旅から旅へ

2020年12月 3日 (木)

地中海/ジブラルタル

ポール・セローの「大地中海旅行」はジブラルタルからスタートする。
芭蕉に同行した曽良のように、わたしも彼にくっついて行こう。

ジブラルタルは小さい国だという。
小さいというのはどのくらい小さいのか。
文章でこう書かれても、たとえばポルトガルだって小さい国だし、香港やマルタ島も小さかったから、部外者には見当がつけにくい。
タブレットで調べてみた。
なんと6.8平方キロだそうだ。
わたしが住んでいる東久留米市だって12平方キロあるから、その半分だ。

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地図を見てみよう。
縦にほそ長い国だけど、長いほうのはじからはじまでが5キロぐらいだ。
そしてまん中にどかんと岩山がそびえている。
海の上からながめるとこんな感じ。

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写真をもっと見てみよう。
これがジブラルタルの全景であり、岩山のすぐ近くに飛行場の滑走路がある。
滑走路のてまえはもう、すぐにスペインとの国境だ。
空港は、セローが紀行記を書いた時点ではまだなかった。
扱った輸送量のグラフに2008年以前のものがないから、空港がオープンしたのはそのころらしい。
ちなみにこの空港はヨーロッパでいちばん危険な空港といわれているという。

英国の海外領土であるジブラルタルは、将来はスペインに返還されることになっているそうである。
こういう点では香港に似ているけど、ただし2020年現在まだ返還されたって話はないみたい。
スペインは独裁者のフランコに統治された期間が長かったから、セローにいわせると、ジブラルタルも香港も独裁国家の下にあったということになる。
そのためかどうか、香港人と同じように、ジブラルタル人は変な誇りのようなものを持っていて、スペインを馬鹿にし、できることならいつまでも英連邦のままであってほしいと望んでいるらしい。
かっての香港も、ちょっと離れたまわりの中国の町や村とは別世界だった。
ジブラルタルも、セローがこのあと訪ねるスペインやイタリアの寒村とはあきらかに違っているから、ちょいと出世すると他人と差をつけたがる人間の習性は変わってないようだ。

香港の場合は最初から返還期限が決まっていて、約束どおりに99年後に中国に返還された。
中国はじっと我慢して、正式の手続きのもとに返してもらったわけだけど、ジブラルタルの場合は、どうも返還期限が曖昧だったようで、いまでもスペインは返せ返せというのに、英国はまあまああでごまかしているらしい。

このへんの事情を知ろうと、セローはジブラルタルの前首席閣僚であるエライさんを呼び出す。
呼び出すというとイバっているように聞こえるけど、じっさいに世界的作家であるポール・セローのほうが、ジブラルタルごときの首席より偉そうである。

前首席閣僚との会話のなかに「ユトレヒト条約」という言葉が出てきた。
日本人のわたしは、とうぜん知らなかった。
なんだっけ? マーストリヒト条約ってのもあったけど。
またタブレットで調べてみた。
マーストリヒト条約のほうはいまのEUにつながるもので、発効したのが1993年というからまだ最近だけど、ユトレヒトのほうは300年もまえの条約で、スペインの奴隷売買に英国も加わらせろとかいうものらしい。
どうもろくなものではないようだけど、こんな古びた条約がいまでも存続していることにおどろく。

『そばに丘のある町ではたいていそうだが、ジブラルタルも上に行くほど家の造りが豪華になり、ケーブルカーでのぼっていくと、プールや温泉風呂、泡風呂をそなえた贅沢な家のそばを通りすぎた』
これはセローの本からの抜粋だけど、なんだか香港のビクトリア・パークに登っていくケーブルカーの描写みたいである。

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具体的にジブラルタルの景色を見てみよう。
これはグーグルのストリートビューで見たジブラルタルだ。
町のまん中に、ヘラクレスの柱と称される岩山がそびえていて、これは威圧的に町のどこからでも見える。

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左側の建物は空港の附属施設らしい。

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つぎの写真はジブラルタルでいちばんひらけた場所あたりだけど、いちばんでこの程度というのがカナシイ。

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これはジブラルタルのレンタカーで、半島の南端をまわりこんだあたりから見た岩山。

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岩山の上まで道路が通じており、最初は登っていく途中の景色で、路傍にサルがいるのが見える。
つぎは山頂の展望台で、歩いていくとだいぶくたびれるけど、景色はこんな感じ。

ジブラルタルはヨーロッパからアフリカが見えるという地理上の特異点があるだけで、観光客にはつまらないところである。
産業のないところだからめぼしい土産ものもないし、夜遊びに行くような歓楽街もなく、英国の領地にあまんじているということは、おいしいレストランもないに決まっている。
セローの本には、これからジブラルタルで中国料理のレストランを開くというウォンさんが出てくるけど、この店がいまでもあったとしても、まわりに競合するようなレストランのないところでは、味はどんどん下落するものだ。
セローのあとにくっついていくわたしにも、カリマンタン(ボルネオ)のバンジェルマシンや、タイのチェンマイのほうがよっぽどマシなところである。

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ジブラルタルの岩山にはニホンザルによく似たバーバリーマカクというサルがいる。
サルなんてみんな似てるだろうというのは認識不足で、ニホンザルに似たサルというのは世界的に見てもけっして多くない。

このサルについては、以前NHKの「ワイルドライフ」という番組で取り上げられていて、変わった習性をもつと解説があった。
なにが変わっているかというと、グループで生活する動物というのは、ふつういちばん強いオスがメスを独占することが多いのに、このサルは例外的に平和を維持する方法をこころえているのだそうだ。
その方法というのがフリーセックスで、メスはどんなオスでも受け入れる平等の精神をもっているという。
これはわたしのブログの格好のネタだというわけで、わたしは2017年の3月に、このサルについて書いたことがある。

セローはこのサルと人間を見比べて、サルのほうがマナーがいいなと、冒頭から人間たちに皮肉をちくりちくり。
彼のこういう性向は、世間の常識にいちゃもんばかりつけているわたしとよく似ているから、わたしがこの本をおもしろがるのも不思議じゃない。

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2020年10月14日 (水)

時代遅れ

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中国人の知り合いから送られてきた写真の2。
今度はモンゴルや、ロシア、カザフスタンとの国境に近い、新疆ウイグル自治区のカナス湖のあたりだそうだ。
最近はコロナの影響で、日本人の中国への旅行も不活性化しているようだけど、新疆といえばシルクロードで、かっては日本人にひじょうに人気のあるところだった。
しかしウルムチ、トルファン、カシュガルといったところは、わたしでさえ行ってきたくらいだから、いささかマンネリぎみ。
しかしカナス湖があるのは新疆の北のはずれで、日本人にはまだあまり知られていない新しい観光ポイントである。

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写真でわかるようにこのあたりは、カラマツやシラカバのような樹木の黄葉が美しいところで、ネットを検索すると、ほかにもたくさんの写真や映像が見つかる。
そんな映像のなかには台湾の旅行社の勧誘ビデオもあって、すでに北疆をツアーに組み込んでいるところもあるらしい。
同じ場所から撮った写真もたくさんあるから、ツアーの定番コースというのがあるようだ。
知り合いもそんなツアーに参加したという。
コロナのせいでいつになっても展望が見通せない日本旅行をあきらめて、中国国内の旅行に切り替えたらしい。

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このあたりで大きな都市はカラマイで、写真で見ると、いままさに怒涛の開発・発展を続けているところのようだ。
丸いあぶくみたいなのは、石油成金のこの都市にある、石油の泡をモチーフにしたオブジェで、ツアーに参加するとそういうものの見学が含まれるらしい。
つまんないものを見せてと、知り合いもぼやいていたけどけ、できたばかりの新興都市なんか見せられてよろこぶ観光客はおらんよ。

知り合いにカメラはなにを使っているかと聞いたら、キャノンのPowerShot SX60HSだと答えた。
レンズは21
mmから1365mmのズームだというから、135mmの間違いだろうと思ったら・・・・
あるんだねえ、じっさいに65倍ズームってのが。
最近カメラの新製品に興味がないから知らなかったけど、おそろしい時代になったものだ。
もっとも1365
mmの大半がデジタルズームなら、驚くほどのことはないけれど。
と思ったら、これは全部光学ズームだそうだ。オイオイ。
いかにわたしが時代遅れであるかをしみじみ知ったよ。

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2020年10月 8日 (木)

モン・サン・ミッシェル

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雨に降り込められて徹底的にひきこもり。
しようがないから風呂にでも入るかと思ったけど、昼間から風呂だなんて小原庄助さんみたいでみっともない。
フランスにでも行くか。
フランスに行くならモン・サン・ミッシェルだな。
話がでっかいけど、もちろん年金暮らしのじいさんが現実の旅をしようってわけじゃない。
録画しておいた「2時間でまわるモン・サン・ミッシェル」という番組、これがこのフランスの古城を見てまわるという番組の決定版で、それこそ微に入り細をうがつという具合に、観光客の目線で城を案内してくれるのだ。

これならお金は1円もかからない。
テレビで見たってつまらねえという人は、どしどし現地へ行ってもらってかまわない。
そういう人がお金を落とせば、フランス政府もよろこぶ。
わたしの場合、想像力が人一倍発達しているので、バーチャル旅行でそれなり楽しめるのだ。
モン・サン・ミッシェルは山登りみたいなものだけど、テレビっ見るかぎりぜんぜんくたびれないってのもいい。
歳をとってからは、自分のこういう性格を親に感謝してるよ。

部屋でだらしなくくつろぎながらこれを見ていたら、観光客のなかに極東系のアジア人もたくさんいることに気がついた。
ひと昔まえなら、こういうのは日本人か、でなければ韓国人だったけど、現在は中国人の可能性も高い。
世界は平和で、人々はますます豊かになってんだねえと、思考は地球規模で飛翔してしまうのだ。

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2020年10月 7日 (水)

そっと教える

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中国の知り合いが写真をどさどさ送ってきた。
相手は先日、新疆ウイグル自治区にある安集海大峡谷というところへ行ってきたばかりだそうだ。
わたしか自然科学や旅行に興味があることを知って送ってきたようだけど、これを見てひとつの展望が開けてきた。
もったいないので他人に話したくないけど、このブログを読んでいる人たちにだけ、そっと教えてしまう。

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中国にはまだあまり紹介されてない秘境や絶景がたくさんある。
NHKあたりが頑張ってはいるけど、たとえば3番目の写真。
これは青海省にある日月山という山だけど、この写真を撮った場所までは、車で簡単に行ける。
しかしながら、この山に登ったという記録や映像を見たことがない。
なだらかな裾野がそのまま山頂にまで続いているような山容なので、あるていどまではプロでなくても登れそうな感じ。
じっさいには富士山よりもずっと高い山なので、なめてかかると危険だけど、だれか挑戦する人はいないか。

挑戦して、映像を YouTube に上げる。
下らないバラエティもどきや、裸を売り物にするより、よっぽどアクセスを稼げるだろう。
知られていない中国を紹介するというシリーズを作れば、アフリカや南米より経費もかからないし、あなたももう
YouTube 成金だ。
わたしのいうひとつの展望というのはこういうことなんだけどね。

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2020年8月 5日 (水)

橋立鍾乳洞

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列車でもバスでも船でもそうだけど、自分はどっかと椅子に座り、景色のほうが流れていくという状態が好きである。
むかしシルクロードを旅したときは、長距離列車にいすわって、それこそ6時間でも12時間でも飽きずに景色を眺めていた。
ときどき別の乗客がやってきて、日本人とわかるとうるさく話しかけてくる。
せっかく景色を楽しんでいるのに、クソがあと思ったものである。

最近はひきこもりが多く、精神的にも内向するばかりだから、昨日はひさしぶりに西武線で秩父まで往復してきた。
もよりの駅から秩父まで片道
780円なので、リフレッシュするための費用だと思えば高くない。
とちゅうに景色のいいところがあったら、気のむくままに下車して散策してもいいんだけど、この沿線に詳しくないので、乗り鉄、もしくは撮り鉄専門で終わっても、部屋にいるよりは気分転換になるはず。

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というつもりで出かけたものの、やはりぜんぜん目的がないのもつまらない。
調べてみたら、秩父からすこし先にに浦山ダムというものがあり、その近くに鍾乳洞があるという。
ついでに歩くていどなら問題ない距離らしいので、そこへ行ってみることにした。

秩父市内で秩父線に乗り換え、浦山口というローカル色いっぱいの駅で列車を降りる。
秩父は
34ケ所の札所めぐりでも知られているところだから、この近くにもいくつかの札所があるらしかったけど、この駅から歩き出したのはわたしひとりだ。
これならステキに孤独な山歩きが楽しめるかもしれない。

集落をはずれると墓地があって、お墓分譲中の看板が出ていた。
墓なんか欲しいと思ってないくせに、あたりの環境が静かな点が気にいって、こういうところに葬られるなら悪くないと思う。

墓地を過ぎるとほんとうにひとりぼっちの林道歩きになる。
右下に渓流が流れているのが見える。
そういえば駅を出てすぐに◯◯キャンプ場という看板も出ていたから、休日ならこのあたりは混雑するのかも。
しかし平日では人っこひとりいるでもなし、鍾乳洞までは近いらしいけど、このようすじゃ飲み物の自動販売機もないかもしれない。
水筒も用意してないからしくじったかなと思った。

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しかしまもなく車も通れる道路に出て、なんと道ばたに、営業中というカフェの看板まで出ていた。
到着してわかったけど、目的地は秩父
28番札所の「石龍山橋立堂」というお堂になっていて、平日でも参拝者がけっこう多く、茶屋やカフェまであるところだった。
お堂の背後は見上げるような絶壁になっていて、なかなかご利益がありそうである。
鍾乳洞にも入ってみたけど、ただのせまい洞窟で、天井からぶら下がった石筍もあるわけでなし、腰をまげて登ったり降りたりするのは、運動不足のじいさんにはちと辛かった。

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洞内の撮影は禁止である。
ここに載せたのは、たまたまつまづいて、ショックでシャッターが切れてしまったのだと言い訳しておく。
幸いなことにストロボは点灯しない設定にしてあったから、光をきらう生き物に影響はないと思う。
よい子のみなさんは、むやみにつまづいてはいけませんですよ。

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腹が減っていたので、堂のまえの広場にある茶屋で手打ちソバを食った。
店は古民家のような建物で、ススぼけた茅葺きの天井を、内側から見上げられるユニークな造りだった。
客もけっこういたけど、車で来られるのだから、歩いてきたのはヒマ人のわたしだけのようだった。
お堂のまえにはほかにも数軒の茶屋があり、なかには「JURIN`s GEO」という、名物コーヒーや、美味しそうなアイスクリームを出す店もある。

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ふたたびローカル線の駅にもどる。
列車は1時間に1本だから注意すること。
最後の写真はローカル線駅のすぐ裏にあった祠で、最新こんなふうに鳥居のならんだ景色は外国人に人気があるのだから、もうちっと手入れをすればいいのにと思う。

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2020年7月15日 (水)

旅へのあこがれ

ロシア人美人ユーチューバーの安凉奈(アリョーナ )さんが、山梨や栃木のほうへひとり旅をして、えらく感動していた。
彼女のなかでは、旅先の風物の美しさもさることながら、若い娘がひとりで安全に旅ができるという、日本の治安のよさに感動する部分もあるようだ。
旅好きな女の子にとって、日本はほんとにうれしい奇跡の国だよな。

ところで、わたしのブログを振り返ってみたら、最近は「旅から旅へ」というカテゴリーに属する話題がとんとないねえ。
そりゃ仕事をリタイアして年金暮らしのじいさんが、旅ばかりってわけにはいかんけど、それでもまだ温泉旅行に行くくらいの予算はとってあるのだ。

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目下西武線沿線の案内をながめて思案投げ首。
これまでは中央線や京王線の沿線に住んでいたから、奥多摩や高尾山なんかにはわりあい縁があったものの、秩父方面というと記憶に残るのは、死んだら散骨してくれという知り合いと飯能に行ったこと、それ以前には秩父のシバザクラを見に行ったこと、さらにさかのぼれば、もと同僚の山登り仲間と西吾野の高山不動に行ったことぐらいだ。
もっともっとさかのぼれば、むかし四駆のジムニーに乗っていたころ、奥多摩、奥秩父をぜんぶ踏破してやるといういきごみで、秩父方面にも来たこともあるはずだけど、それは車だったし、記憶が混乱してかえってあやふやだ。

現在の住まいは西武線の沿線といっていいところなので、ひとつ秩父方面へ列車で日帰り旅行をしてみるか。
ただし、ここんところ天気がイマイチだ。
はやく梅雨が終わって、平日に鈍行でふらりと出かけ、気に入ったところでぽいと列車を下りる。
そんな旅がしてみたい。
まだまだあの世に持っていく思い出を、ため込む時間は残っているはずだ。

添付した写真は高山不動にて、わたしのもと同僚のひとり。

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2020年2月16日 (日)

中国の娘

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この子はだーれ、だれでしょね。
なんなんなつめの花の下・・・・

いつのまにかわたしのもうひとつのブログが見られなくなっちゃって、原因は最近絶不調の孫正義サンが、ヤフーのブログを廃止しちゃったせいだけど、ま、そちらに載せていた中国紀行記はもう役割を終えたようなもので、最近はぜんぜん更新をしてないから、わたしもあまり未練はない。
でもそちらの紀行記に載せていた、たとえばこの女の子の写真が見られなくなるのは悲しい(でしょ・・・・ ですといって!)。

仕事をリタイヤしたすぐあと、ブログのひとつが整理だなんて、これもなにかの縁かもしれないから、今度は現在進行形のこっちのブログで、たまに中国の思い出をなぞっていくことにする。
わたしの人生に、もし輝いた瞬間があるとしたら、若いころの中国の旅しかないのだから。

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ところでこの女の子は、中国の西域、新彊ウイグル自治区にあるクチャという街で、遺跡の説明係をしていた漢族の娘だ。
遺跡というのは砂漠のまん中にあるキジル千仏洞のことで、漢族というのはいま世界中からきらわれているきっすいの中国人のこと。
漢族の娘がどうしてこんな辺境で仕事してんのとおどろいたけど、出身地を尋ねたら、なんと東北の黒竜江省(かっての満州)だというので、さらにおどろいた。

その後、だんだんにわかってくるけど、新疆で働く漢族の数はひじょうに多い。
これは占領した土地に自国民を送り込んで、占領を確固たるものにしようという国の方針かもしれず、だとしたら侵略だなんて騒ぐ人がいるかもしれないけれど、列車のなかでは逆に、北京に出稼ぎに行ってきたというウイグル人の踊り子に出会ったこともある。
わたしは大陸の人たちの行動範囲の広さに、どぎもを抜かれたというのが正直なところだった。

思い出をなぞるといっても、そのままでは内容がいちど書いたものと重複してしまうだけだから、可能なかぎり、わたしが行った土地の現在の状況を交えよう。
わたしがクチャという街に行ったのは西暦2000年のことだから、それからすでに20年が経過した。
発展いちじるしい中国のこと、新疆も大幅に景色が変わったのではないか。

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気になるのは、わたしがクチャを訪問したあと、2007年に新疆でウイグル人の大規模な暴動があったこと。
あの娘もゴタゴタにまきこまれて、首でも切断されていやしないかと心配になり、その後のキジル千仏洞について調べてみた。
ネットで見つけたこの写真は
2010815日のもので、日本人の坊さんをまじえて、ウイグル人たちも笑顔を浮かべているから、それほどひどい事件はなかったようだ。
安心して、ときどき思い出をなぞることにする。

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2020年2月12日 (水)

田舎の京劇

コロナのおかげで自室に幽囚状態の、中国人の知り合いが不憫である。
そこでヒマつぶしに観たらどうだと、わたしの知っている中国映画を何本か紹介してやった。
中国ではわりあい気前よくネットで映画が観られ、紹介した映画もほとんどネットで公開されているのである。
日本からでも観られるけど、日本語の字幕はついてないから、それなりの覚悟は必要だ。

中国人に中国の映画を紹介するってのもいい根性である。
じつはわたしがいかに中国映画にも造詣が深いかという、わたしの知識をひけらかす意味もあったというのが本音。

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そんな一本に、陳凱歌監督の「覇王別姫(ハオウベッキ)」があった。
ついでというかなんというか、わたしの中国旅行をつづったヤフー・ブログが、孫正義サンの都合で勝手に終了して見られなくなってしまったので、公開できずにいたちょっと変わった写真も紹介してしまおうと思う。

「覇王別姫」が製作されたのは1993年で、これは改革開放政策が軌道に乗ったころだ。
ということは、わたしが中国へ通い始めたばかりのころである。
映画は3時間ちかい大作で、傑作といっていいものだけど、内容は男同士の愛情(友情ではない)を描いたものなので、そういう世界に興味のないわたしにはなんとも批評しにくい映画だ。
最近、世間ではこういうのもブームらしくって、いつだったか、夜中にテレビを点けたら、NHKでも男同士が濃厚なキッスシーンを繰り広げていた。
え、おい、天下の公器が。

映画のはじめのほうに指が6本ある男の子が出てくる。
めずらしくない。
むかし、わたしが乗った香港のタクシー運転手にもそういう人がいた。
公害や枯葉剤の影響かもしれないけど、戦乱や内乱に明け暮れた中国では、彼もまたあたふたと大陸を脱出するのに忙しく、手術する機会もないまま大人になってしまったのだろう。

じつは日本でも病院で出産があると、医師はまず新生児の指の数をかぞえるそうである。
余計な指や、お尻に尻尾がはえていた場合、生まれてすぐに切断してしまうから公けにならないだけで、そういう子供は一定数いるらしい。

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映画の話にもどるけど、この男の子は母親によぶんな指を切断されたあと、京劇の劇団に役者のたまごとして売られてしまう。
いまでこそ役者といえば花形だけど、当時の中国では食い扶持を減らすための方便にしかすぎず、同じような悲惨な境遇の子供を描いた映画では、「變臉 この櫂に手をそえて」という秀作があった。
今はそんなことはないと思うけど、こういう映画で過去にさかのぼってみるかぎり、芸をしこまれる子供の境遇は、サルやイヌとたいして変わらなかったようだ。

わたしは上海で雑技団のサーカスを見たことがある。
小さな子供が椅子を
7つも8つも重ねたうえで逆立ちするのに度肝を抜かれたけど、あれも、できなきゃ晩メシは食わせないという、非人間的な訓練のたまものだったかもしれない。
そういう子供が日本の、ピアノやバレエを習わせられるような、幸せな家庭の子供だったとは思えないのである。

1999年にわたしが鄭州という街に行ったとき、郊外で野原に天幕をはったお粗末な京劇の舞台を見た。
めずらしい写真というのはこれで、日本の田舎芝居みたいにおおらかで、けっこう人気のあるもののようだった。
急速に発展する中国では、田舎芝居も廃れゆく運命だろうけど、それでもこっちからは上記のような悲劇性を感じないのはよかった。

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2018年11月29日 (木)

伊良湖岬/伊勢神宮

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不承不承みんなにくっついていった伊勢神宮だけど、参道まで行ってちょっと奇妙な感じがした。
20年まえに来たはずだけど、あたりの景色に見覚えがない。
参道の両側には古風な造りのみやげもの家やレストランが軒を接しているのに、以前にはそんなものはなかった。
おかしいじゃないかと、帰宅してから調べてみた。

20年まえに来たときは串本に行くつもりが、急遽予定を変更して、たまたまバスを降りたら目の前に見えた伊勢神宮に飛び込んだんだけど、同じお伊勢様でもこれは外宮のほうで、今回わたしたちが参拝したのは本宮だったのだ。
徒然草の “すこしのことにも先達はあらまほしきことなり” を地でゆくわたしのうかつさだ。
でもまあ、生きているうちに真相がわかってよかったと、負けおしみをいっておく。

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参道に参拝者は多かった。
人間ぎらいの当方としては、まず人混みにへきえきしてしまう。
こんなところで家内安全、無病息災を祈ったり、宝くじが当たるようにと念じたって、競争相手も多いのだ。
わたしみたいなバチ当たりは、ご利益の優先順位もずっと後ろのほうに決まっているし、この歳までとくに不満のない人生をおくってきた人間に、いまさらなにを祈願しろというのか。

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それでもなんとか本殿までやってきた。
ここで伊勢神宮についてなにか書かなくてはならない。
しかし外宮が本宮であっても、興味がないのはいっしょだから書きようがない。
そもそも伊勢神宮が日本の神社の総元締めだなんてことも、帰宅してから初めて知ったのだ。
おまえはそれでも日本人かといわれてしまいそう。
仕方がない。
興味のないことには徹底的に興味がないのがわたしの性分なのだ。
ヘビだとかトカゲ、カエル、魚、昆虫なんかには興味があるんだけどね。

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だからまた参道の写真をならべてごまかす。
参道ではなく、肝心の伊勢神宮の本殿の写真はないのかとお怒りのアナタ。
本殿は撮影禁止だし、雨がぱらついていて、とてもそんな余裕はなかったんだよ。
こんな無気力でアホらしい旅の記事はさっさと終えて、ほかに書きたいこともあるし。

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2018年11月26日 (月)

伊良湖岬/フェリー

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伊良湖岬に見るところが少ないことを知った旅行の幹事が、ある考えを提案した。
2日目はフェリーに乗って紀伊半島へ押し渡り、伊勢神宮に参拝して行こうという。
余計なことを思いつきやがってと、わたしはひそかに舌打ちをする。

じつは伊良湖岬に先立つこと数週間まえに、わたしが所属する団体の支部旅行があって、わたしも誘われたんだけど、目的地が伊勢神宮と聞いて、興味がないから行きませんとことわったばかりなのだ。
興味がないところへ、ひょんないきさつから連れていかれることになっちゃったわけ。
わたしみたいな無神論者がうっかり行って、祟られなけりゃいいが。

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わたしは伊勢神宮に行ったことがある。
それはいまからもう20年ちかく前のことだ。
会社の同僚とふたりで、紀伊半島の先端にある串本へ行ってみようと、池袋から伊勢行きの高速バスに乗ったのである。
ところが伊勢に着いてみると、そこから串本まで予想以上に距離があって、同僚は路銀が足りないといいだした。
仕方がないですね、それじゃ目的地を変更しましょうということになり、わたしたちは志摩湾にある賢島というところへ行くことにした。

すると時間があまったので、そのときついでに伊勢神宮を見ていくことにしたのである。
なんだかすごくつまらなかったという記憶しかない。
しかしみんなが行くというのを止めるほど、わたしはヘソ曲がりじゃない。
いや、しょっちゅう会っている仲間ならそのくらいのことはいいかねないけど、たまにしか会わない連中にそんな文句をいっても仕方がない。

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そういうわけで、2日目は朝からみんなで車ごとフェリーに乗り込んだ。
伊良湖岬から紀伊半島の伊勢志摩まで、地図を見てもらえばわかるけど、東京湾の久里浜〜木更津と同じていどの距離で、時間はおよそ50分。

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このフェリーには階上に展望デッキつきの特別席があって、通常の料金に330円をプラスするとそちらに座ることができる。
メンバーのなかのいちばん若手が、先輩をさしおいて、ボクそっちに乗りますという。
わたしも負けずに展望デッキのチケットを買ったけど、せっかくの展望が、窓ガラスが汚れていて写真を撮るのに不都合なので、すぐに吹きっさらしの甲板に降りてしまった。

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伊勢参りはともかく、フェリーに乗るのは楽しい。
わたしはかっての海上自衛官なので、船の上から海をながめていると、なつかしい思い出がよみがえってくる。
たまたま若手のひとりがそこにいたから、わたしはむかし海上自衛隊にいてね、よく艦橋見張りに立たされたもんさなどと話す。
春の暖かな日であれば、それはわたしにとって天国みたいな場所だったけど、あいにくこの日は、見張りに立つにはちょっと風の冷たすぎる日だった。

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