てて、強力な連合軍が紛争そのものに介入し、いっきにカタをつけてしまう方法もあるのではないか。
そしてユーゴ紛争の場合、それがうまくいったほうの例ではないか。
いまは風光明媚な観光立国として、わたしも行ってみたいクロアチアなんぞをみると、それはあきらかのように思えてしまうのだ。

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2019年11月 3日 (日)

今日のGLOBE

今日はぶらぶらと国分寺方面を散策してきたけど、帰りに一杯やって、帰宅してベッドにばったり。
目をさましたらまだ日にちが改まっていないので、大急ぎで書きかけの記事で更新をする。

今朝の新聞のおまけ、GLOBEにクジラの記事。
捕鯨されたでっかいクジラの写真が出ているけど、反捕鯨活動家にはわるいが、わたしってこれを見ていちばん最初に思ったのが、美味しそうだなってこと。
ふだん牛肉を食うことがあっても、安いものしか食わないから、ウシよりクジラのほうがよっぽど旨いと思ってしまうのだ(ウソだと思うならショウガ醤油で赤身の刺身を食べてみろ)。
クジラはモノ不足の戦後世代には郷愁に満ちた味でもあるのだ。

反捕鯨団体のきれいなオンナの人も発言しているけど、その言い分を読んだだけで、彼女が自分の信念だけにとらわれた原理主義者であることがわかる。
ウシやブタはきちんと生息数が確認できるけどけ、クジラはそうではないからダメという。
だからこそきちんと調査をして、生息数を把握しようというのが日本だけど、アジア人はずるがしこいから、その調査結果はアテにならないと思われているらしい。
これでは原理主義に人種差別までプラスされているから、よけいタチがわるい。

たしかにむかしは日本の調査なんていいかげんで、たとえば北方四島の漁獲枠にしても、数字のごまかしがいくらでもあった。
なにしろ相手のロシア人にピンナップ写真やパンストの賄賂がいくらでも効いたもんで・・・・とっとっと。
余計なことはさておいて、しかしこれだけ反捕鯨運動が盛んになっている現在、インチキなんかできるものか。
科学の世界で最先端をゆく日本の調査が信用できないなら、いったいなにを信じろというのか。
そもそも疑問があるなら自分たちがきちんと調査をすればよい。

きれいなオンナの人は、かってクジラを世界の果てまで追いつめていた米国が、商業捕鯨モラトリアムをリードしていることを誇りに思っているという。
これは欺瞞だ。
米国は大陸の先住民族をジュノサイドして、土地をヨーロッパ人に都合のいいようにようにならしてから、博愛主義を言い出した国である。
小説「白鯨」で知られるマッコウクジラ漁をやめたのは、石油で代替えできることがわかったからだ。
代替え品がなければ、おそらくいまでもクジラを狩り続け、脂以外は海に捨てるという、地球的には不経済きわまりない漁を続けていただろう。
中東の砂漠を血に染めて、貪欲に石油を追い求めるアメリカの姿勢をみれば、それはあきらかだ。

わたしは自称ナチュラリストで、自然界のことには、まあまあ詳しいほうだと思っている。
クジラは、うまくすれば逃げ切れるかもしれない大洋に棲んでいる。
それにひきかえ、ウシやブタはけっして逃げることのできない檻のなかで飼われていて、生まれたときから人間の食料になるしか選択肢がない。
わたしたちはどっちに同情すべきなのか。
イルカは可愛い動物だけど、わたしにはウシもブタも負けないくらい可愛く見える。

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2019年11月 1日 (金)

首里城の悲劇

0882

沖縄の首里城が焼けた。
今日の新聞に沖縄出身の作家という人が、大きななげき記事を寄せている。
わたしもこの城を2回は見学したことがあるので、ショックだけど、でもこの作家さんに比べると、ショックの度合いは半分ぐらいだ。

不謹慎な言い方かもしれないけど、首里城は戦火によって灰燼に帰したものが、1992年に復元されたものである。
復元にあたった大工の棟梁さんもまだ生きていて、自分たちがやったときは、もともとの首里城の研究から始めたから時間がかかったけど、この先の復元はすべて資料が残っているから、短時間ですむだろうと語っていた。
日本政府(国民も含めて)は沖縄に頭が上がらないのだ。
おそらく早急に再度の復元計画が持ち上がるにちがいない。
そのときには、とわたしからのお願いだ。
今度こそスプリンクラーの設置は完璧なものにしてほしい。

添付したのは2008年7月のわが極楽トンボたち。

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2019年10月30日 (水)

誤った解釈

今日の新聞に、文化庁が発表した「国語に関する世論調査」という記事があって、最近の若者から、本来の意味と異なる解釈をされている言葉がいくつか紹介されていた。
わたしはアマチュアのもの書きだけど、なにしろこれまで読んだ本は人並み以上だと、そう勝手に信じている男だから、そういう間違いは犯さないと、これも勝手に信じている。

で、テストのつもりで記事を読んでみた。
「憮然とする」
「砂をかむ」
という二つの言葉がひきあいに出ていた。
うん、なーるほどね。
最近の朝日新聞を読んで砂をかむような気分だし、憮然という言葉をまちがって解釈するとはと憮然としてしまう。
ま、どちらも文章のなかの字づらを見ただけでおかしいと気づくはずだし、愛書家なら解釈を間違えるはずのないものだ。

でもよく考えたら、これって、ようするに自分がじいさんなのか若者なのかを判断するためのテストじゃないのか。
わたしは文書のなかに絵文字を使うのもきらいというタチだけど、これは完全に時流に乗り遅れた年寄りのぼやきなのではないか。

記事を最後まで読んでみたら、「情報機器に時間をとられて本を読む時間がない」という調査の結果がいちばん増えていたそうだ。
本を読む時間は減ったものの、わたしはスマホやタブレットからむかしと変わらない量の文章を読んでいるんだけどねえ。

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2019年10月16日 (水)

もうひとつ

今日はもうひとつ更新しておこう。
というのは今朝のウチの新聞のオピニオン面に、ときどき出てくる純子サンという人が、また女性の性格のうちの、ある部分を強調したようなことを書いていたからだ。

「そうね、萎縮はしていないかも。しかしそれは抑圧していないことを証明しない。萎縮してないから抑圧してもいいという話にもならない」
「隆々たる言論機関の記者が萎縮せずとも、自由が抑圧されれば社会は窒息する」

なんかずいぶん言いたいことをいっているように思えるんだけど、朝日新聞記者の彼女にいわせると、発言を抑圧されて窒息しかかっているんだそうだ。
毎度のことながら、ものごとを客観的に見ずに、原理主義、確信犯であることが、女性によく見られる性格のある部分なのだ。
と、わたしは純子サンの記事を読むたびに思う。

政治家は芸術家ではない。
芸術の成否を判断するものでもない。
彼には国民の大多数が反目をおぼえるものを、認可しないという義務があるだけなのだ。

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2019年10月11日 (金)

スッキリ

今日の新聞もイライラすることが満載だ。
8面全部を使ってありえない徴用工の特集をしてるし、「日韓を語るシリーズ」の平野啓一郎クンは、作家らしからぬ早とちりの達人みたいだし、盗人たけだけしい発言の韓国国会議長サンはぬけぬけと来日するらしい。

でもこうやって怒り狂っていると、わたしはアルツハイマーにも認知症にもなりそうもない。
ありがたいと感謝しなくちゃ、ウチの新聞には。

ウチの新聞のスタンスは決まっているから、それ以上読む必要はないと思ったけど、それでもいちおう目を通してみた。
すると徴用工の記事では、めずらしく納得できる部分もあることがわかった。
つまり、ウチの新聞でさえ、もうこれ以上擁護が不可能というのが、最近の韓国の事情ではないか。
うん、最後はなんとなくスッキリして終わりだな。

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