旅から旅へ

2025年12月 5日 (金)

上海Ⅱ/田子坊 A

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田子坊についてはよく知らない。
わたしは1994年に、上海市の南部にある徐家匯という場所から駅まで、市内をほとんど縦走するくらい歩いたことがある。
このあたりに骨董市、というかガラクタ市があるというので、行きはタクシーで行ったものの、帰りはタクシーがつかまらず、えっちらおっちら歩いたのである。
歩いているうち、蒋介石の別荘だったという瑞金賓館のわきを通った。
すてきなホテルだったので、その後泊まったこともあることは、このブログに書いたことがある。

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今回、地図を見たら、田子坊というのは徐家匯から近い。
そんなものがいつごろから有名になったのかも知らないけど、前記の1994年にはなかったと思う。
いや、あることはあったけど、普通のどこにでもあるゴミゴミした中国人の生活空間だったはずだ。
それがなんの因果か、都市開発から取り残されて、だれのアイディアか知らないけど、かっての租界時代のおもかげを残すテーマパークになってしまった。
表面的には最新のモードで装っているけど、範囲は縦横がせいぜい200メートルから300メートルぐらいの、レトロを売りものにした路地の親玉といっていい。
いまの上海には路地の両側から、洗濯物が祝日の国旗のように突き出されるという、中国人の生活空間をしのばせるものはあまり残ってないから、貴重な風景かも知れない。

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というわけで、田子坊に分け入る。
狭い路地に土産物屋やレストラン、ファッション用品の店が軒を接し、観光客がもの珍しそうにうろついている。
年寄りがうろついてもぜんぜんおもしろくないところだけど、わたしは手持ちのオリンパスで写真を撮りまくった。
枚数が多いから、今回は文章はほどほどに、写真をずらっと並べる。
並べるにことかいて、2回に分けて載せる。
その2回も、いちどに載せられるのは13枚ぐらいだから、全部を載せ終わるには1週間ぐらいかかるかも知れない。
無理に見ろとはいいません。
ほかにいちゃもんをつけたいことが山積みなので、今回はやっつけ仕事。
YouTubeにもたくさんの映像が上がってますんで、上海のテーマパークってこんなところかと、ヒマなときに参考にしてくんなさい。

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2025年11月28日 (金)

上海Ⅱ/路地を探して

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上海3日目はよく晴れていた。
朝食はビュッフェ・スタイルで、混雑していることがあるから、わざわざ時刻をずらして行ったつもりなのに、やはり混んでいた。
このホテルのビュッフェは1階の食堂で、すぐとなりに客が一服できる喫茶コーナーがある。
食堂はややもすると客が満杯で、この喫茶コーナーまでビュッフェとして活用されていることがあった。

さて、この日はどこに行くか。
見たいところは前回5月のときにあらかた見てしまったので、到着して3日目ではやくも行くところがない。
出発まえにネットで調べると、旧市内に「田子坊」という名所があることがわかった。
わたしは名所旧跡より路地をのぞいて歩くほうを好むけど、路地くらい田子坊へ行く途中にもあるだろう。
まったく目標なしに漫然と歩くくらいなら、名所でも旧跡でも、目標があったほうがメリハリがあっていいかもしれない。
それに田子坊というのは、租界時代の中国人のゴミゴミした住宅地を、そのままモダーンに改装したところらしいから、路地の親分みたいなところではないか。

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急いでも仕方がないというので、ホテルの朝食をとって、そのあと部屋でごろりとひと眠りして、昼近くになってから出かけた。
前回の旅でわたしがすぐに寝てしまうことを知ったミーハーおばさんは、退屈をまぎらすために文庫本を持参していた。
あとでちらりと見ると、吉田修一著の「悪人」という小説だった。

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田子坊は、いちばん近い「淮海中路駅」からふたつ目の「馬当駅」で乗り換えて、ひとつ目の「打浦橋」という駅で降りればいい。
ちょくせつ歩いたってホテルから2キロもないけど、わたしはとにかく歩きたくないのである。
そのかわり馬当駅からなら田子坊まで、地図を見ると500メートルくらいらしいから、そっちで歩くことにした。

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馬当駅の構内を歩いていると、花束を売っている自動販売機があった。
中国に、それも花の自販機かと、わたしはおおいに感じ入った。
わたしがはじめて中国へ行ったころは、田舎に行ってさえめったに花を見なかったのに、様変わりといえば様変わりである。
本物かしらとミーハーおばさん。
造花にしては高すぎるよとわたし。

外国に行って自動販売機があれば、それはその国の治安がいい証拠である。
わたしは昔ハワイに行ったことがあり、ダイヤモンドヘッドの駐車場で、屋外の自販機を発見してめちゃくちゃ感動した。
しかしそれも落書きだらけで、とっくに壊されていた。
治安の悪い国で屋外に自販機などとんでもない話で、アメリカがいかに治安がよくないかの証明である(ハワイしか行ったことがないからほかのところは知らないけど)。
いずれにしたって自販機は、治安だけではなく、その国の豊かさの証明にもなる。
だれもが豊かになれば、パクられるのを覚悟で、釣り銭ていどの盗みを働く人間はいなくなるからだ。

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地下鉄を降りて地上に出ると、官庁街みたいなやけに広い通りだった(文章で説明するより写真で説明したほうが早い)。
たぶんあっちだろうと広い通りをよたよた行くと、すぐに高速道路の立体交差があった。
中国の信号は変わるのが早すぎて、大きな交差点だと、わたしの足ではいっぺんに渡り切れない。
いったん道路のまん中の安全地帯でひと休みして、信号2回に分けて渡ることになった。
安全地帯で待っていると、すぐ近くで信号無視のアウディが警官に捕まっていた。
警官が、おい、コラというわけでもなく、運転手がワイロを渡して見逃してもらおうとするようすもなかったから、警察の取り締まりも日本と変わらない。

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立体交差をくぐってさらに行くと、広い道路はゆっくりカーブしていたけど、ゴミゴミした路地なんかもとからなかったみたいにすっきりした街並みだ。
このあたりで小さな道路標識を見たけど、まだ田子坊の所在はわからない。
それでも片側1車線のせまい通りに入り込んで、中国が文明的にも進歩した国である証拠をいくつか見た。

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道路清掃車がごろごろと走っていた。
街が汚いというのは、たいてい行政の怠慢や役人の汚職で、しっかりした清掃事業が機能してない場合が多いのだ。
現在の中国では、清掃車がゴミを集め、それがきちんと処理場に運ばれるという公共事業が確立されているようだった。
冗談をいってるわけじゃない。
かっての中国では、だいたいゴミ収集という行政の仕事があったのかどうか、集めたゴミは個人が勝手にそのへんの川に放り投げていたのだ。

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モダーンな美容院もあった。
たまげたことに男が美容師に頭をセットしてもらっていた。
テレビやインターネットのおかげかも知れないけど、ついに中国の若者(男)もそういう時代になったのかと思う
わたしが中国を旅していたころは、街の化粧品屋でトニックやリキッドを求めても、靴ズミの臭いのするヘアクリームしかなかったのである。

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不動産屋屋もあった。
アベックが店のまえでマンションの品定めしていた。
日本人のわたしでさえ、持ち家なんて夢のまた夢なのに。
それにしても、不動産屋が店頭のガラス戸に所有物件の写真をずらりと並べている光景も、往年の日本にあった景色とすこしも変わらない。

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うろうろさまよったあげく、ようやく道路のわきに「田子坊」という石碑を発見した。
なにごとにも先達はあらまほしきものなれである。

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2025年11月23日 (日)

上海Ⅱ/レストラン

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夜食に行く。
この旅では上海蟹を食べる予定だったけど、まだ2日目だから、最初から贅沢するのもはナンだしなあと、あいかわらずプロレタリア意識は抜けない。
このブログを読んでる人も大半は労働者階級だろうからちょうどいいか。

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この晩は「光明村大酒家」というレストランに行くことにした。
どうしてこの店を見つけたのか、ボケぎみのわたしはいまではさっぱり覚えてないけど、たぶん出発まえに錦江飯店の近くのレストランを調べて、SNSにでも載っていた口コミに惹かれたものだろう。
建物の2階にある店で、恋人同士らしい中国人も来ていたし、最近の上海としては可もなく不可もないという、普通よりすこし上等という店だ。
食後の感想をいうと、とくべつ印象に残る店じゃなかった。
といってもマズイというわけじゃない。
中国のレストランで失望することはめったにないので、この店には到着した晩に行った「久久滴水洞」のピリ辛サトイモのような、特に印象に残るものがなかったということである。

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メニューの中から、いつもベジタリアン専門じゃミーハーおばさんに気のドクだから、この夜はまず牛肉料理を注文した。
辛味のきいた牛肉の炒め物で、上に盛大にパクチーが乗っていた。
パクチーは「香菜」といって、匂いの強烈なハーブだから、好き嫌いが分かれるけど、野菜ならたいていのものはOKというわたしは好きである。
中国の場末の食堂街を代表する香りといっていい。

メニューに「土豆」という文字が見えた。
初めて中国の長距離列車に乗ったとき、餐車のメニューにこれがあり、モヤシ炒めでも出てくるかなと思ったら、ジャガイモだったことがある。
野菜には違いないから、これも注文した。
ポテトチップスみたいに薄切りにしたジャガイモに、肉汁がからませてあって、なかなか美味しい。

これだけでは酒のつまみにしかならないから、ご飯モノもというわけで、エビチャーハンを頼んだ。
エビは中国語(簡体字)で“虾”である。
カニは“蟹”で、ザリガニは“龍虾”だから、漢字圏の日本人にはわかりやすい。
もっとも、安いザリガニのつもりで注文すると、高価なロブスターが出てくるかも知れないからご注意。

ほかにデザートとして豆沙小団子というもの、写真で見るとお汁粉みたいだから、それを頼んだ。
デザートは食事のあとに食べるのがフツーだと思っていたけど、これがいちばん最初に来た。
これが中国流だよとわたし。
西洋の流儀が中国でも通じると思うほうがおかしいのだ。

前回の旅で、うっかり酒をグラスのつもりで注文すると、ボトルで出てくることがわかっていたから、わたしは飲み物として紹興酒を頼んだ。
紹興酒なら値段はたかが知れているのである。
この店では8年モノではなく、5年モノだったから、値段も安かった(38元)。
もっといろんなものを食べてみたかったけど、わたしとミーハーおばさんは、ともに小食でならした人だからこれで限界だ。
おかげで2人とも、体型はまあまあ、糖尿その他の成人病もかかえてないのである。

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食事をしながら考えた。
日本の焼酎は中国に輸出できないだろうか。
昼間デパートで見てきた茅台酒は1本が7万円だし、中国の焼酎(白酒)は高すぎて、庶民には手が出ないではないか。
わたしが家で飲むのは1.8リットルが1600円くらいの安い紙パックで、味や度数はともかく、安いというだけで中国でも商機はあるんじゃないか。
じつはわたしは中国における酒類の輸出入の実績についてなにも知らないんだけど、日本の焼酎が売れるものなら、めざとい日本の商社がとっくに輸入していて、中国でもどこかに山積みになっているのかも知れない。
それが早苗ちゃんのおかげで売るに売れず、苦慮しているところかも。
分断と対立の余波はこんなところまで響いているのか。
いったいぜんたい、共産党政府はプロレタリアートのことを本気で心配してるのかと主張すると、ミーハーおばさんはメシが不味くなるという顔をするので、それ以上いわなかった。

つまらないことを考えて食事を終え、この晩の食事はトータルで154元(3千円少々)。
日本人の感覚ではかなり安いけど、中国政府は原価計算をしっかりやって、食堂ごときが大儲けすることを厳に戒めているのかも知れない。
中国の物価は上昇中だから、安心して安い食事を楽しみたいひとは早く行っておくことだ。

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レストランを出て街をぶらつく。
街路樹のプラタナスには小さな電飾灯が取り付けられ、こういうイルミネーションは年末の日本でもおなじみだ。
本屋があった。
若いころのわたしは街で本屋があればかならず顔を出したものだけど、さすがに漢字ばかりの書籍の中国の本屋では、ふいと立ち読みもできない。
街路樹の根もとにはレンタル自転車が停められている。
どうやって借りるのかわからないけど、後輪の泥除けの上にQRコードがついていた。
道路上に描かれた路面標示も日本と同じである。
これは世界共通でもないようだから、メンツにこだわらず、いいものは日本のものでも真似しちまえってことらしい。

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レストランからの帰りに果物屋に寄った。
中国では果物も量り売りの場合が多いし、値段も安いから、気をつけないと買いすぎてしまうことがある。
まだ到着して2日目だから、買いすぎた場合は、部屋に保管しておいてすこしづつ食べればよい。
そう考えて、見たことのない青いフルーツを買い込んだ。
大きさや形は砲弾型のトマトをふた回りくらい大きくした感じで、どんな味がするか見当もつかなかったけど、まあ、果物だからな、わたしのキライなものであるはずがない。
ということであとで部屋でかじってみたら、これはもろにリンゴだった。
まだ未熟のリンゴみたいで、固くて食べにくい。
ミーハーおばさんもいらないというので、けっきょく最終日までに食べきれなかった。

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2025年11月16日 (日)

上海Ⅱ/南京路

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大丸百貨店を出て、ふたたび南京路をぶらぶら。
あちこちで旗をもったガイドさんに先導された、欧米人観光客の団体を見る。
南京路のとっつきにある和平飯店は観光客に人気のスポットで、欧米人の観光客もそのまえで記念写真を撮ったりしている。
欧米人といってもロシア人ばかりじゃないだろうから、ここでは対立と分裂を謀ろうという国際情勢もなんのその、のんびりした平和的な光景が見られるわけだ。
日本が円高になれば、日本の外国人は潮が引くようにいなくなり、上海のほうがオーバーツーリズムに悩むことになるかも。
こちらは入れ物が大きいから日本のように問題になりそうもないけど。

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いったん外灘公園まで行って、黄浦江の対岸にある高層ビル群をながめた。
ぼちぼち夕刻で、高層ビルに夕陽の反射がきれい。
夜になれば、ビルの壁面をモニターにした、まばゆい光のショーが始まるんだけど、年寄り2人ではそんなにのんびりもしていられない。
外灘の景色を見たあとは、また南京路をぶらぶらしながら、今度は人民公園近くのメトロ駅まで歩くことにした。

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南京路というのは、西は静安寺のほうまで通じていて、距離はけっこうあるんだけど、歩行者天国になっているのは、和平飯店のそばから人民公園の近くまでである。
距離にしたら、せいぜい東京駅から銀座通りを新橋駅まで歩くくらいで、この区間にメトロの駅はふたつある。
ひとつは南京東路駅で、もうひとつは人民公園駅だ。
路線はちがっても、どちらに乗っても錦江飯店に帰れるので、この晩は人民公園駅まで歩き、歩行者天国をはじからはじまで完歩してしまうつもりだった。
くたびれたわたしには、つらい行進だったけど、この通りには見るべきものが多いので、退屈はしない。

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歩行者天国を歩いていると、中国の田舎から見物に来たらしいおのぼりさんによく出会う。
そんな人たちが、日本と変わらないファッションの若者たちのあいだで目をパチクリしている。
中国は日本の半分の時間でここまで発展したから、彼らにとって、大都会を歩くのは、はじめて新大陸へ行ったダーウィンのようなものだろう。
見るもの聞くもの、新奇でおどろくことばかりじゃないか。
逆にわたしには彼らが、タイムマシンに乗ってやってきた明治時代の人々のように見える。

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歩行者天国の南京路には、遊園地にあるような観光用のトロッコ列車が運行している。
観光客をかきわけるような人混みの中だから、ぶつけないか心配だけど、スピードは歩行者と変わらないくらいだ。
わたしは乗りたかったけど、どうやって乗るんだ、勝手に乗り込んでいいのか、ひよっとするとスマホが必要なのではないかと躊躇しているうち、とうとう通り過ぎてしまった。
トロッコの横腹に鉄腕アトムの絵が描いてあった。
あれは日本のものねとミーハーおばさん。
アトムは中国では“阿童木”になる。
似たような発音の漢字をあてはめただけだけど、子供という意味の“童”という字が使われているから、うまい当て字といえなくもない。

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あちこちのぞきながら歩いていたら、たい焼きの店があった。
たい焼きは日本発祥のお菓子だけど、2枚の鉄板のあいだにうどん粉とアンコを挟んで、ぎゅっとやるだけでは特許を申請するわけにもいかない。
客は行列していたから、日本の食べ物は中国でも人気があるようだ。
ただし、カレーやスパゲティが人気というのは上海ではあまり聞かないから、やはり日中間は麺文化のほうが通じるようだ。
ソバなら上海には立ち食い店まである。
わたしたちが若くて健全な胃袋を持っていれば、もっといろんなものを食えたはずなのが残念。

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息も絶え絶えに歩いて、ようやく人民公園近くのメトロ駅に着いた。
もう暮れどきで、あたりには灯りが点灯する時刻である。
この日は博物館のあと南京路を行ったり来たりで、老骨にムチ打ってずいぶん歩いたものだと思う。
このあとはメトロの1号線に乗り、ユニクロのある交差点のわきの「陝西南路駅」で下りて、ホテルにもどった。
部屋にたどりつくと、ベッドにころりと倒れ伏し、2時間ほど寝て、そのあと夜の食事に出る。
時刻は20時ごろである。

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2025年11月12日 (水)

上海Ⅱ/大丸百貨店

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博物館でだいぶくたびれたけど、このままホテルにもどって寝たのではミーハーおばさんが納得しそうにない。
まだ時間は午後の4時ごろである。
どうせ浦東新地から地下鉄に乗れば、上海でいちばん大きな繁華街の南京路を通ることになるのだから、そこで下車して南京路をぶらぶらしていくことにした。

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南京路東駅でメトロを降りると、目の前の交差点かどが日系資本の大丸百貨店である。
その前の南京路は終日歩行者天国で、やっぱり人間というのは同類がたくさんいたほうが安心できるらしく、ここはいつでも中国人、欧米人、その他どこのウマの骨かわからない観光客で混雑している。
顔を見ただけではわからないけど、人々のなかには、日本の娘も多数混じっていただろう。
皮肉なことに、なんとか人口の一極集中を避けようとする中国政府の試みも、かっての租界という、中国にとって見せたくない歴史の魅力には勝てないようだ。
南京路のつきあたりが外灘で、租界を象徴する和平飯店の三角屋根も指呼の間に見える。

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交差点の角にある日系の大丸百貨店には、わたしも興味があった。
中国のデパートも日本と変わらないか、変わっているとすれば、どこがどんなふうに変わっているのか。
ファッション用品や家具、電化製品には興味がないけど、興味があるのは地下の食品売り場だ。
日本のデパ地下は、いまや海外からの訪問者もかならず訪れる名所になっているのだ。

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そういうわけで、おばさんと2人でデパ地下を見てまわった。
食料品、とくに海産物や野菜果物は、動物園や植物園を見るようなものだから、ナチュラリストもどきのわたしにはことさら興味があるもので、外国に行くとかならず市場を見てまわるのである。
地下は食料品モールになっていて、立ち食いレストランや、お菓子類の専門店もある。
全体に日本のデパートよりこじんまりしていて、野菜や魚介類の種類は少ないものの、果物の種類は多くて、わたしが名前を知らないものも多かった。
欧米人が見たら、プラスチックの過剰包装だと難癖をつけるくらい、きっちりラッピングされたものばかりだ。

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むかし聞いた話によると、中国では、とくに野菜は、近郊から行商にくる農民に鮮度でとても太刀打ちできないので、デパートも手を出さないと聞いたことがある。
物流網が発達し、若者もどんどん料理に手抜きするようになった現在でも、そんな風潮があるのだろうか。
しかし果物にかぎれば、広い大陸のくまなくから、さまざまな時期にさまざまな種類を集められるのだから、デパートのような規模の大きい店の独壇場だ。
そういうことかしらと疑問を発しておて、とりあえず写真をずらりと並べよう。

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5月に上海に行ったとき、中国の白酒(蒸留酒)の高いのにビックリしたけど、茅台酒などはあいかわらず高かった。
日本のウイスキーが外国で高価だというけど、中国の白酒もそうなんだろうか。
なにか生産を増やせない理由でもあるのかしら。
お米も売っていたのが、目下値上がり騒動の日本人の気をひくかもしれない。
「越光大米」というのはコシヒカリのことだそうだけど、日本で品薄だと思ったらこんなところで売られていたのか。

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食料品以外、大丸デパートはほぼ日本のデパートに準じるもので、中央部はふきぬけになっており、1階には女性向けのファッション用品、らせん状のエスカレーター(スパイラル・エスカレーターというのだそうだ)で階上に行くと、男性服や家電商品、子供のオモチャ売り場などがある。
日本人がとくべつに感心するようなものではないし、わたしも興味はない。

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大丸でべつに買い物をするでもなく、おばさんと2人で南京路の雑踏の中をうろうろする。
そのうちミーハーおばさんが求めるものを発見した。
彼女は日本を出るまえに、いかにもミーハー的な買い物に興味があったらしく、「青稚护手霜」という、ハンドクリームの店が有名だということを調べていた。
ちなみに“护”というのは日本の“護”と言う字の簡体字であるから、「護手」にクリームという意味の“霜”をつければ、手を守るクリームと言う意味になり、ナルホドと納得。
そんなもの、わたしはまるっきり興味がないんだけど、お付き合いと思って、おばさんにくっついたまま店に入ってみた。

店は青色で統一された、女の子がよろこびそうなきれいな店で、おおかたどこかの女性誌か旅行雑誌が取り上げて話題になったものだろう。
肝心のクリームは、メンタムみたいな金属容器に入っていて、蓋にいろんな花の絵や、小さな上海の風景が描いてある。
値段はたいしたことがないから、この街でのお土産にちょうどいいってことらしい。

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おばさんが買い物をしているあいだ、店内に腰をおろして待っていたけど、えらく時間がかかる。
あとで聞いたら、土産の送り先の性別や年齢を聞かれ、包装紙も好きなものを選べるようになっており、箱にきちんとリボンをつけてくれるので、持ち帰るまでにひどく手間がかかるのだそうだ。
そんなサービスは日本でもとっくにやっているし、それが人気のもとなのだろう。
中国がグローバル化して、先進国の売り方を真似したことも間違いないようだ。
おじさんには迷惑でしかないけど。

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じつはあとで田子坊という名所に行ってみたら、そこにも同じ系列のハンドクリーム屋があり、おばさんにいわせるとそっちのほうが、同じ商品でも値段が安かったそうである。
立地がよければショバ代が高い=ショバ代が高ければ商品も高いという、万国不変の法則は中国でもあてはまるようだから、買い物のために中国へ行く娘さんたちはご注意。
お店も田子坊のほうが空いていて、他の客に気兼ねしないで済んだという。

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2025年11月 5日 (水)

上海Ⅱ/博物館

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かって中国に殷という王朝があった。
存在は紀元前17世紀から11世紀というから、キリストよりはるかむかしで、ローマ帝国より古い王朝なのだ。
この殷の時代というのは、青銅器が発達した時代としても知られている。
まだ日本では素焼きの土器しかない昔に、中国では高度な青銅器文明が花開いていたのである。
NHKが1995年に放映した「故宮・至宝が語る中華五千年」という番組に、そのへんの事情がこと細かに説明されていた。
中国に関心のあったわたしはこの番組を録画して、その後デジタル映像に変換し、それはいまでもわたしのパソコンに保存してある。

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1996年に上海で、できたばかりの博物館に出かけたわたしは、殷の青銅器をじっさいに自分の目で見ることが出来た。
芋煮会でもやっていたのかいといいたくなるほどでっかい鼎(釜)で、表面に饕餮 (トウテツ)という想像上の怪獣の紋様が刻まれ、その重厚なデザインは怪獣映画を観ているような迫力だった。
あの感動をもういちどと、今年の5月にまた上海を訪問したら、それはそっくり浦東にできた新しい東館に引越ししてしまっていた。
執拗に犯人を追い求める刑事のように、わたしは殷の青銅器を追って、とうとうこの10月にふたたび上海博物館の東館まで押しかけたのである。

博物館の建物はでかい。
撮影ポイントがいけなかったのだろうけど、超広角レンズを使ったのにフレームに収まりきれないくらい。
でかい割にここにも人影はまばらだった。
しかし欧米人の団体や、中学生の団体も来ていたから、キャパシティが大きすぎるのが原因のようである。
入場料は払った覚えがない。
ミーハーおばさんに外国人特権かななんていい加減なことをいっておいたけど、そもそも博物館はいまどきめずらしい無料の施設だった。

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館内は地下1階から地上4階まであって、無料でもらえるパンフレットによると
地下には入口や、レストラン、喫茶店、医務室などがあり、エスカレーターで1階に上がると、そこが青銅館、彫刻館、2階は玉器、印章館、書法館、絵画館で、3階に陶磁器館、貨幣館、4階は考古学、江南ギャラリー、文物修理保全室などになっていた。
中国語のわからない人のためには、英語や日本語による翻訳機も借りられる(有料)。

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がらんどうのような大空間に、見学者がうろうろしていたものの、どうも以前観た人民公園のわきの旧館に比べると感動がうすい。
原因は2度目ということ以外に、やっぱり容れ物が大きすぎるかららしい。
旧館はもっと小さかったけど、中味が充実していたような気がするから、ようするに密度の問題だな。

わたしは前述のNHKのテレビ番組も観たし、司馬遷の史記を読み込んだせいもあって、中国の歴史にはまあまあ詳しい。
殷の青銅器というのはかくかくしかじかでと、張り切ってミーハーおばさんに説明しようとした。
しかしのれんに腕押しというか、おばさんはあくまでミーハーなのであった。
この点では、最近ディズニーランドと同じ感覚で上海を訪問する日本人娘たちも同類だろう。
見学に来ていた紂王の末裔である中国人だって、殷のことなんか知らないかも知れない。

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歯応えのない青銅器のつぎにわたしが観たかったのが、玉器の部屋である。
中国では玉(ひすい)という鉱物は古代から神聖なものとされ、これを加工した玉璧(ぎょくへき)や(ぎょくえつ)、玉琮(ぎょくそう)などは権力の象徴とされ、ひじょうに価値のあったものとされている。
最初は丸や台形や四角い柱状の抽象的なものが多かったけど、しだいに具体的なもののかたちを刻んだ、手の込んだ彫刻作品に変わっていった。
台湾の故宮博物館には「翠玉(スイギョク)白菜」という作品があり、これは1個のヒスイ(玉)の原石から、そのもとの色を活用して、白菜とその上にとまったバッタまで表現した見事な芸術作品だ。
北京の故宮博物館には「大禹治水図山」という、大勢の土木作業員が山をけずっている場面を、ひとりひとりの人間まで細かく表現した玉彫刻の大作もある。

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わたしが好きなのは白菜や土建現場のような具象的すぎるものより、古い抽象的な作品のほうである。
とくに以前の博物館で見た玉琮には衝撃を受けた。
写真でわかるように、高さが40〜50センチほどのなんでもない四角柱なんだけど、何層にも分かれた表面にこまかい饕餮の紋様が刻まれた、工芸品としてもひじょうに魅力的なものだった。
わたしは特にこれが観たかったんだけど、新しい博物館ではあろうことか、冷遇された政治家のように、肩身がせまそうにはじっこのほうに追いやられていた。
中国政府には見る目のある要人はいないとみえる。

旧博物館で観たときは、帰りに売店に寄ってみたら、これの精巧なレプリカが置いてあった。
偽物ではなく、本物のヒスイを使って本物と同じように作られた、現代の模造品である。
安ければ買いたかったけど、たしか当時の値段で60万円ほどしたから、とてもわたしに手の出せるものではなかった。
いったいあのレプリカは、どこかの成金の家で、タヌキや布袋さまの像とならんで、床の間にでも収まっているのだろうかと、いまでも思うことがある。

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あきらめきれないわたしは、あとでガラクタ市で見つけた、かたちだけ玉琮のようなインチキ商品を600円で買って欲求をまぎらわした。
ガラクタ市では玉璧、玉鉞などはひと山いくらで売られている。
わたしの部屋にはそのいくつかがいまでもあるよ。
せっかく買ってきた玉琮も、そのうち飽きてアパートの部屋から放り出したから、いまでも以前のアパートの前の、グランドのわきあたりに埋もれているかも。
ずっと後世になって、東京の三鷹市周辺にも玉琮文化があったなんて、新聞沙汰にならなければいいが。

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わたしは館内を歩いているだけで、くたびれてしまった。
とちゅうに売店があって、ミーハーおばさんはアイスクリームを買って食べていた。
おばさんが感心したのはこれだけだった。
だいたい考古学なんて、動物園や水族館に比べても、興味のない人にはこれほどおもしろくないものはないだろう。
おばさんが気のドクになって、とうとう青銅器と玉器の展示だけを見て引き上げることにした。

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2025年10月31日 (金)

上海Ⅱ/科学技術館

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2日目は朝から銀行に行くことにした。
じつは中国へ出発のすこしまえに、以前の海外旅行であまった外国紙幣を日本円に換金したことはこのブログに書いたけど、そのさいロシアのルーブルは交換してもらえなかった。
オリンピックに参加させないとか、ロシアのバレエは観せないとか、日本政府もケチなことをするものだけど、中国とロシアの仲は悪くないのだから、中国に行ったついでに、両替、つまりマネーロンダリングをしてみようというのである。

中国銀行もホテルのすぐ隣りにある。
日本の銀行に比べるとだいぶこじんまりした銀行だったけど、ガラスの仕切りの向こうに行員の女の子がいるのは日本と同じ。
でも香港では現金輸送車のガードマンは実弾の入った銃をかかえているぐらいだから、上海でもガラスは防弾ガラスだと思う(叩いてみないからわからない)。
平和な顔をしたじいさんのわたしは何もいわれずルーブルの交換ができた。
持っていたロシアルーブルは2,550ルーブルだから、日本円にすると5千円にもならないくらいで、中国元では・・・・ああ、いくらになるんだ!
インターネットがあれば、そんなものは即座にわかるんだけど、中国ではわたしはWi-Fiが使えないのである。

おおらかなわたしは銀行員を信用して、もらった人民元を数えもせずに、そのままこの日は新しい上海博物館に行くことにした。
上海には人民公園のわきに立派な博物館があるんだけど、5月の訪問のさいに行ってみたら、貴重な文物のほとんどがよそに移転して、展示室がカラっぽになっていた。
帰国してから調べてみたら、それは浦東新地に新しくできた博物館に引っ越ししたという。
で、今回は新しい上海東博物館に行ってみることにしたんだけど、まだわたしは浦東新地というところをじっくり見たことがない。
中国政府が威信をかけた経済特区であり、東方明珠のテレビ塔やおびただしい高層ビルの立ち並ぶ場所だから、ついでにこのあたりを眺めてくれば、またなにか新しい発見があるかも知れない。

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博物館に行くには、メトロでもより駅の「淮海中路」 から、13号線(路線図ではピンク色のライン)で「南京西路」へ出て、2号線(路線図のグリーン)に乗り換え、「上海科技館」という駅で降りればよい。

南京西路駅で乗り換えのためにいったん地上に出てみたら、世界最大というスターバックスの目の前だった。
話のタネに見物してみたかったけど、ミーハーおばさんはコーヒーが好きなくせに、ケチな性分だから、中国に来てスターバックスを見物しても仕方ないわのひとことで却下。
世界最大は無視して博物館へ向かうことにした。

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目的地の上海科技館駅に着いて地上に出ると、なんかやけにだだっ広いところだった。
科技館のあたりは「世紀広場」という大きな公園になっており、駅のすぐとなりに変わったかたちの建物がそびえていて、これが「上海科学技術館」だった。
現在の中国は科学の分野でも見るべきものは多いから、元気なころならわたしも興味を持ったはずだけど、足がへなへななので、とりあえず博物館優先ということにした。
博物館も科技館から数百メートルのところにあって、一部木々に隠れていたけど、建物の写真をプリントして持っていたのですぐにわかった。

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ちょっと意外だったのは、浦東新地に思ったより人影が少ないことである。
浦東新地を象徴する上海タワーや上海環珠金融センターからはだいぶ離れているし、平日の公園なんてそんなものさというなかれ、同じ公園でもかっての租界にある外灘公園なんか、いつ行っても人であふれているのだ。
公園を横切りながら考えた。
どうも人間というのは混雑に親近感をおぼえるものらしい。
ニューヨークやロンドン、パリ、東京にしても、人々が押し寄せるのはたいてい混雑した場所である。
ニューヨークが整然と区劃され、庭に芝生の植った住宅ばかりだったら、そんなところに移民が押し寄せるだろうか。

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旧市街(租界)の混雑を緩和させようとした中国政府のもくろみは成功したかも知れないけど、正直いって、わたしはこういう無機質な場所がキライである。
建物はコンクリートとガラス張りで、近代的なデザインであるものの、どうにも人間らしさに欠ける。
人間の生活らしきものを発見したのは、博物館の近くで話しかけてきたタクシー運転手ぐらいだった。
ダンナ、タクシーは要りませんかと、つまりつけ待ちをしていた運転手が客引きをしていたのだ。
ここなら帰りのタクシーを捕まえるのは容易であるようだった。

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2025年10月28日 (火)

上海Ⅱ/鈴掛の道

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YouTubeなんぞ観ていると、最近では上海へ、ディズニーランドのような気楽さで出かけてしまう若い娘も多いようだ。
うらやましいのは彼女らがSIMカードや、スマホのアプリなどを使いこなして、いまや日本より進んでいるかも知れない電子決済サービスを活用していることだ。
年寄りのわたしは無抵抗主義で、そういう作業はハナっからあきらめていたから、すべてを現金で押し通した。
日本のSUICAのような交通カードは使ったけど、これもリニア駅で現金で購入したのである。
それでもべつに問題はなかったから、自分も中国に行ってみたいというじいさんも恐れることはないゾ。

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前回は飛行機の真ん中へんに押し込められて、着陸時の景色がぜんぜん見えなかったから、今回はしっかり窓際の席をとって、上海を、ユーラシア大陸の一片を、たっぷり眺めることができた。
といっても文章で説明したのでは、見せるほうも読まされるほうも手間がかかって仕方がない。
で、本を読まない昨今の若者のために、着陸寸前の上海空港近くの写真をぞろりと並べる。
これがかっては何もない田園地帯だった浦東新地の現在のようすで、海岸のきわから、高層の団地がそびえているのがわかるだろう。

前回と同じく空港からリニアに乗った。
終点の龍陽路駅で降りたのもいっしょ、浦東平野にそびえる団地群に、ミーハーおばさんがため息をついたのもいっしょ。
そう、今回もミーハーおばさんがいっしょなのだ。
介護ヘルパーさんがいないと、わたしの足はいつへなへなになるかわからないのである。

タクシー乗り場では運転手が現金かと聞く。
そうだと答えると、100元だけどいいかという。
OKすると、メーターを入れずに走り出した。
こういうのは稼ぎを会社に納めず、自分のふところに入れようというのである。
悪いやつだけど、こっちには関係ないし、100元で行けるなら安い。

土地のだだっ広いところだから、南浦大橋を渡るあたりで渋滞はあったものの、ほぼ順調にタワーの錦江飯店に着いた。
100元以上請求されたら文句をいうつもりで手ぐすね引いていたけど、運転手はそれ以上請求してこなかった。

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ホテルでは欧米人の団体が多いのにおどろいたくらいで、チェックインの手続きも問題なく済んだ。
わたしたちの部屋は2104号室で、これは42階まであるタワーの21階ということ。
前回は旧館の、それも南館というはなれの部屋で、せいぜい5階だったから、今回はどんな景色を天上から眺められるのか、そんな期待はあった。

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部屋は可もなく不可もなくといった調子だけど、これはデラックスホテルとしてはという但し書きつきの評価で、貧乏人のわたしには贅沢すぎるくらい。
中国人のやることだから欠陥もあって、ウォシュレットの水が出ないので、お尻は紙で拭くしかなかった。
窓から眺めると東方明珠のテレビ塔が遠くに見えたから、部屋は東に面していることになる。
眼下にはグリーンのタータンらしい学校の校庭があって、生徒たちが運動をしているのが見える。

到着した日はホテル内と周辺の探索だけをすることにした。
ホテルの最上階は回転する展望レストランであるものの、贅沢な雰囲気なので、プロレタリア階層のわたしたちはいちども入ってみなかった。
地下鉄さえあればどこにでも行く自信のあるわたしには、メトロの駅が生命線だけど、「淮海中路駅」というのがホテルのすぐ隣りにあって便利。
前回泊まった旧館とタワーの新館はそれほど離れているわけではないから、駅以外は前回見たのと変わらない景色ばかりである。
部屋から見下ろすと、すぐ近所に赤い屋根瓦のびっしり建て込んだ旧弊な住宅街があるのがわかったから、その中をのぞいてみたいと思ったけど、塀に囲まれていて、部外者は立ち入りできないようだった。

街路樹はプラタナス(スズカケ)である。
これも紅葉するのかしらとミーハーおばさんが聞く。
黄葉はするけど、たいていはそのまえに茶色になって落葉するよとわたし。
そういえば足もとに枯れた葉が落ちていて、そろそろ落葉が始まっていた。
「鈴懸の道」という歌謡曲、あとで鈴木章治に編曲された日本のジャズ・ナンバーがあったことを思い出す。
夢は帰るよスズカケの道かぁー。
ガサゴソと枯葉を踏んで思うのは、今度こそ、今度こそ最後になるかも知れない上海の街のことである。

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この晩はまえに書いたように、食い倒れの上海に来て、「久久滴水洞」という店のピリ辛サトイモを食いに行った。
サトイモのほかには、揚げた茄子料理、ピリ辛の空心菜、そしてトマトだから菜食主義者の食事みたいなもので、これにエルディンガーというドイツ産の黒ビールをあわせると、辛い料理が多いからなかなかいける。
前回の旅で顔馴染みになったお姉さんが働いていて、わたしがトマトに砂糖ではなく塩だよと念を押すと、5カ月前に会ったわたしのことを思い出したようだった。
あのときわたしは出発まえに顔にケガをして、盛大にガーゼをつけていたものである。

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2025年10月26日 (日)

上海Ⅱ/秋の上海

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10月末の上海は、暑からず寒からずの絶好の旅行日和。
もちろん上海を熟知しているわたしが決めたスケジュールだから当然だけど、5日間、雲の多い日はあったものの、おおむね晴天が続いた。
わたしの旅は、今回もかってのフランス租界にある錦江飯店で、前回と違うのは、レトロな旧館がいいというわたしと、別のホテルに泊まりたいというミーハーおばさんのガチンコ勝負。
いつもわがままばかりいってる手前、今回はおばさんの希望を入れて、タワーになってる新館に泊まることにした。

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新館に行ってたまげたのは、客層の違いというか、むかしオーバーブッキングでエコノミーからビジネスクラスに席替えになり、そのあまりに露骨なサービスの違いに仰天したことのあるわたしが、あまりの違いにまたしてもびっくりこいた。
玄関にはけしからんドアボーイがいて(なんでケシカランかはあとで書く)、そこへつぎからつぎへと観光バスが到着し、欧米人の団体客をはきだし、ピカピカの1階フロアにはつねに彼らがあふれていて、さすがは伝統と格式のあるホテルだなと思わせられた。

ミーハーおばさんは満足そうだし、わたしも考えを改めないわけにはいかなかった。
人間相応の歳になると、やっぱり若いころのような貧乏旅行より、豪華なホテルのほうがよくなるものらしい。
しかし贅沢にどっぶりつかったとしても、わたしはいつものモーム流旅行から逸脱するつもりはなかった。
まあ、そのへんはおいおいと。

ホテルのまわりはプラタナスの並木で、歩いている人間は上等から下等までごちゃまぜだけど、それがいかにも中国らしい。
飛行機のなかで中国語のアナウンスを聞くと、それだけでなつかしい故郷に帰ってきたような気がするように、この雑踏のなかに紛れ込むと、わたしは不思議なノスタルジーにとらわれる。
日本生まれで日本育ちのわたしには、原因がわからない。
それでもこういう街の思い出をあの世に持っていけるのは幸せだと思う。

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上海に着いて最初の晩は、わたしを魅了した「久久滴水洞」のピリ辛サトイモを食べに行くことにした。
おいおい、食の都、食い倒れの上海に来て、サトイモの煮っころがしかいという人がいるかも知れない。
今回はいまの季節の旬である上海蟹も食う予定で、それはあとで出てくるけど、とりあえずわたしは前回の旅でやみつきになったピリ辛のサトイモが食いたかったのだ。

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2025年8月 1日 (金)

女の上海

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わたしは5月に上海に行ってきたばかりだけど、なにせ中国びいきのわたしのことだから、内容はあまり信用できないという人がいるかも知れない。
そういう人のために、YouTubeで見つけたチャンネルを3つばかり紹介しよう。
じつはYouTubeで“上海”を検索すると、こんなにあるのかというくらい、女の子のひとり、もしくはふたりの上海旅行が見つかる。
わたしが心配するまでもなく、上海は元気いっぱいの若い娘たちにとって、とっくにディズニーランド扱いになっているようだ。

ここではそんな中から
「SAMIちゃんねる」
「しいの動画」
「草刈さんはお得に旅したい」
という三つの番組を紹介してみる。
これらのチャンネルは日本人の女の子が上海を紹介するもので、最初からYouTubeに載せるつもりだったらしく、動く映像で現在の上海を紹介しているから、興味のある人はドーゾ。

彼女たちのほとんどが自分でホテルを選んだ格安ツアーらしい。
こうしたことから、現在の上海ではホテルの選択肢も多様かつ豊富であることがわかる。
ただ若い娘だと、どうしても行ってみたいところが、美味しいレストランやスィーツの店にかたよって、年寄りにはあまり参考になりそうもない。
若い娘たちは中国語はわからなくても、そういう情報だけは熱心に調べるようだ。

若いということはうらやましいことである。
中国もいまではさまざまな機能つきのスマホが大流行りで、ここに登場した女の子たちもスマホ決済など自由自在で、わたしみたいなアナログじいさんとは雲泥の差がある。
問題があるとすれば、彼女たちはまだ若いから、中国の歴史や政治はサッパリで、そのへんのテーマパークへ行くような気やすさで飛び込んじゃうことである。
でもそれでいいのかも知れない。
中国のほうでも新人類が増えて、いまさら過去のいきさつにゴタゴタいう人もいないからだ。

わたしと同じ世代のために付け加えると、かりにスマホに不慣れだったとしても、いざとなれば大半の用事は現金でもOK。
買い物さえQRコードで、アプリがなければダメと思ってる人がいるかも知れないけど、そんなものはぜんぜん使わず、現金で押し通したわたしがいる。
レンタサイクルや、アプリを使わないと呼べない(らしい)タクシーなど、年寄りには難しい問題もあることはあるけど、親切な市民が多いからどんどん尋ねてみたらいい。
中国語がわからん?
あちらでは日本以上に翻訳アプリの入ったスマホが大流行りだよ。

調べようと思えば、このネット社会で、上海について知るのはそんなにむずかしいことじゃない。
にもかかわらず、いまだに中国は不景気である、そのうち崩壊すると固く信じている人がいる。
YouTube上には男のひとり旅というチャンネルもたくさんあるんだけど、どうも最初からネット配信で儲けようというつもりで、世間にウケのいい映像を作りたがる輩も多いようだ。
街のあちこちに監視カメラが多いのが気に入らないというものがあった。
そんなものは日本にもたくさんあるし、これがあるからこそ治安が保たれ、若い娘でも安心して街を歩けるんじゃないか。

むかしの上海には雲助タクシーが多かった。
悪質タクシーに手を焼いた中国政府は、違法行為1回で免許取り消しという厳しい処分を科すことで、これを一掃した。
アプリ配車が主流では違法もやりにくいということもあるけど、現在の上海では若い娘やおのぼりさんでも安心してタクシーを利用できるのである。
ココログでもっぱら経済の分野から中国にいちゃもんをいってるイヴァン・ウィルさんも、現在の中国に行ってみれば、その変わりように仰天するのではないか。

上記のチャンネルの女の子たちは、無邪気で、下心を持ち合わせず、ただ先輩として上海を紹介しているのがいい。
そのうち上海は、台湾ほど遠くなく、韓国ほどぼったくりにも合わない、若い娘でも安全という、いまの欧米人が見る日本と同じような都市になるだろう。
ということを書いていたら、今日はまた蘇州で日本人の母子が殴られたという報道があった。
ま、最近の暑さじゃおかしな人も出てくるだろう。
交通事故に遭う可能性を皆無にできないように、だからどうしろといわれても困るんだけど、安全を証明するために、わたしみたいなじいさんがもういちど中国に行ってくるしかないかねえ。

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