大沢村風土記

2017年1月12日 (木)

多摩墓地

ここんところ家に引きこもって書ける話題ばかりだ。
ますますニートだと思われてしまいそうだけど、それでもわたしの歳でこんな趣味があるだけマシ。

ちなみにNEETの語源は、就学、就労、職業訓練のいずれも行っていない者をいうのだそうだ。
いまのわたしにそんなものは必要ないし、未来をしょって立つ若者たちからごくつぶしといわれないように、たまには仕事もしているぞ。
そればかりか、健康のために散歩だってしておりますってわけで、今日は屋外の話題だ。

先日知り合いと散歩がてら、家から徒歩で30〜40分の多摩墓地まで行ってみた。
多摩墓地は広い。
全部まわったら高尾山に登るより疲れそうだったので、正門から入って、最短コースで府中試験場のまえに出て、あとはいつもの散歩コースで帰ってきた。

墓地では、ちょいとのぞいただけなのに、たちまち有名人の墓を三つばかり発見した。
正門から入ってまもなくのところに、ひときわでっかい石柱がある。
どんな人の墓かと思ったら、これは日露戦争で満州軍総参謀長として活躍した児玉源太郎陸軍大将のものだった。
わたしの歴史上の人物についての知識は、司馬遼太郎の「街道をゆく」によるところが大きいんだけど、児玉大将のこともこの本に詳しい。

ぶらぶら碑銘をながめながら歩いていくと、吉岡彌生という名前が目についた。
これも司馬遼太郎の本で知っていたけど、これは東京女子医大を創設した明治時代の女性医学者の名前である。
その功績からすれば児玉大将におとらない偉人だけど、彼女の墓はとくべつに大きくて目立つというわけではなかった。
でっかければいいってもんでもない。

さらにぶらぶら歩く。
この先に徳田球一の墓があることは以前から知っていた。
もういちいち説明しないけど、人間はそれぞれの本分にしたがって生きただけだから、墓に入ってしまえばイデオロギーは超越してしまうのだ。
このへんは儒教の国(中国や韓国)との違いである。

あの世を信じていないわたしでも、こうやって他人の墓をながめて、歴史に思いをめぐらすのは楽しい。
またそのうち、今度は有名人の墓探訪ということで、多摩墓地をじっくり再訪問しよう。

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2012年6月 7日 (木)

水車

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今日の新聞に深大寺の水車が新しくなったという記事。
わたしの散歩道のとちゅうにある水車も最近新しくなったから、てっきりこれのことかと思ったら、どうもそうではないらしい。
新聞記事のほうは調布市深大寺の水車館の水車とある。
ここんところちょっと足が遠のいていたから気がつかなかったけど、深大寺もわたしの散歩コースで、そういえばあの近くにも水車があったっけなあと思いだす。

今日のブログで紹介するのは、大沢村の水車。
ほたるの里の近くにあって、この春に新しくなったばかり。
新しすぎる水車というのはまわりの風景になじまないので、もうすこし時を経て、コケでもついたほうがいいようだ。

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2010年11月27日 (土)

大沢村の季節ふたつ

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大沢村の季節ふたつ。
上は5月、下は11月だから、まるっきり正反対の季節。

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2009年8月28日 (金)

スズメおどし

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今年は日照不足だなんて噂を聞いたけど、わが家の近所の里山では、スズメおどしがきらめく下、稲は順調に育っているみたい。

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2009年7月18日 (土)

花火大会

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今夜は調布の花火大会。
わが家から会場まで、自転車でもあればほんのちょいの距離なので、何年かまえにじっさいに多摩川まで見にいったことがあるけど、だいたい人ごみのキライなわたしが無理して会場までいく必要はないのである。
花火はわが家のベランダからも見えるし、ちょっと庭の木がじゃまだというなら、となりにあるグランドへ出てみるテもある。

そういうわけでグランドで撮った花火の写真がこれ。
花火の写真は、ネット上に傑作がごまんとあるけど、わたしがお見せするのは、そういう素晴らしい写真じゃない。
傑作を撮りたくてもコンパクトカメラじゃたいして期待できるわけでもないし。

幼いころの郷愁をさそう絵をたくさん描いた谷内六郎さんの作品に 「音のない遠い花火」 という絵がある。
山の向こうの遠い花火を見ていると、音は大気中で消えて花火だけが見えるという説明がついている。
わたしの写真は、そんな素朴でなつかしい花火のつもりである。

グランドには浴衣を着た子供たちもたくさん見物に来ていた。
今夜の花火は谷内六郎さんの絵のように、子供たちにとっていつかきっと、郷愁をさそうなつかしい思い出になるのだろう。

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2009年7月14日 (火)

近藤勇

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このブログで取り上げるには遅きに失した感があるけど、わが大沢村は新撰組のふるさとである。
わたしの散歩コースのとちゅうに龍源寺というお寺があって、ここに新撰組の局長・近藤勇の墓がある。
近藤勇について書かれた書物は多いので、その世間の評価もおおむね定まっているようだけど、しかし、しかしヘソ曲がりのわたしは世間の評価というのがキライである。
真実はヘソ曲りにしかわからないものなのだ。

近藤勇はほんとうに冷徹剛勇でならした佐幕派の侍だったのだろうか。
同じ新撰組で副長を務めた土方歳三は函館の五稜郭で討ち死にしたけど、勇のほうは流山で捕らわれて板橋で斬首された。
京都で薩長の志士たちの屍をきずいた新撰組は、薩長連合の官軍(わたしはこっちのほうが賊軍ではなかったかと思うことがよくある)による最大のお尋ね者で、つかまれば処刑されることはまず間違いなかった。
それを心得ていた土方歳三は捕縛されるよりも散華するほうをえらんだが、勇はおめおめ捕縛され、しかもものの本によるとそのとき偽名を語っていたともある。
しらばっくれていればわからないと思っていたのだろうか。
どうも剛勇の侍にしてはみっともない。

江戸城明け渡しのさいにも、新撰組なんかが江戸にいたのでは無血開城のさまたげになるという勝海舟のはかりごとで、軍資金を渡されて体よく江戸を厄介払いさせられ、しかもその軍資金を派手に呑んでパアッと使ってしまい、けっきょくどこにも行きようがなく、あとは落ち目の王将、ひたすら関東という盤上を逃げまわるだけ。
このていたらくを見ていると、腕っぷしは強いし、それなりチームをまとめる器量はあったかもしれないが、けっきょくそれ以上でもないし以下でもない、体育会系の親分みたいなヒトといった感じに思えてしまうのである。

わたしがヘソ曲りすぎるのか、それとも近藤勇の末路にはべつの理由があったのか、そのへんはよくわからないけど、歴史というのはちょっと視点を変えるだけで、ぜんぜん別のお話になってしまうものである。

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2009年7月12日 (日)

たそがれの跨線橋

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武蔵境と三鷹をむすぶ線路のわきを歩いていて、電車庫のあたりにさしかかったら、いっしょに歩いていた知り合いが、ここの跨線橋は三鷹市の名所なんだと教えてくれた。
三鷹駅近くの古くからある跨線橋だけど、幼児を連れた母親などがその上で通り過ぎる列車をながめていると、車掌が手をふってくれたり、パォーンと警笛を鳴らしてくれるのだそうだ。
なるほど、わたしが跨線橋に登ったとき、たまたま幼児と母親がいて、列車が警笛を鳴らして通りすぎた。
素朴で人間味の感じられる光景であるなと感心した。
この跨線橋にはこの近くに住んでいた太宰治も子供を連れてよく通っていたそうで、橋のたもとにそれについて書かれたプレートが設置されている。

遠いむかし、永島慎二だったか、宮谷一彦だったか、誰だったかはっきり記憶してないんだけど、抒情ゆたかな作品を描くマンガ家がいて、その作品の中にこの跨線橋が出てきた。
永島慎二もわたしに精神的影響を与えた作家のひとりだけど、すでに故人だ。

おぼろな記憶はさておいて、この橋の上で人生についてさまざまに煩悶した若者は多いんじゃないだろうか。
ちょうどたそがれ時だったのでよけいそんなことを考えてしまった。
たそがれ時だとなんでよけいそんなことを考えるのか?
理屈っぽいねえ、キミ。
人間がいちばん感傷的になるのが夕暮れ時だってことサ。

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2009年6月 8日 (月)

田植え

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昨日は近所の田んぼで田植えの日だった。
毎年の恒例事業だけど、たまたまドロンコ遊びに好適な天気になったし、都議さんまで挨拶にやってきてなかなかにぎやかだった。
わたしは田植えを横目にみながら、街まで10キロぐらい歩いて、これでメタボ対策はバッチリと、安心して部屋にもどってまたメシを食って寝てしまう。

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2008年11月 9日 (日)

キャンドルナイト

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いつもの散歩コースの先のほうで 「11万人のキャンドルナイト」 という催しものが開かれるという。
その情報をくれた友人や階下に住む金髪クンとともに、散歩をかねてぶらぶら出かけてみた。

最近日本の各地の棚田などで、無数のローソクをともして風景をいろどるという、これに類した催しものが多い。
写真で観ると、幻想的でなかなか美しいものである。

とうぜんそういうものを期待して出かけたのだが、じっさいの光景はイマイチ。
原因は会場が広すぎて、せっかくのローソクが散漫になってしまっているせいらしい。
会場を周遊するコースはローソクの灯でふちどられていたけど、コース以外の場所にはほとんどない。
わたしは芝の上や池のほとりなど、会場のいたるところにローソクが置かれ、会場全体が満天の星のようにきらめいているのではないかと思っていたのである。
これではどうにももの足りない。

ある場所では川の中にローソクがともされていて、これはまあ、キレイだったけど、規模が小さすぎる。
来年はもっと場所をしぼって、たとえば川とその岸辺だけに限定して、ほんとうに天の川の降臨みたいな景色にしたらどうだろう。
いくつかのローソクはゆらゆらとゆれながら川を流れていくなんて、これこそ幻想的ではないか。

こんなキャンドルナイトだったけど、それでも会場に押しかけたのは家族連れやオンナの子らの大群衆で、金髪クンが、カルト集団かと思いましたよというのがいい得て妙。
人の数が多いので、見物は交通整理されて行列をつくらなければならない。
行列に並ぶのがキライなわたしだけど、いったん列の最後にくっついたら終わりまで行かないと出られないのであった。

列からはなれて写真を撮っていたら、ボランティアの娘が、人民警察みたいな口調で、列からはずれないで下さいという。
見るとなかなか美しい娘だった。
ローソクより彼女のほうがいい写真になりそうだったから、撮らせてくださいとカメラを向けると、あれぇーといって逃げてしまった。
最近のオンナの子はたいていそうだけど、写真を撮られると、それだけで処女膜の2、3枚も失うんじゃないかと恐れているようである。
こんな世の中に誰がしたと、不遇なおじさんカメラマンに思い知らせるキャンドルナイトでありました。

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2008年8月 3日 (日)

盆踊り

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祭り囃子にさそわれて、ついふらふらと出かけてみたら、コミュニティセンターの庭で盆踊りのまっ最中。
囃し手がいっしょうけんめい煽っても、昨今の若者はなかなか踊りの輪に入らないのが欠点だけど、まあ、お祭りの雰囲気だけはなかなかのもの。

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