大沢村風土記

2018年11月15日 (木)

古民家の2

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今月4日のオープンの日に見学に行った三鷹市の古民家、今日はいい天気だったのでまた見学に行ってきた。
そのときのブログ記事の写真を貼り替えたので、興味のある人はこちらから。

今日は平日だし、もうブームが去ったのか、見学者はわたしを含めて3人だけ。
壁に張ってある説明などをじっくり読んできたけど、 わさび田を開墾した古民家の持ち主で、家を三鷹市に寄贈した故箕輪一ニ三氏の苦労話が、小説でも読んでいるようでおもしろかった。

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温度管理や水はけの調整、わさびを採るさいの道具の名称、収穫や出荷の手順などで、冷たい環境を好むわさびは、東京の夏を越せないので、収穫は1年ものを4月から6月に出荷していたということなど。
三鷹のわさびは信州や天城のものに負けないくらい高品質で、戦前の最盛期には、1万本ちかくも築地などに出荷していたそうだ。

箕輪氏の顔写真もあった。
苦労を積み重ねたあげく、人生そのものに大成就したようなゆとりのある顔をしている。
ぜんぜん苦労をしていないわたしをなんぞ忸怩のきわみだけど、仕方がない。
サムセット・モームの言葉にあるとおり、人間はその本分にしたがって生きるしかないのだと、負け惜しみをいう。

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2018年11月 5日 (月)

古民家

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わたしの散歩道のとちゅうにある古民家が、きちんと整備されて、昨日の日曜日から一般公開されていた。
他に予定がないから、昼ごろ、ぶらぶらと見学に行ってみた。

古民家のまえまで行くと、数人の見学者が入口のあたりにたむろし、柵に入場は1時からですと札が下がっていた。
時計を見ると、まさにその1分まえだ。
ものほしそうな顔で内部をのぞきこんでいると、すぐに時間になって、わたしが入場者第1号という栄誉を担うことになってしまった。
タダなんですかと訊くと、係員がこちらにという。
玄関を入ったところに券売機があり、おとなひとり200円だった。
でもきれいなパンフレットをくれるから、印刷代だと思えばよい。

古民家について詳しいことは三鷹市のホームページでも見てもらうことにして、ここではわたしの感想を。

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じつはこの前日にも散歩がてら、この古民家をのぞいたんだけど、そのときひとりの老人に話しかけられた。
彼はなぜか怒っており、自分もむかしはこのあたりの農家だったという。
東八道路(府中の試験場に通じる広い通りで、いまそこに自転車用の車線を増設中)ができて、このあたりも変わったという。
古きよき時代に郷愁を感じる、つまりこの人もわたしと同じ懐古主義者なのかと思った。

ところが彼は道路建設のために、田畑を市役所に買い叩かれてとこぼす。
ご存知のように、農民が農地を農業以外の目的で売り飛ばすには、いろいろとむずかしい制約がある。
世間の相場ではいい値で売れるはずが、けっきょく彼は市役所の言い値で売らざるを得なかった。
と彼の怒りはそういうことらしい。

これは他人が安易に同情すべき問題ではない。
日本の法律は濡れ手にあわで儲けることを禁じているからである。
あまり景気がよさそうでない彼に、でもそれなりのものはもらったんでしょうとは聞けなかった。
もしかするともらった金をみんな酒や賭博に浪費して、あとで文句をいっている人かもしれない。
どっちにしても売るべき寸土も持ってないわたしには関係ない話だ。

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さて、古民家のこと。
もともとは農家だった建物らしいけど、関東地方の農村をよく知っているわたしにいわせると、ちょっと農家として使うには小さすぎるような気がする(この写真は広角レンズで大きく見えるけど)。
わたしの親戚も農家だったけど、寝室などの居住空間に台所、かいこ棚、作業所、農具の物置き、おまけにウシかウマでもいればその居場所まで含めると、もっと広いスペースが必要だったように思う。
わたしがこの民家を見て思ったのは、これでは茶室か、老人の隠居部屋にしか見えないということだった。

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しかしそういう目的のために作られたとしたら、持ち主の風雅が感じられてすばらしい。
庭に面した2方向がガラス戸のある廊下になっていて、小さな池と、その向こうがそのままワサビ田につながっている。
自分が丹念に育ててきたワサビ田を、朝な夕なにながめて暮らす。
この民家の持ち主は箕輪一二三さんという人だったそうだけど、農民の晩年としては完璧だったと思う。

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2018年10月19日 (金)

大沢の古民家

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とつぜん季節はずれの写真でおどろいた人がいるかも。
昨日の新聞に、大沢の里の古民家が来月から一般公開されるとあった。
この民家はわたしの散歩コースの途中、ほたるの里のわきにあって、この写真の正面の樹木の向こう側にあるんだけど、生垣にかこまれているので、これまで建物を紹介することができなかった。
それでもわたしにはおなじみのところだ。

このふきんは、春にはレンゲ畑にコイノボリがひるがえり、夏にはホタルがちらほら、小さな水田ではザリガニが釣れ、ワサビ田には白いカラーの花が咲き、おまけに大沢の水車小屋まで呼べばとどく距離にある。
童謡唱歌にうたわれた昭和のむかしを知っている人には、すごいノスタルジーを感じられるところなのである。

わたしはこの民家の庭にある小さな池に、サワガニまでが棲んでいることを知っている。
一般公開のおかげで、大勢の人が押し寄せるのが目に見えているので、彼らの生息環境までが激変しないよう祈るばかりだ。
とりあえず本格的な紹介は来月になってからしよう。

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2017年1月12日 (木)

多摩墓地

ここんところ家に引きこもって書ける話題ばかりだ。
ますますニートだと思われてしまいそうだけど、それでもわたしの歳でこんな趣味があるだけマシ。

ちなみにNEETの語源は、就学、就労、職業訓練のいずれも行っていない者をいうのだそうだ。
いまのわたしにそんなものは必要ないし、未来をしょって立つ若者たちからごくつぶしといわれないように、たまには仕事もしているぞ。
そればかりか、健康のために散歩だってしておりますってわけで、今日は屋外の話題だ。

先日知り合いと散歩がてら、家から徒歩で30〜40分の多摩墓地まで行ってみた。
多摩墓地は広い。
全部まわったら高尾山に登るより疲れそうだったので、正門から入って、最短コースで府中試験場のまえに出て、あとはいつもの散歩コースで帰ってきた。

墓地では、ちょいとのぞいただけなのに、たちまち有名人の墓を三つばかり発見した。
正門から入ってまもなくのところに、ひときわでっかい石柱がある。
どんな人の墓かと思ったら、これは日露戦争で満州軍総参謀長として活躍した児玉源太郎陸軍大将のものだった。
わたしの歴史上の人物についての知識は、司馬遼太郎の「街道をゆく」によるところが大きいんだけど、児玉大将のこともこの本に詳しい。

ぶらぶら碑銘をながめながら歩いていくと、吉岡彌生という名前が目についた。
これも司馬遼太郎の本で知っていたけど、これは東京女子医大を創設した明治時代の女性医学者の名前である。
その功績からすれば児玉大将におとらない偉人だけど、彼女の墓はとくべつに大きくて目立つというわけではなかった。
でっかければいいってもんでもない。

さらにぶらぶら歩く。
この先に徳田球一の墓があることは以前から知っていた。
もういちいち説明しないけど、人間はそれぞれの本分にしたがって生きただけだから、墓に入ってしまえばイデオロギーは超越してしまうのだ。
このへんは儒教の国(中国や韓国)との違いである。

あの世を信じていないわたしでも、こうやって他人の墓をながめて、歴史に思いをめぐらすのは楽しい。
またそのうち、今度は有名人の墓探訪ということで、多摩墓地をじっくり再訪問しよう。

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2012年6月 7日 (木)

水車

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今日の新聞に深大寺の水車が新しくなったという記事。
わたしの散歩道のとちゅうにある水車も最近新しくなったから、てっきりこれのことかと思ったら、どうもそうではないらしい。
新聞記事のほうは調布市深大寺の水車館の水車とある。
ここんところちょっと足が遠のいていたから気がつかなかったけど、深大寺もわたしの散歩コースで、そういえばあの近くにも水車があったっけなあと思いだす。

今日のブログで紹介するのは、大沢村の水車。
ほたるの里の近くにあって、この春に新しくなったばかり。
新しすぎる水車というのはまわりの風景になじまないので、もうすこし時を経て、コケでもついたほうがいいようだ。

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2010年11月27日 (土)

大沢村の季節ふたつ

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大沢村の季節ふたつ。
上は5月、下は11月だから、まるっきり正反対の季節。

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2009年8月28日 (金)

スズメおどし

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今年は日照不足だなんて噂を聞いたけど、わが家の近所の里山では、スズメおどしがきらめく下、稲は順調に育っているみたい。

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2009年7月18日 (土)

花火大会

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今夜は調布の花火大会。
わが家から会場まで、自転車でもあればほんのちょいの距離なので、何年かまえにじっさいに多摩川まで見にいったことがあるけど、だいたい人ごみのキライなわたしが無理して会場までいく必要はないのである。
花火はわが家のベランダからも見えるし、ちょっと庭の木がじゃまだというなら、となりにあるグランドへ出てみるテもある。

そういうわけでグランドで撮った花火の写真がこれ。
花火の写真は、ネット上に傑作がごまんとあるけど、わたしがお見せするのは、そういう素晴らしい写真じゃない。
傑作を撮りたくてもコンパクトカメラじゃたいして期待できるわけでもないし。

幼いころの郷愁をさそう絵をたくさん描いた谷内六郎さんの作品に 「音のない遠い花火」 という絵がある。
山の向こうの遠い花火を見ていると、音は大気中で消えて花火だけが見えるという説明がついている。
わたしの写真は、そんな素朴でなつかしい花火のつもりである。

グランドには浴衣を着た子供たちもたくさん見物に来ていた。
今夜の花火は谷内六郎さんの絵のように、子供たちにとっていつかきっと、郷愁をさそうなつかしい思い出になるのだろう。

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2009年7月14日 (火)

近藤勇

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このブログで取り上げるには遅きに失した感があるけど、わが大沢村は新撰組のふるさとである。
わたしの散歩コースのとちゅうに龍源寺というお寺があって、ここに新撰組の局長・近藤勇の墓がある。
近藤勇について書かれた書物は多いので、その世間の評価もおおむね定まっているようだけど、しかし、しかしヘソ曲がりのわたしは世間の評価というのがキライである。
真実はヘソ曲りにしかわからないものなのだ。

近藤勇はほんとうに冷徹剛勇でならした佐幕派の侍だったのだろうか。
同じ新撰組で副長を務めた土方歳三は函館の五稜郭で討ち死にしたけど、勇のほうは流山で捕らわれて板橋で斬首された。
京都で薩長の志士たちの屍をきずいた新撰組は、薩長連合の官軍(わたしはこっちのほうが賊軍ではなかったかと思うことがよくある)による最大のお尋ね者で、つかまれば処刑されることはまず間違いなかった。
それを心得ていた土方歳三は捕縛されるよりも散華するほうをえらんだが、勇はおめおめ捕縛され、しかもものの本によるとそのとき偽名を語っていたともある。
しらばっくれていればわからないと思っていたのだろうか。
どうも剛勇の侍にしてはみっともない。

江戸城明け渡しのさいにも、新撰組なんかが江戸にいたのでは無血開城のさまたげになるという勝海舟のはかりごとで、軍資金を渡されて体よく江戸を厄介払いさせられ、しかもその軍資金を派手に呑んでパアッと使ってしまい、けっきょくどこにも行きようがなく、あとは落ち目の王将、ひたすら関東という盤上を逃げまわるだけ。
このていたらくを見ていると、腕っぷしは強いし、それなりチームをまとめる器量はあったかもしれないが、けっきょくそれ以上でもないし以下でもない、体育会系の親分みたいなヒトといった感じに思えてしまうのである。

わたしがヘソ曲りすぎるのか、それとも近藤勇の末路にはべつの理由があったのか、そのへんはよくわからないけど、歴史というのはちょっと視点を変えるだけで、ぜんぜん別のお話になってしまうものである。

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2009年7月12日 (日)

たそがれの跨線橋

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武蔵境と三鷹をむすぶ線路のわきを歩いていて、電車庫のあたりにさしかかったら、いっしょに歩いていた知り合いが、ここの跨線橋は三鷹市の名所なんだと教えてくれた。
三鷹駅近くの古くからある跨線橋だけど、幼児を連れた母親などがその上で通り過ぎる列車をながめていると、車掌が手をふってくれたり、パォーンと警笛を鳴らしてくれるのだそうだ。
なるほど、わたしが跨線橋に登ったとき、たまたま幼児と母親がいて、列車が警笛を鳴らして通りすぎた。
素朴で人間味の感じられる光景であるなと感心した。
この跨線橋にはこの近くに住んでいた太宰治も子供を連れてよく通っていたそうで、橋のたもとにそれについて書かれたプレートが設置されている。

遠いむかし、永島慎二だったか、宮谷一彦だったか、誰だったかはっきり記憶してないんだけど、抒情ゆたかな作品を描くマンガ家がいて、その作品の中にこの跨線橋が出てきた。
永島慎二もわたしに精神的影響を与えた作家のひとりだけど、すでに故人だ。

おぼろな記憶はさておいて、この橋の上で人生についてさまざまに煩悶した若者は多いんじゃないだろうか。
ちょうどたそがれ時だったのでよけいそんなことを考えてしまった。
たそがれ時だとなんでよけいそんなことを考えるのか?
理屈っぽいねえ、キミ。
人間がいちばん感傷的になるのが夕暮れ時だってことサ。

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