旅から旅へ

2017年11月 4日 (土)

青森/老いるということ

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三内丸山遺跡を見学したあと、ホテルにもどって考えた。
なんかぜんぜんアドレナリンの放出がない。
旅をしている喜びがない。
このあと北海道へ渡るか、五能線で秋田に移動したっていいんだけど、どこへ行ってもたいしたことはないような気がする。

今回の旅では無計画に飛び出して、日程がちょうど連休に当たっていることに気がつかなかった。
ホテル代が1日だけ、やけに高いなと思ったら連休のせいだった。
翌日は連休の最終日なので、旅を延長するとまた1泊分高いホテル代を払わなければならない。
楽しい旅ならかまわないけど、ぜんぜんそうではないから、わたしはとつぜんお金が惜しくなってしまった。

こうなると新幹線は便利だ。
歩いて5、6分の駅まで行って、明日の東京までの切符はありますかと訊くと、臨時便が空いてますとのこと。
これでさっさと帰京することにした。

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いったいなんだなんだ、この旅はといわれてしまいそう。
おもしろくもなんともない。
わかっている。
そんなことはわたしがいちばんよく自覚している。
反省しておくけど、青森駅のすぐそばにワ・ラッセという大きな建物があって、ここでねぶたや棟方志功の作品を見ることもできたのである。
ねぶたは展示されているものをいちおう見たけど、あまりおもしろくなかった。
棟方志功の版画とその評判は知っているくせに、ムシのいどころがわるくて、金を払ってまで見たいと思わなかった。

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どうも覇気の感じられない旅だけど、これが老いるということらしい。
最近は旅だけじゃない。
音楽を聴いても、本を読んでも、映画を観ても、街に出て知り合いと酒を呑んでも、楽しいことがぜんぜんない。
はじめて大陸中国へ足を踏み入れたときの感激、ひとりでトルコの空港に降り立ったときの興奮、美少女に案内されたロシアの幸福、近代化されたカリマンタンでさえぞくぞくするような刺激があったのに。
あの新鮮な喜びはどこへ行った。

このままではますます引きこもりに拍車がかかりそうだ。
すると心身ともに調子がわるい。
おかげで旅に出ようという意欲もますます衰える。
これじゃあ不都合の悪循環だ。
芭蕉を見よ。
最晩年まで旅への情熱を失わなかったではないか。
そういう人もいるかもしれないけど、芭蕉のころと現代では地理の目盛りがちがう。
江戸時代に東北へ出かけるということは、現在のわたしたちが外国に出かけるのと同じくらい刺激に満ちていた。
わたしだって外国ならまだまだ出かけたいという気持ちは持ってるんだけど、歳をとって、夢は枯野をかけめぐるになっちゃっただけ。

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今回の旅がつまらない原因は、年齢以外に、やはり日本国内にいるかぎり、どこへ行っても目新しいものに出会えないことだ。
風景にしても人々の生活にしても、みんなグローバル化というのか、どこかで見たようなものばかり。
なんか旅以外に人生の目標を考える時期かもしれない。
ひとつオンナ狂いでもするかと、これ本気で考えています。

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2017年11月 2日 (木)

青森/三内丸山遺跡の2

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わたしが三内丸山遺跡に寄ったのは、津軽をうろうろしたあげく、岩木山も雨でさっぱり見えず、ほかに行くところもないという消極的な理由だった。
ここは東北縦貫道の青森ICを下りると、すぐ目の前なので、わたしみたいな運転ギライにも都合がいい。
駐車場料金を含めて、入場料は全部タダなのも気に入った。
入口は縄文時遊館という建物で、そのとなりにただいま縄文センターなるものが建設中。

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ウィキペディアによると縄文時代というのは、紀元前1万5千年から、紀元前2300年までぐらいと幅が広い。
とはいうものの、東北や北海道では弥生時代になってもまだしばらくは縄文の時代が続いていたというから、三内丸山遺跡がそれほど古いとはかぎらない。
いずれにしても、ヤマトタケルも聖徳太子もまだ生まれてなかったし、そもそも文字というものさえ生まれてなかった時代だから、わたしみたいに通俗的な歴史愛好家にとっては歴史以前の時代ともいえる。
これでなにか書けといわれても困ってしまう。

遺跡の一隅に立っている巨大なやぐらの柱は、人間ふたりで手をつないでやっとかかえられる太さ。
こんな太い柱の建物がなにに使われていたのかわからないというので、そのへんはわたしの興味をひく。

なにかの祭壇にも見えるけど、古代中国やインカみたいに人間を生贄にしていたわけでもなさそうだから、ここに住んでいた人たちは無慈悲ではなかったようだ。
卑弥呼みたいな女王がいるとおもしろいけど、いまのところそういう話もない。
人間というのは集まるとケンカばかりしている生きものだから、集落対抗の合戦でもあればドラマチックだけど、それも、少なくともその痕跡は発見されてないようだ。
こういう穏やかな生活ぶりと、青森の冬の寒さをものともしない生き方を考えると、住人はアイヌのような北方民族であったことが考えられる。

日本人が稲を育てることをおぼえると、やがてこの遺跡に住んでいた人たちの生活も衰退していった。
モンゴル人が中国の農民に北へ北へと追いやられたのといっしょ。
いったい彼らはどこに行ったのだろう。
駆逐されて北海道にでも移動したのか、それとも稲作文明に呑み込まれたのか。
稲作は原始的な採集生活よりも大人口を養えるって話だけど、そのかわり冷害などに遭いやすい。
彼らが稲作に方向転換したとしたら、まほろばといわれるほど豊かな土地に住んでいた人々にとって、割りに合うことだったんだろうか。

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確実なのは、三内丸山遺跡ではかなりの数の人間が、雨風をしのぐ住まいを協力してつくり、採取した食べ物を持ち寄り、それを高床式の倉庫に保管し、老人でも子供でも死ねばちゃんと葬ってもらえて、現代のホームレスなんかよりずっと幸福に暮らしていたこと。
わたしはついやぐらをの周辺を、縄文の子供たちが駈けまわっているようすを想像してしまった。

現代の日本人は不平たらたらで生きているけど、この遺跡で自然の恵みに感謝して生きていた人々を思うと、またまた人間の幸せというのはなんだろうと考えてしまう。
わたしもヤキがまわったか。
このへんまで考察すれば、ようやく哲学的命題にぶち当たるんだけど、この先はこのブログに取り上げるには荷が重い。
あとはみんな勝手に考えてチョーダイ。

三内丸山遺跡を見学し終えるころ、ようやく雨は上がった。

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2017年11月 1日 (水)

青森/三内丸山遺跡の1

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わたしの旅にはいっしょに持っていく本が欠かせないけど、青森の旅は急に思い立って出かけたので、それを用意する時間がなかった。
もしも時間があれば、とうぜん持っていったと思える本を、帰京してから読み返してみた。
そして持参しなかったことをつくづく後悔した。
司馬遼太郎の「街道をゆく/北のまほろば」である。

この本にわたしが行ってきたばかりの鯵ヶ沢、五所川原、むつ市、大湊、津軽と南部、岩木山などの地名、太宰治や石坂洋次郎、棟方志功、今東光、考古学の専門家、その地にまつわる人々、下北半島に流刑になった会津藩の末裔などの人名がたくさん出てくる。
旅先でこれを読めば、もうすこしはマシな旅ができたのにと思う。

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またこの本の中には青森市にある、縄文時代の三内丸山遺跡のことが出てくる。
これこそ東北地方がかってはまほろば(豊かでうるわしいこと)だったという、内容にふさわしい話題だけど、作者は当初、この遺跡のことを書くつもりがなかった。
ところがなんと、週刊朝日に北のまほろばを連載しているまさにその最中に、この遺跡が発見されたのである。
状況証拠だけで犯人を追求していたら、どかんと物的証拠が出てきたようなものだ。
おおむかしの青森はまぎれもなくまほろばだったという証拠が。

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東北というと、わたしなんかまず冷害による凶作や飢饉を連想してしまうので、それがまほろばというのはどういうことだろう。
三内丸山遺跡からは木の柱を組んだ巨大なやぐらの跡も見つかっている。
そんなものをいったいなにに使ったのだろう。
盆踊り大会でもしていたんだろうか。

冗談はさておき、専門家ではないわたしでも、これだけ大きな建造物を建てることができたということは、ここにかなり大きな人間集落があったことぐらいわかる。
そうした人たちが定住して暮らせたということは、それだけこの地方が豊かであったこともわかる。

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でも考えてみれば、そんなに驚くことではないのかも。
縄文時代というのはまだ作物をみずから育てて収穫する以前の時代で、食べ物の多くはそのへんにいる野生動物や、自然に生えている天然の穀物や果実で間に合っていた。
こうなると雨が多くて自然の豊かな日本は有利である。
海が目の前ということは、漁業をする人にも有利だ。
遺跡からは食料保存用の倉庫まで見つかっているのだ。

ごみ捨て場も見つかっている。
なんだ、ごみ捨て場かとバカにしちゃいけない。
ごみ捨て場ぐらい当時の人々の生活を教えてくれるものはないのである。
三内丸山遺跡のごみ捨て場からは、クジラやタイ、ヒラメの食べ残しも見つかっているそうだから、海鮮の好きなわたしにもここは天国だった可能性があるのだ。

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2017年10月29日 (日)

青森/鯵ヶ沢

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津軽平野をうろうろしたあと、思い出のある鯵ヶ沢というところへ行ってみることにした。
その思い出というのが、若いころ、仕事でこのあたりに来たことがあるというだけ。
そのときおぼえているのは、海を見下ろす街道沿いに焼きイカを売る屋台が並んでいて、純情青年だったわたしは、若いきれいな娘のいる店に入れず、そのとなりにあったおばあさんのやってる店でそれを食ったということ。
なにしろ40年以上前の話で、はにかみ屋だったんだよね、当時のわたしって。

おどろいたことにその店がまだあった。
屋台よりいくらか立派な店になっていたけど、海を見下ろす街道沿いということで、まちがいがない。
おばあさんはとっくに亡くなっただろうけど、あのときの娘はどうなっただろうと、今回の旅でゆいいつ感動らしいものがあったのはココだけ。

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その後、鯵ヶ沢にある「海の駅」に立ち寄ってみた。
こういうところで地元産の海産物を見るのは楽しい。
むかし来たころはもっとひなびた漁港だったと思うけど、いまではこのあたりにも新建材の住宅が増え、地元の奥さんまでが料理の材料を買いに来ていた。

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時間をもてあまして、港の岸壁に行ってみた。
雨はまだぽつりぽつりと降っていて、空も海もどんよりとしている。
イカ釣り用の集魚灯がならんだ漁船のかたわらで、釣りをしている人たちがいた。
イワシのような小魚が入れ食いで、カモメや野良猫がおこぼれを待っているのがおもしろかった。

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さて、つぎはどこに行こう。
むかしの訪問では、弘前から鯵ヶ沢に向かう街道ぞいにリンゴ畑が多かった。
リンゴ畑のあいだに番小屋のような建物が建っていて、それが欧州のどこかのような変わった景色だと思った記憶がある。
それをもういちど確認しようと、弘前方面に向かって走ってみたけど、どうも雰囲気がちがう。
景色というものは天候によって劇的に変わるものである。
わたしたちが想像するスペインや南仏の風景は、雨の日にはけっして見られないものなのだ。
あの日あのとき見た景色の再現は不可能だろうと考えて、とちゅうで引き返した。

この間、わたしは岩木山のちかくを走っていたはずなのに、それはとうとう一度も姿を現さなかった。

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2017年10月28日 (土)

青森/津軽平野

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大間のマグロの翌日は雨になってしまった。
それでもレンタカーは2日間借りてあったから、この日は津軽をうろうろしてみることにした。

津軽に思い出なんかほとんどないんだけど、知識としては作家・太宰治のふるさとであることぐらい知っている。
そうかといってべつに太宰に興味があるわけでもない。
このへんが自分でもよくワカランだけど、よっぽど入れこんだ有名人でないかぎり、わたしはその生家だとか記念館なんてものを無理に見たいと思わない人間である。
人々が有名観光地や名所旧跡に押し寄せる心理もわからない。

それじゃなんのために旅行をするのだといわれそう。
具体的な物件に興味はないくせに、ばくぜんとそのあたりを徘徊して、全体の雰囲気を感じ取るようなことは好きだ。
だから外国に行ったときも徹底的に歩きまわる。
それこそ路地裏や汚い市場にまで首を突っ込んで、現地の生活を肌で感じるということはする。
わたしの旅はたいていそういうものである。

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というわけで、青森市内から田舎道、山の中の道をひた走って、右が金木町という標識にぶつかったときも、それじゃあ右に行こうかとは思わなかった。
太宰のファンにはもったいない話だけど、そのへんで車を停めて自動販売機で缶コーヒーを買っただけである。
場所はちょうど津軽平野のへりにあたる農村で、背後に小高い山並みが続き、目のまえは秋の取り入れ直前の、目路はるかに広がる稲田だった。

ちょっとなつかしい気持ちがした。
というのはこのあたりの景色が、わたしの生まれ育った北関東の農村風景によく似ていたからである。
わたしの郷里では、東京に近いせいもあって、もうむかしの風景なんてほとんど残ってないけど、この津軽ではまだ古い景色がそのまま残ってるようだった。
あの雨にぬれた稲のあいだを、子供のころのわたしが走っていないだろうか。
そんな詩人のこころもちになる気分のほうが、太宰治記念館を見るよりずっと価値があった。

津軽平野は広い。
雨のおかげで遠方がかすんでいたせいかもしれない。
道祖神のある一本松のたたずまいなんて、日本の原風景といっていいんじゃないか。
この日、太宰の思い出のなかによく出てくる岩木山はぜんぜん見えなかった。

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2017年10月26日 (木)

青森/大間

もう帰ってきてから2週間以上にもなるのに、ぽつりぽつりと続きますよ、わたしの青森の旅。

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けっきょくのところ、わたしが青森くんだりまで出かけた理由は、本州最北端の大間で、あのマグロの大間で、マグロ丼を食ってくることだったかもしれない。
わたしは海鮮料理が大好物だから、それはそれでいいんだけど、味覚なんてものに繊細な神経を持っているわけではないから、味についてはエラそうなことをいえない。
値段が高かった、量が多かったというようなことならいえる。

大間のマグロ丼は3000円だった。
ウチの近所にあって、わたしが愛用している居酒屋なら750円だ(ランチタイム)。
でもそれは本場の現地で名物を食べるという、付加価値税がついているのだから文句はいわない。
たっぷりした厚みのマグロの切り身が、どんぶりの中に、ニ重三重に重ねられていて、ひさしぶりに豪快に堪能したっけが。

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YouTubeでわたしが贔屓にしている「Only in Japan」のジョン・ドーブ君が、まさにわたしが行った店でマグロを食べてる映像がある。
大間のマグロについては彼の映像を見たほうが早い。
店の壁にベタベタとマグロのブランドステッカーが貼られていて、ドーブ君はそれを背中にしてマグロを食べているけど、わたしそれを正面に見ながら食べた。
時間差を無視すれば、わたしと彼は同じテーブルに向かい合って、マグロに舌鼓を打ったわけだ。

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満腹して店の外に出ると、海をのぞむ岸壁上にレストハウスがあり、本州最北端の碑と、過去に築地で最高値をつけたマグロの実物大のモニュメントが置かれていた。
目の前は津軽海峡で、その向こうには北海道の函館がもう目睫の間だ。
ここにはやはりま冬に来るべきだったと思う。
おまえはいったい何をしているのかと、またしてもわたしに問う何者かがいる。

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2017年10月23日 (月)

青森/恐山

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さて、下北半島の代表的な観光スポットなら恐山がある。
しかし無神論者のわたしはこういうところがキライである。
似たような場所は箱根の大涌谷や、草津温泉にもあり、むかし南アルプスの地蔵岳に登ったときには、山頂にお地蔵さんが並んでいる不気味な景色を見たおぼえがある。
いくら不気味といったって、地獄も三途の川も信じてないわたしが、そんなものに感動するはずがないのだ。

でもレンタカーのナビを見たら、恐山はむつ市から大間へ行くちょうど途中じゃないか。
これじゃ寄らないわけにいくまいと、観念して車を走らせた。
平日だからか、あるいはいつもそうなのか、この道は車にめったに出会わないひっそりとした山道で、有名な霊地としてはちと意外。

山道を走ること30分ぐらいで、恐山のすぐ近くにある宇曽利山湖のほとりに着いた。
車を停めて車外に出てみると、ぷーんと硫黄の臭いが鼻をつく。
遠方に寺院らしい建物と駐車場が見える。
また大湊で見たレーダーサイトのある山が、ここからはそれを裏側から見ることになる。

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恐山菩提寺まで行ってみた。
期待せずに立ち寄ったくらいだから、もちろんおもしろいとは思わない。
風ぐるまの写真に象徴されるよう、この寺は水子を多く祀ってあるらしいけど、男のわたしにはそんなものを流したという罪の意識もないし、誰かの菩提をとむらうといったって、そもそもあの世を信じていないのだから話にならない。

入場料を払って境内に入ってみると、わたしと前後して、欧米人の太った娘が歩いていた。
え、カノジョー、どこから来たのと声をかけようかと思ったけど、わたしは還暦をすぎたじいさんであることを思い出して、やめておいた。
あいかわらず煩悩の鬼を断ち切れてないわたし。

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境内に木造の温泉小屋があり、のぞいてみたら男性がひとり入浴していた。
熱いですかと訊くと、ちょうどいいですという返事。
ちょうどというのはどのくらいなのか、靴下をぬぐのがメンドくさくて確認してみなかった。
女性用の湯屋はべつにあるけど、欧米人の娘も確認しなかったようだ。

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ここにはイタコというものが存在している。
死者のたましいを呼び出して、いろいろお話をさせてくれるもので、かってはマリリン・モンローを呼び出したこともあるという。
ウィキペディアによると、選択無形民族文化財というものになっているそうだから、あまりひやかすようなことを書くのは止めておこう。
境内に長屋のような建物があって、のぞいてみたら巫女の上っぱりを着たきれいなおばさんが、どこかの年寄りをまえにしてなにか語っていた。
あれがイタコらしいけど、べつに関心もないし、写真なんか撮って死者の降臨のジャマをしてもわるいから、さっさとその場をはなれた。

恐山については、ほかにとくに書くことともないので、興味のある人はグーグルかウィキペディアを参照のこと。
行ったという証明のために、写真だけは載せておく。

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2017年10月22日 (日)

青森/青森港

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青森というと本州の最北端ということで、たとえば演歌の舞台として切なく歌われそう。
しかし冬ならまだしも、それ以外の季節に行ったら、青森市内にはぜんぜんそんな気配はない。
高層ビルが少ないから、空が広いなと感じただけで、たとえばわたしが2年前に行ってきた富山市ともたいして変わらない小規模な地方都市といったところ。

駅のすぐそばに海があり、湾を横切ってでっかい自動車用の橋がかかっている。
この橋の必要性があまり感じられないんだけど、これは日本の政治が津々浦々まで予算を配分していることの証明ではないか。
せっかく地方交付税をもらえるんだから、なくても困らないけど、あればいくらか便利になるから作っとけてなもん。
搾取と還付がバランスよく調和していて、いくらかいびつなところがあっても、日本の政治は文句をいうほどひどいものとは思えない。
ちなみにこの橋はベイブリッジというそうだ。

駅が海から近いのも当然で、かっては終点の青森までやってきた列車は、そのまま引き込み線で、青函連絡船に車両ごと乗せられて北海道に渡っていたのだ。
現在では連絡船は完全に廃止だけど、青森駅には当時の引き込み線の痕跡が残っている。

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わたしは到着した日にぶらぶらと港に出かけてみた。
港の周辺は公園になっていて、頭上をまたぐようにベイブリッジがかかっている。
橋の下に帆船の甲板を模したような木造の遊歩道が作られていて、散歩やジョギングをしている人たちがいた。
桟橋には青函連絡船だった八甲田丸が、ホテルになって係留されていた。
これは氷川丸がつながれた横浜港みたいでもあるけど、人影はこっちのほうがはるかに少ない。

ほかに、べつに感心するようなものもなく、漫然とぶらついてホテルにもどることにした。
帰りに駅の立ち食いそば屋に立ち寄って、フノリそばなるものを食べた。
東京でもよくあるワカメそばみたいなもので、立ち食いそばの中では、いちばん安い部類。

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2017年10月19日 (木)

青森/アパ・ホテル

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ホテルといえばアパ・ホテル。
中国や韓国では総スカンされているらしいけど、わたしの場合、とくにうるさいこともいわずにホテルを決めたら、たまたま当たったのがこのホテルだ。
事情を知らなければ、わたしみたいなひとり旅には、とりたてて問題のないホテルである。

事情というのは、このホテルのオーナーが極右主義者で、部屋に聖書やコーランの代わりに、南京虐殺はなかったとか、慰安婦は売春婦だったなんて書いた本をどうどうと置いていること。
でも、どうせふつうの中国人、韓国人に読めるわけがないし、安けりゃなんだっていいという極東アジアの客も多いようだった(最近のネットニュースによると、中国ではアパ・ホテルもまた予約できるようになったらしい)。

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夜中に風呂(小さなバスタブだ)に入って、ヒマだから置いてあった「理論・近現代史学」という本を読んでみた。
べつに、わたしにとって目新しいことが書いてあるわけじゃない。
誤解されちゃ困るけど、わたしは右の文書も左の文書も読んだことがあるということである。
世間にはこういう意見もあるのかと参考にしておけばよい。
こういう極端な意見でもどうどうと発言できる平和な日本に感謝しておけばよい。
逆説的に聞こえるかもしれないけど、こんな本がホテルに置いてあるかぎり、日本の表現の自由はまだまだ保障されていると思えばいい。

どうもホテルのオーナーは自分を売り込むのに熱心な人らしく、自分がいかに立志伝中の人物であるかを強調した本(マンガ)もあった。
他人の自慢話を聞かされるくらい不愉快なことはないけど、無理して目を通したわたしがわるいだけで、読む読まないはあなたの勝手。

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2017年10月17日 (火)

青森/つまらん

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今回の青森行きは急に思い立ったので、とくに目的があったわけではない。
目的のない旅というのはつらいものだ。
いったいわたしは青森まで何をしにいったのだろう。
いちおう出発まえに、「青森」「観光スポット」という言葉をキーワードにしてググッてみた。
まあ、青森にも他県なみにいろんな観光スポットがあることはわかった。

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でも桜の季節じゃないから弘前には行かない。
八戸の朝市はおもしろそうだけど、日曜日にうまく日程をあわせられるかどうか。
ねぶたが青森では有名だ。
しかし祭りはとっくに終わったし、混雑のキライなわたしが、祭りをやっているときそんなものを観に行くはずがないから、こういうものはぜんぜん期待できない。

青森市内に三内丸山遺跡がある。
これは司馬遼太郎の「街道をゆく/北のまほろば」に出てくる。
縄文時代のこのあたりは、同時代の日本のどこよりも豊かな土地だったというもので、東北というとむかしから冷害による凶作、飢饉という印象しかないわたしには、本のこの部分がつよく印象に残った。
とはいうものの、わたしは考古学にもたいして興味がないのである。
これもあまり期待できない。

山でいえば日本百名山に挙げられている八甲田山、岩木山がある。
八甲田は歩兵5連隊の大量遭難で、岩木山のほうは太宰治の愛読者にはよく知られた山だ。
もう山に登れるほど健脚じゃないけど、このふたつの山は遠くから眺めることぐらいできるだろう。
今回の旅は下北半島を重点的に見てまわるつもりなので、奥入瀬渓谷や白神山地は最初からあきらめた。

これじゃやっぱり大間のマグロしかないか。
大間に行くならとちゅう恐山に寄れるかも。
でもわたしは無神論者で、あの世もこの世も信じてないのだ。
そこへもってきてエセ地獄みたいな景色は、箱根や雲仙、南アルプスの地蔵岳のてっぺんでも見たことがある。
けっして無理に見たい景色じゃない。

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どうしてこんなにつまらないのだろう。
原因はやっぱりわたしがもう若くないってことだろうけど、それ以外にこの旅でしみじみと思ったのは、わたしみたいに好奇心につき動かされた旅人を満足させる場所は、もう日本にはひとつも残ってないんじゃないかということ。
どこへ行っても同じような風景と生活ばかりで、I can't get no satisfaction (オレは満足できない)なんだよ。

もちろん知性と教養にあふれた人なら、どんな場所にでも好奇心の対象を見出すだろうけど、単純なわたしは、不幸なことに海外旅行を知ってしまったのだ。
カリマンタン島やタイに匹敵するほど興味深いところを、わたしは日本ではどうしても見出せないのである。

いちおう到着した翌日からレンタカーを借りる予定で、その日の目的地は下北半島とそのとっつきにある大間、3日目に鯵ヶ沢から岩木山の周辺、4日目以降は現地で考えるということにした。
気がむけば五能線に乗って秋田に出るか、あるいはそのまま北海道に渡ってしまうかもしれないから、ホテルは3泊分しかとってなかった。

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