つげ義春と夏目漱石
アマゾンで注文しておいた、つげ義春の「紅い花」が届いた。
小学館の文庫シリーズで、同じ文庫の「ねじ式」を揃えれば、わたしがもういちど読みたい彼の作品はほとんどこの2冊に入ってるのだ。
以前にも持っていたんだけど、終活で処分してしまって、もったいないことをしたものだと思う。
そういうことはよくある。
処分した本を、ある日突然読みたくなることが。
脳梗塞で寝たきりのわたしは、作家の死を聞いて、むしようにその作品を読みたくなったのだ。
1冊300円の中古本だけど、これが与えてくれる喜びはとてつもなく大きい。
つげ義春と井伏鱒二の小説に共通点のあることは世間によく知られている。
意外かも知れないけど、わたしはそこに夏目漱石も加えようと思うのだ。
つげと夏目漱石という取り合わせはまだ論じた人はいないんじゃないか。
夏目漱石に「草枕」という小説がある。
これは主人公が熊本の那古井温泉をめぐったときの思い出を創作化したものだけど、物語の中に劇中劇のような感じでもうひとつの旅のエピソードがはさまる。
それが房総半島の小さな海辺の宿に泊まった時の回想で、主人公にいわせると草双紙にでもありそうな体験ということである。
このエピソードを読んでわたしがまっ先に連想したのがつげ義春のマンガだった。
つげの作品にも房総半島を舞台にしたものは多いし、わたしにも房総半島は思い出の多いところなのである。
わたしは若いころ、タンポポのいちめんに咲いていた季節だったけど、養老渓谷から外房の安房小湊まで縦走を試みたことがあって、あちこちで見た農村風景に、ついつい「西田部村事件」のようなつげ義春の作品を思わないわけにはいかなかった。
草双紙に出てきそうな宿屋というのが本当にあるなら、わたしもぜひ泊まってみたかった。
残念ながらそういう宿には出食わさなかったものの、わたしはいまでも草枕のこの部分をよむたびに、つげ義春のマンガから受けた感動と同じものを感じるのである。
草双紙の部分はとちゅうにはさまったエピソードに過ぎないけど、本題の那古井温泉の部分もつげの作品を思わせる。
明治の田舎はすべてそうだったのかも知れないけど、那古井の里温泉のある田舎にはひょうひょうとした空気が流れていて、その空気を破るのは宿のひとり娘で出戻りのお那美さんだけである。
彼女は漱石好みの大胆で先進的(当時としては非常識)な女性で、旅をしている主人公の絵描きが、結婚式のときのあなたはさぞかし美しかったでしょうね、見たかったなあというと、みなが寝静まった深夜にじっさいに花嫁衣装で画家の枕元に立ったり、画家と西洋の美術について談義したあと(けっこう知的な女性なのだ)入浴中の画家のわきに全裸で現れたりする。
もちろん明治の文学だからたちまち生殖行為に励むわけじゃないけど、その駘蕩とした雰囲気はまさにつげ義春の旅である。
わたしはつげのマンガから受けたと同じものを、草枕を読んで脳の中の同じ部分で感じていたのだ。
こういう名作をどんどん読んで、せめて旅を愛する人だけにでも、その素晴らしさを伝えるのは団塊の世代の義務じゃないだろうか。












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