深読みの読書

2020年11月30日 (月)

冬の夜に

マイヤ・プリセツカヤの本を読んで、読み終えるのにこんな手間のかかる本はないと書いたばかりだけど、ポール・セローの「大地中海旅行」もそれにまさるとも劣らない本だ。
紀行記を読む場合肝心なことは、いま旅人(本の記述者)がいるのはどこなのかを、きちんと把握しておくことである。
これがパリやローマのような、よく知られた場所なら問題はないけど、地中海をぐるりというと、かなり範囲が広い。
しかもこの本は、へそまがり的にローカルな土地ばかりをめぐるので、エタン・ドゥ・ルカートとかヴローラというような町の名前を聞いても、それがどこにあるのかわからないと、ここにはこんな風変わりな文化があるなどといわれてもピンと来ない。

だからやっぱりタブレットは必需品だ。
わたしはつねにGoogleマップを開けるようにしておき、作家とともに地中海の沿岸を歩いているつもりで、自分のいる場所をきっちり把握しておくことにした。

地名だけじゃない。
この本にはプリセツカヤのロシアとは比較にならないくらい、さまざまな固有名詞が出てくる。
小説なら作家の想像だろうですませてもいいが、紀行記となるとそのほとんどがじっさいに存在する名前で、しかも紀行記の愛読家というやつはひじょうに好奇心が旺盛なのだ。
セローはしょっちゅう古今の書物を引用するし、またあちこちで現地の作家や芸術家と語り合ったりする。
そういう相手は、日本ではほとんど知られてない場合が多いから、わたしは使いっ走りの店員みたいに、そのたびにネットをかけずりまわって調べることになるのだ。

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紀行記を読むにさいして、もうひとつ大切なことは、いったいいつの旅であるかということだ。
これを理解しておかないと、たとえばボスニアやアルバニアあたりを旅していても、ユーゴスラヴィア紛争のまえか、その最中か、あるいは紛争が終了した最近のことなのかで、旅の内容もまったく変わってくる。
これは本のあとがきにあるけど、セローのこの旅は、
1993年の秋から1995年の春までのことだそうだ。
まだ旧ユーゴでは、第二次世界大戦以降で最悪といわれた殺し合いが続行中だったから、セローはまかりまちがえれば戦争にまきこまれていた可能性もある。

いったい旅をしたのはいつだったのか。
それをきちんと把握しておくことで、作家が見た世界の現実と、時間の流れが俯瞰できるわけだ。
いろいろゴタクをならべてきたけど、ほんとうに、こんなにじっくり読めて楽しい本もない。
他人の旅に便乗したわたしの横着な紀行記も、まだまだ、ゆるゆると参ろう。
退屈な冬の夜は始まったばかりだ。

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2020年11月29日 (日)

新しい紀行文学

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ポール・セローの「大地中海旅行」という本を読んでいるけど、わたしはほかにもやることがあるので、700ページもある本をぜんぶ読み終わってから感想をまとめていたら、いつになるかわからない。
それだけ手間ひまをかけても、原稿料をもらえるわけじゃなし、認知症の予防以外に役には立ちそうにない。

そこでひとつ新機軸を。
わたしは写真でもよくやるんだけど、誰かか送ってきた写真を勝手にトリミングして、わたしなりの新しい写真にしてしまうことがよくある。
おかげでむかしは知り合いから文句をいわれたこともあった。
しかし、文句をいった知り合いが自分の写真をおおやけに公開したようすもないし、彼もわたしと同じように歳を重ねているから、その写真は墓場のなかまで持っていくことになるだろう。
わたしが手を加えたとしても、それだけがネットで公開された彼のゆいいつの写真になるわけだ。

わたしはトリミングをしたあとが、最終的な写真作品だとこころえているので、そのていどは許されてもいいと考える。
もちろん他人の写真を商業目的で使って利益を上げるというのは言語道断だけど、ネットに上げられたおびただしい情報を、本人だけのものにしておくのはもったいないと、いつも考えているのだ。

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またセローの「大地中海旅行」にもどるけど、全部読み終わるまで待つとしたら、いつになっても感想文なんて書けない。
そこで、勝手な言い分だけど、ここで紀行文学の新しいスタイルを披露してしまおうと思う。
セローは地中海の沿岸を旅して、見たもの、聞いたもの、感じたことなどについて書いている。
わたしはセローとともに旅をして(つまりその本を読みながら)、そこから感じたことをまた文章にしていこうと思うのだ。
それじゃあ感想文と同じじゃないかという人がいるかもしれない。
その範疇におさまらないのがわたしの理想なんだけどね。

現在のは世界はめまぐるしく変わっており、つぎからつぎへと新しいものがあらわれる。
自分でじっさいに現地に行ったわけでもないのに、グーグルのストリートビューと、ネットのさまざまな情報だけで、バーチャル旅行をしてみようというのは、紀行文学の新しい行き方かもしれない。
ずるいといわれるかもしれないけど、金をもらってやってる仕事じゃないのだから、まあ、ぼちぼちやってみよう。

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2020年11月26日 (木)

大地中海旅行

今度はポール・セローの「大地中海旅行」を読み始めた。
この本は地中海の入口である英領ジブラルタルから、海岸線だけをずっとたどって、最後はまたジブラルタルの向かいにあるモロッコまで、地中海をぐるっと一周する紀行記だ。
内陸には入らない。
スペインもフランスも地中海に接しているけど、マドリードもパリも内陸にあるから行かないし、イタリアなんか地中海にどっぷりつかった国だけど、ミラノもトリノもフィレンツェも、海岸にないという理由で無視だ。
ほんとに、徹底的に海岸線だけをたどった紀行記なのである。

これを読むまえに考えた。
わたしも旅行好きだけど、地中海に面した国をぜんぶいえるだろうか。
ひとつ自分の知識を試すつもりで、地図やネットに頼らないブラインドテストをしてみることにした。

まず地中海の入口にスペインがあるのはわかる。
ポルトガルも入口近くにあったけど、あれはたしか外海(大西洋)に面していて、地中海には面してなかったはず。
スペインのつぎにフランスがある。
カンヌやニースはフランスだよなと考えて、いや、イタリアだったかなと、もうこのへんで迷いが生じる。

フランスのつぎはイタリアと、このへんまではまあまあ。
問題はこの先だ。
イタリアのとなりにギリシャがあったはずだけど、イタリア半島はかなりほそ長いから、その長靴の背中にあたる入江の奥には、いくつかほかの国があったような。
ええと。
考えてもわかりそうにないから、すっとばしてギリシャに行く。

何年かまえにトルコに行って、そのさいトルコとギリシャが国境を接していることを知った。
とはいえ、この国境は海のうえの国境で、陸の国境がどうなっていたか知らない。
エーゲ海も奥のほうでは、どこかほかの国にも面していたような気がするし、トルコからギリシャまで列車で行ってみようかと考えたことがあるけど、とちゅうにどこかの国を経由していたような気がする。
これもわからないので、あとで地図を見ることにして、トルコへ行く。

トルコはけっこう大きな国だ。
トルコの先の地中海ってどうなっていたっけか。
このへんまで行くと地中海もとっつきという感じだけど、イスラエルがあのへんにあり、最近でっかい爆発事故があったレバノンなど、まわりにアラブの国がいくつかあったはず。
しかし具体的な地理関係はなにがどうなっていたかわからない。
考えてもわかりそうにないから、一足飛びにエジプトに行ってしまう。

エジプトまで行くと、もう地中海を半周したことになる。
でもエジプトについては、ナイル川の河口が三角州になって地中海にそそいでいるあたりしか知らないな。
あの国って、巾着みたいに、アフリカの内陸部に大きく広がっている国じゃなかったっけか。

エジプトのとなりかそのとなりに、虐殺されたカダフィ議長のリビアがあったはず。
あの動乱はよく注目していたので、リビアという国についてもかろうじて知っていたけれど、それまでこの国は、イランやイラクの近くの砂漠のなかにあると思っていた。
そしてもうひとつ、チュニジアという国も地中海に面していることを知っていた。
これは以前マルタ島に行ったとき、アフリカのチュニジアが、もう対岸のすぐ目のまえだということを聞いたから。

そういえばマルタ島も独立国家だったよな。
F1グランプリで有名なモナコ公国もそうだし、探せばまだ地中海に面した極小国家があるかもしれない。

エジプトの先の地中海に面したアフリカの国というと、正確な地理はよくわからない。
リビア、チュニジア、そして地中海の入口にあって、ジブラルタルと向かい合っているモロッコ以外に、地中海に面した国があっただろうか。
ありそうな気がするけど、それはなんという国なのか。

モロッコといえば映画「カサブランカ」の舞台だ。
恥ずかしながら以前は、両方とも都市の名前だと思っていた。
そして「カサブランカ」や「望郷」という映画のおかげで、迷路のようなゴミゴミした街だと思っていた・・・・
と書いているうち、「望郷」の舞台はモロッコじゃないなと思いつく。
同時に、ここは地の果てアルジェリアという、「アルジェの女」の歌詞を思い出し、連想ゲームのように、アルジェリアも地中海に面した国じゃないかと思い出す。
そして、モロッコもアルジェリアも、日本よりずっと小さな国であると漠然と思っていた。

このくらいがブラインドテスト、つまりわたしの記憶だけで描ける地中海沿岸国家の限界だ。
フランス、イタリア、スペイン、ギリシャ、トルコ、エジプトあたりを例外とすれば、ほかは日本人にはあまり縁のない国だから仕方がない。
あとで地図で確認して、あらあと驚愕した事実がいくつか。
笑うんじゃない。
このていどでも、たぶんあんたよりマシだ。

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2020年11月23日 (月)

闘う白鳥

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マイヤ・プリセツカヤの「闘う白鳥」、読み終わったから感想を、いちおう書いておこう。
バレエやプリセツカヤに関心のある人は、けっこう世間に多いらしく、この本の書評や個人に対する感想もたくさんあるから、へそまがりのわたしは別の視点からひっかいてやろうと思う。

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マイヤの人生についてはよく知られている。
彼女はまだ幼いころに、父親を悪名高いロシアの秘密警察に粛清された(皮肉なことにバレリーナとして天分を発揮しはじめたマイヤは、父親を逮捕した秘密警察員のまえでも踊ったことがあるという)。
こうした体験が、権力に対する不信と反逆精神をマイヤの脳裏に刻みこみ、彼女の前半生は非人間的なソ連の官僚主義との闘いに終始した。
とまあ、こういうことは彼女を知る人には常識である。

しかしもちろん、お上に逆らって無事でいられないのが、当時のロシアだ。
ソ連時代にもロシアのバレエ団が西側で公演することはよくあったけど、マイヤは徹底的に参加メンバーからはずされる。
ロシアのダンサーはヌレエフやバリシニコフのように、海外公演をもっけの幸いと亡命することが多かったから、ロシア文化省もそうそうかんたんには許可を出さないのだ。
外国で演じたい。
このへんは、本場の米国で勝負したいとねがったプロ野球の野茂英雄に似ている。
彼女の闘いは続くのである。

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16歳にしてボリショイの舞台に立ったマイヤは、すでに大器の片鱗をあらわしていた。
実力がついてくると、人間ハナっぱしらが強くなるのは洋の東西を問わない。
あるとき彼女は、新聞(もちろん国家の御用新聞だ)のバレエ批評欄に自分の名前がないと、ボリショイの総裁のところに怒鳴り込んだことがある。
これはひじょうに危険な行為のはずだけど、彼女が粛清や流刑をまぬがれたのは、ロシアでは芸術家に対する尊敬の念が、細々ながらあり続けたからかもしれない。

こんな反抗的な性格がたたって、あいかわらず仕事を干されたり、いやがらせが続いた。
彼女の闘いは続く。
しかしロシアの雪解けは着実に進んでおり、時代はしだいに彼女の有利に傾いていった。

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国内に幽囚状態だったマイヤだけど、苦労して状況を変えてゆき、ついに米国公演に参加するところまできた。
当時はケネディ大統領の時代で、つまりまだ冷戦のまっ最中で、アメリカ人は評判ばかりが先行していたこの希代のバレリーナを、ひと目見ようと大騒ぎだ。
これはソ連という国へのあてこすりもあったのだろうけど、大統領まで乗り出して、連日パーティーだ、晩餐会だとマイヤを歓待する。
とくにケネディの弟のロバートは、向こうから紹介してくれと頼み込んでマイヤにせまった。
ケネディ兄弟といえば女ぐせのわるさで有名だから、下ごころがあったことは間違いがない。
下ごころなしに花束を贈ったり、食事に誘う男はめったにいないものだ。

そういうわけですこし心配になるけど、わたしがマイヤの貞操について心配しても仕方がない。
ただ彼女も資本主義に毒されてない純情なロシア娘だったから、米国で歓迎されて、いささか舞い上がっちゃったようだ。
彼女はアメリカで、指揮者のレナード・バーンスタイン、俳優のイングリット・バーグマン、オードリー・ヘプバーン、シャーリー・マクレーンなど、そうそうたる顔ぶれのセレブと知り合ったことをうれしそうに書いている。
しかし芸能週刊誌じゃあるまいし、そんなものはわたしには別世界の話だから、さっさと読み飛ばして先に行こう。
屈折してやがんなといわれそう。

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彼女の米国公演は大成功だった。
しかし・・・・
ここで共産主義国の給料システムについて触れておくと、海外で公演しても劇場から演技者に支払われる出演料は、その大部分を国家がピンハネし、演技者にはスズメの涙ていどしか支払われない。
これは現代でも北朝鮮がいい例だ。
アメリカ公演でマイヤがもらった日当はたったの40ドルで、あとで「子犬を連れた貴婦人」に出演したイヌの出演料は700ドルだったそうだ。

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マイヤの本を読んでいると、ときどき彼女も女性だなと思わせられる箇所に出くわす。
人間に対する好ききらいがはっきりしていて、自分に好意的な人は持ち上げるけど、自分をいじめた人物についてはあとあとまでネにもつ。
これは女性にありがちな性格だ。
振付師のグリゴローウィチと仲がわるかったというのは、両方のファンであるわたしにはコマッタ、コマッタ。

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米国公演以降のマイヤは順風満帆というところだけど、芸術家としての創作本能がうずいたのか、つぎの境地をめざし始める。
それがキューバの振付師アルベルト・アロンソとのコラボである「カルメン組曲」だ。
あんなひわいな踊りは認めませんと、これはわたしではなく、ボリショイ劇場の総裁がいったことなんだけど、保守的な先輩ダンサーにはそうとうイヤらしい踊りに見えたらしい。
これでまたマイヤの反抗心に火がついた。

ひわいといわれるとすぐに気になる人もいるだろうけど、どうしてもその舞台を観たい人は、YouTubeでマイヤのカルメンを探してみればよい。
そんなこといったって、だいたいバレエって、短いスカートの美人が大股をひろげちゃって、みんなひわいじゃないのという人もいるかもしれない。
しかし白鳥の湖の清純なお姫さまが下着をチラ見させるのと、マイヤのカルメンが太ももをドン・ホセにすりつけるのとでは、やっぱりひわいの度合いがちがう。

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伝統と格式に固執する総裁とマイヤは、激しい口調で応酬する。
あんないやらしいバレエばかりになったらボリショイはどうなりますか!
どうにもなりません、いままでどおり腐敗するだけです!
こうなると売り言葉に買い言葉だけど、それでもマイヤが無事でいられたのはなぜか。
じつは彼女はこのすこしまえに、ソ連で最高の栄誉とされるレーニン賞を受賞していた。
名実ともにロシア最高のバレリーナというお墨付きをもらったようなもので、もはやちょっとやそっとわがままをいっても、ホームレスになる心配はないポジションである。

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けっきょくマイヤは勝利をおさめ、この後の彼女はおおっぴらに海外に飛躍していく。
彼女の進出先には日本も含まれ、この本では日本舞踊の井上八千代さんの踊りに感心したことや、熱心な日本人ファンのことも触れられている。
最近の YouTube なんか見ると、日本びいきのロシア娘がやたらに増えているけど、彼女はそういう面でも先駆者といっていい人だったのだ。

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マイヤ・プリセツカヤの偉大さは、最後までロシアに踏みとどまって、横暴な官僚主義に抵抗したことと、革新的なバレエ、カルメンを演じたことだろう。
彼女は鉄のカーテンをこじあけ、あとに続く者たちに自由世界への扉を開いたのである。
このあとロシアのダンサーたちは、ローラン・プティ、バランシン、ベジャール等の前衛バレエさえ踊ることになるのだ。

・・・・ひわいの度合いもいよいよ増したかもしれない。
YouTube にマイヤのカルメンを引き継いだスヴェトラーナ・ザハーロワの映像が上がっているけど、これを観てあなたはどう思う?

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2020年11月20日 (金)

本の予約

おかしな天気の一日だったな。
灰色の雲におおわれた空のすきまからかろうじて青空が見える。
ときおり一陣の風が木の葉をばらばらと散らし、これだけ見ていると木枯らし日和だけど、やけに暖かい。
昨日の夜なんか暑くて寝られないくらいだった。
地球温暖化のせいでなけりゃいいけど。

今日は図書館に本を予約した。
いつも行き当たりばったりで借りてるくせに、今回ばかりは特別だ。
なんでかというと、いまひじょうに話題になっている本なので、予約をしないかぎり、いつになっても読めないと思うからなのだ。

本のタイトルは「ボルトン回顧録」。
そう、あのトランプさんのもとで国家安全保障問題担当大統領補佐官という長ったらしいポストについた、ヒゲの超強硬派おじさんが書いた本だ。
最後は任命したトランプさんから解任され、んならみんな暴露してやると、回顧録を書いてトランプさんをあわてさせた男なのだ。
トランプさんはなにをやらかしてもおもしろいというので、いまでも、日本にさえ、辞めないでーというファンが多いくらいだから、回顧録にどんなことが書いてあるか、興味を持つのはわたしだけじゃあるまい。
問い合わせてみたら、わたしのまえに9人が予約待ちだそうだ。

図書館の本はひとりが2週間まで借りられる。
ということは最大でも18週後には、わたしもこれを読めるわけだ。
自分で買ってしまう手もあり、若いころならきっとそうしていたと思うけど、読み終われば捨ててしまう本を、いまのわたしが買うわけにはいかない。
ま、気長に待とう。

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2020年11月17日 (火)

パソコンと文学

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いませっせとマイヤ・プリセツカヤの自伝「闘う白鳥」を読んでいるところ。
おもしろいので読むのもはかどる、といいたいけど、そうはいかない。
なかなか手間のかかる本だ。
原因はロシアの人名にある。
ロシア人の名前というのは、名前と名字のほかに父称というものがあって、一例をあげると、たとえばこの本にリーリャ・ユーリエヴァナ・ブリックという人名が出てくる。
まん中のユーリエヴァナというのが父称だ。
ただでさえ聞き慣れない名前なのに、本のなかでは父称が省略されたり、名字だけということがしょっちゅうある。
そのたびにこれだれだっけと、まえにもどって確認しなければならない。

読書がはかどらないのはそれだけじゃない。
いま名前の出たリーリャ・ブリックという女性に興味がわいて、彼女の経歴を調べてみる。
現代はパソコンさえあればたいていのことは調べられる時代なのだ。
ネット上には、透け透けのネグリジェ姿というリーリャさんの写真があり、そうとうにぶっ飛んだ女性であることがわかる。
そして詩人マヤコフスキーと関わりのあった女性であることがわかり、今度はマヤコフスキーについて調べる。
ロシアでは有名だけど、わたしのぜんぜん知らなかった、自殺したイケメン詩人だそうだ。

そんなこんなでプリセツカヤのことがどうでもよくなってしまい、しばらくしてからハッと我に返って、また本にもどる。
これではいつになってもはかどらない。
でもパソコンと首っぴきで本を読むと便利な点もある。

プリセツカヤが有名になり、国外公演も許可されるようになって、フランスで画家のシャガールの家に遊びに行ったときのこと。
たまたまラジオから流れてきた、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲が話題になる。
どんな曲だっけ。
と疑問に思ったときは、パソコンがそばにあれば、世界中のどんな曲でもYouTubeでたちどころに聴いてみることができるのだ。
わたしもすぐに聴いてみた。
あまりいいとは思わなかったので、バイオリンから連想して、映画の主題歌「サンライズ・サンセット」に飛んでしまった。
うん、こちらはいい曲だ。
こんな具合に脱線ばかりしているからやっぱりはかどらない。

そういうことはともかくとして、ほんとうにわたしのようなタイプの読書好きには便利な時代になったものだ。
パソコンが普及するまえは、読書中になにか調べたいことがあったら、図書館にでも行くしかなかった。
いまはタブレットをとなりに置いておけば、ヘタな図書館よりずっと多くのことを調べられる。
読み終えるのにいくら時間がかかっても、こっちは時間がありあまっているじいさんなのだ。
まあ、ゆるゆると続きを読もう。

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2020年11月 1日 (日)

本3冊

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東久留米市の中央図書館が改装中で、だいぶ先まで営業休止だというから、わたしは東村山市の図書館に行くことにした。
東久留米の図書館で作った会員カードは東村山でも使えるのである。
わが家からは清瀬市の図書館も近い。
先日、清瀬市の探索に行ったさい、もしかするとと思って尋ねてみたら、同じカードが清瀬の図書館でも使えるという。
まだほかにも使える図書館があるかもしれないけど、わたしという人間はひとりしかいないので、これだけ使えれば十分。

いま図書館から借りた本が部屋に3冊ある。
清瀬市から借りてきたのが、マイヤ・プリセツカヤ(バレリーナ)の自伝「闘う白鳥」。
まだ最初の80ページを読み終えたていどだけど(全部で443ページある)、バレエのみならずソ連時代のロシアを描いた部分が、歴史好きにも興味のあるところだ。

東村山から借りてきたのが旅行作家ポール・セローの「中国鉄道大旅行」と、「大地中海旅行」という本。
「中国」のほうはほかに借りる人がいないのを幸い、延長延長で、もう1カ月ぐらいわたしの部屋にある。
「地中海」は「中国」があまりおもしろいので、同じ作家の紀行記をほかにもと、借りてきたもの。
今日借りてきたばりだから、まだ冒頭の
30ページぐらいだけど(小さい活字で708ページある)、こちらも期待にたがわずというところ。

おもしろい本を発見すると、秋の夜長も退屈しないばかりか、どれもぶ厚い本なので、生きているうちに読み切るだろうかと、そっちのほうが心配。
ま、感想はおいおいと。

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あとの画像は図書館の途中で見かけた民家だけど、うん、いい趣味してんねえ。

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2020年10月20日 (火)

また「白鯨」

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あ、またわたしはまちがっていた。
というのは、今日はいい天気だったので、貸出期限のせまっていた本を返しに図書館へ行ったんだけどね。
返しに行けば、ついでにまたべつの本を借りてくるのはいつものことだ。
行き当たりばったりに借りた本に、最近はなかなかおもしろい本がない(ということは、すこしまえにこのブログで書いたことがある)。

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今日もとくべつに読みたい本があるわけじゃなかったけど、たまたま目についたメルヴィルの「白鯨」をばらばらとめくってみた。
わたしがはじめてこの本を読んだのは、忘れもしない阿部知二の訳による、河出書房の世界文学全集だった。
オンナの人ってのは初めての男が忘れられないそうだけど、なにしろ青春まっさかりのころだったので、わたしもこの本のことが忘れられない。
その理由のひとつが、文章だけではなく、この「白鯨」にはすばらしいモノクロのイラストがついていたこと。
まだ高校生の時分だったので詳しいことはわからなかったけど、これはアメリカで出版された本から転載されたものらしかった。

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で、今日もふいとイラストをながめてみた。
今日ながめたのは八木敏雄訳の岩波文庫だったけど、もちろんこれにも同じイラストがついていた。
しかも河出書房版では見たことのない絵まで。
わたしは以前にもこのイラストが見たくて、買ったばかりのべつの出版社の本を放り投げて、わざわざイラストつきの文庫を買ったことがある。
「白鯨」のイラストは、わたしが予想していたよりずっと多かったのだ。
いやいや、わたしのまちがいというのはこのことじゃない。

このイラストを描いたのは1882生まれの米国のイラストレーター、ロックウェル・ケントという画家である。
過去はともかく、現在はインターネットやウィキペディアという便利なものがあるので、わたしははじめて彼の経歴を調べてみた。
絵を描くだけではなく、政治にも鼻を突っ込んだ人だとか、いろいろなことがわかったけど、それを読んでいるうち、彼のイラストが・・・わたしはてっきり銅版画か木版画だろうと思って、以前にこのブログで「白鯨」についてふれたときもそう書いてしまったんだけど、ぜんぶペンによる直筆画であることがわかった。
ウィキペディアには、しばしば勘違いされることがあると書いてあるから、まちがえる人はほかにもいるらしい。

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これがわたしのまちがい。
まぎらわしい絵を描かないでくれると、ケントさんに文句をいっておいて、どんな絵なのか紹介してしまおう。
彼がこれを描いたのは
1930年ごろだけど、すでにマッコウクジラは垂直の姿勢で眠るということが知られていたらしい(寝ながら汐を吹くかどうかは知らないけど)。
冗談はともかく、まだ美ら海水族館のような巨大な水族館もなかった時代に、正確なマッコウクジラのかたちを画家が描いていることにおどろく。
ネット上には「白鯨」のイラストがたくさんあるけど、なかにはぜんぜんマッコウとは思えないクジラの絵も多いのだ。

追記として、岩波文庫の本には、当時の捕鯨船の構造図や、ピークォド号の航跡図まで載っていることを書いておく。
追記の追記として、コーヒー屋の
スターバックスの語源は、「白鯨」に登場する一等航海士の名前であることも。
そうではないかと、わたしはずっと疑っていたのだ。

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2020年9月23日 (水)

ベタ褒めの本

性懲りもなくまた図書館で本を借りてきた。
今度の本は「ロシア絵画の旅」という、まあ、硬いんだか軟らかいんだか、読んでみるまでわからないという本。
このブログを読んでいる人なら、わたしがロシアの絵画に愛着を持っている人間であることはご存知のはず。

この本ではトレチャコフ美術館の絵を、展示室ごとになぞるような解説がしてある。
それはいいんだけど、挿入されている写真の印刷がわるくて、肝心の絵の詳細がわかりにくい。
いい例が「ミヤマガラスの飛来」という絵だ。
実物は冬のロシアの過酷な環境のなかに、どこかしら春のいぶきを感じさせる、つまり前向きな未来を象徴する絵なんだけど、それがただもう暗いだけの陰鬱な絵にしか見えない。
絵を説明するのに絵がよくわからないというのが、この本の最大の欠点だ。

原著はロシア人のウラジミール・ポルドミンスキーという人で、1928年生まれというから、取り上げられている絵よりもずっと後世の人である。
ということは、この文章は著者が頭をひねってつむぎ出した想像の産物なんだろう。
それはいいとしても、ちょっと美辞麗句が多すぎるような気がする。

わたしはごますりやおべんちゃらが死ぬほど嫌いだから、ベタ褒めするような文章はたいていいちゃもんをつけたくなる。
肖像画についての解説で、画家は描かれる人物の内面性まで描き出したなんていわれると、またわたしのへそまがり(反骨精神といってもらいたいね)がむくむくと頭をもたげる。
世間にはコワそうな顔をしている人が意外と家族思いだったり、まじめそうな人が役場の金を使い込んだりする例がいくらである。
だから外見だけで人間なんてわかりっこないし、結果がわかっているから褒めているんだろうと、つい余計なことを考えてしまう。

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おべんちゃらを並べた本ということが、はっきりわかる実例がこの本のなかにあった。
ロシア最大の画家レーピンに、「聖ニコライが無実の三人を死刑から救う」という絵があるんだけど、これが当時のロシアで禁止されていた同性愛者を処刑する場面であることはだれにでもわかる。
しかしこの本では処刑されるのがただの市民ということになっていた。
たしかに
聖ニコライがオカマを救うでは世間体が大ちがいだから、著者がそのへんをぼかしたかったのもわかるけど、美辞麗句にもほどがある。

そういうわけで、称賛の部分は大幅に割愛して、残りの部分だけから必要なエッセンスを拾い出すことにした。
そうやって読むかぎり、けっしてわるい本ではない。
わたしのいちゃもんは激しいけど、本というものは書かれたことをすなおに信じるだけではつまらない。
このくらい難癖をつけるとおもしろさも倍増するものだ。

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2020年9月16日 (水)

アホらしい本

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図書館に行くと、当然なことだけど、本がたくさんある。
読書好きには胸がワクワクだけど、その中からほんとうにおもしろい本を見つけるのは至難の技だ。
先日も図書館をうろついて、「ナチスから逃れたユダヤ人少女の上海日記」という本を見つけ、わたしは歴史にも中国上海にも関心があるので、さっそく借りてみた。

帰宅して読んでみて、また頭に血が上った。
この本は、ナチスによって迫害され、ドイツから中国に避難してきたユダヤ人少女の日記をもとにして書かれた(ということになっている)。
しかし、そういう日記がほんとうにあったとしても、じっさいにはそれをもとにして、商魂たくましいおとなが、大衆の好奇心を満たすために書いたもののようだ。
著者に思想なんてものはまったくなく、それどころか自分たちがヨーロッパで差別されていたにもかかわらず、中国に来ると今度はアジア人を差別する側にまわるのである。

少女とその家族が欧州を脱出するまでのいきさつはともかくとして、上海に着いてからのその土地のことは、わたしはけっこう詳しい。
そもそも少女はどうして上海くんだりまで流れてきたのだろう。
うすうす見当はつくけど、その理由はこの本のはじめのほうに、「上海は日本軍が中国から勝ち取った場所で、この地域はユダヤ人の避難民を積極的に招き入れている」と、ほんの2行だけ書かれている。
日本はユダヤ人に対してわりあい寛大だったのだ。
同盟国のドイツがなにかいってきたとしても、なるほど、ごもっともごもっともと、相手をはぐらかす術をこころえていたことは、現在のアメリカのトランプさんを相手にするのといっしょ。

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少女の家族は上海の虹口地区に部屋を借りて住むことになる。
ここではその住まいの不潔さがが 欧米人には耐えられないものであったと、念入りに記述される。
これは欧米人から見た中国のステレオタイプな見方で、虹口地区といえば日本租界といわれるくらい、日本人がたくさん住んでいたところである。
だからこの本に書かれているほどひどいところとは思えないんだけど、彼女はほんとうに上海に住んだことがあるのだろうか。

これは租界時代の上海の写真で、おそらく虹口地区のあたりらしい。

この本の中に、虹口地区で日本人と交わったという記述はまったく出てこない。
日本人が出てくるのはもっとあとで、残忍な軍人であり、歯のあいだからシューシューと息が漏れていると、まったく欧米人が悪意で想像するとおりの日本人だ。
しかも上海に駐屯した日本軍が、あちこちでおいはぎのような行為をしたと書いている。
これはそれ以前の南京事件で、日本の軍隊というのはこういうものだという考えが、頭に刷り込まれてしまっているのだろう。
上海に駐屯した日本軍が、租界内で強盗のような行為をしたという事実が、ひとつでもあるなら教えてほしい。

やがて第二次世界大戦が始まる。
この本のなかで結果はもうわかっているような書き方だ。
ドイツがロシアに宣戦布告をして、その機甲師団がウクライナの平原を快調に疾駆しているころ、どうせそのうち冬将軍が来て、ドイツはナポレオンの二の舞になると父親が発言する場面がある。
この時点ではそんなことはわからないはず。
ひょっとするとロシアが降伏するか、シベリアにでも追いやられるかして、ヒトラーの目論みどおりになった可能性だってないとはいえない。

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少女の父親に収入があるようになると、家族はフランス租界に引っ越して、ようやくヨーロッパなみにきれいな家に住めるようになったと安堵している。
わたしが初めて上海へ行ったころ、フランス租界のあったあたりには、まだ東京の青山・六本木にあるような、瀟洒な住宅がたくさん残っていた。
フランス人は特権階級として中国に乗り込んできて、豪華な屋敷を造り、中国人の召使を置き、中国人の美人をめかけにしていたのだ。

これはフランス租界にあった租界時代の建物で、現在はホテルとして使用されている瑞金賓館。
わたしも泊まったことがある。

日本人にも特権意識がなかったとはいわないけど、あくまで生活の場として住まいをかまえた人が多かった。
虹口地区の一画に本屋をかまえた内山完造のように、魯迅や郭沫若のような、中国の知識人とわけへだてなく付き合った日本人もいたのである。
この本の著者が公平客観的というものの見方のできる人なら、内容はちがっていただろう。

日本が真珠湾を攻撃し、アジアを席巻し、上海をも占領すると、少女は絶望し、いつかアメリカが反撃してくれると信じている。
冷静に考えれば、日本はヨーロッパを追われたユダヤ人を受け入れた数少ない国のひとつなのだから、日本がアジアから欧米列強を駆逐したとき、むしろ多少の期待感があってもよかったのではないか。
ユダヤ人を積極的にかくまった杉原千畝の例もある。
ユダヤ人亡命者を迫害しろというドイツの要求にも、日本がはっきり応じた事実はないのである。

散々なことを書いておきながら、その一方で少女と家族は、たまに租界内でオペラやバレエを楽しんだとも書いている。
ドイツ国内でユダヤ人がそんなことをできたはずはないから、これは日本軍の統治がナチスほど厳しくなかったことの証明ではないか。
それなのにこの著者は、住まいや生活の不便なところだけは全部日本のせいにしているように思える。
これではいわれなき風評で日本を攻撃するデタラメな本と思われても仕方がない。

少女とその家族は終戦まえに、ふたたび虹口地区にもどることになる。
わたしはこのあたりまで読んで、とうとう本を放り出した。
ようするにこの本には読む価値がないということだ。
しかしアメリカには、いや、これは最近の世界的傾向だけど、レベルの低い人が多いから、その内容をまともに信じてしまう輩も多いだろう。
いったいこの本は、だれがだれのために書いたのかと、わたしは絶望的な気持ちになる。
歴史は放っておくと、どんどん勝手な方向に進んでしまう場合もあるのだ。
日本の未来のためにというとオーバーだけど、わたしはこの本に、ほんのストローの水でもいいからぶっかけたくなってしまう。

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