(NHK)テレビより

2019年7月 8日 (月)

国際宇宙ステーション

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「アースウォッチャー」というテレビ番組を観た。
国際宇宙ステーションから見た地球と、船内で生活する飛行士たちのようすをとらえた8Kの番組だ(わたしの部屋のテレビは2Kだけど)。
これを観て「
2001年宇宙の旅」はまだまだ遠いなあと思った。

というのは船内のあまりの乱雑ぶり。
せまい船内の壁に機器類がところ狭しと配置され、配線コードがだらしなく交差し、足もと(なのか天井なのか)に、地上から持ち込まれた荷物が積まれている。
持ち込まれた荷物なんか、勝手に浮遊しないようにヒモでしばりつけてあって、未来的というより清掃工場のゴミ置場みたい。

こんな乱雑な船内で、飛行士が空中遊泳をしてみせる。
大丈夫かい、間違えてそのへんの機器を蹴っ飛ばしたり、コードを足にからめたりしないかい。
せまいところだから、そういうことがあっても不思議じゃないし、蹴っ飛ばしたものが緊急脱出装置のレバーだったりしたらえらいことになりそう。

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心配はさておいて、宇宙船内の生活はなかなか興味がある。
食事をする場面があって、これでも宇宙食なのか、せんべいをパリンと折ると、破片がふわふわと空中をただよう。
それを飛行士がちょいとすくい取って口にはこぶ。
子供のころSF小説で読んだとおりだ。

球形のロボットに、あっち向け、こっち向けと口頭で命令する場面があり、これなんかHAL9000にあと一歩というところ。
この未来を見てみたいけど、船内のインテリアが
2001のディスカバリー号ほどすっきりするまで、生きてられないだろうなあ、こちとら。

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人間さまのエゴやメンツをさておいて、宇宙空間からながめた、ゆっくりと動いていく地球のすがた。
無限の宇宙空間にいざなわれるようで、わたしは「
2001年宇宙の旅」を始めて観たときの感動を思い出した。
またひとつ、わたしの世代が体験した冥土へのみやげ。

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2019年7月 7日 (日)

恐竜の時代

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NHKで恐竜の番組をやっていた。
かっては日本にも恐竜がわさわさと棲んでいたのだそうだ。
番組ではCGを使って、そのころの風景を視覚化していたけど、なんとかいう恐竜が、水鳥みたいにうじゃうじゃいるのには驚かされた。
化石が見つかったくらいで大騒ぎするくらいだから、恐竜って希少動物じゃなかったのか。

いや、もちろんそんなことはない。
ようするにそのころの世界には、現在のアフリカと同じような景色が広がっていたはずだ。
たとえばアフリカにはゾウやサイ、キリン、ヌー、イボイノシシ、などの大小さまざまな草食動物がいる。
これを食べようというライオンやヒョウ、ハイエナ、チーターなどの肉食動物が徘徊している。

恐竜社会はそんなアフリカの縮図、いや拡大図と思えばよい。
ちょっとサイズがちがうだけで、そこにあったのは現在のアフリカとほとんど変わらない景色だったろう。
キリンみたいな首長竜もいたし、サイのような奇妙なかたちの草食恐竜もいた。
ライオンに相当するのはあの有名なティラノサウルスで、その餌となるヌーの大群のような恐竜もきっといたにちがいないのだ。

そう考えると、恐竜の生きた時代といっても、そんなに現在とちがうわけではない。
番組には水に潜って魚をとらえる小さな恐竜が出てきた。
あれなんか井の頭公園にいるカイツブリと思えばよろしい。
そうやってほとんどの恐竜が、現在の野生動物に当てはめられるはずだから、あれはコレ、これはアレと考えるのも楽しいことである。

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2019年6月11日 (火)

天安門事件

2、3日まえに天安門事件の30周年ということで、NHKがドキュメンタリー番組を放映していた。
この放送中、わたしはパソコンでべつの仕事をしていたので、とりあえず録画しておいて、今日になってじっくり観てみた。
この事件についてはわたしなりの結論が出ているので、いったいNHKはどう見ているのだろうという興味もあった。

結果を先にいうと、どうにもはっきりしない、ぬるま湯みたいな番組だった。
NHKとしては、民主主義こそ至高のものであり、民衆を戦車で押しつぶすような政府は許されるべきではないという結論にしたかったんだろうけど、現在の中国の発展ぶりをみれば、当時の指導者たちが間違っていたともいいにくい。
うーんと悩んだあげく、中国政府と国民の、どっちにもいい顔をする無難な番組になってしまったようだ。

そもそも30年まえの事件で、しかも人々の立場や政府の考え、国家間のいろんなおもわくがからんだ事件だ。
わたしみたいに疑いぶかい人間には、亡命した学生運動のリーダーや、鎮圧に動員された軍人、事実を把握しようとした英国大使館の書記官など、インタビューに答える人のなかに、ほんとうに客観的立場で発言している人がどれだけいるのか。
あるいはこれって、中国政府もあるていど公認のドキュメンタリーじゃないのかと、まずそっちのほうが気になった。

だからゴタゴタいわずに、わたしの考えをストレートにいう。
中国の国民、とくに若者たちは焦りすぎたのだ。
当時は鄧小平が改革開放政策に着手したころで、これならなにをやっても許されるんじゃないか、ひょっとするとアメリカのような自由な国になれるかもと、彼らが甘い幻想を抱いたとしても無理はない。

しかし鄧小平は(わたしはこの政治家をおおいに買っているので、いくらか割り引いてもらっても結構だけど)、彼は改革開放を急ぎすぎれば、中国も崩壊したソ連の二の舞になりかねないと危惧していた。
その結果が戒厳令であり、武力鎮圧だったと思う。
独裁といわれようとなんといわれようと、国家のなかには強権的な政権が、きっちり手綱をとらなければいけないところもあるのだ。

番組のなかに、悲劇の政治家とよばれた趙紫陽総書記が出てきた。
彼はこの事件がきっかけで失脚する。
はたして学生たちに同情的だった彼と、あくまで開放政策を死守しようとした鄧小平のカードのうち、どっちが中国の未来にとっていい手が出ただろうか。

もちろんそんなことは当時の誰にもわからない。
しかしずっと後世に生きるわたしたちは、結果がそれ以前より悪くなければ、やむを得なかったと認めなければいけない場合もあるのではないか。

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2019年5月 1日 (水)

孀婦岩

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太平洋のまん中に孀婦岩という島が屹立している。
孀婦(未亡人)という名前は、聖書に描かれたソドムとゴモラの崩壊のとき、うしろをふりかえって石になったロトの妻がモデルだそうだけど、遠方から見ると、僧衣をまとったお坊さんがたったひとりで佇んでいるような異様な姿である。
場所は伊豆七島の八丈島と小笠原の中間あたりで、ただこの航路からいくらかはずれているために、むかし小笠原へ行くために連絡船に乗っていたわたしが、いくら目をこらしても見えなかった。

わたしがはじめてこの島のことを知ったのは、生前の団伊玖磨さんが八丈島に仕事部屋を持っていたころのことである。
そのころ、この人の「八丈多与里」という随筆がラジオ放送されていて、わたしも仕事のあい間によく聴いたものだった。
パッションフルーツという果物の名前をはじめて聞いたのもこの放送からである。

この随筆は本にもなっていて、それにたしかこの島の探訪記も出ていたと思う。
知り合いの釣り師や潜水士を伴った、一種の博物記のような本だから、そっち方面に興味のあるわたしは熱心に読んだ。
島のまわりの海はマグロやカツオのような大型回遊魚の宝庫で、取材チームのひとりが海に飛び込んで、海流の速さに溺れかかったなんてエピソードが興味深かった。

ただ、もちろんわたしのような無名人が、この島をじっさいに見に行けるわけもない。
いいかげん忘れかかっていたころ、最近NHKの番組でこの島の実態がくわしく報告された。
太平洋上に孤立した島だから、固有の進化した昆虫などがいて、研究するにはおもしろそうだけど、平地やビーチのまったくない島だから、水着のお姉さんが訪れることは、将来にわたってあり得ないと思われる。
不思議なかたちの島は、何千年、何万年かあとには、また砂漠の遺跡のように地上からすがたを消すのだろう。
むなしく天をさすこの島を見ていると、ほんのわずかな時間しか生存しない人間と、悠久の歴史をもつ大自然をつい比較してしまう。

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2019年3月29日 (金)

ふざけるな、NHK

昨夜、NHKが3夜連続で放映した「ブルー・プラネット」という番組。
NHKと英国BBCが共同制作した驚異の映像の数々、といううたい文句はウソじゃない。
わたしは以前放映されたこのシリーズの1部、2部、3部を観て、ひじょうに感心したし、その続編の放映を心待ちにしていたのだ。
ところがなんだ。
続編の4、5、6部というのは、ぜんぶ1、2、3部の焼き直しじゃないか。
これじゃ再放送というべきだ。
いくらモトがかかってるからってセコい真似をするな。
じつはこのあとに「プラネット・アース」という同じような番組の続編がひかえているはずだけど、期待感がいっきにしぼんだワ。

最近バレエの話題が増えてきたし、これからももっと増えるはずなので、右側のカテゴリー欄に「舞台を観る」という項目を追加しました。

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2019年1月 6日 (日)

駅ピアノ

いま今朝の新聞のGLOBE紙面から思いついたことを書いているんだけど、おそれ多いことでもあり、崇高で光り輝く名文を書こうとしたら、ぱったり思考が停止して、それ以上筆(キー)が進まなくなってしまった。
とても今夜中には間に合いそうもないので、下らなくて、あまり輝かない文章でお茶をにごす。

NHKのBSに「駅ピアノ」という番組がある。
マルタ島が舞台というから、過去にわたしも行ったところであり、ついなつかしくなって録画してみた。

これは駅や空港に置かれたピアノを、通りかかった人が弾く、それだけの番組だった。
通りがかった人というのは、若い美女からそのへんのおっさん、黒人の若者、赤ん坊をかかえた人妻などで、曲目もクラシックからポピュラーまでさまざまだ。
ヨーロッパにはこういう、だれでも弾いていいピアノ・サービスを実施しているところが多いらしい。
日本だって自動販売機がどんな田舎や山奥にもある。
だから国民の公衆道徳心は負けていないなんて、このブログに書いたことがあるけど、やっぱり音楽好きとしては、こういうサービス、そして国民性がうらやましい。

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2018年10月10日 (水)

ライオン

ライオンというと、かっては百獣の王と称されたことがあった。
1対1でケンカをしたら、そりゃ、ゾウのほうが強いけど、ゾウは好んで他人にケンカを売るような動物ではない。
となると、やっぱり百獣の王にふさわしいのはライオンということになるだろう。

すべての動物に君臨し、愛情こまやかで、子供をいつくしむ。
擬人化すれば人間の模範にさえなる。
ところが近年、そんなライオンのイメージが転換しつつある。
じつはライオン社会では、子殺し、同胞殺しがめずらしくないことが、ドキュメンタリー番組などで次第にあきらかになってきた。
先日の「ワイルドライフ」という番組でも、おとなの雄に殺される若いライオンや、逃げおくれてまわりからオモチャにされたあげく、殺される可愛らしい子供ライオンが出てきた。
ついでといっちゃナンだけど、ハイエナに噛みつかれてひいひい逃げまわるライオンまで。

これが自然の当然の掟かも知れないけど、手塚治虫大先生がいまの時代に生きてれば、はたして「ジャングル大帝」で、ライオンを理想の王者として描いたかどうか。

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2018年9月 4日 (火)

新しい展望

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自称ナチュラリストの当方としては、日本に残された最後の秘境というべき西表島が恋しい。
あの干潟の軍隊ガニ(ミナミコメツキガニ)の群れが恋しい。
トイレのなかにまで入りこんでくるヤドカリが恋しい。
しかしもはや登山もダイビングも縁遠いものになって、秘境はますます遠ざかる一方だ。
そんな嘆きのわたしだけど、テレビを観ていて、あらたな展望が。

わたしはBSの 「ワイルドライフ」 という番組が好きで、欠かさず観ているんだけど、最近のカメラの性能向上には目を見張るものがある。
昨晩のそれには屋久島のコブシメという大きなイカが出てきた。
わたしは若いころ、初めて西表島に行って、せいぜい背丈ほどの深さの海中でこいつを見たことがある。
珍しいものを見たというより、美味しそうだなというのが最初の印象。
ヤリイカやスルメイカのようなスリムな体型ではなく、見るからに肉厚の、丸太ん棒みたいなイカだったもので。

そんなことはどうでもいい。
ここで問題にしているのは、カメラや撮影技術のことだ。
海の中で、2、3センチの コブシメの赤ちゃんにぴたりとピントを合わせる。
わたしもやってみたいけど、無理だろうな。
もはや機材にしても撮影技術にしても、しろうとが関われる域を超えている。
つまり、新たな展望というのはこのことだ。

わたしにはできなくても、テレビ番組が、わたしのやりたことを完璧にやってくれてるではないか。
いちいち西表島まで行かなくても、コブシメのクローズアップ、産卵するサンゴのアップ、ハタの口のなかを掃除する小さなエビのアップ、ゴマモンガラの究極のアップ(海中に設置してあったカメラをこいつがくわえてしまうのだ)、その他のめずらしい動物のアップなど、わたしには撮れそうもない生きものの生態を、美しい精緻な画像で見せてくれるのだから、部屋に寝っころがってテレビを観ていれば、むだな金を使わないですむということである。

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2018年8月28日 (火)

シルク・ドゥラ・シンフォニー

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「シルク・ドゥ・ソレイユ」というものがある。
いま日本でも公演しているけど、これは世界的に有名なサーカス団のことだ。

昨日は、なにげなくテレビ欄を見ていたら、「シルク・ドゥラ・シンフォニー」という文字が目についた。
文字づらからどうしても上記のサーカスを連想してしまう。
それで予約録画してみたら、これはサーカスとクラシックの演奏会が合体したもので、チャイコフスキーやオッヘンバックの名曲にあわせて、曲芸や奇術などを披露するものだった(日本公演は終了)。
なかなかユニークで楽しい番組だったけど、ひとつ問題があるな。

火曜日の早朝の5時からだなんて、え、そんな時間にテレビを観ている人間がいんのか。
それともこれって、以前はもっとまともな時間に放映したものの再放送だったのかしら。
知らないのはわたしだけだったのかしら。

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2018年7月15日 (日)

秘境×鉄道

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昨夜はBSで「秘境×鉄道」という番組を観ていた。
鉄道による海外の紀行番組で、案内役はくたびれた関口知宏クンに代わって、若手の古原靖久クン。
個人的には仲川希良ちゃんあたりがやってくれるともっといいんだけど、世界の秘境にある鉄道に乗るのが目的の番組なので、若い娘が案内するには危険すぎるってことなんだろう。

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今回の秘境はシルクロードというから、わたしの行ったところが出てくるかと思ったら、同じシルクロードでも中国から国境を超えたタジキスタン、カザフスタン、キルギスタンといった中央アジアの国々が舞台だった。
中国の新疆ウイグル自治区もそうだけど、これらの国はみんなイスラム国家で、風景や女性の服装をながめているかぎり、新疆とほとんど変わらないから、ついなつかしい気持ちで観た。
ここに載せた写真は、すべてわたしのアルバムから。

わたしは新疆ウイグル自治区を旅しているころ、カザフ人やキルギス人も見たことがある。
中国は世界一の多民族国家ということで、自国の中にたくさんの他の民族を抱え込んでいるのである。
もっとも名札を下げているわけではないから、相手の民族籍がわかったのは、言葉のボキャブラリーが少ないわたしが、知り合った相手にやたらに出自はどちらでげすと尋ねたせいだ。

新疆で知り合ったウイグル人と話をしてみた。
彼は日本語ガイドをしていたから日本語はペラペラだ。
このへんには他の民族も住んでいるそうだけどと訊くと、カザフのやつらは山の上に住んでますという。
客観的な立場のわたしとしては、“やつら”呼ばわりにびっくりしたけど、中央アジアの民族感情がすこしは理解できたような気がした。

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その新疆にある天池という大きな湖に行ったときのこと。
この湖は高山のいただきにあり、周辺に住んでいるのはカザフである。
ウイグルが平地で農耕にいそしむのに比べ、カザフは山中で牧畜にいそしんでいるということだった。
これはあくまで中国国内のカザフの場合で、国境を越えたカザフスタンは日本の七倍の国土を持っているというし、いまではさまざまな仕事に従事し、都会に住む者も多いはずだ。

カザフは女性でもたくみに馬を乗りこなす。
もっとも山のなかでは、馬より便利な乗り物は思いつかない。
平地に住むウイグルは、みんなロバ馬車で、女性が馬にまたがっているのを見たことがない。
天池を見物に行って、わたしも馬に乗ってきたけど、すぐ下の写真はそのときの女性馬方さん。

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ウイグル人は日本人とはあきらかに容貌が異なり、インド系というか、パキスタンやアフガニスタン人のような顔をしている。
これに比べるとカザフ人のほうは、日本人、というか、モンゴル人のような顔が多かった。
もっとも中には金髪碧眼までいて、長い歴史のあいだの複雑な混合を物語っている。
昨夜の番組を観ていると、タジク、キルギスも似たような感じで、年配の女性なんか、そのまま日本に持ってきても違和感がないように思えた。

そんなキルギスには驚くような風習があって、嫁さんはみんな誘拐されてきたのだそうだ。
この奇習についてはこのブログにも書いたことがあるけど、仲川希良ちゃんあたりが行ったら、誘拐されて現地妻にでもされていたかもしれない。
でも誘拐されてきた女性も、現在は文句もいわず幸福に暮らしているみたいだから、げに女性心理はわからない。
下の写真は天池の近くの農村でみかけた女の子ふたりだけど、彼女らの世代はおしきせの結婚から脱却するのではないか。

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はっきりいって、最近のアフリカよりも中央アジアの国々のほうが遅れている感じ。
古原靖久クンは政治にまで踏み込まないけど、駅員や乗客のなかには顔をかくす者もいたし、馬に乗るカザフスタンの草原散策は軍人の案内つき。
仔細に観ると、まだまだ隠しごとの多い国々であるような気がして、それがなおさらわたしの興味をひく。
わたしが30年若ければ、今度はこのあたりをさまよっていたものを。
グローバル社会からずれていればいるほどおもしろいというのが、わたしの信念なのである。

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