


かって中国に殷という王朝があった。
存在は紀元前17世紀から11世紀というから、キリストよりはるかむかしで、ローマ帝国より古い王朝なのだ。
この殷の時代というのは、青銅器が発達した時代としても知られている。
まだ日本では素焼きの土器しかない昔に、中国では高度な青銅器文明が花開いていたのである。
NHKが1995年に放映した「故宮・至宝が語る中華五千年」という番組に、そのへんの事情がこと細かに説明されていた。
中国に関心のあったわたしはこの番組を録画して、その後デジタル映像に変換し、それはいまでもわたしのパソコンに保存してある。



1996年に上海で、できたばかりの博物館に出かけたわたしは、殷の青銅器をじっさいに自分の目で見ることが出来た。
芋煮会でもやっていたのかいといいたくなるほどでっかい鼎(釜)で、表面に饕餮 (トウテツ)という想像上の怪獣の紋様が刻まれ、その重厚なデザインは怪獣映画を観ているような迫力だった。
あの感動をもういちどと、今年の5月にまた上海を訪問したら、それはそっくり浦東にできた新しい東館に引越ししてしまっていた。
執拗に犯人を追い求める刑事のように、わたしは殷の青銅器を追って、とうとうこの10月にふたたび上海博物館の東館まで押しかけたのである。
博物館の建物はでかい。
撮影ポイントがいけなかったのだろうけど、超広角レンズを使ったのにフレームに収まりきれないくらい。
でかい割にここにも人影はまばらだった。
しかし欧米人の団体や、中学生の団体も来ていたから、キャパシティが大きすぎるのが原因のようである。
入場料は払った覚えがない。
ミーハーおばさんに外国人特権かななんていい加減なことをいっておいたけど、そもそも博物館はいまどきめずらしい無料の施設だった。




館内は地下1階から地上4階まであって、無料でもらえるパンフレットによると
地下には入口や、レストラン、喫茶店、医務室などがあり、エスカレーターで1階に上がると、そこが青銅館、彫刻館、2階は玉器、印章館、書法館、絵画館で、3階に陶磁器館、貨幣館、4階は考古学、江南ギャラリー、文物修理保全室などになっていた。
中国語のわからない人のためには、英語や日本語による翻訳機も借りられる(有料)。


がらんどうのような大空間に、見学者がうろうろしていたものの、どうも以前観た人民公園のわきの旧館に比べると感動がうすい。
原因は2度目ということ以外に、やっぱり容れ物が大きすぎるかららしい。
旧館はもっと小さかったけど、中味が充実していたような気がするから、ようするに密度の問題だな。
わたしは前述のNHKのテレビ番組も観たし、司馬遷の史記を読み込んだせいもあって、中国の歴史にはまあまあ詳しい。
殷の青銅器というのはかくかくしかじかでと、張り切ってミーハーおばさんに説明しようとした。
しかしのれんに腕押しというか、おばさんはあくまでミーハーなのであった。
この点では、最近ディズニーランドと同じ感覚で上海を訪問する日本人娘たちも同類だろう。
見学に来ていた紂王の末裔である中国人だって、殷のことなんか知らないかも知れない。



歯応えのない青銅器のつぎにわたしが観たかったのが、玉器の部屋である。
中国では玉(ひすい)という鉱物は古代から神聖なものとされ、これを加工した玉璧(ぎょくへき)や(ぎょくえつ)、玉琮(ぎょくそう)などは権力の象徴とされ、ひじょうに価値のあったものとされている。
最初は丸や台形や四角い柱状の抽象的なものが多かったけど、しだいに具体的なもののかたちを刻んだ、手の込んだ彫刻作品に変わっていった。
台湾の故宮博物館には「翠玉(スイギョク)白菜」という作品があり、これは1個のヒスイ(玉)の原石から、そのもとの色を活用して、白菜とその上にとまったバッタまで表現した見事な芸術作品だ。
北京の故宮博物館には「大禹治水図山」という、大勢の土木作業員が山をけずっている場面を、ひとりひとりの人間まで細かく表現した玉彫刻の大作もある。


わたしが好きなのは白菜や土建現場のような具象的すぎるものより、古い抽象的な作品のほうである。
とくに以前の博物館で見た玉琮には衝撃を受けた。
写真でわかるように、高さが40〜50センチほどのなんでもない四角柱なんだけど、何層にも分かれた表面にこまかい饕餮の紋様が刻まれた、工芸品としてもひじょうに魅力的なものだった。
わたしは特にこれが観たかったんだけど、新しい博物館ではあろうことか、冷遇された政治家のように、肩身がせまそうにはじっこのほうに追いやられていた。
中国政府には見る目のある要人はいないとみえる。
旧博物館で観たときは、帰りに売店に寄ってみたら、これの精巧なレプリカが置いてあった。
偽物ではなく、本物のヒスイを使って本物と同じように作られた、現代の模造品である。
安ければ買いたかったけど、たしか当時の値段で60万円ほどしたから、とてもわたしに手の出せるものではなかった。
いったいあのレプリカは、どこかの成金の家で、タヌキや布袋さまの像とならんで、床の間にでも収まっているのだろうかと、いまでも思うことがある。

あきらめきれないわたしは、あとでガラクタ市で見つけた、かたちだけ玉琮のようなインチキ商品を600円で買って欲求をまぎらわした。
ガラクタ市では玉璧、玉鉞などはひと山いくらで売られている。
わたしの部屋にはそのいくつかがいまでもあるよ。
せっかく買ってきた玉琮も、そのうち飽きてアパートの部屋から放り出したから、いまでも以前のアパートの前の、グランドのわきあたりに埋もれているかも。
ずっと後世になって、東京の三鷹市周辺にも玉琮文化があったなんて、新聞沙汰にならなければいいが。




わたしは館内を歩いているだけで、くたびれてしまった。
とちゅうに売店があって、ミーハーおばさんはアイスクリームを買って食べていた。
おばさんが感心したのはこれだけだった。
だいたい考古学なんて、動物園や水族館に比べても、興味のない人にはこれほどおもしろくないものはないだろう。
おばさんが気のドクになって、とうとう青銅器と玉器の展示だけを見て引き上げることにした。
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