深読みの読書

2020年2月27日 (木)

またとうぶんは

昼間はひさしぶりに籠城用の食料の買い出しに行って、ついでに図書館でいくつかの雑誌をのぞいてきた。
ニューズウィーク日本版の「上級国民論」と「男護ケ島のフェロー諸島」なんて記事がおもしろかった。
文藝春秋には「背高泡立草」という芥川賞作品が掲載されていて、けなすような作品ではなさそうだけど、じっくり読もうという気にもなれなかった。

帰宅してからちょいと芥川賞について調べてみたら、過去の受賞作品のうちベストセラーになったものの順位というものが出ていて、それによると上から安部公房の「壁」、石原慎太郎の「太陽の季節」、大江健三郎の「死者の奢り・飼育」となっていた。
慎太郎さんの作品を映画で観たことがあるだけで、わたしにはとんと興味のない本ばかり。
世間にもこれらの本のおかげで人生が変わったという人がいるような気がぜんぜんしない。
わたしが健全なのか、世間が不健康なのか(結論としては同じだけど)、つくづく考えさせられた。

買い出しでは、1週間分ぐらいの食料を仕入れてきたから、またとうぶんひきこもりに専念できそう。

| | コメント (0)

2020年2月 4日 (火)

読後感バレエ・リュス

「バレエ・リュス/その魅力のすべて」という本、いちおう読み終わって返却したけど、わたしの関心をひくことがらが多く、なかなかおもしろい本だった。
とはいうものの、登場する人物については、ニジンスキーと彼の恋人だったディアギレフ以外には、アンナ・パブロワとジョージ・バランシンを知っていたくらい。
なにしろバレエ・リュスが活動したのが戦前の話で、わたしの両親すら生まれていたかどうかというむかしのことなのだ。

そういうわけでまたタブレットを手元に置き、わからないことはグーグルやウィキペディアを参考にしながら読んだ。
調べながら読むのは楽しい。
本のなかにアリシア・マルコワというダンサーの名前が出てきた。
聞いたことがない名前だけど、試しにウィキペディアに当たってみたら、彼女は英国ロイヤルバレエ団の創始者であることがわかった。
バレエ・リュスに参加していたころはまだ15歳の新進バレリーナだったそうだ。
彼女はじつは、リリアン・マークスという名前の英国人なんだけど、それがどうしてロシアふうな名前を持つに至ったのか、ウィキペディアを併せて読むとちゃんとわかるのだ。

しかしこの本でいちばん肝心な人物は、バレエ・リュスの主催者であり、プロデューサーでもあったセルゲイ・ディアギレフだろう。
彼が革新的なバレエ団をとどこおりなく運営したこと、才能ある新人を発掘するのに異常な才能を示したこと、また金策に駆けまわったことなどを知ると、この小太りのプロデューサーがいなかったら、バレエ団そのものの存在もなかったであろうこともよくわかるのである。

バレエ・リュスの活動も興味深いものだったけど、こういう裏の事情を知るのがまた楽しい。
しかしすでに世間から十二分に評価されているものについて、わたしに書けるのはこのくらい。
それより読んでいてふと感じたことを。

バレエ・リュスの舞台は、音楽や舞台美術、批評や宣伝ポスターなどにしても、新進気鋭の作曲家や振付師、文人、画家を動員した斬新なものだった。
関わった画家だけでも、ルオー、マティス、ピカソ、ブラック、ミロ、キリコ、ローランサン、ユトリロ、そして前に書いたように、わたしがロシアで知ったばかりのナタリヤ・ゴンチャロワさんなど、そうそうとした顔ぶれがならぶ。

ルネッサンスや印象派革命のように、芸術というものは、いろんな分野を巻き込んで大きなムーヴメントになることがよくある。
わたしが体験したものでは、ビートルズが登場したあとの70年代がそうだった。
あのころも音楽だけではなく、文学や絵画、映画、マンガから出版業界まで、新しいものがつぎつぎと現れた時代だった。
歴史というほど古くないから気がつかないかもしれないけど、ホント、わたしは不思議な時代に遭遇したものだなとしみじみ思ってしまう。
波乱のないおだやかな時代のように見えても、わたしが生きたのはけっして平凡な時代ではなかったのである。

| | コメント (0)

2020年1月22日 (水)

バレエ・リュス

Ng2

ヒマなときは手間のかかる本を読むのがいい。
それがおもしろければなおさらいい。
むふむふむふと感心していれば、退屈な冬の夜もアッという間に明ける。
というわけで図書館から借りてきたのが「バレエ・リュス/その魅力のすべて」という本。
ハードカバーでけっこう厚い本だから、そういう点でもヒマつぶしにはもってこい。

バレエ・リュスというのは、ニジンスキーを擁して、ヨーロッパに衝撃を与えた伝説のバレエ団のことである。
最近バレエの話題が少ないけど、わたしの興味がうすれたわけじゃない。
わたしの審美眼はいよいよ研ぎ澄まされ、バレエに対するいちゃもんもいよいよ熱を帯び、こういう本を読んでいちゃもんのネタを追求すること急なのである。

この本の全容を語るには、読み始めたばかりなので、まだ早い。
でも第3章にナタリア・ゴンチャロワという人名が出てきた。
これってアレじゃん。
わたしが2度目のロシアに行ったとき、新トレチャコフ美術館で展覧会をしていた人じゃないか。

そのときはまったく初めて知った名前だったので、経歴もなにもわからなかったけど、今回借りてきた本によると、彼女については第5章に詳しいとある。
そこで4章をすっ飛ばしてゴンチャロワさんの記述に飛んだ。
まえに行ったりうしろにもどったり、こういう読み方はわたしの場合よくあることだ。
結果がわかったらお終いというミステリーを読んでいるわけじゃないんだから。

というわけで、ゴンチャロワさんについていくらか詳しくなったものの、じつは彼女についてはウィキペディアにも記述があった。
ウィキペディアの記述は英語版のほうが詳しいので、興味のある人は、例のグーグルの丸ごと翻訳で全文を読んでみるヨロシ。
そのページへリンクを張ってもいいんだけど、そんな親切をしたって、読もうという人はいないに決まっているからやらない。

ここに紹介した絵は、彼女がバレエ・リュスのためにデザインした衣装で、アバンギャルドの旗手の面目躍如といったところ。
どこがアバンギャルドだという人は、彼女が
1920年代ごろに活躍したロシア人であることを理解してほしい。

深夜にひとりぼっちで、本を読んだり映像をあさったりしていると、とりとめのない関心事項が生じ、それをパソコンでリレー式に追求していると、思いもかけないところから新しい知識が出てくる場合もあるものだ。
そんな知識のほとんどは生活の足しにはならんけど、ヒマつぶしにはなるし、なんとなくこころが豊かになったような気はする。

| | コメント (0)

2019年12月12日 (木)

墨東綺譚

この8月に図書館から永井荷風の「墨東綺譚」を借りてきたことは、このブログに書いたことがある。
ブログのネタにするつもりで、いちおう批評みたいなものをまとめたんだけど、完成直前でメンドくさくなって、そのまま書斎のかたすみ、つまりタブレットの中に埋もれさせてしまった。
それがひょんなことから出てきたから、ホコリを払ってブログに載せることにする。
じっさいに書いたのは3カ月もまえだから、ちょっとピントのずれたところがあるけど、もともと流行に関係ない古い小説だからかまわない。

Nk01

じつはわたしは、この本をずうっとむかしに読んだことがある。
ただ右から左に抜けたみたいで、あまり内容をおぼえていない。
おもしろければおぼえているはずだから、たぶんおもしろくなかったのだろう。
ただし前回読んだのはまだ青春時代だったから、ここに描かれたおとなの男女の情愛というものが理解できなかったのかもしれない。
そういうわけで今回はじっくり腰をすえて読んでみた。

この小説は小説家らしい主人公が、創作中の小説のストーリーをああ展開しようか、こう発展させようかと悩みつつ、墨東の青線地帯を徘徊するという内容で、最初のほうでは、現実の話と創作中の話が並行して描かれる。
だからそういう物語なのかなと思ったら、後半になると、創作中の話のほうはいつのまにか雲散霧消してしまった。
創作中の話というのは、現実の自分の体験をもとにしているので、つまり同じような話が並行して描かれるわけだから、よけいつまらない。

ほかにも墨東綺譚は、作者の小説を書こうという意識が強すぎるような気がする。
やたらに地名の固有名詞が多く、これは物語の背景を詳細に語ろうというつもりかも知れないけど、いささかわずらわしい。
森鴎外の歴史小説にも、冒頭に丹念すぎる背景描写があるけど、それとは効果がだいぶ異なるのである。

ヒロインについても、娼婦に身を落としながら、まだ汚れていないけなげな娘というつもりのようだけど、言葉づかいなんかみると、もうそうとうにベテランみたいに思えてしまう。
読み終えたあとで、ええとこの女性はけっきょくどうなったのかと考えてしまった。
結末がなにがなんだかわからない、川端康成の「雪国」のお駒さんと比べても、とくべつに印象の残る女性ではないのである。
「墨東綺譚」というと名作のほまれが高いけど、そういうわけでわたしはあまり感心しない。

Ty01

ただ戦前の墨東、つまり向島、玉ノ井あたりにあった赤線・青線のようすを知りたい人には、なかなか参考になる本だ(もっと直感的に知りたい人は滝田ゆうというマンガ家の作品のほうがいい)。

この本には作後ぜい言というあとがきみたいな文章があって、むしろ本文よりこっちのほうがおもしろかった。
この部分は墨東綺譚を書くに至った動機や、街で見かけた当時の風俗や、三面記事にふさわしい些細な事件、花電車、東京音頭、銀座の服部時計店、円タクのことなどが、見たとおりに語られているので、往年の東京を知る資料としても価値がありそう。
文中に知識人のおじいさんが、森鴎外の小説の末節を引用するところがあり、その部分がいつまでも印象に残っている。

| | コメント (0)

2019年9月25日 (水)

山椒大夫の2

「山椒大夫」は、森鴎外の創作ではなく、古い民間芸能にあった物語に、彼が手を加えたものだそうだ。
もともとの話は勧善懲悪を絵に描いたような話で、奴隷として安寿と厨子王丸を苦しめた山椒大夫は、厨子王に残酷な復讐をされることになっている(ノコギリで首を引かれたとか)。
しかし鴎外は残酷な部分を徹底的に排除して、たとえば安寿が残忍なお仕置きをされる場面や、入水する場面を簡潔にとどめ、これをもっとおだやかで、子供にも親しめる文学に昇華させた。

いまでいう県知事のような地位に出世をした厨子王は、かって自分を苦しめ、姉を自殺に追いやった山椒大夫のところへもどってきた。
まるでモンテ・クリスト伯爵か、ジャン・ヴァルジャンみたいだけど、彼が中国や韓国のような儒教の国の役人なら、その気になれば山椒大夫の領地没収、追放もできただろう。
しかし彼はおとなの対応をとり、せいぜい人身売買の禁止や、奴隷を解放して賃金を払わせるような政策をとるにとどめた。
考えてみれば、これは日本に古くから法治の精神が根付いていたことの証明かもしれない。
法治の国では権力をにぎった役人といえど、いちおう法令の下でまっとうな商取引をしている経営者を、自分の復讐心だけでむやみに処罰することはできないのだ。

しかも「山椒大夫」を読んで感心するのは、奴隷制度を廃止させられた山椒大夫の周辺では、農工の技術はいよいよ向上し、商取引も以前に増して活発になり、大夫はさらに富み栄えたとある。
森鴎外は明治の人だけど、やがて社会主義のソ連が資本主義に敗北したように、国民の自由を抑圧して国を治めるよりも、自由な生き方を許容するほうが、結果的には国を豊かにするということを知っていたわけだ。
「山椒大夫」は子供向けの説教話ではなく、現代にも通じる立派なおとなのための小説なのである。

| | コメント (0)

2019年9月24日 (火)

山椒大夫

0876

昨日は知り合いと待ち合わせて、吉祥寺でステーキを食ってきた。
待ち合わせに使ったのが駅前にある武蔵野市の図書館。
わたしが先に着いて、約束の時間までまだ30分あったから、そのあいだ何か読んでいようと考えた。
30分ではミステリーや長編小説を読むわけにはいかない。
けっきょくむかし読んだ本の中の、印象に残った部分をひろい読みすることにした。

取り上げたのが森鴎外の「山椒大夫」。
いわずとしれた安寿と厨子王丸の物語である。
知らない人はいないと思うけど、これは平安時代、九州へ流された父親に会うために、東北からからはるばる旅をした母親と子供たちが、途中で人買いに誘拐され、奴隷として山椒大夫という資産家に売られて苦労する物語である。
明治時代に、一流の文学者によって書かれた、子供向けの童話が必要だという鈴木三重吉あたりの提案に応じて、鴎外が古い伝承を脚色した作品だったはず。

原文どうりでは昭和の子供たちにむずかしいところがあるので、もっとわかりやすくした改正版や、マンガ、絵物語にもなっていて、わたしは最初そういうもので読んだ。
おとなになってから原文を読んで、感心した、というより涙を流した。
子供たちの悲しい運命に涙したわけではなく、文章の素晴らしさに感動したのである。

厨子王や、よくお聞き。
あの中山を越えていけば都はもう近いのだよ。
筑紫へ往くのはむずかしいし、引き返して佐渡へ渡るのも、たやすいことではないけれど、都へはきっと往かれます。
お前はこれから思いきって、この土地を逃げ延びて、どうぞ都へ登っておくれ。

これは奴隷となっていた姉弟の、弟を逃すために、山上で安寿が厨子王丸にいってきかせる場面。
劇的で、非常に感動的な別れの場面である。
弟を逃したあと姉は入水自殺をすることになるんだけど、それを具体的に描かず、この章は簡潔なつぎの文章で終わっている。

その日の夕刻、幼いはらからを捜しに出た山椒大夫の討手が、この坂の下の沼のほとりで、小さなわらぐつを一足ひろった。
それは安寿の履であった。

読みやすくするために多少手を加えてあるけど、読み手に情景を想像する能力さえあれば、「山椒大夫」はとにかくすばらしい名文である。
この部分を読むたびに、いまでもわたしは鼻の奥がツーンとする。
この小説にはほかにも書きたいことが山ほどあるんだけど、残念ながら時間がないので、そのすべてを列挙しているわけにはいかない。

30分で感動を味わって、わたしは涙ながらに知り合いと落ち合った。
写真はひさしぶりに食べたヒレ肉のステーキ。

| | コメント (0)

2019年8月13日 (火)

つげ義春

Nj01

晴耕雨読ならぬ涼耕暑読である。
暑いので昼間はエアコンのある部屋で読書三昧。
こないだ熱中症で死にかけた友人もそんなことをいってた。

図書館で借りてきたつげ義春の「貧困旅行記」という文庫本を読んでいる。
つげ義春といったら、60年代の終わりごろに発表した「ねじ式」という難解な作品で有名になり、わたしの青春にもそれなり影響を与えたマンガ家だ。
もちろん「ねじ式」もよく知っているけど、その解釈をめぐる論争には(しちめんどくさいから)加わらない。
ただわたしがつげフリークであることは、このブログで何度か彼に触れていることから、わかっていただけると思う。

ここに載せたのは、「ぼくはメメクラゲに刺された」というセリフで始まる、あまりに有名な冒頭のカット(の一部)。

「貧困旅行記」は本人がつづった旅の記録だけど、そこに出てくる目的地は、関東近辺の、これといって特徴のない田舎が多く、彼のマンガ作品の原点みたいな無気力な旅ばかりである。
旅する当人も、是枝裕和
監督の「万引き家族」に出てきた、リリー・フランキー扮する頼りないオヤジみたい。
ま、つげのファンであれば、そういうところがおもしろいんだけど。

ところで、作品はよく知っているくせに、つげ義春の家庭環境についてはよく知らなかった。
奥さんがいるらしいことはうすうす知っていたけど、彼の性格からすると、地味でおとなしい女性にちがいないと勝手に信じ込んでいた。
ところが「貧困旅行記」を読んでるうち、その奥さんが只者ではないことを知った。
彼女は状況劇場(アングラ劇団)の女優だったそうである。
女優がなんでこんなネクラなイメージのマンガ家と結婚したのか、つげ義春ってすみに置けないなと思う。
そしてその奥さん、藤原マキって人だけど、彼女もとっくに癌で亡くなっていた。
ヒョーって風が吹き抜けるよう。

わたしの年になれば、自分のも他人のも含めて、人生を大局から俯瞰できるようになる。
人間の春秋になんか虚しいものを感じるけど、それはだれでもいっしょだろうから、ぶつくさいっても仕方がない。

ときおりパソコンのなかに収蔵してある、わたしの古い旅日記を読み返す。
文章を書くのはむかしから好きだし、書いておかないと忘れるのも得意だから、そういう日記の分量は多い。
以前にもやったことがあるけど、ブログのネタがないとき、そんな古い旅日記をそのまま載せてしまったらどうだろう。
読んでなにか役に立つものじゃないけど、わたしの旅は「貧困旅行記」と傾向が似ているのだ。

| | コメント (0)

2019年3月 5日 (火)

バレエについて

冷たい雨の日、世間のじいさん、ばあさんたちは何思う。
他人は知らんけど、わたしの場合はひたすらバレエの勉強だ。
もちろん自分でバレエを踊るほど若くも運動神経もないから、あくまで書物からまなぶ勉強である。
これがひきこもりの原因なんだけど、世間には家ですることもなくて途方にくれているじいさんも多いから、こういう勉強に打ち込める趣味があるというのは、めぐまれた年寄りってことにならないだろうか。

図書館でまた役に立ちそうな本を見つけてきた。
前回借りたのは「これがロシア・バレエだ!」というかた苦しい本だったけど、今回見つけたのは「世界の名門バレエ団」という写真がいっぱいの本。
「これが・・・」のほうはロシアのバレエの歴史をなぞるような本で、やたらにロシア語の名前や固有名詞が出てきて、何度も読まないと理解しにくかった上に、記述がマイヤ・プリセツカヤあたりまでで、ちょっと古すぎた。
「世界の・・・」のほうは内容も新しく、ロシアだけではなく、たとえばわたしが録画した最近のバレエ番組、パリ・オペラ座やチューリッヒ・バレエ団のバレリーナにも触れてあるところがうれしい。
世界のバレエの現況をいっぺんに俯瞰できるような本である。

それにしても終活中のじいさんの趣味に、バレエぐらいふさわしいものはないな。
碁や将棋をいくら勉強したって、せいぜい背中をまるめて、ストーブのわきで同じような年寄りと、最近は医療費がまた値上がりしてなどとこぼすのがせいぜい。
バレエなら、相手は若くて美人で健康的な娘ばっかりだ。
こんなに回春作用も期待できる趣味って、ほかにもあるだろうか。

こんなことをどうどうと書くから世間から糾弾される。
世間にはそういうカタブツが多くて困る。
バレリーナさんたちも、見られて困るならヒジャブか十二単でも着て踊っとくれ。
わたしはいまだ青春まっただ中の年寄りだけではなく、規則やたてまえばっかりの人生を送ってきた可哀想なじいさんたちに、バレエの楽しさをひろめようと、そんな遠大な野望を抱いているのだ。
そのために、あえてやわらかい文章を書くことをこころがけているのだ。
見ていろ、そのうちミーハーの及びもつかないバレエの博識になってみせる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年2月24日 (日)

バレエについて

凝りだすと止まらないのがわたしのクセで、いっぱしのバレエ評論家になるべく、今日は街の図書館で関連図書を漁ってきた。
もちろんこれがだいそれた望みであることは、このブログを読んでいる人ならとっくにご存知だろうけど。

わたしが棚から取り上げたのは、「これがロシア・バレエだ!」という350ページあまりもある本。
つまらないとすぐに放り出すくせに、おもしろいと一気呵成に読み進むのもわたしの習性だ。
内容がかなり専門的で、文章は「スターリンの全体主義政権に翻弄された時代の憂囚だった」というような表現でわかるとおり、格調が高いけど、しろうとにはとっつきにくい本である。
それでも自分の興味のあることがらについては、たいていの本をおもしろいと思ってしまうわたしのことだ。
少なくても最初の50ページを読んだかぎりではおもしろかった。

全部読み終えるのがいつになるかわからないけど、はたしてそのころにはわたしはいっぱしのバレエ評論家になれているだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年2月 8日 (金)

韓のくに紀行

司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズのうち、“韓のくに紀行” を初めて読んだのは、これが文庫版になってすぐだから1978年のことだ。
ということはいまから40年まえということになる。
そのころのわたしはまだ韓国の反日なんてものもよく知らず、ただおもしろい紀行記であると思っただけだった。

しかしあとになってから考えると、すでにあちこちに韓国の反日思想、韓国人の特異な精神構造が描かれていることがわかる。
もちろん有名な作家で、韓国人の知り合いも多いこの作家が、そんなことをあからさまに書いているはずはないから、そのへんは深読みが必要だ。

たとえばこの旅に韓国人ガイドのきれいなお嬢さんが登場するけど、彼女は作家との会話の中で、 「つまり(日本は韓国を)もういちど併合したいとおっしゃるのですか」と訊く。
誤解されたと思った作家は、あわてて「あんなウルサイ国民をまた併合したいと考える日本人はいませんよ」と答えてしまう。
これでは火に油をそそぐようなものだけど、意外や、彼女はむしろ嬉しそうな態度を示す。
韓国ではウルサイというのは褒め言葉らしい。

また日本が韓国に創氏改名を強いたといって、いまでもこれを非難する韓国人が多いけど、韓国は日帝時代よりはるかむかしに、自らすすんで創氏改名をしたことも書いてある。
もともと朝鮮人というのは、テムジンとかヌルハチというようなモンゴルふうの名前をもつ民族だったそうだけど、中国が強大になるにつれ、これにゴマをするために、わざわざ金や朴、文というような中国ふうの名前をつけたんだそうだ。
本人がそうしたいというならご随意にといいたいところだけど、相手が日本の場合は、もちろん創氏改名ケシカランということになるのが困るのである。

作家はすでに韓国人が、日本に対してだけはうるさくて、理解しにくい民族であることを知っていたわけだ。
もちろん司馬遼太郎という人は、もと新聞記者だし、各方面に友人知己も多いから、知らないのはわたしだけだったのだろう。

でも「韓のくに紀行」は、韓国人を怒らせるために書かれた本ではない。
この本の中には、日露戦争のおり、外国の近代軍隊と戦ったことのない日本人は、東洋が生んだ海の名将として、韓国人の李舜臣に勝利を祈願をしたことも書いてある。
李舜臣は豊臣秀吉の朝鮮侵略のとき、日本軍をこてんぱんにやっつけた韓国の英雄だ。
これは作家が、日本人は韓国人でも平等に見ることを知っていたということを証明するために書いたんじゃないか。
作家はなんとかしてこりかたまった韓国人の反日感情を解きほぐそうとしたのだろう。

作家がこのときじっさいに見た光景として、韓国の田舎には電気が通ってなくて、夜になるとまっ暗だという記述がある。
似たような景色をわたしは中国で見たことがある。
はじめて上海から西安に向かったときのこと、西安近郊の田舎では、夜行列車から見ると、夜になるとほとんど明かりがなく、月明かりのなかにモノクロの農家がひっそりと寝静まっていた。
それはそれでとてもこころの落ちつく景色だった。

「韓のくに紀行」が書かれたのは1971年ごろだ。
これは朴正煕大統領の時代で、彼が漢江の奇跡と呼ばれる、韓国の近代化に邁進していたさなかのころである。
おそらくその奇跡の恩恵はまだ田舎には到達してなかったのだろう。
問題は、その後近代化に成功した韓国で、朴大統領の偉業が完全に忘れ去られていることだ。
中国でさえ、井戸を掘った人の恩は忘れないという言葉があるくらいなのに、これはいったいどうしたわけだろう。

じつは韓国人の異常さはこういうところにある。
政権が変わると、まえの権力者が徹底的に叩かれることになるんだけど、これはなぜなのか。
それについてもこの本を読めばわかる。
韓国というのは高句麗、新羅、百済の時代から国内勢力の仲が悪く、百済なんか新羅と犬猿の仲で、最後にはその相手に滅ぼされてしまう。
百済なんていうと聖徳太子の時代で、1400年もまえの話だぞ。
そんなむかしから仲が悪かったわけで、それがいまでも韓国国内に対立の火種になっているという。
日本だって維新の恨みを今にひきずる会津と薩長の関係があるけど、こちらはまだ150年だし、福島から総理が出たからといって、長州の安倍クンを刑務所に叩っこんだりしないだろう。

そうやって深読みしていると、ガイド嬢を美しいとかやさしいと書いているのも、これって皮肉なのかなと思いたくなる。
わたしは彼女を見たことがないからわからないけど、まだ整形なんてものがブームになってなかったころの話だし。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧