聴きまくりの音楽

2019年7月15日 (月)

チューブラーベル

A1s03

「あれ、なんという楽器だい」 とわたし。
いっしょに行った知り合い 「キンコンカンでしょ」。
「ほんとかい」 と疑念のまなざしのわたし。
「のど自慢で合格者に鳴らすでしょ」。
そりゃそうだけど、なんかふざけた名前だから、もっと本格的な名前があるだろうと、その場でタブレットを使って調べてみた。

昨日は近くの大学で開催された吹奏楽コンサートに行ってきた。
去年も行って、派手なアンコール曲に感心した催しだけど、今年はお子さま向けコンサートらしく、プログラムをみると、ウルトラマン、トトロ、千と千尋の神隠しなんて曲ばかりだ。
ジブリのアニメに関心のない当方としては、いささか困惑ぎみ。
でも日ごろ、こういうコンサートに縁がないから、つまらないところに興味を持つ。

見なれない、いや日曜日正午のNHKで見かけないこともない楽器の正体は「チューブラーベル」。
そんなら知っていた。
わたしの世代なら映画「エクソシスト」の主題曲として使われていた曲名にピンとくるはず。
べつにいい曲だと思わなかったし、映画も見た記憶がないんだけど、曲名だけはわたしの脳内フラッシュメモリに記録されていたのだ。

今年もプログラムにはないアンコール曲で、派手なジャズナンバーがふたつばかり。
これが聴きたくて常連という人もいるらしい。

| | コメント (0)

2019年2月 5日 (火)

悲愴

わたしはクラシック音楽も聴くけど、どっちかというと協奏曲が多くて、フルオーケストラによる交響曲が苦手である。
若いころに、なんでも聴いてみようという意欲で、古今の大作曲家の交響曲をかたっぱしから聴いてみたことがある。
あまり楽しくなかったねえ。
ベートーベンやマーラーなんかいまでも聴く気がしない。

でも思うんだけど、どんな音楽でもひとくくりにして、それはキライとか好きとかいうのは間違っている。
探せばどんな音楽の中にも、きっと気にいるものがあるものだ。
これは逆の意味でもいえる。
おれはジャズが好きだという人でも、ジャズならなんでもいいわけじゃあるまい。

だから苦手なクラシック(の交響曲)の中にも、わたしの好きな曲はある。
だれそれの交響曲◯◯番なんて無味乾燥なタイトルを並べてもピンと来ないので、バッハ、シベリウス、シューベルト、ベルリオーズ、ドヴォルザークなどの、世間にもよく知られた交響曲の中には好きなものがあるとだけいっておこう。

ここにひとつ、チャイコフスキーの「悲愴」という交響曲がある。
20代の後半のころ、人生になんの希望も持てずボロ・アパートでくすぶっていたころ、わたしは初めてこの曲を聴いた。
感動したとか、励まされたとか、人生が変わったなんてオーバーな表現はつつしむにしても、この曲はわたしの脳髄に響いた。
とくに第2楽章の、もういやなんだよう、もういやなんだようというセリフを反復しているように聴こえる箇所で、わたしはなみだをポロポロ流した。
なにがいやだって、当時のわたしは生きるのがイヤでイヤで仕方なかったのだ。

どん底にある若いもんがこんな曲を聴くことが、いいことかどうか知らない。
でもわたしはもう充分だといえる歳まで生きながらえた。
いまでもときおりこの曲を聴くことがあるけど、自分が越えてきた山河を思って、胸がしめつけられるような気分になってしまう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月15日 (土)

クィーン

夕刊をみたら、クィーンの映画が話題になっていた。
ロックと無縁のわたしの知り合いまでが、えらい評判がいいみたいよと、観に行きたそうな口ぶり。
あいにくわたしはこのグループにぜんぜん興味がない。
「ボヘミアン・ラプソディ」なんて、タイトルは知っているけど、聴いたこともない。

彼らはビートルズはむろんのこと、ストーンズやクリーム、ジミヘンなどより遅れて登場したバンドで、いちじの熱気がうすれ、ロックが聴くよりも観るという方向に傾きはじめたころに登場したバンドだった。
当時のわたしはいい音楽が聴きたくて、ジャズやクラシックまで、さまざまな音楽を聴きあさっていたけど、ゲテモノ・サウンドなんて聴く気にもなれなかった。
ちなみにわたしはレッド・ツェッペリンやピンク・フロイドも好きではない。
世間の評判なんぞ一顧だにせず、けっこう好みがうるさいのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月14日 (金)

なみだ

01

前項で iPod と YouTube の絶妙のコンビネーションに触れたけど、わたしって若いなあと思うことがある。
たとえばむかし熱狂した音楽をまた聴いて、つい涙がこぼれてしまったときなど。
いいトシこいたおっさんがといわれてしまいそうだけど、涙がというのはウソではない。

つい最近、むかしテレビから録画したレイ・チャールズの What'd I Say を聴いてみた。
彼のこの曲はCDも持っているし、YouTube にもたくさんの映像が上がっている。
わたしが観たのはこの曲がヒットして間もないころのものと思われる映像で、NHKが放映したものだ。
レイはテレビ局のスタジオで、オーケストラとバックコーラスに、途中からから登場するゴーゴーガールを従えて歌っている。
同じ映像が YouTube に上がっているけど、そのうち消えてしまうかもしれないから、観るならいまのうちだ。

02

なにぶんにも古いフィルムをアナログ時代のテレビで放映したものだから、画質は最悪だけど、音はそんなにひどくないし、観客席で熱狂する女の子たちが当時の時代背景をいろいろ想像させて、わたしはいつも涙がぼろぼろという塩梅になってしまうのである。
秋の夜長にこんな映像を観て、涙を流しているおじさんがいたとしたら、彼は幸せだと思わなくちゃいけない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年9月30日 (日)

ジ・エンド

前項の 「ライフ・イズ・ミラクル」 という映画を観たとき、映画のなかで密輸業者を貨物列車もろともふっ飛ばしたあと、兵士が英語の曲を口ずさむのに気がついた。
どこかでしょっちゅう聴いたことがあり、いっしょになって歌うこともできる歌だけど、ほんのわずかの引用なので、そのときはどうしても曲名が思い出せなかった。

うーんと考えたあげく、ビートルズがデビューして間もないころ、日本でも流行ったバリー・マクガイアの 「明日なき世界」 でないかと思いついた。
曲名さえわかればその歌を聴くのは、ネットがあるかぎり、むずかしくない。
それで 「明日なき」 を何度もくり返し聴いてみたけど、ちがう。
雰囲気は似ているけど、最初に "This the End"  という歌詞が出てくるのに、「明日なき」 にはそんなセリフは出てこない。

なんだっけ、なんだっけとメシも食わずに悩んでいたら、そのうち天啓のようにひらめいた。
なんだ、ドアーズの 「ジ・エンド」 じゃないか。
セルビアでも有名だったのか、この曲はと思う。
父親を殺し、母親と姦通するという不気味な雰囲気の曲なので、クラい映画に合う(と思われる)らしく、そういえばコッポラの 「地獄の黙示録」 でも使われていた曲だ。
でも、あまり熱心に聴いたせいか、「黙示録」での使用はあまりピンと来なかったけどな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月16日 (月)

コンサート

0815b_2

昨日は近くにある亜細亜大学まで、吹奏楽のコンサートを聴きに行ってきた。
部屋にいても暑いし、ほかに無料でできるヒマつぶしもなかったので。
学生の演奏会かなんてバカにしちゃいけない。
中学生のブラスバンドだってすばらしい場合がある。
音楽理論にまるで詳しくないわたしのこと、ここはあくまで脳ミソの直感による感想を。

コンサートの場所は大学の構内にあるホールである。
亜細亜大学に入るのは初めてだったけど、ホールも含めてなかなか立派だ。
どんなものかサッパリわからんだから、早めに行ってみたら、最後まで空席があったからあわてる必要はなさそうだ。

プログラムは1部、2部構成で、コダーイとかリムスキー・コルサコフなんて名前があったので、これはクラシック主体のコンサートだろうと思った。
馴染みのない曲ばかりのなかに「You Raise Me Up」という曲があり、タイトルからしてポピュラー曲らしい。
「ノートルダムのせむし男」という曲もあって、これはディズニーのアニメからの曲だというけど、わたしは聴いたことがない。

はじっこのほうにピアノやコントラバス、複数の打楽器が並ぶけど、中心になるのはトランペット、トロンボーン、チューバ、ホルンなどのまばゆく輝く金管群に、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、サクスホーンなどの木管群で、総勢40人ちかい管楽器奏者がステージに勢ぞろいだ。
わたしはジャズはたまに聴きに行くけど、管楽器のフルオーケストラ演奏をナマで聴く機会はほとんどないから、これは興味深かった。

ある演奏ではとくべつに解説があって、めずらしい楽器が参加しますとのこと。
耳のわるいわたしには、解説がよく聞こえなかったけど、これはツィンバロムというものらしい。
どんな楽器が出てくるかと思ったら、マージャン卓みたいなかたちをした楽器で、ユニークなのは、耳かきのお化けみたいな2本のピックで、卓上の弦をはじくところ。
こんなおおげさなものではないけど、耳かきを見て、わたしはむかし中国に行ったとき、シルクロードで聴いたウイグル族の民族楽器を思い出した。
たかが耳かきにしては、意外に思うほど大きな音が出るのに感心したものである。
帰宅したあとで調べてみたら、ツィンバロムはハンガリーの民族楽器だという。

最初にこの楽器のデモンストレーションがあり、単独で聴いたその音は、ジンタの響きのように哀愁を感じさせるものだった。
ステキだなと思ったものの、管楽器主体の演奏のなかでは、ああ、また耳の遠いわたしには、猛獣のあいだのカナリアの声を聴くみたいで、この楽器の音を聴きとるのに苦労した。
ツィンバロムの抜けたほかの演奏では、なにしろわたしは音楽を、耳ではなく体で聴くほうだから、とくに問題はなかったけどね。

小休憩をはさんで2部になると、ゲストのトロンボーン奏者が加わって、まずこの楽器による協奏曲。
トロンボーンは顔のわきにスピーカーをつけているようなものだから、わたしにも問題はなく聴こえ、ジャズでもおなじみの楽器だから興味深々。

0815a_3

演奏は2時間ほどで終わったけど、いちおうアンコールがあり、指揮者が呼び戻されて、2曲ばかりプログラムにない曲を演奏した。
たまげたのはこの2曲だ。
それまでのお行儀のよい演奏とちがって、これはジャズかロックを思わせる特大の派手な演奏だった。
指揮者の合図で奏者がいっせいに立ち上がり、聴衆に向かって大音量の音の洪水をあびせかけるのは圧巻としかいいようがない。
タキシードで出てきたゲストも、このころにはラフな黒シャツに着替えちゃって、もう。
最初からこんな演奏をすればいいのに。

最後の曲では一種独特の、拍子木を打ち鳴らすようなリズムが加わって、ロック大好き人間のわたしには、ブラスロックの先駆者シカゴの 「I`m a Man」 を聴くようだった。
同じ曲だという確証はないけど、管楽器オーケストラがシカゴの曲を演奏することは、あっても不思議じゃない。
演奏者が客席にまで下りてきて、いやもう、聴衆と一体になっての盛り上がりよう。
タダで聴いちゃ申し訳ないなと、後ろ髪ひかれる気分で大学をあとにした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月 6日 (火)

エレキギター

エレキギターの老舗、ギブソンが斜陽だそうだ。
団塊の世代というやつは、たいていがロック好きで、そうでないやつはソウルが好きだ。
どっちのジャンルが好きでも、当時はエレキギターが花形楽器だったから、みんなギブソンのレスポールや、フェンダーのテレキャスター、ストラスキャスターなどの音を聴いて育ったことはまちがいがない。
ところが最近ではヒップホップなんて、お経みたいな音楽が流行り、あまりギターがどうしたこうしたという話を聞かない。
こういう風潮がギブソンのような有名メーカーも直撃しているらしい。

わたしは音楽が好きだけど、理屈やテクニックにはまるで無知。
ギターの世界にもそれほど詳しいわけじゃないので、音を聴いただけで銘柄を当てられるわけじゃない。
だから雑誌や映像などで、演奏者がかかえているギターをたくさんながめて、このプレーヤーはこの楽器を使うことが多いようだと推測するくらいしかできない。
たとえばジャズの世界では、ジム・ホールがよくレスポールを使っていた。
だからこのギターはとてつもなく甘い音を出すと信じている。

フェンダーのストラトキャスターについては、ものすごく暴力的な音、というのはジミ・ヘンドリックスのせいである。
ただ彼の場合、エレキの効果を最大限に発揮させて、わざわざ音を歪ませるようなことをするから、これがジミヘンの音だということは明確だけど、これがストラスキャスター本来の音であるかどうかはなかなかわからない。

そんなわたしが愛聴したロックの英雄たちも、ほとんどが死んだか引退したかで、最近はあまり消息を聞かない。
レスポール社がつぶれようが、その製品がなくなろうが、わたしの知ったことではない。
この問題を引き継ぐべき若い世代がギターに関心がないというんじゃ、わたしの出番なんかあるはずがないのだ。
まあ、いい時代だったよな。
少なくともわたしはそれを堪能したし、自分の人生をそれのおかげで十分に楽しんだのだから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年6月26日 (月)

ブーレーズ

Pb

夜中にテレビを点けたらオーケストラの演奏をやっていた。
ベルリンにできたピエール・ブーレーズ・ホールのこけら落としの演奏だそうだ。
P・ブーレーズと聞いてなつかしい思い出がよみがえってきた、というと、ちょっとオーバーだけど。

ずっとむかし、ロックやジャズに飽き足らなくなって、わたしが初めて購入したクラシックレコードが、ブーレーズ指揮の「ベルリオーズ/幻想交響曲」。
ほとんどクラシックの知識がないまま、異様なタイトルと、不気味なレコードジャケットの絵、そしてジャケットの裏に載っていた黒いタートルネックという、指揮者らしからぬブーレーズの写真に惹かれて買ったものである。

これを聴いてただちに感銘を受けたというほど、純情でもホラ吹きでもないけど、クラシックの出発点としてはわるくない演奏だったと、いまでも思っている。

そのあとでわたしが買ったもう1枚のブーレーズは、ジャケットに北斎の浮世絵をあしらったドビュッシーで、こちらはどうもあまり熱心に聴いたおぼえがない。
当時のわたしはクラシックの大海におずおずと乗り出したばかりで、音楽の内容以前のもの、たとえばジャズの影響で、ジャケットのデザインなどに惹かれることが多かったのだ。

昨夜はブーレーズについてググッてみた。
ウィキペディアの記述は、音楽理論のわからないわたしの手に負えるものではなかった。
ベルリオーズやドビュッシーは、この人の演奏ではわかりやすいほうかもしれない。

彼は何度か来日しており、あるとき日本の聴衆から、人生にとってもっとも大切なことはなんですかと質問され、いくつになっても好奇心を失わないことと答えたという。
納得である。
わたしもいいトシのおっさんのくせして、オランウータンを見にいって見られなかったり、ホタルイカを見物に行って空振りに終わったり、いまでも好奇心が多すぎて困っているくらいなのだ。
このトシまで独身をつらぬいたのも、社会の常識にとらわれるより、好奇心を満たすことに忙しかったからなのだ、きっと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年6月 9日 (金)

アニバーサリー・ソング

すこしまえにこのブログで 「レッドタートル」 というアニメのことを書いたけど、そのとき同じアニメ作家のつくった 「父と娘」 というアニメにも触れた。

「父と娘」 では 「ドナウ川のさざなみ」 というワルツの名曲が、アコーディオン用に編曲されて効果的に使われていた。
あまりすてきな曲なので、聴くだけでは飽き足らず、作曲者のイヴァノヴィッチについて調べてみたら、この曲はアメリカでも人気が高く、歌詞がつけられ、「アニバーサリー・ソング(Anniversary Song)」 というポピュラー・ナンバーになっていることがわかった。

こんなことはだれでも知っていることかもしれないけど、わたしにとって今日学んだこと(TodayILearn)。

YouTube を当たってみると、パット・ブーンやアンディ・ウイリアムス、ダイナ・ショアなど、そうそうたる歌手が歌っているこの曲が見つかる。
オリジナルが素晴らしい曲は、だれが演奏しても、だれが歌っても、たいてい素晴らしいという学説(?)どおりだ。
またひとつ、生きているうちに聴けてヨカッタという曲を発見した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月21日 (水)

モーニン

Cm

ジャズ・ベーシストのチャーリー・ミンガスに「モーニン」という曲がある。
わたしはミンガスが好きなので、この曲と、なぜ彼が好きかということを音楽の専門家以外の言葉で語ってみよう。

わたしがジャズの世界にのめりこんだのはロックの影響だった。
ストーンズやクリームのライブ演奏を聴いて、即興演奏のおもしろさに目覚め、なおかつクリームの激しいインタープレイに衝撃を受けたのがきっかけだ。
インタープレイというのは、演奏者が他の演奏者とケンカをするような演奏と、まず簡単に説明しておく。

わたしはこういう演奏がほかにもないかと、いろいろレコードを漁ったけど、ロック畑にはクリームを超えるようなインタープレイはとうとう見つからなかった。
それならジャズはどうだ。
ジャズなら即興演奏の宝庫じゃないか。

そう思ってこの分野の音楽を聴き始めたんだけど、最初は失望した。
わたしがジャズを聴き始めたのはビ・バップはなやかなりしころで、聴いてみればわかるけど、これは演奏者が順番に、交代で即興演奏のソロをとるもので、とてもケンカとはいえないお行儀のよいものが多かった。
もっといろんな楽器が複雑にからみあいながら進行する曲はないものか。

若いころ先輩から、ミンガスの「直立猿人」を聴かされたことがある。
当時はジャズのジの字も知らなかったので、なにがなんだかわからなかったけど、ジャズに関心を持ったころ、あらためてこの曲を聴いてみた。
ケンカとはいえないけど、そこではじめて順番にソロをとるばかりがジャズではないことを知った。

ミンガスという人は孤高の人で、世間がビ・バップ一辺倒だった時代に、複数の楽器による、ハーモニーを主眼とした演奏を開拓した人である。
つまり主役がトランペットを吹いているとき、サックスやトロンボーンが横からちょっかいを入れるようなものだ。
これがおもしろくてわたしはミンガスの熱烈なファンになってしまった。
もちろんこういう演奏は、オレがオレがという名人気質の演奏者の多いジャズでは、ヘタすると本物のケンカになってしまうから、リーダーにはテクニック以外に腕力も必要だ。
ミンガスのテクニックを聞くには「モーニン」がよく、腕力を知りたければ、メンバーをぶっ飛ばしたというエピソードを聞けばよい。

オリジナルの「モーニン」も乗りやすい曲だけど、最近 YouTube でこれとは違ったライブ・バージョンを聴いた。
もう、メンバーがやけになって同僚を吹き倒そうとしてんじゃないかと思うようなケンカごしの演奏である。
それでもところどころに「モーニン」のテーマのようなものがはさまるから、これがちゃんとリーダーの統率のもとに演奏されていることがわかる。

ところで、あとになって気がついたけど、YouTube 上のこのライブ演奏はひじょうに人気があるらしく、今日現在でアクセス数が1300万以上になっていた。
やっぱりトラは死んで皮を残したってことかも。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧