聴きまくりの音楽

2020年6月 2日 (火)

マタイ受難曲

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「マタイ受難曲」という有名なクラシック曲がある。
ぶっ通しで聴くと、68ものパートに分かれて、3時間ぐらいかかる壮大な曲なので、わたしが聴くのはそのうちの2曲か3曲。
よく聴くのはオープニングの合唱曲と、
39番目のアリア。
このアリアはタルコフスキーの映画に使われていて知ったんだけど、彼女にふられてひとり畳をかきむしるような悲痛な曲である。

最近これをまた聴きたくなって、CDも持ってるんだけど、たまにはほかの歌手の歌で聴きたいというんで、YouTubeを当たってみた。
できればまだ最近アップされた画質の良いものがよい。
そうやって探して、1年ぐらいまえに公開されたオランダのバッハ協会による演奏を見つけた。
これをダウンロードして、さて、
39番のアリアを聴こうとすると

わたしが過去に聴いたものは、すべて女性のアルト歌手によって歌われている。
だからこのパートは女性によって歌われることになっているんだろうと、前述したように長い曲だから、早送りで、女性歌手が歌っているシーンばかりを探してみた。
ない。ない。

おかしいと思って、今度はこのへんだろうと思える部分を重点的に探してみた。
あった。
あったけど、歌っているのは男だった。
ティム・ミードさんといって、なかなかハンサムな男性歌手である。
女といわれてもわからない中性的な声なので、男が女のパートを歌ってもべつにかまわんけど、クラシックではこういうこともあるんだね。
初めて知ったワ。

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2020年5月 6日 (水)

廃墟とピアノ

SNSに悲鳴が飛び交っているという。
コロナで仕事もできず、出かけることもできず、パチンコ屋も休み、学校も幼稚園も休業じゃ、暗い家のなかで、家族全員でにらめっこをしてろというようなものだ。
困っているのはみんな同じだといったって、ハイ、そうですかと、かんたんに納得できない奥さんたちもたくさんいるだろう。
わたしみたいに普段から人付き合いのよくない人間だけが我が世の春だな。

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そういうわたしでも、テレビは再放送ばかりだし、YouTubeもさすがに見飽きた。
で、今日は部屋にクラシック音楽を流して、やらなくてもいい整理や飾り付けをしていた。
そんな状態で気がついたこと。
ベートーベンの好きでないわたしだけど、なぜか録画しておいたアレクサンドル・タローさんの、廃墟のなかで弾くピアノ演奏があって、こういうどうしようもなくヒマなときに聴くのに最適。
こんなご時世に、廃墟のなかってのがじつにいいねえ。

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2020年2月10日 (月)

アラバマ・ソング

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昨夜のBSミッドナイトシアターは「マホゴニー市の興亡」というオペラ。
録画するべきかどうか迷ったので、放映まえにいささか調べてみた。
なんでも娼婦やアル中が入り乱れる、まるっきり現代アメリカみたいな架空の都市を舞台にしたオペラだそうだ。
アメリカが舞台の古典オペラというだけでめずらしいけど、ソドムの市みたいに堕落した人間たちを描いたものらしいので、ある種の期待をいだいて早送りで観た。
なんで早送りかというと、ある種の期待の部分をとりあえず確認したかったから。

たまげたのは出てくる女に美人がいないこと。
男の裸が二ヶ所くらい出てきたけど、いずれも肉のたるんだおっさんであったこと。
そういう登場人物に、カメラをかかえたテレビクルーまで右往左往して、もうなにがなんだかわからないコンテンポラリー・オペラの一種。
あまりのおぞましさに視聴を放棄しようかと思ったけど、じつはもうひとつ確認したいことがあったのだ。

すでに団塊の世代にとって伝説になってしまったロック・グループのドアーズ。
早世したジム・モリソンのことを思うといまでも無念に思うけど、いや、おかげで彼はわたしのこころのうちで神格化されたから、それでもいいかなと思うけど、彼の歌に「アラバマ・ソング」というものがある。
月夜の晩にお月さんを見上げながら独唱すると、なかなかいい調子の歌なので、わたしはカリマンタンに行ったとき、夜のボートの中でひとり口ずさんだことがある。

これってじつはドアーズの歌ではなく、クルト・ワイルというオペラ畑の有名な作曲家が作曲したものだ。
どんな歌か、いちいちオペラを通さずに聴きたければ、ロッテ・レーニヤが歌っている単独のこの歌が YouTube で聴ける(もちろんドアーズの歌も)。
レーニヤさんはクルト・ワイルの奥さんだった人で、どんな顔をしてるかというと、「
007ロシアより愛をこめて」の、靴に匕首をしのばせたコワイおばさんだ。
うん、わたしの知識はとどまるところを知らないな。

「マホゴニー市」こそ、オリジナルのこの「アラバマ・ソング」がうたわれるオペラなのだ。
このオペラとドアーズの歌ではだいぶ雰囲気がちがうけど、おかげでひさしぶりにジム・モリソンを思い出したのはよかった。

あとから追記/正直いってドアーズの歌をじかに聴いたのでは、意味がよくわからなかったけど、アラバマ・ソングは新開地に集結した娼婦たちが、新たに商売を始める場面でうたわれる歌だった。
どおりで女たちが卑猥ですさんだ風体なのも納得。
反体制を売り物にし、反社会的行動をいとわなかったドアーズが、この歌を取り上げたのも当然かもしれない。

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2019年12月25日 (水)

満州の丘の上

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先日、翻訳エンジンに触れたとき、顔見知りのロシア人がリンクを張った「満州の丘の上」というワルツについて書いた。
いい曲なのでわたしが独り占めするのはもったいない。
そこでこのブログでももういちどリンクを張っておくから、思う存分聴いてほしい(前回もリンクを張ったけど、今回はわたしの好きな別バージョン)。

これは日露戦争で死んだ兵士をうたった曲だというから、それを承知で聴けば感慨はまた特別だ。
この戦争では日本の兵隊もたくさんの屍を荒野にさらした。
歴史に詳しい人なら、満州の丘といえばまっ先に203高地の激戦を思い浮かべるだろう。
だからロシアを憎めといってるわけじゃない。
これが歴史というものだと、えりをただして聴いてほしいのだ。

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2019年10月 9日 (水)

カデンツァ

今朝の新聞の記事に、小さく「カデンツァ」という言葉が出ていた。
音楽用語で即興演奏のことだ。
即興演奏ならジャズのほうでおなじみのアドリブってことだけど、わたしはふつうならあまり縁のないこの言葉を、若いころ聞いたことがある。

ずうっとむかし、あれは確かニューポート・ジャズ・フェスティバルだったと思うけど、ブルース畑からB..キングが出演して、大勢の管楽器奏者と演奏したことがある。
レコード・ジャケットの英語解説を読んでいたら、このとき彼がしめくくりのカデンツァを務めたと書いてあった。
カデンツァってどういう意味かと辞書を調べたら、上記のようにアドリブということだった。
アドリブなら最初からそう書けばいいのにと思ったけど、それはわたしの無知のせいで、クラシックでもジャズでも使われるめずらしくない言葉らしい。

このときのキングのカデンツァは演奏のいちばん最後に聴ける。
出演者の中でいちおう彼が最高齢者だったから、トリとして華を持たされたようだった。
ほんの短い演奏だけど、味わい深いブルースの断片のようで、いまでもわたしの耳に残っている。
音楽は空中に消えて二度ともどってこないといったのはエリック・ドルフィー、しかしひとりの人間が死ぬまで、その耳の奥に残る音楽もあるのである。

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2019年10月 7日 (月)

ジンジャー・ベイカー

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新聞にロック・グループ「クリーム」のドラマーだったジンジャー・ベイカーの訃報。
終活中のわたしが生涯に出会った最高の音楽を選ぶとしたら、かならず3本指に挙げなければいけないバンドのメンバーだった。

はじめて彼らの音楽を聴いたのは、彼らの2枚組アルバム「Wheels of Fire」が発売された直後だったけど、当時から貧乏人だった小生には、内容のわからない2枚組というのは、清水の舞台から飛び降りるような勇気のいる買い物だった。
ビートルズやストーンズの曲なら、テレビやラジオで聴く機会が多かったのに、なぜかクリームに関しては、ほとんどその機会がなかったのだ。

原因は彼らの演奏が、ちょいと聴くには長すぎるライブ演奏に特徴があったせいだ。
2枚組のなかの『スプーンフル』を聴いたときの衝撃は忘れることができないけど、この曲は1曲で17分もあるのである。
曲が長いせいで、ヘッドホンで集中して聴いていると、自分のバイオリズムがしだいに曲と合致して、LSDによる陶酔を体験しているような気分になってしまう。
同じような体験のできるミュージックはないものかと、それからわたしの現在まで続く長い音楽行脚が始まったのである。
ジミ・ヘンドリックスと出会うのもその行脚の途中だから、クリームの影響の大きさは計り知れない。

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ここに載せたのはサイケデリック・アート全盛のころの彼らのアルバムで、右が2枚組の「Wheels of Fire」。

ジンジャー・ベイカーというと、当時から年齢不詳のおじいさん顔だったけど、享年は80だそうだ。
2枚組アルバムのなかでは彼の長いドラム・ソロも聴けるものの、それより他のふたつの楽器(ギターとベース)と共演したときの、リズム・セクションに安住しないドラムがすさまじい。

クリームの3人のメンバーのうち、すでに2人が亡くなって、このグループも再結成が永遠に不可能になった。
わたしはあらためて自分の人生の幸運を思う。
これがわたしの彼に対する追悼の辞だ。

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2019年7月15日 (月)

チューブラーベル

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「あれ、なんという楽器だい」 とわたし。
いっしょに行った知り合い 「キンコンカンでしょ」。
「ほんとかい」 と疑念のまなざしのわたし。
「のど自慢で合格者に鳴らすでしょ」。
そりゃそうだけど、なんかふざけた名前だから、もっと本格的な名前があるだろうと、その場でタブレットを使って調べてみた。

昨日は近くの大学で開催された吹奏楽コンサートに行ってきた。
去年も行って、派手なアンコール曲に感心した催しだけど、今年はお子さま向けコンサートらしく、プログラムをみると、ウルトラマン、トトロ、千と千尋の神隠しなんて曲ばかりだ。
ジブリのアニメに関心のない当方としては、いささか困惑ぎみ。
でも日ごろ、こういうコンサートに縁がないから、つまらないところに興味を持つ。

見なれない、いや日曜日正午のNHKで見かけないこともない楽器の正体は「チューブラーベル」。
そんなら知っていた。
わたしの世代なら映画「エクソシスト」の主題曲として使われていた曲名にピンとくるはず。
べつにいい曲だと思わなかったし、映画も見た記憶がないんだけど、曲名だけはわたしの脳内フラッシュメモリに記録されていたのだ。

今年もプログラムにはないアンコール曲で、派手なジャズナンバーがふたつばかり。
これが聴きたくて常連という人もいるらしい。

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2019年2月 5日 (火)

悲愴

わたしはクラシック音楽も聴くけど、どっちかというと協奏曲が多くて、フルオーケストラによる交響曲が苦手である。
若いころに、なんでも聴いてみようという意欲で、古今の大作曲家の交響曲をかたっぱしから聴いてみたことがある。
あまり楽しくなかったねえ。
ベートーベンやマーラーなんかいまでも聴く気がしない。

でも思うんだけど、どんな音楽でもひとくくりにして、それはキライとか好きとかいうのは間違っている。
探せばどんな音楽の中にも、きっと気にいるものがあるものだ。
これは逆の意味でもいえる。
おれはジャズが好きだという人でも、ジャズならなんでもいいわけじゃあるまい。

だから苦手なクラシック(の交響曲)の中にも、わたしの好きな曲はある。
だれそれの交響曲◯◯番なんて無味乾燥なタイトルを並べてもピンと来ないので、バッハ、シベリウス、シューベルト、ベルリオーズ、ドヴォルザークなどの、世間にもよく知られた交響曲の中には好きなものがあるとだけいっておこう。

ここにひとつ、チャイコフスキーの「悲愴」という交響曲がある。
20代の後半のころ、人生になんの希望も持てずボロ・アパートでくすぶっていたころ、わたしは初めてこの曲を聴いた。
感動したとか、励まされたとか、人生が変わったなんてオーバーな表現はつつしむにしても、この曲はわたしの脳髄に響いた。
とくに第2楽章の、もういやなんだよう、もういやなんだようというセリフを反復しているように聴こえる箇所で、わたしはなみだをポロポロ流した。
なにがいやだって、当時のわたしは生きるのがイヤでイヤで仕方なかったのだ。

どん底にある若いもんがこんな曲を聴くことが、いいことかどうか知らない。
でもわたしはもう充分だといえる歳まで生きながらえた。
いまでもときおりこの曲を聴くことがあるけど、自分が越えてきた山河を思って、胸がしめつけられるような気分になってしまう。

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2018年12月15日 (土)

クィーン

夕刊をみたら、クィーンの映画が話題になっていた。
ロックと無縁のわたしの知り合いまでが、えらい評判がいいみたいよと、観に行きたそうな口ぶり。
あいにくわたしはこのグループにぜんぜん興味がない。
「ボヘミアン・ラプソディ」なんて、タイトルは知っているけど、聴いたこともない。

彼らはビートルズはむろんのこと、ストーンズやクリーム、ジミヘンなどより遅れて登場したバンドで、いちじの熱気がうすれ、ロックが聴くよりも観るという方向に傾きはじめたころに登場したバンドだった。
当時のわたしはいい音楽が聴きたくて、ジャズやクラシックまで、さまざまな音楽を聴きあさっていたけど、ゲテモノ・サウンドなんて聴く気にもなれなかった。
ちなみにわたしはレッド・ツェッペリンやピンク・フロイドも好きではない。
世間の評判なんぞ一顧だにせず、けっこう好みがうるさいのである。

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2018年12月14日 (金)

なみだ

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前項で iPod と YouTube の絶妙のコンビネーションに触れたけど、わたしって若いなあと思うことがある。
たとえばむかし熱狂した音楽をまた聴いて、つい涙がこぼれてしまったときなど。
いいトシこいたおっさんがといわれてしまいそうだけど、涙がというのはウソではない。

つい最近、むかしテレビから録画したレイ・チャールズの What'd I Say を聴いてみた。
彼のこの曲はCDも持っているし、YouTube にもたくさんの映像が上がっている。
わたしが観たのはこの曲がヒットして間もないころのものと思われる映像で、NHKが放映したものだ。
レイはテレビ局のスタジオで、オーケストラとバックコーラスに、途中からから登場するゴーゴーガールを従えて歌っている。
同じ映像が YouTube に上がっているけど、そのうち消えてしまうかもしれないから、観るならいまのうちだ。

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なにぶんにも古いフィルムをアナログ時代のテレビで放映したものだから、画質は最悪だけど、音はそんなにひどくないし、観客席で熱狂する女の子たちが当時の時代背景をいろいろ想像させて、わたしはいつも涙がぼろぼろという塩梅になってしまうのである。
秋の夜長にこんな映像を観て、涙を流しているおじさんがいたとしたら、彼は幸せだと思わなくちゃいけない。

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