聴きまくりの音楽

2016年12月21日 (水)

モーニン

Cm

ジャズ・ベーシストのチャーリー・ミンガスに「モーニン」という曲がある。
わたしはミンガスが好きなので、この曲と、なぜ彼が好きかということを音楽の専門家以外の言葉で語ってみよう。

わたしがジャズの世界にのめりこんだのはロックの影響だった。
ストーンズやクリームのライブ演奏を聴いて、即興演奏のおもしろさに目覚め、なおかつクリームの激しいインタープレイに衝撃を受けたのがきっかけだ。
インタープレイというのは、演奏者が他の演奏者とケンカをするような演奏と、まず簡単に説明しておく。

わたしはこういう演奏がほかにもないかと、いろいろレコードを漁ったけど、ロック畑にはクリームを超えるようなインタープレイはとうとう見つからなかった。
それならジャズはどうだ。
ジャズなら即興演奏の宝庫じゃないか。

そう思ってこの分野の音楽を聴き始めたんだけど、最初は失望した。
わたしがジャズを聴き始めたのはビ・バップはなやかなりしころで、聴いてみればわかるけど、これは演奏者が順番に、交代で即興演奏のソロをとるもので、とてもケンカとはいえないお行儀のよいものが多かった。
もっといろんな楽器が複雑にからみあいながら進行する曲はないものか。

若いころ先輩から、ミンガスの「直立猿人」を聴かされたことがある。
当時はジャズのジの字も知らなかったので、なにがなんだかわからなかったけど、ジャズに関心を持ったころ、あらためてこの曲を聴いてみた。
ケンカとはいえないけど、そこではじめて順番にソロをとるばかりがジャズではないことを知った。

ミンガスという人は孤高の人で、世間がビ・バップ一辺倒だった時代に、複数の楽器による、ハーモニーを主眼とした演奏を開拓した人である。
つまり主役がトランペットを吹いているとき、サックスやトロンボーンが横からちょっかいを入れるようなものだ。
これがおもしろくてわたしはミンガスの熱烈なファンになってしまった。
もちろんこういう演奏は、オレがオレがという名人気質の演奏者の多いジャズでは、ヘタすると本物のケンカになってしまうから、リーダーにはテクニック以外に腕力も必要だ。
ミンガスのテクニックを聞くには「モーニン」がよく、腕力を知りたければ、メンバーをぶっ飛ばしたというエピソードを聞けばよい。

オリジナルの「モーニン」も乗りやすい曲だけど、最近 YouTube でこれとは違ったライブ・バージョンを聴いた。
もう、メンバーがやけになって同僚を吹き倒そうとしてんじゃないかと思うようなケンカごしの演奏である。
それでもところどころに「モーニン」のテーマのようなものがはさまるから、これがちゃんとリーダーの統率のもとに演奏されていることがわかる。

ところで、あとになって気がついたけど、YouTube 上のこのライブ演奏はひじょうに人気があるらしく、今日現在でアクセス数が1300万以上になっていた。
やっぱりトラは死んで皮を残したってことかも。

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2016年5月26日 (木)

ジミヘン

Jh

じわじわと人生の秋を感じ始めたころは、どんな音楽を聴くべきか。
バッハのマタイ受難曲なんてのは、荘厳であってもぜんぜんふさわしくない。
あれは聴くという目的のために存在する音楽であって、わたしの人生に影響を与えた音楽とはいいかねる。
そういう観点からすると、わたしの場合は、若いころ聴いて感動した音楽ということになる。
というと、これはロックということになってしまう。
ロックが終活中の人間にふさわしいかどうか、議論のあるところだけど、それに感動し、道を踏みはずす人間もたまにいるのだ。
ロックに入れこまなければ、わたしだって人なみに結婚し、人なみにつまらない人生を送っていたかもしれない。

そういうわけで、目下のところはジミ・ヘンドリックスばかり聴いているんだけど、あまり聴きすぎるとそのうち飽きる。
飽きたらべつの曲に乗り換え、しばらくすると、そのころにはほんとうに人生の終わりにさしかかっているだろうけど、きっとまたジミヘンの音楽が聴きたくなるに決まっている。
こういう気持ちは誰にでも共通するわけではないから、他人に同じ曲をお薦めはしない。
でもあの世への道連れになる音楽を持っている人は幸せだと思う。

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2016年5月10日 (火)

映画音楽

2、3日まえのの新聞に、最近の映画音楽は控え目なんて記事があった。
そういわれてみると、映画音楽でスタンダードになった曲は、最近とんと聞かないねえ。
むかしはそうじゃなかった。
「世界残酷物語」のテーマだとか、「黒いオルフェ」「いそしぎ」「ひまわり」「サンライズ・サンセット」「ジャニー・ギター 」「カサブランカ」「巴里の空の下セーヌは流れる」など、映画音楽がもとになった後世に残る名曲を、映画好きのわたしはいくらでも挙げることができる。
映画音楽の役割が変わってきたと言われればそうかもしれないけど、その黄金期を知る者にとっては寂しいかぎりだ。

ヘンリー・マンシーニの音楽もそうだったよな。
「ムーンリバー」「酒とバラの日々」「シャレード」なんか、映画と切り離しても通用する名曲、といいたいけど、じつはこの3曲はほんとうに映画と切り離したほうがいいかもしれない。
いずれも、単独で聴いても美しい曲ばかりなんだけど、はたしてそれが使われた映画の内容にマッチしているかというと、ちと疑問。

「ムーンリバー」は、オードリー・ヘプバーン主演の「ティファニーで朝食を」の主題歌。
カポーティの原作とかけ離れた、ちょっとおしゃれでふざけた映画で、その内容からすればもうすこしコミカルな要素を持った、ポップな音楽のほうがふさわしかったような気がする。
英語の不得意なわたしには歌詞の意味までわからないから、歌詞自体は内容にふさわしいのかもしれないけど、メロディがいくらなんでもキレイすぎ。

「シャレード」もオードリー主演の、こちらはおしゃれを加味したミステリーである。
わたしはこの主題歌が好きで、いまでもしょっちゅう聴いているけど、これほど耽美的で妖しい(怪しい、ではない)曲がミステリーにふさわしいだろうか。
もっともマンシーニはミステリーにふさわしい別バージョンも作っていて(タイトルバックに流れるやつ)、残念ながらそちらだけでは後世に残る名曲になったかどうかわからない。

「酒とバラ」は一転して深刻な社会派映画だ。
アルコールで身を持ちくずす夫婦の物語なのだ。
でもこんな美しい曲を流したら、禁酒協会の努力も水の泡ではないか。
「黄金の腕」という社会派映画では、オーケストラによるジャズが使われたけど、そっちのほうがいろいろな意味で社会派映画にふさわしかった。

とはいうものの、ヘンリー・マンシーニの音楽がステキであることはいうまでもない。
わたしはこれらの曲を聴くとき、映画のことは忘れるようにしているのである。

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2015年8月 5日 (水)

尾瀬に寄す

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こないだ彫刻家のカトー君のコンサートに行き、そこで聴いた 「尾瀬に寄す」 という歌について書いたら、さっそく彼から歌詞の全文が送られてきた。
わたしのブログのネタにでもなればという配慮らしいけど、わたしのブログって、読者が多いときでも200か300だかんね。
世間に広報するには力不足で、あまり頼りにされても困るんだけど。

歌の歌詞というものは、勝手に転載するとそっち方面の協会から文句をいわれる。
そのへんがちと気になっていたけど、しかし個人のオリジナルで、その個人がいいというならゴタゴタいわれるすじはない。

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送られてきた全文を読むかぎり、カトー・ファミリーの自作曲らしいので、安心してブログに転載してしまう。
ただしかなり長い歌詞なので、ハイライトというべき尾瀬の花の名前や地名がずらずら出てくる後半部分を紹介すると

もしも君が 本当に 尾瀬を愛しているのなら
夏が来てもこのままそっと
思い出だけを楽しみましょう

君の子供が大きくなって 尾瀬へ連れてってとねだったら
君は アルバムの写真を見せながら
やさしい声で 語ってやりましょう

誰もがいちどは行くところ
青春の白いノートに カラー写真を押し花代わりに

長蔵小屋 尾瀬沼 ひうち 至仏 三条の滝 浮島 アヤメ平
ニッコウキスゲ 水芭蕉 ごぜん橘 薄雪草 綿すげ 姫石楠花
ヨッピ川 シラカンバ 水辺を彩るリュウキンカ
明日は三平峠 明日は三平峠

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この曲は YouTube にも上がっているので、楽しい曲であることは、それを聴いてもらえばわかる。
ただし正直にいわせてもらうと、耳のわるいわたしは、曲のテンポやリズムに感心したものの、歌詞については、「綿すげ」 や 「リュウキンカ」 という花の名前をなんとか聴きとっただけだった。
念のため友人も聴かせてみたら、彼はちゃんと聴きとれたという。
わたしの難聴も困ったもんだけど、これも若いころロックをものすごい音量で聴きまくったせいかもしれない。
音楽好きが嵩じて、音楽を聴くための道具をパアにしたとしたら、泣くに泣けない悲劇だな。

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はるかな尾瀬は遠い空、わたしも尾瀬を愛する者のひとりだから、そこに咲く花の名前だけでもするどく反応してしまうのだ。
わたしの撮った尾瀬の写真を4枚ばかり。

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2015年8月 2日 (日)

たそがれ楽団

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幼なじみで彫刻家のカトー君から、今度はコンサートの招待だ。
なんでも 「たそがれ楽団」 というファミリーバンドで、暑気払いコンサートをするのだそうだ。
で、昨日は猛暑の中をひとっ走り、郷里まで車で往復してきた。

芸術家の中には本職以外に才能を発揮する人がよくいる。
わたしの知り合いの熊本のKさんもそうだし、カトー君もギターの弾き語りが得意である。
彼によりそう女性がまた音楽好きで、彼の伴奏で人前でどうどうと歌をうたう。
そのくらいならカラオケに行けばいくらでもいそうだけど、人を集めてコンサートをやるとなると、これはもうしろうとの域を抜けている。

「たそがれ楽団」では、カトー君がギターと歌を、奥さんがボーカル、娘さんがピアノとリコーダー (縦笛) を担当する。
歌われた曲は、「ケ・セラ・セラ」、「憧れの郵便馬車」、「ふるさと」 など、ポピュラーからロックンロール、唱歌までで、わたしの世代を感じさせるものが多かった。
聴衆もわたしの世代が多かったからちょうどよかったのかも。
出だしはいくらか緊張もあったようで、演奏がずっこけて、おいコラ、演奏中に打ち合わせなんかすんなというヤジも飛んだけど、3、4曲目あたりからテンポが快調になり、歌っている本人も楽しそう。

「尾瀬に寄す」 という曲が素敵だったので、あとで歌詞を調べようとしたらネットに見つからない。
これは彼らのオリジナルかもしれない。
カトー君の解説があったのに、耳のわるいわたしは聞き洩らしてしまったようだ。
機会があったら確認してみよう。

このコンサートを見てつくづく思ったこと。
カトー君はほんとうに、現実生活と夢の世界を両立させて生きている男であるなと。
現実世界というのは社会人として過不足のない生き方のことで、夢の世界というのは、彼が幼少のみぎりからあこがれていた、ビートルズに倣った生き方を追求するということである。
プログラムの中にはビートルズ・ナンバーもあり、しかも 「ツイスト・アンド・シャウト」 なのがスゴイ。
そういえば彼は、修学旅行のバスの中でもビートルズを歌ってしまう少年だったねえ。
わたしと変わらないトシで、そんなふうに、幼少のころからのあこがれに突進してしまう精神力もスゴイ。

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ギターをかかえた彼がメキシコ人かなんかに見えたので、ソンブレロのつもりでわたしの帽子をかぶらせてみた。
なかなか似合うと思うけど、あいにくわたしの郷里というのは名だたる保守の牙城である。
ちょっとでも規格にはずれた格好をすると、すぐ街中のうわさになり、あいつは変人だってことにされてしまう。
カトー君だって本心では耳ピアスに、手首のあたりのさりげないタトゥーで決めたいのかもしれないけど、そんなことをしたらみんな目ん玉を丸くして、おそらくコンサートも総スカンだ。
彼もこういう点では常識的なおとなだった。
やはり田舎で暮らすというのは、いろいろムズカシイことがあるようである。
それともワタシのほうがおかしいのかしら。

許可を得ていないので家族の写真は載せません。
本人については、YouTube に映像を載せているくらいだから、たぶんいいんじゃないかと思う。

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2015年5月21日 (木)

レイ・マンザレク

Doors

フェイスブックに 「ドアーズ」 から写真が送られてきた。
レイ・マンザレク。
ドアーズのキーボード奏者だった人のものである。
ピンときたけど、つまり昨日の20日が彼の命日だったのだ。
彼は2013年の5月20日に亡くなった。
いっぷう変わった個性の持ち主ばかりだったドアーズの中では、いちばんまともな音楽家のイメージの人だったけど、詩人としての(狂人としてではない)ジム・モリソンを見出した人であるそうな。

彼について調べてみたら、日本人みたいな顔をした女の子の写真が出てきた。
彼女はレイと結婚した日系の女の子だそうである。
レイもジョン・レノンと同じ、大和なでしこに魅かれた西洋人だったらしい。

わたしはレイのピアノ、オルガンが好きだった。
「ライダース・オン・ザ・ストーム」 の間奏で聴かれるピアノ・ソロが、暗いけど、いまよりずっと生気のあった青春時代を思い出させる。

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2015年5月17日 (日)

B・B・キング

Bb

ブログほどには関心のないフェイスブックだけど、いちおう会員になっていて、好きな音楽というところにストーンズやドアーズ、アンジェラ・ブラウンの名を登録しておいたら、そっち方面からB・B・キングの訃報が舞い込んできた。
そういえばおとといの新聞にも記事が出ていたっけな。
なにか書こうと思ってけろりと忘れていたのは、やっぱり認知症かねえ。
ここに載っけたのは上記の3ミュージシャンから送られてきたキングの写真(1枚に合成してある)。

むかしロック・ミュージシャンたちが猫も杓子もブルースに凝ったことがあり、ロックに狂っていたわたしも、当然ながらブルースをよく聴いたことがある。
つい気安くブルースというけど、12小節であること、コード進行はどうのと、音楽的にきちんとしたきまりがあるそうだ。
わたしは理屈で音楽を聴くわけではないから、きまりはどうでもよくて、とにかくしゃにむにレコードを聴きあさったものである。

趣味に凝るとそれを徹底的に追求するのがわたしのイケナイ性格で、そのうち輸入盤専門店で、ベッシー・スミスやロバート・ジョンソン、ジェシー・フラーらのレコードまで買いあさり、これはどうも、さすがにマニアックすぎると後悔したこともある。
B・B・キングについては、自分のギターにルシールという名前をつけ、それとかけあい漫才ををするような彼の演奏がのっけから心地よくて、もう最初から熱心なファンになってしまった。

彼はアメリカでもトップ・クラスの人気を得たブルース歌手で、多くのミュージシャンと共演しているから、YouTube にもストーンズやクラプトンと共演した、たくさんの映像が上がっている。
エド・サリバン・ショーに出演していた映像まであるくらいだ。
こうやって YouTube を愛用しているわたしがいうのは申し訳ないけど、足でレコード店をめぐり、めずらしいレコードを掘り出す楽しみはまったく過去のものになってしまったようだ。

わたしがとくに気にいったキングの曲が、新しいスタイルのブルースに挑戦した「スリル・イズ・ゴーン」。
これはもともとは他人の歌のカバーらしいけど、キングのかけあい漫才の背景にストリングスを入れた、イージーリスニング的なブルースである。
厳格なファンというやつは、新しいスタイルというとたいてい文句をいうものだから、この曲を大衆に迎合したポップスみたいとけなす人がいるかもしれない。

なんだっていいさ。
この曲は旅のビデオなどを自作するとき、ゆるゆると流れる景色のBGMにももってこいのところがあって、何度も勝手に使わせてもらったことがある。
著作権料を払ってないけど、どうもありがとうと、追悼の気持ちにあわせて、ここで彼に感謝しておこう。

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2015年4月27日 (月)

また会いましょう

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YouTube にスタンリー・キューブリックの映像 (映画の制作にまつわるもの) が載っていたので、それを追っているうち、「ジャズにまつわる話」 を書いたある人のブログにたどりついた。
このブログを書いている人 (ブロガー) は、プロかセミプロかわからないけど、自分でも歌をうたうらしく、音楽に対するうんちくはなかなかのものがある。
ところがある記述を読んでがっかり。
彼は 「博士の異常な愛情」 のラストで歌われる 「また会いましょう」 について書いていて、そこでこの映画の内容にもふれており、その最後の部分は以下のとおり。

1964年のイギリス/アメリカ映画「博士の異常な愛情」をご存知の方がいると思います。
米ソ冷戦時代、一人の将軍の狂気から水爆合戦が起きてしまうという最悪の映画ですが、最後に地球上に次々と水爆が爆発するシーンのバックに流れるのが、Vera Lynnの”We'll Meet Again”でした。
どういう意味かは映画を見れば分かりますが、何とも馬鹿げたストーリーで、地上の放射能が半減する100年後に「また会いましょう」と歌っているのです。
詳しく知りたい方はDVDでも見てご覧なさい。
これもこの歌を敢えて歌おうとしないもう1つの拘りでもあります

やれやれ。
これは酷評といっていいものだろう。
誰がどんな映画をキライになろうと、他人がごちゃごちゃいうべきスジのもんじゃないけど、これはちょっとひどすぎる。
わたしは 「博士の異常な愛情」 を、映画史に残る傑作だと思っているのである。

このブロガー氏はジャズについての解説を英語でも書いてるくらいだから、米語にも強いインテリらしい。
しかし文章のあちこちに偏見のようなものが感じられ、ロックという音楽についてもハナっから相手にしてないところをみると、ジャズやクラシックを至上のもとのと考える、純粋すぎる音楽ファンのようである。
大半のロックは彼のいうようなものかもしれないけど、現在の音楽シーンでロックを抜きにして話が進むだろうか。
文章量はそうとうのものがあるから、たいした労作であるけれど、おかげでわたしはこのブログにすぐに興味を失ってしまった。

インテリにせよ凡テリにせよ、喜劇を軽視する、あるいは寓意というものを理解しない人は往々にしているものである。
しかし 「博士の異常な愛情」 を傑作と認めるのは、映画好きならそれほどむずかしいことではないから、あるいはこの人はこの映画をよく観てないのかもしれない。

キューブリックが映画のラストに使った 「また会いましょう」 は YouTube で聴くことができる。
https://www.youtube.com/watch?v=iSZJbJ4Mfis

この歌がなかったら映画の魅力は半減していただろう。
それ以上に、この映画がなかったら、わたしはこの曲を永遠に知らなかったかもしれない。
それはとってもオソロシイことである。

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2015年3月10日 (火)

ルー・ソロフ

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フェイスブックを通じてルー・ソロフの訃報が入ってきた。
彼のことはこのブログにも書いたことがあるけど、団塊の世代には「ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ(BST)」のトランぺッターとして知られている。
BSTの3枚目のアルバムに入っている「マックエヴィル」の後半で、火の出るようなソロを披露しているのがソロフだ。

BST後の彼の消息が気になっていたけど、腕のいいプレイヤーということで、あっちこっちのバンド、グループと共演して、わたしの知ってるところではカーラ・ブレイやギル・エバンスのオーケストラに参加したり、死ぬ直前はミンガスのバンドに所属していたようだ。
あ、このミンガスっていうのは、チャーリーの奥さんのことだかんね。
なぜか最近は訃報ばっかりが気になるワタシ。

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2014年10月28日 (火)

クリームの音楽

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前項の続きみたいになるけど、クリームというロック・バンドの魅力は、ギター、ベース、ドラムスという三つの楽器が、おたがいに自己主張したまま即興演奏をくりひろげるところだといわれる。

「スウィート・ワイン Sweet wine」 という曲がある。
これのライブ版は、例によって15分ちかくある長い演奏で、ギターがしゃにむに他を引っ張っているように聴こえるのは、まあ、クリームのほかの曲といっしょなんだけど、ギターのエリック・クラプトンが中間部で音を止めてしまう瞬間がある。
◎即興演奏の宿命で、演奏の内容がいつも同じとはかぎらないから、これは1970年に発売された 「ライブ・クリーム」 の中の演奏について書いている。
これが最初から打ち合わせてあったものかどうかわからないけど、ベースもドラムスもしめしあわせたように音を殺し、ほんの短時間、息を飲むような静寂がおとずれる。
すかさずジャック・ブルースが、おい、続けろ、続けろと目くばせすると、ギターが意表をつくような音を出し、それをベースが巧妙に受けて立ち、じょじょにもとのスタイルにもどる、そんな演奏中のプレーヤーを想像しながら聴くと、じつにもう、このスリルがたまらない。

こうした即興演奏のかけひきのおもしろさに感動して、わたしはそれからしばらく同じような演奏はないかと、いろんなレコードをあさった。
クリームの音楽はハードロックといってもいいものだけど、当時はやった同じようなバンドで、これほどスリルを感じさせてくれるものはひとつもなかった。
レッド・ツェッペリンやジェフ・ベック、オールマン・ブラザースなども聴いてみたけど、どこか違うってわけで、けっきょくそれらはお蔵入り。

それじゃ似たような演奏は見つからなかったのかといわれると、そうともいえない。
あちこちあさったおかげで、ジミ・ヘンドリックスやポール・バターフィルドのバンドを知ることになるのだから。
スリルのあるインタープレイを求めて、やがてジャズの大海原にこぎだすことにもなるのだから。
そうやっていろんな音楽を聴いたおかげで、どれだけ人生が豊かになったことか。

添付したのはクリーム時代のメンバー。
いちばん右のジンジャー・ベイカーだけは年齢不詳のところがあるけど、あとの2人の若かったこと。
まん中が、今回お亡くなりになっちゃったJ・ブルースで、当時の英国のバンドの見本みたいな髪型。
クリームの音楽を聴きたければ、YouTube でたいていの曲は見つかるみたい・・・・・・

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