インドへの道
この正月に観た英国映画の3本目はデヴィッド・リーン監督の「インドへの道」。
この監督は「アラビアのロレンス」や「ドクトル・ジバゴ」などでお馴染みの、とにかくスケールの大きな歴史大作で知られた人である。
わたしは「ロレンス」あたりからこの監督を神聖視してしまって、「インド」はDVDが発売されると、映画館で観たことがない映画なのに、ためらわず購入してしまった。
金を出して買ったものは観なくゃもったいない。
そのときちらりと眺めてみたら、だんだん話が神秘的なものに傾く兆しがあらわれたので、そういう非合理的なものが大キライなわたしは、とちゅうで観るのをやめてしまった。
どうせインドの古い寺院で卑猥な石仏を見たヒロインが、インドの陽炎のしたで抱いた白日夢、というような映画なんだろう。
だいたい英国人がインドで期待することは、ビートルズがインドの乞食坊主にとりつかれたように、そういう神秘主義に決まっているのだ。
デヴィッド・リーンもおいぼれたかと思ったけど、今回はどうせヒマだし、正月に観た英国映画3部作にするつもりで、じっくり最後まで観た。
その結果、「インドへの道」は・・・・やっぱりクソだった。
クソを観るために3時間も費やして、損したワ。
映画の出だしはヒロインが英国から船でインドに出発する場面で、船会社のキップ売り場の会話など、いかにもリーン監督の映画らしく手慣れたもの。
彼女は判事としてインドに赴任しているいいなずけに会うために、いいなずけの母親と共にインドへ向かうのである。
インドへ到着したあと、さらに鉄道で彼氏の赴任先へ向かうんだけど、列車が闇夜の鉄橋を渡っていくシーンなど、いちどでいいからインドにも行ってみたかったわたしのノスタルジーをかきたてる。
残念ながらわたしがインドに行くことは、永久に見果てぬ夢で終わりそうだ。
デヴィッド・リーン監督は、歴史に翻弄される人間を描いた大作で観衆の度肝をぬいたものの、人々が冷静になると、その影響でアジア人、アラブ人を一等下の民族であると馬鹿にするレイシストであると評判が立ってしまった。
これではいかんと、死ぬまえにあわてて罪滅ぼしのために作ったのがこの映画らしい。
この映画では、無理やりインド人の肩を持ちすぎているようで、英国至上主義者の監督らしくない。
ちなみにこれはリーン監督の遺作で、製作は1988年、マイノリティに対する差別が世界的に抗議のムーブメントになり始めていたころの映画である。
ヒロインは好奇心がいっぱいで、インドへ着くとひとりで自転車に乗って、あちこち見物に行き、ある古い寺院で、男女のからみをあけすけに彫った石像を見てどぎまぎする。
英国には女性探検家クリスティナ・ドッドウェルのような冒険家の系譜があって、こんな勇敢な女の子もいたのだろう。
しかし最近のインドは女性に乱暴するレイプ犯が多いらしいから、ひじょうに危険なはずだけど、これは英国がインドを植民地として統治していたころの話で、中国の上海のような租界でも、現地人は欧米人に恐れ入っているところがあったから、あまり危険な目には遭わずに済んだらしい。
ヒロインといいなずけの母親は、インドで知り合った若いインド人の医師の案内で、有名な観光地である古い洞窟を見物に行く。
ここでいくつかの偶然が重なり、ヒロインは医師と2人だけで洞窟の内を見て歩くことになる。
そして不運な事件に巻き込まれるんだけど、さて、お立ち合い。
たとえばあなたが暗い洞窟のなかで、ちょっとステキな女の子と2人きりになったとき、あなた彼女いるの?なんて思わせぶりに迫られたとする。
こういうとき相手を押し倒して、その場で生殖行為にのめりこむというのは、男として自然な行為である。
いや、オレはそんなことはしないというカタブツ男がいたら、そりゃ病気だね、病院で診てもらったほうがエエ。
全部が全部、生殖行為に及ぶかどうかは別にして、そういう男がいたって不思議じゃないのである。
この映画の欠点は、そういう男の本能を無視しているところだ。
インド人の医師はヒロインを犯そうとしたという疑いをかけられて裁判にかけられる。
植民地時代のインドだから、宗主国の女性に手を出した男の罪は深い。
彼の親友のイギリス人だけは絶対にそんなことはないと、医師の潔白を言い張るんだけど、親友の無実を信じるのはいいとして、普通なら魔がさしてそういうことになってもおかしくないと考えるほうが自然ではないか。
また教養をひけらかしちゃうけど、サムセット・モームの「雨」という短編小説は、ついに誘惑に打ち勝てず、救うべき娼婦に手を出してしまった宣教師の話である。
ここはどうも医師に味方する英国人のほうに無理がある。
このあと、なにがなにしてどうなったのか、裁判はヒロインが訴訟を取り下げることになって、急転直下で解決する。
そのへんが安直でぜんぜん感心しないけど、男に手ごめにされたいという被害妄想でも彼女にあったのだろうか。
リーン監督の映画の常連であるアレック・ギネスのインド行者も、彼は変人ですと紹介されている割には、全く神秘的なところがないフツーの人である。
晴れて無実を勝ち取ったインド人医師だけど、彼は自分が好きだったヒロインが、親友の英国人と結婚したと誤解していて、彼を許せない。
しかし映画のなかでは、医師とヒロインがそれほど親しい仲であるようには描かれてないし、医師はアラビアの砂漠で、かげろうの中から現れるオマー・シェリフのようなカッコいい人間でもない。
観光洞窟で誤解が生じるまで、彼らはヒロインがインドで知り合ったばかりの、ただの仲のよい友達関係だったのだ。
それがなんで恋敵みたいに恨みをあとに引きずることになるのか。
英国人が全く関係ない女性と結婚して、インドまで医師を訪ねてきたおかげで、ようやくこの誤解が晴れる。
それはまあ、いいとして、田舎の町の小さな事件が、どうして反英騒動にまで発展するのか、いくら歴史に翻弄される主人公を描いてきたリーン監督としても、ちと無理があるな。
わたしの部屋には現実のインドを捉えた「アラハバード・大沐浴」、「100万人の山車祭り」などのドキュメンタリー、映画でも「スラムドック・ミリオネア」、「ナヴァラサ」などのインド作品があるので、あとでじっくり観てみよう。
つまんない映画で時間を食ったけど、明日からはまたNHKの国際報道が始まるから、退屈しないで済むだろうけどね。
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