深読みの読書

2019年3月 5日 (火)

バレエについて

冷たい雨の日、世間のじいさん、ばあさんたちは何思う。
他人は知らんけど、わたしの場合はひたすらバレエの勉強だ。
もちろん自分でバレエを踊るほど若くも運動神経もないから、あくまで書物からまなぶ勉強である。
これがひきこもりの原因なんだけど、世間には家ですることもなくて途方にくれているじいさんも多いから、こういう勉強に打ち込める趣味があるというのは、めぐまれた年寄りってことにならないだろうか。

図書館でまた役に立ちそうな本を見つけてきた。
前回借りたのは「これがロシア・バレエだ!」というかた苦しい本だったけど、今回見つけたのは「世界の名門バレエ団」という写真がいっぱいの本。
「これが・・・」のほうはロシアのバレエの歴史をなぞるような本で、やたらにロシア語の名前や固有名詞が出てきて、何度も読まないと理解しにくかった上に、記述がマイヤ・プリセツカヤあたりまでで、ちょっと古すぎた。
「世界の・・・」のほうは内容も新しく、ロシアだけではなく、たとえばわたしが録画した最近のバレエ番組、パリ・オペラ座やチューリッヒ・バレエ団のバレリーナにも触れてあるところがうれしい。
世界のバレエの現況をいっぺんに俯瞰できるような本である。

それにしても終活中のじいさんの趣味に、バレエぐらいふさわしいものはないな。
碁や将棋をいくら勉強したって、せいぜい背中をまるめて、ストーブのわきで同じような年寄りと、最近は医療費がまた値上がりしてなどとこぼすのがせいぜい。
バレエなら、相手は若くて美人で健康的な娘ばっかりだ。
こんなに回春作用も期待できる趣味って、ほかにもあるだろうか。

こんなことをどうどうと書くから世間から糾弾される。
世間にはそういうカタブツが多くて困る。
バレリーナさんたちも、見られて困るならヒジャブか十二単でも着て踊っとくれ。
わたしはいまだ青春まっただ中の年寄りだけではなく、規則やたてまえばっかりの人生を送ってきた可哀想なじいさんたちに、バレエの楽しさをひろめようと、そんな遠大な野望を抱いているのだ。
そのために、あえてやわらかい文章を書くことをこころがけているのだ。
見ていろ、そのうちミーハーの及びもつかないバレエの博識になってみせる。

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2019年2月24日 (日)

バレエについて

凝りだすと止まらないのがわたしのクセで、いっぱしのバレエ評論家になるべく、今日は街の図書館で関連図書を漁ってきた。
もちろんこれがだいそれた望みであることは、このブログを読んでいる人ならとっくにご存知だろうけど。

わたしが棚から取り上げたのは、「これがロシア・バレエだ!」という350ページあまりもある本。
つまらないとすぐに放り出すくせに、おもしろいと一気呵成に読み進むのもわたしの習性だ。
内容がかなり専門的で、文章は「スターリンの全体主義政権に翻弄された時代の憂囚だった」というような表現でわかるとおり、格調が高いけど、しろうとにはとっつきにくい本である。
それでも自分の興味のあることがらについては、たいていの本をおもしろいと思ってしまうわたしのことだ。
少なくても最初の50ページを読んだかぎりではおもしろかった。

全部読み終えるのがいつになるかわからないけど、はたしてそのころにはわたしはいっぱしのバレエ評論家になれているだろうか。

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2019年2月 8日 (金)

韓のくに紀行

司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズのうち、“韓のくに紀行” を初めて読んだのは、これが文庫版になってすぐだから1978年のことだ。
ということはいまから40年まえということになる。
そのころのわたしはまだ韓国の反日なんてものもよく知らず、ただおもしろい紀行記であると思っただけだった。

しかしあとになってから考えると、すでにあちこちに韓国の反日思想、韓国人の特異な精神構造が描かれていることがわかる。
もちろん有名な作家で、韓国人の知り合いも多いこの作家が、そんなことをあからさまに書いているはずはないから、そのへんは深読みが必要だ。

たとえばこの旅に韓国人ガイドのきれいなお嬢さんが登場するけど、彼女は作家との会話の中で、 「つまり(日本は韓国を)もういちど併合したいとおっしゃるのですか」と訊く。
誤解されたと思った作家は、あわてて「あんなウルサイ国民をまた併合したいと考える日本人はいませんよ」と答えてしまう。
これでは火に油をそそぐようなものだけど、意外や、彼女はむしろ嬉しそうな態度を示す。
韓国ではウルサイというのは褒め言葉らしい。

また日本が韓国に創氏改名を強いたといって、いまでもこれを非難する韓国人が多いけど、韓国は日帝時代よりはるかむかしに、自らすすんで創氏改名をしたことも書いてある。
もともと朝鮮人というのは、テムジンとかヌルハチというようなモンゴルふうの名前をもつ民族だったそうだけど、中国が強大になるにつれ、これにゴマをするために、わざわざ金や朴、文というような中国ふうの名前をつけたんだそうだ。
本人がそうしたいというならご随意にといいたいところだけど、相手が日本の場合は、もちろん創氏改名ケシカランということになるのが困るのである。

作家はすでに韓国人が、日本に対してだけはうるさくて、理解しにくい民族であることを知っていたわけだ。
もちろん司馬遼太郎という人は、もと新聞記者だし、各方面に友人知己も多いから、知らないのはわたしだけだったのだろう。

でも「韓のくに紀行」は、韓国人を怒らせるために書かれた本ではない。
この本の中には、日露戦争のおり、外国の近代軍隊と戦ったことのない日本人は、東洋が生んだ海の名将として、韓国人の李舜臣に勝利を祈願をしたことも書いてある。
李舜臣は豊臣秀吉の朝鮮侵略のとき、日本軍をこてんぱんにやっつけた韓国の英雄だ。
これは作家が、日本人は韓国人でも平等に見ることを知っていたということを証明するために書いたんじゃないか。
作家はなんとかしてこりかたまった韓国人の反日感情を解きほぐそうとしたのだろう。

作家がこのときじっさいに見た光景として、韓国の田舎には電気が通ってなくて、夜になるとまっ暗だという記述がある。
似たような景色をわたしは中国で見たことがある。
はじめて上海から西安に向かったときのこと、西安近郊の田舎では、夜行列車から見ると、夜になるとほとんど明かりがなく、月明かりのなかにモノクロの農家がひっそりと寝静まっていた。
それはそれでとてもこころの落ちつく景色だった。

「韓のくに紀行」が書かれたのは1971年ごろだ。
これは朴正煕大統領の時代で、彼が漢江の奇跡と呼ばれる、韓国の近代化に邁進していたさなかのころである。
おそらくその奇跡の恩恵はまだ田舎には到達してなかったのだろう。
問題は、その後近代化に成功した韓国で、朴大統領の偉業が完全に忘れ去られていることだ。
中国でさえ、井戸を掘った人の恩は忘れないという言葉があるくらいなのに、これはいったいどうしたわけだろう。

じつは韓国人の異常さはこういうところにある。
政権が変わると、まえの権力者が徹底的に叩かれることになるんだけど、これはなぜなのか。
それについてもこの本を読めばわかる。
韓国というのは高句麗、新羅、百済の時代から国内勢力の仲が悪く、百済なんか新羅と犬猿の仲で、最後にはその相手に滅ぼされてしまう。
百済なんていうと聖徳太子の時代で、1400年もまえの話だぞ。
そんなむかしから仲が悪かったわけで、それがいまでも韓国国内に対立の火種になっているという。
日本だって維新の恨みを今にひきずる会津と薩長の関係があるけど、こちらはまだ150年だし、福島から総理が出たからといって、長州の安倍クンを刑務所に叩っこんだりしないだろう。

そうやって深読みしていると、ガイド嬢を美しいとかやさしいと書いているのも、これって皮肉なのかなと思いたくなる。
わたしは彼女を見たことがないからわからないけど、まだ整形なんてものがブームになってなかったころの話だし。

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2018年12月18日 (火)

SAPIOから

ヒマつぶしに図書館に寄って、右翼雑誌のSAPIOをめくってみたら、最新号では、この雑誌が総力をあげて不法移民についてキャンペーン中だった。
ここんところの移民問題では、ウチの新聞もしょっちゅう騒いでいる。
ウチの新聞というのは朝日だから、どっちかといわなくても左翼だ。
つまり安倍クンの移民政策は、左右どちらからも文句をいわれているわけだ。
わたしが総理ならヤケになって(最近ヤケが多すぎるけど)、どっちも無視するに決まっている。
安倍クンもそんなわたしの意向をよく忖度して、無視のかまえをつらぬいているようだから、ま、その件はとくにどうでもエエ。

わたしは新聞もネットもよく読むし、今日のようにたまに雑誌からも情報を仕入れる。
多方面に目を配ることによって、世論や国際情勢に詳しくなるわけだ。
SAPIOからはほかにも、大前研一さんの記事にあらためて触発される部分が。

韓国が半導体製造では世界一のシュアを持っていることは知っていた。
技術力で日本に劣る韓国が世界一になれたのは、日本の技術援助があったんだろうということも知っていた。
リーマンショックのころ、先走りしすぎて不況になった日本企業から、技術者を大量に引き抜いたのだろうということも想像できた。

それだけじゃない。
以前にも日米のあいだで貿易戦争のようなことがあり、自国の半導体を日本に買わせたいアメリカは、日本に対して、外国から輸入する半導体を20パーセント以上にすることという協定を強要した。
ところが日本もずるがしこい。
外国ならどこでもいいんだろうと、韓国に技術移転をして、つまり日本の半導体を韓国経由で輸入するようにしたのだそうだ。

それがアダになって、いまでは韓国にシュアを奪われたってことらしいけど、半導体製造の核心技術まで移転したわけではないから、その気になればいつでも韓国をしめあげることができる。
韓国は日本以上に過去を忘れ、いつのまにか自分の実力を過信して、自分たちが先進国であるとカン違いする国だ。
最近の日韓の不協和音をながめると、今年はどうやら韓国にとって大きな節目の年になりそう。

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2018年6月 9日 (土)

自炊中

C000

"自炊" たけなわの「支那事変・戦跡の栞 (しおり)」 という本。
日中戦争のころ、陸軍画報社というところから刊行された本である。
ヒマつぶしでやってるもんだから自炊のほうは遅々としてはかどらないけど、日本軍とともに涿州市(たくしゅう)というところまで進軍してきた。
ここは三国志でおなじみの劉備玄徳のふるさとだそうだ。
とうぜん彼についての記述がある。
 
【彼は家では母親とともにムシロなどを編んで暮らしていたが、志ははなはだ大であり、性は勇武であった】
【身の丈が七尺五寸というのだから、いまの世ならば波止場の苦力をやっても、そうとうにイケるだろうし、またオリンピックの選手になるというテもある】
【彼は力のやり場に困って、高さ50尺の桑の木に旗飾りを立て、その木のまたにフンぞり返り、いまに見ろ、おらぁ龍車に乗ってみせるだと豪語していた】
 
ユーモアというにはちとぎくしゃくしてるけど、そのへんは軍隊が編纂した本の限界だろう。
それでもこんな調子でなかなかおもしろい。
 
ところでこの本は、その後の1983年に、国書刊行会というところから復刻出版されていることがわかった。
そんなものがあるなら苦労して自炊なんかせずに、それを買えばよかった。
手もとにあるボロ本はオークションに出して、復刻版を買う足しにするテもあった。
と思ったけど、たぶんそうはいかない。
 
わたしが自炊を始めたのは、親戚からタダでめずらしい本をもらってきたというのがきっかけで、新しい本をわざわざ金を出して買おうという気にはならなかったはず。

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2018年5月29日 (火)

"自炊"をする

Shiori

親戚からもらってきた古い本、「支那事変・戦跡の栞(しおり)」というものだけど、虫メガネを使って少しだけ読んでみたら、歴史好きのわたしにはなかなかおもしろそう。
ただ、やたら小さな本に漢字ばかりの古風な文章が、320ページも押し込んであるので、老眼のわたしには、メガネをかけた上にさらに虫メガネを使わないと、とても読むことができない。
これはとっても目が疲れることである。

どうしたらいいだろうと考えて、思い切って “自炊” することにした。
“自炊” というのはパソコン用語で、つまり紙の本の電子化を自分でやることである。
むずかしくはない。
スキャナーさえあればだれにでもできる。

“自炊” するためにはページを切り取って、本をばらばらにしなければならない。
ちょっともったいないかなと思い、この本を古書としてオークションに出したら、どのくらいするものか調べてみた。
この本はもともと、上、中、下巻の3部作だったらしく、全巻そろってもいいとこ3千円ぐらいの値しかついてなかった。
わたしがもらってきたのは上巻だけだから、売ってもたかがしれているだろう。

それで “自炊” を始めたんだけど、いやもう手間がかかって。
全ページのスキャンが終わるまで生きていられるのかと心配になってきた。
そうやって苦労して電子本にしても、一文にもならないし、おそらくわたしひとりが満足するだけで、世間に対してなにか貢献することもないだろう。
でもいいか。
スキャンした部分を読みながらスキャンを続けているんだけど、新しいページを読むたびに、日本軍とともに、当時の中国大陸を転戦しているような気分になる。
時空を超えた世界、ありえない異次元の世界、部屋にいながらそういう世界を彷徨できるのは本好きの特権だ。
ひきこもりぎみで、徹底的に地味な性格のわたしが、人生の終わりまでなんとか退屈しないで済みそうだから。

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2018年1月 3日 (水)

書斎派グルメ

夏目漱石は正月が苦手だったそうである。
正月になると頼みもしないのに年始の客がくる。
そういう客の酒の相手をしなければいけないのが苦痛だったそうだ。
その点、わたしみたいな偏屈は、年始に来ようっていう客もいないから気が楽だ。
好きなときにメシを食い、酒を飲み、あとは平和に読書三昧。
正月まえに図書館で借りてきた開高健の「眼(まなこ)ある花々」というエッセイ集を読んでいるんだけど、おもしろいし、いろいろ示唆される本である。

この本のなかに越前岬にある古い旅館のことが出てくる。
なんでも作者が『旅』という雑誌に、観光ズレしていない旅館を紹介してくれと頼んだら、教えてくれたところだそうで、座敷わらしでも出そうな雰囲気が、ひと目で気に入ってしまった宿だそうだ。
最初のエッセイでは宿の名前が出てないけど、時代をこえて作家のいろんな時代のエッセイを集めた本なので、あとのほうのエッセイに、たぶん同じ宿であろうという旅館が、こちらはちゃんと名前入りで出てくる。

なにしろグルメで有名な作家だから、宿のご馳走の描写がハンパない。
思わず生つばゴックンというくらい、越前ガニやらツブ貝やら北の海の幸のてんこ盛りだ。

それにしても、わたしは少食かつ偏食なので、山盛りの珍味を出されても困ってしまう人間なのに、グルメ紀行がおもしろいというのはなぜだろう。
でもよく書かれた本なら、むかし読んだ邱永漢さんの本もおもしろかったし、こういうのを書斎派グルメというんだろうな。
「日本百名山」を書いた深田久弥が、書斎で山に関する文献をあさっている人も立派に山男の資格があるといってるけど、わたしの場合、食べものも釣りもみんな部屋の読書ですませてしまう。
安上がりでいいいかもしれない。

でも、こういう本を読むと、ひとつ出かけてみようかと、費用のことは考えもしないで、すぐその気になるのがわたしのわるいクセだ。
旅館の名前はわかっているのだから、ググッてみた。
残念ながら、作家がこのエッセイを書いたのは、いまでは遠くなりにけりの昭和のことなので、その旅館はとっくに今ふうに改築されていた。
でも越前ガニの味が昭和と平成で変わるわけもあるまい。
ひとつ強靭な胃をもっている人間を誘ってみるか。
でもねえ。
わたしの知り合いには、胃袋だけは相撲取りなみの人間もいるけど、あいつ、糖尿の薬飲んでるもんな。
やっぱりひとりで行くしかないか。

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2017年12月25日 (月)

1Q84のその後

沖縄からの帰りに飛行機の中で、村上春樹の「1Q84」を読んでみたということは、このブログに書いたことがある。
先日、図書館に行ったとき、べつに読みたい本もなかったので、文庫のこの本を取り上げてみた。
ちらりと目を通してびっくり仰天。
以前読んだものとまったく内容が異なっていたのだ。
これはいったいどうしたことか。
なにかのまちがいなら、以前の、あまり好意的でなかった書評を書き直さなければならないかもしれない。

調べてみたら原因がわかった。
わたしはこの本が、文庫本にしてせいぜい2冊ていどの本かと思っていたけど、じつは全部で6冊あり、それが2冊ずつペアで1部、2部、3部に分かれ、それぞれに前編後編があったのだ。
つまり前編だけで3冊あるわけで、そそっかしいわたしが借りてみたのは2部の前編、沖縄の帰りに読んだのは1部の前編だったというわけだ。

だからべつに書評を書き直す必要もなく、好意的に思えないのは以前のまま。
ちらりと目を通して思ったのは、場所や時間などの具体的な固有名詞が出てこないのが現代小説なのかなということ。
こういう点では時代小説というのはエライ。
文化文政の江戸小伝馬町というように、具体的な名詞が出てこない時代小説があるはずがなく、そのへんでいいかげんなことを書けば、歴史マニアからすぐにつっこまれる。
三谷幸喜クンの歴史ドラマでは、坂本龍馬と新撰組の近藤勇が、同時に黒船を見物するという場面があって、そんなバカな設定があるかと物議をかもしていたけど、彼のドラマはSFみたいなものと覚悟していれば腹も立たない。

「1Q84」にはつっこみどころがない。
ほめているわけではなく、現実に存在する固有名詞がほとんど出てこないのだから、つっこみようがないのである。
こういう点では三谷幸喜クンのほうが、不真面目であっても、いちおう歴史に立脚しているということで、作家としては大変な仕事をしているといえる。

森鴎外の歴史小説を読んでみよ(金がないならネット上の青空文庫で読め)。
「阿部一族」にしても「護持院原の敵討」や「堺事件」などにしても、冒頭に当時の歴史的背景、登場人物の官職名、屋敷の配置などが不必要なくらい詳細に書き込まれ、それだけで小説の立体感をぐんと増している。
当代の作家にそれを望むのはムリだけど、いつのどこだか曖昧な場所で、生まれも育ちも知れない人物が活躍する話なんて、SF小説よりひどい。
これをもって清閑なリリシズムとか、奇妙なユーモア感覚などと屁理屈をつけるのは勝手だけど、やっぱりわたしは村上春樹を読む気がしない。

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2017年12月 5日 (火)

盲目物語

昨夜は青空文庫で、谷崎潤一郎の「盲目物語」を読んでみた。
ひらがな多用で、ひじょうに読みにくい文章だ。
新人類のわたしにはちとまだるっこしいけど、ひらがなが多いというのは、平安時代の女流作家の文章みたいである。
そういえば全体的に女性的な文章で、作者の意図もそのへんにあったのかも。

内容は戦国時代のお話で、織田信長の妹で、そのころ絶世の美女とうたわれたお市の方に仕えたあんまのひとり語りである。
お市の方は最初は備前の浅井長政に嫁ぎ、彼が信長に滅ぼされると、つぎに越前の柴田勝家のもとに嫁ぎ、最後は豊臣秀吉に攻められて亭主とともに死んだ、ということはこのブログに書いたことがある。
歴史小説として読むとおもしろいけど、ここでは視点を変えて、失恋した男の悲哀ということに的をしぼってみよう。
わたしも恋愛戦線に屍累々というタイプなので、その男の気持ちがよくわかるのだ。

男というのは、若いころ木下藤吉郎といった豊臣秀吉のことで、彼は織田信長の部下だったから、とうぜんお市の方のことを知っていた。
しかし彼は自分がイイ男でないことを自覚していたから、信長が生きているあいだは、とても主君に向かってその妹を嫁にくれとはいえなかった。
信長が本能寺で殺されると、なにしろ殿の仇討ちにいちばん功績のあった部下ということで、ようやく彼の出番が来る。
彼にも未亡人になっていたお市の方に求婚する権利ができたわけだけど、ここで秀吉の前に立ちふさがったのが、やはり信長旗下の猛将柴田勝家。
こうなるとどっちを選ぶかという権利は未亡人のほうにある。
イケメンでなかったことはどっちもどっちだったようだけど、それまでのいきさつもあり、お市の方は勝家のほうを選ぶ。
秀吉はお市の方の亭主だった浅井長政を滅ぼすのに功があり、なおかつ信長の命令で彼女の幼い息子を誅殺しているのだ。

いかに主君の命令とはいえ、自分が愛している女性の息子を手にかけるなんて。
いや、そればっかりは誰かほかの人間におおせくだされと、秀吉もいちどは命令を拒否するんだけど、しかし相手は北朝鮮の正恩クンにひけをとらない短気な暴君の信長だ。
そうか、そうか、おまえもエラくなったもんだなと信長にへそを曲げられ、とうとう彼はお市の方の恨みをかうのを承知の上で、泣く泣く子供を処分する。
あまり世間から同情されない秀吉であるけど、この部分にかぎってはわたしは彼に同情してしまう。

秀吉はジャパニーズ・ドリームを体現したひじょうに優秀な男である。
そんな男が、上記の理由で、自分が好きでたまらない相手をほかの男にとられる。
ああ、いまこの瞬間に、彼女はあの男に抱かれているのかと妄想する苦しみ。
わたしにとっては、このあたりが小説のハイライトだ。

それでも秀吉はじっと耐えた。
見ていろ、オレはあいつを滅ぼして、いつかかならずお市の方を手に入れてやる。
その言葉どおり、まもなく彼は勝家を攻め滅ぼしてしまう。
もっともお市の方までいっしょに死んだのは彼の誤算だったけど。

「盲目物語」では、あんまの口を借りて、このあたりの心理描写がねちねちと描かれる。
ご存知のとおり、秀吉は母親と瓜二つのその娘茶々を嫁にして、積年の思いを遂げるのだけど、げに男の執念は恐ろしい。
わたしの場合は、一方的にふられておしまいで、執念を発揮するヒマもなかったワ。

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2017年12月 1日 (金)

日本その日その日

昨夜は風呂の中でSFを読んでいた。
本のタイトルは「日本その日その日」である。
これは明治時代に異惑星に上陸した、ある博物学者の冒険をつづったものでというと、ふざけるな、このバカといわれてしまいそう。

じつはこれは、明治10年に新政府に招かれて来日し、東京大学で教鞭をとったエドワード・S・モース博士の、はじめて見た日本の見聞記である。
なにしろ明治の初期だ。
そこに見られる風物、特異な文化は、現代の日本人が見たって異質なものだっただろうから、猿の惑星なんかよりずっとおもしろい。
この本のすべてのページがおもしろいけど、とりあえず冒頭あたりを重点にしたブログのネタ。

夜間に横浜港に上陸して宿屋に入ったモースは、夜が明けるのをじりじりして待った。
この新しい土地でいったいどんなめずらしいものが見られるかという期待感からで、わたしが初めて大陸中国へ乗り込んだときといっしょ。
あのころはまだ中国の改革開放政策が始まったばかりで、日本と中国との格差は、ひょっとするとモースのころのアメリカと日本と同じようなものだったかもしれない。

朝になって付近を散策したモースは、さっそく人間杭打ち機を発見した。
わたしも子供のころ見たおぼえがあるけど、大勢の人間が輪になって、真ん中にある重りを引っ張り、歌をうたいながらドーンとそれを落とす。
“おっとちゃんのためならエーンヤコラ、おっかちゃんのためならエーンヤコラ” というのがその歌の歌詞で、美輪(旧姓丸山)明宏さんの「ヨイトマケの歌」に出てくる。

この機械を見てモースは、なんて不経済なことよとつぶやいている。
歌をうたっている時間ばかり長く、じっさいに重りが落下するのはその1/10にすぎないというのである。
でも日本にはむかしから、こういう悠長な仕事はたくさんあった。
日本に住んでいる外国人が植木屋を頼むと、お茶ばかり飲んでいてぜんぜん仕事をしているように見えないので、金を払わないと揉めることもあるそうだけど、これはまだまだ日本人が、時間や効率だけを労働の目標にしてなかった時代の習慣が残っているのだ。
ART的仕事には思索が欠かせないし、仕事をしているのは人間であって、仕事が人間を使っているわけではないということを、植木屋さんでも知っているのである。

こんなことを書いたのは、今朝のウチの新聞のオピニオン面にインスパイアされた部分もある。
そこで佐伯京都大学名誉教授さんが、社会主義のぼっ興と凋落について書いてるけど、現代ではそれが崩壊して、個人も企業も国家も、果てしない競争にのめり込んでしまったという。
わたしは古い社会の敗残兵なので、そういう社会は苦手だ。
まだ競争なんてなかった時代、日本はロシアや欧米とはまったく異なるアプローチで、人間中心の社会民主主義を実践していたんじゃないか。
そんないい時代を食い逃げするようで申し訳ないけど、老兵は消え去るのみ、グローバルな競争社会はつぎの世代におまかせする。

のんびりした社会だったけど、モースの本によると、ペリー提督がまた5カ月後に来るからなと日本を恫喝して去ったあと、日本人はそのあいだに大急ぎでお台場を構築し、大砲を備えた要塞を作ってしまったそうだ。
うん、やる気さえあればできるんだね。

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