(NHK)テレビより

2020年6月25日 (木)

トラムの旅

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NHKしか観ないというと、カッコつけやがってと思われるかもしれないけど、わたしの場合これホント。
民放の場合ガチャガチャやかましいイメージで、ハナっから観る気がしない。
ずっと以前、旅行中に、いっしょに行った知り合いが、「半沢直樹」がおもしろいからぜひ観ろといったけど、無視してさっさと寝てしまった。
それ以来わたしが変人であるという噂がますます広まることになっちゃったけど、観たくもないテレビを観せられるくらいなら死んだほうが、いや、寝たほうかマシ。

いったいNHKのどこがいいんだという人が、わたしの知り合いにもいる。
それで今日は最近見つけた実例をひとつあげよう。
BSに「ヨーロッパ・トラムの旅」という番組がある。
これはトラム(路面電車)に乗って、アムステルダムだとかベルリンのようなヨーロッパの都市を見てまわるだけの番組だ。
ドラマやナレーションも会話もなく、ただ音楽を背景に、電車の車窓からひたすら街をながめる番組で、つまらない人には徹底的につまらない番組なんだけど、これがわたしの感性にぴたりとはまった。

もともと旅行の好きなわたしだけど、旅先で飲んだり食ったり遊んだりするよりも、列車やバスに乗って、ぼんやり通り過ぎる風景を眺めているのが好きである。
そういうつまらない趣味の男に、この番組は、部屋にいながらにして理想の外国旅行を体験させてくれる番組というか。
たったいま録画していたフィンランド編を観ているけど、トラムの前方のほうに、結婚式を終えたばかりで、まだ結婚衣装のままの新郎新婦が歩いている。
べつにカメラがわざわざ接近するわけでもなく、すぐにふたりは建物のかどをまがって見えなくなった。
そんな具合に、車窓につぎつぎとあらわれる景色は、それだけでわたしにとってほんとうに興味のつきないものなのだ。

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余計な追記:
これが途上国のトラム(そんなものがあればの話だけど)なら、もっと人間くさい景色が見えるだろう。
わたしは中国の洛陽で、人通りの多い道路のわきで馬を解体しているのを見たことがある。
そのときはトラムじゃなくタクシーだったけど、これはさすがにあまり見たくなかったねえ。

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2020年4月13日 (月)

男と女

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COOL JAPANという番組が好きでよく観ている。
これは外国人の男女をスタジオに招いて、日本のいい点、わるい点を議論してもらう番組だ。
先日のそれでは、欧米の女の子は日本の草食系男子に対して、ひじょうな失望感を抱いているという意見が多かった。
ふつうに考えても、目のまえに女の子がいるのにそれを口説かない男がいたら、ゲイや機能障害と思われても仕方がない。
日本では礼儀だヘチマだといって、いきなり女の子をくどくべきではないという風潮があるけど、そりゃ偽善である。
この番組を観てもわかるように、女性も男にくどかれるのを待っているというのが真実のところなのだ。

まあ、じいさんのわたしがこんなことに目くじらを立てるのもナンだけど、じつはわたしは以前ある女性とデイトをしたことがあって、お別れのとき挨拶がてらにキッスをしたことがある。
相手は異常に潔癖症だったらしく、それ以来おこって口も聞いてくれない。
まだコロナのコの字もなかったころだから、他人との濃密接触が禁じられていたわけでもないのに、だ。
あれが欧米の女の子であれば、わたしも頼りがいのある男と思われて、いまごろは金髪娘を女房にし、夫婦生活を
YouTube に投稿していたかも。
こういうときだけは生まれた国を間違えたような気がする。

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2019年11月27日 (水)

ホビーホース

魔法使いのおばあさんになったつもりで、竹ボウキにまたがって走る。
じっさいに空を飛べればカッコいいけど、やっているのは生身の人間だから、とりあえずまたがったまま地べたを走りまわるだけ。
そんな競技があったとしても、あまりおもしろいとは思えない。

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ところがテレビを観ていたら、フィンランドにそんなスポーツがあることがわかった。
「ホビーホース」というそうだけど、違うのは竹ボウキの先に、手作りの馬の頭がついていることだ。
ようするに、本物の馬に乗れない女の子たちの競馬ゴッコらしいんだけど、大がかりな競技会まであるというからオドロキ。

Hh01

あまりにもアホらしいけど、またがっているのが可愛い女の子ばかりというので、ついお終いまで見とれてしまった。
どうも、なんにでも興味を持つというわたしの性癖は直っていないようだ。
これではリタイヤしても退屈しないし、アルツハイマーもだいぶ先の話ではないか。

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2019年11月 7日 (木)

4K版

NHKのBSで4K版の「シルクロード」という番組を流していることは知っていた。
4Kといっても、これは古い映像を最新の技術で4Kにしたもので、なにしろ40年もまえの映像だから、4Kにするっていっても限界がある。
とても現代のデジタル画質を見慣れた者には耐えられないってわけで、ずっと無視していた。

しかし記録としては価値がないわけではない。
先日放映された回には、内戦によって破壊されたシリアのパルミラ遺跡が出てくるとあった。
そのへんが気になって、録画しておいたものを、さっきまで観ていた。
まだドローンもないころだから、空からの撮影はヘリコプターだ。
すると画面がやたらにブレて、やっぱり現代の感覚では目も当てられない。

しかしなんといっても40年まえだ。
まだシリア内戦もそれほど激しくはなく、ISISも現れておらず、中東がなんとか安全に旅できたころである。
いまでは失われてしまった遺跡を目の当たりにできる価値は大きい。
歴史も地理もわたしの趣味の大きな柱なので、やはりシリーズの最初から録画しておけばよかったと思う。

この4K変換版の「シルクロード」は、全部で30回分もあるらしいから、それが全部揃っていれば、すてきなコレクションになったのに。
あるいはと思って
YouTube に当たってみたら、4Kに変換するまえのシリーズは観られるようだけど、こちらは古いままの画質だからさすがに観ようという気になれなかった。
4K版については、まだまだ再放送があるかもしれないので、期待して待つしかないか。

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2019年10月 3日 (木)

COOL・JAPAN

NHKのBSでやっている「COOL・JAPAN」という番組が好きである。
これは外国人から見た日本のクールな(いかしてる)ものや、不思議なことは何かと、外国人をスタジオに招いて討論する番組で、つねによそからの視線を気にするわたしには、ひじょうに興味津々なものなのだ。

けっこうむかしからやっている番組らしいけど、わたしがこの番組に気がついたのはまだ最近だ。
昨日やっていたのは、日本の“名前”がテーマ。
どうやら名前の画数なんてものを気にするのは日本人だけらしい。
ラテン文字やキリル文字圏の住人が気にしないのは当然として、同じ漢字を使う中国でもあまり聞いたことがないという。

迷信や宗教に興味のないわたしだけど、名前の画数は気にしたことがある。
若いころ、自分の名前は将来大物になる名前ではないかと、電話帳を調べてみたら、同姓同名の人が何人も見つかった。
いずれも平々凡々たる庶民のようだったので、腹が立って、それ以来画数なんてものを信じたことがない。

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2019年7月28日 (日)

NHK

ネットにはマスコミを非難するコメントがあふれているけど、NHKは偏向している、あんなものはぶっつぶしてしまえという意見には賛同できない。
視聴料を強引に取り立てるという点だけは気に入らないけど、もしもNHKがなかったらなにを観ればいいのか。
民放の、あまりにアホらしいバラエティー番組に衝撃を受けて、いまのわたしは徹底的にNHKしか観ない人間なのだ。

だいたい世間には、自分の思い通りの内容でないと、偏向してるだの、右傾だ、左傾だ、保守的だと文句をいう人が多すぎる。
NHKが朝日新聞ほど偏向がひどいとは思わないし、だれがどっちから観ても公平な番組なんてあるのか。

平昌オリピックのとき、NHKのニュースを見ていたら、南北合同チームの噛み合わない選手同士の発言をまえにして、こんな調子で大丈夫なんですかねえと、キャスターが揶揄する調子で話していた。
また北朝鮮で外国の賓客を迎えるニュースで、沿道に歓迎の人だかりができているのを見て、動員された人々なんてことをどうどうと発言してもいた。
そのたんびにわたしはアハハと笑ったもんだ。

こんなことは些細なことかもしれないけど、NHKの偏向なんて可愛いものだし、女子アナも民放に比べればおしとやかなほうだし、とにかくNHKがなかったら、民放に観るべき番組はひとつもないというのが、わたしの意見だ。

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2019年7月 8日 (月)

国際宇宙ステーション

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「アースウォッチャー」というテレビ番組を観た。
国際宇宙ステーションから見た地球と、船内で生活する飛行士たちのようすをとらえた8Kの番組だ(わたしの部屋のテレビは2Kだけど)。
これを観て「
2001年宇宙の旅」はまだまだ遠いなあと思った。

というのは船内のあまりの乱雑ぶり。
せまい船内の壁に機器類がところ狭しと配置され、配線コードがだらしなく交差し、足もと(なのか天井なのか)に、地上から持ち込まれた荷物が積まれている。
持ち込まれた荷物なんか、勝手に浮遊しないようにヒモでしばりつけてあって、未来的というより清掃工場のゴミ置場みたい。

こんな乱雑な船内で、飛行士が空中遊泳をしてみせる。
大丈夫かい、間違えてそのへんの機器を蹴っ飛ばしたり、コードを足にからめたりしないかい。
せまいところだから、そういうことがあっても不思議じゃないし、蹴っ飛ばしたものが緊急脱出装置のレバーだったりしたらえらいことになりそう。

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心配はさておいて、宇宙船内の生活はなかなか興味がある。
食事をする場面があって、これでも宇宙食なのか、せんべいをパリンと折ると、破片がふわふわと空中をただよう。
それを飛行士がちょいとすくい取って口にはこぶ。
子供のころSF小説で読んだとおりだ。

球形のロボットに、あっち向け、こっち向けと口頭で命令する場面があり、これなんかHAL9000にあと一歩というところ。
この未来を見てみたいけど、船内のインテリアが
2001のディスカバリー号ほどすっきりするまで、生きてられないだろうなあ、こちとら。

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人間さまのエゴやメンツをさておいて、宇宙空間からながめた、ゆっくりと動いていく地球のすがた。
無限の宇宙空間にいざなわれるようで、わたしは「
2001年宇宙の旅」を始めて観たときの感動を思い出した。
またひとつ、わたしの世代が体験した冥土へのみやげ。

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2019年7月 7日 (日)

恐竜の時代

Goji

NHKで恐竜の番組をやっていた。
かっては日本にも恐竜がわさわさと棲んでいたのだそうだ。
番組ではCGを使って、そのころの風景を視覚化していたけど、なんとかいう恐竜が、水鳥みたいにうじゃうじゃいるのには驚かされた。
化石が見つかったくらいで大騒ぎするくらいだから、恐竜って希少動物じゃなかったのか。

いや、もちろんそんなことはない。
ようするにそのころの世界には、現在のアフリカと同じような景色が広がっていたはずだ。
たとえばアフリカにはゾウやサイ、キリン、ヌー、イボイノシシ、などの大小さまざまな草食動物がいる。
これを食べようというライオンやヒョウ、ハイエナ、チーターなどの肉食動物が徘徊している。

恐竜社会はそんなアフリカの縮図、いや拡大図と思えばよい。
ちょっとサイズがちがうだけで、そこにあったのは現在のアフリカとほとんど変わらない景色だったろう。
キリンみたいな首長竜もいたし、サイのような奇妙なかたちの草食恐竜もいた。
ライオンに相当するのはあの有名なティラノサウルスで、その餌となるヌーの大群のような恐竜もきっといたにちがいないのだ。

そう考えると、恐竜の生きた時代といっても、そんなに現在とちがうわけではない。
番組には水に潜って魚をとらえる小さな恐竜が出てきた。
あれなんか井の頭公園にいるカイツブリと思えばよろしい。
そうやってほとんどの恐竜が、現在の野生動物に当てはめられるはずだから、あれはコレ、これはアレと考えるのも楽しいことである。

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2019年6月11日 (火)

天安門事件

2、3日まえに天安門事件の30周年ということで、NHKがドキュメンタリー番組を放映していた。
この放送中、わたしはパソコンでべつの仕事をしていたので、とりあえず録画しておいて、今日になってじっくり観てみた。
この事件についてはわたしなりの結論が出ているので、いったいNHKはどう見ているのだろうという興味もあった。

結果を先にいうと、どうにもはっきりしない、ぬるま湯みたいな番組だった。
NHKとしては、民主主義こそ至高のものであり、民衆を戦車で押しつぶすような政府は許されるべきではないという結論にしたかったんだろうけど、現在の中国の発展ぶりをみれば、当時の指導者たちが間違っていたともいいにくい。
うーんと悩んだあげく、中国政府と国民の、どっちにもいい顔をする無難な番組になってしまったようだ。

そもそも30年まえの事件で、しかも人々の立場や政府の考え、国家間のいろんなおもわくがからんだ事件だ。
わたしみたいに疑いぶかい人間には、亡命した学生運動のリーダーや、鎮圧に動員された軍人、事実を把握しようとした英国大使館の書記官など、インタビューに答える人のなかに、ほんとうに客観的立場で発言している人がどれだけいるのか。
あるいはこれって、中国政府もあるていど公認のドキュメンタリーじゃないのかと、まずそっちのほうが気になった。

だからゴタゴタいわずに、わたしの考えをストレートにいう。
中国の国民、とくに若者たちは焦りすぎたのだ。
当時は鄧小平が改革開放政策に着手したころで、これならなにをやっても許されるんじゃないか、ひょっとするとアメリカのような自由な国になれるかもと、彼らが甘い幻想を抱いたとしても無理はない。

しかし鄧小平は(わたしはこの政治家をおおいに買っているので、いくらか割り引いてもらっても結構だけど)、彼は改革開放を急ぎすぎれば、中国も崩壊したソ連の二の舞になりかねないと危惧していた。
その結果が戒厳令であり、武力鎮圧だったと思う。
独裁といわれようとなんといわれようと、国家のなかには強権的な政権が、きっちり手綱をとらなければいけないところもあるのだ。

番組のなかに、悲劇の政治家とよばれた趙紫陽総書記が出てきた。
彼はこの事件がきっかけで失脚する。
学生たちに同情的だった彼と、あくまで開放政策を死守しようとした鄧小平のカードのうち、はたしてどっちが中国の未来にとっていい手が出ただろうか。

もちろんそんなことは当時の誰にもわからない。
しかしずっと後世に生きるわたしたちは、結果がそれ以前より悪くなければ、やむを得なかったと認めなければいけない場合もあるのではないか。

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2019年5月 1日 (水)

孀婦岩

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太平洋のまん中に孀婦岩という島(岩)が屹立している。
孀婦(未亡人)という名前は、聖書に描かれたソドムとゴモラの崩壊のとき、うしろをふりかえって石になったロトの妻がモデルだそうだけど、遠方から見ると、僧衣をまとったお坊さんがたったひとりで佇んでいるような異様な姿である。
場所は伊豆七島の八丈島と小笠原の中間あたりで、ただこの航路からいくらかはずれているために、むかし小笠原へ行くために連絡船に乗っていたわたしが、いくら目をこらしても見えなかった。

わたしがはじめてこの島のことを知ったのは、生前の団伊玖磨さんが八丈島に仕事部屋を持っていたころのことである。
そのころ、この人の「八丈多与里」という随筆がラジオ放送されていて、わたしも仕事のあい間によく聴いたものだった。
パッションフルーツという果物の名前をはじめて聞いたのもこの放送からである。

この随筆は本にもなっていて、それにたしかこの島の探訪記も出ていたと思う。
知り合いの釣り師や潜水士を伴った、一種の博物記のような本だから、そっち方面に興味のあるわたしは熱心に読んだ。
島のまわりの海はマグロやカツオのような大型回遊魚の宝庫で、取材チームのひとりが海に飛び込んで、海流の速さに溺れかかったなんてエピソードが興味深かった。

ただ、もちろんわたしのような無名人が、この島をじっさいに見に行けるわけもない。
いいかげん忘れかかっていたころ、最近NHKの番組でこの島の実態がくわしく報告された。
太平洋上に孤立した島だから、固有の進化した昆虫などがいて、研究するにはおもしろそうだけど、平地やビーチのまったくない島だから、水着のお姉さんが訪れることは、将来にわたってあり得ないと思われる。
不思議なかたちの島は、何千年、何万年かあとには、また砂漠の遺跡のように地上からすがたを消すのだろう。
むなしく天をさすこの島を見ていると、ほんのわずかな時間しか生存しない人間と、悠久の歴史をもつ大自然をつい比較してしまう。

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