壮絶の映画人生

2022年9月24日 (土)

エルマー・ガントリー

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わたしの部屋には古今東西の、いや、どっちかというと古えの映画が多いけど、それがDVDやブルーレイに焼いて600枚も保存してある。
市販されていた作品もあるものの、大半はNHKが放映したものを録画してディスクに焼いたもので、これだけあるとわたしの世代の名画はほとんど網羅しているといっていい。
今日はその中からリチャード・ブルックス監督の「エルマー・ガントリー」を引っ張り出してみた。
もちろんというか、いまの世代には内容はおろか、タイトルでさえまったく記憶にない映画だろう。

若いころ、評判は聞いていたのに、どうしても観る気の起こらなかった映画というものはいくつかある。
これもそのひとつで1960年の映画なんだけど、アカデミー賞の作品賞にノミネートされ、主演男優賞も受賞しているから、いい映画にはちがいない(このころのアカデミー賞はいまとは重みが違っていた)。
ただ、内容がやたらにカタそうなので敬遠していたのである。

今日ようやく全編を通して観て、これはまことに時宜にかなった映画だなと思った。
内容は宗教がテーマで、といってもキリストが奇跡を起こすようなハリウッド製のスペクタクルではなく、もっと世俗的な、教会と人間の関係を描いた、いま騒がれている統一教会のドタバタにも通じる作品だった。

主人公はバート・ランカスター扮する口の達者なセールスマンで、彼はひょんなことから美貌の宣教師が布教を務める、移動教会の人気伝道者になってしまう。
彼が大ボラを吹いて教会に集まった信者を熱狂させるところなんか、いまでも種の起源より聖書を信じる国民が半分くらいいるという、現代アメリカの縮図を見ているようで、カタくてもおもしろい映画は存在するという見本のような映画だった。

この映画にはなんでも神に結びつけてしまう無知な人々と、本気で神を信じようかどうしようかと悩む人、神さままで商売に使おうとする実業家たち、最初からさめている(ワタシみたいに)皮肉屋の人間など、さまざまな人間が登場して、宗教のおもてと裏(の裏の裏)を描いてみせる。
宗教もけっして神聖とか尊敬に値するものではないと、いたずらにバカ正直でないのがいいし、これをにやにやしながら観られる人なら、統一教会なんぞに引っかかることもなかっただろう。
最後に奇跡のようなことが起きるけど、これは現代医学では突発性ナントカ症とでもいうべきものだろうから、あまり真剣に考えなくてもいい。

今日は草むしりをするつもりが、雨が降るというので中止して、この映画を観ていた。
こんな機会でもないとなかなか観ようという気にならない映画で、じっさい部屋の押し入れのなかで、ホコリに埋もれさせておくにはもったいない映画だった。

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2022年9月21日 (水)

地獄の黙示録

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ウクライナばかりではなく、たまにはほかの話題も書かねばならぬという、不必要な義務感に迫られて、今日は戦争以外の、いや、やっぱり戦争と無縁というわけじゃないけど、コッポラの「地獄の黙示録」が放映されたばかりなので、そっちの話題を書こう。
最近のNHKの偏向ぶりに怒髪天をつく状態のわたしは、コッポラ君にも八つ当たりしてしまうのだ。
いや「ゴッドファーザー」からこっち、もともとコッポラ君は嫌いなんだけどね。

ただその後、この映画に影響を与えたとされるコンラッドの「闇の奥」という本をちょっとだけ読んだこともあり、なにかわたしの心境に変化が生じたかも知れないから、いちおう録画してみた。
とはいうものの、小説の「闇の奥」にも感心したわけではないから、影響がどうのこうのといわれても困ってしまう。
ファイナルカット版という注釈がついていたけど、下らない映画であるところは、もちろん変わっていなかった。

あっちこっちに常識で考えられない描写がある。
その最たるものが、ベトナムというそれほど大きな国ではない場所で、ベトナム人相手の戦争をしている米国人が、ジャングルの奥地で、ベトナム人を支配して王様のような生活をしていること。
これが暗黒大陸といわれ、白人が圧倒的に有利な立場でいたアフリカでもあれば納得できないこともない。
あるいはジャック・スパロウのような海賊が横行していたカリブ海でもあれば、そういうこともあったかも知れない。
しかしベトナムでそりゃ無理な設定だ。

けしからんのはベトナム戦争という、米国人のこころを傷つけた戦争であるにもかかわらず、反省や罪の意識がぜんぜん見られないこと。
全体としてはアメリカインディアンを騎兵隊がやっつけていたころと、ぜんぜん変わらないアメリカ至上主義の映画であること。
これでは主人公が悩みようがないではないか。

一歩ゆずって、これは寓意なのだ、目の前に見えるものはなにかの象徴なのだということにしよう。
だとしても、いったいこの映画はなにをいいたいのか。
いちおうのストーリーからすれば、ベトナムの奥地に王国を築いてる米軍将校の暗殺命令を受けた兵士が、彼の王国に潜入して、首尾よく任務を遂行するという「ランボー」みたいな活劇映画であるといえる。
むしろそのほうが映画としてもおもしろそう。

しかし自分を大作家であるとカン違いしたコッポラ君の、余人に計り知れない傑作を作るという野望の下に、とにかくひたすら芸術大作(らしきもの)を目指したケッ作になってしまった。
始めから終いまでまじめな顔ばかりしている主人公、やさしそうなこの主人公が川をボートでさかのぼる途中、道草になりそうだというので、いきなりゴルゴ13になってベトコン女を射殺する。
どうも前後の脈絡がとれてないよな。
ほかにも戦場でサーフィンに凝る将校、とつぜん現れるディエンビエンフーのフランス軍、密林の奥の王国をうろつきまわる正体不明のカメラマン、王国の周辺にぶらさがるリンチにあったらしい死体など、どれもこれも意味ありげな映像をつなぎあわせただけ。
最後に登場するマーロン・ブランド(カーツ大佐)がひねくる屁理屈も、彼はいったい何に悩み、どうしてジャングルの奥で孤高の帝王になったのか、さっぱり明らかにしてくれない。
コッポラ君の意欲はわかるけど、彼の才能では釣りあげようとした獲物が大きすぎたようだ。

こういう映画をありがたがるファンが、ウクライナ戦争でも、なにも考えずにロシアを非難してるんだよなと、八つ当たりで締めくくって、この項終わり!
ああ、プーチンがんばれ。

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2022年2月 7日 (月)

観ました

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観ました、張芸謀の中国映画「金陵十三釵」。
中国人が作った南京虐殺の映画だということで、もう観るまえから日本では公開禁止の映画。
ウィキペディアの解説を読んでみたけど、ウィキの記述すら、こちらも映画を観ないで書きやがったなと思わせる内容だ。
なんでも中国でも製作費が記録破りだとか、年間興行収入が1位だとか、中国社会に大きな影響を与えたなんて書いてあるけど、ホントかよ。

南京城内に取り残された女学生たちが、米国人男性と娼婦たちの協力で脱出する話なんだけど、最後もどうもあっさりしすぎてスリルに欠けるし、たとえば米国なら「プライベート・ライアン」や「硫黄島からの手紙」のような、敵味方が殺したり殺されたりするふつうの戦争映画で、そんなに感心するような映画じゃないね。
米国で作品の評判がよくなかったというのは、おそらく期待していたほど日本兵の残虐ぶりが描かれてなかったからじゃないか。
下っ端の日本兵はどうしようもないけど、指揮官や上級士官なんか、いかにも日本軍人らしい立派な人物に描かれていて、いまでは国際的映画監督になった張芸謀のこれが良識というか、限界というか。
あちらのネットにもこの映画をもって、日本をあしざまにいうサイトがあるようだけど、戦争を公平客観的に見つめようとする映画に対して、日本のほうが狭量な考えに陥って、映画の公開もさせんというのはどうなのさ。
文句をいいたい人のためにリンクを張っておくから、自分の目で確認してみて。

https://www.youtube.com/watch?v=T6P0_a9ltk4&t=2910s

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2022年2月 2日 (水)

芸術作品、欲しい!

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ずっと以前だけど、あるデパートで谷内六郎さんの絵が販売されていた。
その中に欲しい絵があったけど、考えてみるとオリジナルの谷内さんの絵は週刊新潮の表紙用に描かれたもので、純粋の絵画とはいえない。
そこに展示されていたものも、どこかの制作会社が油絵ふうに作り直したレプリカだった。
それでもわたしはその絵がほしくてたまらなかった(安ければ買っただろう)。

最近あらためてビートルズ主演のアニメ「イエロー・サブマリン」を見直してみた。
わたしの部屋にはDVD版のこの映画があるので、見ようと思えばいつでも見られるんだけど、見ているうちに物足りなくなってきた。
というのは、このアニメはジブリ・アニメなどと違って、ひとコマひとコマの絵の芸術的センスが素晴らしい。
若いころ、はじめてこのアニメを見て衝撃を受けたわたしは、レンブラントやゴヤの絵と同じような畏敬の念を、いまでも抱いているのだ。
物足りないというのは、これがDVDであることである。
最近ブルーレイ規格のテレビ番組ばかり見ているわたしには、やっぱり画質がイマイチなのだ。
調べてみたら、この映画のブルーレイ版もとっくに発売されていた。
こうなるとアニメの原画をぜったいに自分のものにしたいというマニアの気持ちもよくわかって、いてもたってもいられなくなる。
しかし年金暮らしのじいさんには、清水から飛び降りる覚悟が必要な値段だった。

こうなると頼みの綱はNHKのBSだ。
プレミアムシネマで放映してくれんものか。
また調べてみたら、今日はスピルバーグの「激突!」というアホな映画が放映されていた。
くそ、いくら放映権料か安いからといって、こんなつまらん映画ばかり流しているんじゃ視聴料を払わんぞ。

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2022年1月 3日 (月)

寅さん

今年は寅年でしょ。
わたしんところに来た年賀状は、印刷所に注文した、まともすぎておかしくもなんともないものだった。
いまは年賀状だって自分でプリントできる時代じゃないか。
「男はつらいよ」の寅さんをあしらおうって程度のセンスもないのかねえ。

うーんと考えて、寅さんの映画を観ることにした。
わたしの部屋にはテレビで放映された「男はつらいよ」が、何枚かDVDに焼いて保存してあったはず。
つい最近行ってきたばかりだから、そんな中から作品25作目の沖縄が舞台のものを観てみた。
わたしが日本映画を観るのはめずらしいけど、こういう人情劇だと、八代目林屋正蔵の落語を聞いているみたいで、安心して観ていられるのはいい(たまに1本だけ観るなら)。
でもあまりおもしろくなかった。
うちにあるものでは第1作がいちばんいいみたい(寅さん映画は3本しか録画してないけど)。
夜になったらBSでサンデル教授の「白熱教室」をやっていて、そっちのほうがよほどおもしろかった。

映画を観ていてうらやましいと思ったことも。
わたしは吃音の傾向があるので、寅さんの威勢のいいべらんめえ口調は、ホントうらやましい。

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2021年12月18日 (土)

イデス・ヘッド

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「刑事コロンボ」もたまに観ると傑作だと思うけど、こうしょっちゅう観せられると、なかには感心しないものもある。
というわけで、最近はBSのコロンボ・シリーズはあまり熱心に観ない。
今日の放送分(もちろん過去の再放送だけど)をちらりと観たら、どこかで観たような俳優がゲストスターとして出ていた。
誰だっけ?
最初はマーティン・バルサムかと思ったけど、顔が面長すぎるので、調べてみたらメル・ファラーだった。
この人、オードリー・ヘプバーンの旦那じゃなかったっけか。
いやいや、ヘプバーンなんていったっていまどきの若者にはわかんないだろうなあ。
いやいや、いやいや、ハリウッドという言葉もわかんなくなる時代がもうすぐだ。
現代はネットフリックスっていわないとだめか。
あー、ホント、断絶の時代、死にたい。

そんなことはどうでもいいけど、調べついでにコロンボのこの回に、ハリウッドの衣装デザイナーのイデス・ヘッドが、本人役で出ていることがわかった。
彼女は1981年に亡くなっているけど、このブログにアカデミー賞を8回も受賞した名デザイナーであると書いたことがあり、ピクサーのアニメ「Mr.インクレディブル」にも出ていたと書いたこともある。
あわてて録画して、イデスおばさんの出番シーンだけゆっくり観た。
むかし読んだ本によると、彼女はコロンボに「その古いコート、お捨てになったら」ということだったけど、そんな皮肉はいってなかったねえ。
いかにも皮肉をいいそうな人なので、翻訳者の川本三郎さんが勘違いをしたらしい。

添付したのはイディス本人と、アニメの中の彼女。
彼女の偉業も歴史のなかに埋もれるまで、あとほんの少し。

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2021年10月22日 (金)

リー・マーヴィン2態

ナニ書こうかな。
書かないとまたココログに遊ばれちゃうものな。
このままじゃ今日のアクセスは30ぐらいで終わりだよ。

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昼間テレビで放映されていた「リバティ・バランスを射った男」って映画のことでも書いておこう。
過去に何度もテレビ放映されているから、観たはずなのにとんと印象に残ってないのは、映画館ではなく家で観たせいだ。
家だとどうしてもヤボ用があって、じっくり腰を据えて観られないんだよねえ。
それで今日こそはと腰を据えたつもりが、やっぱりほかにしなくちゃいけない用事があって、不真面目な鑑賞になってしまった。

ジョン・フォードの映画の中ではちょっと渋目の佳作というか、失われゆく西部劇への愛着を込めた、なんでもアメリカの国立フィルム登録簿ってところに保存されている傑作なんだそうだ。
ジョン・ウェインやジェームズ・スチュワートに、からむ悪漢がリー・マーヴィンという顔合わせ。
わたしはこのリー・マーヴィンという役者が好きなんだけど、ちょっとイメージが予想と違うなと思ったのは、どこかで悪漢像が「キャット・バルー」の酔っ払いガンマンと混線していたせいらしい。
フォード映画では悪漢がストレートすぎておもしろくない。
まだ時間がたくさん残っているのに、あっという間に殺されちゃって。
悪漢でもどこか人間味があって、憎めない男にしてくれればよかったのにと残念に思う。
マーヴィンをたんなる極悪非道の悪漢にしたのがこの映画の最大の欠点だな。

それでもこんな文章をでっちあげて、なんとか今日の更新に間に合った。
見てろ、これで今夜中にアクセスがぐんぐん伸びて、きっと 300 ぐらい行くから(あり得ないか)。

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2021年10月 9日 (土)

無法松の一生

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BSで「無法松の一生」が放映されたので録画しておいた。
あとで観てみたら主演が三船敏郎ではなく、坂東妻三郎で、まだわたしが生まれるまえのモノクロ映画だった。
わたしが知っていた三船版は、同じ監督によるリメイク作品だというから、色つきになった以外は、ブロットも構成もほとんど同じである。

わたしは子供のころ三船版を町の映画館で観て、雪のなかで死んでゆく無法の松っつあんにいたく感動したおぼえがあるし、その三船版でさえ最近はとんと観る機会がなかったから、ついなつかしい思いで観た。
坂妻版は戦争中の作品で、車屋ごときが軍人の妻に恋をするのはケシカランと、いろいろ制約やカットされた部分があったらしい。
なかでも坂妻版で、松五郎が思いをよせる未亡人(軍人の妻)に気持ちを打ち明けようとして、身のほどを知り、うなだれて去るという映画の大きな山場がカットされたのは痛かった。

そういうわけで映画としては、やっぱり三船版のほうがいいけど、最後のとってつけたような場面がわざとらしくて、新旧ともそこだけが欠点だな。
松五郎の知り合いが軍人の未亡人に、あいつはこんなお金をあなたのために残していましたよというと、それを知った未亡人がおよよと泣き崩れるんだけど、ここはもうすこし暗示のような手法は使えなかっただろうか。
そこさえ考えてくれれば日本映画の屈指の名作だと思うのに残念だ。
軍人の奥さんを演じたのは、モノクロ版が園井恵子、カラー版が高峰秀子で、どっちも古風な日本女性を演じて遜色はない。

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2021年9月28日 (火)

アンダーグラウンド

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最近はほんとうにおもしろい映画、観たい映画がない。
だからこのブログの「壮絶の映画人生」に書く記事もないし、あっても倉庫から引っ張り出したような古い映画ばかりだ。
とぼやいていたら、最近とてもおもしろい映画に出会ったので、ひさしぶりに映画コーナーの更新だ。
最近といったけど、じつは1995年の映画なので、これももう30年ちかくまえの映画なんだけどね。

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旧ユーゴ出身の映画監督でエミール・クストリッツァ(Emir Kusturica)という人がいる。
以前このブログでも「ライフ・イズ・ミラクル」という彼の映画を取り上げたことがあって、わたしは “深刻な内容をユーモアでくるんだ、わたしの理想といっていい映画” と褒めたことがある。
彼の「アンダーグラウンド」という映画が、すこしまえにBSで放映された。
わたしは「ライフ・イズ」のことをよくおぼえていたし、たった1作だけでベタ褒めするには抵抗があったから、また録画してじっくりと観た。
その結果、わたしは断言するけど、この映画は(とくに最近では)まれにしか見られない傑作である。

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3時間ちかくある映画なので、ストーリーを紹介しながら、どんなところが素晴らしいかを説明してみよう。
と思ったけれど、正直いってストーリーを順序よく紹介しただけでは、逆にがっかりされるだけのような気がする。
おおざっぱなストーリーは、ナチスドイツに侵攻されたユーゴスラビアで、地下にもぐって抵抗を続ける人たちの、戦中、戦後、そして国が分裂して内戦に至るまでの長い歴史を描いた(とされる)大河ドラマだけど、とてもこんな常識的な説明だけでは収まらない。

まじめな顔をして観ていると、途中から時系列がめちゃくちゃになり、過去から現代、現代から過去にもどったり、劇中劇の登場人物が現実の人物と入れ替わったり、死んだと思った登場人物がまた出てきたり、常識で考えればおかしい場面がたくさんあって、もうなにがなんだかわからなくなる。
こんなことを書いたら、そんな映画のどこかおもしろいんだ、おまえはアホかといわれてしまいそう。

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でも観ていて感心したのは、最初から最後まで、じつに楽しい映画だということだ。
芸術的かどうか知らないけど、タルコフスキーのように始めから終いまでしかめっつらをしているような映画や、日本のどこかの監督のように、深刻なテーマをまっ正面から描いたようなものは、わたしはあまり好きじゃない。
その点この映画はドンパチあり、おふざけあり、すこし安っぽいけど幻想的な場面あり、ヒロインは日本人好みの美人だし、そういうヒロインが大胆なポーズをとってしまうしするし、いささか誇張された人物がはちゃめちゃな行動をして、ナンセンスなギャグ映画のようでもありで、まったくムズカシイ芸術作品という気がしないのだ。
フェリーニの「アマルコルド」を観た人がいれば、ちょうどあれをもう少しだけ騒々しくしたような映画といっておこう。
俺はアマルなんとかいう映画を観たことがないという人は、くそっ、単純でわかりやすいアメリカ映画でも観てやがれ!

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トラやゾウやロバやガチョウ、そしてこの映画ではチンパンジーが主要な役割を担っていて、そういう動物たちが自然なままの演技するのも楽しいし、すごく太った女や頭のよわい人物、サーカスや道化師はないけど精神病院が出てくるところ、やたらに音楽を演奏する場面があるところもフェリーニの作品を思わせる。
監督のクストリッツァは多芸な芸術家のひとりで、自分のバンドを持っており、仲間たちとロックやジャズを演奏している映像まで YouTube に上がっている。
この音楽仲間が映画にも出演しているようだし、「ライフ・イズ・ミラクル」ではテーマ音楽も自分たちで作曲していた。
わたくしごとで恐縮だけど、熊本のKさんや幼なじみのカトー君のように、最近の芸術家はひとつの分野だけじゃ創作本能を抑えきれないようだ。

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しかしユーゴという地味な国の映画なので、これを観られた人は多くないだろう(わたしだってテレビで放映されなかったら、わざわざ観ることはなかったはず)。
もしもテレビで見逃した人がいたら、「アンダーグラウンド」は映画がそっくりYouTubeに上がっているから、それを観ればよい。
字幕が日本語じゃないから意味はわからないけど、どうしてもストーリーを知りたいなら、ウィキペディアにあらすじが出ています。

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これはユーモアと寓意をちりばめた大人のための童話なのだ。
フェデリコ・フェリーニの名声を知っている人には、クストリッツァ監督はフェリーニの後継者であるといっても差支えない。
映画のラストでは、中洲のようなところでパーティをする人々を乗せたまま、島が陸地から切り離され、川のなかへゆっくりとただよっていく。
「81/2」のような全員による明るい大団円であると同時に、行先もわからないユーゴの人々の、不安や哀しみがしみじみと伝わってくる映画なのだ(この映画の制作当時、まだユーゴの内戦は完全には終わっていなかった)。
「ライフ・イズ」のときも書いたけど、おもしろうてやがて悲しき〇〇かなという句趣どおりの結末ではないか。

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2021年7月 2日 (金)

ワイルドバンチ

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そんな義理はねえけどよ。
生死をともにと誓った仲間を、目のまえでなぶり殺しにされちゃ堪忍袋の緒が切れた。
あとは野となれ山となれ。
殴り込みだあって、任侠映画じゃないけれど、こころいきはまさに健さん。
このあと4人で100人の軍隊を相手に、やけのやんぱちの大暴れ。
機関銃までぶっ放し、当たるをさいわいなぎ倒し、全員がぶっ殺されてメデタシメデタシってのは、さっきまで見ていた「ワイルドバンチ」。
1969
年の映画だって。
はじめてこれを映画館で見たころ、わたしはいったい何をしていただろう。
どんな夢を持っていただろう。

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