旅から旅へ

2026年3月19日 (木)

やり残したこと

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やり残した仕事はたくさんある。
わたしのブログの中国紀行は2000年の2度目のシルクロードの旅が終わったところで中断しているけど、わたしはそのあとも2002年にみたびシルクロードに出かけ、そのときは青海省にある中国最大の湖である青海湖をめぐってきた。
さらにその旅で知り合った中国娘に会うために2005年に性懲りもなく4度目のシルクロードに出かけ、激しい肉欲の旅を経験しているのでその報告もしたかった。

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笹森儀助の沖縄紀行も、与那国島の手前で中断したままだけど、わたしはまだ続きを書くつもりで、じっさいに2020年に与那国島を見てまわってきた。
儀助の旅は八重山の離島をめぐったあと、ふたたび沖縄本島にもどってくるので、わたしはそこで太平洋戦争の沖縄戦にふれるつもりで、ひめゆりの塔や摩文仁(まぶに)の丘の激戦地も見学してきた。
やはり俳句が吟行にかぎるように、じっさいの戦場を目の前にするといろいろな感慨が湧いてくるものだ。
そういうつもりで、その後も沖縄戦に関する本を読みふけったり、戦争の資料を集めたたりしていた。

C24a C26 C29 「鉄の暴風」や「ドキュメント沖縄」など沖縄の戦闘を描いた本はたくさんあるけれど、わたしはわたしなりの沖縄の悲劇を書きたかったのである。
わたしが早苗ちやんと右翼の台頭に危機感を感じるのはそのためだ。

やり残したことではなく、やり終えたこともある。
あの忘れられない美しい西表島は、2020年と2022年に訪問してしっかり脳裏に刻んだし、もういちど行きたかった上海も2025年だけで2回も訪問してじっくり眺めて来た。
あの美しい島よ、この美しい惑星よと、とわたしは自分の人生がいちばん輝いていたころの記憶をよびさました。
これで未練があるといったらバチが当たるだろう。

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2026年3月10日 (火)

上海Ⅱ/一大会跡

16a0 まだやってたんかいといわれそうな上海紀行。
安心しとくれ。今回が最後だ。
「新世界」からすぐとなりに「一大会跡」という、もうひとつの名所があったので、ついでにここも観ていくことにした。
一大会というのは“共産党第一次全国代表大会”の略である。
つまり中国共産党の発祥の地である。
この第1回目の大会に出席した有名人というと、日本人にも知られた名前では毛沢東ぐらいしかいなかったけど、ほかに日本に留学した知識人が多かった。
日本に留学して新しい世界を見た人々が主要メンバーだったのだから、中国の共産党の生みの親は日本であるという言い方もできるのだ。
太平洋戦争や日中戦争のまえに、上海には国民党と共産党以外にも軍閥や、列強や日本軍とそれらの国の間諜、マスコミ特派員やギャングの頭目や、新しいソドムの都市といううわさを聞きつけた男たち、その相手をする娼婦などさまざまな勢力が入り乱れた。
蒋介石すら戦前は本拠地を上海に置いていたのだ。
連合通信の記者だった松本重治の「上海時代」にそのへんの事情が詳しいけど、硬い内容なので、あいにくもういちど読み返す根性が消失した。

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一大会跡は赤レンガの倉庫のような建物が並んでいた。
すぐまえに池があり、その向こうに一回目の大会のころにはなかったはずの高層ビルが並んでいる。
さすがに国家の精神的支柱である記念館で、あたりにゴミひとつ落ちてない。
現在の中国共産党は資本主義政党と変わらないし、その一回目の大会跡といわれても感じるところは、わたしにはなにもない。
共産党にとっては聖地だとしても、わたしみたいなノンポリにはぜんぜん価値を見出せないところである。
中学生たちが団体見学に来ていたものの、お付き合いして入館しようという気にもなれなかった。
くったくのないしゃべりに興じるる彼らをみてると、共産党の聖地といわれてピンと来てないように見えた。
彼らにとっても共産党という名前は古いフォークソングのように、徐々に関心の薄れてゆくものだろう。

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一党独裁を目のかたきにするココログのイヴァン・ウィルさんみたいな人もいるけど、いちばんの問題はその指導者がどんな政治をするかだ。
ネズミを取りさえすれば、それが白猫でも黒猫でもよい猫なのである。
じっさいに国民が豊かで幸せになっているなら、民主主義のたてまえ通りに(アホな)国民に選ばれた議員の代表(の早苗ちゃんが)が国民を戦争にひっぱろうという日本と、どっちがいいだろう。
わたしは20年〜30年前の中国をじっさいに見てきてつくづくそう思う。
第一大会跡の上海の空はくっきりと澄んでいた。
よく晴れた紺碧の空を見て、この国は、とにかく排気ガス公害は阻止したと思うしかないし、それもトップダウンでものごとを決められる一党独裁の成果としか思えないのだよ。

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繰り返すけど、指導者が国民のための政治をしているなら他人が文句をつけるべきではない。
白猫でも黒猫でもネズミを取ればよい猫だというのは改革開放を始めた鄧小平の言葉で、彼もその言葉も現代っ子の中学生たちは忘れつつあるかも知れないけど、中国は日本をさしおいてあらゆる部門で世界の大国になりつつあるのだ。

17c1 終わりにケシカラン話をつけ加えておくと、帰国日に錦江飯店から空港までタクシーを呼んでもらうと、ホテルのドアボーイが200元ですけどいいですかと聞く。
そんなもんだろうと思ったからOKすると、いまここでわたしに払ってもらえますかという。
これでピンと来た。
やっこさん、知り合いのタクシーでも斡旋して、いくらか小遣い稼ぎしようというのだ。

やがてやってきたのはメーターのついてない自家用車だったから、予想通りだった。
ホテルの近くで友人の車が待機していて、空港までの客がいると、つねにこうやって料金をドアボーイと分け合っているのだろう。
しかし200元なら法外というほどでもない。
到着して別料金を請求されたら・錦江飯店の名を持ち出してゴネてやるつもりで、そのまま空港に向かった。
こういうこともよくあると、人生のベテランのわたしはいちいち騒がない。
ただし、途中で事故でもあったら傷害保険が効くかどうかわからないから、あまり他人には推奨はしない。

空港までは好天気で、とうとうこの旅では最後までいい天気にめぐまれた。
最後にケシカランことはあったけど、これでわたしの最後の中国旅行は(たぶん)終わりである。
もういちど行きたくてうずうずしてるんだけど、最近は脳梗塞まで体験してしまって、もはやミーハーおばさんも付き合ってくれそうにない。
ただみなさんにわかってほしいことは、わたしは中国が好きで、その国が日本とおだやかでない関係になることを望んでない。
関心を持ってこの紀行記を読んでくれた人たちも、ほとんどが歴史や文学から中国に関心のある人だと思う。
オレは水滸伝が好きだ、三国史を読んでいる、中国齬の勉強をしているというあなた、ことさら日中間の対立を煽ろうという日本政府(とNHK)に怒りを感じないかね。
たとえばこのブログにときどきコメントをつけてくれるHiroshiさんなど、彼は中国に知り合いがいるらしいし、情報を得るにも有利な立場なのだから、もっと強く日本政府とマスコミの方針に抗議してほしいね。
いつまでも自分の学歴を自慢するだけのかまってちゃんのひとりじゃ何も変わらんよ。
いつまでも。わたしひとりに代理戦争をさせないでほしい。
わたしはあなたたちの子供のために、世界が仲良くあってほしいと念じるからこそ、いつも公共放送にいちゃもんばかりつけてんだよ。

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2026年2月17日 (火)

上海Ⅱ/新世界

まだやってんのかといわれそうだけど、これは去年の10月の上海紀行記ですよー。

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帰国日になった。
ゆるゆるとホテルの朝食をとり、部屋に戻ってベッドに転がり、このままひと眠りして、午後の適当な時間に飛行場へ行きたかったけど、ミーハーおばさんは勘弁してくれそうにない。
せっかく来たんだから食事のあとのわずかな時間でも、どこか見物に行きたいと無慈悲なことをいう。
やむを得ずどこかヒマつぶしにいいところはないかと地図を見たら、ホテルから遠くない場所に「新天地」という観光ポイントがあることがわかった。
肝心なのはホテルから遠くないということだから、ここへ行ってみることにした。

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“世界”というのは中国のブランド名らしく、戦前の上海には租界の悪徳の象徴として有名だった「大世界=ダスカ」という娯楽場があった。
金髪の娼婦や阿片窟や奇怪な見せ物などがあり、金子光晴などの小説にも出てくるらしい。
じつはこの娯楽場は、新中国になってからも人民公園の近くにそのまま残っていて、わたしも見物に行ったことがある。
歩道橋の上から眺めたら、現在はゲームセンターになっているらしかったので、そういうもののキライなわたしは、入らずに帰ってきてしまった。

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もう何度も書いてきたけど、上海の魅力に租界時代の悪徳の都ということがある。
ジェームズ・キャグニーの戦前の映画で、主題歌の“上海リル”が歌われるラストシーンに、金髪の娼婦のいたクラブが出てくるけど、あれが当時の欧米人が想像する上海だった。
ニューヨーク、東京、アムステルダム、香港マカオなどを見ると、どうもむかしから(ソドムのころから)人間というのは、悪徳と退廃に惹かれる部分があったようだ。
ろくなもんではないけど、モロッコやアルジェのカスバのように、植民地主義というのは、言葉を変えれば、男が快楽を求めて新天地を開拓した、あくなき追及の結果だったのかも。

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大世界に話が脱線してしまったけど、今回行ってみたのは新世界のほうである。
ここまでは、ホテルから歩いたって2キロぐらいなんだけど、わたしはメトロを使うことにした。
わたしだって若いころは広河原から早川尾根づたいに地蔵岳までというと、また自慢話になってしまうからいわないけど、とにかくじいさんは歩くのがイヤなのだ。

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地下鉄にひと駅だけ乗って「一大会跡・新世界」という駅で地上に出ると、赤レンガできれいに舗装された公園のそばだった。
有名な観光ポイントなら標識くらい出ているだろうと思ったのが、また当てはずれ。
どっちに行けばいいのかわからないまま、とりあえず公園の中へ入ってみた。
花や草木の植えられ、まん中に散歩道のある、世界の標準といっていいきれいな公園で、ゴミひとつ落ちてない。
わたしはトルコのイスタンブールに行ったことがあり、早朝にホテル近くの公園を散策してみたら、ゴミだけではなく、割れた酒ビンが散乱していた。
人間にモラルを植えつけるのは、公園に草木を植えるほど簡単ではないから、上海の公園がきれいというのは、それなり苦労があったのではないか。

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公園を抜けるとポプラ並木の下に、なんとなくすっきりした住宅街の続く通りになる。
ここで“なんとなくすっきり”という形容詞を使ったのは、かっての中国の住宅街が、たいていどこかうす汚れて、ゴミが散乱していたことを覚えていたからだ。
当時のわたしは、日本のパッカー車を輸入して、私営のゴミ収集事業を始めたら儲かるんじゃないかと考えたこともある。
そのくらいどこへ行ってもゴミだらけだったのに、いまでは田園調布や成城学園とまでいわないけど、見た目にも気持ちいいくらい面目を一新していた。
これは政府による公共の清掃事業がきちんと機能していることだろう。

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ひょっとすると同じ華人の国であるシンガポールを見習って、そうとうきついお仕置きが法制化されたのかも知れない。
ゴミを捨てることはもとより、タンやツバを吐いただけで罰金というくらい厳しくしないと、中国人にはモラルは身につかない。
最初に踏み込んだ通りだけではなく、このあとうろうろしたべつの通りも清潔だったから、新天地のあたりは観光地ということで、外国人に見せても恥ずかしくないようにというお達しが出ているのかも知れない。
いろいろ苦労はあったにせよ、中国政府の努力は実を結んで、上海はシンガポールになりつつあるのかも。

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そのうち通りの先にピンクの屋台が並んでいるのが見えた。
近づいてみるとどの屋台にも“チリ・ウィーク”というロゴが見えたから、なにかチリの物産展をしているようだった。
ワインの即売もしていて、試飲も出来るようだったけど、これ以上足がおぼつかなくなっても困るから遠慮した。
そういえば日本でわたしがよく買うワインは、“悪魔が微笑んだ”というチリ産ワインである。
チリと中国は一帯一路で協力関係にあるから、物産の輸入で中国はチリの財政にいくらかでも貢献しているのかも知れない。

わたしが和平飯店でうっかり注文してしまったところによると、中国にもワインはあり、しかも品質はどんどん向上している。
そして見逃すべきでないのは、この国がワインでも車でも鉄道でも、無理にトップになろうとせず、その本来の目的さえ達成できればいいという考えで、技術立国の日本と最初から勝負しようとしないことだ。
こういう相手にはカラいばりをするか、負け惜しみをいうしかない。
日本人がNHKを筆頭とするマスコミに目をふさがれているあいだに、あらゆる部門で、中国は背中が見えないところまで遠ざかりつつあるのだ。

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屋台からまもなく、サロモン(Salomon)のビルのある近代的なショッピング街にさしかかった。
これが「新世界」らしいけど、じつにつまらないところだった。
まだ前に行った「田子坊」のほうが、古い中国人居住地の雰囲気をよく残していて興味が持てた。
あまりつまらないから、写真を見せるだけで、書くべきことはなんにもない。

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2026年2月 3日 (火)

上海Ⅱ/イップク

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ワンタンを食ったあと、いったんホテルにもどり、ぐうっとひと眠りして、夜中にまた食事に出かけた。
このとき食べたのはまたまた「久久滴水洞」のピリ辛サトイモである。
今回の旅では上海蟹も食ったけど、どこが気に入ったのか、ピリ辛のサトイモほどわたしが美味いと思ったものはなかったのだ。
で、帰国してから同じものが自分でも作れないかと研究した。
その成果はあとで書くことにして、ここでイップクのつもりで、今回の上海で見たものについて書く。

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ワンタンを食べた帰りにまた外白渡橋(ガーデンブリッジ)を渡った。
この橋のいわれについては、わたしのブログでも過去に何度も触れているから書かないけど、有名なだけあって、現在でも橋の上で写真を撮る人があとを絶たない。
観光客だけではなく、撮影機材などを見ると、プロのモデルさんもいるようだった。
こんな景色はけっして不幸を連想させるものではない。
わたしは日本の娘とまったく変わらないファッションの彼女らを見て、社会がふつうに発展すればどんな国でも見られる光景だと思う。
橋のたもとの公園にはよく太った野良ネコがいて、彼らさえ幸せに見えた。

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南京路にはどこかの車メーカーのショーウインドもある。
わたしにはもう車も縁のないものだけど、新しい技術にはいくらか興味があるのでのぞいてみた。
最新式のEV(電気自動車)となると、ハンドルなんかついてんのかいというくらいで、コクピットをのぞいても何がなんだかわからない。
フェンダミラーはミラーになっておらず、真ん中にカメラのレンズみたいなものがついているだけだった。
これじゃドライバーは運転中も寝っ転がってゲームでもしていて、たまに室内のモニターで外をながめるだけじゃないか。
人間ますます横着になるな。

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街がの中で欧米のスーパーカーを見ることもある。
いくら共産党が格差の拡大を抑え込もうとしても、貧乏人がどこにでもいるように、金持ちもいるものだ。
しかし上海の貧乏人が、たとえば日本の貧乏人より不幸とも思えない。
街のなかの至るところに花が植えられ、アベックが手をつないで歩いている。
この国でも若者が就職難だと聞くけど、わたしが足しげく中国に通っていた20数年まえにも、地方の都市などに行くと、街の辻辻に左官屋のコテを持ってたたずむ求職の若者がいた。
彼らはその後どうなったのだろう。
べつに大量に飢え死にしたとか、強盗が増えたとも聞かないから、人間というものはしょせんどこかに収まってしまうものではないか。

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日本ではパンダが帰国した。
パンダを外交の具に使うのはケシカランという人がいるけど、なにも期限まえに返せといったわけじゃないし、返還期限が今年であることは最初からわかっていた。
わかっているのに、相手にケンカをふっかけて、ケシカランもないもんだ。
中国は、パンダが見たい日本人はどんどん見にきてほしいといっている。
動物園というのは園内が広大であることが多いから、わたしはビビッて行かなかったけど、なにも四川省まで行かなくても、上海動物園にもパンダはいるはずだ。
飛行機で飛べば、石垣島や西表島より近くでパンダが見られるのである。
パンダが見たいよーと泣く子供を抱えたお母さんたちに、このことを教えておく。

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そのうち円安が終了して円高にぶれれば、たちまち訪日客は激減するだろう。
中国人なんか来なくても構わないという人たちは、そうなったときに観光業界から文句をいわれないよう、せいぜい気をつけることだ。
とにかく国家間も仲良くするにこしたことはない。
日本だけじゃないか、いまだに台湾有事なんて騒いでいるのは。
習近平さんにゴマを吸ってきたばかりのスターマーさんは、台湾有事になればあっという間に中国を裏切るだろうけど、だからといって決して日本の強力な味方にはならんよ。
なれんよ、あんな貧乏国が。

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おりしもいまは日本じゃ選挙のまっ最中だ。
これについて聞かれた若者が、選挙期間が短すぎて公約を比較している時間がないのが不満と漏らしていた。
政治に関心を持つのはけっこうだけど、わたしみたいに人間を長くやってると、公約なんて絵に描いたモチとしか思えない。
アメリカのバイデン大統領なんか、環境保護を訴えて当選したくせに、勝ったとたんにそれを反故にして、ウクライナ支援にアメリカ国民の税金を注ぎ込んだ。
財務大臣の片山さつきサンも、勝ち目のない汚職大国ウクライナへの支援を最優先目標にかかげたそうだから、彼女もNHKのいうことをすなおに信じるミーハーのひとりなんだね。

だから投票先を決めるのに、公約なんかアテにせず、戦争をしたがるやつはダメと割り切ればよい。
とくに若い人たちにとっては、これは近い将来の自分たちに降りかかる直接の災難かも知れないんだよ。
わたしの言いたいことはこれだけ・・・・あ、いやピリ辛サトイモがあった。

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自宅でいろいろ研究してみたら、市販されている「火鍋の素」を使ってサトイモを長時間煮ると、「久久滴水洞」と似た味のものが作れることがわかった。
火鍋の素はペースト状なので、そのままでは焦げてしまうから、最初に麺つゆで下地をつくり、サトイモを煮ながら火鍋の素を溶かし込む。
あとは焦げないようにときどき水を加え、味がしっかり染み込むまで、長時間煮るのだ。
むろんプロの作ったものには及ばないけど、目下のところ、わたしはこれで満足しているのである。

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2026年1月31日 (土)

上海Ⅱ/ワンタンの店

まだしょぼしょぼと続いてますよ、上海紀行。
まごまごしてると3カ月前の旅になってしまうんで、さっさと終わらせたいんだけど。

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静安寺からふたたび南京東路にもどって、外灘へ向かってぶらぶらする。
5月や今回の訪中で何度も来ているところだから、べつに特別に見たいものがあるわけじゃないけど、こんなふうに目的もなしにぶらぶらするのがわたしの旅のスタイルで、NHKの「世界ふれあい街歩き」が好きなのは、歩き方がわたしの旅と似ているからである。

南京路のとちゅうに「上海ジャズ・リンカーンセンター」というジャズ専門のライブハウスがあった。
上海は租界時代の和平飯店でジャズの演奏が有名だったけど、その残滓が街の中にもあるわけだ。
わたしはロシアでもライブハウスに飛び込んだことがあるくらいこういうところが好きだけど、この日はまだ演奏をしている時間じゃなかった。

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南京路を歩いていると四川路と交差する。
四川路を500メートルほど北に行くと、蘇州河の橋を渡り、その先にわたしの御愛用のホテルだった「新亜大酒店」がある。
その近くにの路上に、鮮魚や野菜をあつかう青空市場があることを思い出した。
友人たちといっしょに見物したときは、市場のそばの汚い食堂でワンタンを食べたことがある。
最後に行ったのが2004年だから、市場や食堂がいまでもあるかどうかわからないけど、両方ともわたしがぜひ見たいところだ。
かっては何度も歩いた道だし、このくらいならあごを出したわたしにも歩けるだろう。

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落ちぶれた新亜大酒店については5月の旅のとき書いたけど、そのまえを通過して、たしかここだなと思える路地まで行ってみた。
ここでかっての市場の写真をずらずらと並べるけど(4枚組の写真も同じ市場)、残念ながら市場のあったあたりは大きな駐輪場になっていて、魚も野菜も売っている様子はなかった。

未練たらしくあたりをながめているわたしたちに、話しかけてきたおっさんがいた。
このあたりに市場はなかったっけと尋ねると、あるある、こっちだとえらく調子よくわたしたちを先導して、歩道橋を渡り、道路の向こうにある大きなビルへ案内した。
おっさんは客引きだったのだ。

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ビルの中は衣服をあつかう小さな商店がびっしりならんだ、なんとなく上野のアメ横を思わせる胡散臭いところだった。
店頭にたむろしていたおばさんたちが、バナナの叩き売りみたいに衣服を叩いて、安いよ安いよと声を張りあげる。
生鮮食品などありそうにない。
ミーハーおばさんが目配せをして、ヤバいんじゃないのという。
それで中国語で不用、不要と叫びながら退散することにした。
いまでは中国人も、スーパーやデパートでパック食品を買う時代になっているから、かって人気のあった青空市場は消滅したのだろう。
ワンタンを食べたことのある食堂もなくなっていた。

時刻は午後の3時くらいで、いくらか腹が減ったから、どこかで食事、といってもわたしもミーハーおばさんも少食だから、派手なものは食えない。
うまい具合に四川路に「雲呑」と書かれたちんこい店があった。
ワンタンにこだわるのは、これがわたしの胃袋にちょうどいい分量だからである。

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店をのぞくと、壁ぎわにテーブルが4つほど並んだウナギの寝床みたいな店で、奥のテーブルでママさんらしいのががさごそと、これは仕込みでもしてたのか。
中途半端な時間だから、店内に客はひとりもおらず、ママさんも余計なときに来たなという感じで愛想もない。
食事できますかと聞くとOKと答えたから、わたしたちは適当なテーブルに座った。

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ミーハーおばさんはまだ中国の庶民的な食堂に不信感があるらしく、なにも食べないというので、わたしだけがワンタンを注文した。
いちばん奥が調理室になっており、若い娘がひとりで働いていて、まもなく湯気のたったワンタンが運ばれてきた。
なにも食べないというおばさんだけど、見ているうちに食べたくなったらしく、わたしのワンタンをスプーンですくって2つ3つ食べていた。
美味しかったそうだ。
こういう無愛想な店は、社会主義時代の名残りだなと、わたしはミーハーおばさんに説明をする。

もっとも愛想が悪いばかりでなく、ワンタンのいっしょにビールを飲んだわたしが、トイレを借りようとすると、わざわざ店の外の公園まで案内してくれた。
公園というか路地というか、わたしひとりだったら、トイレはきっと見つからず途方に暮れていたところだ。
無愛想に見えても心遣いはあたたかい。
社会主義時代もクソもない、庶民的な店というのは世界共通の特色を持っているもんである。

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2026年1月20日 (火)

上海Ⅱ/静安寺

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静安寺のまえの公園にはサイがいた。
いや、パンダの間違いじゃない。
ここでは秋の収穫祭みたいなことをしていて、大勢の行楽客がやってきていて、その景気づけのためのでっかいオブジェ。
子供たちは喜んでいたよ。

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ところで前に書いた「世界の辺境マニア」君もそうだけど、わたしがハッパをかけたせいか、最近中国を紹介するユーチューバーが増えてきたね。
日本と異なるめずらしい風景や、風光明媚、奇勝絶景も多く、いまのようにやけに中国の不景気が強調される時代では、真実を知りたいと思う人も多いだろう。
海外を見せる映像は人気があるんだから、YouTubeで儲けようと思ったら、東欧系の美女と結婚しなくても、そのへんの兄ちゃんでも簡単にユーチューバーになれる舞台がすぐとなりにあるわけだ。
しかもスマホに翻訳アプリを入れておけば、言葉の壁もない。
日本で台湾有事なんてほざいているのが少数のアホだけであるように、反日中国人なんてほんのわずかだ。
地球鉄道の中山卓也くんや、辺境マニア君もいたるところで気持ちよく歓待されているではないか。

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ああとわたしはまた嘆息。
わたしが中国をうろうろしていた25年まえにYouTubeがあれば、わたしもいまごろ成金だったよ。
そしたらいまごろ、ボロ団地でダイコンを煮てることもなかったのに、つくづく己れの不運をなげいちゃうな。
上海という大都会の報告なんて意味がないやと、紀行記連載にも熱が入らんよね。
NHKにいちゃもんをつけているほうがよっぽどおもしろいので、この上海紀行もさっさと片付けよう。

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静安寺にはドラムセットを並べている路上演奏者や、似顔絵描き、風船売り、いろんな食べ物が味わえる屋台など、日本の縁日や週末の公園などでもよく見られる光景があった。
骨董品も売られていたけど、貴重なものがあるわけもないし、そんなガラクタを蒐集してイキがるほどわたしは若くない。
屋台ではいろんなものが食べられるけど、わたしもミーハーおばさんも少食なので、なにか食べようという気になれない。

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園を一周すると、地表から一段低くなった円形の広場があった。
この日は広場でも何もしてなかったから、わたしはトイレを借りるくらいしかやることはなかった。

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公園内をひとわたり眺めたあと、道路の向こうにある静安寺に肉薄してみた。
寺は立派だった。
派手な色彩に塗られて、立派すぎるくらいで、こっちのほうが公園よりも観光客が多いくらい。
でも無神論者で、こういう名所が好きではないわたしは、感心するでもないし、入ってお賽銭を上げようという気にもなれない。
門の外からぼんやり眺めるだけである。

寺の縁起を調べてみると、三国志の時代に創建だそうで、空海も立ち寄ったとあるから、昨日今日に出来た寺ではない。
はてね、わたしが初めてひとりで上海をうろついた1994年に、この寺はあっただろうか。
タクシーの運転手に静安寺の近くへ行ってくれと指示した覚えがあるから、地名としては知っていたらしい。
しかし、当時から通俗的な観光名所に興味がなかったから、お寺そのものは見ていない。

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こんなことを考えたのは、わたしが初めて中国に行ったときより15年ほど前、中国では文化大革命の炎が燃え上がり、紅衛兵たちが荒れ狂ったからだ。
古い伝統と訣別するとかで、多くの寺院や遺跡などが破壊された。
上海でも例外ではなかったはずで、そのとき静安寺はどうなっただろう。

ウィキによると、静安寺 は1984年に再建とあり、これは紅衛兵騒動がおさまってすこしあとのことだから、中国では経済に余裕ができると、各地で破壊された寺院の再建にとりかかっていたらしい。
宗教ギライの共産党だから、信者のためを思ってではなく、あくまで観光資源としてだろう。
パリにノートルダム寺院があり、イタリアにはサン・ピエトロ大聖堂があり、ロシアには聖ワシリイ大聖堂、血の上の救世主教会、イサーク大聖堂、カザン聖堂(わたしが見てきたものばかり)があり、東南アジアはなにをいまさらという具合で、日本だって長野の善光寺、伊勢の伊勢神宮、奈良の鹿で有名な興福寺や東大寺、外国人が押し寄せる浅草の浅草寺など、全国にある有名な神社仏閣はたいていが観光客のためのものだ。
日本を視察にきた鄧小平は、先進国になるためには、莫大な拝観料が見込める寺院の復活も必要ということを学んでいったのかも知れない。

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正門から見て右のほうに、タイやシンガポールにあるような金ピカの獅子の像が立っている。
あれはライオンねとミーハーおばさん。
日本なら狛犬か狐がいいとこだけどねえ、中国の寺のポリシーはわかりにくいなとわたし。

静安寺は金ピカ派手派手で、べつに御利益がありそうでもなかったから、とっくにあごを出していたわたしは、ひと駅区間だけ地下鉄に乗って、また南京路に移動することにした。

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2026年1月 8日 (木)

上海Ⅱ/南京西路

ついに年をまたいじゃったけど、まだ続いてますよ、わたしの上海紀行。
いちゃもんをつけたいことが多すぎて、紀行のほうはそっちのけ。
ま、無理に読んでもらわなくてもかまいませんから、上海に行く予定のない人は、現在の中国がどんな按配かご参考までに。

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上海に着いて4日目になった。
この日もいい天気だったけど、とくに行きたいところもない。
もともと、むかしの旅でもぜったいに行きたいところがそんなにたくさんあるわけじゃなかった。
ぼんやりと旧租界のレトロな街なか、そして日本とはあまりにかけ離れたこの国をふらついているのが楽しかったのだ。
しかし今回はミーハーおばさんがいるので、目的もなく歩きまわるというわけにはいかない。

たとえば浦東新地の新都市に行ってみるなんてのはどうだろう。
しかしわたしは5月の訪問のさい、東方明珠テレビ塔に上ったし、今回も上海博物館に行って新都心のありさまを見てきたけど、どうもわたしの感覚に合わないところだった。
ガラスや金属がピカピカで、オートメ化された近代都市なんて、わたしの性に合わないのだ。

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そこでやっぱり、旧市街地(かっての租界)にある静安寺でも行ってみるかと考えた。
南京路は黄浦江のほとり、外灘から西に向かって人民公園までが終日の歩行者天国になっており、外灘とあわせたこのあたりが上海一の観光スポットである。
ただ、南京路そのものは人民公園からさらに西に向かって伸びていて、2キロほど歩いたところに静安寺というお寺がある。
外灘の和平飯店から人民公園までが南京東路、人民公園から静安寺方向が南京西路ということになるわけだ。
ヒマつぶしに今度は西路を静安寺まで歩いてみることにした。

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地図でみると、わたしたちが泊まっている錦江飯店から、南京路のいちばん近い場所まで2キロもない。
しかし歩くのはイヤだというわたしがいるおかげで、またメトロに乗ることにした。
だらしないけど、これでも若いころは南アルプスの広河原から、早川尾根づたいにたったひとりで、半日かけて地蔵岳まで歩いたこともあるし、房総半島の養老渓谷駅から山越えで、海岸の安房小湊まで歩いたこともある。
歩くのは好きなんだけど、だれだって永久に歩けるわけじゃない。

もよりの淮海中路駅から南京西路駅までひと駅で、下車したのがアジア最大というスターバックスの前である(ということは前に書いた)。
ここからスタートして、2キロ先の静安寺まで歩くことにした。

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べつにおもしろいものがあるわけじゃない。
高層ビルはたくさんあるけど、銀座通りから東京駅近くの八重洲通りに入ったようなもので、歩いているのはこのあたりの住人か、勤め人、わたしたちみたいに好奇心だけが頼りの観光客ぐらいである。
日本でもよく知られているルイ・ヴィトン、カルチエ、バーバリー等のブランド商品の店が多く、ここにもユニクロがあった。
ルイ・ヴィトンは日本でも度肝を抜くような建物である場合が多いけど、上海では船を模したギンギラギンの建物だった。
いくらど派手だってわたしたちには無縁の店ばかりで、上海スターバックスがイマイチなのといっしょ、中国ではあまり人気がないらしい。

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静安寺の近くまで行ったとき、道路のわきにアーチ型の入口をそなえた大きなビルがあるのに気がついた。
これって、アレじゃないか。
わたしが1994年に上海に来たとき、たまたま和平飯店で、日本のさるゴルフ用品製造会社の会長さんと知り合って、その晩はこの人のおごりで上海の豪華クラブに連れていかれた。
そのクラブが静安寺への途中にある、大きなアーチを備えたビルだったことは忘れもしない。
当時はたしか「上海商城」という名称だったけど、あいだに30年の歳月がはさまって、いまでは豪華クラブのおもかげはなくなっているようだった。

わたしは5月に雑技団のサーカスを観に行ったとき、あらかじめ劇場の場所を調べてみて、このあたりにも劇場があるらしいことを知った。
しかしそれはこのアーチを持ったビルのことらしく、ショーというのはテナントとして入っている小さなクラブのことを指しているようで、とてもサーカスのような規模の大きい見せ物をしている雰囲気ではなかった。

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わたしはそういうこともあったんだよと、ミーハーおばさんに説明しながら、ビルの内部に入ってみた。
もちろんまっ昼間からショーなんかやっているはずもなく、地下にあるスーパーをのぞいただけだった。
そのスーパーも、南京路の大丸デパートよりさらに貧弱で、日本のスーパーにもひけをとるような悲しい店だった。

これが中国政府のやり方だ。
ビルやテナントの都合は一顧だにせず、ひとつの目標、つまり公共の利益のためには、そのあたりの店が不景気になることなどおかまいなしだ。
上海市の中枢を浦東新地に移転すると国が決めたら、国民はいっさい文句をいうわけにはいかない。
客がいなくなって店がつぶれてしまいますと訴えても、そんなことは自分でなんとかしろといわれる。
そんな歴史をこの国は数千年も続けてきたのである。

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それでも古い王朝時代に比べればマシかも知れない。
かっては真面目に商売をしていても、儲けすぎるとすぐお上に因縁をつけられ、あらぬ罪に落とされ、ヘタすりゃ命まで奪われて、店を乗っ取られることもあったのだ。
最近ではさすがに補償という制度が発達して、立ち退かされるほうもいちおう立退料がもらえるようである。
ただし日本のように、できるだけ補償金をつり上げようと、ごねたり不動産屋が介入することは許されないし、補償金の額もお上が決めたことに文句はいえないのである。

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民主主義の日本ではすぐにケシカランということになるけど、そのために道路1本作るのに延々と時間がかかり、建設費がふくれ上がって、インフラ整備も遅々として進まない日本とどっちがいいだろう。
上海のように街の中心を移すような大事業で、個人の言い分に耳を傾けていたら、地権者が交錯して、いつになっても完成しなかったのではないか。
これはどっちがいいという問題ではなく、国によってやり方が異なるというべきじゃないだろうか。
強引な政策のおかげで、中国はあっという間に先進国の仲間入りをし、ぶちぶち文句をいう個人はいても、全体としてはこの国が豊かになっていることは事実なのだから。

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2025年12月25日 (木)

上海Ⅱ/蟹王府

お待ちかね、上海蟹の話題だ。
上海蟹の旬は秋から冬にかけてで、わたしはミーハーおばさんを介護ヘルパーとして誘い出すのに、これをエサにしていた。
中国なんてといい顔をしないおばさんに、名物の蟹をご馳走するからとくどいたのである。

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そういうわけで、出発前にいろいろ調べた。
YouTubeを観ると、さすがにこの季節の上海では蟹を食べようという日本人が多いらしく、たくさんの映像が見つかる。
そのうちのひとつを観て、目星をつけたのが「成隆行蟹王府」という、南京路のすぐ近くにある店。
映像を観るかぎり、コース料理があるらしく、値段も驚くほど高いわけではない。
で、3日目の夜はその店に行ってみた。

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店の場所は昼間行った上海大丸の近くで、エディション・ホテル(EDITION HOTEL)の裏の九江路にあるらしい。
YouTube映像で観ると、店の入口のわきに“蟹王府”という大きな看板があって、夜はこうこうと灯りに照らされている。
蟹という文字は見分けやすいし、これでは日本人なら見逃すわけがない。
と思ったのが素人の浅ましさ。
九江路のそのあたりをうろうろしてみたけど、蟹王府という看板は見つからなかった。

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わたしたちは暗い照明のなかに浮かび上がった、西洋式の教会のまえで途方に暮れた。
西洋式の教会は、わたしが初めて中国に行ったころ、人民公園のそばにもあったから、この国ではキリスト教は邪宗門というわけではなさそうだ。
もっとも統一教会みたいに積極的な布教と、信者を食い物にするのは禁じられているようだから、これも租界時代の優秀建築のひとつなのかも知れない。

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おかしいねと、もういちど店の軒先をのぞきながら、九江路を歩き出したら、一軒の店に「成隆行」という文字が見えた。
蟹王府なんてどこにも書いてない。
いま考えても不思議なんだけど、これもボケのせいか、それともたまたま、なにかの都合で看板がはずされていたのか。
これじゃわからん。

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ようやく発見した店のなかは、もろに上海バンスキングの世界であり、わたしたちは胡弓バンドの演奏が流れるなか、2階のボックス席に案内された。
客のなかには欧米人を含むグループもいたから、けっこう有名な店らしい。
それでも満員で待たされるということはなかった。

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蟹はいちおう高級料理の範疇に入るのかも知れない。
下から2番目のコース料理を頼んでしばし待つ。
じつはわたしが上海蟹を食べるのは2回目である。
2004年に友人たちとツアーに参加して上海の街をうろついたことがあり、そのとき南京路にあった、きわめて庶民的な店で上海蟹を頼んでしまった。
まるごとの茹でた蟹が出て、甲羅だけははがしてあったけど、中身を自分でほじくって食べるのだ。
だから蟹というのは手間のかかるものという印象があり、個人的にはあまり好きではない。

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ちょっと前のNHK-BS「世界入りにくい居酒屋」を観ていたら、エビ料理が出てきて、地元の漁師さんが食べ方を説明していた。
ちなみにこれはフランス編で、ブルターニュという街での話。
漁師さんの説明では、尻尾の部分をポキっと折って、内部の肉を引っ張り出すんだそうだ。
これを観ていて、わたしは子供のころよく食べたザリガニを思い出した。
子供のころのわたしの郷里にはザリガニが猛烈に繁殖していて、子供でも遊びがてらに採集にいくと、半日でバケツいっぱいの獲物があったくらいなのだ。

獲物はバケツの中でそのまま茹でてしまう。
ザリガニといってもエビの仲間だから、茹でるとまっ赤になる。
食べ方はフランスの漁師が教えてくれたとおり、尻尾の部分をポキっと折って中身を食べるのだ。
戦後まもないころで、わたしも食欠児童のひとりだったから、このとき食べたザリガニが、わたしの血となり肉になっていることは間違いない。
わたしはそのとき食べたザリガニの味を、いまでも郷愁とともに思い出す。

成隆行の蟹はあらかじめ肉の部分が取り出してあって、ひっくり返した甲羅の中に並べてあった。
腕やはさみの部分も食べやすいように、殻の部分から半分取り出してある。
おかげで食べやすかったけど、味は、そうさな、子供のころのザリガニを思い出したというのはこのときだ。
もちろん両方とも甲殻類だから似ていて不思議じゃないけど、この点でもわたしはあまり蟹に尊敬の念を抱かない。

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ミーハーおばさんが、となりに座った3人連れの若者の会話を聞いて、日本人よという。
彼らもわたしたちと同じYouTubeの映像を観たのかも知れない。
店のほうでも、最近やけに日本人の客が多いなと不審に思っているかも。
上海の街をぶらついていると、あちこちで蟹の看板を目にするから、無理して同じ店に殺到する必要もないんだけど。

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感心したのはこの店でもちゃんとレシートをくれたことで、それによると食前茶から始まって、特色三品、経典蟹粉豆腐(意味は聞くな)、餐前暖胃スープ(日本語訳もてきとうに混ぜてある)、季節の野菜、蟹粉小龍包、禿黄チャーハン、王府蟹肉翅、麻婆蟹粉河エビ、桂花鶏頭米など、全部で13品ぐらいだったようだ。
「客用小毛布」というのは紙ナプキンのことらしく、ちゃんと値段に入っていた。
この日の飲み物は青島ビールで、なんやかんや含めて、合計は1,438元だったから、日本円で3万円足らず。
わたしたちには安くない金額である。
メニューにあった料金はひとり分の値段で、このときは2人分の請求だった。
二度と行かないからいいけど。

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2025年12月11日 (木)

上海Ⅱ/田子坊B

田子坊の続き。
ほかの記事のあいだにまぎれて読みにくいという(奇特な)人がおりましたら、右のメニューのなかの「旅から旅へ」をクリックすると、紀行記ばかりが整列するので試してください。

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狭い路地に土産物屋やレストラン、ファッション用品の店が軒を接し、観光客がもの珍しそうにうろついている。
年寄りがうろついてもぜんぜんおもしろくないところである。
今回はそのおもしろくない田子坊の第2弾。

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せっかく来たのだからなにか食ってみることにした。
出発まえに口コミ情報で調べると、こぎれいなレストランや喫茶店ばかりがヒットするけど、中国にいるあいだのわたしたちは、Wi-Fiが使えないので行き当たりバッタリである。
ぶらぶらしているうち、道ばたにテーブルを2つ並べた、露店に毛の生えたような店を見つけた。
中華料理の店というのはこんなちんけな店のほうが美味いということがよくある。

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欧米人はケチだから高そうな店には最初から入らないだろう。
わたしたちも安心して、窮屈なテーブルに座り、注文したのは包子(ひと口サイズの肉まん)である。
期待にそぐわぬ美味しさだった。
というわけで、その写真のアップ。

・・・・で今回は終わり。

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つぎからつぎへといちゃもんのネタが生じるので、上海ばかりに留まっていられない。
わたしのブログに賭ける情熱はいちゃもんが原動力なので、ふつふつと湧き上がるものがないと、更新しようという気も起きないのだよなあ。

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2025年12月 5日 (金)

上海Ⅱ/田子坊 A

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田子坊についてはよく知らない。
わたしは1994年に、上海市の南部にある徐家匯という場所から駅まで、市内をほとんど縦走するくらい歩いたことがある。
このあたりに骨董市、というかガラクタ市があるというので、行きはタクシーで行ったものの、帰りはタクシーがつかまらず、えっちらおっちら歩いたのである。
歩いているうち、蒋介石の別荘だったという瑞金賓館のわきを通った。
すてきなホテルだったので、その後泊まったこともあることは、このブログに書いたことがある。

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今回、地図を見たら、田子坊というのは徐家匯から近い。
そんなものがいつごろから有名になったのかも知らないけど、前記の1994年にはなかったと思う。
いや、あることはあったけど、普通のどこにでもあるゴミゴミした中国人の生活空間だったはずだ。
それがなんの因果か、都市開発から取り残されて、だれのアイディアか知らないけど、かっての租界時代のおもかげを残すテーマパークになってしまった。
表面的には最新のモードで装っているけど、範囲は縦横がせいぜい200メートルから300メートルぐらいの、レトロを売りものにした路地の親玉といっていい。
いまの上海には路地の両側から、洗濯物が祝日の国旗のように突き出されるという、中国人の生活空間をしのばせるものはあまり残ってないから、貴重な風景かも知れない。

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というわけで、田子坊に分け入る。
狭い路地に土産物屋やレストラン、ファッション用品の店が軒を接し、観光客がもの珍しそうにうろついている。
年寄りがうろついてもぜんぜんおもしろくないところだけど、わたしは手持ちのオリンパスで写真を撮りまくった。
枚数が多いから、今回は文章はほどほどに、写真をずらっと並べる。
並べるにことかいて、2回に分けて載せる。
その2回も、いちどに載せられるのは13枚ぐらいだから、全部を載せ終わるには1週間ぐらいかかるかも知れない。
無理に見ろとはいいません。
ほかにいちゃもんをつけたいことが山積みなので、今回はやっつけ仕事。
YouTubeにもたくさんの映像が上がってますんで、上海のテーマパークってこんなところかと、ヒマなときに参考にしてくんなさい。

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